Impregnable 1

 今日から魔王城で働くことになった僕は、少し早めに準備して宿を出た。

 ちなみに数週間前まではパーティーの男連中で同じ宿をとっていたのだが──もちろん部屋は別々だ──パーティーを抜ける時に宿は変えた。

 僕の足は自然と市場へ向く。

 こう、頑張るぞ! って気持ちになりたい時に見たい顔というものがある。

 僕の場合パーティーを追い出されてから、それは懸命に働くカシュの笑顔になっていた。

 ……アガレスさんとは違う、よね。興奮とかではなく、求めているのは純粋な癒 い やしというか。元気に走り回ってる子供を見て「平和だなぁ」と思うのと同じようなものだと信じたい。

「おぉ! 今日も来たか心の友よ!」

 店に近づいている途中で、マッチョな店主が声を掛けてきた。

 ……いいですけど、いつ心の友になったんですか。

 昨日か。一緒にひったくりを退治したことで友情が芽生えたらしい。彼は好人物なので、僕としても嬉 うれ しい。【黒魔導士】はその時点で色眼鏡 いろめがね で見られるので、中々友達が作れなかったりする。

 子供の頃、ガキ大将とはいかないが僕は村の子供の中心だった。だが【黒魔導士】だと判明した途端、それまで仲良くしていたり慕 した ってくれていた友人は手のひらを返して僕から離れていった。

 なんだよ【勇者】になるとか言っておいて【黒魔導士】かよ。こんな将来穀潰 ごくつぶ し確定の奴に仕切られてたかと思うと最悪だわ。おつかれ、もう関 かか わることもねぇと思うけど。とかなんとか。

 子供は純粋だからこそ、時に大人よりも残酷 ざんこく だ。格好 かっこう いいものに憧 あこが れる男の子は、格好悪いものに関わりたがらない。単純な理屈。

 だがフェニクスだけは違った。弱虫泣き虫意気地 いくじ なしだったフェニクスはいつも僕の側にいて、僕が【黒魔導士】で自分が【勇者】になった後も、変わらず僕と友人でいてくれた。

 それどころか実に百三十年ぶりとなる『火精霊』の契約者だというのに、【黒魔導士】なんかと一緒にパーティーを組みたがった。

 しかも言うのだ、レメとなら一番になれるなんて。

 思えば師匠の地獄の鍛錬 たんれん に耐えられたのも、フェニクスに慕われる自分でいたいという思いが根底にあったからかもしれない。

 彼より後、僕に友人と呼べる者は出来なかったと思う。

 知り合いとか仲間とかよく話す人とか、そういうのはいたけれど。

「おはようございます、ブリッツさん」

 友人というからには、いつまでも店主ではよくないだろう。

 刃物を持った犯罪者に果敢に立ち向かい、【黒魔導士】に差別意識もないどころか緊急時に頼ってくれ、しかも子供に優しい。軽口でも友と呼ばれて光栄な相手だ。

「カシュも、おはよう」

 実はカシュはブリッツさんよりも早く僕に気づいていた。

 耳がそわそわと動いていたし、尻尾 しっぽ がぶるんぶるんと揺れまくっていたし、目が合った瞬間パァッと表情が輝いたし、今にも駆け出しそうだった。

「はいっ。おはようございます、レメさん!」

 ぴくぴくと動く耳を思わず撫 な でたくなるが、客と店員の距離感は保たねばなと自分を律する。

 絶対にないとは思うが仮に撫でて「うわっやめてくださいよキモッ」とか言われたら、僕の心は砕け散ってしまうだろうし。

「昨日はおつかれさまでした」

「お前さんもな。つかすごかったな、黒魔法ってあんなことも出来んのか?」

 他の人はともかく、事前に僕が手を貸すことを知っていたブリッツさんからすれば、ひったくり犯の動きが不自然に止まったことが分かったのだろう。そのことも話しておきたかった。

「出来れば、他の人には話さないでほしいんですけど」

「あぁ、だろうと思ったよ。わざわざ俺 おれ だけの手柄って強調して自分は消えちまうんだからな。もちろん誰 だれ にも言ってねぇさ。カシュは家族にも言ってねぇ。だよな?」

「あれは全 すべ ててんちょうがやったことなのです」

 カシュは僕を尊敬の眼差 まなざ しで見上げつつ、台本を読むように言った。

 察しがよくて、優しい人達だな。

「ありがとうございます」

「何言ってんだ、こっちのセリフだよ。完売なんて初めてだったぜ。カシュの方まで全部まるっと売れたよ。まぁあんなのは一日二日すりゃ皆忘れるだろうがな。思わぬ儲 もう けだったのは確かだ。ほれ、お前さんの取り分だ」

 そう言って、ブリッツさんは小さな革袋を僕の前に出した。どうやらお金が入っているようだ。昨日の儲けは僕の働きもあってのことだから受け取る権利がある、とブリッツさんが言う。

「いやいや、もらえませんよ」

「ダメだ。正直 しょうじき 、俺はみてくれこそ屈強に見えるだろうが、どうも戦いってのが苦手でな」

 ……あ、はい。それは昨日の動きを見ていれば、分かります。

 でも、だからこそすごい。止められるか分からないのに体を張って悪い奴を捕まえようとしたのだから。だが同時にそれは蛮勇 ばんゆう でもある。

「いやまぁ、戦えないなりに体当たりでもして止めようとしたんだぜ?」

 なるほど。ブリッツさん程の巨漢と激突したら、全力疾走していたこともあってひったくりは凄 すさ まじい衝撃を受けたことだろう。その場合はブリッツさんが怪我 けが をする可能性が高かったので、やはり推奨は出来ないのだが。

「無傷で完勝! しかも商品は完売! 感謝するのは当然さ。俺に恩を売っておきたいってんなら別だが、そうじゃねぇならここで返させてくれ」

 そこまで言われては断る方が失礼だろう。僕は革袋を受け取る。

 それを見ていたカシュは、めちゃくちゃ焦 あせ り顔になった。

 どうしたのだろうと思ったら、彼女は自分の前に転がる果物 くだもの の中から一番形のいいものを選び、僕に捧 ささ げるように差し出す。

「お、おれいです!」

 ……そうか。僕は理解する。

 ブリッツさんは僕への分け前を用意していた。だがカシュは家計の助けとすべくここで働いている。きっと昨日の稼ぎは家族に渡したのだろう。

 店長がお礼をしているのに自分がしないなんてよくないことだ。しかしお金はない。という焦りから、代わりに果物を渡そうという発想に至ったのか。

 その健気 けなげ さに胸が温かくなる。

 僕はカシュの前にかがみ込んで、目を合わせて微笑 ほほえ む。

「ありがとう、すごく嬉しいよ」

 果物を受け取ると、カシュは両手を胸の前で握って目を瞑 つむ り、ぶるりと嬉しそうに震えた。

「あぁ、そうだ。これはありがたく僕が食べるとして、他にも買っていっていいかな」

「……! はいっ、いつもありがとうございます!」

「えぇと、これで買える分だけくださいな」

 そう言って、先程ブリッツさんにもらった革袋を渡す。

「おいおいレメ……お前さんってやつは」

 ブリッツさんは少々呆 あき れている様子だったが、少し勘違いしているようだ。

 別にカシュを助けてあげたいとかそういうことではなくて──もちろん助けになれるなら嬉しいが──新しい職場の人達への差し入れにしようと考えてのことなのである。

 それを説明すると、二人共驚いた後に祝福してくれた。

「そりゃあめでたいな! どこのパーティーだ? 『お気に入り登録』するから言ってくれよ」

 勇者パーティーの攻略配信は冒険者組合が運営する動画投稿サイトでのみ公開される。例外は映像板 テレビ 放送で、通常の配信が再生回数に応じて報酬が支払われるのに対し、映像板 テレビ 放送は一回いくらという計算だ。

 映像板 テレビ の場合は局が映像を買い取り編集するが、たまに生中継されることもある。これはダンジョン側にも協力を仰 あお ぎ、攻略が完了するかパーティーが全滅するまで放送される。

