Moto Sekai Ichi Volume 2 raw

Title : 元・世界1位のサブキャラ育成日記 2 ~廃プレイヤー、異世界を攻略中!~ (カドカワBOOKS)
Author: 沢村 治太郎
ASIN : B07SPBQ8DL

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口絵・本文イラスト まろ

装丁 coil

 contents

プロローグ 世界一位、只今準備中

第一章 人はそこまで強くなれない

閑話一 実家に帰らせていただきますの巻

第二章 恐怖の大王、精霊の大王

閑話二 噂

エピローグ 求めてやまない標的

特別編 軟弱者

あとがき

プロローグ 世界一位、只 ただ 今 いま 準備中

 世界一位。

 今も、昔も、俺の目指すべき頂 いただき はそれと決まっている。

 VRMMORPG『メヴィウス・オンライン』世界ランキング第一位。俺の人生の結果、俺の人生の全 すべ て。

 一度死んだとて、あの栄光はどうしたって忘れられない。驚くべき幸運にも、ゲームが現実となった最高の異世界に再び生を受けたのだ。俺は再び世界一位を目指そうと決意した。

 人生を賭 か ける。口だけじゃない。俺が夢を語る時はいつだって本気だ。知識があり、技術があり、再び世界一位となる具体的な方法も吟味してある。そう、後は、行動に移すのみ。

 メヴィウス・オンライン、略してメヴィオンは、一にも二にも〝経験値〟がなければお話にならない。ゆえに、俺はまず効率よく経験値を稼ぐため、仲間を求めた。

 経験値稼ぎにはダンジョン周回が最も手っ取り早い。その際、ソロでダンジョンを周回するよりも、前衛や後衛と共にチームを組んで周回した方が何倍も効率がよく、安全性もグンと上がる。だからこそ俺には仲間が必要だった。

 その点、シルビアを仲間にできたのは大きかった。騎士団に厄介払いされた無駄に正義感の強いぽんこつ女騎士が、まさか魔弓術師の適性を持っているとは驚いた。おあつらえ向きと言っていい、まさに理想の後衛だ。そのクソ真面目な性格も甚 いた く気に入った。

 次に、【魔術】を覚えるために訪れた王立魔術学校で、エコと出会えたのも大きいだろう。彼女の成長タイプは明らかに〝筋肉僧 そう 侶 りよ 〟だ。魔術師としてはどうしようもない落ちこぼれでも、前衛としてはいずれ一流となることが約束されている。

 シルビアによる後衛、エコによる前衛、そして俺の遊撃。とんとん拍子に理想のチームが組めた。経験値稼ぎにおいては、しばらくこれで様子を見てもいいだろう。と、俺はそう考えていた。

 ただ、一点。装備に関しては、不満が残るところだった。武器や防具の作製や強化は、鍛冶 かじ 師を必要とする。よって、いずれは腕のいい鍛冶師を仲間にしなければならない。俺が【鍛冶】スキルを上げてもよかったが、現状それよりも優先したいスキルは星の数ほどあった。できれば他人に任せたいと考えるのも仕方がないだろう。そんな折だ、俺は奴 ど 隷 れい 商店で面白い奴 やつ を見つけた。

 ダークエルフの元女公爵付き暗殺者……犯罪奴隷の彼女は、ものの見事に鍛冶師適性を持っていたのだ。

 お値段たったの千六百万CL。安すぎる。買わないわけがない。俺は即決で購入した。

 だが、誤算だったのは……ユカリと名付けた彼女が、俺たちと打ち解けようという姿勢すら微 み 塵 じん も見せないこと。

 これでは買った意味がない。こんな奴に、俺の装備は、世界一位の装備は任せられない。

「なんとかしなければ」と、現在、作戦を考えている真っ最中である。未 いま だこれといって特に思い浮かばないが、それでも諦 あきら めるわけにはいかない。折角、一流鍛冶師の卵を見つけたのだ。俺の夢のためにも、どうにか早いうちに打ち解けておきたいと思っている。

 ……メヴィオンは、ただ経験値稼ぎをするだけのゲームではない。面白いのは、その先。

 全てのスキルを習得し、全てのスキルを九段にする。これだけなら、誰 だれ だって時間があればできること。

 前提だ。カンスト は前提。そこからが、世界との戦い。己との戦い。極限まで研ぎ澄まされたプレイヤースキルのぶつかり合い。全てを賭 と した勝負の始まりだ。

 経験値を稼ぎ、スキルを覚え、カンストし、究極の装備を整え、ありとあらゆる準備を終えた先。そこで出会うのは、俺と同じ道を辿 たど ってきた猛 も 者 さ たち。

 彼らを凌 りよう 駕 が しなければ、世界一位にはなり得ない。

 近いようで、まだ遠い。経験値も、スキルも、鍛冶師も。満足にはほど遠い。

 準備は、まだまだ、整いそうになかった。

第一章 人はそこまで強くなれない

 不思議な人だった。

 最初の言葉は「暗殺者? ふーん」という、なんとも気の抜けたもの。

 シルビアという騎士風の凛 りん とした女性と、エコという可愛 かわい らしい獣人の女の子を供につけた、絶世の美男。私は、彼の奴隷となった。

『攻撃不可』を契約に加えられた元暗殺者。そんな無用の長物 を買って一体何に使うのかと思えば、彼は「鍛冶師になってほしい」と言う。

 性奴隷でもない、家政婦でもない、鍛冶師。

 ……意味がわからない。

 ペホの街への道中、彼は色々なことを話しかけてきた。

 家族はいるのか。趣味はなんだ。休日は何をしていた。特技はあるのか。

 数々の質問に対し、私はまともに答えられなかった。

 ルシア様──今は亡き女公爵によって拾われた孤児。それが私である。

 名前などない。強いて言えば『影』。幼い頃 ころ から暗殺者として育てられ、ルシア様の手足として汚れ仕事を担っていた。

 家族などいない。趣味などない。休日などない。特技は暗殺。

 こんなこと、正直に言えるわけがない。

 ユカリという名を貰 もら った今、私はもう単なる奴隷。過去など関係ないと、押し黙るしかなかった。

「お前の過去を聞いてもいいか?」

 夕食の前。彼にそう聞かれて、私は不意に動揺してしまった。

 言いたくない。即座にそう思った。

 過去に何があったのか。何故 なぜ ルシア様だけが処刑され、私は助かったのか。それを明かしてしまえば、必ずや彼らは見る目 を変える。どうしようもないことだと思い知る。心に消えないしこりが残り、巨大な理不尽感に悩まされ続ける。

 言っても無駄なのだ。だったら言わない方がいい。

 だから私は隠した。そしてまた殻を被 かぶ る。彼らと一線を引き、当たり障りのない奴隷として、生活を事務的にこなす。

 私の思考や感情など、あるだけ無駄だと、そうやって心を殺しながら。

    ◇◇◇

「チーム結成するか」

 ペホの街にある宿屋一階の酒場にて、四人で卓を囲み、晩メシを食べ終わった頃。俺は高らかにそう宣言した。

「いよいよだな」

「だな!」

 シルビアとエコは気合十分といった風で頷 うなず く。

「チーム、ですか?」

 ユカリは首を傾 かし げている。そういや、そもそもユカリには俺たちの目的を話していなかったな。

「俺は世界一位を目指している。ここにいるシルビアとエコは、そんな俺の手助けをしてくれる仲間だ。ユカリ、お前にも手助けを頼みたい」

「私はご主人様の奴隷です。私に可能なことならば勿 もち 論 ろん お手伝いさせていただきますが……世界一位?」

 ユカリの疑問は深まったようだ。

「世界一位だ。意味わかるか?」

「ええ」

「冗談じゃないぞ?」

「はあ」

 駄目だこいつ全く信じてねえ。

 ユカリの冷たい表情とジト目がグサリと突き刺さってくる。

 だが、副産物として「呆 あき れ」の感情は引き出せた。こうやって少しずつ感情を表に出させていけば、いずれは打ち解けられるかもしれない。コツコツやっていこう。コツコツ……。

「セカンド殿。前々から気になっていたのだが、その世界一位の夢、どのようにしたら叶 かな うのだ?」

 俺が若干へこんでいると、シルビアが俺をフォローするように質問してきた。

「いい質問だシルビア・ヴァージニア」

「何故フルネーム……」

「わーじにあ」

「ヴァージニアだぞエコ」

「わーじにあ」

「……ヴァー」

「わーじにあ!」

「もういいやそれで」

 それでいいのかお前……じゃなくて、世界一位になる方法の話だったな。

 まあ、色々とあるし、一口には言えないが──中でもアレ が一番わかりやすいか。

「個人で世界一位になる方法なら単純だ」

「単純?」

「ああ。全 すべ てのスキルのタイトルを獲得して、タイトルを防衛し続ける。つまりタイトル戦で負けなけりゃいい」

「…………………… はっ?」

 シルビアはぽかんと口を開けて固まった。

『タイトル』──それは各スキルの頂点。

【弓術】を例に説明しよう。【弓術】という大スキルには、《歩兵弓術》から《龍 りゆう 王 おう 弓術》まで九種類の小スキルが存在する。【弓術】のタイトルを獲得するには、まずその九つの小スキル全てを九段まで上げなければならない。それが第一条件だ。

 第二条件は、年に二回、夏季と冬季に行われる〝タイトル戦〟に出場し優勝すること。タイトル戦とは、第一条件を満たした者たちがタイトル獲得を狙 ねら って参加するトーナメント形式のPvP プレイヤー・バーサス・プレイヤー 大会である。

 そして、第二条件を満たせば、現タイトル保持者に挑戦できる権利が与えられる。そこで現タイトル保持者に勝利すれば、晴れて【弓術】におけるタイトル「鬼 き 穿 せん 将 しよう 」を奪取できるのだ。

 これ以外のタイトル獲得方法は「サーバ内で最も早く第一条件を満たす」もしくは「タイトル戦を防衛する」こと。ゆえに同一のタイトルを複数人が同時に保持することは不可能である。

 すなわち、タイトルとはそのスキルの最高峰を意味し、名実ともに最強の称号と言える。

 それを全てのスキルにおいて獲得する──実にわかりやすい頂点だ。

 もちろん、「タイトル全制覇」は十分に世界一位足り得る要素ではあるが、それだけでは「本当の世界一位」とは言い切れないと俺は思っている。メヴィオンの世界ランキングには他にも様々な基準があり、それら全てを総合して序列がつけられていた。

 ただ、まず目指すべき明確な目標としては、やはりタイトル全制覇以外ないだろう。

「タイトル戦は知っているだろ?」

「あ、ああっ、勿論だ! せ、セカンド殿はあの舞台に立つというのか!?  それも全てのスキルで!? 」

 シルビアは興奮して立ち上がりながら言った。

「世界一位だぞ、当然だろ」

「そ、そんなっ──」

「不可能です」

 俺とシルビアの言い合いに、ユカリが割って入ってくる。

 たった一言、冷たい声で、はっきりと。

「今、なんつった?」

「不可能ですと申し上げました、ご主人様」

 聞き返すと、ユカリは淡々とそう言った。場の空気が張り詰める。

「どうしてそう思う?」

「当然のことです。人はそこまで強くなれません」

「理由になってないな。どうしてそう思う?」

「……ですから、そこまで強く」

「根拠は?」

「………… 」

 俺が問いただすと、ユカリは閉口した。

 何故 なぜ だかはわからないが、一つだけわかることは、彼女は怒っている ということ。

「あまり……軽薄なことは口になさらない方がよろしいかと」

「論点をずらすな。そう思った根拠を言ってみろ。どうして強くなれないんだ?」

「どうして、って……」

「人はそこまで強くなれない。どうしてそう思う?」

「あ、当たり前のことです」

「だからそう思った理由は?」

「それは、私がっ……! 」

 ユカリは声を荒らげ──

「………… いえ、なんでもありません。お先に失礼します。よろしいでしょうか」

「あ、ああ」

 即座に落ち着きを取り戻すと、宿の部屋へと逃げるように戻っていった。

 彼女の言葉の続きがなんなのか。暗殺者という立場と名前を与えられていない境遇を考えれば、ぼんやりと答えは浮かんだ。

 恐らくユカリは幼い頃 ころ から〝人〟として育てられていない。暗殺者とはそれほどに過酷な仕事だったのだろう。ゆえに知っているのだ。「強くなる」ということの辛 つら さを、厳しさを。そして「人に勝つ」ということの難しさと、その儚 はかな さを。

 だから「軽薄だ」と怒った。

 俺も同感だ。その相手が俺じゃなかったら。

「危ういな、ユカリは」

 シルビアが言う。確かに危うい。あの場面で声を荒らげ、直後に飲み込む。これが何を意味するか。それは溜 た め込んだ感情の爆発と、それを上回る常軌を逸した自制心だ。

「精神的に不安定だな。俺が購入するまで奴 ど 隷 れい 商店に押し込められていたことを考えると当然なのかもしれないが……それでもあれほどに自分を律するのか」

「何かを言いたくてたまらないが、それを無理矢理に抑えつけている……といったところだろう」

「言いたくてたまらない?」

「私にはそう見える。セカンド殿はどう思った?」

「俺は……怖がっていると思った。秘密を知られてしまうことを」

 俺がそう言うと、シルビアは愉快そうに「ふふっ」と笑った。

「なんだ?」

「いや、すまない。馬鹿にしたわけではないぞ」

 謝ってから、「ただな」と言ってこう続ける。

「女というのは往々にして相反する二つの感情を持つものだ」

 もしかしたらどちらの意見も当たっているかもな、と。

 シルビアは爽 さわ やかにそう言うと、半分眠りかけているエコを担いで部屋へと戻っていった。

 俺はこの時、出会って初めてシルビアのことを格好いいと感じたのだが……去っていくシルビアのケツに紙ナプキンが静電気でくっついていて、考えを改めざるを得なかった。

 翌朝。俺たちはペホの街から東へ十五分ほど進んだ場所にある丙等級ダンジョン『アシアスパルン』へと馬を進めていた。

 どうして今更になって丙等級ダンジョンへと向かうのか。それは〝チーム〟結成のためである。

 チームの結成にはチーム結成クエストを完遂しなければならない。その内容は「チーム結成希望メンバー三人以上と共に丙等級ダンジョンを二時間以内に完全クリアする」こと。丙等級ダンジョンならば何処 どこ でもいいので、非常に簡単なクエストだ。

 今のところ最も効率のよい経験値稼ぎがリンプトファートダンジョンの周回なので、しばらくはペホの街から離れない予定であった。ゆえに「近場で済ませちまおう」と思ってアシアスパルンダンジョンへ向かっているというわけだ。

 そして、到着する。森の中の岩山にぽっかりと口を開ける大きな洞 どう 窟 くつ 。

 久しく潜っていない丙等級ダンジョン。中でも、アシアスパルンダンジョンは大昔に一度だけ行ったっきり。

 ……この時、俺はすっかり忘れていた。

『吹っ飛ばしダンジョン』──ここアシアスパルンの別名を。

    ◇◇◇

 アシアスパルンダンジョンはのっぺりとした灰色の岩に囲まれた洞窟である。

 中へと入り、最初に出くわした魔物はゴブリンだった。茶色の肌をした猿のような人間のような魔物で、こちらに気付くと前傾姿勢のまま手に持った棍 こん 棒 ぼう を振り回して突進してくる。

「はっ!」

 先制攻撃はシルビアの【魔弓術】、《歩兵弓術》と《火属性・壱ノ型》の複合である。

 ゴブリンは「ぶギャッ」とブサイクな悲鳴をあげて、一撃で倒れ伏した。

「なるほど……」

 俺の後ろにいたユカリが呟 つぶや く。【魔弓術】が【魔術】と【弓術】の複合だと納得したのだろう。

「これは余裕だな」

 シルビアが言った。そりゃそうだよ丙等級だもの。

「よゆー!」

 エコはよゆーよゆーと言いながらゴブリンの群に飛び込んでいった。

「ご主人様。よろしいのですか?」

「もっともな疑問だが……まあ見ていろ」

 エコの先には十匹以上のゴブリン。そこへ突撃する小さな獣人の女の子。傍 はた から見れば不安でしかない光景だが、彼女は壁のプロフェッショナル『筋肉僧 そう 侶 りよ 』である。心配ご無用だ。

 エコはゴブリンたちへと突っ込みながら《金将盾術》を発動した。すると、ゴブリンはまるで車に撥 は ねられたかのようにバッタバッタと弾 はじ き飛ばされていく。

《金将盾術》のノックバック効果で地面に倒れるゴブリンたち。そこへシルビアの矢が次々と飛来して、とどめを刺していく。

「……これは」

「前衛と後衛の能力が高く、加えて二人の息が合っていると、こんな感じで危なげなく進める」

 二人で行うダンジョン攻略の理想形の一つだ。単純に隙が少ないうえ、後衛が火力を出しやすい。

 と、そうこう言っている間に、二十匹近くいたゴブリンが全 すべ て掃除される。

 この分だと俺が入ったら二人の連携の訓練にならないな。俺は不意打ちの警戒やユカリの護衛に専念するとしよう。

「経験値も美味 おい しくないから先を急ぐぞ」

 俺の指示にシルビアとエコは頷 うなず き、ずんずんと奥へ進んでいった。

 ユカリは無言で俺の後を付いてくる。全くの無表情。彼女が心を開いてくれるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

「もうボスだ」

「早いな。まだ一時間半しか経 た っていないぞ」

「丙等級ってのはこんなもんさ」

 アシアスパルンのボスは、ゴブリンケイオウという魔物だ。全長四メートルもある巨大な魔物だが、動きが鈍く防御力も低い大したことのないボスである。だが周囲にゴブリンメイジという魔術を使う魔物が十匹ほどおり、ボスと取り巻きどちらにも気を配らなければならないのが面倒くさいところだ。

 まあ今の俺たちくらいの火力があれば、ケイオウは二発、メイジは一発で落とせてしまうので、なんら苦労することはない。

「さくせんは!? 」

 エコが聞いてくる。何故 なぜ かはわからないが、こいつ「作戦」が大好きなようで、ボスの前になるといつも作戦をねだってくるのだ。しかし今回は作戦も何も……。

「…………! 」

 ……駄目だ。キラッキラした目で期待してやがる。

「あー……エコは真ん中にいるでっかいののターゲットをとって、角行で耐えていてくれ。その間に俺とシルビアで終わらせる」

「おぉーっ!  わかった!」

 俺の適当な作戦を聞いたエコは、口をパッカーと開けて目を見開いて感心すると、笑顔で頷いた。なんか騙 だま しているみたいで申し訳なくなってくるが、本人は凄 すご く嬉 うれ しそうだからまあいいや。

「シルビアはいつも通り。ユカリは俺から離れないように」

「承知した」

「かしこまりました」

 最後にそうとだけ伝え、エコを先頭にボスのいる広場へと入っていく。

「でっかーっ!! 」

 エコが驚きの声をあげた。

 確かにゴブリンケイオウはでかい。そして太い。見るからに不健康な大きさだ。それに比べてゴブリンメイジは小さくて細い。小枝のようだ。身長は一メートルもないんじゃなかろうか。

「行くぞー」

 俺の号令で、まずエコがゴブリンケイオウに突っ込んでいく。

 それと同時に、シルビアがゴブリンメイジを一匹仕留めた。シルビアは「味気ないな」と呟きつつ、もう一匹仕留める。

「……あれぇ?」

 エコがゴブリンケイオウの一撃を《角行盾術》で防御して、そんな声をあげる。食らったダメージはたったの3ポイント。リンプトファートダンジョンのヨロイリザードよりも少ない。

「な、ナイスだぞエコ」

 俺はとりあえず褒めておいてから、エコに構っているゴブリンケイオウに《飛車弓術》を放った。クリティカルは出ず6680ダメージ。まずまずだ。

「…………っ 」

 ユカリが目を見開いている。ダメージ量に驚いたのだろうか。

 俺は《桂馬弓術》と《銀将弓術》の複合であと二発だけ撃ってゴブリンケイオウをぶち殺す。

 取り巻きのゴブリンメイジは既にシルビアが全て掃討していた。

「終わったか?」

 エコへと近づき、周囲を見渡す。魔物の姿はない。

 ………… 。

「…………………… あぁ?」

 おかしい。チーム結成クエストが完遂されない。

 俺の記憶では、ボスと取り巻きを倒し切った瞬間に、チームが結成されるはずだが──

「────ッ !! 」

 まずい!

