Impregnable 1

「うわーん!」

 魔王様の腰に抱きついて泣いているのは、【恋情 れんじょう の悪魔】シトリーさんだ。

「ごめんねぇ、ルーちゃん! シトリー負けちゃったっ……!」

 そんなシトリーさんの頭を、猫にでもするように撫 な でるルーシーさん。

「一人落としたではないか。しかも【勇者】だ。むしろよくやった」

 幼女に慰 なぐさ められる少女とは中々目にしない光景だが、何故 なぜ か違和感は無い。

「うぅ……あのフェニクスとかいう子、絶対におかしいよ。あんなイケメン高身長で最高ランクの精霊持ちで世界四位で魔物への敬意も忘れない人間なんて、おかしくない? 神様が『最強の魔力体 アバター 作ろ』って言って出来上がったのがあの子だって話されても信じちゃうよ」

 親友が褒められて悪い気はしない。フェニクスも最初から最強だったわけではないが、今の彼の姿を見ればそんなことを考えてしまうのも仕方ないというものだ。

 結局あいつは一撃でシトリーさんを退場させ、第五層を攻略した。使える画が少ないこともあり、おそらく次の六層までを一回の放送で流そうとする筈 はず だ。攻略直後に六層を予約していったし。

「はい、レメさん。どうぞ、あーん」

 横から甘い声。ミラさんが鳥の丸焼きを切り分けたものをフォークに刺し、僕の口許 くちもと に差し出していた。右手でフォークを持ち、左手は皿のように。

 絶妙な角度で首を傾けながら、「あーん」と可愛 かわい く唇 くちびる を動かす。

「じ、自分で食べられますから」

「……そうですよね……私のような者にこんなことされても迷惑なだけですよね、ごめんなさい……もう二度としないのでどうか許してくださいね」

「食べます」

 どよーんと落ち込むミラさんに、僕は一瞬で意見を翻 ひるがえ す。

「嬉 うれ しい」

 ミラさんも一瞬で笑顔に戻った。

 分かっていても飛び込まなくてはならない罠 わな というものがあるのだ……。

 顔が赤くなるほどの恥ずかしささえ我慢すれば、なんてことはない。美味 おい しい筈のお肉の味が感じられないほどの緊張だって、どうってことはない。

 さて、ここは魔王軍行きつけの食事処 しょくじどころ だ。

 建物は二階建てで中央が吹き抜けになっていて、一階中央には泉が作られていた。水を好む亜人はそこで寛 くつろ いでいる。

 天井 てんじょう には蔦 つた が生い茂る一角や、岩肌のようなものが覗 のぞ いている箇所があり、魔物に飼われる亜獣 あじゅう ──かつて魔獣と呼ばれていた動物──の姿があった。

 今日は僕の歓迎会ということで、店内は魔王軍貸し切り。

 店の中には吸血鬼、人狼 じんろう 、夢魔、魔人、人魚 にんぎょ 、龍人、鳥人 ちょうじん 、巨人、ダークエルフ、スケルトンなどなど、他にも種族が分からない人まで沢山いた。

 歓迎されるのは嬉しいし、こういう機会はありがたい。地道に挨拶 あいさつ して回るよりも早く、皆さんに覚えてもらえる。

 一通り自己紹介を済ませた後、僕は二階へ進んだ。そこには魔王様ことルーシーさん、四天王のミラさん、アガレスさん、シトリーさん、まだ名前を聞いていない黒騎士さんがいて、今に至る。

 右隣にミラさん、左隣にはカシュがいて、他にも幾人 いくにん かのフロアボスが近くで飲み食いしていた。

「離れろ、【夢魔】もどき。魔王様はこれからプリンを食するところなのだ、邪魔立てするな」

「そんなのシトリーが食べさせてあげるもんね。アガレスくんうるさいよ」

「……どこの世界に仕事でミスして上司に抱きつく部下がいる。不適切だ」

「ここにいるもーん。ルーちゃん、シトリーとルーちゃんの関係って不適切なんだって。なんだかドキドキするね」

「む? いや、特には」

「あはっ、ルーちゃんにはまだ早かったかー」

 シトリーさんはまだ敗北が尾を引いているようだったが、なんとか笑顔を作っていた。

「【夢魔】もどき……貴様」

「『もどき』ってやめてよ。傷つくんですけど? ルーちゃあん、アガレスくんがいじめるよぅ」

 猫なで声を出しながらルーシーさんに絡 から みつくシトリーさん。

「おーよしよし。アガレス、そう虐 いじ めてやるな。以前も言ったが、仲間くらい名で呼べ」

「そーだそーだ。それにシトリー叱 しか るならそっち見てみなよ。就任早々ミラっちと秘書ちゃんと不適切なカンケイの子がいるんですけど?」

 僕だろう、間違いなく。

 カシュは先程までリスのように食べ物を頰張 ほおば っては幸せそうな顔をし「みんなにも食べさせてあげたいです」と家族を想 おも ったりしていた。だがミラさんのやっていることに気づくと、なにやら決意の光を瞳 ひとみ に宿し、一番のお気に入りらしいハンバーグを一切れ僕に差し出した。

 子供の頃と言えば好きな食べ物は全部自分で食べてしまいたいものだったが、カシュは好物を人に分け与えられる子らしい。弟妹がいるそうだから、それも関係あるかもしれない。その優しさを無下 むげ にするつもりはなかった。僕は感謝を述べそれを口にした、のだが。

 そこでシトリーさんが僕らを指さしたのだ。

「話しかけないでくれるかしら、今いいところなの」

「ミラっちなんかその子にだけキャラ違くない? シトリーとの仲の方が長いんだからシトリーにも優しくしてよ」

「優しいでしょう? だってほら、話をしてる」

「優しいの基準壊れてない?」

「レメさんと一緒にいる時に会話に応じるのは、貴方 あなた のことをとても大切に思っているからよ」

「そ、そう?」

 大切という言葉にぴくりと震えるシトリーさん。

「えぇ、大好きだからそのまま良い子にしていてちょうだいね」

「い、いいけど?」

「偉いわね」

 シトリーさんは嬉しそうに笑った。

「ルーちゃん、シトリー偉いって」

「うむ……そうだな、偉いぞ」

 ルーシーさんは全 すべ てを察しながらも、シトリーさんの喜びに水を差すことはしなかった。

 そういえば、シトリーさんは自分をダンジョンネームで呼ぶんだな。

「人に恋を錯覚させる魔物が、偽物 にせもの の好意に騙 だま されてどうするのだ」

「アガレスくんうるさいんですど。熟女に恋させてあげてもいいんだよ?」

「フッ、愚 おろ かな。私は幼き者の純粋さを守護したいのであって、性欲の対象にしているわけではないと何度言えば分かる。……それはそれとして御婦人に恋愛感情を抱かせるのだけはやめてくれ」

 四天王はなんだかんだ仲がいい。

 アガレスさんとは先程話した。カシュの件をどこからか聞いたらしい彼は無言で僕に握手を求め、応じると「まさか参謀殿が同胞とは」と誤解をしたまま契約してくれた。訂正したが「よいのです、隠さなくともよいのですよ」と初めて見る微笑を向けられてしまったので何も言えなくなった。

 カシュに罵倒 ばとう してくれとか踏んでくれとか言い出したりすれば別だが、魔王様が四天王に任命したくらいだ、その辺の分別はしっかりしているだろう。なのでそっとしておくことにした。

 後は黒騎士さんの鎧 よろい に入っていた人物を目 ま の当 あ たりにしたり、ダンジョンネームをフルカスと言うことを知ったり、僕の前にあった食べ物をじーっと見ていたので渡したら一瞬で平らげた後に、「助 すけ っ人 と 一回、一ご飯」との条件で契約したりした。他にも色々な人達と話すことが出来た。

 どれくらい経 た ったろう、うとうとしてきたカシュを家に送るべく、僕は早めに抜けることにした。

 一応は主役である僕が抜けるのはひんしゅくを買うだろうかと思ったが、皆さん優しくて温かく送り出してくれた。僕が抜けようがお酒は飲めるので気にしてない人も多そうだったが、心が温かくなるに越したことはない。

「ねぇ、レメくん」

 シトリーさんだ。その目許 めもと は少し腫 は れている。

「なんでしょう」

 僕は眠そうなカシュをおんぶして、店を出るところだった。

「君、あの子倒せるの?」

 フェニクスのことだろう。

「皆さんの力があれば」

「……ふぅん。でもいいの? 幼馴染 おさななじみ なんでしょ確か。前まで一緒に一位目指してたのに、親友の一位到達を邪魔していいの?」

「シトリーさんが勝つ為 ため にしたことに対して、あいつは何か言っていましたか?」

「……好ましく思うとかなんとか」

「そういうヤツなんですよ。敵とか味方とか関係ない。目的の為に全力を尽くす人間に敬意を表する、そういうヤツなんです。親友だからって手心を加えるとか、敵なのに戦いたがらないとか、そんなことをしたら侮辱になる」

「へぇ……」

 興味深げに、シトリーさんが僕を見上げた。

「今度話そうよ、レメくん。その時にシトリーが満足したら、契約したげる。違うか。契約しようって、シトリーが言うね」

 シトリーさんは返事を待たずにルーシーさんのところに戻っていく。

 帰り際 ぎわ にふと視線を向けると、ミラさんも僕を見ていた。ニッコリ微笑 ほほえ んで、妖 あや しく唇を動かす。

『また明日』だろうか。僕は頷 うなず いて、店を後にした。夜の街を、童女 どうじょ を背負って歩く。

「レメしゃん……」

 眠気にとろけたカシュの声が、僕の耳に掛かる。

「うん」

「わたし……しょうらい、まものになる……なりたい、です」

 背中のカシュが温かい。子供って体温高いんだなぁ。

「そうなの?」

「さっき、きめました」

「そうなんだ」

 カシュは今八歳。【役職 ジョブ 】が分かるのは十歳だ。

 将来を決めるには早い、なんて僕が言えることじゃない。物心ついた頃には【勇者】に夢中で、【黒魔導士】になった後も諦 あきら めなかった男が何をアドバイス出来るというのだ。

「それで……レメさんに、おねがいが、ある……です」

「僕に? 秘書を続けてくれるっていうなら、大歓迎だけど」

 もちろん夢が出来て、それを追うというのなら応援する。

「レメさんの、ゆびわ。けーやくして……なかまに、なる、もの。です?」

「そうだね。魔力は必要なんだけど、遠くにいる人でも、すぐに助けに来てもらえるんだ」

 カシュは僕のうなじのあたりに、自分の額を擦り付けた。

「わたし、まだこどもなので。おやくにたてないです」

「そんなことないよ、助かってる」

 カシュは既に魔王城の人々に受け入れられ、可愛がられている。僕の仕事を手伝う中で、皆彼女の健気 けなげ さに心打たれたようだ。

「ゆびわ、ななじゅうに、ですよね」

「うん。七十二人の人に、助けてもらえる指輪だよ」

「……おねがいが、あるのです」

 もう一度、カシュはそう言った。

「聞かせてくれるかな」

 応 こた えまでは、結構間が空いたと思う。

「わたしが大人になって……レメさんをたすけられるようになるまで……」

「うん」

「ななじゅういち、で、けーやくをストップしてほしい、です」

 ミラさんのように一番目の魔物にしてほしいというのとは逆。いつか成長して共に戦えるようになるから最後の枠はとっておいてほしいと言っている。

 カシュはそれを、とても大きなわがままだと思っているらしい。不安からか、身体が震えていた。

「だめ……ですか?」

 だから僕は、敢 あ えて軽く答える。

「あぁ、それはいいね」

「……っ」

「人生の楽しみが一つ増えたよ」

「え、え、レメさん? あの、その、えと」

「最後の契約者はカシュに予約だね」

「──~~~~っ。い、いいんですか?」

「もちろん」

 ぎゅうっと、彼女が僕の首に抱きつく。苦しくない程度の力だ。

「……がんばるので」

 ぼそりと、彼女が呟 つぶや いた。

「うん」

「わたしは……レメさんと……けーやく、する……です」

「そうだね」

 彼女の家に向かって歩き続ける。出勤初日の帰りに送って行ったので、場所は把握していた。

「……すぅ……すぅ」

 彼女の寝息を聞きながら、僕は足を動かし続けた。

 ◇

 第五層攻略後、私達は第六層も踏破した。

 ダンジョンごとに特色というものがあるが、魔王城の場合は一層ごとに登場する魔物の種をガラリと変え、ダンジョン内の構造も変えている。

 一般的なのは火属性魔法を扱う魔物だらけのダンジョンだとか、鉱山ふうのダンジョンだとか、出現する魔物やダンジョンの構造に一つのコンセプトを持って運営されるモノ。

 これは観 み ている側も攻略する側も分かりやすい。何が起こるか事前に想像出来る上で、それをどう攻略するかを楽しめる。魔王城はそこも違った。あまりに多彩で自由。

 第一層は番犬の領域。

 何故か屋外だった。ダンジョン内なのでそんなわけはないのだが、天井を暗雲が立ち込めているかのように塗っており、周囲は荒野のように見えた。

 そして荒野の中に魔王城があるのだ。もちろん攻略前に魔王城の敷地内には入っているので、見せかけだ。視聴者に『この階層をクリアすれば、勇者パーティーは本格的に魔王城を攻略出来る』と示す為のモノ。