 ランクの低い勇者パーティーは配信だけでは生きていけないので、多くが兼業だ。冒険者業界も夢ばかりではない。

『お気に入り登録』というのはそのままの意味で、気に入ったパーティーを登録して新着動画などの通知がくるようにするもの。

 だが魔王軍のアカウントは残念ながらない。冒険者じゃないから……。

 二人を疑うつもりはないが、出社ならぬ出ダンジョン初日に自ら正体をバラすのはよくないのだろう。どこで誰が聞き耳を立ててるとも限らない。

「まだ仮なので、本決まりしたらお知らせします」

 と、誤魔化 ごまか すことにした。

「あぁ、そういうものなのか。おう、決まったら酒でも奢 おご るぜ」

 ブリッツさんの中では本当に僕が友達認定されているようだ。ありがたい。

 紙袋に果物を詰めていたカシュが一段落ついたのか、ふぅと息を吐く。

「レメさん。お金、多いです」

 ブリッツさんは結構入れてくれていたようだ。形の悪いものということでカシュが売っている果物は割安だ。それもあってお金が余ったのだろう。

「それに、いいのでしょうか。折角 せっかく 新しいしょくば? に行くというのに、その……形の悪い果物で。嫌がられはしないですか?」

 僕の心証を心配してくれるカシュ。

「大丈夫だよ。大事なのはどう見えるかじゃなくて、どういうものかだから。カシュの果物は美味 おい しいから、大丈夫」

 言ってから、何か気取った感じだったろうかと恥ずかしくなる。

 訂正しようとしたが、カシュが目をキラキラさせながら尊敬の眼差しを向けているので、そのままにしておくことにした。

 子供の憧れを壊すことはあるまい。

 あれ……どう見えるかを優先してしまったぞ。

 人生というのはままならないものだなぁ。

 余ったお金を革袋ごと受け取り、二つの大きな紙袋を抱える。果物が詰まっていて結構重い。

「持ちましょうか?」

「いやいや、大丈夫ですよ。そうは見えないかもしれないけどこれでも鍛 きた えて……って、あれ」

 無意識に返事してしまったが、ブリッツさんでもカシュでもない。

 でも声に聞き覚えがある。昨日だな、これ。聞いたの。

 なんとなく、ゆっくり振り返る。

 美しき吸血鬼──ミラさんだ。

 彼女は変装していた。

 ニット帽 ぼう を被って頭部の蝙蝠羽 こうもりばね を隠し、コンタクトで瞳 ひとみ を蒼 あお く見せている。

「おはようございます。ここに来れば逢 あ えるかなと思いまして」

 あぁ、そういえば昨日もここでのひったくり退治を見られていたんだっけ。

【黒魔導士】のレメが吸血鬼と一緒に歩いていたら妙な噂 うわさ が立つかもしれないから、それに配慮した変装をしてくれているのか。昨日は偶然見つけたから出来てなかった?

 それとも、ブリッツさんやカシュに僕の仕事が疑われないように?

 とにかく変装までして僕に逢おうとしたわけだ。職場で顔を合わせるだろうに、何か用があるのかな。でもなんでだろう。綺麗 きれい な笑顔が、ちょっと怖い。

 ミラさんが一瞬カシュを見る。

「……まさか、あの変態と」

 すぐにアガレスさんのことだと分かった。

「違いますよ!?  同じではないです! というか魔お……ま、ま、マオさんへの態度を見ていれば違うと分かりますよね!? 」

 二人の手前魔王様とは言えないのでなんとか誤魔化す。しばらくじとーっと僕を見ていたミラさんだが、不意にふふっと声に出して笑った。

「冗談です。信じていますよ」

「それはよかった……」

「それに、もし間違った道に逸 そ れてしまっても、絶対に正しい道に引き戻して差し上げますから」

 言いながらミラさんが自分の胸に手を当てる。

 僕がドキッとしている側で、カシュの顔が絶望に染め上げられた……ように見えた。ミラさんの胸部と自分の胸を見比べ、この世の終わりみたいな顔になっている。

 そんな童女 どうじょ の前に、ミラさんがかがみ込んだ。

「おはようございます、小さな果物屋さん」

「ち、小さくないです大きくなります多分もうすぐ……。それと、おはようごさいます」

 挨拶 あいさつ がしっかり出来てカシュは偉いなぁ。

 ……ミラさん何をするつもりなんですか。

「えらい美人だなぁ。レメの知り合いか?」

「はい。以前レメさんに助けていただいて、そこからの縁です」

 助けたというのは、魔王軍に入ったことを指しているのか。

「あぁ、想像つくぜ」

「そうでしょうね」

 ブリッツさんは約束を守って昨日の話はしないし、ミラさんも見ていたとは言わない。でもお互いに共感し合うように頷 うなず いていた。

「今日は貴女 あなた ……カシュさんでしたか? にお話がありまして」

「え」

 と声を出したのは僕。

「失礼ですが、お金が必要なのではないですか?」

 ……いやいや、少し待ってくださいミラさん。

「え、あ……えぇと、少しでもお母さんの助けに、なりたくて」

 戸惑いつつも答えるカシュ。きっとこれまで何度も客に境遇を聞かれ、すぐに答えられるようになったのだろう。

「素晴らしい。ところでこのお店だと一日で幾 いく らほど稼げるのでしょう?」

 ……あの、ミラさん?

「店主のご厚意も素晴らしいです。ですがカシュさん、より安全に稼げるとしたらどうでしょう」

 やっぱり……! 理由は分からないがカシュを魔王軍に勧誘するようだ。

 でもダメだろう。いくらなんでも幼すぎる。魔王様は【魔王】ってことは十歳にはなっているのだろうし、そもそも家業だし本人は実に楽しそうだ。

 僕の不安を察してか、ミラさんがウィンクした。

 綺麗だけど、カシュのことが気になってしまう。

「危険なことは絶対にさせません。ただ、レメさんの新しいお仕事は大変で、働き者でレメさんと仲の良いお手伝いさんがいるととても助かるのです」

 ……えぇと、つまり? ダンジョン防衛には出さないが、その準備などを手伝ってもらう裏方として雇うという話だろうか。

 あれ、危険がないなら悪い話ではなさそうだ。

 果物売りの収入は安定しないし、儲けは微々 びび たるものだろう。

 実はいつ行っても商品が大量に余っているのを見て、僕も胸を痛めていた。

「お嬢ちゃん、レメの新しいパーティーメンバーか?」

「そのようなものです。それでカシュさん、うちに来てくださるなら報酬はこれくらいで」

「えぇ!?  そ、そんなにたくさんっ!? 」

「しばらくは忙しいですが、落ち着けば休みもたっぷりとれます」

「ふ、ふわぁ」

「これが一番のウリなのですが、今回募集するお手伝いさんは──レメさん専属です」

「せ、せんぞくっ!」

 カシュの絶望顔は晴れていた。今はただただ驚愕 きょうがく と興奮に満ちている。

「どうでしょう。ご店主やご家族と相談してご検討 けんとう いただければと思います。お時間さえいただければ、ご家族にも私からご説明致しますが」

 カシュは突然の申し出に、頭がいっぱいいっぱいになっているようだった。

「なぁ嬢ちゃん。レメが何も言わねぇってことは、あんたは信用出来るんだろう。だが俺はあんたを知らないし、そのレベルのパーティーがカシュにそんな金払う余裕あるのか?」