 俺が気付いた時には、もう遅かった。

 全長四メートルのゴブインケイオウの死体が一定時間経過により消滅していく。その陰に一匹、ゴブリンメイジが隠れていた。

 ゴブリンメイジは瀕 ひん 死 し の状態。必死の形相で、魔術 を唱えている。

 そして、その発動のタイミングが「ゴブリンケイオウの死体の消滅」と一致した。

 うわっ! 最悪だ!!

「クッソ!」

 ゴブリンメイジがターゲットしていた相手はユカリだった。

 俺はユカリの手を摑 つか んでこちらに引き寄せながら、ゴブリンメイジに向かって《火属性・壱ノ型》を撃つ。

 次の瞬間。

 ゴブリンメイジが絶命し──……

 ……── 俺の立っている場所が、「海の見える砂浜」へと一変した。

『吹っ飛ばしダンジョン』

 アシアスパルンが何故そう呼ばれるか。

 それは、ゴブリンメイジが瀕死の状態で使う《ランダム転移》という【魔術】が原因である。

《ランダム転移》とは「対象をここから四キロメートルの距離の何処かへ転移させる」魔術。

 つまるところ「ダンジョンの外へと強制的に弾き出される」ことを意味する。

 ゆえに『吹っ飛ばしダンジョン』……とはならない。実はそう呼ばれるようになったのは、とある〝発見〟があったからだ。

 ある日のこと。メヴィオン攻略の最前線と名高い情報共有サイト『メヴィオンwoki』に一つの報告が上がった。

 題名は「足明日でクソ吹っ飛ばされた件」。

 その内容は衝撃的だった。《ランダム転移》では四キロメートルしか飛ばされないはずが、その報告者はなんと二百五十五キロメートルも吹っ飛ばされていたのだ。

 すぐさま有志による検証が始まる。

 導き出された結論は、驚きのものであった。なんと「ゴブリンケイオウの死体が消滅する瞬間、その死体に触れているゴブリンメイジが《ランダム転移》を発動した場合、移動距離が四キロメートルから二百五十五キロメートルになる」という非常に不思議な現象だったのだ。かなり奇跡的な条件のために今まで判明していなかった新事実である。

 プレイヤーたちはバグだバグだと大騒ぎした。

 ……しかし。実を言うと、これはバグでもなんでもなく仕様であった。

 転移系の魔術は「その場から失われたMP量」で移動距離が決まる。ゆえに遠い場所への移動ほどMPを消費するシステムになっている。

 今回の場合は「ゴブリンケイオウの死体が消滅する瞬間が、ゴブリンケイオウのMP全量がその場から失われた判定となる」ということ。すなわち、ゴブリンメイジの《ランダム転移》が転移先を指定していないばかりに、転移距離にゴブリンケイオウの全MP分が加算され、結果二百五十五キロメートルもの長距離転移になってしまっているのである。

 ゆえに、この「クソ吹っ飛ばし事件」によって、アシアスパルンダンジョンは『吹っ飛ばしダンジョン』との呼ばれ方が定着するようになったのだ。

 俺は、この事件をすっかり忘れていた。初級者ばかりが行くような丙等級ダンジョンのことなんて、上位プレイヤーにはあまり関係がなかったからだ。

「……あーあ」

 思い出した時にはもう遅かった。

 目の前には広い海。青い空、白い雲。足元は砂浜。そして隣には、

「な……!? 」

 流石 さすが に驚 きよう 愕 がく の表情を浮かべるユカリの姿。

 そりゃ一瞬で海岸に移動していたら驚かない方がおかしい。そう考えると、ユカリにも俺と同じ赤い血が流れているんだなと少し安心できる。今まではオイルで動いているマシーンだと聞いても納得できるくらいの無表情っぷりだったからな。

「心配するな。あのゴブリンに転移させられただけだ」

「……転移、ですか?」

 凄い。もう落ち着きを取り戻した。

「ああ。多分、さっきのアシアスパルンから二百五十五キロメートル離れた場所だ」

「………… 」

 ユカリは疑わしい目でこちらを見てくる。いや、だって本当なんだから仕方がないじゃん……。

「ん? おお! チームが結成されてるぞ」

 ユカリから視線を逸 そ らすようにしてステータス画面を見ると、俺はその事実に気が付いた。やはりあのゴブリンメイジが最後の取りこぼしだったようだ。

「ええと」

 俺はステータスウィンドウの右下からシルビアへ向けて〝チーム限定通信〟を起動する。どれだけ場所が離れていてもチームメンバーとなら通話し放題の便利機能、チーム結成の旨 うま みの一つだ。

「あー、あー……おーい、聞こえるかー?」

「ば、馬鹿者!!  何処へ行ったのだ!?  大丈夫か!? 」

 うおおおっ!?  耳がキーンとするっ!

「だ、大丈夫だ。転移魔術で遠くに飛ばされた。これから戻るからシルビアとエコはペホの街で待機していてくれ」

「そ、そうかっ! 安心したぞ。どれくらいかかる? 早く帰ってこい」

「んー……六日か七日はかかると思う。その間は休暇だ。のんびりしてろ」

「……………… は?」

「じゃあなー」

「おい! ちょっと待──」

 ぶちりと通信を切って、ユカリの方を見る。

「……本当にそれほど遠い場所なのですか?」

「勿 もち 論 ろん だ。噓 うそ を言う意味がないだろ?」

「……ええ、まあ」

 渋々頷くユカリ。よくよく考えれば、これから一週間、ユカリと二人きりである。

 これを機になんとか打ち解けたい──俺はそう思いながら、海岸沿いを北に歩を進めた。

    ◇◇◇

 海岸ということと、アシアスパルンから二百五十五キロメートル地点ということを考えれば、ここは南東の海岸であるとわかる。であれば、海岸沿いに北上すると港町『クーラ』に行き着くはずだ。

 クーラからペホまでは馬で一日ほど。ここからクーラまでは徒歩で五日ほどの距離である。

「お詳しいのですね」

 俺の考察を伝えると、ユカリは表情をぴくりとも動かさず、皮肉めいた風に言った。

「信じられないか?」

「いえ、そういうわけでは」

「じゃあなんでそんなに冷淡なんだよ」

「生まれつきですが」

「………… 」

 ユカリの奴 やつ 「ハイハイ信じておりますよ」という態度をとりつつも「全く信じてませんけどね」という本音を隠そうともしやがらない。駄目だ、我慢ならん。俺は方針を転換することにした。

 煽 あお りに煽って、ユカリの感情を引き出す──これしかない。

 じゃないとなんだか無機物と喋 しやべ っているようでこっちがオカシクなりそうだ。

「ユカリ。お前そんなに疑うんなら何か対案を出してみろ」

「私はご主人様の奴 ど 隷 れい です。ご主人様のお言葉を疑いなどしません」

「ここは何処だかわかるか?」

「いえ、わかりません」

「お前ならどうやってペホまで戻る?」

「ご主人様の案が最適かと」

「そうか同意見か。ならどうして疑う?」

「ですから疑ってなどおりません」

「噓はいけないぞ」

「噓ではありませんが」

「………… 」

 こ、こいつ……いや、冷静になれ。こういう場合は急所を攻めて崩していくのが定跡だ。

「……お前は出会った時からそうだな。殻を被っている」

「はあ」

「何かを隠している。それほど知られたくないのか?」

「誰 だれ だって知られたくない過去の一つや二つはあるはずです」

「それが主人と奴隷の関係だとしてもか?」

「当然です」

「じゃあこれからずっとそうやって演技を続けて過去を明かさないつもりか?」

「ええ……、……っ! 」

 しめた! こいつボロを出しやがった!

「ンンー? 今、演技していることを認めたよなァ?」

「いえ。言葉の弾みに頷 うなず いてしまっただけで」

「おやおや~? 少し早口ですねぇ? 動揺してるんですかァ?」

「……そのようなことは」

「ふーん、へぇー、ほーお? あれっ、口の端がピクピクしてますよぉ?」

「……………… 」

 効いてる効いてる。ユカリの感情が段々と浮き出てきた。そろそろ本題に入るか。

「……どうせ話しても無駄だ。だったら黙っておこう。そうやって決めつけて、俺との間に一線引いた関係でずっとやっていけるとでも思ってんのか?」

「……っ…… 」

「経験則だが……多分、明かしちまった方が楽だぞ」

 なんか取り調べしている刑事みたいな気分になってきた。

 実を言えば、もう大方の見当はついているのだ。昨晩、少し調べたらわかってしまった。処刑された女公爵ルシア・アイシーン──俺はその名前に聞き覚えがあった。

「ぶちまけちまえ。楽になれよ。隠してる方が無駄だぞ」

「私が……!」

「ん?」

「私が、誰のために隠していると……!」

 誰のために?

「私と……ルシア様の優しさを……!」

 優しさ。黙っていることが、巻き込まないことが、彼女にとっては優しさなのか。なるほど。

「よくわからないが、俺にとっちゃあ、それはただの自己満足にしか見えない」

「…………ッ! 」

 俺がそう言うと、ユカリは憤 ふん 怒 ぬ の形相で俺に背中を向け、先に歩いていってしまった。

 作戦は、一応の成功、と言っていいだろう。彼女の感情を剝 む き出 だ しにできた。若干やりすぎた気もするが、こうでもしないとユカリの防壁は崩せそうになかったから仕方がない。

 さて、そんなこんなでそろそろ日が暮れる。野営はどうするか……。

    ◇◇◇

 低劣な男だ。私はそう思った。

 世界一位になる──そんなできもしない馬鹿げた夢を語って関心を引こうとする軽薄な男など、私の主 あるじ には相応 ふさわ しくない。

 彼の本性はすぐに明らかとなった。

 優秀な魔弓術師の女性とまだ小さな獣人の女の子ばかりを前で戦わせ、自分は後ろで動かない。そうやってダンジョンを進む男が「世界一位」だなんて、情けないことこの上ないではないか。

 ボスを相手に垣 かい 間 ま 見 み えた弓術の腕は確かに一流のものだった。ではどうして道中でその腕を発揮しなかったのか? 自分ばかりを安全な場所に置き、更に楽をするためだ。そう考えるとこの男がもっと嫌らしく思えてくる。

 ランダム転移? 二百五十五キロメートル離れた地点? ペホまで七日? どうしてそんなことがわかるのか。あの一瞬で理解できるわけがない。噓 うそ に決まっている。

 この男は恐らく私と二人きりで過ごすために何か汚い手を使ったのだ。私を買った目的も鍛冶 かじ 師などではなくやはり性奴隷なのだろう。外聞が悪くならないように、こうして人目につかない所へ連れてきて犯すつもりなのだ。

 悲しいことに、私は抵抗ができない。ああ、この男と寝ることになるなど虫 むし 唾 ず が走る。もし、その時になれば、いっそ、自ら命を──

 ──と、そこまで考えて、私は思いとどまった。

 ルシア様からいただいたこの命、そう簡単に捨てるわけにはいかない。そうだ、何故 なぜ 、忘れていたのか! 私の命はルシア様から貰 もら い受 う けたもの。私はなんとしても抵抗しなければならない。

 ……このセカンドという男。しつこいほどに私の過去を詮 せん 索 さく してくる。何が目的なのかはわからないが、私が黙っているのはもはやお前のためではない。お前の仲間である無 む 辜 こ の二人を巻き込まないために黙っているのだ。

 それを自己満足だと? 反吐 へど が出る。

 この男に隙を見せるわけにはいかない。私は覚悟を決め、先を急いだ。

 一日目が終わり、二日目の朝が来る。

 彼は手を出してこなかった。それどころか、徹夜をして野営の番をしていたようだ。そうやって私を油断させようという魂胆だろう。

 私は夜の間ずっと警戒をしていたせいであまり眠れなかった。これが続けば、いずれ限界がくる。なんとかしなければならないが、手段がない。私は奴隷だ。逃げ出すことすらできない。どうすればいいのかわからない。

「なあ、いい加減に諦 あきら めろって。全部言っちまえよ」

 ままならない境遇を嘆きながら歩いていると、彼がまた詮索をしてきた。

「しつこいです」

 私は苛 いら 立 だ ち、つい喧 けん 嘩 か 腰 ごし に応答してしまう。

「そんなに信用ならないか?」

「ええ、とても」

「じゃあどうやったら信用してくれる?」

「……そうですね、そこで今すぐ死んでくれたら信用してもいいです」

 自分でも不思議なくらい、彼に対して攻撃的な言葉が出てしまう。私の暴言を受けた彼は、その額に筋を浮かばせた。どうやら怒ったようだ。

「なかなか言うようになったな。え? オイ」

「なんですか、ご主人様? 奴 ど 隷 れい に暴力を振るうおつもりですか?」

「うるせえ! お前昼メシ抜き!」

「なっ!」

 なんと、卑劣な!

「それは契約違反ではっ」

「契約内容には十分な食事と書いてあった。一日二食でもまあ十分だ! 俺はそう思う!」

 これから何十キロも歩くと言うのに、この男は……!

「どうした? 謝らないならやらないぞぉ?」

「くっ……! 」

 屈辱! この男に謝らなければならないのなら、私は……しかし……っ。

「……なんてな、冗談だ」

 すると、彼はフッと笑ってそう言った。まるで「喧嘩してやってる」とでも言うかのような余裕の表情。私にはそれが嘲 ちよう 笑 しよう のように見えて、我慢ならなかった。

「いりません」

「あ?」

「昼食は必要ありません」

「おい、ぶっ倒れるぞ?」

「必要ないと言いました。結構です」

「ちょ、待て! すまん、悪かったよ! 食っとけって!」

「結構です!」

 一人、先を急ぐ。冷えてくる頭。しかし、苛立ちと嫌悪感は増す一方。ああ、かなり感情的になってしまった。でも、もう引っ込みがつかない。

 ………… 私は一体何をしたかったのだろう?

 三日目の朝が来る。昨夜は、眠気との闘いだった。

 ……足元がフラフラする。二回の徹夜と、一日中の移動、昨日 きのう は昼食をとっておらず、夕食も少ししか食べていない。

 いくら暗殺者といえど私も生き物である。限界が近づいてきているのがわかってしまう。

 彼は昨夜も手を出してはこなかった。おそらく私が完全に意識を失うその時を待っているのだろう。全くもって卑 ひ 怯 きよう な男だ。

 今日の道中も、昨日と同様、もっぱら喧嘩である。私たちは口を開けば喧嘩にしかならない。

 朝食で喧嘩。どちらが先を歩くかで喧嘩。昼食で喧嘩。休憩をとるとらないで喧嘩。野営場所の決定で喧嘩。夕食で喧嘩。夜の番で喧嘩。

 もはや主従の関係など何処かへ忘れてしまっていた。眠気と疲労で正常な判断ができていなかったこともある。とにかく隙を見せないように、私は気を張っていた。その結果が喧嘩だった。

 しかし、この日の夜、私はついに熟睡してしまった……。

    ◇◇◇

 情緒不安定。それが明らかだった。

 ユカリの言動にはいくつもの矛盾がある。俺を必要以上に警戒するがゆえの支離滅裂な状態だ。疲れからか、それも段々と酷 ひど くなってきた。

 何故そうなってしまっているのか。俺はその理由を既に察しており、つい先ほど確信に至った。

 予想がついたのはアシアスパルンへ向かう前日の晩の調査で彼女の前の主人である女公爵の名を知った時。確信したのは海岸に転移して初日の夜、俺からの夜 よ 這 ば いを警戒している様子を見た時だ。

 ──ユカリは〝洗脳〟されている。

 恐らく、主人に対して非常に強い警戒心を抱くように。

 犯人は明確。固有スキル《洗脳魔術》を持つ女公爵ルシア・アイシーンだ。メヴィオンでは「洗脳ババア」として有名だったNPC ノンプレイヤーキヤラクター である。

 洗脳魔術を解く方法はたった一つ。「生命の危機に起因する強い感情の発露」これだけだ。

 メヴィオンのストーリー上では「ルシア女公爵から洗脳されていたNPCが目の前で恋人を殺されることでやっと洗脳が解ける」なんていうヘビーな場面があった。

 そんなストーリー展開のために無理やり用意された固有スキルという感が否めない洗脳魔術も、現実の世界となれば話は変わる。どうだ、厄介この上ないではないか。

 ……参ったぞ。彼女の感情を表に出してやらなければならなくなった。それも、命の危機に瀕 ひん する形で、強い感情を呼び起こさなければならない。

 クソが、難しすぎる。ただ単に喧嘩するだけでは弱いみたいだ。いっそユカリに剣を向けてみるか? いや、駄目だ。それでは洗脳が解けた後に修復不可能な傷を残してしまいそうだ。

 どうすればいいだろう。どうすれば、どうすれば……………… 。

「……──っ! 」

 危ねえ、ウトウトしてしまった。

 あと二日で港町クーラだ。ここはなんとか気合で頑張るしかない。

 俺はインベントリから〝状態異常回復ポーション+ プラス + プラス 〟を取り出して一気に飲み干す。実はこれ、眠気に少しだけ効果があることを発見したのだ。当然、限界はあるが。

 さて、どうしたものか。俺は焚 た き火 び の前で腕を組んで悩みながら、静かな夜を過ごした。

    ◇◇◇

「────ッ !? 」

 激痛 で目が覚めた!!  胸に何かが刺さっている……!?

