ドコノマオウダ、って。
わけが分からない。何を言ってるのだろうと、言えればよかったのだけど。
「独学では有り得ない。その境地は……魔王が我が子に施 ほどこ す『教育』を経なければ至れないのだ。とうに廃 すた れた風習だがな。なにせ、百人いた子供が百人命を落としたこともあるというのだから」
僕の胸の内に広がったのは、納得だった。
あぁ、やっぱり師匠って魔王だったんだぁ、と。
僕とフェニクスの出身は鄙 ひな びた村。映像板 テレビ だって村の集会場に一台あるだけだったので、ダンジョン攻略が放送される時には老若 ろうにゃく 男女 なんにょ が詰めかけたものだ。
そんな村から更に人気 ひとけ を避けて進んでいくと、師匠の家があった。人と関 かか わることを極端に避ける老人で、魔王様のように深い紅 くれない の髪と目をしていた。
森で遊んでいた時にたまたま彼と遭遇した僕は、村には亜人がいなかったこともあって初めて角の生えた人間を生で目撃したことに大興奮。
しばらく彼の回りをうろちょろしては追い出され、尻 しり を蹴 け っ飛 と ばされ、げんこつを落とされ、低めの声で二度と来るなと脅されたりなどしながら親交を深めていった。
老人との関係が変わったのは、神殿で【役職 ジョブ 】が【黒魔導士】だと判明してからだ。
たっぷりと落ち込んだ後なんとか立ち直った僕は、かつて老人に追い出される際に身体 からだ が重くなったり、急に視界が悪くなったり、他にも色々と不思議なことが起きたことを思い出した。
てっきり断られると思ったが、老人は僕が【黒魔導士】であり、それでも勇者を諦 あきら めきれないと言うと弟子 でし にしてやると言った。ただし、一度でも「出来ない」とか「無理」だとか弱音を吐いたら、二度と教えない。加えて、例の他言無用ってやつだ。
僕は承諾し、地獄のようなというかそのものずばり地獄の苦しみを味わい尽くし、なんとか基礎を叩 たた き込 こ んでもらった。後はもう「日々の訓練を忘れるな。そして冒険者になったら二度とうちに来るな」という温かい別れの挨拶 あいさつ をいただき、師の許 もと を後にした。
その件について心優しき親友のフェニクスは「……それは弱音を吐かせて追い出そうとしたんじゃ……いや、さすがレメだね」と言っていたか。ちなみにフェニクスは僕と行動することが多かったので師匠を知っているし、師匠も彼だけは例外として認めてくれた。
決して、どっちも冒険者になって村からいなくなるんだしいいやという気持ちでは無かった筈 はず だ。
でもそうか。聞いたこともない古 いにしえ の魔法とか使うし、すごい魔人だなとは思っていたけど。
魔王だったのか、師匠。
ちなみに魔王も【役職 ジョブ 】だ。【魔王】が発現するのは基本的に魔人だけで、戦士としても魔法使いとしても優れた才能を有し、カリスマまで備えている者だけが認められる、らしい。
こういう、一つの【役職 ジョブ 】に複数職の適性や技能が備わっていることもある。
【黒魔導士】がまともに使えるのは黒魔法だけなのにね。
「レメさん、何か心当たりはあるでしょうか」
ミラさんが答えを促 うなが すように、僕を見上げていた。
そんなふうに見られたらどんな情報でも吐いてしまいそうになるが、だめだ。
師匠は誰 だれ かに自分のことを知られるのを嫌がっていた。
「あー、っと……なんというか」
僕はなんとか誤魔化 ごまか せないかと考える。
あれ……? ちょっと待てよ。魔王様、さっき変なこと言ってなかったかな。
百人いた子供が百人死ぬこともある『教育』……?