 ブリッツさんはカシュを心配しているのだ。そんなうまい話があるのかと。

「ご心配は尤 もっと もです。少々無礼かとは思いますが、そのあたりはカシュさんの意思が決まってから説明する、とさせてください」

「むぅ。働く気があんなら説明するってことか。まぁそれなら、俺がとやかく言うことじゃあねぇんだけどよ。だが話を聞いた後で気が変わったらどうすんだ?」

「変わらないと思いますが、特に何も。ここで確認したいのは意思なので」

 ミラさんの言葉は簡潔。僕はカシュを見た。カシュも僕を見ていた。

「レ、レメさんは、その、わたしがお手伝いだったら、迷惑でしょうかっ」

 緊張で顔を真 ま っ赤 か にしながら、カシュはそんなことを言った。

「まさか。カシュと逢うと元気が出るんだ。迷惑どころか普段より良い仕事が出来るよ、絶対ね」

 反射的に僕は答えていた。もちろん噓 うそ 偽り無い本音だが、それでも魔王軍に裏方とはいえ童女を入れていいものかという迷いもある。

 ただ、ブリッツさんこそいい人だがここでは稼ぎが心許 こころもと ない。僕の転職を機にカシュの現状も好転するならば、それは喜ぶべきところだろう。

 一瞬ミラさんの視線がじとっと湿り気を帯びた気がしたが、また幼心の守護者疑惑でも掛けられているのだろうか。

 カシュがそっと目を瞑る。きっと様々なことが脳内を駆け巡っているのだろう。やがて、カシュが目を開いた。

「てんちょう」

「あぁ」

「わたし、てんちょうにとても感謝しています」

「おう」

「でも、レメさんのお手伝い……したいです」

「あぁ、いいんじゃねぇか? 小銭稼ぎから卒業出来るってんだから、止める理由はねぇよ。しかもレメのとこってんだから心配も要らないしな」

「……! は、はいっ!」

 潤 うる んだ瞳のまま、カシュがこくこくと頷いた。

 ブリッツさんも目頭を押さえ、洟 はな を啜 すす っている。

 それからはあっという間だった。

 カシュを伴って彼女の母親の職場まで行き事情を説明。あくまでアルバイトという扱いで、ダンジョン防衛に魔物として出ることはないこと、万が一にも危険な目に遭わせないよう徹底することなどを話し、カシュの強い希望もあり、許可が下りた。

 僕が冒険者から魔物に転向したと言っても、カシュは失望したりしなかった。「さんぼー、だいしゅっせですねっ」と喜んでくれたくらいだ。

 カシュの母に娘をどうかお願いしますと言われ、僕ははいと答えた。

 どうやらカシュの家庭は父親がおらず、姉が一人と弟妹が二人いるらしい。

 ……それは確かに母親一人で養うのが難しい人数だ。でも、カシュのお母さんは給料を聞いてもカシュを止めた。娘への心配の方が勝ったのだ。

 最終的に許可したのは、カシュ自身が強く希望したから。

 お母さんとの関係は良好のようで、僕は安心したのだった。母親が少しカシュと二人きりにしてくれと言うので、僕らは職場の外で待っていた。

 職場は古着屋だった。

「……ミラさん、昨日どこから聞いてたんですか?」

「『こんにちは』からです」

 最初からだよ、それ。

 それで僕とブリッツさんやカシュの関係を大まかに把握したわけか。

「僕とカシュに交流があって……カシュが亜人だからって魔王城に?」

「はい。レメさんも知り合いが一人くらいはいた方がよいかなと思いまして。それに参謀ですから手伝う者は必要です。非常に残念なことに、ひじょーに残念なことに、私はずっと助手を務めるわけにはいきませんから」

 非常にの部分を強調しながら、本当に残念そうにミラさんは言った。

「カシュはまだ子供ですよ」

「ですが、レメさんに必要なのは理解者です。あなたは自分の実力を把握しながらも、他者からの評価に期待しなさすぎる。カシュさんは貴方 あなた の心と魔法、その両方の強さを理解している数少ない人物ではないですか」

「……」

 フェニクスは親友だが、だからって互いをベタベタ褒め合ったりしない。

 結局僕は、自分の力を自分で信じるしかなかった。ミラさんが言うのは、外から評価されることにも慣れていきましょうね、ということだろうか。

「これから私やカシュさんが褒めます。レメさんはすごいのです。すごい人がそれを隠すとか評価されないとか、私は我慢なりません。レメさんはすごい【黒魔導士】ですよ」

「……あ、ありがとうございます」

 やめてほしい。照れるから。

「今までよく頑張りましたね。よしよし……なんて」

 頭を撫でられた。

「……冗談がすぎました。ごめんなさい」

「いや、大丈夫」

 お互いに赤面する。

 実は全然大丈夫じゃない。意外に悪くない気分だったのがよくなかった。頭撫でられて喜ぶって、子供じゃあないんだから。

「こほんっ。とにかく、レメさんには理解者兼助手が必要だと私は判断しました。指輪で契約出来るとは言っても基本的に魔物はフロアボス直属です。なので仲間を得るにも本人はもちろんのこと、フロアボスからの許可も得なければなりません。私の豚……間違えました部下達は好きに使ってもらって構いませんが、決して私のいないところで口を利 き かないでくださいね。仮に何か言っても全部ウソですから信じないでください。レメさんは豚……部下よりも私を信じてくれますよね?」

 うるうるっと瞳を潤ませて上目遣 うわめづか いに僕を見るミラさん。

 ……普段部下のこと豚って呼んでるのかな。

 さすが【吸血鬼】の女王カーミラだ。役に入りきっているんだなぁ。

 でも今は職場じゃないからいつもの優しいミラさんでいてください。

「ミラさんのことを誰がなんて言ってもその場で信じたりはしないし、ちゃんとミラさんの話を聞きますよ」

「そ、それならばよいのです。……ありがとうございます」

 そんなことを話しているうちに時間がすぎ、カシュがやってきた。

「おまたせしましたーっ!」

 元気いっぱいだ。

「それじゃあ行きましょうか、レメさん、カシュさん」

 こうして僕らは三人で職場へ向かう。魔王城へ。

 カシュはそわそわしていた。

「わたし、あんまりこのあたり来たことないですっ」

 魔王城に続く通りだ。

 初めての場所ってついつい視線があっちこっちに向いちゃうよね。分かる。

 でもそれによってカシュが迷子になりかけた。僕とミラさんが少し歩いて、横にカシュがいないことに気づいたらだいぶ後ろでおろおろしていた時は焦った。

 そうだよな。子供の時って気になるものがあると親の動きとか関係なしに立ち止まって眺めちゃうよな。しかしお母さんによろしくと頼まれた直後にはぐれかけるとは。気をつけなければ。

 年の割にしっかりしているといっても、カシュはまだ幼い子供なのだ。

 深く反省した僕はカシュを迎えに道を戻る。

「えぇと、カシュ?」

「ご、ごめんなざぁい……!」

 僕を見つけてほっとした顔を見せたのも束 つか の間 ま 、怒られると思ったのかカシュはぽろぽろと涙をこぼしながら謝ってくる。

「いや、僕も悪かったんだよ。それにこれから毎日通る道なんだから、色々見てどうやって職場まで行くか覚えないとね。カシュはちゃんと反省出来ているし、僕も反省してる。それで終わり。怒ってないから、心配しないで」

「わだじっ、がんばるのでっ! く、くびにしないでくだざいぃい!」

 そう言ってカシュが僕にすがりついてくる。

 ズボンがカシュの涙で濡 ぬ れたが、それよりも彼女の涙を止めたい。カシュの表情が曇ると僕の気持ちも落ち込んでくる。

 どうやら幼いなりに今のを失態ととらえ、働く前からクビにされるかもしれないと恐れたらしい。

 僕は少し迷ってから、そっと彼女の頭に手を伸ばした。

 客の立場で頭を撫でるのは違うし、じゃあ上司ならいいのかよとなってくるわけだが、僕は理屈をこねた。しっかりと彼女の母から任されたわけで、今の僕は保護者の面もあるのではないか、と。