「いやっ!」

「はっはは! こりゃ上物だ!」

「おい、女は殺すなよ!」

 ユカリの悲鳴。周囲には五人ほどの男たちの姿。

 油断した! PK プレイヤーキラー だ!!

「………… 」

 俺は歯を食いしばり激痛を我慢し、倒れ伏したまま自身のHP ヒツトポイント を確認する。

 ……五分の一も削れていなかった。噓 うそ だろ? 明らかに心臓を長剣で貫かれている。にもかかわらずそれだけのダメージで済んでいる。相手のステータスがクソ低いか、俺のステータスがバカ高いか。多分、後者だろう。

 PKたちは、俺がもう死んだと思っているのか、完全に無視している。

 当たり前だ。心臓を刺されて死なないなど、常識的に考えておかしい。俺もそう思う。徹夜続きの移動で疲れ果てて居眠りしていた馬鹿の、無防備な背中から一突きだ。こんな間抜け、死なないはずがないではないか。ところがどっこい、俺はまだ生きている。

 ……いや、反省は後にしよう。とにかくラッキーだった。今はそれでいい。

「縛ったか?」

「ああ。さっさと戻ろう」

「いくらになると思う?」

「闇市なら四千万CLは堅いな」

「わははは! 笑いが止まらねぇ」

 だんだん冷静になってきた。なるほど、狙 ねら いはユカリか。ああ、そうか、そうだな、この世界ではPKとは呼ばないな。となると、盗賊といったところか。

 五人の盗賊は縛りあげたユカリを担ぐと、海とは反対方向の森の中へと入っていった。

 ついてる! 奴ら、四千万のお宝 ユカリ に目がくらんで死体 俺 のインベントリを漁 あさ らなかった! 確かに冒険者風情の持ち物なぞ高が知れているかもしれないが、まさかそれが命取りになるとは思ってもいまい。

「………… 許せんなあ」

 ユカリを盗 と られた……が、これは好機だ。全滅 させる好機。

 俺はポーションでHPを回復すると、盗賊たちの後を追って森の中へと入っていった。

    ◇◇◇

「いやっ!」

 女らしい悲鳴をあげたのは何年ぶりだろうか。最初は、あの男が襲ってきたのだと思った。

 だが、それは違った。

 私を囲む数人の男。慣れた手つきで縛り上げられる。私はただの一つも抵抗できなかった。そう、攻撃不可──忌々しい制約がある。

「さっさと戻ろう」

 私を乱暴に担いだ男たちが、森の中へと入っていく。そこで私は初めてこの男たちが盗賊 なのだと理解した。

 焚き火の傍 そば には、胸に剣を突き立てられて倒れたあの男の姿。

 呆気 あつけ ない……なんと呆気ない。世界一位を目指すと豪語していた男は、つい昨日まで喧嘩に喧嘩を重ねていた相手は、こうも簡単に死んだ。

 そして、私も。慰みものにされてから、性奴隷として使い潰 つぶ され、一生を掃 は き溜 だ めの中で終えるのだ。元より掃き溜めの中から始まった命。これが運命なのかもしれない、とさえ思う。

 ………… だが。

 ああ……………… 嫌だ。

 どうしようもなく、嫌だ。まだ、あの男の方がいい……!

 どうして、どうして私ばかりがこんな目に遭わなければならない!?

 こんなの、もう、嫌だ! 嫌だ!!  嫌だッ!!

「な、なんだ!? 」

 盗賊が声をあげる。

「……っ? 」

 その時、私は額に何か熱のようなものを感じ──そして。

 全 すべ てを思い出した。

「お前は今日から〝影〟さ。あたしのことは様をつけてお呼び」

「かしこまりました、ルシア様」

「そう、いい子だよお前は」

 幼い頃 ころ 。

 ルシア様に頭を撫 な でられると、その手にたくさんついた指輪に髪の毛が絡まって、少しだけ痛かった。でも、私はその温かい手がとても好きだった。

 私のご主人様であり、私の母のような人。それがルシア様。

「いいかい、お前は仕事をしなきゃならないよ。あたしの役に立つんだ。このアイシーン家で生き残るにはそれしかないのさ」

「かしこまりました」

「いい子だ」

 ルシア様お付きの影部隊によって暗殺の英才教育を受けた私は、ルシア様の影の右腕として暗躍した。暗殺しか取り柄がない、そんな女だった。

 そして、最後の日。彼女の最後の言葉。

 何故 なぜ 、忘れていたのか。よく覚えている。よく……。

「ああ、来たかい。ちょいと額をかしてごらんよ」

「ルシア様、一体何を……」

「おまじないさ。お前が幸せになれるおまじない」

 しわしわの笑顔。指輪がたくさんの手で、私の額を優しく触る。

 次の瞬間、私は意識を失い──

 ──気が付いたら、全てが終わっていた。

 ルシア様は謀反を企てた罪で処刑。使用人も、影部隊も、全員殺された。

 私だけが、奴 ど 隷 れい としてモーリス商会に引き取られ、命を拾った。いや、助けられたのだ。ルシア様によって。

 私の尊敬するご主人様。私の優しい母上。それがルシア様………… 。

「……っ」

 目が覚める。

 ああ、そうか。私は洗脳 されていたんだ。全てが、わかった。

「うっ……げほっ」

 堪 こら えきれず嘔 おう 吐 と する。

「げっ! きたねぇなこのっ!」

「っぐ!」

 盗賊の男は私の腹を蹴 け り上げた。私は部屋の壁に叩 たた きつけられ、床に転がった。ここは何処だろう。盗賊のアジトだろうか。

「おーい、大事な商品に傷つけんなー」

「大丈夫だって、腹だ腹」

「なら構わねぇ。だっはっは!」

 下 げ 衆 す め。

 私は苦痛にうずくまりながら、遠い遠い夢のような過去を思い出す。

 ………… 全て、都合のいい妄想 だ。私はルシア様に撫でられたことなど、幼少期の、それも片手で数えるほどの回数しかない。それをさも日常のように歪 ゆが めていた。

 優しい笑顔? ルシア様が私に笑顔を向けたことなど、私の額に触れたあの最後の一回しかない。

 母のような人? 孤児の私を暗殺者に仕立て上げ利用した人間が母? あの苛 か 烈 れつ な殺しの日々を忘れたわけではあるまい?

 何故私を奴隷にした? 何故洗脳した? 何故私だけ生き残った? 何故? 何故? 何故!?

「何故! 何故ッ!! 」

「オイオイオイなんだどうした?」

「オカシクなっちまったか?」

 涙が止まらない。

 私は、私は! 誰 だれ にも愛されていなかった! 唯一縋 すが りついた愛は偽りだった!

 どうすればいい? どうすればいい!

「舌を嚙 か まれたら厄介だぞ」

「縄でも嚙ませて黙らせるか」

「口開けろ、オラ!」

 私は、どうすれば……。

    ◇◇◇

 森の中の隠れ家に入っていったのは男が五人と、縛られたユカリが一人。

 門の前に見張りが二人。中に何人いるかは不明。周囲をぐるりと調査してみたところ、どうやら裏口はないと見てよさそうだ。

 できれば夜が明けるまでには決着をつけたい。俺は弓を構え、矢を番 つが えるとゆっくり引き絞った。

 隠れ家の横側へ向かい、見張りの二人が一直線上に重なるように調整する。

「………… 」

 躊 ちゆう 躇 ちよ したら、終わりだ。

 せっかく見つけた優秀な鍛冶 かじ 師の卵、ここで手放すわけにはいかない。

 静かに、《香車弓術》と《桂馬弓術》を複合させる。

 発動準備が終わった瞬間──俺は矢を放った。

 不思議なもので、弓だというのに確かな手応え があった。

 ヒュンという風を切る音とともに飛んでいった矢は、一人目の頭部を大した音もなく貫いて、二人目の首をぐしゃりと跡形もなく吹き飛ばす。結果、見張りの二人は声すら出せずに倒れた。

 確実に死んでいる。俺が殺したんだ。この感触は、しばらく忘れられそうにない。

 だが、今は考えている暇などない。俺は勢いよく駆け出して入口まで接近し、中の様子を窺 うかが う。

「今なんか音したよな?」

「見てくるか」

 そんな会話が聞こえた。俺は弓を剣に持ち替え、ドアの横に息を殺して張り付く。

 ドアが開いて二人の男が出てきた瞬間、準備していた《銀将剣術》で片方の男の身体 からだ を斜めに切断した。ドチャドチャと、臓物が撒 ま き散 ち らされる音がする。

「ん、がっ!? 」

 もう一人が声をあげながら振り向くと、俺は間髪を容 い れず《歩兵剣術》でそいつの首を斬り落とした。バンッと、こと切れた体が力なく地面に倒れ、音と振動が響く。

 簡単だ。とても。

 俺は剣を構えたまま隠れ家の中へと踏み込む。

 部屋数は少ない。台所と物置のような場所には人の気配がなかったが、一番奥の大部屋で大勢の声がする。恐らく、あそこに全員いるのだろう。

 俺は《金将剣術》を準備した状態で、部屋のドアをぶち破った。

「な、なんだ!? 」

「ぐわぁっ!? 」

《金将剣術》は「全方位への範囲攻撃」である。俺の入室と同時に、周囲にいた男たち三人が斬撃で吹き飛ばされ、血を撒き散らしながらあっという間に絶命した。

「し、死んだはずっ」

 驚きの顔のまま、こいつも死んだ。

 男はあと三人いた。ユカリは猿 さる 轡 ぐつわ をかまされ床に転がされており、その付近に一人。二人は剣を構えてこちらに攻めてきた。

 俺は右斜め後ろに二歩後退しつつ《角行剣術》を発動させる。効果は「素早い強力な貫通攻撃」。対人戦においては非常に有力なスキルである。

 二人の男はアホみたいに直線上に固まっていた。そのため、振り抜いた《角行剣術》が一人目の胴体を貫通し、二人目の手首を斬り落とす。

「う、うわあああっ!」

 手を失った男はパニックを起こして叫ぶ。直後、《歩兵剣術》で楽にしてやった。

「オイ……なんじゃあ、こりゃあ……化け物かテメェ」

 ユカリの横にいる、おそらく男たちのリーダーであろう男がそう呟 つぶや いた。

 ユカリは床に転がったままこちらを見て、目に涙を溜 た めている。

「……っ! 」

 俺は思わず驚いた。何故 なぜ なら、ユカリの目から、警戒心や敵意のようなものが綺 き 麗 れい さっぱり消えてなくなっていたから。

 よし、よし、よしっ……!  洗脳が解けている! なんという僥 ぎよう 倖 こう ! 思わず、盗賊たちに感謝すらしたくなる。

「おおっとォ! 動くなよ!」

 と、俺が場違いなことを考えている間に、盗賊たちのリーダーは抜剣し、ユカリの首筋にその刃 やいば を当てた。人質のつもりなのだろう。

「オラ、その剣を捨てろ!」

 俺は素直に従う。剣を両手で胸の前に掲げ、パッと手を放した。

「よぉし、そしたら──」

 次の瞬間、リーダーの顔面に《火属性・壱ノ型》がぶち当たり、ボゥと音を立てて炎上した。

 掲げた剣に気を取られて足元の詠唱陣に気づかないなど、馬鹿丸出しである。

「ぐわあ!? 」

 ユカリの首筋から剣が逸 そ れた。好機だ。

 俺は《銀将剣術》と《水属性・参ノ型》を複合させた【魔剣術】で男にとどめを刺す。男は参ノ型による刺突を胸部に受け……結果、胴体が水圧で吹き飛んだ。火事にならないうちに顔の火も消せて一石二鳥であった。

「大丈夫か?」

 他に残党が隠れていないか確認した後、俺はユカリの縄を解く。

「………… 」

 覇気がない。心ここにあらずといった様子で、ただただ涙を流している。

「……行こう。ここは空気が悪い」

 俺はかける言葉が見つからず、そうとだけ言って立ち上がった。ユカリは静かに泣きながらも無言で後を付いてきた。

 そして、四日目の朝が来る。

    ◇◇◇

 空が白んできた。泣き疲れて眠っていたユカリが、朝日とともに起きてくる。

「飲んどけ」

 俺は親切心から状態異常回復ポーションをユカリに手渡した。感覚的には栄養ドリンクみたいなものだ。こいつのお陰でなんとか徹夜を耐えられている。昨夜は失敗したが……。

「……すまんかった」

 そして、俺はユカリに対して頭を下げた。

 危険な目に遭わせてしまった。これはひとえに、俺の油断のせいだ。

「………… 」

 ユカリは無言でこちらを見つめる。それからしばし逡 しゆん 巡 じゆん した後、沈黙を破った。

「私こそ、申し訳ありませんでした」

「今までの態度のことか?」

「はい。実は」

「ああ、知っている。洗脳だろう」

「……っ! 」

「おそらく〝主人に対して警戒心を抱く洗脳〟だ。ルシア女公爵の持つ洗脳魔術の効果だな」

 俺の言葉にユカリは目を丸くして驚いた。その目の周りは赤く腫 は れている。

「……貴方 あなた は、何故……」

 まだ感情の整理がついていないのか、何かを言 い い淀 よど む。

 洗脳のせいとはいえ今まで親の敵のように思っていた相手だ。まだ警戒しているのかもしれない。

「ゆっくりでいい。歩きながら話そう」

 俺はインベントリからリンゴとバナナを取り出して手渡し、立ち上がった。ユカリはそれを受け取ると、俺の少し後ろに付いて歩き出した。

 食べながら歩く。食べ終わっても歩く。ひたすら歩く。

 そして二時間ほど歩いた頃 ころ 、ユカリはぽつりぽつりと語りだした。

「私はルシア・アイシーン女公爵の駒 こま として、暗殺を生業 なりわい に過ごしてきました」

「駒?」

「ええ。ルシア様は孤児である私を拾い、名を与えず、ただ暗殺をこなすだけの駒として育てたのです」

「……なるほどな」

 反論はあるが、今は黙っておこう。

「恐らく私は洗脳されていました。自分は幸せ だと。ルシア様の暗殺者でいられてよかったと。事実、盗賊に捕まり絶望したその瞬間まで、私は〝影〟としての日々を美化していました」

「そうか」

「……愚かな勘違いでした。いや、残酷な洗脳でした。そして、本当の絶望は、洗脳が解けた後でした」

 ユカリの声が震える。

「私は、ルシア様に……愛されてなどいなかった。ずっと騙 だま され続けていた。偽りの愛を心の拠 よ り所にしていた。立派な主人など、優しい母など、いなかった……」

 悔しいのか、悲しいのか、それとも。ユカリは目に涙を溜めながら言葉を続ける。

「私が黙っていたことを……いえ、私が洗脳によって黙らされていた事実を話しましょう」

「それはルシア女公爵の処刑の理由だな?」

「ええ。ルシア様は謀反の罪によって処刑されましたが、それは真 ま っ赤 か な噓 うそ 。敵対勢力の策略です。敵はバル・モロー宰相……そう記憶しています」

「何故わかる?」

「私は影。ルシア様の影。その手足の代わりとなって血に汚れる役目です。知らないはずがありません。ですが……」

「ん?」

「私が洗脳され、この情報を新たな主人に明かさないようにされていたということは、恐らくルシア様にとって都合の悪い情報なのでしょうね」

 ユカリは思い悩むような顔をする。

 今まで世話になった主人は、自分を愛してはいなかった。そこから疑いが芽生え、ついには俺に情報を明かしてしまったのだ。それでも自責の念を抱いてしまう。それほどに洗脳の根は深かったのかと、そう感じているのだろう。

「…………! 」

 俺は一つ、いいアイデアを閃 ひらめ いた。

 前からユカリの洗脳が解けたらやろうと思っていたあること を利用して、彼女の信用を得る。言わば取引 だ。シルビアの時を思い出すな。

 彼女が話を受けてくれるかはわからない。だからこそ確実性を上げるために、まずは俺の〝考察〟を伝えることから始めよう。

 ゲームとしてのメヴィオンを知っている者にしかできないだろう、少しだけズルい考察を。

「ちょっと俺の考えを聞いてくれるか?」

 俺はユカリの目を見て問いかける。ユカリは少しの沈黙の後、こくりと頷 うなず いた。

「ユカリの考えは確かに的を射ている。だが、ルシア・アイシーン──彼女はきっと、ユカリを愛していた」

「まさか……そんなはずは。私は洗脳されていたのですよ?」

「その洗脳がユカリを守護するためだったとしたらどうする」

「……いえ、有り得ません。では、何故 なぜ 、私は名を与えられず、暗殺者として育て上げられたのですか」

「お前に名を与えなかったことも、洗脳をかけて情報を漏らさないように細工していたことも、お前を守るためだ。そうやって、女公爵の洗脳で強制的に暗殺をさせられていた可哀 かわい 想 そう な奴 ど 隷 れい のイメージをつくったんだ」

「イメージではありません。私は実際に辛く厳しい暗殺者としての日々を過ごしました」

「でも、幸せだったんだろ? 女公爵の奴隷でいられてよかったと、一度でもそう思ったんだろ?」

「ですから、それは洗脳で」

「いいか、よく聞け──洗脳魔術はな、一人に対して一回限りだ」

 メヴィオンの《洗脳魔術》の制約。この世界でも同様だろう。だからこそ俺はここに違和感を覚え、この可能性に気付けた。

「……え……?」

「お前の場合、俺に対して警戒心を抱く洗脳の一回がそれに当たる。これは確実だ。つまり、お前は実際に影としての日々を幸せだったと思っていたことになるな」

「そん、な……」

 信じられない──と。ユカリの表情は、実にわかりやすいものに変わった。

 この考察は、半分が本意であり、もう半分は甘い餌 だ。

 彼女がつい信じたくなるような、食べてしまいたくなるような甘い甘いお饅 まん 頭 じゆう 。

 ユカリは悩んでいる。そんなわけない、いや、でも、もしかしたら……そうして悩み、段々と「信じたく」なってくる。これが事実だったらどんなに嬉 うれ しいことか、と。

 そして、頃合を見て。俺は、用意していたあることを、〝取引〟の場に出した。

「ユカリ。脱獄 しないか?」

    ◇◇◇

 私は全 すべ てを打ち明けた。

 まだ彼を信用したわけではない。だが、彼に縋 すが る以外にもはや道がなかった。

 意外にも、彼は黙って私の話を聞いてくれた。そして、私が話し終えると、彼なりの考察を語ってくれた。

 ……信じられない。正直なところはその一言に尽きる。

 しかし、彼の言うことがもし本当なら……私は、私の日々は、私の親愛は、間違っていなかったと、いつか誇れる日が来るかもしれない。そんな風に思える、優しい解釈だった。

「脱獄しないか?」

 彼が言う。堂々と、余裕の表情で。

「脱獄?」

「ああ。洗脳が解けたらしてやろうと思っていたんだが……まあ、所謂 いわゆる 〝抜け道〟ってやつだな」

 あまり聞こえのよくない単語が耳に入り、私の中で不安と疑いが大きくなる。だが、以前のような嫌悪感はもう湧 わ いてこなかった。

「簡潔に説明すると、お前は非合法に奴隷ではなくなる。〝攻撃不可〟とやらもなくなる」

「……そんなことが?」

 できるわけがない。

「モーリス商会から目をつけられるが、それはまあいい。それより大切なことがある」

 大商会を敵に回すより大切なこと?