過酷 かこく さで言えば納得だが、そのあたりは心配したことがない。師匠はちゃんと毎日「ちっ……これ以上やらせたら死ぬな。おいレメこの根性なし、貧弱なお前が死なないように今日はここまでだ。二度と来なくていいぞ」と僕を気遣ってギリギリを見極 みきわ めてくれたし。
あれが無かったら死んでたかもしれないけど。もしかすると昔は子供が死ぬギリギリでも訓練をやめなかったのだろうか。スパルタの域を超えている。
「レメ、余の問いに答えよ」
魔王様の声は高圧的だが、形だけという気がする。
そもそも僕はそれなりに知られているので、経歴とかも検索すると出てきてしまう。まぁ有志が管理する冒険者データベースでも、パーティーで露骨 ろこつ に僕の情報だけ雑で少ないんだけど。
それでも出身地くらいは分かる。
本気でその魔王を探すつもりなら、僕から答えを引き出すのは情報の確度を高める程度にしか役立たない。噓 うそ をつく可能性を考えれば、無理して吐かせる必要はない。
「それは出来ません」
「何故 なぜ だ」
「約束を破る人間になりたくないから」
魔王様の視線を真 ま っ向 こう から受け止める。決してこちらからは逸 そ らさない。
やがて、根負けするように魔王様ことルーシーさんが肩を竦 すく めた。
「分かった。もうよい」
「すみません」
「よいと言った。だが一つ、その者は余と同じ髪と瞳 ひとみ 、角をしてはいなかったか」
「……」
噓をつきたくない気持ちと本当のことを言えない約束がせめぎあい、沈黙となる。
「そうかそうか。ところでレメよ。孫を放って隠居する祖父 そふ をどう思う?」
魔王様は満面の笑みを浮かべている。心が笑っていないのがよく分かる笑顔だった。
──師匠、お孫さん放って田舎 いなか に引っ込んでいたんですか。
というか魔王城の魔王だったんですか。
先代がルーシーさんの父母いずれかだとすると、先々代となるか。
先々代魔王城の主といえば、実はかなり有名だ。
ダンジョン攻略を「まどろっこしい」と言って自ら第一層のフロアボスを務め、たった一パーティーも二層に進ませなかった。これまで数回しか開催されたことのない、複数パーティーによる合同攻略・通称レイドも一人で撃退したという伝説の【魔王】だ。
「まったく……お祖父様 じいさま といいあの男といい、【魔王】を投げ出すとは実に嘆 なげ かわしい……と、言いたいところだが僥倖 ぎょうこう だ。いやはや、こんなところで縁が繫 つな がろうとはな」
もう僕の師匠イコール魔王様の祖父ということで決定らしい。それよりも、魔王様の態度が変わった。劇的ではないが、なにかこう、定まっていなかった評価に結論を出したみたいな。
先程まで僕という人間を探ろうとしていたのに、なんか受け入れ態勢整いましたみたいな。
「あのお祖父様に『教育』されて生き延びた人間がいるとはな。ははっ、カーミラよ、貴様の目は正しかった。こやつは本物だ」
「いえ……さすがに私もここまでの御方だとは」
なにやら師匠の弟子だということが僕の評価を凄 すさ まじく上げているらしい。
ミラさんの僕を見る目に、畏 おそ れが加わった気がした。思わず見返すと、彼女の唇 くちびる がふにふにと揺れ、視線が逸らされる。僅 わず かに頰 ほお が赤くなっているように見えるが、どうだろう。
「先程まで貴様を見定めるつもりであったが、不要となったな。レメよ。貴様を私の直属の配下としよう。えー、なんといったか」
「参謀でしょうか」
「そうだ。四天王と共に魔王城を大いに盛り上げてくれ」
「え、いや、あの、えぇと、僕は、話だけは聞こうと来ただけで」
「給料なら心配要らんぞ。しばらくはカーミラを助手につけよう。おっぱいを揉 も みたかったら自分で交渉しろ。知っての通りダンジョン攻略は予約制だ。勇者共がこない日は好きに過ごせ。大丈夫だ参謀よ、世界四位など敵ではない。貴様であれば世界一のフロアボスになれるぞ!」
子供のように輝いた目で僕を見るルーシーさん。いっそ社長とでも呼ぶか。
「レメさん」
ルーシーさんを手で制し、僕の前までやってきたのはミラさんだ。
「無理にとは言いません。ですが私は貴方 あなた と一緒に働けたら……とても嬉 うれ しいです」
いや、僕だってミラさんが助手をしてくれるという部分は大いに惹 ひ かれるけれども。
「話は聞いてくださるんですよね?」
「まぁ、それは……はい」
「では少しだけ、貴方を説得させてください」
潤 うる んだ瞳で見上げられ、僕は頷 うなず くしかなかった。
「レメさんはとても優秀な【黒魔導士】です」
ミラさんはそう切り出した。
僕にもその自負はあるので、否定 ひてい も謙遜 けんそん もしない。
「レメさんは【勇者】にこだわりがあるようですが、どこに魅力を感じているのでしょう」
「どこって……」
格好 かっこう いいじゃないか。
娯楽のない故郷の村で、ダンジョン攻略は貴重な楽しみだった。【勇者】がいなければパーティーは組めない。それだけ【勇者】は特別なのだ。