 高い岩壁がぽつぽつと伸びる荒野には無数のヘルハウンド──【黒妖犬 こくようけん 】が登場。猛禽 もうきん の翼と大型獣の如 ごと き体軀 たいく を持つ【不可視の殺戮者 さつりくしゃ 】グラシャラボラスは、自身や【黒妖犬】の姿を透明にすることが可能で、冒険者に不可視の襲撃を仕掛ける。攻撃の瞬間のみ相手の姿が見えるようだった。

 フロアボスは三首の巨大【黒妖犬】に変化する【地獄の番犬】ナベリウス。

 第二層は死霊術師の領域。

 スケルトンこと【骸骨 がいこつ 騎士】は魔物で、ゾンビこと【生ける屍 しかばね 】は死霊術師の作り出したモノだ。これは死した生き物を操 あやつ っているのではない。術師が過去に倒した冒険者の魔力体 アバター を操っているのだ。

 冒険者の魔力体 アバター をなるべく損なわずに本人を退場させ、その秘術で精神の伴わない抜け殻として術師の支配下に置くというもの。

【死霊統 す べし勇将】キマリスが死霊術師であり、彼の副官である【闇疵 あんし の狩人 かりゅうど 】レラージェはダークエルフ。レラージェの矢を受けると、肉体が腐る。

 レラージェが腐蝕 ふしょく の矢によって冒険者にダメージを与え、退場の瞬間にキマリスが死霊術を施 ほどこ して魔力体 アバター の分解を防ぐ。

 第三層は吸血鬼の領域。第四層が人狼の領域。そして第五層が夢魔の領域。

 第六層は、水棲 すいせい 魔物の領域だった。

 こうも階層ごとに特色が違うと、パーティーメンバーの構成によっては極 きわ めて攻略が困難になる層などが出てくるだろう。

 私達で言えば【恋情の悪魔】シトリーのいた第五層がそれに当たるか。あの層は【白魔導士】がいない場合、全滅もおかしくない構成だ。

 二人の【勇者】がいたことで短期決戦に持ち込めたが、厄介 やっかい な敵だった。

 第六層攻略後、私達はいつもの酒場にいた。

 メンバーは五人。レメを抜いてベーラを加えた五人だ。

 攻略は成功したが、皆の顔は暗い。酒場の陽気な雰囲気に馴染 なじ めていない。

「あの、少しいいでしょうか」

 ベーラだ。【氷の勇者】と呼ばれる通り、透明感のある青い髪と瞳をしている。猫背気味で小柄かつ細身。十三歳の少女で、武器は刺突剣。

「このままではここから先の攻略は難しいと思うので、提案がありまして」

「あ? なんだよ」

 アルバの声には覇気がない。今回も、彼は活躍したとは言い難 がた かった。その自覚があるのだろう。同様に他の二人も消沈しているようだ。先程から酒に手を出しもしない。

 ベーラはちらりと私に視線を向けた。頷くと、話し始める。

「第六層からは『攻略推奨レベル』が変わりました。そのことを考慮しても……お三方の動きは精彩 せいさい を欠いていたと言わざるを得ません」

 ダンジョンには『攻略推奨レベル』が設定されており、最大で『5』、最低が『1』となっている。このレベルというのは実際の強さの数値化ではなく、パーティーとしての総合力・迷宮攻略実績から冒険者組合によって判断される。

 推奨とは言うが、基本的にレベルが足りない場合はそのダンジョンを攻略することが出来ない。ダンジョン側に拒否されてしまうのだ。

 レベル『5』を名乗れるのは全体で五十組だけ。

 ただし、世界ランクの上位五十組がそのままレベル『5』ではない。

 人気も加味される世界ランクとは、多少ズレが生じるのだ。

 私達は世界ランク第四位かつ、レベル『5』パーティーということになる。

 だがこれでは、レベル『5』のダンジョンは世界で五十組しか攻略出来ないことになってしまう。それもあって、一部のダンジョンに導入されたのが深層高難度、と言われる形態だ。

 一つのダンジョンで『攻略推奨レベル』が変化するのである。

 魔王城で言うと、五層まではレベル『4』、六層以降は『5』の実力が要求される。仮にレベル『4』のパーティーが五層を攻略しても、六層には進めないということ。

 私達は問題なく進める。実際進んだが、攻略難度は確実に上がっていた。

「ちっ……確かに五層六層と大して役に立ってねぇのは認めるけどよ」

 新人に言われるのが癪 しゃく という顔をしつつ、言葉には出さずにアルバが言う。

 第六層は基本的に海上だった。

 海の上に、石の通路が敷かれているのだ。そこだけが冒険者の通り道。

 そして海の中には水棲の魔物がうようよいた。

 気を抜いて進むことは出来ず、隙 すき あらば海中から水魔法を放ったり、飛び出して体当たりを試みたりする。一瞬で退場させることが出来ないと海中に逃げられてしまうので厄介だった。

 私達はベーラに通路付近の水面を凍結してもらい、進んだ。途中からは武器を持った【魚人 ぎょじん 】が通路に現れ、ようやく三人は出番が来たと戦闘。

 だがやはりアルバの魔法剣もかつてほど見事に敵を裂くことはなく。

 ラークはこれまでのように複数体を一人で相手取ることが難しいようで。

 リリーも『神速』こそ健在だがその精度は確実に落ちていた。

 それでもきっと、攻略の評価自体は悪くないだろう。それくらいにベーラの存在は大きい。

 炎の私に対し、氷のベーラという対比も視聴者は喜ぶだろう。視界に映るものを凍 い てつかせる【勇者】と、焼き尽くす【勇者】。

【黒魔導士】の代わりに入ったことも考えれば、大きな反響がある筈だ。

 だが一部の目敏 めざと い視聴者は気づくかもしれない。三人は不調なのか? と。それがレメが欠けたことによるもの、と気づく人間はいないだろうが。しかし『不調』が今後も続けばどうなるか。

「まぁ相性 あいしょう も多少はあるでしょう。ですが私はそれだけではないと思います。そこで提案ですが、次の七層は『レメさんが優秀な【黒魔導士】であった』という仮定の許 もと に挑んでみませんか?」

「はぁ!? 」

 声はアルバから。だが他の二人も驚きは同じだった。

 ──言葉というものは、何を言うかだけでなく誰 だれ が言うかが重要視される。

 好ましい相手からの愛の言葉は喜ばしいが、忌み嫌う相手からの愛の言葉は不愉快だろう。

 私がレメを擁護することに、彼らは飽き飽きしている。数年間にわたり、私はレメの価値を説き続けた。彼が嫌がるので真の実力や師のことには触れられなかったが、結果は失敗。

 彼の能力を伏せたまま彼を評価するのは、仲間の悪感情を煽 あお るだけだった。レメが抜けた日も、アルバは私が何か言おうとするのを制した。レメも無駄だと分かっていたから私を止めたのだろう。

 親友を評価する私の言葉は力を持たなかった。友情を理由に庇 かば っているだけと思われた。だがレメと面識のないベーラの言葉なら?

 友情の入り込む余地のない【氷の勇者】が言うならどうなるか。

「何言ってんだベーラ、意味が分かんねぇぞ」

「アルバ先輩は、本当に自分の調子が悪いだけだと思っているのですか?」

 ぐっ、とアルバが呻 うめ く。

「ベーラの言う通りです。魔力体 アバター は肉体の最高の状態を再現したもの。故 ゆえ に体調面での不調というのは有り得ません。あるとすれば精神面ですが……」

 リリーが苦々しげに言った。

「レメが抜けて、僕達の心に大きなダメージがあるってのは変な話だね。こっちがやめてくれって言ったんだから……」

 ラークも同意する。体調が悪くなることはなく、心を病んでもいない。

 ならば『不調』とやらの原因は?

「私はどちらかと言えば魔法主体なので中衛となるでしょう。この役割が増えて動きが阻害されることもない筈です。前任のレメさんが無能だったなら、同じ位置に【勇者】が加わることで純粋な火力強化が叶 かな うのでは?」

 皆もそれを期待していた筈だ。そしてそれは不完全な形で果たされた。

 ベーラは期待以上の力を発揮したが、三人は何故か思うように結果が出せなくなった。

『何故か』、というのは彼ら視点での話だ。

 私はもちろんのこと、ベーラもおおよそ見当がついている様子。黒魔法が原因だと推測出来るだけでも大したものだが、きっと彼女が冒険者の常識に縛られていないから推測出来たのだろう。

「だけどなベーラ、そりゃあねぇだろ。黒魔法ってのはマジでカスなんだよ。攻撃力防御力を一割でも下げられんならまだいいぜ? だが大抵の奴はその半分も下げられやしねぇんだ」

「ですから『大抵の奴』ではなかったと仮定しましょう、という話です」

「確かに以前から不思議ではありました。フェニクスが友だからと無能を側に置き続けるとは思えません。とはいえ、彼の黒魔法が特段優れているようには見えず……」

「いや、あのさ。レメが僕らを実力以上に引き上げてくれる【黒魔導士】だとするよ? じゃあレメはなんでそれを一度も僕らに言わなかったのかな。ベーラは知らないだろうけど、レメはアルバのむかつく悪口にも反論しなかったんだよ。それって実力不足を認めているからじゃないの?」

「あるいは何があっても実力を明かせない理由があったのかもしれません」

「はぁ? んな馬鹿 ばか な妄想があるかよ」

「アルバ先輩の魔法剣ですが、操作精度が落ちていないのに命中率が落ちてますよね?」

「……っ」

「レメさんが当てられるようにしてくれていたのでは?」

「ふ、ふざっけんなッ! んなことが──」

「ラークさんは、以前より敵の狙 ねら いが的確になっていると感じられているのでは? それと、攻撃力が上がっているように」

「まぁ……ね。魔王城だけなら、これが最高難度かって納得出来るけど……慣らしで入ったダンジョンでも、正直 しょうじき 違和感あったかな」

 ベーラ加入の際に魔王城攻略を一度中断し、他のダンジョンに潜ったのだ。

 非公開なので世間は知らないが、その時点で彼らは不調を感じていた。

「リリーさんは──」

「分かっています。以前よりも矢が当たらなくなっています」

「加えて、過去の映像では動く相手の急所も見事に貫いていましたが、今は命中するだけといった感じですね」

 ベーラは自分の想像を確信に変える為に、過去映像を確認したらしい。

「じゃあなんだよ、オレらはレメの野郎がいないと何も出来ないってか?」

「何故そう極端な意見になるんですか。皆さんは一線級の冒険者です。それを実際以上に引き上げる力が、彼にあったというだけではないですか」

「……だから、彼の優秀な黒魔法が消えたのだと考えて動くべきだと?」

 リリーはなんとかベーラの言わんとすることを理解したようだ。

「そうです。これまでお三方は漠然 ばくぜん と違和感を解決しようとしていましたね。何か調子が悪い、という前提の元に戦うことで大きく失敗をしないように立ち回った。他のダンジョンならばまだしも、魔王城でそれは通じません。実際……六層で二人も落ちてしまいましたし」

 五層で自分が落ちたからか、ベーラは最後の部分を躊躇 ためら いがちに言った。

 確かに彼女の言う通り、フロアボス戦手前で【海の怪物】フォルネウスにラークが喰 く われた。

 フォルネウスは、大きな建造物程のサイズをした鮫 さめ のような魔物だった。人語を解し、名乗り上げの後でこちらを襲撃。ラークが退場した後でアルバが魔法剣をその全身に巻き付け、私とベーラが力を貸すことで釣り上げ、そしてベーラの用意していた氷の杭 くい で串刺しにして倒した。

 また、フロアボスの【水域の支配者】ウェパルはその発見と接近からして困難を極めた。ただでさえ細い冒険者用の通路を、彼女の引き起こした嵐 あらし に耐えながら進まなければならなかったのだ。

 途中で謎 なぞ の船団まで現れ、砲撃や魚人の襲撃も加わった。

 そこでリリーが退場し、ウェパルを見つける頃には三人になってしまった。

 フロアボス戦になったことでベーラが残存魔力を全て海面の凍結に回し、配下の動きを鈍らせつつウェパルが水中に逃げることを封じた。

 そこを私が一息に距離を詰めて打倒した。

「もちろん、納得は出来ないでしょう。色々と常識外のことを認めなければなりませんし、先程まで無能だと断じていた輩 やから が実は自分達を支えていただなんて受け入れられようもない。分かりますよ。だから仮定なのです」