「俺を信じてくれ。どうしても、俺の鍛冶 かじ 師をしてほしいんだ」

 ………… 馬鹿馬鹿しい。普通は、優先すべきことが逆だ。

 それに、できもしないことを言っても仕方がないではないか。

「つまらない冗談ですね」

 脱獄……つまり、隷属魔術の正式な解除なしに私を奴隷から解放するということだろう。

 有り得ない。そんなことは不可能だ。でなければ奴隷商人などという商売が成り立つわけがない。

「じゃあ、もし脱獄できたら俺のことを信じてくれるか?」

 釈然としない私の様子を見てか、彼はニヤリと笑って挑戦的に言った。

「……ええ、構いません。信じましょう」

 私はそう返した。やれるもんならやってみなさい、と。

「ん。そしたら俺の胸に思いっきり頭突きしてくれ」

「………… はい?」

 いよいよ、意味がわからない。

「俺の胸に頭突きだ。本気でやれ」

「いえ、契約上できないはずですが……」

「できるんだなそれが。いいから思いっきりやってみな。ほれ」

 彼は両手を広げて私を待ち構える。

 何故そんなに自信満々なのだろう?

 その余裕はどこからくるのだろう?

 ……私はどうして彼に近づいていっているのだろう?

「行きますよ?」

「ああ。ドンと来い」

 できるわけがない。私はそう思いながらも、ぎゅっと目をつぶり、思いきって彼の胸に頭から飛び込んだ。

「ぐっふ!」

 彼が呻 うめ き声を漏らす。ドスッ──と、彼の胸に私の頭が当たり、じーんと小さな痛みが広がる。

 ………… できた。できてしまった。う、噓 うそ ではなかった! これは、紛れもない〝攻撃〟だ! 一体、何故……!?

「成功したな」

 彼の胸の中でその顔を見上げると、彼は笑顔で呟 つぶや いて、私の背中に優しく手を回した。

「……………… 私、は」

 私は。

 もしかして、とても大きな勘違いをしていたのかもしれない。

 もしや、彼は、今までに一度たりとも噓をついてなどいなかったのではないか……?

 何かに気付きかけている。

 私の頭の中を、様々な光景が高速で通り抜けた。

 トクン、トクン、と。少し速い、彼の鼓動が聞こえる。

 ああ、彼も私と同じ一人の人間なのだ。そう実感できた。私の鼓動もどんどんと速くなっていく。

 そして、私は発見した。彼がちりばめていた、信用の欠片 かけら を。

 そう、思えば……盗賊から助けられた時、縄を解く彼の手は微 かす かに震えていた。

 怖かったのだ。大勢の盗賊を相手に戦って、大勢を殺したんだ。怖くないわけがない。

 私と一緒だ。初めての仕事の後は、体の震えがなかなか収まらなかった。

 ……まさか。まさか! 彼は、本当に世界一位を……?

 ダンジョンで二人に任せていた理由は訓練のため? 私の傍 そば を離れずにいたのは護衛のため?

 ランダム転移も噓じゃない。二百五十五キロメートルも噓じゃない。ペホまで七日の距離も、本当だ。

 根気強く喧 けん 嘩 か し続けたのも、私の洗脳を解くために? 寝ずの夜番も、私を護 まも るために?

 彼は私を襲わなかった。そもそも契約上私を襲うことなどできない。

 私の勘違いだった? 私の思い違いだった?

 盗賊からも助けてくれた。私の話を聞いてくれた。私が気付けないような、考えつかないような希望ある考察をしてくれた。

 私を、奴 ど 隷 れい から解放してくれた。信じてくれと、たったそれだけ言って。

 全て、全て、彼は私を鍛冶師として育てるために……?

 彼は、私のために? 私のために、こんな、私だけのために、ここまで……!

「信じられるようになったか?」

 彼の言葉に、私の心臓が跳ねる。

「………… ええ……」

 私は彼の胸の中で涙を拭 ぬぐ うように頷き、こう伝えた。

「一応、ですが。信じることにいたします……ご主人様」

 世界一位を目指す風変わりな男、セカンド。もしかすると、彼になら……。

    ◇◇◇

 脱獄は成功した。

 元は「奴隷になったNPC ノンプレイヤーキヤラクター に対して頭突きをすると隷属が解除される(※ストーリーの進行に問題はない)」というなんともお粗末な不具合が原因で、その後のアップデートでも修正されることはなかった軽微なバグ。言わば「どうでもいい現象」であった。メヴィオンのストーリーが、奴隷という存在が、いかに「おまけ的な要素」であったかが窺 うかが える。そもそもメヴィオンではストーリーを進めていたプレイヤーの方が珍しいくらいではないだろうか。

 ただ、この脱獄はストーリーを進めるプレイヤーにとっては実に画期的なものであった。奴隷となったNPCを特定のNPCの元まで連れていかなければならないというストーリー上のクエストにおいて、道中で魔物に襲われた際、奴隷は一切の戦闘を行わないのである。しかし脱獄させていると、か弱い奴隷のはずのNPCは魔物を相手に何故か獅 し 子 し 奮 ふん 迅 じん の活躍を見せる。ゆえに護衛の手間が省け、効率化を図れるのだ。ただまあ大した違いはない。ゆえに修正もされなかったのだろう。そのうえ隷属魔術などその後は一切ストーリーに登場しなかったため、メヴィオン運営すら忘れていたのではなかろうか。

 とりあえず「頭突きしてくれ」と言ってみたが、これほど上手 うま くいくとは思わなかった。主人側からだけでなく、奴隷側から頭突きをしても隷属が解除されるという現象はメヴィオンでも既に検証が済んでいたが、それがこの世界でも通用すると確認できただけでも大きい。もし今後また奴隷を購入したような場合は、信用できる相手だと思ったらすぐに頭突きさせることにしよう。

「ご主人様、そろそろ日が暮れます。野営にいたしましょう」

「ああ」

 その後、ユカリはすっかりいつもの冷淡さを取り戻していた。

 ただ一つ違うのは、間違いなくこれが彼女の素であるということ。今までの事務的で無機質な冷たい言葉ではなく、何処か人間的な優しさを感じる冷たい言葉であった。

 そこに大した違いはない。だが、確かに、確実に、彼女の中の何かがガラリと変わったようだ。

「別に主人と呼ばなくてもいいんだぞ?」

「いえ。もう決めたことですので」

「あ、そう……」

 ……でも、やっぱり冷たい。あれぇ? 一時は心を開いてくれたような気がしたんだが。

「今夜の番は私にお任せください」

「ありがとう、助かる」

 ちゃちゃっと晩メシを食って横になる。眠気はすぐさま訪れた。

「………… 」

「………… 」

「ん? 今見てたか?」

「いえ」

 視線を感じたが、気のせいだったようだ。俺は再び寝ようと目を閉じて……。

「………… 」

 いや、気のせいじゃない。

「おい、見ているな?」

「いえ」

「噓つけ目を逸 そ らしたじゃないか」

「見てません。いいから早く寝てください」

 納得いかねえ……。

「………… ふふ」

「お前! 見てるだろうが! しかも笑ったな?」

「いえ。見てませんって。ふふふ」

 ユカリはくすくす笑いながら言う。

 半日でここまで元気になったのはいいことだが……少しキャラが変わりすぎていないか?

「くっそ、覚えとけよ……」

 俺は押し寄せる強烈な眠気に負けて、もう見られていても笑われて馬鹿にされていても構わないからそのまま寝ることにした。

「ええ、覚えておきます。しっかりと」

 ユカリがぽつりと呟く。わけわからんぞこいつ……。

 翌朝。

「おはようございます、ご主人様」

 目が覚めると、昨晩と同じ位置から同じ体勢で同じ視線を送るユカリの姿が真っ先に目に入った。

「……おはよう」

 ……………… いや、まさかな。

 俺は「ずっと見てたのか?」という質問を飲み込んで、彼女に朝の挨 あい 拶 さつ をした。

 その後、軽く朝食をとり、またいつも通りに歩き出す。このペースなら今日中には港町クーラに到着しそうだ。

「ご主人様。私は鍛冶師としてどのような鍛錬をすればよろしいのでしょうか?」

 道すがら、ユカリがそんなことを尋ねてきた。

「ああ、経験値を稼いで鍛冶スキルを上げていけばいい」

「経験値稼ぎ、ですか」

「ペホのリンプトファートダンジョン周回が今は一番効率がいい。しばらくはそこで稼ぐ予定だ」

「乙等級ダンジョンの周回……私に可能でしょうか」

 おっと、そういえば説明していなかった。

「先日、チームを組んだよな? チームマスターはチームメンバーの経験値獲得比率を操作することができる。ユカリを100%に設定すれば、俺たちが倒した魔物の全 すべ ての経験値がユカリに入るようになるから、爆速で稼げるぞ」

 ネトゲ用語で言うところの、キャリーするというやつだな。

「………… 」

 俺の話を聞いたユカリは、腕を組み何かを悩んでいる。両の腕で撓 たわ わな乳房が際立ち甚だけしからん風姿である。

「私も……いえ」

 ユカリはそう言いかけて、すぐに否定した。

 私も戦闘した方が云 うん 々 ぬん ……だろうか? それはできればやめてほしい。【鍛冶 かじ 】スキル全九段へ到達するまでの時間が延びてしまう。ユカリもそれがわかっているから言葉を止めたのだろう。

「……承知しました。私がいち早く鍛冶師として大成するために必要なことなのですね。お手間をおかけしますが、何 なに 卒 とぞ よろしくお願いいたします」

「まあ気にするな。俺が勝手に効率を求めているだけだ」

「その代わりに、ご主人様の身の回りのお世話は私にお任せください」

 ん?

「精一杯ご奉仕させていただきます」

「ちょっと待て。え? どういうこと?」

「私はご主人様の奴 ど 隷 れい ですから当然のことかと」

「違うだろ? もう奴隷じゃないぞ」

「いえ奴隷です。紛れもなく」

「違うってば」

「非合法的に奴隷でなくなったのなら、モーリス商会に目を付けられることは確実。ならば十全な主従の関係を維持して白を切るのがよろしいかと」

「………… それもそうか?」

 なんか騙 だま されているような気もしないでもないが、ユカリの話も確かに一理ある。

 ただ、主従関係を上手 うま くやっているというアピールなら、別にフリだけすればいいのでは──

「ご主人様。港町が見えてきました」

「ん、おおっ。やっと着いたか!」

 ようやくベッドで眠れる!

 その喜びに、直前まで考えていた色々なことは何処かへ吹っ飛んでいってしまった。

「……綺 き 麗 れい ですね。とても」

「日の出はもっと綺麗だぞ。明日は早起きしよう」

「ええ」

 海の見える宿屋、二階の角部屋をとった俺たちは、窓から海を眺めていた。

 何故か、二人部屋である。ダークエルフの奴隷というのは外聞がすこぶる悪い。宿の受付で俺がどうしたものかと悩んでいたら、ユカリが「夫婦です」と一言、結果こういう事態となった。

 俺たちの間を心地よい沈黙が流れる。今までにもこういう沈黙の時間はあったが、明らかに以前と比べて「なんだかいい雰囲気」だ。何処かむずがゆい空気だった。

「ありがとうございました」

 ユカリが沈黙を破る。

「何が?」

「私を見つけた方が、貴方でよかった。今は心底そう思っています」

「そうか……」

 再びの沈黙。遠くから聞こえてくる、寄せては返す波の音に耳を傾けながら、俺は思考に耽 ふけ る。

 ルシア・アイシーン女公爵──彼女は本当にバル・モロー宰相によって殺されたのだろうか?

 当事者であるユカリがそう記憶しているのならば、間違いはないのかもしれない。しかしその理由は気になるところである。

 何か途 と 轍 てつ もなく大きく理不尽なものが、裏で渦巻いている気がしてならない。

 バル・モロー宰相はクラウス第一王子派の筆頭として有名だ。あの第一王子のひん曲がった性格は知っている。その派閥の最有力者ならば、何か汚いことをしていても違和感はない。

 では、その父であるバウェル・キャスタル国王はどうだ? メヴィオンでは、確か利益第一の利己的な拝金主義者のように描かれていた。この世界でもそのままの男であれば、何かあくどいことをしているだろう。ただ、そうでない可能性もある。これまでの経験上、この世界は全てがメヴィオン通りというわけではなかった。何かを要因に、国王の性格が変わることもあるかもしれない。

 面倒なことに、ゲーム上では大して気にすることもなかった国王などというNPCは、この世界で一位を目指すにおいては絶対に無視できない存在である。気にするよりないだろう。それに何より第二王子のマインが心配だ。クソみたいな政争に友人が巻き込まれるのは我慢ならない。

 ……調べる必要がある。俺はそう感じた。

 俺の夢、世界一位のために、マインの未来のために、そして──

「お前の隠していた、宰相の件だが」

「っ……はい」

「全て任せておけ。今すぐにとはいかないが、俺がなんとかしてやる。ああ、心配するな。何が来ても、負ける気はしない」

「…………! 」

 そう言ってのけると、ユカリは普段あれほど鋭い目を真ん丸にしてこちらを向いた。

 俺が見つめ返すと、ユカリはしばし放心した様子を見せてから、ぷいっと海の方へ視線を戻し、ゆっくりと口を開いた。

「あまり、軽薄なことは口になさらない方がよろしいですよ」

 その横顔は、まるで氷細工のように冷たくも美しかった。彼女は微笑 ほほえ む口元を俺に悟られまいと隠す。その細長く尖 とが った耳を、褐色の肌でもわかるほどに赤く染めながら。

    ◇◇◇

 港町クーラ到着から一日後。早朝にクーラを出発して丸一日移動し、やっとこさペホの街へと戻ってきた。

「遅いぞ! 何をしていた! 心配するではないか!」

 約一週間ぶりに会ったシルビアのご機嫌は、対地接近警報装置が作動するレベルで下降中である。なんとか上昇させなあかん……。

「せかんど!」

 と、その前にエコが抱き着いてくる。頭を撫 な でると頰ずりしてきた。完全に犬だ。猫獣人なのに。

「いやあ、すまんすまん。何か問題はあったか?」

 とりあえず謝っておく。

「すまんではない! 問題だらけだ! 何度通信しようと思ったことか!」

 シルビアの機嫌が余計に悪くなった。あちゃー…… 鬱 うつ 陶 とう しいから「緊急時以外は通信してくるな」と言っておいたのが駄目だったか。通信がなかった=問題はなかったと勝手に思っていたのだが、問題大アリだったようだ。

「何があった?」

「私の実家に──ん? ちょっと待て」

 シルビアが言いかけたところで何かに気付く。その視線の先には、俺の斜め後ろに控えているユカリの姿。

「………… 」

「………… 」

 無言で見つめ合う二人の女。何か通じるものがあるのか、互いに目で語り合っている。少しばかり空気がピリッとしているのは何故 なぜ だろう?

「……よし、少し女同士で話がある。セカンド殿は向こうへ行っていてくれ」

「は……?」

 シルビアは問答無用でユカリとエコを連れていって内緒話を始めた。

 時折シルビアの熱くなるような声が聞こえてきたが、ユカリもユカリで珍しいことに若干のヒートアップをしているようで、どうやら三人で楽しくお喋 しやべ りしているみたいだ。これが噂 うわさ に聞く女子会というやつだろうか。へぇ~女子会って殺気が迸 ほとばし るんだなあ、初めて知った。

「これで勝ったと思わないことですね」

「ふん、貴様とは年季が違う」

「それだけ一緒にいて進展していないことが既に答えなのでは?」

「ぐはっ! やめろ! その口撃は私に効く!」

 ああ、仲よく喧 けん 嘩 か しなってやつだな。ユカリが加わっても上手くやっていけそうでよかった。

「さくせんは!? 」

 エコが聞いてくる。うん、何の?

「もう夕方だから、今日はダンジョン行かないぞ」

「そっかー」

 ちょっと残念そうだ。エコはダンジョンが好きなのだろうか?