神に愛されているとしか思えない存在。個人差はあるが、魔法にしろ武技にしろ常人を遥 はる かに凌 しの ぐ速度で上達する。努力の密度や成果からして特別。画面の向こう側で誰よりも目立ち、数も大きさもものともせず敵を倒してしまうのだ。
憧 あこが れてしまったものは、仕方がないじゃないか。
「派手で見栄 みば えのいい活躍でしょうか? あるいは知名度や称賛?」
言われて初めて、僕は自分の中の憧れが明確な形を持っていないことに気づいた。
いや、正確には明確な形を見失っていたことに、だ。
今ミラさんが言ったことは、子供心に惹かれた要素や、想像した未来でもある。あぁ自分で直接戦って敵を倒したかったさ。派手な剣技を披露して、炎とか氷とか出すんだ。街を歩けば皆が僕に気づいて、活躍を称 たた えてくれる。ダンジョンでギリギリの戦いをして、刺激の多い人生を送る。
子供の夢だ。自分に都合がよくて、良いことだらけの未来図。
「レメさんは冒険者の方々にご自身の力を示すおつもりがない。だからこそパーティーから追い出される形で脱退することになった。合っていますか」
「……そう、ですね」
「新しい仲間が見つかっても、その点は変わらないのではないですか?」
「はい……」
その通りだ。そもそも四位のパーティーにいたのに数週間掛けて次の仲間が見つけられないのは酷 ひど い。他のメンバーだったら引く手数多 あまた だったろうに。
「冒険者業界は【黒魔導士】への風当たりが強いと感じられます。パーティーメンバーは五人という規程もそれに拍車を掛けているように思います」
否定するところがない。その通りだと思う。
「このままでは、次のパーティーを見つけられたとしてもレメさん、貴方は決して勇者になることは出来ないでしょう。冒険者での【黒魔導士】の扱いを見れば、誰でも気づくことです」
その通りだ。僕に限らず、【黒魔導士】で自分がチームの売りになると思っている者などほとんどいないだろう。それどころかいつ追い出されるかヒヤヒヤしている人の方が多いのではないか。
これまでのやり方では、【黒魔導士】の僕に先はない。分かっていたことだ。
分かっていたことなのに、諦められなかっただけ。
「魔物になればそれが変わるんですか?」
期待からではなく、単に疑問として口にする。
「変わります」
ミラさんは断言した。彼女の表情は真剣そのもので、男の情感をそそるような仕草も無し。
何の裏もなく、彼女はただ自分の思いを言葉にしたのだと分かった。
「レメさん、そもそも勇者とはなんでしょう。【役職 ジョブ 】の話ではありませんよ」
勇者。勇気のある者。どんな困難にも挫 くじ けず、必ず勝利を摑 つか む者。
いや、僕の心の中にはもっと強く刻まれた勇者の定義がある。
それはもらったばかりだけど、既に宝物となった言葉。
──『名誉ではなく正しいことの為 ため に動ける、そういう人間をこそ、本来勇者と呼ぶべきなのです』
でも、この場合の正しいこととはなんだろう。
「私達魔物は、狩られる為だけに存在する獲物でしょうか?」
「まさか。怖い魔物がいるからダンジョンはドキドキして、強い魔物がいるから勇者達の応援に力が入るんだ。魔物は冒険者と対等。獲物だなんて思ったことはないですよ」
ミラさんは一瞬だけ、嬉しそうな笑みを漏 も らした。
「そんな貴方だから、私は声を掛けようと思ったのです。優しく、強いレメさんだから」
ようやく、彼女の話が見えてきた気がする。
「私達にも必要なんです。人が冒険者の活躍に興奮し、元気づけられるように。亜人には魔物の象徴が必要なのです」
「それは、分かる。分かります。だけど、【魔王】がいるじゃないですか。冒険者で言う【勇者】のようなものでしょう」
「その通りですが、【勇者】と【魔王】には大きく異なる点があります」
「異なる点……あぁ、そうか。──【魔王】は最深部で待つ存在」
「そうなのです。【勇者】は常に画面に映る希望ですが、【魔王】は敵が最深部に到達した場合にしか姿を現すことが出来ません」
師匠のようにセオリーをガン無視すれば別だが、そうしたら今度はダンジョン攻略そのものがつまらなくなってしまう。
「僕が魔物としてここで働いても、【黒魔導士】ですよ? 希望になんてなれるでしょうか?」
「【黒魔導士】だからこそです。貴方の魔法は冒険者を苦しめますが、観 み ている者にはよく伝わらないでしょう。ですが敵と仲間は別です。明らかに動きの鈍った敵を仲間が退場させていく、その姿だけが視聴者の分かる全 すべ てになります」
最高難度と名高い魔王城の攻略は注目度が高い。そこで、フロアボスでもない魔物が冒険者をバッタバッタと退場させる。魔物になることを躊躇 ためら う亜人の中には、その映像を見て自分でも冒険者を相手どれるかもしれない、と考える者が現れるやも。
「──僕の魔法で、他の魔物達に活躍の場を与えられる?」
元々【黒魔導士】とはそういう【役職 ジョブ 】だ。
だが前の仲間は僕の魔法をあてにしていなかった。ここでは、違う?