 確かにベーラは最初にそう言っていた。そういう仮定で、七層に臨もうと。

「……レメの黒魔法がなくなった今の状態が、本来の実力。そう考えて立ち回れってことか?」

「そうですね」

「自己評価を修正するのですね。自分を実際より大きく見ていては、正しく能力を発揮出来ない」

「えぇ」

「これで上手 うま く行ったら、僕らは馬鹿なことをしたってことになるよね」

「見方にもよるでしょう。私が思うにお三方、特にアルバ先輩はレメさんの実力にはそこまで興味が無かったのでは? 仮に二割三割の能力低下が可能であっても、パーティーから抜けるよう言ったのではないですか?」

「……【黒魔導士】ってだけで、足枷 あしかせ だろうが」

 アルバのそれは、肯定。

「人気の面でということですよね。彼が真の実力を明らかにし、それを自身でもウリにすれば別ですが、しないでしょうね。あれだけ世間で酷評 こくひょう されても、頑 かたく なに自分の仕事に徹した方ですから」

「意味が分かんねぇ。いやお前の話は理解出来るぜ。何を言ってるかは分かる。だがその通りだとしたらレメは何を考えて冒険者をやってたんだ? 力があんなら、見せつけなきゃ意味ねぇだろ」

「私も彼の考えまでは読めませんよ。誰にも明かせないような力を持っているなら、冒険者なんかやらなければいい話ですし。でも、馬鹿にされる毎日に耐えていたことを考えれば、何か求めるものがあったのでしょうね」

 ──『レメとなら一番になれる。百三十年ぶりの【炎の勇者】と最強の【黒魔導士】で、一番になろう』

 自分が誘い、彼は乗った。彼は夢を諦めない。私がいなくとも、勇者を、一番を目指すだろう。

「フェニクス。貴方はレメと古い仲でしたよね。知って、いたのですか?」

「これまで幾度となく君達には伝えた筈だ。その全てに噓 うそ はない」

「……あのさ、それがほんとならレメはなんで力を隠してるの? パーティーを追い出されそうになっても黙ってるって、相当だよね」

「彼が語らなかったことを、私が語ることはないよラーク」

 本来ならば私にも知られてはならなかった。彼の師が面倒くさそうに許可しなければ私も知らないままだったかもしれない。もしそうだったら、私はレメの力に気づけただろうかと、たまに思う。

「まぁ、そのあたりは今回の仮定に必要ではないので無視しましょう。とにかく、次の攻略までに今言ったことを頭に染 し み込 こ ませて下さい。実際の実力よりも良い結果を出そうとしなければ、相応の力は発揮出来るでしょう」

「……偉く上からだなオイ」

「【勇者】が自信を持つのはよいことです。新人の足を引っ張ることがないように、私達は気を引き締める必要があるでしょう」

「リリーはベーラに甘いんだよな。……でもまぁ、他に代案を上げられないんなら、それで行ってみるしかないよね」

 三人も正体不明の違和感には困っていたようで──私でなくベーラの提案だからということもあるだろうが──ベーラの案は採用されることになった。

 そうして、私達は第七層へ進む。

 ◇

 登録証は加工された記録石だ。その中には冒険者なら冒険者としての、魔物なら魔物としての情報が記録されている。

 魔力体 アバター 情報もその一つだ。ただこれは情報量が膨大かつそれを顕現 けんげん させる魔力まで内蔵しなければならないとの理由で、それだけで登録証一枚分の記録石が必要になる。

 なので、冒険者と魔物の登録証は二枚組が基本だ。片方が個人情報、片方が魔力体 アバター 情報と魔力。

 魔力体 アバター へ精神を接続する装置は、繭 まゆ に似ている。

 白くて丸っこい大きな繭が二つ、幾つもの管によって繫 つな がれている。

 片方は自分が入るもので、個人情報の登録証を。もう片方は無人のまま、魔力体 アバター の登録証を。それぞれ専用の挿入口に押し込む。

 後は片方の繭に入り、寝台のようになっているので寝転ぶだけ。するとすぐに目覚める。

 出る時に使うのは、先程まで無人だった繭だ。そう、もう移動完了だ。魔力体 アバター は絶えず登録証と同期しており、退場した時点でそこまでの記憶を本体に流し込む。

 セーフルームに入ってダンジョンから出る時も同じだ。

 僕は職員専用のリンクルーム──生身から魔力体 アバター に精神を移す部屋──で、魔物になってから初めて繭を使用していた。

 衣装は基本的には黒いローブだが、前にも増して怪しげだ。フードを深く被ると、鼻のあたりまで覆 おお うことが出来る。魔力体 アバター は装備込みなので、後は顔を隠す為の仮面もある。

 一番の変化はやはり角だろう。魔王様や師匠と同じ、黒い角。

 ただしその数は側頭部からの二本ではなく──。

「レメゲトンよ。それでよかったのか? 要望通りにしてやったが」

 魔王様だった。彼女の身長程もある髪は、今日は一つに結 ゆ われている。髪型のおかげで髪を引 ひ き摺 ず ることはない。深紅 しんく の魔王は不思議そうに僕──レメゲトンを見ていた。

「えぇ。魔物になるって決めてから、これがいいって思ってたので。しっかり作っていただいてありがとうございます」

 費用は魔王城が全額負担してくれた。以降も同じらしい。

 魔力体 アバター は生成や修復に金が掛かるが、魔物は基本的にやられ役。攻略の度にやられる第一層の魔物達などは普通なら金が幾らあっても足りない。そこでダンジョンが費用を負担してくれるところが多いのだとか。

 それと、基本的に魔力体 アバター は自分の分身なので、自分の魔力量や肉体の大きさ・構造、特殊技能によって生成費用が増減する。

 一口に魔力体 アバター と言っても、【勇者】や【魔王】とそれ以外では費用は段違い。

 僕の場合は少々事情が特殊で、実はフェニクス並みに費用が嵩 かさ む。

 冒険者時代は極力魔力体 アバター にダメージを負わないように立ち回った。実際は僕とリリーの後衛二人へ敵が到達する前に、前三人に魔物を倒してもらえるよう黒魔法を使ったわけだが。

「妙な奴 やつ よな。知っておるか? 魔人で角が一本というのはな──」

「はい、分かっています」

 魔王様の言葉を遮 さえぎ り、僕は頷く。

 そう、僕の角は左側頭部から生えている一本だけだった。右には無し。

「ふむ、そうか。お祖父様 じいさま に何か言われたのか? ダンジョンネームにも要望を出していたな」

「あはは……魔王様が決めるものだとは知っているんですけど」

 魔王様は呆 あき れるように笑って、ひらひらと手を振った。

「いや、いい。お祖父様も魔王には違いないからの。指定のない部分は余のセンスで付けさせてもらった。だがまだ名乗るな? 今日の貴様はあくまで『謎のローブの男』だ」

「えぇ、分かってます」

 フェニクス達が十層に届くまでの僕の仕事は──他のパーティーの撃退。

 フェニクスパーティーは、なんといっても世界ランク四位の人気者。魔王城の攻略放送は多くの人々が目にし、また熱狂した。そうなってくると現れるのが、「俺 おれ らにも出来るんじゃね?」と考える冒険者である。

 フェニクスパーティーが一度攻略しているわけだから、完全とはいかなくともやり方を真似 まね 出来る。彼らが攻略した魔王城の第一層を、自分達も攻略しようというのだ。

 話題に便乗 びんじょう しようという魂胆。第一層の時点で『攻略推奨レベル4』なので、誰でも入ってこられるわけではないが、予約は殺到。今日から僕はそれらをある程度処理する。毎回でなくともいいらしい。きっと十層の準備も並行して進められるようにとの配慮なのだろう。

 第一層は番犬の領域。既に作戦は考え、伝えてある。

 今日のお客様は二百四十九位パーティー。結構な実力者だ。当たり前のように【黒魔導士】はいないが、代わりに戦士がもう一人。

 攻撃力でガンガン押していくタイプ。フェニクスパーティーとやり方が似ている、と本人達は思っているのだろう。だから同じ方法で突破出来ると考えている。

『難攻不落の魔王城』を甘く見られるわけにはいかない。ルーシーさんの代でこれまでの評価に傷を付けさせるわけにはいかないのだ。

「雇ってもらったからには、結果を出してみせますよ」

「頼もしいではないか。冒険者時代とは印象がまったく違うな」

 能力を全開というわけにはいかないが、少なくとも好きなように使えるのはありがたい。

 他の皆は既に荒野で待っている。室内に設けられた記録石に向かう。冒険者は個人情報の方の登録証を魔力体 アバター で再現するが、魔物の場合はその機能を体内に組み込むらしい。だから記録石に触れるだけで転移可能。ちょっと不思議な感覚だが、すぐに慣れるだろう。

「さ、さんぼーっ!」

 ふと声がしたので振り返ると、カシュがいた。部屋の入り口からひょこっと顔を出している。僕の顔には自然と笑みが浮かんだ。

「がんばってくださいっ!」

「うん、頑張るよ」

「貴様はあれだな、レメゲトンとしての口調を考えておけ」

 魔王様の言葉に、頷く。

「あ、はい。このままだと迫力が無いかな、とは自分でも思うんですけど」

「カーミラほど極端で無くともよいが、間違ってもレメだとバレたくないのだろう?」

「ですね。考えておきます」

 カシュに手を振り、今度こそ記録石へ。

 薄暗く狭い空間に移動した。すぐ近くの壁を触って確かめ、特定の箇所を押す。するとゴゴゴ、と音を立てながら壁の一部が横へズレた。

 光が強くなる。ズレた壁の向こうに足を進めると、すぐに荒野に出た。

 記録石は大きな岩の塊の中に隠されていたのだ。僕が出ると、すぐに岩肌が出入り口を覆い隠す。

 一匹の【黒妖犬】が僕を待っていてくれた。その頭を撫でる。

「よろしくね。……いや、えぇと──よろしく頼む」

 少し声を低くしてみた。……レメゲトンとしてのキャラを固めるのには少し時間が掛かりそうだ。

 僕は尻尾 しっぽ を振る【黒妖犬】をもう一度撫で、取 と り敢えず声は戻す。

「【勇者】パーティーを撃退するのは君達だ。僕は力を貸すだけ。でも大丈夫、一緒なら──絶対に勝てるよ」

 二百四十九位パーティーのメンバー構成は【勇者】【戦士】【戦士】【聖騎士】【狩人】となっている。二人いる【戦士】は一人が少年で一人が少女。男をA、女をBと脳内で分類。どうやら【勇者】は風精霊の分霊と契約しているらしい。

 かつて人類と魔族が争っていた時代に人間の味方をしてくれた精霊を四大精霊と呼び、それぞれ本体と契約した者が【炎の勇者】【嵐の勇者】【湖の勇者】【泥の勇者】と言われている。

 だが一騎当千と言えど、たった四人では戦争に勝てない。

 精霊達は自分の存在を小さく切り分け、それもまた精霊とすることが出来るようだった。そういった小さな欠片 かけら 達は分霊と呼ばれ、格はかなり落ちるが本体と同種の力を契約者に与える。

 そうして精霊持ちの【勇者】が一気に増えたという歴史がある。平和になってからも【勇者】となった者は『精霊の祠 ほこら 』に赴 おもむ き、かつての貢献に感謝を捧 ささ げるのだ。

 という建前 たてまえ で、冒険者稼業の手伝いをしてくれるよう精霊に頼み込む。

 そういえばフェニクスは祠で何を言ったんだろう。何回訊 き いても照れくさそうに笑うだけで教えてくれないんだよな。

 今回の勇者は風の分霊から電撃魔法の加護を受けているようだ。

 先行した【黒妖犬】数頭がやられてしまう。敵に『気持ちよく戦えている』という意識を持ってもらう為の犠牲にしてしまった。事前に説明してあるし、【黒妖犬】は群れの勝利の為に動くことに躊躇いはないそうだが、それでも心が痛む。勝利の後でたっぷりと労 ねぎら うとしよう。

 今回僕が力を借りるのは【黒妖犬】の群れと、【不可視の殺戮者】グラシャラボラスさん。

 他に使うのは、僕の魔法と身体 からだ だ。

 挑戦者達は荒野からほぼ一直線に、フロアボスのいるハリボテ魔王城へ向かっている。

 視聴者的には荒野は第一層というより第一関門という感じだろう。ほぼ一直線、というのは荒野にはバカでかい岩がそこら中に転がっているからだ。

 僕は今、グラシャラボラスさん──長いので脳内ではグラさんと呼ぼう──の魔法で透明になっている。これは詳しく聞くと『攻撃の瞬間、透明化が解除される』のではなく『相手に近づきすぎると、透明化が解除される』というものらしい。