「そうだなあ、晩メシ食いながら作戦会議でもするか」

 俺はエコが喜びそうな提案をしつつ、いつもの宿屋へと歩を進めた。エコが「うん!」と頷 うなず き、俺と手を繫 つな いで横に並ぶ。その後ろをシルビアとユカリがあれこれ言い合いながら付いてくる。

 こうして、俺たちの新たな日常が始まった。

「何はともあれ経験値稼ぎだ」

 晩メシも終盤、俺は単純明快な作戦を宣言した。

 次いで、酒が入り陽気になったシルビアが口を開く。

「ユカリはどうするのだ?」

 もう呼び捨てする関係になったみたいだ。よきかな。

「鍛冶スキルが九段になるまではユカリのために経験値を稼ぐ。その後は鍛冶に専念だな」

「ありがとう存じます」

 ユカリが少し申し訳なさそうにお礼の言葉を述べる。

 シルビアは「気にするな」と言ってユカリのグラスにワインを注 つ いだ。

「ところで、ご主人様。チーム名はもうお決めになられたのですか?」

 ユカリはシルビアに注ぎ返してから、俺のグラスにも注ぎつつそんなことを言った。

 チームの名前ね。クソ転移事件のせいですっかり忘れていた。

「そういえばまだ決めてなかったな」

「むっ! 私の案を聞け!」

「却下だ」

「まだ言っていないぞ!? 」

 シルビアのネーミングセンスは茶色い馬の「白銀号」でよーくわかっている。微 み 塵 じん も期待できそうにない。

「ではシルビアさん、代わりに私がお聞きいたしましょう」

「うむ! 私は、血盟騎士だ──」

「スタァップ!! 」

 危ねえ! よくわからないが危ない気がする!

「……ええと、私たちは騎士ではありませんから不適切ですね」

「そうか? そうか……」

 本気でいいと思っていたのか、ユカリの正論に落ち込むシルビア。「じゃあ零の騎士団はどうだ?」とか言い出したところでワインを飲ませて黙らせた。いよいよ危ない。

「では、これはどうでしょう」

「ん?」

「S世界一位を、O大いに達成するための、Sセカンドの団。略してSOS団」

「なんでお前たちはそうギリギリを攻めたがるんだ?」

 俺に何か恨みでもあるのか?

「もういい、エコに決めてもらおう」

「zzz」

 寝ておられる。

 じゃあ、俺が考えるしかないか。名前、名前ねぇ……。

「んー……よし、『チーム・ファーステスト』にする。これで行こう」

 firstestなんて言葉があんのかは知らんが、とにかく「一番」をメチャクチャ強調してやれば俺たちが「世界一位」なのだとわかりやすいだろう。この世界で最初に完全無欠の一位になってやるぞという思いも込めている。地味にfastestとかかっているのも自慢だ。スピード感があっていい。

「それは……一番でなければ少しばかり恥ずかしい名前ですね」

「いいんだよ。どうせ世界一位になるんだから」

 酔った勢いでかなりテキトーなチーム名が決定してしまった。まあ、俺の偏見だが、世の中のそういう名前なんて八割方が居酒屋で決まっているようなもんだろうし、何も気にすることはない。こういうのは勢いが大切なんだ、勢いが。

「今日から俺たちはファーステストだ。ということで改めてよろしく」

「はい。よろしくお願いいたします」

 返事をしたのはユカリだけ。シルビアは酔いつぶれ、エコは熟睡中。まあ、いいや。

「ファーステスト。うん、パッと決めたにしては、なかなかいい名だと思わないか? なあ?」

「ええ、ご主人様の仰 おつしや る通りです」

 俺はユカリのお酌で気分がよくなって、その後延々とくだを巻いた。ユカリは冷淡な表情ながらも、面倒くさがらず相 あい 槌 づち を打ってくれる。いやあ、悪くない。こりゃあ酒も進む。

 と、そんな具合で、ファーステスト結成の夜はゆるりと更 ふ けていった。

 翌日。二日 ふつか 酔 よ いで頭が痛いと呻 うめ くシルビアに解毒ポーションを飲ませてから、いつもの乙等級ダンジョン『リンプトファート』へと向かう。

 久しぶりのリンプトファートダンジョンは、やはりいい。何がいいかって、サクサク倒せてガポガポ経験値が入る。ユカリの【鍛冶 かじ 】スキル全九段もこのペースなら一か月とかからないんじゃなかろうか。なんて考えながら、ちらりと当人の様子を見やる。

「………… 」

 ユカリは目の前の光景に絶句していた。

「どうした?」

「い、いえ……まさか、これほどとは」

 珍しく動揺を見せている。

「ん?」

 ふと思い出す。そういえば、ユカリのスキルの構成やランクをまだ確認していなかった。

 俺はチームマスター権限を使って、ユカリのステータスを覗 のぞ き見 み る。

「あぁー…… 」

 納得。そして、ラッキー だ。

 ユカリのスキルの中で段位まで到達しているのは、【弓術】の《歩兵弓術》初段と【暗殺術】の《桂馬暗殺術》初段の二つのみ。他は全 すべ て級位である。それでよく暗殺者が務まったなと思うが、よく考えたら別に腕利きの冒険者や凶悪な魔物を暗殺するわけではないので、そこまで高いスキルランクは必要ないのかもしれない。

 そら驚くわ。目の前で乙等級の魔物がバッタバッタとなぎ倒されるなんて、おそらく想像もつかなかっただろう。高段位のスキルとは、やはりそれほどに強力なのだ。

 それよりも、何がラッキーかって、ユカリの〝伸びしろ〟である。思ったよりスキルを上げ切っていなかったので、予想より経験値を稼ぎやすい状態となっている。これは一か月どころか数週間で、一流とはいかないまでも二流鍛冶師と評される程度には育成できそうだ。

「ユカリ。お前が一流の鍛冶師に成長して強力な武器を作製したり装備に強化を施したりすれば、乙等級どころか甲等級でさえこんな感じで軽やかに周回できるようになる。世界一位が、俺の夢がぐっと近付くんだ。だから、頼んだぞ」

 俺が声をかけると、ユカリは「かしこまりました」と綺 き 麗 れい なお辞儀をしてから言葉を続けた。

「……私も、ご主人様と共に世界一位を目指しましょう。世界一位の鍛冶師を」

 ユカリらしからぬ言葉。以前の彼女ならば軽薄 だと表現していた〝世界一位〟という単語を、二回も口にしてくれた。「人はそこまで強くなれない」と、怒っていた言葉をだ。

 思わず、笑ってしまう。人とは、短期間でこうも変わるものなのかと。

 俺に合わせて小さく微笑 ほほえ む彼女を見て、「仲間にしてよかった」と、俺は心からそう思った。

閑話一 実家に帰らせていただきますの巻

「──おい! ちょっと待て!」

 ブツリと、チーム限定通信が切れる。

 休暇? のんびり? それも六日間? いきなりそんなことを言われても困る。

 ……ただまあ、セカンド殿が無事でほっとした。チームも結成できたようだし、これでいつでも通信ができると思えばそれほど問題はなさそう──

『緊急時以外ニオケル通信ハ極力回避サレタシ セカンド』

 ──ではない! なんか変なメッセージが届いている! こ、これは「俺とユカリの邪魔をするなよ」ということか? 違うよな?

「どーだった?」

 エコが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。セカンド殿が転移した瞬間からつい先程まで「この世の終わり」みたいな表情をしていたエコは、私がセカンド殿と通信していることに気付くやいなや生気を取り戻し、会話の内容が気になるのか右へ左へと場所を変えては聞き耳を立てていた。

「……なんでも、六日は戻ってこられないらしい。その間、私たちは休暇だ」

「おやすみ?」

「うむ」

「そっかー」

「そうだ」

 沈黙。

 私とエコは今、おそらく全く同じことを考えている。「六日間、どうしよう」──と。

「しるびあ、おなかすいた」

 ……違った。

「折角の休暇だ、実家に帰ろうかと思う」

 昼。私たちはペホの街へと戻り、昼食をとりながら休暇の過ごし方を考えていた。

「エコはそれで構わないか?」

「うん、いく!」

 私がそう提案すると、エコはすぐさま頷いた。あっさり決定だ。

「ではさっそく移動するか」

「するかー」

 ペホから王都までは片道四時間ほど。今から出発しても日暮れまでには余裕で到着できるだろう。私とエコは一 いつ 旦 たん 宿屋まで戻りチェックアウトしてから王都へ馬を走らせた。

 道中、私は考える。どうして「実家に帰ろう」などと思い立ったのだろうか、と。第三騎士団にいた頃 ころ の私ならば、絶対にそんなことは思わなかった。むしろ忌避していた節もある。

 ……ううむ、何故 なぜ だろう?

 答えの出ないうちに、私たちは王都へと到着してしまった。

「あっ、シルビアじゃん!」

 実家に帰って真っ先に遭遇したのは、クラリス姉上だった。高い身長と平らな胸にショートカットのブロンドヘアが合わさって中性的な見た目に磨きがかかっている。姉上は今年で二十歳 はたち のはずだが、まだ身長が伸び続けているみたいだ。

「姉上、お久しぶりです」

「元気だったー? いやーしっかし相変わらずお堅いねー……ん? あれ、この子は?」

「こんにちは!」

「今日は~、というかもう今晩は~かな?」

「あ、そっかぁ。こんばんは!」

「やだかわいい……」

 姉上はエコの頭を撫 な でる。エコは目を細めて気持ちよさそうに喉 のど を鳴らして甘えた。

「決めた。私この子飼うわ」

 何を言っているんだこの人は……。

「彼女はチームメンバーのエコ・リーフレットです」

「へぇ~エコちゃんか~」

 姉上は「どう?」「飼われてみない?」とかなんとか言ってエコを誘っている。

「あたしはもうせかんどにかわれてるからだめだよ」

「で、で、出たーっ! 噂 うわさ の超絶イケメン殿下ぁー!」

 殿下? ……あっ、そうか、そういえば。

 危ない危ない、すっかり失念していた。助かりました、姉上。

「なんだ、やかましい……むっ、シルビアではないか。帰っていたのか」

 姉上の声を聞きつけて、父上がやってきた。

「父上、休暇を利用して挨 あい 拶 さつ に参りました」

「ちょうどよかった。お前と話したいことが幾つかあったんだ……ん? その子は」

「こんばんは! あたし、えこ・りーふれっと!」

「………… そうか。ノワール・ヴァージニアだ」

「あっ、ちなみに私はクラリス・ヴァージニアね。よろしーくれっと~」

 ビシッとポーズを決める姉上。よろしーくれっとってなんだ。父上の前でもこの調子だから困る。父上も時折は注意するが、もう半ば諦 あきら めているようだった。

「さ、さ、エコちゃん。こっちでちょっとお話ししましょう?」

「はなしーくれっと~!」

 ああ、エコが連れていかれてしまった。姉上に変なことをされなければよいが……というか話しーくれっとってなんだ。

 と、そうだった。父上が私に話があると言っていたな。

「して、父上。私に用件とは一体?」

「ああ。だが、その前に一言いいか?」

「はい」

「シルビア、お前、その……随分と変わったな」

 変わった?

「まさか自覚がないのか?」

「はい、恥ずかしながら」

「お前はこの短期間で大いに成長したようだ。正直、驚いている。俺を前にして臆 おく さず、余裕を崩さず、卑屈にあらず、自信に満ち満ちているな。まるであの時の彼のような気迫を感じた」

「──っ! 」

 セカンド殿のような、か。ふふふ。

「それは……なんとも、嬉 うれ しく存じます」

「いい影響を受けているようだな。何よりだ」

 父上は満足そうに微笑 ほほえ むと、表情を更に機嫌のよいものに変えて口を開いた。

「彼は魔術大会で優勝したそうじゃないか。そのうえ第一王子の正式な勧誘を公衆の面前で断り、一方で第二王子と非常に懇意だと聞く」

 げぇっ! マズい!

「……そ、その……」

 私は咄 とつ 嗟 さ に適当な言い訳が思いつかず、言葉に詰まってしまう。

 すると、父上は急に「わっはっは」と笑い出し、言った。

「実に痛快! 見事なものよ! やはり私の見る目は確かだった!」

 へ?

「シルビアよ。彼を絶対に放すな。彼は必ずや我がヴァージニア家にとって、否、我らがキャスタル王国にとって、かけがえのない存在となる」

「は、はい」

 それは間違いない、が。私はてっきり「あいつは何者だ!」とひどく問い詰められると思っていたから、正直言って拍子抜けをした。

「話は以上。休暇はいつまでだ?」

「あと六日ほどです」

「そうか。ではゆっくり休むといい」

「……はい。ありがとうございます」

 私に労 ねぎら いの言葉をかけて去っていく父上がやけに優しく感じる。

 いや、今までもこういった優しさは時たま見せていたはず。そうだ、私の感じ方が違っているのだ。父上の仰 おつしや る通り、私は自信がついたのかもしれない。あのセカンド殿と共に乙等級ダンジョンを何百周も回っているという常軌を逸した事実が、私に揺るぎない〝余裕〟を与えてくれている気がする。ゆえに、父上の些 さ 細 さい な優しさを感じ取れるまでに視野が広がったのだろう。

「──で、実際セカンドさんとはどうなのよ~?」

「うわぁ!?  姉上! 音もなく後ろに立たないでください!」

 エコと遊んでいたはずの姉上がいつの間にか背後に立っていて、心臓が跳ね上がった。驚きで顔が赤くなる。いや、これは決して質問の内容に顔を赤くしているわけではないぞ……って誰 だれ に言い訳しているんだ私は。

「その話、オレにも聞く権利があろう?」

 ……最悪のタイミングでまたややこしいのが出てきた。アレックス兄上はご自慢のブロンドの長髪をかきあげながら、向かいの椅子にどかっと腰をおろす。

「セカンド、か……いずれこの〝眼 め 〟で見定めてやらねばなるまい」

 兄上は何か一人でぶつぶつ言っている。この人も昔から全然変わっていない。もう二十二歳にもなるのに十四歳くらいの頃 ころ から変な口調のままだ。

「フッ、久しいなシルビアよ。どうした、早くそのセカンドとやらの情報を明かさんか」

「お久しぶりです兄上。しかし、情報と言いましても……」

「じゃー私から質問! シルビアはセカンドさんのことが好きなの~?」

「何ィ!?  そうなのか!? 」

「ち、違っ……! 」

 ………… くはないけども! ああ、こうなると厄介だ!

 くっ、こんな時にエコと父上は何をして──

「おいしい!」

「そうか、美味 うま いか。もっと食べても構わないぞ」

「ありがとう! たべる!」

「うむ、うむ」

 駄目だあの二人は相性が抜群すぎる! 完全に孫を甘やかす祖父ではないか!

「シルビアよ、その男に伝えておけ。我が妹が欲しくばオレを倒してから奪えとな!」

「だってさぁ~? どうするシルビア~? ねえねえ~?」

「だぁーっ、もうっ!」

 やかましい! 実家になんか帰るんじゃなかった!

第二章 恐怖の大王、精霊の大王

 リンプトファートダンジョンを周回する日々に戻って二週間。やっとお目当てのうちの一つであるアイテム〝岩甲之盾〟』が岩石亀からドロップした……は、いいのだが。

「ううううー……っ 」

 エコが盾を抱きしめて放さないという、なんとも言えない珍事が起こっていた。

 ドロップした盾をエコに渡すまでは問題なかった。エコは大喜びで乱舞し、喜びすぎて酸欠になる程度の些細な問題だった。

 それが「じゃあ強化するから一旦ユカリに渡してくれ」と俺が言った途端に挙動不審となり、ユカリが受け取りに近寄ったらば、この状況だ。エコは「うーうー」と威嚇して盾を渡すまいとぎゅっと抱きしめている。

「エコ、別に取りはしませんよ。強化を施すだけです」

「そうだぞエコ。私の炎狼之弓だってユカリの強化でかなり強くなったぞ!」

 ユカリとシルビアがなだめようと声をかける。

 ユカリはこの二週間、【鍛冶 かじ 】スキルの中でも《性能強化》を優先して上げており、先日ついに五段まで到達した。《性能強化》は五段から強化成功確率の補正が跳ね上がり、加えて上級強化、すなわちアイテム強化の最終段階の一つ手前までの強化が可能となる。ゆえに、いよいよガチの鍛冶師らしい活躍ができるということで、ユカリはここのところ非常に張り切っていた。

「ほんとに……?」

「ええ、勿 もち 論 ろん です。ですから、ほら、ね?」

「やだ! かおがこわい!」

 原因の一つはユカリの気迫だったようだ。確かにあの冷たい表情でにじり寄られたらビビる。「取られる!」と思わなくもない。盾をというか、タマをというか……。

「……ご主人様」

「あー、気にするな。お前には冷たい印象があるが、中身のよさは知っている。大丈夫だ」

「うむ、そうだぞ。冷淡でジト目で正論大好きな毒舌女だが、そこに目をつぶればまあ大丈夫だ」

「なるほどシルビアさん後で少しお話があります」

 やたら仲のいい二人は放っておくとして……エコをなんとかしないとな。

「エコ。すぐ返すって。すぐだから」

「うーっ」

 盾に顔を押し付けつつこちらを見やるエコ。

 なんかオモチャに齧 かじ り付いて放さない猫みたいだ。獣人の本能的なものなのか?