 彼女の方からくっついてきたのだし、触れるのも嫌! とかではない筈 はず だ。

 そっとその耳を伝い、僕の手が彼女の頭に触れる。

 ぴくっと耳が立ち、彼女の身体 からだ に緊張が走った。だが離れる様子はない。

 ふわふわとした彼女の髪を撫でる。

 カシュがゆっくりと顔を上げた。涙で濡れた顔のまま僕を見る。

「大丈夫、失敗は誰でもあるんだ。大事なのは後悔したり怖がったりすることじゃあなくてね、次に失敗しない為 ため にはどうしようって考えること」

 僕はハンカチを取り出して、涙を拭 ぬぐ ってあげた。少し考えてから渡すだけでよかったかと思ったが、されるままなので嫌ではないのだろうと判断。

「つぎ……ですか?」

「うん」

「くびじゃないですか?」

「カシュがいないと僕が困るよ」

「わたしいないと、レメさんこまりますか」

「とても困る。カシュは僕の秘書さんだからね」

「ひしょっ……!」

 スーツを着たいかにもやり手そうな女性が脳裏 のうり に浮かんでいるのではないか、カシュの目が輝いた。大人に憧れる子供のそれである。

 感情の切り替えが早いのは、子供の長所だよなぁと思う。

「あ、あのっ、レメさん」

「なんだい」

「はぐれてしまってごめんなさいでした」

「僕の方こそ目を離してごめん」

 これでこの件は終わり。

「そ、それで……レメさん。わたし、かんがえました」

「うん? あぁ、次に失敗しないように?」

 カシュがこくこくと顎 あご を引く。

 すごいな。これも子供故 ゆえ の柔軟性 じゅうなんせい なのだろうか。すぐに言われたことを理解し、実践するとは。いや、カシュが賢くて良い子なのかな。

 余所見 よそみ をしないように気をつけます、というようなこと言ってくれるのだろう。

 だがカシュは、何故 なぜ か尻尾を揺らし、顔を真っ赤に染めた。

 んん……? と思いつつも、僕は答えを待つ。

「っ……て、……て、」

「て?」

 彼女が自分の手を僕に伸ばそうとしては引っ込める。

 て。手か。……あぁ、なるほど確かにそれは解決策だ。

「大丈夫だよカシュ。聞かせてくれる?」

「て、を、つないで、もらえたら……はぐれない、と、おもった……です」

 カシュの顔は茹 ゆ で上がったように赤い。勇気を出して言ってくれたのだろう。

 大人としてはそれに答えねば。あまり自分が大人という気はしないけど。

 彼女の手を取り、ふにふにした指を握る。

「確かに、これならはぐれずに済むね。カシュの解決案は効果抜群だ」

 カシュは、くしゃりと顔全体で笑った。それから、だらしなく頰 ほお を緩 ゆる める。

「えへへ……」

 かわいい。

 ちなみにブリッツさんのところで買った果物は、店に預けてきた。ミラさんが部下に言って運ばせるとのこと。後でその人に感謝を言っておかないと。そんなわけで、僕の手は空いている。

「仕事終わりか次の休みにでも一緒に散策してみようか」

「いいんですかっ!? 」

「僕もこっちの通りには慣れてないからね」

「それはよい心がけですね。よければ私に案内させてもらえませんか?」

 ……いや、忘れてたわけじゃないんだ。だから、そんなふうに優しいのに冷え切っているのが分かる声を出さないでほしい。

「ミラさん。えと、カシュを見つけたよ」

 僕は爽 さわ やかに微笑み掛けたかったが、浮かべた笑みは引きつってしまった。

「はい。ちゃあんと見ていましたよ。いつ戻ってきてくれるかな、と待ちながら。あらでもよかったですねカシュさん、レメさんと手を繫 つな げて。羨 うらや ましいです、とっっても」

 カラコンで蒼くしている彼女の瞳が、すっと細められる。

「片や手を繫いで出勤しながらデートの約束、片や一緒に出勤しようと迎えに行ったのに放置プレイ。レメさん、人生とは何故こうも残酷なのでしょうね。私、泣いてしまいそうです。私が泣いても、ハンカチを貸してくださるのでしょうか。それとも放置でしょうか?」

 こう、なんて言えばいいんだ。

 怒ってるとは違うし、嫌味とも種類が異なるのではと思う。

 言うなれば……拗 す ねてるとか、そういう感じに似てる。子供に嫉妬 しっと ? ミラさんが? いや、語れるほど彼女のことを知っているわけではないが。

「いいですね、カシュさん。レメさんの右手はどうですか?」

「えっと? あたたかいです。あと、大人のおとこの人って感じがします」

 カシュは素直に答えた。

「なるほど、素敵ですね。私にも温かい手を貸してくれる殿方 とのがた が現れないでしょうか。誰か手が空いてはいませんか? 私、今とても心が寒くって。左手でもよいのですけれど」

 よよよ、と泣き真似 まね まで始めるミラさん。

 ちらっちらっと僕に視線を向けるのも忘れない。

 これはどっちなのだろう。からかい半分のアプローチの類 たぐ いなのか……それとも本当にカシュのように手を繫いでみたいのか。

 ……いや、やめよう。僕は余計なことを考えないようにした。ここで出せない答えを脳内で求めても仕方ない。どちらの場合でも対応出来る返事をすればいいだけだ。

「それじゃあ手を繫ぎますか? 職場までですけ──どっ」

 言い終わる前に左手を搔 か っ攫 さら われた。もげたかと思ったがちゃんと腕は繫がっている。繫がっているし、ミラさんに抱えられている。手を繫ぐというか、僕の腕に体を絡 から ませていた。

 というかですね……その、僕の腕が挟まれてるんですけど。柔らかい何かに。魔王様いわく絹のような手触りでプリンのような弾力に富むという二つのあれに。

 僕は跳ねる心臓を鋼の精神力で律する。

「本当ですね。あたたかいです」

 うふふ、と彼女はとても満足げ。

 カシュが僕の手に込める力を強めた気がする。気の所為 せい だろうか。

 僕はただ新しい職場に行こうとしていただけの筈なのだが。

 右に健気で可憐 かれん な犬耳の童女、左に妖艶 ようえん な吸血鬼の美女という両手に花状態になってしまった。

「あ、あの……カシュはいいとして、ミラさんはいいんですか?」

 とにかく気を逸らさねば。僕は話を振る。

「何がでしょう」

「いや……こう、男と腕を組んでいるところを職場の人に見られても平気なのかなと。その、噂が立ったら申し訳ないですし」

「むしろ立ててしまいましょう。余計な虫がレメさんについては困ります」

「え」

「そうだ。レメさん、職場で誰と話したか後で教えてくださいね? え? もちろん職務上必要なことですよ。自分からレメさんに話しかける者は最低限興味を持っているということですし、逆にレメさんから声を掛けたならそうする理由があったということです。七十二体まで登録出来るとはいえ、相性 あいしょう のよい者を選別するに越したことはありません」

 そっか。そうだよな。

 ミラさんは僕の為を思って言ってくれたのだ。もし話した人の中に女性がいたら、推しの【黒魔導士】に近づくなとばかりに何かするのではないかなんて、僕は失礼なことを考えてしまった。

「ごめんミラさん。分かった、ちゃんと誰と話したか記録しておくよ」

「はい。特に女性は忘れてはいけませんよ……話し合いが必要になるかもしれませんからね」

「え?」

 僕の疑問符は無視される。

「あぁ、着きました。見てくださいカシュさん、これが今日から貴女の職場である魔王城ですよ」

 魔王城はちゃんと城の形をしているが、ダンジョン部分は地下だ。

 地上階には職員専用のフロアであったり、一般に解放されたエリアであったり、表口の場合は攻略者用の受付や魔力体 アバター との接続機が置かれた部屋などがある。

「うわぁ、初めてみましたっ」

「地元の名所って案外行かないものですものね。特にこちらは裏口ですし」

 僕越しに二人の会話が盛り上がる。

 結局僕らはそのまま出勤した。

 ◇

 記録石は様々な機能を備えたアイテムだ。

 魔力は必要だが、石に別の記録石を登録しておけば、そこへ人やものを転送させることも出来る。

 ダンジョンの攻略情報を記録することにも利用され、これをダンジョン側が確認することで冒険者は『前回の続き』から攻略を再開することが出来る。

 記録石のある部屋はセーフルームと言い、この中に入っている間は魔物に襲われないし、情報記録 セーブ を行って帰還することも出来るのだ。

 利用には登録証と呼ばれる身分を証明するアイテムが必要になる。

 そんな記録石だが、ダンジョン職員達も大いに活用していた。

「レメさん。今日はこれを使ってください」

 ミラさんに渡されたのは仮の登録証。昨日の今日では正式なものの発行は間に合わない。長さは親指程で、薄い金属製の板だ。穴が空いており、そこにチェーンが通されていた。

 カシュのことは数日掛かると思っていたらしく、仮の登録証は僕の分だけ。

 僕は紛失しないように自分の首に掛けようとして、やめた。

「カシュ、これを無くさないように預かっていてくれるかな」

 そう言ってカシュの首に掛ける。

「は、はいっ! ぜったいになくさないです、さんぼー!」

「……呼び方はいつも通りでもいいよ」

「いえ、お仕事ちゅうなので」

「そっか。なるほど。うん、分かった」

 少々の寂 さび しさを感じるが、仕事に熱心なのはいいことだ。ふんす、と呼気を漏 も らしながら決意を漲 みなぎ らせるカシュを微笑ましく思いながら、僕達は魔王城の中を歩いていた。