「魔物であれば正体を隠すのは普通のこと。レメではなく謎 なぞ の【黒魔導士】としてならば実力がバレても問題ないのではないですか? もちろん隠し通したいのであれば手は講じます」
【黒魔導士】として、冒険者よりも魔物の方が職場環境がいいのは分かった。こちらであれば僕の行いで勇気づけられる者がいることも。
「レメという個人への名誉も、勇者側という立場も、与えられません。それでも、貴方次第で私達は救われます。懸命に生きる魔物達が、明日も頑張れるように。単なる負け役ではなく、時に主役を食ってもいいのだとまだ見ぬ亜人が思えるように」
ミラさんは、僕に希望を見出している。
こんなにも期待されたのは、いつ以来だろう。きっと、【役職 ジョブ 】が判明する前の子供時代まで遡 さかのぼ らねばなるまい。
レメさん、と彼女が僕を呼ぶ。すぅと息を吸い、ミラさんは言った。
「どうか、私達の勇者になってはくれませんか?」
どくんっ、と心臓が一際 ひときわ 高く跳ねる。
幼い頃に、夢見た形とは違うけれど。僕が【黒魔導士】として、勇者になれる場所があるのか。
仲間を助けることが出来て、その勝利に貢献することが出来て。
僕らの戦いを見て、元気づけられる人がいるかもしれない。
もちろんそれは、勇者側の勝利を望むファンをがっかりさせるということになるのだが。
でも、勇者ばかりが勝って気を落とす人もこれまではいた。
僕の立ち位置が変わるというだけ。後はそれを選択するかどうか。
「よろしくお願いします」
気づいたら答えていた。
その日、世界四位の勇者パーティーを追い出された僕は再就職に成功した。
職場は魔王城。立場は参謀。仕事は勇者パーティーを撃退する策を考え、実行すること。
【役職 ジョブ 】は【黒魔導士】で、目指すは人知れぬ勇者。
親友のパーティーと激突する未来を予期しながら、僕に迷いは無かった。
彼女を見ると、ぽかんとしていた。即答したことが意外だったのだろうか……いや。
彼女の顔が、ゆっくりと喜色 きしょく に染め上げられていく。嬉しいことが起きた時に一瞬頭が真っ白になって、後から徐々に現実感が湧 わ いてくるみたいに。
「ほ、ほんとうですか?」
不安そうに確認してくるミラさん。
「今日から同僚ですね。ミラ……先輩、と呼んだ方がいいでしょうか」
僕が頷くと、ミラさんの瞳がじわりと水気を帯びた。
えっ。僕は慌てる。何かまずいことを言っただろうか。
「ごっ、ごめんなさい……自分で声を掛けておいて、引き受けていただけるとは思わなくて。とても、とても、嬉しいです」
どうやら先程のは……その、嬉し泣 な き的なやつのようだ。いや、涙にはなっていないか。目がうるうるしているだけで。それでも、自分の選択をこうも喜ばれるというのは、むず痒 がゆ い。
「それと、私のことはミラで大丈夫ですよレメさん。勤務中はカーミラとお呼びください」
ミラさんは潤んだ瞳のまま、花咲くような笑みを浮かべた。
心臓が止まるくらい魅力的で、僕は思わず自分の胸に手を当ててしまった。
あぁよかった。止まってない。
「うむ! よくぞ決断したなレメよ。いや……レメゲトンよ!」
魔王様が元気いっぱいに叫 さけ ぶ。自分の席で腕を組み、僕ら二人を見て満足げに頷いていた。
「れめ……なんです? レメ、ゲトン?」
「カーミラの話が始まってからずっと考えておったのだ。新入りのダンジョンネームは当代の魔王が決める慣例だからな」
「あぁ、そういうものなんですね。じゃあ僕のダンジョンネームがその、レメゲトン?」
「よい響きだろう? これから魔物を率いる貴様に相応 ふさわ しい名だ」
ミラからカーミラもだけど、本名が含まれている。
「ありがとうございます。でも……その、バレはしないでしょうか。『レメ』って入っていますし、【黒魔導士】ですし」
「そこは抜かり無い! 貴様には魔人のフリをしてもらうからな。魔力体 アバター に角を付けてやるぞ。貴様の実力ならば不審がられることもあるまい」
エンターテインメント化にあたって、ダンジョン攻略は命に危険が及 およ ばないように様々なシステムが開発・導入された。
中でも魔力体 アバター と退場措置は重要だ。
ダンジョン攻略&防衛は魔力で作られた分身を用いて行われる。生身の身体は専用の装置に繫がれ、そこで分身と精神をリンクさせるのだ。
分身は作るのに時間と魔力と金が掛かるが、生身と変わらない能力を誇る。
ちょっと肌ツヤをよくしたり髪型を変えるくらいは問題ないが、本体と見分けがつかなくなる変更は出来ない。というか違法だ。
分身は魔力体 アバター といって、魔王様は僕の魔物としての魔力体 アバター に角を付けることで魔人であると印象付けようというのだ。
これは違法ではない。角のあるなしで人が見分けられなくなることはないし、ちょっと髪を伸ばすとかと同じ扱いだ。逆に亜人の冒険者などは魔力体 アバター で特徴を消すことがある。動物の耳や尻尾 しっぽ を消したり。
フェニクスのパーティーに所属しているエルフの【射手】リリーにも、当初そんな話が出たことがある。いわゆるエルフ耳を隠すかどうかで、アルバと喧嘩 けんか になっていた。
アルバは耳を隠すべきだと言い、リリーは頑として譲らなかった。結局はフェニクスや僕も彼女側に回ったことでそのままになったという経緯がある。
エルフはほとんど人間と見た目の違いがなく、また総じて美しいので近年は人気を増している種族だ。エルフの冒険者も年々増えている。
ただどうしても人間だけで戦ってほしい視聴者もいて、アルバはそこを懸念 けねん したのだろう。
【黒魔導士】がいてもエルフがいても、世界四位になれた。
でもアルバはまだ満足していない。いや彼の話はいいか。
「あと、もったいないですが仮面も付けていただきましょう」
ミラさんが言う。
「もったいないぃ? 見せつける程の顔ではあるまい」
「魔王様?」
「……ま、まぁ見ようによっては魅力的と言えなくもないというか趣味なんて人それぞれというか余の好みに外れているだけで好ましく思う者も世界には沢山いるのではないかと思えてきたぞ」
ミラさんの冷たい微笑 ほほえ みにルーシーさんが意見を突風の如 ごと く翻 ひるがえ した。
「魔王様を脅すな、吸血鬼。二度目だぞ」
僕はちょっと驚く。これまで沈黙を貫いていた魔人の男性が声を発したのだ。
銀の髪を後ろに撫 な で付 つ け、露出した額の両端から山羊 やぎ のような一対の角が生えている。燕尾服姿で、二十代後半くらいに見える男性だ。
「あらアガレス、いたのね。気づかなかったわ」
ミラさんが唇だけで微笑み、アガレスと呼ばれた男性を見た。
「魔王様が我らを脅し魔物がそれに喜んで屈することはあっても、魔物の側が魔王様を脅すことなどあってはならない」
上下関係に厳しそうな人かな……と思ったがなんか変なフレーズが無かったか?