「………… はぁ。まあ、いいか」

 しばらくそっとしておくことにした。特に急ぐ必要もないし。

「今日はもう宿に帰ろう。夜はメシ食いながら作戦会議だ」

 俺は皆にそう伝えて、リンプトファートダンジョンを後にした。

 それから二時間後。さあ晩メシだという頃合で、「ごめんなさい」と耳と尻尾 しつぽ をしおれさせたエコが岩甲之盾を渡してきた。曰 いわ く「われをわすれた」らしい。

「初めてのプレゼントを取られるかもしれんと考えたら歯止めがきかなくなったそうだ」

 シルビアがフォローする。なるほど、だとするとやはり獣人特有の行動だったのかもしれないな。

「悪いなエコ、すぐ終わるだろうからちょっと待っていてくれ。ユカリ、第三段階まで頼む。強化方式はVIT 防御力 特化だ」

「はい。かしこまりました」

 俺は盾をユカリに渡して指示を出した。《性能強化》五段ならば、第三段階までの強化は94 % [image file=Image00009.jpg] 89 % [image file=Image00009.jpg] 84 %の確率で成功し、加えてそこにステータス補正がかかる。ちなみに失敗すると強化段階がゼロに戻ってしまい、そのうちの25 %の装備がぶっ壊れる。強化にはそこそこの素材を投資するのでなるべく失敗はしたくない。今回の場合は岩石亀からドロップしたアイテム〝岩石甲羅〟が合計十四個消費される。相場では一個あたり百二十万CLほどだ。

「完了しました」

 ……が、まあ上手 うま くいくよね。そのための五段と、成長タイプ〝鍛冶師〟だ。素晴らしい。

「流石 さすが だ。ありがとう」

「いえ、それほどでも」

 ユカリは表情を変えずに淡々と謙 けん 遜 そん した。最近気付いたのだが、こいつは嬉しい時や照れている時などに尖 とが った耳の先がぴくりと動いたり少し赤くなったりする。褒めると十中八九反応があるので、俺は彼女をよく褒めるようになった。その度にユカリが澄ました顔を作って「気付かれてはいまい」と思いつつ内心喜んでいるんだろうなあと考えると、なんだかニヤニヤしてしまう。

「ほら、エコ」

「はやい!」

「ユカリにお礼だぞ」

「ゆかり、ありがとう!」

 エコは満面の笑みでユカリに感謝を伝えた。ユカリは「どういたしまして」と表情を変えずに言うが、耳はしっかりぴくっと動いていた。

「拠点を変える?」

「ああ」

 晩メシ後。俺の発表した方針に、シルビアは首を傾 かし げた。

「何故 なぜ だ? 現状ではリンプトファートを高速周回できているぞ。経験値も美味 おい しい。そのうえ岩石甲羅で何千万CL儲 もう けたことか……」

 一個で百二十万CLの岩石甲羅がインベントリにまだ大量に余っている。一気に卸すと値崩れしかねないとユカリに注意を受けたので、少しずつ卸して儲けているのだ。それでも現時点で一人あたり二千万CLの取り分があるくらいだから、もう笑いが止まらない。

 ユカリ曰く「乙等級ダンジョンを高速周回するなど正気の沙 さ 汰 た ではありません」とのこと。強い人なら誰でもこのくらいできるだろと俺は思ったが、実はそうでもなかった。慎重に用心深く、いくら多くても三日に一度、浅い階層を回る。これで十分な稼ぎになり、それ以上リスクを冒す必要はないというのが冒険者たちの常識らしい。一日に何度も周回するのはうちのチームだけのようだ。

 楽な周回を可能にする圧倒的知識量と、適切なスキルを高いランクで持つ人員の用意、そして〝遊び感覚〟から来る余裕。この三つが満たせないと高速周回など到底できないだろうとシルビアは考察する。なるほど、その通りかもしれない。俺たちはかなり特殊で、だからこそ儲けている。

 だが、俺はそれでも拠点を変える。これはもう決定事項だ。

「理由は三つある。まず一つは、今より経験値が美味しいということだ」

「ほう、なるほど」

 それはいいな、とシルビアは頷 うなず く。シルビアは【弓術】や【魔弓術】の全 すべ てのスキルを高段まで上げる努力をしているため、経験値が湯水のように必要だ。一方で俺は高段に上げるものは主要スキルに絞って、それ以外を低段で止めているため、【剣術】にも手を出せているし、経験値も少しだけ余裕がある。ゆえに、シルビアには俺のような余裕はなく、とにもかくにも経験値が欲しいお年頃だ。賛同して当然だろう。

「二つ、そこの魔物から得られる素材で防具を作製したい」

「なるほど」

 これから向かうダンジョンのボスは大量の〝ミスリル〟をドロップする。ミスリル装備は中級者~上級者の定番。持っていて損はない。というかレザー装備より何倍もマシである。

 んで、最後の理由。

「三つ、金が死ぬほど稼げる」

「なるほ……ちょっと待った!」

 シルビアは納得しかけてから慌てて声をあげた。

「今以上に稼ぐのか!? 」

「ああ。家を買おうと思ってな」

「家!? 」

「家、ですか?」

「いぇーい!」

 俺の言葉に全員が食いついた。若干一名違うような気もするが。

「王都郊外にクソでかい家を建てて、我らチーム・ファーステストの拠点とする」

「おーっ!」

 俺がそう宣言すると、エコは口をパッカァーと開けて喜んだ。前世では全く利用していなかったハウジングシステムだが、この世界においては実に有意義なものであることに今更ながら気が付いたのだ。折角だから超が付く豪邸を建ててやる。そのためには一にも二にも金だ。

「目標は五十億CL、稼ぎ方はミスリル錬金 だ。意見のある者は?」

 シルビアが食い気味に、ユカリが冷静に挙手をする。

「シルビア君」

「何故目標が五十億CLなんだ?」

「簡単だ。調べたら王都で一番高い家が二十五億CLだった。その倍だな」

「………… 」

 意味がわからない、というような顔をして沈黙するシルビア。

 最高の豪邸が二十五億CLとはまあなんとも安いものだ。であればせめて五十億CLは使わないと「世界一位の家」とは言えないだろう。そういうことである。

「次、ユカリ君」

「はい。ミスリル錬金とはなんでしょう?」

「いい質問だ」

 ミスリル錬金。これはメヴィオンでは非常に有名な金策だ。

「これから向かう鍛冶の町『バッドゴルド』付近にある乙等級ダンジョン『プロリン』ではミスリルが取れる。だが、それをただ売るだけでは大した儲けにはならん」

「何か工夫をされるのですか?」

「ああ。ボスのミスリルゴレムからドロップしたミスリル鉱石を【鍛冶】スキルの《製錬》と《精錬》で一気に純ミスリルにして《製造》で鉄と合わせてミスリル合金を生産する」

「ミスリル合金……」

 そう、ミスリル合金。純ミスリルと鉄を1:20 の比率で混ぜ合わせて製造できる、極めて強度の高い貴重な合金である。ちなみに《製錬》はミスリル鉱石を五十一個まとめて一度に行うのが最も効率がよく、《精錬》はミスリルを三十二個まとめて行うのが最も抽出効率がよい。これらの一手間だけで、儲けが約十倍以上も違ってくるだろう。

「それぞれ《製錬》《精錬》《製造》が4級・4級・6級と必要だ。ユカリに任せることになる」

「はい、ご主人様。私にお任せください」

 ミスリル錬金に必要なユカリのスキルランクは既に満たされている。準備は万端だ。

「ありがとう、頼りにしている。後でレシピを渡そう」

 少し熱を込めてお礼を言うと、ユカリは全く表情を変えずに「恐れ入ります」とだけ言いつつ、耳を少し赤くした。

「………… ところで、セカンド殿」

「ん? どうした?」

 シルビアが神妙な面持ちで口を開く。そして、俺のすっかり忘れていたある事実 を指摘した。

「プロリンダンジョンはまだ攻略されていないのだが」

    ◇◇◇

「セカンド殿。どうして未攻略ダンジョンの情報をそこまで詳細に知っているのだ?」

 シルビアの質問は俺の急所をクリティカルに捉 とら えていた。

「……あー……」

 俺は言葉に詰まった。

 ……どうする。言い訳するか、もしくは、明かしてしまうか。どうすればいい。

「出会った頃 ころ から……薄々、気付いてはいた。何かワケがあるのだろう?」

 そう、その通りだ。俺には理由がある。とても一口では説明できない、俄 にわ かには信じられないようなワケが。

 シルビアの放つ真剣な雰囲気を察知し、エコとユカリもこちらへ視線を向ける。「そうではない」とわかっていても「責められている」ようで落ち着かない。そう感じるということは、俺の心の何処 どこ かに後ろめたい気持ちがあるに違いない。だったらもういっそのこと打ち明けるか?

 否。打ち明けない方がいい。俺の事情は、彼女たちの理解を遥 はる か超越している。理解を超えたものは〝怖い〟。だから伝えるべきではない。ここに来て今までの関係を崩すべきではない。世界一位が、遠ざかる。そんな気がする。

 すると、そんな俺の悩みを知ってか知らずか、シルビアは凛 りん とした表情で沈黙を破った。

「……私は、貴方 あなた を信頼している。よければ話してほしい。どんな事実でも受け止めよう」

 強い──素直に、そう思った。今の信頼が崩れるかもしれない事実を、それでも聞こうと踏み込む勇気。己の信念を貫き通す気概。何一つ偽らない高潔さ。あまりにも真 ま っ直 す ぐで、揺らぐことのない芯 しん 。シルビアにはそれがある。俺にないそれが、確 しつか りとある。俺なんかが、絶対に真似 まね できない、真似してはいけない、純粋で誠実で澄みきった強く正しい心だ。

「シルビア」

 だから──

「悪いが、誰 だれ に対しても、俺の秘密を明かすことはない」

 ──俺は、逃げた。

 秘密を認め、それを絶対に明かさないと宣言する。シルビアの強さに甘え切った一方的な決断。

 でもさ、ここで逃げなきゃ俺じゃないんだ。ゲームではない現実において、ここぞとばかりに逃避しなきゃあ、世界一位の、あの頃の俺には戻れないんだよ。

「いつか話す、なんて言わない。決して、死ぬまで、誰にも、明かさない……すまん」

 俺は三人に頭を下げる。この場はこれで収めてくれと、そしてまたいつもの日常に戻ろうと、そう願って。

 シルビアは、しばしの沈黙の後「ふふっ」と笑ってから、慈愛に満ちた表情で言った。

「私は一向に構わない。ただ……辛 つら くなったら、いつでも前言撤回していいぞ」

 シルビア・ヴァージニア──いい女だ。心底、そう思った。

    ◇◇◇

 ご主人様が部屋へと戻った後、私たち三人はこっそりと会議を開いた。

 議題は「ご主人様の秘密ってなんなのだろう?」というもの。しかし──

「あの。正直言って、私はどうでもいいのですが」

 本音を言い放つ。そう、私はご主人様がどのような秘密を抱えていようと全く問題はない。それはエコも同じのようで、こくこくと頷いている。

「いや、私もそう思ってはいるが、ちょっと……気になるじゃないか」

 シルビアさんはお茶目に笑ってそう言った。まあ……確かに。

「しかし、ご主人様の秘密を詮 せん 索 さく しようというのは」

「む。気になっていたんだが、ユカリはもう奴 ど 隷 れい ではないのだろう? 何故 なぜ セカンド殿をまだ主人と呼んでいる?」

 おっと。この人、なかなかに目ざとい。

「私はご主人様の身の回りのお世話をするとお約束いたしましたから」

「ほほう? 身の回りの世話か。差し詰めメイドといったところか?」

「ええ、相違ありません」

「そうかそうか、でもおかしいなあ? メイドが初任給で二千万CLも貰 もら うのか?」

「それは鍛冶 かじ 師としての報酬ですが、何か?」

 しかもその二千万CLはもう既に〝特級メイド服〟他、メイド道具を購入してほとんど使い切っている。ご主人様は王都に素晴らしい豪邸を購入されるらしいので、私のメイド姿のお披露目はその時と決めた。でなければこのエセ女騎士に何を言われるかわかったものではない。ちなみに特級メイド服はその値段だけあって見たところかなりの高性能。しかしメイド風情が着る服にどうしてここまでの高級品を作ろうと思ったのかは甚だ疑問と言える。

「メイドと鍛冶師、両立できるのか?」

「ええ、見事に両立して見せましょう」

 シルビアさんは「ぐぬぬ」という表情で黙り込む。ふふ、勝ちました。

「あたしもめいどしたい!」

 エコがびしっと手を挙げて言う。しかしそれは許せない。

「駄目です」

「えーっ」

 このメイドという立場が私の強みとなる予定ゆえ、そう易 やす 々 やす とは渡せなかった。

「それより、ご主人様の秘密を予想するんでしょう? 話を戻しましょう」

 私が言うと、シルビアさんは組んでいた腕をほどいて口を開いた。

「そうだな。思うに、セカンド殿は他国の諜 ちよう 報 ほう 員なのではないか?」

 なるほど、鋭い。だとすればダンジョンの情報に詳しいのも頷 うなず けるし、私たちに素性を明かせない理由も納得だ。

「さっきは守秘義務に触れる情報をうっかり喋 しやべ ってしまって、そこを指摘されたから、少し強めに否定したというワケだ」

「しかし……諜報員だとすれば、どうして世界一位を?」

「あっ、そうか……」

 さて、考え直し、と。私たちは「うーんうーん」と唸 うな りつつ、あれこれ案を出し合った。

「まさか、天界人か? もしくは超能力者?」

「みらいからきたひと!」

「異世界人という線も……」

 そんな有り得ない予想を立てながら、私たちの夜は更 ふ けていった。

    ◇◇◇

 早朝にペホの街を出てから西へ五時間。生い茂っていた草木が減り、だんだんと土臭くなってきた頃、鍛冶の町バッドゴルドが山 やま 間 あい に見えてきた。

「よし、鍛冶ギルドでミスリル合金の卸先を確保したら早速プロリンに潜るぞ」

 俺は「善は急げ」とセブンステイオーを鍛冶ギルドへ向けて疾走させる。久しぶりのプロリンダンジョン、早く潜りたい気持ちで一杯だった。

「セカンド殿! どうしてそんなに急ぐんだっ?」

 なんとか追い付いてきたシルビアが少し後方から聞いてくる。

「乙等級の中じゃあ、プロリンが一番好きなんだ!」

「いや理由になってないぞ!」

「行きゃあわかる!」

 俺はそうとだけ言って笑うと、鍛冶ギルドへ急いだ。

 ………… それから一時間後。俺たちはまだ鍛冶ギルドにいた。

 よさそうな卸先はごまんとあった。だが、引き受けてくれる所は一つもなかったのだ。何処へ話を持っていっても「噓 うそ をつけ、ミスリル合金を安定供給するなんて絶対に無理だ」と突っぱねられるのである。

「まあ、こうなりますよね」

 ユカリが呟 つぶや く。確かに、よくよく考えてみれば何処の馬の骨ともわからない輩 やから が「明日からミスリル合金卸しますよ」なんて言ってきたら俺でも信用しないだろうな。

「どうすればいいと思う?」

 俺は恥も外聞もなくユカリに聞いた。

「一度、大々的にプロリンダンジョンを攻略して名声を得るのがよろしいかと。実力を示せば恐らくは信用してもらえます」

「となると、冒険者ギルドか?」

「ええ、そうなります」

 うわあ……すっげえ嫌だ。前世の頃 ころ から冒険者ギルドには嫌な思い出しかない。

「他に方法は思いつかないか?」

「特には浮かびませんね」

「シルビアとエコはどうだ?」

「わからん」

「わかんにゃい」

 二人共わかんにゃいらしい。

「じゃあ、冒険者ギルドに登録せずに攻略したらどうなる?」

「より面倒くさいことになるかと」

「だよなぁ……」

 素性を明かさないまま攻略して冒険者ギルドに目を付けられ「誰だあいつは! 看過できん!」となるよりは、従順なフリをして「うちのエースだ! 期待しているぞ!」となった方が幾分かマシだろう。まあ、それもこれも冒険者ギルドの人間がまとも だった場合に限る。ただ大抵の場合はまともじゃない。登録せず攻略してしまえば、奴 やつ らは何をしてくるかわかったものではないのだ。付きまとわれるだけで済めばいいが、鍛冶ギルドに根も葉もない噂 うわさ を流して邪魔をしてきたり、取引先に圧力をかけて妨害してきたり、もしかすれば暗殺者を送ってくるかもしれない。俺の知っている「メヴィオンの冒険者ギルド」そのままなら、十分に有り得る可能性だった。

「……仕方ないか。宿とったら冒険者ギルド行こう」

 俺は諦 あきら めて、肩を落としながら宿屋へと向かった。

「こんにちは。登録したいのですが」

「あ、は、はいっ! こちらへどうぞ!」

 冒険者ギルドの受付嬢は、やたら愛想がよかった。こういう時に超絶美形アバターの恩恵をこれでもかというほど感じる。

 俺は登録手続きの書類に必要事項を記入して受付嬢に手渡した。個人登録とチーム登録のどちらも行っておく。チーム名は『ファーステスト』、メンバーは俺を含めて四人だ。

 初歩的な説明はいらないと拒否して、人数分のギルドカードを受け取る。冒険者における身分証、ギルドにおける通行手形のようなものだな。ギルドカードの内容は、チームランク、個人ランクともにFとなっている。ランクはF~Aまである。つまりは最低ランクだ。

「新人冒険者の手引きや、各種講習会のご案内は」

「いえ結構です」

「そ、そうですか。では料金の方が、四人分の個人登録とチーム登録で合わせて十四万CLになります」

「………… はい」

 料金を支払って、受付を後にする。

 ……現時点で、俺は激烈に機嫌が悪くなっていた。これには様々な理由が重なっている。早くプロリンに行きたいところを邪魔されているようで苛 いら 立 だ ち、ミスリル合金を卸してやるというのに断る輩に苛立ち、関わりたくもない冒険者ギルドに登録しなきゃならん状況に苛立ち、「俺がFランク」という事実に苛立つ。

「──オイオイ! ダークエルフ連れてるぜこのヒョロ坊主!」

 おまけに変な奴らに絡まれて、苛立ちは最高潮だ。だから嫌なんだよ冒険者ギルドは。

「新入りだろォ? オレが教育してやるよ。初心者講習ってやつだ。ありがてぇだろ?」

 ヒゲ面のデカ男が顔を近付けてメンチを切ってくる。その後ろには世紀末を思わせるようなガラの悪い輩が三人。俺に勝てると思っているのか、もう勝った後のお楽しみ について考えて、舌なめずりをしている。

 ぶちん、と。俺の頭の中で、そんな音が聞こえた気がした。

「俺さあ、気になってたんだ。こういうのってさ、どうして絡まれるんだろうな?」

「あぁ~? 何がだ?」

「多分、鴨 かも ネギってやつだろう。弱そうな男が美人を連れてるとラッキーって思うんだろ? 新人教育ってのを理由にして簡単に強請 ゆす れるからな。だからお前みたいなクラスに一人はいる調子乗っちゃった勘違い不良野郎がのさばるんだよ」

「あ? 喧 けん 嘩 か 売ってんのか? てめぇ」

「違う違う。いや違くはないけど。お前常習犯だろ? 俺はお前が悪いとは思わない。お前のような輩を放置している冒険者ギルドが悪いと思う。先生はちゃんとダメな生徒の面倒見てさ、きっちり注意してやらなきゃいかんだろ? 違う?」

「………… 」

 俺が周囲を見回すと、冒険者やギルドの職員含め全員が視線を逸 そ らす。シルビアのような正義感溢 あふ るる騎士様がいたら話は別だが、まあ「触らぬ神に祟 たた りなし」だよな普通は。でもさあ、こんだけ人数いて誰 だれ も止めないってのはこれ、君たちも共犯なんじゃないの?