 魔法には適用出来ないので、魔法使いを透明化して遠距離攻撃した場合、魔法が遠くからやってくるように見える。術者が見えなくとも、これならば対応されてしまうだろう。透明化が解除されるギリギリの距離ならば効果はあるだろうが、敵を全滅させないと反撃されて落とされてしまう。

 その点で言うと、黒魔法との相性は抜群だ。黒魔法は別に黒い靄 もや が相手を襲うとかないので。最初から透明な魔法だから、術者も透明になるとかなり良いのではないか。

「ハッ、難攻不落だかなんだか知らねぇけど、結構余裕じゃん」

 電撃の【勇者】くんが言う。彼の通り名は【雷轟 らいごう の勇者】だったかな。

「第一層だからってのもあるんじゃねぇの? 一応徘徊 はいかい 型の能力は厄介だし、そこだけ気をつけとけばいけるっしょ」

「ワンちゃん凶悪な顔で良かったよ~。可愛かったら攻撃出来なかった」

【戦士】ABが応じる。

「私達は後発だ。『フェニクスパーティーが攻略済み』の階層に挑戦するのだから、最低限どこかで上回らなければならないと思うが」

【狩人】は筋肉質な男性だった。他の人より年上で、発言や動きは慎重。

「攻略速度とか徘徊型を鮮やかに倒すだとか、なんか違うってとこ見せられないとキツイと思う。僕らの動画だけの見所がないと叩 たた かれて終わりだよ」

 背の高い眼鏡 めがね の少年が【聖騎士】。

【狩人】と【聖騎士】の発言は正しいだろう。

 ただの劣化 れっか コピーでは、本家を楽しめばいいではないかとなる。似たことをしても、『ここが違う』というウリがあると評価は変わるものだ。

「ばーか。クソカス【黒魔導士】がいない分、こっちに華があんだろうが」

 クソカスは酷 ひど くないかな。アルバみたいなことを言う【勇者】くんだ。

「けどさ、【戦士】二枚ってだけじゃインパクトが弱いっしょ」

「分かる~。こっちは魔法剣もないしね」

 お客様方の思考は僕の読み通り。これならばプランAでいけるだろう。一応三通りくらい考えていたのだ。

「やはりスピード攻略だろうか」

「うーん。【聖騎士】的に全力ダッシュとかは厳しいけどね」

【聖騎士】や【重戦士】は鎧を纏 まと う。防御力や攻撃力で頼りになる分、敏捷性 びんしょうせい を犠牲にする形だ。

 パーティーは最も足の遅い者にスピードを合わせて移動するのが基本。

 彼らのことを少し離れたところから観察していた僕は、配置につく。

 魔王城をバックに、彼らの正面に構える。距離はそれなり。

 歩き出すと同時、透明化を解除してもらう。

 彼らは、僕を見てどう思うだろうか。

 突如として視界に現れ、【黒妖犬】の群れを率いる黒装束 くろしょうぞく の人型魔物を。

 僕が虚空 こくう に腕を振るうと、【黒妖犬】達が一斉に駆け出した。

 彼らの姿はすぐに一匹、また一匹と透明になる。

「あッ!?  おい見ろ!」

「……魔人、か? でもこの層は番犬の領域だって……」

「あんなのいたら四位だって配信に使うよね? ってことは──」

「……フェニクスパーティーと遭遇しなかった、人型の魔物」

「いやいや待ってよ。あれ絶対誘ってるって」

【聖騎士】くん、正解。

 だが彼らは全員が気づいている。このまま地味にフェニクスパーティーの攻略をなぞっても無意味だと思っている。速さで勝とうという案で挑んでいるようだが、そこにもっと分かりやすい要素が出現したらどうする?

 第四位も遭遇しなかった【黒妖犬】使いと思 おぼ しき魔物。上手くいけば、フェニクスパーティとの差別化に成功した攻略映像を撮れるかもしれない。

 透明化されて距離をとられたら、見つけ出して倒すのは困難。どうする?

「おい、急ぐぞ!」

【勇者】というのは選ばれし存在。人間の規格を外れた強さを持つ者。

 自分が【魔王】でもない魔物に後れを取るとは、考えもしない。

 二百四十九位なんて物足りないよね。分かるよ 。

 本当なら他人の真似なんて屈辱だろうね。でも世界には沢山のパーティーがあって、半端 はんぱ な活動じゃ見てももらえない。

 彼らにとってこれはチャンス。そして決定的にフェニクスパーティーと違う攻略映像を作れるタイミングがやってきた。それは追いかけるというもの。

 彼らが一斉に走り出すと同時に作戦開始。まず僕は【聖騎士】には強めに、【勇者】以外の三人には気づかれない程度に速度低下を掛ける。

 元々足の遅い【聖騎士】が取り残され、【勇者】だけが突出する。

 だが先頭を走る【勇者】は止まらない。

「ね、ねぇ。なんか身体が思うように動かないんだけど──うぁああッ!」

 透明化が維持されるギリギリの距離まで接近していた複数の【黒妖犬】が、孤立した【聖騎士】を襲撃する。

「どうするッ!?  助けに行くか!? 」

「ほっとけッ! 【聖騎士】なんだから五、六匹位なんとか出来んだろ!」

 そう。【聖騎士】はその防御力と、一対多を受け持てる立ち回りがウリ。

 しばらくは任せても大丈夫と判断するのはそうおかしくない。指示を仰 あお ぐ【戦士】Aを一蹴し、【勇者】は全力疾走。他の仲間との距離が更に開く。

「く、くそっ。なんだこれ、なんでこんなに、動きにくいんだよ」

 さて、今日はレメゲトンだとバレてはいけない。強力な【黒魔導士】がいるという情報を出したくない。なのでそのあたりも抜かり無かった。

【聖騎士】は一体の【黒妖犬】を大盾 おおだて で弾く。その瞬間に気づいたようだ。

「黒のローブ……!?  黒魔法を使う奴が混ざってるのか!? 」

 エンターテインメントということで、冒険者にも魔物にも見た目上の分かりやすさが求められる。ひと目で【役職 ジョブ 】や種族、戦法が判断出来るような衣装が推奨されているのだ。

【黒魔導士】だったら黒いローブ、みたいに。もちろん絶対ではない。

 別の【役職 ジョブ 】を連想させる衣装を身に着けてはならないという決まりはないし、冒険者の中にも自由な装備で目立つ者はそれなりにいた。

「だとしてもこの低下率……一匹や二匹じゃない!」

 本当は僕がやっているのだが、【聖騎士】は与えられた情報から推測する。

 透明化した【黒妖犬】の中に、多くの黒魔法使いがいる。魔物は数の制限がないので、弱い黒魔法でも重ね掛けされると厄介だ。

 魔力で抵抗 レジスト 可能だが激しく動きながらでは困難だし、【聖騎士】は【戦士】より魔法適性があるというだけで、本職には遠く及 およ ばない。

 時間が経つ程疲弊する。一番良いのは、黒魔法使いを速やかに倒すこと。

 そこで、彼の思考に選択肢が生まれてしまった。

 本来は【黒妖犬】を倒す、それだけだったのに。

 普通の敵よりもローブの敵を優先的に処理しなければという考えが生じてしまった。予想外の効力を持つ黒魔法にあてられ、焦 あせ りから不可視の敵に優先順位を付けている状態。

 これでは、最高のパフォーマンスを発揮することなど出来ない。

「まずいまずいまずい……!」

 不可視の敵に囲まれた【聖騎士】はその同時攻撃を捌 さば き切れず、剣を持った方の腕を食い千切られてしまう。敵が目視可能になった瞬間に何体かを盾で弾 はじ き飛ばしたのはさすがだが、ここまでか。

 腕が舞い、魔力の粒子となる。傷口からも魔力が漏出していた。

「こんなの四位の動画には! まさか、画面映えしないからカットされたのか!?  そうだよッ! 黒魔法使いの相手なんてなんも美味しくない!」

 上手い具合に勘違いしてくれた【聖騎士】の足に、鋭 するど い牙 きば が喰い込む。

「罠だ! バラバラにするのが狙いなんだよ! 黒魔法使いだらけだ!」

 彼は仲間に警告し、足に嚙 か み付 つ く【黒妖犬】に盾を振り下ろす。

 ──一体でも敵を倒してから落ちようとしてるんだな。

 そんな彼の首に、【黒妖犬】が食らいついた。

「ぅあっ」

 彼が盾を落とし、残った腕で敵を殴りつける。解放された首には穴が空いており、彼が傷口を押さえようと手を伸ばしているところで──退場した。

「あいつ、退場しちまったぞ!」

「罠って言われても、もうあたし達も引っかかっちゃってるよねコレ!」

「見えない敵では射ることなど──!」

【戦士】ABと【狩人】も三人で固まって【黒妖犬】の相手をしていた。

 突出してしまった勇者だけが、僕に向かって飛び込んでくる。

 ──あぁ、仲間を助けに行かないのか。

 僕の姿が消える。不可視化してもらったのだ。

「あぁッ!? 」

 頭に血が上っているのか元々の性格か、とっくに不可視化を果たし距離をとった僕を恐ろしい形相 ぎょうそう で探す【勇者】。

 既に彼らはフェニクスパーティーの取った『仲間と固まって進む』という攻略方法を外れてしまっている。仲間が退場してしまっては、僕を倒してマイナスを取り戻すしかないといったところか。

「出てこいよクソ魔人! ぶっ殺してやる!」

 音声なんて後でどうとでもなるとはいえ、口が悪くないかな。

 さて、【黒妖犬】の活躍は他の四人相手で充分見せられるだろうから。

 今回の作戦に大きく貢献してくれた彼に活躍していただこう。

 まず僕は【黒妖犬】の群れを【勇者】にけしかける。

 決して深く攻めさせない。彼の視界に入っては離脱を繰り返させる。

 何度か剣を空振った【勇者】は、更に怒りを爆発 ばくはつ させた。

「おちょくってんのか犬ッコロがッ! いいぜ、ならまとめて死なせてやる! 喰らいやがれ!」

 彼が広げた両手を地面に叩きつける仕草をすると、その手から雷光が閃 ひらめ き、周囲に黄色いジグザグが走った。短い悲鳴と共に数体の【黒妖犬】が退場し、魔力の粒子でそれが彼にも伝わる。

「……あ?」

 彼の行動は予期出来たことだった。数体が退場してしまったのは、思ったよりも広範囲に魔法が展開されたから。それ以外の【黒妖犬】は距離をとって回避に成功。

 退場した数が思ったよりも少なかったことに彼が怒るよりも先に、襲いかかる影があった。

 猛禽の両翼に、狼 おおかみ を思わせる大型獣の身体。

【不可視の殺戮者】グラシャラボラスさんだ。

 僕を追いかける為に仲間を置き去りにし、不可視の敵に大魔法をぶっ放す。

 こうも性格から行動を予測しやすい者は、中々いない。

 魔法は体内で練った魔力を使用して発動する。大規模な魔法を使ったなら、魔力を作り直すところから始めなければならない。

 彼らの攻略は研究済み。この規模ならすぐには高火力の魔法は放てない。

「なッ!? 」

 そこに思考阻害と暗闇 くらやみ 状態を叩き込んだ。

 ──クソカス【黒魔導士】の魔法は、どうかな。

 傍目 はため には驚いて反応が遅れたとしか思えないだろう。

 勢いよく振り回されたグラさんの前脚が、彼を捉 とら える。頭上高く吹き飛ばされた【勇者】の身体は、グラさんの爪 つめ に大きく裂かれていた。

 パラパラと魔力の粒子が飛び散り、落下の途中で彼の身体が砕けて魔力体 アバター の魔力が周囲に広がった。

 リーダーがやられたことに動揺した他のメンバー達も、ほどなく【黒妖犬】に退場させられる。

「うん。終わったね」

 全滅によって、二百四十九位パーティーの攻略は終了。

 グラさんが僕の近くまで飛んできて、嬉しそうに頭を擦り付けてくる。

「ありがとうございました。やっぱりすごい魔法ですね」

 ベロリ、と顔を舐 な められた。すると【黒妖犬】達も集まってきて、何かを期待するように僕を囲む。試しに頭を撫でてみると、次々と「オレにもしてくれ!」とばかりに飛びかかってきた。

「わっ、落ち着いてください。僕の手でよければ、ちゃんと撫でますから」

 ひとしきり撫でまくった後、僕らはリンクルームへと戻る。

 その後僕は、先に退場していた【黒妖犬】達にも撫でることを要求された。

 応じていると、少し遠くでカシュが羨 うらや ましそうに見ていた。後で話を聞くと「わたしもひしょ、がんばってるので……なので、その……」とのことで、たっぷりと頭を撫でた。