えぇと確か……と思い出していると男性が立ち上がり、僕に一礼した。
「ご挨拶が遅れました。私は魔王城四天王が一角・【時の悪魔】アガレスと申します。この度は参謀へのご就任、誠におめでとうございます」
あ、そうか。なんだかノリで決めているみたいだったから忘れていたけど、参謀は魔王直属。四天王より位は上ということになるのだ。
それにしてもいきなりやってきた人間、しかもパーティーを追い出されて路頭に迷いかけている【黒魔導士】が上司になったというのに、なんて丁寧な対応なのだろう。
「へぇ、貴方はレメさんの実力に懐疑的だったのではなかったかしら」
ミラさんが皮肉げに言うと、アガレスさんが再びミラさんを見る。
「私は貴様と違い、直接参謀殿の魔法を受けていない。魔王城攻略以前から貴様が彼に執心していたのは知っていたからな、報告にも私情が入ってやしないかと疑うのは当然のことだ」
「確かに私は以前からレメさんの攻略映像を観ていたけれど、それを貴方に言ったことはなかったわよね。何故当然のように乙女 おとめ のプライベートな情報を把握しているのかしら。気味が悪いわ」
冷たい表情を維持しているが、ミラさんの顔が少し赤くなっている。
ファンだと言ってくれたあの言葉は、本当だったらしい。改めて嬉しくなる僕だった。
「すまんカーミラ、余が話してしまった」
「……魔王様」
「すまんってば!」
「魔王様を睨 にら むな不敬だぞ。魔王様が我らを睨むのは最上のご褒美 ほうび だが、逆はあってはならない」
やっぱりこう、上司と部下の関係をしっかりと守る感じの人のようだ。
でも……やっぱり違和感があるんだよな発言に。
「黙りなさいよロリコン悪魔。逮捕だけはされないでくださいね不祥事は困るので」
「愚 おろ かな。私は幼心の守護者を自認している。幼き命こそ至上、しかし触れることなかれ。これが真の守護者の信義だ。天使を欲望のはけ口にしようと考える下衆 げす と同列にしないでいただきたい」
「何が守護者よ罵倒 ばとう されたり踏まれたり睨まれたりしたら喜ぶくせに。魔王様気をつけてくださいね。変なところマッサージしてほしいとか言われても応じてはいけませんよ」
「ふざけたことを抜かすな! 私は魔王様を心から敬愛している。そのような犯罪者まがいの要求をするわけが……あぁ魔王様、蔑 さげす むような目はおやめください! 私は貴女様 あなたさま を傷つけるようなことは決して致しません! ……可能ならばもっと視線をきつくとかお願い出来ますか?」
「捕まった方がよくないですか、貴方。レメさん魔物はこんな変態ばかりではないので安心してくださいね。そして私は純粋にレメさんのファンなのであって部屋にポスターをベタベタ貼 は ったりだとか電脳 ネット に上がっているプライベートの隠し撮り写真を蒐集 しゅうしゅう したりとか、配信動画に『もっとレメを映せよ編集の無能め』なんて書き込みしたりとか、そういうことは一切 いっさい まったくしていないので、そのあたりのことはご理解いただければと思います、はい」
アガレスさんは純粋な子供好きでちょっと変な性癖 せいへき があり。
ミラさんは何もおかしなところのない良きファンなわけだ。
なるほど、僕は理解した。
世渡りのコツは、触れてはならないと判断した部分には触れないことだ。
「あ、あの。お二人の話は分かったので、魔王様に話の続きを聞いてもいいでしょうか?」
喧嘩の仲裁よりも、中止を促す。どちらも嫌とは言わなかった。
「失礼しました参謀殿」
「ご、ごめんなさいレメさん……うぅ、恥ずかしい」
アガレスさんは頭を下げて着席。ミラさんは頰を両手で挟み、赤くなった顔を隠そうとしていた。
「おぉー、やるではないかレメゲトン。それでこそ参謀というものだ」
褒められるほどのことではないので、僕は苦笑するに留めた。
「いえ。話を戻しますが、僕は角と仮面、後は衣装で正体を隠すということでしょうか?」
「それで充分だろうが、貴様は余程名前の一致が気になるようだな。だが余はあの名が気に入った、故 ゆえ に決定は覆 くつがえ さん」
魔王様にそう言われては、部下である僕に言えることはない。
「代わりというわけではないが、貴様にはこの指輪をやろう」
そう言って彼女が何かを投げた。いや、指輪か。受け取ると、動物の骨で作られた指輪だった。
「これは?」
「自分と契約した者を召喚することが出来る魔法具だ。契約したい相手と貴様の魔力を指輪に同時に流し込み、言葉で誓いを立てれば契約完了というお手軽召喚アイテムである」
……それ、すごくないですか?