「魔王城地下には、一般に『ダンジョン』と呼ばれる施設の他に幾つもの空間があります」

「え、そうだったんですか?」

 ミラさんは既に僕から離れていた。その際にほんのり頰を染めつつ「これ以上は心臓に悪いですから」と言い、僕は内心で強く同意した。

「えぇ、訓練を行ったり、同じ階層所属の者や同じ種族で休憩したりなどするのに使われますね。大浴場もありますし、ホームシアターや鍛冶屋 かじや など身体も心も武器防具に至るまでケア可能です」

「……ダンジョンってすごいな」

 一般人が知っているのは、なにやら太古の魔物が作り出した特殊空間ということくらい。

 ダンジョンの経営が国に許可されているのだから、それで充分。

 実のところ僕も同じだったが、改めて聞かされると驚く。

「通路が繫がっていないというだけで、防衛には有利ですからね」

「確かにそうですね」

 大昔なら攻略者など邪魔でしかない。出来れば入ってほしくないのだから、特定の手順を踏まなければ別の階層に繫がらないようにするのは賢い。

 まぁ太古の魔物達も長い時の果てに自分達のダンジョン内に温泉とか小型映画館が作られるとは夢にも思わなかっただろうが。いや……温泉は有り得るか? どうだろう。

「今日逢っていただくのは、ウェアウルフ……【人狼 じんろう 】の集団です」

 ちなみに、冒険者は【役職 ジョブ 】プラス名前で呼ばれることが多いが、魔物側は【役職 ジョブ 】ではなく種族プラスダンジョンネームで呼ばれる。

【魔王】のような例外もあるにはあるが。

「【人狼】ってことは、人と半狼の状態を使い分けられるんですか」

「そうですね。フロアボスのマルコシアス含め善人ばかりですし、人の姿をとれる分レメさんを受け入れることへの抵抗感も少ないと判断しました」

 魔王様ことルーシーさんの配下なのだから、どうしようもない悪人などはいないだろう。

 だからといって全員が人間の【黒魔導士】を手放しに喜ぶかと言えば違う。

 しかも元冒険者だ。スポーツで言ったらライバルチームを放逐 ほうちく された者がある日いきなり自分達のキャプテンに抜擢 ばってき されるような話。エースでもいいかな。とにかく、気持ちの面で受け入れ辛 づら いと思うのは当然のこと。

 ミラさんはその部分まで考え、僕がいきなり挫 くじ けたりしないように配慮してくれたのだろう。

「でも気をつけてくださいね。揃 そろ って善人は善人ですが、彼らはその……暑苦しいので」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。ミラさんの仲間なら、心配要らない」

 ミラさんは本当によくしてくれている。

 ただずっと違和感が拭えない。彼女から感じられる好意は、なんというか大きすぎるのだ。

 カシュのように、初めての客でありほぼ毎日接客していた僕に懐いてくれるのならば分かる。嬉しいし、受け入れるのは簡単だ。経緯が分かるから。

 ミラさんの場合、何かパズルのピースが欠けているような感じなのだ。

 たとえばファンになったきっかけとかが分かれば、この違和感は解消されるのだろうか。つまり彼女の好意の出発点。出処。単にすごい【黒魔導士】だから、逢ってすぐベタベタするというのは変だ。他の者への態度を見ても、ミラさんはその辺しっかりしている。

 決して軽い人ではないからこそ、その気持ちを軽く受け入れられない。

 それはそれとして、もうばっちり信用はしている。

「……そういう嬉しいことを言われると、血を吸いたくなるので注意してください」

 吸血は、元は血中に含まれる魔力を吸い取る為のものだった。吸血鬼に年若い女性を狙 ねら うイメージがあるのは、若い方が魔力に富み、女性の方が魔法への適性が高い傾向にあるからとの説がある。

 とはいえ彼女は魔力が吸いたいわけではないだろう。

「少しなら吸われて困るものでもないですから、ミラさんが吸いたいなら僕は構いませんよ」

「レメさん、二度とそんなことを言ってはいけません。……そんなことを言われたら私……とにかくやめてください。仕事中ですよ?」

 ミラさんの顔はちょっと赤い。何かを我慢しているようでもあった。吸血衝動、だろうか。

「……気をつけます」

「ですがレメさん、次の日が休日なタイミングでもう一度言われたら、私はレメさんを吸うと思います。後で予定を確認し、お伝えしますね?」

 魔力を吸われるのは、とてつもない疲労感を伴うらしい。ただでさえ血を失っているのに、魔力までガンガン減ると健康には良くない。翌日に仕事が控えている時にすべきではないとの判断か。

 それとも現代の吸血鬼特有の言い回しなのか。

 亜人達は、その先祖がしたような人に害を及 およ ぼすあらゆる行為を現在はしていない。していないし、他の犯罪同様取り締まる法もある。

 吸血もそうで、同意を得ない吸血行為は暴行に等しいとの扱いだ。

「後で予定を確認し、お伝えしますね?」

 ミラさんはもう一度言った。

 恥ずかしながら、僕はそのことでようやく意図に気づく。これはあれか。その休日に逢ってもいい。つまりデートに誘われたら承諾しますよと伝えてくれているのか。

 血を吸うという目的というか建前 たてまえ はあるが、そうなのではないか。

 ただ僕は絶望的にモテない期間が十年続いたこともあり、こういったことには非常に不慣れだ

 えぇい、勇気を出せレメ!

「色んなことのお礼もしたいですし、もしよかったら、その休みを僕にいただけませんか……?」

 ミラさんは自分で促 うなが しておいて、まさか僕が誘うとは思わなかったのか目を見開く。そしてふいっと視線を逸してしまった。

 失敗した!?  と僕の心が砕け散る寸前。

 その耳が赤く、頭部の蝙蝠羽──帽子 ぼうし はもう取っていたので露出している──がぴくぴく揺れているのに気づく。そして唇 くちびる が恥ずかしそうにもにょもにょと動いた。

「……はい、是非お願いします」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。いや分かったが感情がすぐに発生しなかったのだびっくりしすぎて。違うか。嬉しすぎてか。とにかくまずい。

 何がって、とにかく周辺を全力で走り回って「ひゃっほー!」と叫 さけ び狂喜乱舞したい。それを押し留めたのは長年の修行で培われた精神力と、カシュの手前恥ずかしいところを見せられないという思いと、両手で顔に蓋 ふた をするように表情を隠しているミラさんを一瞬も見逃したくなかったから。

「……レメさん」

 カシュの悲しげな声で僕は我に返る。登録証を大事に小さな手で握っているカシュが、とても寂しげに僕を見ていた。

 ──そうだ、先程カシュとも約束したばかりじゃないか。

「もちろんカシュと散策する約束も忘れていないよ。ミラさんに聞いて、何か甘いもののある店にでも行こうか」

「あまいもの……」

 カシュが一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐにまた落ち込んでしまう。

「……れ、レメさんとふたりで、ですか?」

 不安そうな声。

 ミラさんに案内してもらった方が確実だ。僕はこのあたりに詳しくないし。

 だが、カシュが幼いながらに何を求めているか、僕には分かった。

 ミラさんと二人でおでかけするなら……自分とは?