「新人教育ってのは、なんだ、あれか。隠語か何かか? 裏で示し合わせてんのか? お前らオイ」

「おら、無視してんじゃねえぞ!」

「わかったわかったピーピーうるせえな。さっさと来い、正当防衛できないだろうが」

「てンめェッ!! 」

 顔を真 ま っ赤 か にして怒ったデカ男は、大振りのパンチを繰り出した。

 残念なことに隙だらけだ……いつでもやれる 。

「だめ!」

 ──次の瞬間、俺とデカ男の間にエコが割って入った。

 デカ男の拳 こぶし はエコの頭にゴチーンとぶち当たる。

「あ、アヒェ……ッ 」

 骨が折れたのか、デカ男は右手を押さえてよろよろと後ずさった。エコの方はビクともしていない。デカ男のSTR 攻撃力 とエコのVIT 防御力 に差がありすぎたんだろう。

「てめッ! え……あれェ!? 」

 後ろの取り巻き三人が加勢しようと動き出し──突如、困惑したような声をあげ、三人固まって床にぶっ倒れた。

「念のため縛っておきました、ご主人様」

 そういえばユカリは【糸操術】スキルを覚えていたんだったな。流石 さすが は元女公爵付きの暗殺者、縛っている素振りすら見せていなかった。

「むっ、私の仕事がないではないか」

 シルビアは弓に手を添えたまま不満そうな声を漏らす。こいつこの狭い室内で弓を使って何をするつもりだったんだろうか? 「こんな時のために練習していた炎狼之弓キックが……」などと呟いている。弓を持つ意味がわからないと指摘するのは無粋なんだろうな多分。

「ありがとう。行こうか」

 俺は皆にお礼をして、大勢の視線を背中に浴びながらギルドを後にした。

 ………… 少し歩いて、気が付いた。足が震えている。

 デカ男が怖かったのか? いや、違う。自分が怖くなったのだ。

 苛立ちにまかせてあのまま喧嘩していたら……下手 へた をすれば〝虐殺〟していた。

 これはゲームではない。俺はまだそれを理解し切れていないのだと実感する。人を倒してしまえば、それは「プレイヤーキル」ではなく「殺害」になる。そう頭では理解していても、どうしてもゲーム感覚が抜けてくれない。

 この異世界で完全無欠の世界一位になるというのは、ある意味では難しいことなのかもしれない。

「今日はもう休もう」

 三人にそうとだけ伝えて、俺は宿の部屋に閉じこもった。

 ……苦手だ。森で男たちを殺した時もしばらく震えが止まらなかった。

 今後は、余計な人付き合いはなるべく避けた方がいい。拗 こじ れた時が、怖いから。

 俺はベッドに横たわり、そんなことを考えながら意識を手放した。

    ◇◇◇

 やぁー、朝からテンションアゲアゲ!

 なんてったって、今日はいよいよプロリンダンジョンの攻略だ。

 俺は昨夜の沈みようが噓 うそ みたいにイキイキとして、元気に朝食をとりつつ皆に作戦を伝えようと考えをまとめる。え、躁 そう 鬱 うつ ? いやいや、そんなわけないそんなわけない。

 世界一位を目指すやる気はガンガンだし朝から食欲だって凄 すご い。ただまあ少しばかり考えがまとまらないし、体はちょっと怠 だる いし世界一位以外のことには「やる気」の「や」の字も起きないが、多分、大丈夫だろう。

「今日はプロリンに潜ろうと思う」

「かしこまりました……しかし、私たちだけで攻略しても鍛冶 かじ ギルドには認めていただけないかと」

「え? なんで?」

「ダンジョンの攻略というのは大勢で行うものです。〝集団攻略〟という形で、冒険者ギルド主導で定期的に行われています。ですから、何処の誰ともわからないチームが単独で攻略したと宣言しても、それは……」

「噓だと思われるってことか?」

「はい」

「ミスリル合金を目の前で見せても?」

「ええ。ミスリルはプロリンのボスからだけではなく通常の魔物からでも取れなくはないものらしいですから」

 オゥ……テンションサゲサゲ案件発覚だ。

「じゃあ何周もしてミスリルを大量に集めたらどうだ?」

「……そうでした。何周もできるんでしたね」

 ユカリは「有り得なさすぎて忘れていました」と一言、顎 あご に指をあてて考え直す。

 シルビアは首を傾 かし げながらも共に考えている。エコは難しい話が始まって早々、隙間風に揺れる観葉植物の葉っぱをてしてしと叩 たた いて遊んでいた。

「それならば集団攻略を待たずして鍛冶ギルドとの取引はできそうです。しかし横 よこ 槍 やり を入れられた冒険者ギルドは黙っていないでしょう」

「あー、なるほど」

 集団攻略というのをどのくらいの周期でやっているのかは不明だが、それを横から搔 か っ攫 さら うように攻略してしまったら、せっかく声をかけて集めた大勢の冒険者たちの目の前でギルドのメンツを潰 つぶ すことになるってワケだな。そりゃあ恨まれるに違いない。

「では、その集団攻略に参加してセカンド殿が獅 し 子 し 奮 ふん 迅 じん の活躍を見せればよいのではないか?」

 シルビアが頭上にクエスチョンマークを大量に浮かべながらそう言った。彼女なりにいい線いっている指摘だ。だが一つだけ致命的な欠点がある。

「Fランクのチームを入れてもらうことができればな」

「む、そうか……」

 未攻略ダンジョンの集団攻略なぞ、冒険者として功成り名遂げるにはこれ以上ないチャンスだろう。王国中から猛 も 者 さ たちが集まってきているはずだ。そこにド新人の「Fラン馬の骨チーム」など入れてもらえるはずもない。

 だからといって勝手に攻略してしまえば、誰も信じてくれないし冒険者ギルドを敵に回すし……ああ、八 はつ 方 ぽう 塞 ふさ がりだ。

「できるだけ冒険者ギルドへ貢献し、何回か先の集団攻略への参加を認めていただくのが最もよい策かと」

 ユカリが冷静に言う。彼女は恐らく最初からそのつもりだったのだろう。でなければ昨日 きのう の時点で冒険者登録をすべきだという主張はしないはずだ。

 しかし、それだと一体何か月かかるんだ? 流石にコツコツやる気にはなれない。これは俺がまだゲーム的な考えをしているからなのか? それとも比較的寿命の長いダークエルフと普通の人間の時間感覚の差というやつか?

「………… あ」

 そこで、俺はふと思い当たる。

「なあ、ユカリ。要は冒険者ランクが高ければ集団攻略に参加できるんじゃないか? というかAランクなら単独攻略したというのも認めてもらえたり?」

「え、ええ……極論ですが、そうなりますね。しかしAランクを目指すくらいならば、地道に貢献して集団攻略の参加権を得る方が効率的では」

「いや、いい方法を思い出した」

「いい方法?」

 そう、メヴィオン時代にはクソの役にも立たなかった〝あの方法〟──『爆アゲボンバー』を。

「よし! さっそくプロリンダンジョンへ行くぞ」

 俺は「えっえっ?」と困惑気味の面々を連れて、気合十分に歩きだした。

 爆アゲボンバー。これは冒険者ランクを爆速で上げることのできる方法である。

 ただし、メヴィオンにおいて冒険者ランクなどというものは大して意味のない称号であり、上位のプレイヤーになればなるほど無駄だとわかっているため即座に切り捨てていた要素であった。ただ、そんな無価値なものにさえ「多分これが最速」というランクの上げ方を見つけ出す者がいるあたり、ネトゲーマーの多様性を感じる。

 この最速ランク上げ方法は、確か最短でも六日かかったはずだ。六日もの時間をかけて冒険者ランクを上げようなどという物好きはなかなかいなかったため、ほとんど忘れ去られた古 いにしえ の情報である。俺はこの方法に使われるあるテクニック と関連付けてたまたま覚えていた。それが今になって役に立ちそうだというのだから、知は力なりってなもんだな。

 さて、六日でAランク。一体どのようにして? と思うだろうが、その方法は単純である。

 ダンジョン内で周期的に自動生成されるアイテム〝魔力結晶〟──これを集めて冒険者ギルドへと納入する、これだけだ。

 魔力結晶は「無制限の納入可能アイテム」の中では最も効率よく「ギルド貢献度」を稼げるアイテムで、大量収集さえできればこれ以上ないランク上げの方法となり得る。

 プロリンダンジョンでは一日あたり約百二十八個の魔力結晶が生成される。一日に八十三個納入したとして、六日でAランク相当のギルド貢献度が溜 た まる計算だ。すなわちこの魔力結晶を約五百個納入できればAランク達成である。

 何故 なぜ 一日あたり八十三個しか納入しないのかというと、これは「しない」のではなく「できない」のだ。魔力結晶は全部が同時にニョキッと生えてくるわけではなく、一定周期で少しずつ生成されるため、必ず待ち時間が発生してしまう。ゆえに寝ずに取り続けない限りはいくら頑張っても一日あたり八十個前後が限界なのである。

 では、その魔力結晶は一体ダンジョンの何処にあるのか。答えは「隠し部屋」だ。

 この隠し部屋に、魔力結晶は大量に 存在している。ゆえに隠し部屋にさえ辿 たど り着 つ くことができれば、Aランクなどチョチョイのパーである。

 そして、その隠し部屋へと至る方法が、爆アゲボンバーの名前の由来となった「爆発ジャンプ」という応用テクニックなのだ。

 プロリンダンジョンは乙等級ダンジョンの中で最も隠し部屋の多いダンジョンである。魔力結晶を集めるなら、おあつらえ向きな場所だ。俺がプロリンを好きな理由は「広大で綺 き 麗 れい な洞 どう 窟 くつ 」という以外にこれがあった。この隠し要素の多さは、なかなかにゲーマー心をくすぐられる。爆発ジャンプなどの様々なテクニックを駆使して隅々まで攻略するのが当時はかなりの快感だった。

 さて、話をまとめよう。

 俺たちはこれから六日でAランクを目指して冒険者ギルドへの貢献度を溜めていく。そのためには魔力結晶を一日あたり八十三個を目安に納入しなければならない。ゆえに、プロリンダンジョンに数多 あまた ある隠し部屋へと入る必要がある。そして、その隠し部屋への入り方が──

「ばくはつじゃんぷ?」

 爆発ジャンプ、またの名を「悲惨ジャンプ」だ。どうして悲惨かって、《火属性・参ノ型》略してヒ・サンだ。

 俺の説明を聞いたエコは、口をぽかっと開けたままコテっと首を傾げた。

「ああ。これからエコがジャンプした瞬間その足元に俺が風属性・参ノ型を撃ってから、シルビア [image file=Image00009.jpg] 俺の順番でエコの足元に火属性・参ノ型を弓で放つ。エコはそれを角行盾術 [image file=Image00009.jpg] 桂馬盾術 [image file=Image00009.jpg] 金将盾術の順番で防いでくれ。防御は、全 すべ て下向き だ」

 つまるところ「通常のジャンプより高く飛べる裏技」である。上手 うま くいけば二十メートル近くの高さを飛ぶこともできる。これは参ノ型と《角行盾術》《桂馬盾術》《金将盾術》が全て九段なら一人でも可能なテクニックだが、スキルランクが低い場合は二人以上必要だ。

「わかった!」

 エコは元気に返事をした。

「おい大丈夫なのか? 本当に大丈夫かこれ?」

 シルビアが不安げな表情で言う。エコのMGR 魔術防御力 なら大丈夫だと思うが……一応、リハーサルをやっておくべきか。

 俺は改めて辺りを見渡した。そこらじゅう灰色に輝くゴツゴツとした岩肌がむき出しになっていて、縦にも横にも広大で巨大なダンジョンである。しかし縦の穴は相当に深く、横の穴は相当に入り組んでいるため、強い光で照らさないと薄暗く不気味だ。

 周辺にいた魔物は既に一掃している。プロリンダンジョンは「ゴレム」という岩石でできた大きな魔物がわんさか出るのだが、《飛車弓術》九段なら二発~三発で仕留められるので大した脅威ではない。そのくせ経験値は美味 おい しいので、スキル上げには打ってつけだ。

 また、プロリンダンジョンの地形は縦長に吹き抜けた太い幹のような大洞窟と、その枝葉のように上下左右へと伸びた迂 う 回 かい 路の小洞窟という二つの形を有しており、とにかく広く大きくそのうえ複雑に入り組んでいる。

 そして、ありとあらゆる場所に隠し部屋があり、網羅するのはまさに至難の技。何処が何処に繫 つな がっているかなんて、流石 さすが の世界一位でも全ては覚えていない。ゆえに、テキトーに爆発ジャンプして吹っ飛んだ先が大洞窟で落っこっちゃいました、なんてなったら目も当てられないので、練習の場所は慎重に選ぶ必要がある。

「よし、ここで練習しよう」

 俺は大丈夫そうな場所を決めると、エコを壁際に寄せ、その足元に狙 ねら いを定めて《風属性・参ノ型》を準備した。

「行くぞ、ジャンプ!」

 シルビアの準備も整ったところで、俺が号令をかける。

 ぴょんっとジャンプしたエコの真下で、俺の《風属性・参ノ型》によって空気が膨れ上がり、それを《角行盾術》で防いだエコはドーンと三メートルほど打ち上げられた。その直後シルビアの《火属性・参ノ型》と《桂馬弓術》の複合が飛来し爆裂、エコはそれを《桂馬盾術》で弾 はじ く。ノックバックの効果が縦方向の推進力となり、先ほどの倍以上の高さを更に飛び上がっていく。そして最後に俺の《火属性・参ノ型》《桂馬弓術》複合でフィニッシュ。《金将盾術》で弾いたエコはビョーンと高度を伸ばす。地上から十五メートル強といったところだな。これなら十分だ。

「っきゃっはー!」

 エコが満面の笑みで下降してくる。

 ………… 。

「よ、よろしいのですか!? 」

「……あっヤベェ忘れてた!! 」

「ちょっ!? 」

 テンパるユカリ、今更気付く俺、慌てだすシルビア。

 着地を考えていなかった! メヴィオンなら少しHP ヒツトポイント が削れるくらいでなんの問題もなかったが、ここは現実だ。エコに痛い思いはさせられない!

「エコ! 角行!」

 咄 とつ 嗟 さ の判断で、そう叫んだ。

 直後、エコが盾を構えた。俺は落下地点に《水属性・参ノ型》で簡易なクッションを作る。

 ドッバーン! と、盾と水がぶつかり合って弾け、間欠泉のように水しぶきが上がった。

「…………! 」

 着地したエコは地面にぺたんと座って、目を丸くして驚いている様子だ。

 すると、クワっと表情を引き締めて、立ち上がる。

「はっはっはっはっ」

 びしょびしょになったエコが耳をピンと立てて、一目散にこちらへ駆けてくる。息が荒い。俺は何処か怪我 けが をしたのかと不安になり、こちらからも駆け寄った。

「せかんど! もっかい! もっかいやって!」

 エコが非常に楽しそうな顔でそう催促してきた。俺の周りをぴょんぴょんと跳ねておねだりしてくる。いや、怪我がなくてよかったが……なんか心配して損した気分だ。シルビアとユカリも安 あん 堵 ど しつつもどこか呆 あき れている。

「オッケー、次は本番な」

「わかった!」

 俺はそう伝え、お目当ての場所へと足を進めた。

「ぜんぶとったー!」

「そうかー、じゃあ降りてこーい」

 プロリンダンジョンにおける魔力結晶の大量発生ポイントは三つほどある。その全てが隠し部屋で、悲惨ジャンプができないと登れないくらい高い場所だ。縄なんかをかけても登れなくはないだろうが、そんなに時間をかけていると後ろでまたゴレムが湧 わ いてくるし、そもそも隠し部屋の存在すら知らない者がほとんどなのだろう。

 そのせいか、三つのポイントを一周回ってエコに収集させただけで魔力結晶が百個も溜まった。結晶の発生場は手つかずだった。誰 だれ にも取られたことのなさそうなでっかい天然魔力結晶が大量にあったのだ。このペースで行けば六日でAランクなんて余裕のよっちゃんだな。

「よーし、納入しに行くぞ~」

 俺たちはルンルン気分で地上へと戻った。

「こ、これ、って……!! 」

 ギルドの受付嬢は目を丸くして驚いた。

「ほ……本物……! 魔力結晶が、こんなに……!」

 彼女は口をあんぐりと開けた驚 きよう 愕 がく の表情で魔力結晶と俺を交互に見る。いやあ、実に気分がいい。

「うちのチーム、これでCランクになりますよね?」

 冒険者ギルドのランクアップルールはギルド貢献度が全て。ゆえにどれだけセコい方法でも貢献度さえ上げてしまえば飛び級も可能で、トントン拍子にAランクを達成できるはずだが……果たしてこの世界のギルドだとどうなるか。できればそのままのシステムであってほしい。

「……え、ええ、はい! そうなります!」

 よしよし、いいぞ~。これでFから一気にCランクだ。思ったよりちょろいな冒険者ギルド。後は「Aランクに上がるには魔力結晶の納入だけでなく云 うん 々 ぬん 」とか言われないことを祈るのみだな。

「全てギルドに納入する。金は全額預け入れる。ランクは個人もチームも上げておいてくれ」

「かしこまりました!」

「ありがとう、カメリアさん。明日もまた持ってくる」

「か、かしこまりましたぁ」

 俺は彼女の胸元の名札を見て、あえて名前を呼び、パチッとウインクした。

 ……自分でやっていて全身に鳥肌が立つくらい気色の悪いキザな行為だったが、この容姿でやると効果は抜群なようで、受付嬢のカメリアは頰を赤く染めてとろ~んとした目で俺を見送っていた。言わずもがな、悪名高き冒険者ギルドの中において、受付嬢とは良好な関係になっておいた方が後々便利だろうという考えのもとの戦略的行動だ。

「セカンド殿……」

「………… ご主人様」

 仲間たちに白い目で見られるという代償はあるが。

 というかユカリの目が怖すぎる。そんなに気持ち悪かったのだろうか。まあそうだろうな。

「ほ?」

 エコはいつものアホ面である。俺はなんだか優しい気持ちになって、エコの首を撫 な でつつポケーっと開いているその可愛 かわい いお口をそっと閉じさせた。

「……さて。あと五日間は結晶集めるついでにゴレムを倒して経験値稼ぎだ。んでAランクになったらさっさとプロリン攻略して周回、ミスリル合金で荒稼ぎ。金稼いだら王都に家を買う。こんな感じで行こう」