 そんなこんなで、初仕事は成功に終わったのだ。

 ◇

 僕の魔王軍参謀ライフは、順調と言ってよかった。

 連日、日に数回やってくるパーティー撃退に駆り出されたり駆り出されなかったり。

 呼ばれない時は、僕の持ち場となる十層をフロアボスであるレメゲトン用に調整してもらったり、各層から借りる人材の調整をカシュに手伝ってもらいながら進めたり。

 フェニクス達の攻略も続いており、彼らは第七層・空と試練の領域、第八層・武の領域を突破。

 残すはアガレスさんの守護する時空の領域と僕が任された……えぇとまだ未定の領域だけだ。

 第七層の景観は第六層の空版だ。空に道が敷かれており、ハーピーやセイレーンなどの【鳥人】による襲撃をなんとかしながら進まなければならない。

 普通に落下すると永遠に落ち続ける感覚に晒 さら されるので、魔力体 アバター に組み込まれている『棄権 きけん 』機能を使用し、自ら退場することになる。

 またフロアボスの【雄弁なる鶫公 つぐみこう 】カイムさんは昔ながらのダンジョンを愛しているらしく、冒険者達に試練を与える。

 普通じゃ突破出来ない扉や罠があって、近くの石碑なりに一見謎な文章が書かれている。しかし目の前の難所を踏まえて読むと突破のヒントとなっており……というやつだ。

 後は少し危険なトラップ解除とか、解除したかと思ったら大きな丸岩が転がってくるとか。

 ちなみに試練への挑戦中に落下したら、彼の配下である【怪盗鴉 かいとうがらす 】ラウムさんの空間移動能力によって第七層入り口に戻される。

 通常の落下は棄権一択、試練中の落下は入り口から再スタート。

 フロアボス戦もカイムさんの出す問題に正解した者だけが戦闘に参加出来るというシステム。

 フェニクスとはあいつが冒険者育成機関を出た十三から一緒にパーティーを組んでいたけれど、第七層の攻略が最も時間を掛けた冒険だった。確実に。

「うん……悪くない……よな」

 直前の思考を切り上げ、僕は目の前の鏡に映る自分の姿を眺めた。

 派手さはないが地味でも奇抜でもなく、涼やかな装いで清潔感がある。

 今日の日の為に、カシュのお母さんに相談して見繕 みつくろ ってもらったのだ。

 古着屋で働く彼女は、田舎 いなか 者で普段は黒ローブばかりの僕とは比べ物にならない程、こういったことに詳しかった。心の中で再度感謝する。

 待ち合わせは昼だったので、そわそわしながら時間を潰 つぶ し、待ち合わせ場所へ向かった。広場の噴水側にあるベンチに、ミラさんは背筋をピンと伸ばして座っていた。三十分ほどの余裕を持って向かったのだが、ミラさんの方が早かったようだ。

 そう、前々から話していた休日のお出かけが、今日なのである。

 僕と逢 あ うからか、ミラさんは今日も種族的特徴を隠し、装いは清楚 せいそ な感じ。良家のお嬢さんのようだ、と思いながらも近づいていく。

 すると僕より先にミラさんへ近づく人がいた。

「なぁお嬢ちゃん、朝見た時も座ってなかったか?」

 赤ら顔の中年男性だ。服装からすると冒険者だろうか。有望な新人や世界ランク上位百位までのパーティーは把握しているが、知らない顔だ。

 酒瓶 びん を片手に、ミラさんに絡む男性。

「人を待っていまして。早く来てしまっただけなので、お気になさらず」

 朝にはいたとなると、ミラさんはいったい何時間僕を待っていたのだろうか。

 視線も合わせないミラさんに、男性はむっとしたようだ。

「お嬢ちゃんみたいないい女を待たせるなんてしょうのない男だな。オレなら、んなことはぜってぇしないぜ」

「そうですか。でも、貴方は彼ではないので」

「……少し酒でも飲めば、どっちがいい男か分かるさ。どうだ、今から」

 肩へ手を伸ばす男性を、ミラさんは払い除けた。

「放っておいてもらえませんか」

 だが、僕は気づいた。その身体が微 かす かに震えていることに。

 ミラさんの実力なら、目の前の男性は大した脅威にはならないだろう。

 ……では、何を怖がって。

「てめぇッ! 人が優しくしてやりゃあつけあがりやがって!」

「優しい人は、嫌がる女性に言い寄ったりしないと思いますけど」

 ようやく二人の近くまできた僕が、男性の振り上げた腕を摑 つか み、そのまま捻 ひね り上げる。

「なんだてめ……あだだだだッ! いでぇッ! 折れる!」

 ただでさえ酔っているところに『混乱』を掛けて対応を遅らせ、防御力低下で痛みへの耐性を下げる。

 男性は膝 ひざ をつき喚 わめ いていたが、すぐに「おい分かった! オレが悪かった!」と叫 さけ んだので解放した。しばらく右腕が痛むかもしれないが、女性に手を上げようとしたことを思えば安い罰だ。

「こんにちは。早いですね」

 彼女に微笑みかける。ミラさんは目を見開き、何か呟いた。

 よく聞き取れなかったけど、『また』って言ったように聞こえたような。

 その時、ちりっと脳裏 のうり を掠 かす めるものがあった。何かの記憶に繫がりかけた。酔っぱらい。男。吸血鬼の美しい女性。

 そしてブリッツさんとミラさんの会話も思い起こされた。

 ──『以前レメさんに助けていただいて、そこからの縁です』

 その時は魔王城への就職のことをぼかして伝えているのだと思った。でもミラさんとの縁は、僕がミラさんに声を掛けてもらったことが始まり。

 もしかして、やはり僕は以前どこかでミラさんに逢って──。

「て、めぇ……! オレはランキング五百三十六位パーティーの【重戦士】メタル様だぞ!」

 男性が腕を押さえながら僕を睨 にら んでいる。酒瓶は落としてしまっていた。

 女性に手を上げようとしておいて、自分の名前や【役職 ジョブ 】をペラペラ明かすのはどういうことだろう。いや、多分これで僕が怯 おび えると思っているのだろうけど。

「あ……千位以内には入っているんですね」

 酔っていることを考慮してもあまりに無防備だったので、もっと下かと思っていた。純粋に思ったよりもランクが高かったことに驚いたのだが、男性は顔を更に真 ま っ赤 か に染めた。

 酔いに加え、怒りで顔が紅蓮 ぐれん になっている。

「……ッ! ッ! 王子様気取りか、クソガキ」

 ちなみに今、ミラさん以外は僕を僕と認識出来ていない。頭の中で『他者の認識』を行う部分を混乱させ、『無個性な青年』以上の認識を行えなくした。

 また、そのこと自体に違和感を持つことも出来ないようにしてあるので、彼が僕を【黒魔導士】レメだと気づくことはない。

 周囲の人々にも、僕やミラさんに対してのみ同じ処置を施している。

 ミラさんと一緒にいることに何の不都合もないが、万が一にも『パーティーを追い出された【黒魔導士】レメ、魔物とデート!?  自分を捨てた親友に憤 いきどお り情報提供か!? 』などとくだらない記事を書かれるわけにはいかない。

 ミラさんだって余計なことが起きぬようにと、種の特徴を隠してくれているのだ。少しでもバレる可能性があるならば排除せねば。

「自分が悪いと認めたのではなかったですか?」

「黙れ!」

「ダーリンっ、怖いですっ」

 ミラさんがそう言って僕の背中に身を寄せる。細い手と、柔らかい胸の感触。レメさんと口にしない為だろうが、ダーリンとは。

 ミラさんは演技派なので、すぐに恋人にベタベタする女の子になりきった。

「ダーリンを待ってるって伝えたのに、鼻息荒くして私に触ろうとしてきたんですっ。うぅ……怖かったよぅ」

 言い寄った女性にすげなくされ、その恋人に腕を捻られギブアップし、解放された後で脅してみたものの目の前でイチャイチャされた。

 どう考えても男性が悪いが、更に怒りを強めることくらいは分かる。

「こんな貧相なナリしたガキがオレ様に敵 かな うとでも思ってんのか? 不意を打たれなきゃボコボコだっつの。それも分かんねぇとは、頭の悪い女だな」

「はぁ……」

 馬鹿にされるのには慣れているし、それは別によかった。一々怒っても仕方ないし、傷つくは傷つくけれど大したことじゃあない。

 お酒を飲んで気が大きくなったり、判断が鈍ったりするのもよく分かる。

 そもそも戦闘職は気の荒い者が多いものだ。

 それでも、最低限求められるものがあると、僕は思う。

「自分に靡 なび かなかったからって、女性をけなすなよ。器の小さい人だな」

 彼の顔に青筋が立つ。赤以外の色も加わったなぁ、とぼんやり考える。

「……オレ様は優しいからな、一発だ。一発で沈めてやるよ、クソガキ」

「この人に謝罪を」

「死ね!」

 拳 こぶし が迫る。あくびが出るほど遅かった。いや、遅くした。おまけに攻撃力も全力で下げ、少し大げさな演出だが左の人差し指で拳を止める。

「な──」

 驚愕 きょうがく 。そこに生まれる隙。

「貴方の優しさに、僕も応えようと思います」

 ふっと身を沈め、右拳を男性の鳩尾 みぞおち に叩き込む。

「ガッ……!? 」

 防御力低下も忘れない。もちろん、死なない程度に加減する。素早く離れると男性が前のめりに崩れ、地面に吐瀉物 としゃぶつ をぶちまけているところだった。

「一発で沈めるのが、優しさなんですよね」

 聞こえていないだろう。腹部を押さえながらひたすらに嘔吐 えず いている。見ていてあまり気分のいいものではない。

 これでは謝罪も期待出来ないだろう。ミラさんが気にしてなさそうなところが救いか。

「冒険者はダンジョンを攻略し、人々に一時の興奮を与える仕事です。娯楽を提供する職業なんです。貴方の振る舞いを見た視聴者が、貴方のパーティーの攻略を応援出来るでしょうか」

 ガラの悪いのもいる冒険者業界だが、意外にもウケは悪くない。

 荒々しいダンジョン攻略を観たがる人も多いのだ。

 だからといって、私生活まで粗野に振る舞うというのは違うだろう。

 彼の名前と順位、容姿を記憶し、冒険者組合に報告しようと頭に留めておく。目撃者としてだ。まだ冒険者の登録証も有効だし、無視はされまい。

「行きましょう」

「はいっ、ダーリン」

 ミラさんは僕の腕に絡みついた。なんだか上機嫌 じょうきげん だ。

 広場から少し離れると、彼の仲間らしき数人の男性が「どうした?」と駆け寄っていた。プライドからか「なんでもねぇ……」と答える【重戦士】。

「混乱を掛けていたんですか?」

 やっぱり気づいていたか。

 初めてミラさんに逢った時も、僕は周囲の人に『混乱』を掛けていた。僕をレメと気づかせない程度のもの。悪影響もなく、魔法とも気づかない。

 だがミラさんは僕に気づき、声を掛けてきた。日頃 ひごろ から抵抗 レジスト の為に魔力を纏うような人は、ほとんどいない。少なくとも僕は聞いたことも見たこともない。だから驚いたのだ。