「カシュさえ良ければ、二人で行こうか」

 今度こそ、カシュに元気が戻る。

「ふたりがいいですっ! ……あ、でもミラさんが嫌とかではなくてっ」

「えぇ、分かっていますよカシュさん。私もそのあたりは弁 わきま えていますから」

 ミラさんは、他の女性関連での警告を出す時と違って優しげな声を出して言う。

 短い間隔で二人の女性と出かける約束をしてしまった。片方はカシュだし、まさしくデートではなくお出かけなわけだが、それでも以前の僕からすれば有り得ないことだ。

「それと、レメさん」

 余裕を取り戻したミラさんが、僕の耳元に唇を近づける。

「貴方が優しいのは分かっています。でも、先程の言葉を他の吸血鬼には言わないでいただきたいのです。そんなことになったら、ふふふ……とにかく、よろしくおねがいしますね?」

「はい……」

 首元にナイフでも宛 あ てがわれてるのか? ってくらいの緊張感を持って、僕は頷いた。身体の芯 しん に氷柱を差し込むような、ぞっとする怖さがあった。

 そんなことがありつつ。やがて、僕らは記録石がずらりと並んだ部屋についた。

 カシュがはしゃぎ、僕も壮観だなと思う。

 いったいどれだけの空間があるのか。ダンジョンとは不思議なものだ。

「こちらです」

 記録石の前に立つ。土色の台座の上に、青い拳 こぶし 大の石が嵌 はま っている。

「第二運動場を指定してください。先に行って待っていますね?」

 ミラさんが登録証を記録石にかざすと、その姿が消えた。カシュが驚く。

「僕達も行こうか」

 カシュが登録証を差し出すので、少し考えて首を横に振る。

「カシュがやってみよう」

「え……でも」

「大丈夫、怖くないよ」

 僕は彼女の脇 わき を抱え、記録石の部分まで持ち上げる。

「ひゃあっ。え、え、うぅ……わかりましたぁ」

 登録証を恐る恐る記録石に近づけるカシュ。

「さっき聞いたよね。えぇと、どこだっけ?」

「もうっ、だいにうんどーじょー、ですよ」

 くすくすと笑いながら答えるカシュ。うん、緊張がほぐれてきたようだ。

 カシュが意識したことに反応し、目の前の景色が切り替わる。

「わっ、えっ!? 」

 驚いてじたばたするカシュだったが、僕に抱えられたままであることに気づき安堵 あんど の息を吐く。

「うん、上手 うま く出来たね」

 褒めると、照れるようにはにかんだ。下ろすと、期待するようにこちらを見上げる。くいっくいっと頭部を近づけてきた。なるほど。

 頭を撫でると、彼女から幸せそうな声が出る。

 カシュがいるだけで癒やしの効果が凄まじい。

「レメさんは甘えたい方ですか? 甘やかしたい方ですか? いえちょっとした確認です」

 すぐ近くにいたミラさんが言う。

 僕らが転送されたのは、広い運動場の端。

 そこでは狼化した【人狼】さん達がひたすらに走り込みをしていた。そのうちの一人、明らかに体格の大きいのがフロアボスのマルコシアスさんだ。

「さぁ走れ! 走りまくるのだ兄弟達よ! あの凄まじい黒魔法を受けても動けるくらいになればいい! 速度を倍にすれば、半分にされてもこれまで通り動けるだろう! がはは!」

 ……すごい理屈だなぁ。

 一番すごいのは、そのめちゃくちゃな理屈に全員が「オウッ!」と応 こた えていること。

「マルコシアス」

 僕達は少し近づいて、ミラさんが彼に声を掛ける。

 カシュはその大きさに圧倒されて、僕にしがみついていた。

 見上げるほどの巨体がこちらに向く。

「おぉ、カーミラ嬢! もう時間だったか……む」

 彼が僕に気づく。そして狼 おおかみ の口が開き、嬉しそうな声で笑った。

「おぉ! 【黒魔導士】殿ではないか! まさか本当に我らが魔王軍に入られたとは!」

 どうやら、歓迎されているようだ。さすがはミラさん。優先して顔合わせをセッティングしたのは、こうなると予想出来ていたからか。

「よろしくお願いします。レメ……レメゲトンです」

「あぁ、ダンジョンネームだな。すぐに名乗るのも慣れるさ。よろしく頼む、レメゲトン殿」

 僕らはそう言って挨拶を交 か わす。

「そちらの小さなお嬢さんのことも気になるが、まずはよく来た! いやぁ前回はまったく完敗だったぞ! 特に貴殿とあの男……【炎の勇者】か、あれは凄まじいな」

 直接僕の黒魔法を受けた人達は、その効力を身を以 もっ て知っている。実力を疑われずに済むというのは、よく考えたらとてもありがたい。

「あいつはちょっと強すぎますよね」

 親友が褒められて少し嬉しくなった僕は、思わず表情を緩めてしまう。

「何を言っている! その【勇者】があれほどの活躍が出来たのは、オレの許に辿 たど り着くまでに魔力を温存出来たからで、それは貴殿の黒魔法あってこそだ! 本当は到達させるつもりなど無かったのだからな!」

 あぁ、十字路の三方向から道を埋め尽くすような【人狼】が押し寄せてきた時はどうしたものかと思ったよ。少し無理をして敵全員に『速度低下』を掛けたが、あの場面だけフェニクスに魔力を使わせてしまった。

「しかし良き武人かと思ったが、【炎の勇者】はいったい何を考えているのだ? 貴殿のような【黒魔導士】は世界に類を見ない。冒険者からすれば至宝に等しいだろうに」

「仲間内で色々ありまして。あいつに追い出されたわけじゃあないですよ」

「ふむ。そうか。そもそも貴殿の実力に周囲が気づいていないのが謎 なぞ だが……いやいい、人には事情というものがあろう。そんなことよりも、だ! オレは嬉しい!」

 バンバンと背中を叩 たた かれる。実に嬉しそうだし加減してくれているのも分かるが、それでも少し痛かった。

「あそこまで研ぎ澄まされた魔法は見たことがない! その若さでいったいどれだけの鍛錬 たんれん を積んだのか、一人の漢 おとこ として感服する! そこでだ【黒魔導士】殿、相談がある」

「相談、ですか」

「あぁ、悔しいことにオレは貴殿らに敗北した。奴 やつ らが全滅するなりして攻略し直しになれば別だが、そうでなければオレには再戦の道がない」

 四天王はある事情があって例外だが、一度倒されたフロアボスはそのパーティーの前に違う階層のフロアボスとして出現してはならない決まりがある。

「聞けば貴殿は七十二体の仲間を集めているとか! ならばオレは立候補させていただく! この【人狼】マルコシアスと契約してはくれまいか!」

「よろしくお願いします」

 僕は迷わず答えた。

 自分達を負かした相手に悔しさを感じながらもその実力は確かに認め、更には目の前に相手がいても真 ま っ直 す ぐな称賛を向けられる。中々に得難 がた い精神性だと思う。

 それに、彼は強い。基本的に【勇者】というものは、別枠で考えるべき。それだけ規格外。

 中でも四大精霊に愛された【炎の勇者】【嵐 あらし の勇者】【湖の勇者】【泥の勇者】は伝説の存在だ。

 現代ではフェニクスが【炎の勇者】を、世界ランク一位パーティーのリーダーが【嵐の勇者】を名乗っているが、個人戦力としてはこの二人が最高峰。

 もちろん人間の中では、だ。

 弟子 でし の欲目もあるかもしれないけど、師匠が誰かに負ける姿は想像出来ない。そうでなくとも対応する【役職 ジョブ 】として存在する【魔王】ならば、対抗出来る。

 とにかく、フェニクスはすごい奴ということだ。世界最強と言ってもいいくらいに。

「おう! しかしオレが言うのもなんだが、えらく快諾 かいだく してくれたものだな。七十二と聞けばそれなりの数だが、無駄には出来まい?」

 七十二枠もある。七十二枠しか無い。考え方は人によって変わるだろう。

 既にミラさんがいるので枠は七十一だが、僕は深刻に捉 とら えていなかった。強 し いて言うなら、色んな種類の仲間を集めたい。その方が色んな種族の亜人に希望を見せられるだろう。

「マルコシアスさんの戦いは間近で見たので強い方だというのは分かっていますし、部下の方々の練度も高かった」

「【炎の勇者】相手に一撃で退場させられたが?」

「マルコシアスさんがフェニクスのやり方に応じたからです。配下の方の邪魔はありましたが、貴方自身は動かなかった。辿り着いたなら迎え撃つと構えていた」

 マルコシアスさんの表情から笑みが消える。

 怒ったのではない。何かの確信を得たような、真剣な顔だ。

「……やはり 。やはりあれはわざとだったのだな。【黒魔導士】殿、貴殿はオレと【炎の勇者】が向かい合ったその瞬間、オレに掛けた黒魔法を解いただろう。何故だ?」

「貴方こそ、何故待っていてくれたんですか? あの日、僕はかなり魔力を消費していましたし、練度の高く動きの俊敏な集団に黒魔法を掛け続けるのは至難 しなん の業 わざ です。貴方がフェニクスを無視してこちらに向かってきたら、フェニクス以外は退場させることが出来たでしょう」