魔法具とは、かつてある種族に創られた道具のこと。それらは皆不思議な能力を備えている。
アルバの魔法剣もそうだし、この指輪も魔法具だという。
魔法具はとても貴重なものだ。今の時代、新しい魔法具を創れる者はいない、とされているからだ。というのも、その種族というのが既に絶えてしまっているのだ。公的には絶滅している。
なものだから、魔法具はとにかく高価だ。アルバは親父 おやじ さんからもらったのだったか。
参謀待遇とはいえ、指輪をポンと寄越 よこ した魔王様は相当な太っ腹だ。
僕が祖父……師匠の弟子ってことも関係してるのかな。
「登録出来るのは七十二体までだから気をつけろ。それとしばらくは契約相手を我が配下に限定させてもらう」
つまり、僕は最大で七十二人の魔物を好きな時に喚 よ び出せるわけだ。
なるほど、呼び出した人に冒険者を追い払ってもらえ、ということか。これならば固定の種族ではなく、色んな人達を勝たせてあげられるし、それだけ多くの種族に希望を与えられる。
魔物側の勇者になる為に大いに役立つアイテムであり、同時に人間レメとの大きな相違点になる。
これならば少しくらい黒魔法を使おうがレメゲトンとレメを結びつける者はいないだろう。
僕は指輪を握りしめた。
「ありがとうございます、大切にします」
それからも魔王様やミラさん、アガレスさんを交 まじ えながら仕事についての説明を受けた。
空席となっている四天王の椅子 いす に座らせてもらい、話を聞く。
冒険者とダンジョン側は商売的には持ちつ持たれつの関係だ。ダンジョンを攻略するにはまず予約をとって、攻略料を払わなければならない。ちなみに攻略料は入場ごとに掛かり、階層ごとに料金が上昇する。これは深くなるほどに攻略難度が上がり、それを視覚的に示す為に内装に凝ったり、強い魔物を雇う為の金が掛かるからというのが一応の理由。
また冒険者が配信に使う映像は当然ダンジョン内で撮影されるモノなので、これも買い取りという形になる。ダンジョン内は破壊されても魔力で修繕されるが、不必要な破壊行為が確認された場合は修繕費も請求される。
まぁこれはそう言っておかないと壁を魔法でぶちぬいてショートカットを試みたり、敵に対して明らかに強すぎる魔法をぶつけたり、ちょっと自分達が不利になるとカメラを破壊したりする者がいるので、抑止の為に必要な項目だろう。
ダンジョンは自前の魔力体 アバター 生成・調整装置を備えており、冒険者にも貸し出している。金は掛かるが専門の店で頼むよりも割安で、攻略直後は更に割引されるので魔力体 アバター が傷ついた者はそのダンジョンで直すことが多い。
他にもセーフルームには魔力体 アバター の損傷を一時的に回復するアイテムなどが割高で販売されていたりする。
後は、攻略予約のない日は一般人のダンジョン見学を受け付けたりしている。
たとえば僕がフェニクスのパーティーで最後に行った攻略。第四層だ。人狼 じんろう が多かった。
あれは電脳 ネット 配信ではなく映像板 テレビ 放送だったのだが、放送直後に観光客が押し寄せたらしい。魔王城はフェニクスパーティーとの戦闘痕 せんとうこん を敢 あ えて修繕せず客を迎え入れた。
お客さん達はそれはもう大盛り上がりだったという。
【戦士】アルバの魔法剣が敵を薙 な ぎ払 はら う時に地面に擦れた痕 あと や、【狩人 かりゅうど 】リリーの放った矢の刺さった壁や地面、【聖騎士】ラークが盾 たて で弾 はじ き飛ばした魔物が壁にめり込んで出来た人型の凹 へこ み、【勇者】フェニクスが押し寄せる敵をまるごと焼き尽くした通路などなど。
いわゆる聖地巡礼だ。しかも場所は最高難度を誇る魔王城。
……フロアを突破されたのに商魂たくましいなぁと思ったのは内緒である。
もちろん【黒魔導士】レメの活躍は映像的にゼロだったので、刹那 せつな 的な名所も無しだ。
優しいミラさんは、
「十字路の三方向から【人狼】が雪崩込 なだれこ んできた際パーティーの中で唯一 ゆいいつ 動じず一歩も動かないまま全ての敵に『速度低下』を掛けていましたし、罠 わな が作動して地面が揺れた際に壁に手をついていたのも可愛 かわい かったですし、【狩人】の矢があたりやすいように『混乱』で魔物を密集させていた技術は魔王掛かっていますし、【聖騎士】が敵の攻撃威力を見誤ってあわや大ダメージを負う寸前の瞬間的な敵攻撃力低下率強化と敵の両腕に低下率の異なる『速度低下』を掛けることで斬撃をブレさせたシーンなんて鳥肌が立ちましたし、挙げていけばキリがありませんが中でも特に素晴らしいのはフロアボス戦です! いったいあの短い時間の中にどれだけレメさんの好プレーがあったことか! 私が特に感動したのは──」