 偶然や別の目的でないなら、彼女は僕の魔法を知った上で……。

「うん。次に逢った時は、目の前にいても僕と気づかないと思います」

「さすがです」

「ミラさんは先に顔を見られているから、もし見かけたら気をつけて」

「心配してくれるんですね」

「その必要がないくらい、強いってことは分かっているんだけど」

「いいえ、嬉しいです」

 こてん、と肩に頭を置かれる。

「嬉しいですよ、ダーリン」

「……それ、そろそろやめませんか?」

 ミラさんは楽しそうだが、僕は無駄にドキドキしてしまう。恥ずかしいし。

「うふふ。私も名前を呼ぶ方が好きですから、ここまでにしましょうか」

 それからミラさんは至近距離で僕を見た。

「休日もレメさんに逢えるなんて、夢のようです。すごく嬉しいです」

「こちらこそ……その、色々お礼もしたいですし」

「はい。今日はうんと甘えさせてもらいますね?」

 彼女の行きたい場所が幾つかあるらしく、それに付き合うというのが今日のお出かけの流れだ。

「お手柔らかに」

「いいえ、だめです」

 ミラさんはとても嬉しそうに笑い、僕の手を引いて目的地へと向かった。

 道中、僕はカシュのお母さんにアドバイスをもらっていたことを思い出した。

「あ、えぇと、ミラさん」

「はい。なんでしょうかレメさん。……離れた方がよいですか?」

 腕を絡ませたまま、瞳をうるうるさせるミラさん。

 いい加減慣れた……と言いたいところだが無理だ。

「いえ、それはいいんですけど」

 むしろ段々と抗 あらが う力を奪われている気がする。

 実際に嫌ではないのが、困ったところだ。困ったところか? 分からない。

「きょ、今日の服……似合ってますね?」

 嚙んだ上に声が上擦 うわず ってしまう。

 こういう部分はやはり、経験値の差だよなと思う。

 ミラさんは目を瞬 しばたた かせる。大きな目を、ぱちぱちと開閉。

 それから、ゆっくりと笑みを広げた。

 僕からスッと離れ、正面に回ると僕の方を見たまま後ろ向きに歩く。

「ありがとうございます。レメさんの為に着飾った私なので、褒めてもらえてとても嬉しいです。『やったぁ!』という気持ちになりました」

 後ろ手を組み、少し前かがみになって、こちらを上目遣 うわめづか いに見上げる彼女は、思わず足を止めてしまうくらい美しかった。

「それに、レメさんも素敵ですよ。そういった服装は初めて見ました。よく似合っています」

「ありがとう」

 正直、服を褒められて嬉しいものなのだろうかと少し疑問だったのだが、すっかり納得。これは確かに、嬉しい。

「さすがはカシュさんのお母様ですね」

「えぇ、ほんとに……あれ、言いましたっけ?」

 絶対に言ってないが、こういう時は訊いておくものだ。

「カシュさんから聞きました。あ、彼女も可愛い服を着ていましたね」

 服を選んでもらった礼ということで、娘さん達の服を購入したのだった。

「あ、あぁ……。僕はほら、服のセンスとか自信がないもので」

「今日のレメさんは、私の為に素敵な格好 かっこう をしてきてくれたのですね?」

「……並んで歩いて、変じゃなければいいんだけど」

「うふふ。私は今、とても幸せな気持ちです」

 再び横に並んだミラさんが、自然に僕の手をとる。

「お腹 なか が空 す きませんか? 私、行ってみたいところがあるんです」

 僕はこくりと頷いた。

 先程からの真 ま っ直 す ぐな言葉に心が痺 しび れるような感じだが、なんとか答える。

「任せてください。財布 さいふ には余裕を持たせているので」

「あら、私はそんなイメージですか?」

「……あー、いえ。こういう時何食べるかとか、よく分からなくて」

 僕の情けない返答に、ミラさんは恥ずかしそうに視線を斜め下へと遣った。

「実は、私もなんです。初心者同士、頑張りましょう……!」

 ぐっと拳を掲げるミラさん。

「そう、ですね」

 合わせて、僕も拳を上げる。

 そんなこんながありつつ辿 たど り着いたのは、屋台だった。

「『らぁめん』というらしいのですが、客層が男性に偏っておりまして」

 独特な匂いのするスープに細い麵 めん を馴染ませたものに、幾つかの具を乗せた料理だ。この屋台ではないが、食べたことがある。

 確かに屋台は男ばかりで、それも静かに立ち寄り、黙って食い、スープまで残さず飲み、フッと立ち去る方が多い。「ごちそうさん」と小さな声が聞こえるような聞こえないような。店側からすると理想の客かもしれない。

「興味はあったのですが、一人で行くのも躊躇われ……。レメさんと一緒に行けたらなと」

「僕はいいですけど、ミラさんはいいんですか?」

 こう、およそ女性がデートに求める食事ではないように思うが。

「是非お願いしたいです」

「じゃあ、行きましょう」

 丁度二人分の空白が出来たのでスッと入り、店主に注文。先に代金を払う。

 しばらく待つと、スープで満たされた器が二つ、差し出される。もちろん麵や具もあった。立ち上る湯気と共に匂いが鼻孔を擽 くすぐ る。ごくり。

 これは細い二本の棒を駆使して食べるのだが、使い慣れていないと難しい。フォークを用意している店もあるが、ここは違うようだ。

 ミラさんは苦戦していたが、それでもしばらくするとコツを摑んだようだ。麵を挟み、ふーふーと優しく息を吹きかけ、左手で髪の毛を耳に掛けてから、麵を口へ運ぶ。

 つややかな唇の奥に、ちゅるるると麵が吸われていった。

「んー、おいしいです」

 左手で口許を押さえたミラさんが、感激したように言う。店主がニヤッとしたのを横目で捉えながら、自分がミラさんの方をがっつり見ていたことに気づいて慌てて食事に戻る。

「大満足です」

 食後、ミラさんはお腹の上で両手を重ね、ふぅと息を吐いた。

「おいしかったですね」

 ミラさんの所作に見惚 みと れたところを除けば、普段の食事と変わらない。こう、自然体でいられたというか。

 その後はミラさんの服を見たり、色々と店を教えてもらったりなどした。

 ミラさんがいつにも増して積極的だったが、終始楽しく過ごせたと思う。

 気づけば、なんだかこれまでと雰囲気の違う通りに出ていた。

 やたらと男女の組み合わせが多く、男女達は距離感が近い。

 そして一組、また一組と周囲の建物の中に消えていく。

 あれ……馴染みがないから気づくのが遅れたけど、ここって逢い引き宿が立ち並ぶ通りじゃあなかったっけ? 男女が大人な行為をするのに、一時的に部屋を貸す特殊な宿だ。

 あれ? あれれ……? 心臓がバクバクと鳴り出す。落ち着け。そうだ、自分の思考に空白を生じさせれば──って、だめだ。それじゃあ何も考えられなくなる。隣にはミラさんがいるのに。

「レメさん」

「は、はい」

「私、少し疲れてしまいまして」

「それは大変ですね?」

「どこかで休憩していきませんか?」

 ちらりとミラさんが目を向けたのは逢い引き宿だ。僕は口から心臓が飛び出たのではないかと思った。口許に手を当てる。飛び出てなかった。安心だ。

 そしてその確認作業で少し落ち着きを取り戻した僕は、同時に思い出す。

 そもそものきっかけは、血を吸ってもいいと僕が言ったからではないか。彼女は種族としての特徴を隠している。同意を得ない吸血行為は禁止されているし、同意を得ても外でするようなものではない。初めて逢った日の時点で吸血衝動に襲われていたミラさんだ、限界が近づいているのかも。

「……あ、そうですよね。吸血ですよね」

 僕が自分の勘違いを恥じ入るようにあははと笑うと、ミラさんはむっとした顔になる。

「私をスイモク吸血鬼みたいに言わないでください。そんな浅ましい女ではないんですよ……?」

 スイモクってなんだろう。吸血鬼用語だろうし、前後の文脈からするにあれか……吸血目的とかそういう意味だろうか。

 血を吸う為だけに相手に近づく、的なことだろう。

「そんなふうには思ってないですよ」

 ミラさんはダンジョン防衛でも、人から直接血は吸っていない。

 誰でもよいから、という人ではないのだ。

「なら、いいです。レメさん……」

 ミラさんは口づけしかねない位置まで耳に唇を寄せる。

「何をするかは、レメさんが決めてください。何をさせるかも、です」

 こ、この人は……。まさしく魔性だ。

 と思っていると、彼女が僕から離れた拍子に何かが落ちた。

「ミラさん、何か落としましたよ」

「っ!?  れれれれめさん!?  待ってくださいそれは!」

 何かのメモのようだ。内容が目に入ってしまう。

『シトリーちゃんの「処女でも童貞を落とせる方法」講座っ!』と、可愛い丸文字で書かれており、下に箇条書きで幾つかのことが書いてあった。

 ボディタッチ多め、適度に甘える、親近感を持ってもらえるように趣味の話や食事などを相手の好みに合わせる、派手なものより大人しめな服装がよし、自信なさげな部分を決して笑わずフォローしてあげる。などなど──めちゃくちゃ心当たりのあることが書いてあった。

「ちがちがちがう、違うんですよっ? それはあの子が勝手に私の服に押し込んだもので参考にしたとかレメさんを騙そうとかそういうことは一切なくてでしゅね! あぁもうっ!」

 ミラさんの慌てっぷりを見るまでもなく分かる。彼女に悪意なんてなかったことくらい。むしろ逆。少しでも僕を楽しませようと……好かれようとしてくれた。どうしてここまでしてくれるのか。

 ……今は多分、分かる。

「ミラさん」

「ごめんなさいごめんなさい嫌いにならないでください」

 うっうっと割と本気で涙目になっているミラさんの肩をそっと摑む。

「約束通り、血を吸ってください」

「……う。え?」

 勇気を振り絞り、彼女の手を引く。目指すは彼女が視線を向けていた逢い引き宿だ。システムはよく分からないが、入ってすぐにカウンターがあり男性が退屈そうな顔で奥の椅子 いす に座っていた。

「一番清潔な部屋を」

 そう言って表の看板に書いてあった額より多めの金を卓上に置く。

 男性はそれを一瞥 いちべつ すると、すぐに鍵 かぎ を渡してくれた。番号が書いてある。

 ミラさんを伴って、二階の部屋へ。彼女は大人しくついてきた。

 部屋に入る。寝台と小さな机だけの簡素な部屋。不潔感はない。

「レメさん……あの、私、あの……言っておかなければならないことが」

 僕はそれを制するように、声を被 かぶ せた。

「ミラさん」

「ひゃい」

「僕とミラさんは、前に逢ったことがありますよね」

 ミラさんは目を見開いた。しばらくしてから、応えがある。

「……お、思い出されたんですか?」

「すみません、忘れていて」

 彼女の瞳が潤 うる む。

「いいんです。レメさんを見ていれば分かりますから。人助けは当たり前のことだから、一人一人を覚えていない。素敵だと思います」

 通り過ぎる人の顔を覚えられないのと同じくらいに、勇者が困っている人を助けるのは当然だ。勇者を目指す【黒魔導士】は、子供時代から変わらず勇者らしい行動をやめられなかった。

 自分の中にある『勇者はこうあるべき』、ということを変えられなかった。

 ミラさんは、そんな【黒魔導士】レメが助けた一人。

「酔っぱらいの男に、綺麗 きれい な吸血鬼。思い出しました。二年前だったかな」

「はい……」

 僕は普段、誰かを助ける時に自分だとバレないようにしている。

 だがミラさんの時は初歩的なミスで知られてしまったのだ。

「その時から……えぇと、ファンになってくれたのでしょうか」

「き、気持ち悪いでしょうか。たった一回助けてもらっただけで……」

 彼女は不安そうだ。そういえば、初めて逢った時から彼女はやたらとそれを気にしていた。

 僕はハッキリと首を横に振る。

「いいえ、なんていうか……報われた気分です」

「え?」

「僕は勇者になりたくて、でもどんなに頑張っても夢見た勇者には遠くて。何をしたって、やっぱり【黒魔導士】じゃあ無理なのかもしれないと何度も考えました。何度考えても諦めきれなかったわけですけど……」

 彼女の目をしっかりと見る。

「無駄じゃないんだと、今はそう思ってます。昔の僕がミラさんを助けて、二年後にミラさんが僕を救ってくれた。正しい行いは、ちゃんとあって。それが思わぬ形で報われることがあるのだと。だってそうでしょう。貴方が言ってくれた勇者の定義に沿った生き方をしていたから、僕は今魔王軍で働くことが出来ている。魔物の勇者になるという夢を持てている」

「あっ……」

「ありがとうございます、ミラさんは僕の恩人だ」

「レメさん……」

 ミラさんの瞳から、透明の雫 しずく がこぼれ落ちる。

 そして彼女の顔が僕に近づき──僕はベッドに押し倒された。

 え?

「レメさん……レメさんレメさん……どうして貴方はそう優しいんですかダメですよ私のような者が調子に乗ってしまいますから」

 ぽいぽいっと上着が脱がされてしまう。は、早業 はやわざ すぎる!