「どうだかな。そこまで甘くはなかろうし、仮にそうだとしてだ。他の三人はともかく貴殿は底が見えん。そもそもオレの兄弟全員に複数の黒魔法を長時間掛ける魔力を、何故人間が生み出せる」

「それは……」

 生き物には魔力を生み出す器官があり、これは筋肉や肺活量 はいかつりょう のように鍛錬次第で強化出来る。

 方法は単純。使い続ければいい。

 僕は二十四時間、魔力を練り続けている。

 僕は二十四時間、魔法を使い続けている。

 師匠の修行はまず身体作りから始まった。体力筋力そして精神力を、とにかく過酷 かこく な修行で鍛える。基本的なトレーニングはもちろんのこと、獣 けもの のいる山に放置されたり、下に川があるから死なないという謎の理屈で崖から突き落とされ、しかもその崖を道具を使わずに上がってこいと言われたり、ひたすら師匠に挑んでボコボコにされたり。

 その上で、魔力を残して寝るなと言われた。可能な限り生み出し、作った先から魔法へ変えろと。そうすれば身体は『魔力が不足している、危険』と判断し、なんとか生み出そうとする。

 その時に魔力器官が少しずつ強化される。一歩間違えれば命の危険があるが、その一歩は訪れなかった。僕が出来るようになるまで、師匠が付き合ってくれたからだ。

 魔法を掛ける相手はたまに師匠だったが、基本的には──自分だった。

 まず師匠がお手本を見せてくれる。速度低下で僕は亀のような鈍さになり、毒でのたうち回りながら嘔吐 おうと し、混乱で全裸になって森の中を駆け回り、思考に空白を挟まれ何十分もぼうっとしていたり、闇 やみ で視界が閉ざされ怖くなって震えたりした。ちなみに攻撃力低下によって木の枝も折れなくなったり、防御力低下で小石をぶつけられて死にかけたりもした。

 自分の黒魔法観が根底から覆 くつがえ され、僕は知ることが出来た。

 魔法に限界はない。術者の想像力と技術に限界があるだけなのだと。

 魔法の効果や範囲は、使い続けることに加えて試行錯誤することで強化・拡大させることが可能。

 僕はもう、ワクワクしかしなかった。フェニクスに約束した通り、三年で僕は並の【黒魔導士】を超える魔力と技術を手にした。

 同時に、師匠の監督がなくとも常時魔力生成と魔法展開が可能になった。

 僕は常に身体に負荷を掛けている。軽度ではあるが物理・魔法共に攻防力低下、身体・思考共に速度低下、混乱・暗闇 くらやみ 状態だ。ダンジョン攻略は魔力体 アバター で行うので、問題も無かった。

 生身で魔法を解いたことはない。睡眠中すらも行えるように、師匠のしごきで鍛えられた。

 魔力生成と魔法展開をやめると殴り起こされるのだ。

 ちなみに冒険者育成機関にフェニクスと一緒に通うと噓をついて村を出て、師匠に世話になった。

 これが、本来不遇【役職 ジョブ 】である筈の【黒魔導士】になりながらも、強くなる方法。

 たとえば十年鍛えたと言う時、実際は全ての時間を鍛錬に使えるわけではない。

 だが僕に限っていえば、食事や睡眠、入浴中や娯楽に使う時間まで余すところなく修行の時。十年鍛えたと言う時、僕は十年まるごと鍛えている。

 戦闘系の【役職 ジョブ 】ではないからこそ出来る鍛錬。【黒魔導士】になったからこそ至れる境地。師匠がいなかったらこうはなれなかったし、大恩ある師匠を僕は絶対に裏切らない。

 夢を叶 かな えるのに努力するのは当然。必要な努力を全て教えてくれる人に恵まれるかどうかは運だ。

 僕は人に恵まれた。僕と二人で一位を目指すとか言い出す親友と、僕を弟子にして一人前になるまで面倒を見てくれた師匠。

 そして今で言えば、魔物側の勇者という道を示してくれたミラさん、雇ってくれたルーシーさんに、新たな友人ブリッツさん、そして癒やしの存在である可憐な秘書カシュ。

 どれだけ辛いことがあっても、ギリギリのところで僕は人に恵まれる。

「どうした、【黒魔導士】殿」

「あぁ、いえ……説明すると長くなるので」

「むぅ……そうか、ならばそれは別の機会にでも。だがもう一つは聞かせてもらうぞ」

 マルコシアスさんとフェニクスの一騎打ちで、僕は黒魔法を解いた。

「フェニクスが一対一を仕掛けて、マルコシアスさんは応じました」

「あぁ」

「なら、僕が何かするのは無粋 ぶすい というものでしょう」

「……漢 おとこ として大変に好ましい意見だが、冒険者は勝利することをこそ求められる。貴殿の選択で万が一にも【炎の勇者】が退場したらどうするのだ」

 ……あぁ、そういうことか。

「一対一であいつが負けることはありません。だから選択肢は勝つか負けるかじゃなくて、あいつとの一騎打ちに応えたマルコシアスさんの意思に僕も応えるか、応えないかです」

 一瞬、彼だけでなくミラさんやカシュもぽかんとした。

 しばらくして、運動場を響かせるような笑い声がする。

「ふはははははッ! それはいい! 友の勝利を確信し、敵の矜持 きょうじ まで汲 く んでみせるか。そこまで気持ちよく言い切られてしまうと、怒りも湧 わ かんよ! 実際完敗だったしなぁ!」

 彼はひとしきり笑うと、人間状態になった。銀の髪と赤い目をした高身長の男性で、精悍 せいかん な顔立ち。身体は狼化時よりも小さくなっているが、それでも大きい。

 彼は僕に向かって右手を差し出した。

「だがその【炎の勇者】を、貴殿は撃退するおつもりなのだろう?」

「はい。一緒に勝ちましょう」

「乗った」

 僕らは握手する。互いの魔力が指輪に流れる。

「オレ、【人狼】マルコシアスは貴殿の召喚に応じ、その敵を撃滅することをここに誓おう」

 誓いの文言に決まりはないらしい。強いて言うなら、召喚に応じる意思を示すこと。

「よぉし! これでオレと貴殿は兄弟だな! がっはっは!」

 彼は仲間を兄弟と呼ぶようだ。馴染 なじ みのない感覚だが、悪い気分ではない。

「では聞かせてくれるか兄弟。何故幼い少女を連れているのだ?」

 マルコシアスさんはカシュを見て言った。彼の疑問は尤も。彼はその場にかがみ込み、カシュを見た。元が大柄なのでそれでも目線の高さが合うということはなかったが、どうしても見下ろす形になってしまう先程までよりは威圧感は減っただろう。

「挨拶が遅れてしまったな、オレはマルコシアス。この魔王城で第四層を任されている者だ」

 僕の後ろに隠れていたカシュが、にゅっと顔を出して名乗り返す。

「か、カシュです……。れめ……さんぼーのひしょです」

「ほほう、秘書とな。なるほど参謀ならば補佐の一人や二人はついてもおかしくない。が、カシュ。お前は若すぎるのではないか? あぁいや、否定 ひてい するつもりはないぞ。ただ少し、気になってな」

 マルコシアスさんはカシュを心配しているようだ。

 カシュは僕を見て、ミラさんを見て、また僕を見た。

「カシュが嫌じゃなければ、言っていいんだよ」

 僕の言葉に頷き、カシュがぽつぽつと語りだす。

 それを聞いたマルコシアスさんは──男泣きした。

 目頭を押さえ、くッ! と堪えるようにしながらも涙を流す。

「レメゲトン、貴殿はやはり漢 おとこ だなッ! そしてカーミラ嬢も漢 おとこ だなッ!」

「いえ私は女です」

「そういうことではないのだッ!」

 ミラさんは冷静だが、褒められて悪い気はしないようだ。

「しかしそうなってくると、父親は何をしているのだ?」

 母子家庭なのは聞いたが、プライベートなことに突っ込んで聞くことは躊躇 ためら われたのでしなかった。マルコシアスさんは僕の魔力についても疑問を抱いたが、深く尋ねはしない気遣いも見せた。