と数分にわたってベタ褒めしてくれた後で、我に返って赤面してしまった。
机に突っ伏してしまうミラさんを横目に、僕は感動で胸がいっぱいだった。
【黒魔導士】なのに冒険者になると選んだのは僕だし、師匠との約束を破るつもりもない。
目立たず、それでも仲間の勝利の為に全力で魔法を使い、攻略に貢献する。
それでいいと思っていた。でも本当は、どこかで認められたいと思っていたのだろう。
だって、ミラさんの言葉がこんなにも嬉しいんだから。
ミラさんは本当に熱心に僕の攻略映像を観てくれているようだ。もちろん僕が何をしたか分かるのは彼女自身が優秀な戦闘職ということも関係している……筈だ。他にも何か理由があるのだろう。
同僚なんだし【人狼】から話を聞くとか、魔王城職員だから元の映像データを入手して、編集でカットされる部分まで確認するとか。
めちゃくちゃ嬉しいのは事実だが、バレないようにやったつもりのことがほとんど見抜かれていることへのショックもある。
というか、だ。ミラさんはどうして【黒魔導士】レメをそこまで熱心に観てくれるのだろう。
「今日はここまでにしようかの」
仕事のことで知るべきことは沢山あるが、いきなりダンジョンを任されるわけでもない。今日一日で詰め込まなくてもいいだろう。僕は魔王様の言葉に頷く。
「近いうちに歓迎会を開催する。アガレス!」
「はっ……会場の手配はお任せください。魔王様の好物である甘味 かんみ を各種揃 そろ えた店を予約します。ところで魔王様の隣の席に座るという栄誉を賜 たまわ りたく存じます」
「ヤ。変なところマッサージしろとか言うのであろ?」
魔王様はわざとらしく自分の肩を抱き、蔑むような目を彼に向けた。
「ぐはっ……! ですからそんなことは致しません! そのような疑惑の視線を忠義者である私に向けられるとは……魔王様……ありがとう、ございます……!」
苦しそうだが同時に嬉しそうでもある。僕はそっと視線を逸らした。
魔王様やミラさんの気安い態度からすると、変態的な性質を持っていても犯罪行為に手を染めているということはあるまい。ならばちょっと嗜好 しこう が変な人という認識で充分。
結局一度も口を利 き かなかった黒騎士さんに目を向ける。
「……あぁ、この子ずっと寝ていたのでしょうね」
蔑むようにアガレスさんを睨んでいたミラさんが、僕の疑問に気づいて説明してくれた。
一人が欠席で一人がずっと寝てるとは、中々面白 おもしろ い四天王だ。
「外までお送りしますよ、レメさん」
彼女に促され、僕は魔王様とアガレスさんに声を掛けてから会議室を後にする。黒騎士さんにも挨拶したけど、やはり寝ているのか反応はなかった。
試着室もどきの個室に戻る。二人だとやはり狭いが、今の僕はまだ魔王軍としての登録証を持っていない。なのでミラさんに触れている状態で一緒に記録石を使うことでしか移動出来ないのだ。
「今日はすみません……お恥ずかしいところを沢山見られてしまいました」
「い、いえ。あんなふうに褒められるのはあまりない経験だったので、すごく嬉しかったです」
「そうなんですか? その、気持ち悪い女だと思われていないのなら、よかったです」
「思うわけないですよ」
不思議な女性だとは思うけれど。僕の言葉に、ミラさんは心底ほっとしたように息をついた。
「よかったです……レメさんは、本当に優しいんですね」
「そんなことは……」
「あの、ど、どこまでなら許してくださいますか?」
ミラさんが僕を見上げる。狭い部屋で、身体がほとんど密着するような距離で、彼女は言う。
「い、今から少し暴走してしまうので、嫌ならそう仰 おっしゃ ってください」
そう前置きしたミラさんは僕の腰に手を伸ばし──ポケットに手を入れた。
最初こそビクッとしてしまった僕だが、彼女のやろうとしていることを知り任せることに。
僕が魔王様からもらった指輪を、ミラさんは取り出していた。
「こ、これの効果は魔王様に聞きましたよね」
彼女が緊張しているのが伝わってきて、僕まで声が上擦 うわず ってしまう。
「は、はい」
「実はこれ、順番も記録されるんです」
「順番?」
「は、はい。たとえば……レメさんが私と契約してくださったのなら、レメさんには私が『初めての契約者』だと分かります。同様に……私にも自分が『一番目の魔物』であると分かるんです」
「な、なるほど……」
彼女の顔が沸騰しそうな程に赤くなってきた。
「わ、私ほんとにレメさんのファンで……魔王軍への勧誘を提案したのも私ですし、今日ここまでお連れしたのも私ですし、それにしばらく助手を務めるのも私ですし……仕事の説明中に隣の席だったのも私で……えぇと、えぇと?」