 上気した顔に、熱にとろけたような瞳、熱い吐息。尖 とが る牙。

「い、いいですよね? 挿入 い れてよいのですよね? 牙、ずぷぷって体内 なか に突き入れてしまっていいのですよね? だ、大丈夫ですよ。初めては痛いかもしれませんがすぐによくなります。優しくしますから、安心してください。ほら、力を抜いて。いきますよ」

 彼女の牙が、僕の首筋に迫る。

 ◇

 レメさんが思い出してくれた通り、私が彼に逢ったのは二年前のことだ。

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 この話を知ってるのは、レメさんと私を除けば、魔王様だけ。

 もう一つ、これをレメさんに自分から話せなかったのは。

 万が一、彼に限っては有り得ないだろうが爪の先程の可能性でも、思い出されることで嫌われてしまうのではないかと怖かったから。

 だから先に好かれようとした。仲良くなってから打ち明ければ、嫌われないのではないかという考えがあった。

 私は以前、違う街のダンジョンで【吸血鬼】として働いていた。ダンジョンネームも今とは違う。

 私の【役職 ジョブ 】は【操血師 そうけつし 】。

 吸血鬼にのみ発現するもので、己 おのれ の血と己が吸った血を自在に操ることが出来る。正確には、吸血鬼に備わっているその力が、他よりも遥 はる かに優秀。

 何をしろというのだろう、この【役職 ジョブ 】で。

 私は魔物になった。他になりたいものがあったところで、どうせなれはしないのだ。ならば出来る範囲で仕事を選び、その中で結果を出してやる。能力は鍛 きた えていたし、自信があった。

 すぐにフロアボスになって、いずれはダンジョンマスターになるのもいいだろう。自分ならばなれると思った。だが、現実は甘く無かった。

 私よりも実力の低い者が重用された。理由を聞けば「女を傷つけるのは視聴者のウケが悪いから、冒険者が嫌う」とのこと。

 あぁ、性別なんだ、と思った。全力での戦いが見たいのではなく、気持ちのいい戦いが見たい。理解は出来る。

 でも悲しかったし、悔しかった。それでも私は努力を続けた。血を操る力は見栄 みば えがいい。蝙蝠の亜獣を調教し、彼らに吸わせた血に自分の血を混ぜ、より多くの血液を操る術 すべ も身に着けた。ダンジョン内ならば全てが魔力なので、現実では困難な方法も実現出来た。

 ある日、当時の上司であるフロアボスに個人的に食事に誘われた。断ると、翌日から階層内の入り組んだ迷路の先、誰も来ないような行き止まりへと配置変えされた。

 誰に訴えかけても無駄だった。転職も望めない。ダンジョンは横の繫がりが強く、フロアボスクラスの者でもない限りは他所へ行くのに紹介状が必要。

 実績もなければ女で、フロアボスの怒りを買った私に未来はない。

 悔しくて悔しくてしょうがなかった。

 フェニクスパーティーを目撃したのは、そんな時のことだ。先の件から私は同僚に避けられていたので、亜人御用達 ごようたし のエリアではなく普通の酒場で一人呑 の んでいた。何故彼らが冒険者の集まる酒場に行かなかったのかは謎だ。まぁ、大した理由はないだろう。

 視界が揺れる程に酔った私は、一人の少年を見てとても苛々 いらいら した。

 レメ。【黒魔導士】レメ。知っている。親友が【炎の勇者】だったというそれだけの理由で、当時十三位のパーティーに所属していた少年。

 結局世界はこうなのだ。力のある者に好かれれば、甘い汁を吸える。

 媚 こ びを売ることも出来ない者は、底辺に沈んで誰にも見向きされないまま死んでいく。なんて、なんて理不尽。自分のまま戦うことが不利なんて、酷いじゃないか。

 彼のことを何も知らなかったくせに、当時の私はそんなふうに憤って。

 帰り際、言ってしまった。

「【黒魔導士】が十三位になれるなんて、持つべきものは【勇者】の友ね」

 彼はいきなり無礼なことを言った私に驚いたようだったが、怒らなかった。

「フラついてますけど、大丈夫ですか? お連れの方とかは?」

 それどころか、心配してくれた。

 私は自分が惨めになり、彼を無視して店を出た。確かに呑みすぎたようだ。

 ぐらぐら揺れる。頭も痛いし、なんだか身体に力が入らない。

 ……こんなふうに酔ったのは初めてだ。

「なぁオネーサン、大丈夫か?」

 いかにも軽薄そうな青年が声を掛けてくる。ぼんやりと覚えがあると思ったら、店内にいた男だった。追いかけてきたのか。無視する。

「だいぶ具合が悪そうだ。どこかで休んだ方がいいんじゃねぇか?」

 男の視線が私の顔に向き、胸に向き、顔に戻る。不愉快だった。

 次の瞬間、私は背後から何者かに襲われた。

 口を押さえられ、腹を抱えられながら薄暗い路地へと引き摺られる。

「よしッ! 良い子だ嚙むなよ~、ふざけたことしたらぶん殴るからな」

 身体に力が入らず逆らえない。

「おぉ、やっぱ超アタリじゃないっすか」

 声を掛けてきた青年が言う。

「なぁ、俺がいつも見張りなのおかしくねぇか?」

 後ろから襲ってきた男と、あともう一人いるようだ。

 三人で、私を襲った。店の中に居た時から狙われていたのだろう。

「動けないっしょ? ダメだよ、美人さんが一人で呑みに来てる時にトイレとか行っちゃあ」

 何か盛られたのか。最悪だった。悔しくて悲しくてむかついて、そして怖かった。

 戦えば勝てるが、酔いと盛られたクスリの所為 せい か身体が上手く動かないのだ。私が抵抗出来ないと分かって、私を捕まえていた男が後ろから身体をまさぐる。そして服の胸の部分を裂いた。

「こりゃ楽しめそうだな」

 どうして世界はこんななのだろう。結局一度もいいことなどなかった。頑張っても無駄。自分の女という部分以外には、誰も関心が無いみたいだ。

 せめてこの男達を楽しませてなるものかと、私は声を上げないよう堪える。泣いたり許しを請うたりしても、こういう輩は調子に乗るだけだ。

「どりゃあ!」

 軽薄な男が吹っ飛んだ。

 見張りの男が助走をつけて拳を顔面に叩き込んだからだ。

「なんで! いつも! 俺ばっか! 見張りさせんだ! クソがッ!」

「ちょっ、まっ、おまっ、おっ」

 酔って加減の効かなくなっている殴打が、軽薄男を滅多 めった 打ちにする。

 ──な、仲間割れ?

「な、なんだ!?  なんで何も見えねぇ! お、おいお前ら!」

 私を捕まえている男が目に見えて狼狽 ろうばい しだす。

「き、気持ちわりぃ……! んだこれ、おえっ……」

 私を突き飛ばし、自分の顔を押さえたかと思えば、更には苦しみ出した。

「すみません、追いつくのが遅くなって」

 突き飛ばされた私を、誰かが受け止めてくれた。

『無個性な青年』ということしか分からない。

「……ひどい。これを着てください。もう大丈夫ですから」

『無個性な青年』は身に纏っていたものを私に掛けてくれた。

 それは……【黒魔導士】のローブだった。

「なんだ!?  誰かいやがんのか! てめぇいったいオレに何を──ぐえっ」

「俺の怒りを喰らえ! 見張りは交互にやるんだよ! いいな──ガハッ」

「やめっ、分かったから、おいっ、まじでっ──ギャッ」

『無個性な青年』は私を捕まえていた男、見張り男、軽薄男をそれぞれ顎 あご への一撃、側頭部への回し蹴 け り、靴底で顔面を踏み潰すといった方法で無力化。

「終わりました。立てますか?」

 彼が私に手を差し伸べる。

「な、なんで……」

「はい?」

「なんで、助けたの。私、貴方に……ひどいこと、言ったのに」

「え? あれなんでバレ……あ、服か」

 一度気づけば、『混乱』越しにも彼がレメだと判断することは出来た。あくまで服からの連想なので、相変わらず彼のことは『無個性な青年』としか認識出来ないので変な気持ちだった。

「いえ、追いかけるつもりはなくて。ただ貴方が店を出た後にこの三人が続いたんですよね、その時の笑顔がこう……そういう感じの顔をしてまして」

 想像がつく。自分達がすることへの興奮を隠しきれず、さぞ下卑 げび た表情を晒していたのだろう。

「理由に、なってない」

「そうですか? 放っておけないと思いますけど」

 私への魔法を解いたのか、レメさんをレメさんと認識出来た。

 本当に不思議そうな顔をしていた。彼にとっては、初対面で悪態をついた吸血鬼でも、襲われるかもしれないというだけで追いかけるのは当然なのだ。

「放っておく。普通なら、あんな失礼なこと言う女……」

 レメさんは感謝も口にしない失礼な私に、やはり機嫌を悪くすることなく、力無げに微笑んだ。

「僕が嫌いで悪口を言う人はいて、そういうのは傷つくけど仕方ないとも思うんですよね。ただ貴女 あなた は違うと分かりました。言われ慣れてるので、すぐに分かるんですよ。僕が嫌いなのか、それとも違う何かに苛立 いらだ ってるのか」

 図星だった。私はレメさんが嫌いだったのではない。

 レメさんの環境を羨んで、酷いことを言ってしまった。

 単に好き嫌いで彼を嫌いな人の方がまだいい。私は最低だ。

「嫌なことや苦しいことがあると、人は周囲に吐き出します。家族や友人、大切な人に。でも、それが出来ない人もいる。自立心が高くて弱みを晒せない人とか。でもずっと溜 た めるのは毒です。壊れない為には発散するしかない。自分の周りの人には出来ないから、無関係で丁度いい位置にいる他人に」

 彼の言葉は、スッと胸に入ってきた。

 私のモヤモヤを上手く言語化してくれていた。

「そりゃあよくないことですけど、だからって襲われるかもしれないところを見捨てたりはしませんよ。僕はこれでも、勇者パーティーなんだから」

 そう言って、彼は自分の胸に手を当てて笑った。少しだけ誇るようなその顔が、とても印象に残っている。私は途端に自分が恥ずかしくなって、胸にこみ上げてきた気持ちを即座に言葉にした。

「ご、ごめんなさい……! ごめんなさい、ひどっ、ひどいこと言って。貴方は、悪くないのに。私、ごめんなさい……!」

「はい、許します」

 少年は優しく頷いた。それで終わりとばかりに、許しをくれた。

「あなたは、どうしてっ、その、そんな力があるのに、あんな好き勝手言われて黙ってるんですか。【黒魔導士】だとか、女だからとか、若いからとか、馬鹿な理由で認めてもらえないなんて、そんなの、間違ってるでしょう」

 彼と自分を重ねて言ってしまったが、レメさんは私に事情を尋ねることは無かった。それをすれば、本来私が人に話したくないと思っている傷口を晒させることになるから。

 だから彼は何も訊かず、答えだけをくれた。

「でも、間違っている仕組みの中に入って行ったのは自分だ」

「────」

「諦めるのは簡単だけど、貴女は諦めなかったから苦しんだんですよね。じゃあなんで諦めなかったんでしょう。僕の場合は、夢があったから。自分の決めた目標があるから、頑張れる。周りの声は痛いし、正直悔しい思いもしてます。でも、夢が叶った時のことを思えば些細 ささい なことだ」

 なんで? なんでって……なんでだろう。

 自分の【役職 ジョブ 】は変えられないのだから、その範囲で出来ることをして生きていくしかないと思った。

 自分ならばそれが出来ると思ったし、その為の努力は惜しまなかった。

 言ってしまえば、プライドなのだろうか。

「僕は、挑戦をやめない人を格好いいと思います。でもあなたがそこに限界を感じているなら、やり方を変えてもいいのかも」

「やり方……」

 彼は酔っぱらいだからと適当にあしらわず、聞き取りやすい声で丁寧に対応してくれた。

「たとえば、若さや性別で人を判断しない雇い主を探すとか。嫌なことからは逃れていいんです。それは逃走じゃなくて撤退だ。きっと貴女なら、次に挑戦すべき場所を見つけられる。……なんて、よく知りもしないのに勝手なことを言ってしまいました」

 無責任な励ましだと思ったのか、少年が申し訳なさそうな顔をした。

 自分の道は閉ざされたと、勝手に思っていた。だが、撤退。たとえば、この街から遠く離れた街で働き口を探すとかはどうだろう。あるいはダンジョンマスターが女性のところでもあれば、話を聞いてくれるかもしれない。

「取り敢えず、ここから離れましょう。ただ彼らを放っておくのもな……」

 レメさんは、この男達を放置することで次なる被害者が生まれることを憂 うれ いているようだった。だからといって男達と私を同じ空間に置いておくわけにも、フラつく私を一人で帰らせるわけにもいかない。

 優しい少年がそのことで悩んでいるのが、私には分かった。

 驚きと恐怖が薄れたこともあり、先程までよりは余裕を取り戻していた私は、自分の能力を発動する。長い時間を掛けて私の血を身体に混ぜた蝙蝠の亜獣が、私の呼びかけに応じてやってくる。

「蝙蝠……亜獣ですか?」

「はい。吸血鬼は血と魔力を吸います。では、魔力とはなんでしょうか」

「この世の全ての、元となるものって言われてますよね。だから魔力を形成して水や炎を生み出せるし、人の調子をよくする何かや、悪くする何かを生じさせることが出来る」

「そうですね。こんな話を聞いたことがありませんか? あまりに大きな魔法を使った者が、その後にミイラのように干からびていた、という話です」

 まだ頭は痛いが、話せない程ではない。決して自分を傷つけない誰かが側にいる、という状況が精神を良い状態に保ってくれているのだと思う。

「そりゃあ、ありますけど。実際に自分の腕が干からびた時は死ぬかと……あぁいえ、昔話とかで語られる話ですよね。本来自分の『生命力』になった筈の魔力まで魔法に注 そそ ぎ込んでしまった結果、死んでしまうっていう」