 ただそれでも、気になったことは訊 き いてしまうタチらしい。その上で答えにくそうならば追求はしないというところか。

 カシュは少しだけ悲しげな顔になったが、躊躇いは見せなかった。

「宝くじを買いに行くといって……そのまま」

 帰ってこなかったのか。

 それが本当で、買いに行った先で何かしらの被害に遭ったなら家族にも伝わりそうなものだ。

 最初から疑って掛かりたくはないが、見知らぬ父親かカシュならば僕はカシュの味方。彼女を悲しませている時点で良い悪いなら悪いし、もし妻子を捨てて逃げたのならば……見つけなければならないだろう。カシュにバレないようになんとかしよう。

 万が一誰かに攫われたなら、助ければいい。どちらにしろ見つけねば。

 と、他の二人も同じことを思ったらしい。ただし、秘密裏にという考えはなかったようだ。

「そうか。ならばカシュ、父親の持ち物は何か家に残っているか?」

「え? いえ……その、自分のものは持っていってしまったようで」

 宝くじじゃないなこれ。

「どんな小さな物でもいいぞ。奴の匂 にお いが残っているものであれば、そこからオレ達が必ず見つけ出し──八つ裂きにしよう。二人もそれでいいな?」

 八つ裂きはダメじゃないですか? ダンジョンなら退場で済むけど、現実世界だとバラバラ死体が出来上がってしまう。

「いいえ、よくありません」

 ミラさんが言う。そうだ。ミラさんならばそう言ってくれると思っていた。

「それよりも生きたまま広場に磔 はりつけ にし、彼の罪を記した板を配置しましょう。沢山の籠を用意し中には石を盛るのです。そうすればものの数時間で妻子を捨てたことから果てはこの世に生を受けたことまで後悔する筈です」

 刑の種類が変わっただけだった。

「むぅ……しかし漢 おとこ の風上にも置けぬ輩 やから とはいえ、一方的に嬲 なぶ るのはよくなかろう。正々堂々正面から挑み、捻じ伏せるが正道」

「罪人に必要なのは罪を理解し悔いる程の罰です。切り裂かれて死んでは何を後悔出来ましょう」

「ふむ……そうか。レメゲトンはどう思う?」

 ここで僕に振るのかと困惑するも、なんとか気づくことが出来た。ミラさんが少し笑っている。

 冗談とは違うが、『そうしてやりたい程許せない奴だ』という話である、と判断。マルコシアスさんからは本気度が感じられたが、さすがに実行には移すまい。

「そうですね、許せないと思いますが、それはカシュが決めることかと」

 僕が言うと、マルコシアスさんは大きく頷いた。

「おぉ、まったくその通りだな。よしカシュ、オレ達は味方だ。お前が望む形で、悪い奴にバチを与えようと思う」

「え、えぇと……」

 カシュは困ったようにおろおろする。

「わ、わたしは……べつに、だいじょうぶ、です」

「何故だ?」

 彼女は小さな指と指をむにむにと絡ませながら、頰を赤らめ、声を上擦 うわず らせながらも言った。

「お父さんがいなくなったのは悲しかったですけど……その、それがあったから、てんちょーのところで働けて…………レメさんに、あえたので」

 ちらり、と僕を見上げるカシュ。

 ……………………ハッ。あまりの健気さに心が耐えられず意識が一瞬飛んでしまった。

 ミラさんは『分かる』とでも言いたげに頷き、マルコシアスさんは自分の膝 ひざ を叩いた。

「なるほどなぁ! 確かにオレもレメゲトンを追い出したというパーティーに憤 いきどお りを感じるが、そのことがあったから兄弟となれたことを考えれば、恨みも湧かん」

 ある一つのことが辛かったり悲しかったり悔しかったりしても、その苦しみの先で自分が何かを選び、それによって得るものがある。

 得たものが、自分にとって大切なものになった時。ある一つの嫌な記憶は、大切なものへと至る道の途中だったことになり、自分を永遠に苦しめるものではなくなる。

 事実は変わらない。捉え方が変わる。

 カシュがそんなことを考えていたとは知らなかったが、とても光栄に思う。

「ありがとう。僕もカシュに逢えたから、自分も頑張ろうって思えたよ」

 思わず頭を撫でると、カシュは控えめにくっついてきた。ミラさんが一瞬片頰を膨らませているように見えたが、瞬 まばた きの後には元に戻っていた。

「そうか。お前が納得しているならばオレ達が何かするべきではないな。だが困ったことであればいつでも頼るといい。まぁレメゲトン殿がいれば大抵の問題が片付こうが」

「買いかぶりですよ」

「いいえ、マルコシアスの言う通りです。レメさんは動ける【黒魔導士】ですから」

 ダンジョン攻略では【黒魔導士】としての役目を果たし、そこから逸脱するような動きはしなかった。ひったくりを捕まえたのはブリッツさんだ。

 ……ではミラさんは、僕が動けるという情報をどこで手に入れたのだろう。

 僕の視線に気づいたミラさんが、にっこりと微笑む。

 もしかすると、前にどこかで──?

「レメゲトン」

 マルコシアスさんが立ち上がり、僕を見た。

「オレはいつでも力を貸す。貴殿がどの階層の所属になり、どのように契約者以外の配下を得るかは分からんが、よければオレの兄弟も何人か使ってやってはくれまいか」

 僕も全て聞かされているわけではなく、そもそも決まっていないことも多いようだ。だが、このダンジョンはある問題を抱えていて、その解消の為にも雇われたのだとは理解している。

「そう、ですね。たとえば訓練を見学させてもらうことは可能ですか?」

「もちろんだ! 後でスケジュールを届けさせよう。可憐な秘書殿にお渡しするよう言っておく」

 仕事の話だと分かったカシュが「おまかせくださいっ」と元気いっぱいに応える。

「この後はどうするのだ? 一緒に汗を流すか?」

「なるべく色んな方に逢っておこうと思ってます」

 走り込みを続けている【人狼】さん達に目をやりつつ、やんわりと断る。

「そうか、そうだな! 次の機会とするか! 体力なら負けんぞ!」

「楽しみです」

 こう見えてあの師匠に鍛えられているのだ。いい勝負が出来るだろう。

 第二運動場から去る時、マルコシアスさんが思い出したように言った。

「レメゲトン、明後日は【炎の勇者】が五層を攻略するぞ! どうする?」

 そう。その情報はもう公開されていた。

「……そうでしたね。新メンバーもいるので、その子含め動きをよく見ておくようにお願いします。次に戦う時はフェニクス達もマルコシアスさんの戦い方を知っている。こちら側も同じように相手の動きを理解しておくべきです。これは卑怯 ひきょう なことじゃあない」

「はっはっは! 分かっておるとも。まぁ漢 おとこ 同士出逢ったその瞬間の力で戦ってこそとも思うが、これはダンジョン防衛でオレ達は魔物だからな。矜持もいいが仕事もせねば」

 プライドは忘れないが、柔軟な思考も持ち合わせている。好感の持てる人だな、と思った。

「貴殿は出ないのか?」

「魔王様が言うには、今フェニクス達に僕を当てるつもりはないようです」

「そうか。魔王様がそう言うならば、考えがあるのだろう」

 頼りになるフロアボスとは言え、仲間が二人では心許ない。担当する階層さえ決まっていないのだから、作戦も立てられない。

 だが、僕は予想していた。多分僕が任せられるのは、十層だ。

 ダンジョンは地下へ地下へと続く構造なので、魔王様のいる十一層のひとつ上ということになる。

 魔王城の皆さんを見縊 みくび っているわけではないが、あいつは絶対に第十層に辿り着く。それまでに仲間を集め、魔物側の立ち回りを己 おのれ のものとする。

「それじゃあ、また」

「あぁ、いつでも来い。カシュもな!」

「はいっ、まるこ……し、あすっ、さんっ!」

 ちょっと呼びにくかったらしい。

「カーミラ嬢もいつでも走りに来るといい」

「私は第一の方でやってるので」

「ふむ、そうか」

 そうして僕らは第二運動場を後にした。

【氷の勇者】を加えたフェニクスのパーティーが、魔王城攻略を続ける。

 親友との激突の日はきっと、そう遠くない。