ミラさんは自分で言っていてよく分からなくなったのか、首を傾 かし げた。僕は彼女の言葉を待つ。
「ですから、つまりですね……!? あなたの初めてにしてはいただけませんか!? …………と、いうことなのです」
勢いで言い切った彼女は顔をボッと真 ま っ赤 か にして、俯 うつむ いてしまう。
今日会ったばかりだが、こんな彼女はもう二度と見られないのでないか。それくらいミラさんは緊張していて、勇気を振り絞ったのが分かる言葉だった。
「ミラさん」
僕は一瞬躊躇ってから、意を決して彼女の肩をそっと摑む。ぴくっと揺れる華奢 きゃしゃ な身体。
「ひぁ……い。はっ、い、レメ、さん」
「僕の方からもお願いします。初めて契約する魔物になってくれませんか」
実のところ、僕もそれを期待していた。ミラさんの強さは知っているし、少し悪戯 いたずら っぽい態度もとるが優しい人というのも分かる。
ただ情けないのは、彼女に言わせてしまったこと。
ミラさんはバッと顔を上げ、僕の目を見つめる。
彼女の目は水気を帯びていて、頰は上気し、その唇は艶 つや めいていた。その唇が開かれ、牙 きば が覗 のぞ く。
「……吸いたい」
「え?」
「はっ! い、いえ、なんでもないです!」
吸いたいって……なんだろう。吸血鬼だから、血だろうか。
このタイミングで血を吸いたくなるのって、吸血鬼的にどういう意味があるのか。確か、吸血衝動は他の衝動に引 ひ き摺 ず られて湧き起こることがあるとか聞いたことがあるような。
「なんでもないので! あ、あの、契約、して下さる、ということでよいのですよね?」
「え、あ、はい。お願いします」
「本当によいのですか? 何事も一番目というのはとても大事なものです」
「元々僕から頼もうと思っていたので」
「そう、なんですか」
「はい」
「そう、なんですねぇ」
彼女の唇がむにむにと形を変える。
「はい。えぇと、同時に触れて魔力を流すんですよね……結構難しくないですか?」
「レメさん、手を見せてください。多分、こうするものなのだと思います」
指輪に二人で触れようとするのでなく、僕の指に嵌 はま った指輪に、契約者となる魔物が触れる。
確かにこの形が想定されているものだろう。どちらも触れているし。
ミラさんの白魚 しらうお のような手が、僕の指をなぞり、やがて指輪に行き着く。
魔力を流す。ミラさんからも魔力を感じた。
「私、ミラはレメさんの求めに応じ、何時 いつ 如何 いか なる時であっても空間をも越え参じることを、ここに誓います」
言ってから、彼女は何故か指輪から手を離した。契約は完了していない。
「ミラさ──んっ!? 」
僕の手をとったミラさんは、それをそのまま自分の口許に持っていき、上目遣 うわめづか いに僕を見たまま──指輪に唇をつけた。
必要な魔力が注 そそ ぎ込まれ、僕のと混ざり、指輪が契約の完了を教えてくれる。なんとも不思議な感覚だが、目の前の女性が『第一の契約者』だという認識がある。
だがそんなことよりも、だ。衝撃的すぎて僕は固まってしまった。
ゆっくりと彼女が離れる。
「暴走……ここまで、です」
心臓が爆発 ばくはつ するかと思った。胸に触れる。よかった爆発してない。
「ふふふ……あのレメさんの初めてを頂いてしまいました」
彼女は無理に余裕のある態度をとり、艶 なまめ かしく唇を舌で舐 な めた。
が、先程までのミラさんの記憶がまだ鮮烈で、上手 うま く反応出来ない。
「あ、あのレメさん……指輪は基本的に冒険者を追い払う為に使うべきですが、外でも使用出来ます。距離を経るごとに召喚に掛かる魔力は増えてしまうので注意が必要ですが、それでもレメさんならば問題ないでしょう」
「は、はい」
ミラさんはさすがのもので、この短い時間で調子を取り戻していた。先程までの初々 ういうい しい感じはどこへやら、自ら僕に身を寄せ、耳元に顔を近づける。
「私は、真夜中のレメさんの部屋にでも、喚ばれれば行きますからね」
あ、これはからかっているのだと分かるぞ。
分かってても想像してしまうのが男のどうしようもないところなんだけど。
「なんて、レメさんは私をよく知らないですものね。言い寄られても気持ち悪いだけでしょう」
「そんなことは、ないですけど」
「けど?」
僕は尋ねるべきか迷って、結局黙ってしまった。
彼女の方も、そこに関しては自分から話すつもりはないようだ。
「夜にお部屋で逢 あ うのは、まだ早いですね──なんて。今度こそ帰りましょうか」
彼女が身体を記録石に向ける。
彼女の後ろ姿を見た僕には、その耳が赤くなっているように見えたが。
僕も負けず劣らず赤くなっているだろうから。
そのことに触れることなく魔王城を後にした。