「はい。中途半端 ちゅうとはんぱ に吸血鬼に血を吸われた美女が、助かったものの老婆のようになってしまった……という話も理由は同じです」

「生命力が体内から失われたから……?」

「そうです。本来絶対にやってはいけないことですが、私はこれから……彼らが二度と悪さを出来ないようにします」

「彼らは許されないことをしました。でも……」

「大丈夫です。若さを奪いはしません。罪には罰。罪に対して適切な罰。これが大事ですものね」

 レメさんはそこで何かに気づいたようだった。

 悩ましげな顔をしたが、やがて俯 うつむ く。

「……僕もかなりお酒を呑んでいるので、ここであったことは明日には忘れていると思います」

 見て見ぬ振りをしてくれる、ということ。

 私は蝙蝠達を、彼らを犯罪に駆り立てた罪深き器官へと差し向けた。

 生命力を奪わせる。これでもう、彼らが女性を襲うことは出来ないだろう。

 その後レメさんは、私を家まで送ってくれた。返し損ねたローブは、今でも持っている。

 私は知ったのだ。レメさんは詳しく話してくれなかったが、彼はとてもすごい【黒魔導士】だ。でも何か事情があって、それを隠して生きている。

 私は彼の所属するパーティーの映像を全て入手した。何度も繰り返し観て、他のパーティーが同じダンジョンを攻略する映像と見比べたりもした。

 なるほど、素人目 しろうとめ には到底見抜けない。というか見抜かれたら困るから、見抜けないレベルで彼が黒魔法を使っているのだ。

 たとえば攻撃。【聖騎士】ラークが盾で敵を弾き、壁に叩きつけて退場させるとする。

 防御力を下げすぎてしまうと、他のパーティーの【聖騎士】が同じことをした時に敵が退場しなかった場合、違和感を覚える者がいるかもしれない。

 同じ状況には中々ならないし、魔力体 アバター が負っていたダメージを細かく導く方法は視聴者にはないし、シールドバッシュのダメージ量を明確に比較するのは難しいが、疑問に思う者は出てくる、かもしれない。

 現に私のように細かく見比べた者がいるわけだし。

 だから彼はそういう時に、そういう使い方をしないのだ。

 あくまでラークを優れた【聖騎士】に見せることを優先する。

 混乱か空白か闇か速度低下か、敵の攻撃をほんの僅 わず か、半歩分ほどずらす。

 さすがに半歩では大半の者が気づかないだろうし、気づいたところでどう問題視できよう。ラークも優秀な冒険者なわけだから、『最適』から半歩ズレた敵の攻撃を盾で巧みに受け流し、そこから盾で弾くということが出来る。

 彼と戦う相手だと攻撃力を下げられていることが多いようだ。速度にほとんど変化がなければ傍目には分からない。他の者が吹っ飛ぶ攻撃に耐えたり受け流したりしても、やはりラークがすごいのだと視聴者は判断する。

 ラークもあくまで自分の判断で動き、それが上手く行っているのだからそこに他者の功績を想像出来ないだろう。

 黒魔法があんなにも自由で、強力だと知らないのだから。

 私の推測だって、あの日見た彼の魔法を知っているから出来るだけだ。

 自分も彼を無能だと勘違いしていた者なのだ。

 逆に珍しいもの、アルバの魔法剣などは動きがとにかく派手でいかにも攻撃力が高そう、かつ同じ魔法剣を持つ冒険者が極めて少ないので、敵の防御力を下げているようだ。

 後は軌道上に上手く敵を誘導しているのでは、とも思った。そうすることで、彼が振り回す魔法剣の軌道上にいる者が気持ちよく引き裂かれ、吹き飛び、全て退場するという、視聴者が喝采 かっさい したくなるような攻撃が成立する。

 リリーの矢が凄 すさ まじい精度で命中するのも、彼女の腕に見せかけた彼のサポートに違いない。

 そして私は気づいた。きっとフェニクスだけは、レメさんの力に気づいている。親友だからじゃなかったのだ。親友が素晴らしい【黒魔導士】だと知っているから、一緒に組んでいるのだ。

 自分の勘違いを恥じながらも、私は彼らの攻略映像を見続けた。

 なるほど【炎の勇者】、人類最強に相応しい強さだ。だが彼がこうも分かりやすく人気を博しているのは、やはりレメさんのサポートがあるからなのではないか。というのも、彼は火精霊にとって実に百三十年ぶりの契約者。過去の契約者は歴史上の人物なわけだ。

 かつての契約者の強さを知っていて生きている人間は、いない。そしてダンジョンにおけるフェニクスの攻撃は、その全てがほとんど一撃必殺なのだ。これは人気が出るに決まっている。どんな敵でも、攻撃を当てれば一撃で倒してしまう。憧 あこが れる者がいるのも頷けるというもの。

 しかしそう上手くいくものだろうか? もしかするとレメさんは、親友を最強の【勇者】だと印象付ける為に、彼の敵に対しては全力で黒魔法を使っているのかもしれない。

 火精霊だけは誰も再現出来ないから、疑われることもない。

 彼は編集後の動画でどの場面がどう使われるかまで考えて動いている、と私は確信している。

 彼らが魔王城に入ってからは全て見られるようになったので気づけた。

 敵全員に黒魔法を掛けている時も、パーティーから遠い者には混乱や速度低下などを強めに掛ける。基本的にパーティーの近くを上手く撮れている映像が採用されるので、パーティーに到達するのを邪魔したこれも『画面外の出来事』になるわけだ。

 どのタイミングでどれだけの敵がどう仲間に迫り、どのような攻撃でどのようにして退場するか。彼はその全てを計算し、それが決して自分の力によるものだと明かすことなく、また他のパーティーの攻略と比べられても視聴者が違和感を抱かぬように立ち回っていた。

 必然、膨大な思考と絶え間ない黒魔法の発動・継続・調整によって彼の肉体的な動きは少なくなり、視聴者からは『突っ立っているだけ』という評価になってしまう。

 彼にはそれだけ、実力が露見 ろけん しては困る理由があり、その上で決して手を抜かずに仲間を勝利に導いているのだ。

 私の服が破けたことでローブを借りることが出来、そのことで幸運にも気づけたが、そうでもなければレメさんだと気づくことはなかっただろう。黒魔法を連想することも出来なかった筈だ。

 誰にどれだけ馬鹿にされてもただ人を助け、ただ仲間を助け、ただ友を助け、勝利を築く。

 この人が勇者でないなら、この世の誰にも勇者を名乗る資格はあるまい。

 そんなわけで、レメさんが凄まじい【黒魔導士】であると確信した私は、彼のアドバイスに従って最低上司の元を去り、魔王様に出逢い四天王にまで上り詰め、レメさんと再会した。

 彼がパーティーを追い出されたと聞き、憤りと共に期待も抱いてしまった。

 何故隠しているか、分からないけれど。

 私なら、私達魔物なら、貴方の力を知っているからこそ正当に評価出来る。

 いや、もしかすると私は、ただ彼に逢いたかっただけなのかもしれない。

 ◇

 ミラさんの牙が迫る。

「み、ミラさん……? 少し怖いんですけど」

「そんな焦らさないでください。じゃあほら、先っぽだけですから。ね? 牙の先っぽだけ少し沈めさせてください」

 明らかに理性の飛んだミラさんが、僕の首筋に牙を立てた。

「あむっ」

 ぴりっ、と皮膚 ひふ が貫かれる感触。ずぶ、ぬぷぷっと牙が僕の中に入ってくる。確かに痛かったのは一瞬だった。吸われる筈が、何か注入される感覚。

 というか、先っぽだけじゃないじゃないか。全部入れたじゃないか……!

 お風呂 ふろ に入った時みたいな、ポカポカした感じだ。温かいものに包まれ、疲れが溶け出していくような快感がある。それにミラさんに密着しているので実際温かいし、すごく柔らかいし、理性を殺すような甘い匂 にお いもする。

「んくっ、んくっ、ごくっ……」

 何かがどんどん出ていく。血か。あぁ、でもまずい。これは良すぎる 。血を抜かれるなんて身体に良くないことを、吸血鬼が獲物に受け入れさせる為の何かなのだろう。

 視界が明滅する。

 なのに自然と手が彼女の頭に伸び、撫でたり、かと思えば自分の首筋に押し付けたりする。自分でも意味が分からないくらいに目の前の存在への愛 いと おしさが膨れ上がり、気が狂いそうだった。

「らめれす、レメしゃん。これいじょー、すったら」

 彼女が僕の手を摑み首筋から顔を離す。

 つぅ、と血の糸が彼女の牙に引く。

「ぷはっ……これだめ……おいしすぎて……だめ…魔力……量、多くて、それに濃くて、とても人間だとは思えない……すごすぎます、レメさん……」

 彼女は恍惚 こうこつ とした顔をしながらも、なんとか自分を律しようとしていた。

「ミラさん!」

 だが僕の方が限界だった。今度はこちらが彼女を押し倒す。

「きゃっ」

 彼女の美しい金色の髪が、白いシーツにぱらぱらと広がる。大きな胸がたゆんと揺れた。瞳も唇も濡 ぬ れているように見える。

「れ、レメさん。聞いてください。吸血は被吸血者に多幸感と、酷い高揚を与えます。今、貴方が私に抱いている気持ちは、私の牙から分泌されたものの効果で、まやかしです」

 そんなことはどうでもよかった。今はただ、目の前の美しい女性を──。

「貴方がしたいなら応じます。でもこういうことは互いをよく知り、深く求め合った時に最高のものとなるのでしょう。私は、その時を待ちたいです」

 ミラさんは、僕の目を見据えていた。

「でも貴方が我慢出来ないなら、私が貴方を吸血し たべ たように、この身体を好きに貪 むさぼ ってください。貴方が守ってくれなければ、とうに失われていたものなのですから」

 その身体が、二年前や今朝 けさ 酔っぱらいに襲われた時のように、震えていて。

 僕は冷水を浴びせられたように、正気を取り戻すことが出来た。

 ぐぐぐ、と理性を壊そうとする情動を抑えつける。師匠の地獄の訓練に耐えられたのだ、性欲くらいどうにか出来ずにどうする!

 どれくらい経っただろうか。僕は彼女の上から下り、その隣にぽふっと身体を落とした。

「ごめんなさい……ミラさん」

「いいえ、私が先に説明すべきでした。私ばかり思うままに行動してしまって、申し訳ないです」

「いや、僕が吸っていいって言ったわけだし」

「でも、レメさんだけがお辛 つら いままでしょう?」

 まぁ、それはそうかもしれない。ベッドの上で、互いに向かい合う。

「離れた方が……よいですか?」

 手の伸ばせば届く距離に彼女がいる。

「……いや、よければもう少し、このままで」

 ミラさんは少し驚いたような顔をした後、ほんとうに自然に、はにかんだ。

「よいのですか?」

「僕に襲われたら、撃退していいからね。あぁでも……あれが使い物にならなくなるのは困るな」

「うふふ、そんなことはしませんよ。私も困ってしまうではないですか」

「…………ミラさん」

「ごめんなさい、失言でした」

 頑張って抑えているというのに。

 それから僕らは、互いの二年間に何があったかをぽつぽつと話した。

 ミラさんは二年前のことを本当に大切な記憶として持っていてくれて、そこから僕のファンになり、魔王軍に勧誘してくれることになった。

 そろそろ宿を出る時間が近くなってきた時。

「そういえば、レメさん」

「うん」

「こういう、一緒に寝るけれど性的な行為に及ばない人のことを、ソフレと言うらしいですよ」

「どういう意味なの?」

「添い寝フレンド、という意味のようです。えっちなことはしないけれど、距離感は普通の友人よりも近いのだとか」

「へぇ……なるほど?」

「今のところは、私達ソフレということにしましょう」

「あー」

 今の状態は確かに、添い寝だ。

「私としては、『添い寝』の部分を『ガール』に変えたいところですが。恋人へのジョブチェンジはまだ早い気がしますので」

 そう言ってミラさんは僕の胸を人差し指でつんつんと突いた。

「レメさんの判断で、私達の現状を変えてくださいね」

「僕が決めるんだ……?」

「こういうのは、殿方 とのがた が決めるものです」

「男とか女とかで分けられるの、嫌いじゃなかった?」

「嫌いです。貴方だけが例外で、貴方だけが特別なのです。だめですか?」

 それはずるい、と僕は思う。決まりきった答えを、僕は返す。

「だめじゃないです」

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