 俺は誤 ご 魔 ま 化 か すように今後の展望を語る。

 シルビアとユカリはそれでもジト目をやめてはくれなかったが、話には乗っかってきてくれた。

「うむ。ついでの経験値稼ぎは賛成だ。まだしばらくはユカリの鍛冶 かじ スキルを優先か?」

「いや、鍛冶はもう優先する必要はない。経験値配分はメンバー全員で均等に設定しておく」

「ということは、また各々のスキルを上げていくのだな」

 シルビアは腕を組んで納得するように頷 うなず いた。顔が少し綻 ほころ んでいる。自分のスキルを上げて強くなっていくのが嬉 うれ しいんだろうな、多分。わかるわー、俺も最初の頃 ころ はそうだった。あの頃が一番ゲームをゲームとして楽しんでいた気がする。

「ところで、シルビアさんは魔弓術、エコは盾術ですが……ご主人様は何をお上げになるのですか?」

 ふと気になったように、ユカリが聞いてきた。

 ……ふむ、俺か。そうだな、弓術・剣術・魔術ときて──そろそろアレ を上げてもいい頃だろう。

 俺はユカリに視線を向けると、満を持してという風に口を開いた。

「俺は明日から、召喚術を上げるぞ」

    ◇◇◇

 あっという間に五日が経 た った。

 爆アゲボンバー方式で魔力結晶を収集しつつ、エコが取っている間に手の空いている俺とシルビアでゴレムを絶滅するんじゃねえかってくらい延々と狩り続ける。これを日が出てから暮れるまでずっと続けた結果、かなりの量の経験値を稼げた。

 あの冷淡なユカリに、呆れ顔で「ぶっ飛んでいる」と言わしめるほど凄 せい 惨 さん な狩りの光景だったが、そんなユカリさんもちゃっかり俺たちと同量の経験値を得ていたりする。チーム内の経験値配分を均等に設定してあるので、魔物を倒していない二人にも経験値が行き渡るのだ。

 また、俺たち三人がプロリンダンジョンに潜っている間ヒマであろうユカリには、一仕事やってもらった。それは鍛冶ギルドと冒険者ギルドの調査である。情報は多ければ多いほどいいと、彼女は自発的に情報収集へ赴いたのだ。まあ、流石 さすが は元暗殺者というべきか、この程度の調査などお茶の子さいさいであった。

 得られた重要な情報は二つ。一つは次回の「プロリン集団攻略」が三日後に迫っているということ。もう一つは、鍛冶ギルドは慢性的なミスリル不足に頭を悩ませているということ。

 この情報から、今後の方針を考え直す必要が出てきた。

 このままAランク冒険者となって、集団攻略に参加し、攻略を証明、鍛冶ギルドに信用してもらい、ミスリル合金を卸す、という当初の計画通りに行くべきか。はたまた、Aランク冒険者というネームバリューを利用して鍛冶ギルドに信用してもらい、集団攻略を待たずして単独攻略、鍛冶ギルド全体に対して独占的に契約を持ち掛けるべきか。

 前者はあまり敵を作らないが、金稼ぎに時間がかかる。後者はクソほど儲 もう かるが、冒険者ギルドを確実に敵に回す。独禁法? キャスタル王国にそんなものはない。

「うーん……」

 プロリンからバッドゴルドの町への帰り道、俺は腕を組んで悩んでいた。和をとるか、金をとるか。どちらも一長一短である。

「ご主人様。もう一日、私にいただけないでしょうか」

 すると、ユカリがそんなことを言いだした。

「何か考えがあるのか?」

「はい。ご主人様はあまり無駄な時間を好まれないご様子。であれば私に一つ愚策がございます」

「それは?」

「商人ギルドを利用するのです」

「……ふむ」

 ユカリの言わんとしていることがわかった。鍛冶ギルドに直接取引を持ち掛けるのではなく、商人ギルドを介して円滑に取引を行おうということだろう。

「商人がこれ程の儲け話に乗ってこないはずがございません。多少の手数料は取られますが、ちまちまとやるよりは確実に儲けも多くなるはずです。幸いにも我々ファーステストは本日でAランク冒険者、信用の面でも問題はクリアしているかと」

「しかしそれだと、結局は冒険者ギルドを敵に回すんじゃないか?」

「その心配も無用です。三日後の集団攻略に参加し、表向きは冒険者ギルドと鍛冶ギルドに対して信用を作ります。その裏で商人ギルドとの契約を結ぶのです」

 ん? よくわからない。それが何故 なぜ 、冒険者ギルドを敵に回さない理由になるんだ?

「商人ギルドにミスリル合金を卸せば卸すだけ儲かる、というルートさえ完成させてしまえば、ご主人様が大々的に批判されることはなくなります。仮に冒険者ギルドが攻撃してきたとしても商人ギルドが護 まも ってくれるでしょう」

 なるほど、それが鍛冶ギルドとの違いか。確かに「金の成る木」を護ろうとするのは必定だ。加えて商人ギルド経由で卸される大量のミスリル合金に鍛冶ギルドが依存してくれれば、一気に二つのギルドを味方に付けることができる。冒険者ギルドは俺を批判したくとも批判できなくなるというわけだな。

 ただ、そうなると大 おお 事 ごと だ。もしかするとバッドゴルドの勢力図が激変してしまうかもしれない。まあ、俺の知ったことじゃないか。

「よし。その作戦で行こうか」

「はい、私にお任せください。明日中に商人ギルドへ話を取り付けてご覧に入れましょう」

 俺がGOサインを出すと、ユカリは堂々とそう言った。素晴らしいヤル気と自信だ。戦闘以外の部分で存分に活躍してやろうという気概が見て取れる。

 ユカリがこういった分野に明るくて本当に助かった。いや、本当に得意かどうかはわからないが、なんか「それっぽい」から安心して任せられるのだ。ネトゲしか能のない俺に必要な部分をしっかりと補ってくれている。持つべきものは仲間だとはっきりわかるな。

「ありがとう。ユカリは頼りになるな」

 お礼を言うと、ユカリは「いえ」と冷たく一言、無表情のまま視線を逸 そ らした。耳の先がほんのり赤くなり、喜んでいるのがわかる。相変わらずわかりやすい奴 やつ だった。

 翌日。魔力結晶を納入して実にすんなりとAランク冒険者になった俺たちは、またプロリンに来ていた。ユカリが商人ギルドと話を付けている間に経験値稼ぎをするためだ。

 何故なら、余っていた経験値も含めてありったけ全部を注ぎ込んだ結果、そろそろ俺の【召喚術】スキルのうちの一つ《精霊召喚》が四段になるのである。

【召喚術】のメインスキルは二つに分けられる。一つは《魔物召喚》、もう一つが《精霊召喚》だ。前者はテイムした魔物を召喚し使役するためのスキルであり、後者は一キャラクターにつき一体のみ所持できる〝精霊〟を召喚し使役するためのスキルである。

 その《精霊召喚》のランクを四段まで上げると、《精霊憑 ひよう 依 い 》というスキルが解放される。これは、一定時間召喚した精霊を自分の体に憑依させてステータスを大幅に上昇させることができるという「上級プレイヤー御用達」の非常に強力なバフスキルだ。

 世界一位には必 ひつ 須 す と言っても過言ではないスキルである。ゆえに俺はこの《精霊憑依》の習得を優先し、この六日間《精霊召喚》だけをガンガンに上げていた。

 ……で、お昼時。丁度《精霊召喚》が四段になり、《精霊憑依》を習得することができた。とはいってもまだ肝心の精霊を獲得していないので憑依もクソもないのだが。

 精霊を喚 よ び出す際は、折角だから〝期間限定課金アバター〟を購入した時に付いてきた『プレミアム精霊チケット』を使用する。しょっぱなから精霊強度25001以上が約束されているという「金しかないなあ!」と叫びたくなるアイテムだ。

 ちなみに精霊強度とは精霊の強さやレアリティを表す数値である。初期精霊強度が10001以上でレア、20001以上で超レア、25001以上で激レア、30001以上で超激レアという、ありがちな「がちゃがちゃ集金システム」のようなものだ。とはいっても、精霊は育成していくにつれて進化するため、最終的な精霊強度の差は微々たるものになる。

 さて。問題は、そのチケットを使ってどのタイミングで精霊を召喚するかということだ。

 懸念が一つある。メヴィオンの時は、当然ながら精霊は定型文を喋 しやべ るだけのキャラでしかなかった。だが、ここは現実の世界。もしかすると精霊にも意思があるのではないかと思ったのだ。

 だとすると、仲間が〝一人〟増えることになる。今このドタバタしたタイミングで新メンバーを加えるのは、どうにも気が進まない。

 ではいつがいいか。あまり急ぐ必要もないが、遅すぎても問題だ。もしかすると打ち解けるのに時間がかかるかもしれないからな。誰かさんみたいに。

「む。セカンド殿、ユカリから連絡がきているぞ」

 あれこれ悩んでいるとシルビアがそう伝えてきた。エコはその膝 ひざ の上ですやすやと寝息を立てている。気持ちよさそうだ。

「ああ、気付かなかった。ありがとう」

 俺はチーム限定通信のメッセージボックスを開く。おおっと。ユカリさん曰 いわ く「話は付いたが一つだけ問題が発生した」とのことだ。なんだろう、少し嫌な予感がする。

 俺たちはお昼休憩を終えて、ユカリと合流するため商人ギルドへと向かった。

「力の証明?」

「はい……」

 ユカリは心なしか申し訳なさそうな顔で俺に事情を説明する。

「商人ギルド側からは実に快い返答と、魅力的な契約案をいただきました。しかし、それもこれも私たちチームの実力を証明できてこそであると」

「そのためのAランク冒険者という肩書きじゃなかったのか?」

「そこからは私めがご説明いたしましょう」

 俺とユカリが待合室で話していると、いきなりつるっぱげのオッサンが割って入ってきた。

「私は商人ギルドのマスターを務めておりますシン・セイと申します。貴方がセカンド様ですね、どうぞよろしくお願いします」

 シン・セイと名乗る海坊主のようなギルマスのオッサンは丁寧な物腰で挨 あい 拶 さつ をしてくるが、どう見てもカタギじゃない。身長は百九十センチ近くありそうで、どえらい威圧感だった。

 俺は「よろしく」とだけ返して握手をする。視線はギルマスから離さなかった。少しでも隙を見せたら何をされるかわかったもんじゃない。こいつが商人? ギャングの間違いじゃないか?

「さて。今回は本当に魅力的なお話をいただきまして、一同感謝に堪えません。我ら商人ギルドは大いに期待しておりますよ」

 ギルマスはニコニコと微笑 ほほえ みをつくりながら言う。

「しかし……失礼ながら、いくらAランク冒険者といえどもこればかりは信用しきれないというのが本音です。ミスリル合金をそこまで大量に仕入れられるだなんて、ねえ? 言葉を話せる者ならば誰 だれ もがそれを〝噓 うそ 〟だとわかりますから」

 ──糸のように細めていた目が、ギロリと開かれた。

 空気が一変する。シルビアが俺の横でその手に力を込めたのがわかった。エコは少し震えながら俺の服を後ろからぎゅっと握って引っ張っている。二人ともビビってしまっていた。確かに、俺も恐怖したことだろう。ここがメヴィオンの世界の中でなければ。

「ただ、一つ。一つだけ気になるのです。貴方はどうやってそのダークエルフの彼女を手に入れたのか。彼女はプロの〝戦闘員〟だ……私のギルドにもいないくらい、一流のね」

 ユカリはギルマスの威圧にも動じずに視線だけを動かし、俺を見た。その冷静な目は「ここが勝負どころだ」と言っているようだった。

「私は少しばかり期待しています。ゆえに実力を証明していただきたい。プロリンの攻略が屁 へ でもないということを。さすれば私共は喜んでこのお話をお受けしましょう。しかし、噓だとわかったならば……容赦はしない」

 室温が冷房でもついたかのように下がりそうな、冷徹な声と視線。一般人に対する脅しとしては十分な効果があるだろうが……残念ながら、俺には全く効かなかった。何故なら「勝てる」から。世界ランキングでいえばこのオッサンは一万位にも届かないだろう雑魚 ざこ だとわかるから。単純明快、理由はそれだけだ。

「実力の証明というと、何をすればいい? 今から攻略するか? だとすると三時間はかかる」

 俺はできるだけ平然と言った。この場で求められているのは「プロリンを何度も周回できる」ということの証明。であれば「できて当然」という雰囲気を大いに出す必要があると考えた。

 しかし、俺の言葉を聞いたオッサンは、その何十人も捻 ひね り潰 つぶ していそうなギラついた目を更に鋭くして俺を睨 にら みつけてきた。気に障ったのだろうか? あちゃあ、だとしたら作戦失敗だ。

 うーん、こう見ると本当に頭がツルツルだ。前世で何か毛によからぬことをしてしまったのかもしれないな……なんてどうでもいいことを考えていると、ギルマスのオッサンは大声で笑いながら言った。

「──はっはっは! 大した余裕です。素晴らしい! ユカリさんの仰 おつしや る通りだ」

「なっ、試していたのか!? 」

 シルビアがユカリへと批判的な視線を向ける。ユカリはシルビアではなく俺に向かってぺこりと頭を下げた。

「申し訳ありませんご主人様。ですが、必要なことだと」

「はい。私がユカリさんにお願いいたしました。本当にミスリル合金の安定供給が可能な方なのか、見極める必要があったのです」

 なるほど。ということはつまり、俺はお眼鏡 めがね にかなったということかな?

「うー……っ 」

 おっと、その前にエコがビビりすぎて泣きそうだ。

 ……ムカつくからあえてブチギレて、このオッサンにしこたま謝らせよう。

「何が見極めるじゃコラ! エコに謝れタココラ! エココラタココラ!」

 コラコラ責め立てる。

「ああっ! すみません! すみません!」

 ……このオッサン見た目に反してもの凄 すご く腰が低い。エコより頭が低くなるようにしゃがみ込んでぺこぺこ謝っている。

 とまあ、そんなこんなで商人ギルドとの話はまとまった──かに見えたのだが、実はまだ大きな問題が残されていた。

「しかしですね、実際に力の証明は必要なわけでして……」

 ツルツルリーナ・シンさんの案内で、俺たちは商人ギルド奥の応接室へと通される。そして彼は眉 まゆ 毛 げ をハの字にしてそう言った。

「俺を信用するために?」

「いえ、そうではありません。私の目に狂いがなければセカンド様は〝大当たり〟です。ですが」

「ああ、シンさん以外の人が俺を信じられないってことか」

「そうなります」

「具体的には?」

「少なくとも、うちの職員数名と、取引予定の方々にはお見せいただきたく存じます」

「何人くらい?」

「おそらく二百人前後になるかと」

「……ワーオ」

 そいつは困った。そんな大勢に今の時点でどうやって実力とやらを証明すればいいんだ?

「えー、シルビアは魔弓で、エコは盾で、何かパフォーマンスをするとして……」

 四人と一人で知恵を絞り合って考えなければならない。

 あーでもないこーでもないと話し合いが始まった。シンさんも色々と親身になって相談に乗ってくれる。このオッサンなかなかいい人だな。

 そして、あっと言う間に十五分が経過。よさそうな案は一向に出る気配がない。

「ところでセカンド様は一体どのような得意技をお持ちなのですか?」

「弓術、剣術、魔術、召喚術だな。魔弓術と魔剣術も使える」

「私は火属性だけだが、セカンド殿の魔術は全属性だ。そして全 すべ てが一流の腕前だぞ!」

「………… そ、それは凄 すさ まじいですね」

 シンさんが目と頭を真ん丸にして驚いている。シルビアは別に自分のことじゃないのに何故かドヤ顔だ。

「ご主人様、召喚術をもうお上げになられたのですか?」

「ん、ああ。今日で精霊召喚が四段になった」

 俺がユカリの質問に答えると、不意にコトンという音が鳴る。それはシンさんの手からペンが滑り落ちた音だった。

「よ、四段ですとッ!? 」

 シンさんは大声をあげて驚く。あまりの大声に部屋中がビリビリと振動したような気がする。すげぇインパクトだ。その形相は驚きというより恫 どう 喝 かつ に見える。

「ひぇーっ」

 エコが俺の背中に隠れた。

「ゴラァ! タココラ!! 」

「わああ! すみません!」

 エコを怖がらせたとあっちゃあ黙っていらんねぇと俺が勢いに任せて怒鳴ったら、シンさんは相変わらずの超低姿勢で謝り倒し始める。その必死さはどう見ても演技じゃない。本当に気が小さいんだなこの人……きっと外見で苦労してるんだろうなぁ。

「し、しかし活路が見えたかもしれません!」

 シンさんはエコの許しを得てから立ち上がると、そう宣言した。

「活路?」

「ええ! セカンド様っ。精霊召喚ですよ、精霊召喚!」

 ……あ、なるほど! 《精霊召喚》を大勢の前で見せるということか。

 確かに、精霊強度の高い精霊になればなるほど、そして《精霊召喚》のランクが高くなればなるほど、召喚時の演出は派手で仰々しいものになる。

 特に「最初の召喚」は格段に凄い。メヴィオンでは精霊それぞれに専用の召喚演出があった。この世界でもその演出が変わっていなければ、実力のアピールとしては申し分ないものになるだろう。

「四段という高ランクの精霊召喚ならば、おそらく見る者全てが精霊術師 としてのセカンド様の実力に納得しましょう」

 精霊術師? ああ、なるほど。この世界では召喚術師の中でも《精霊召喚》をメインに使う者のことをそう呼ぶんだな。メヴィオンで召喚術師としてプレイするのなら、《精霊召喚》も《魔物召喚》も両方とも育成することが当然中の当然だったので、少し混乱してしまった。

 というか、《精霊召喚》四段が高ランクという認識なのか。だとすれば……うん、意外に良案かもしれない。『プレミアム精霊チケット』のおかげで初期精霊強度の高い精霊が召喚できるから、きっと演出はド派手なものになる。

「わかった。その方向で話を詰めてみよう」

 俺はシンさんの提案に頷 うなず き、計画を話し合った。

 まさか、あんなことになるとは夢にも思わずに……。

    ◇◇◇

 あれから丸一日。バッドゴルドの町郊外にある広場には、総勢二百名の見学人が集まっていた。

 商人ギルドのマスター海坊主ことシンさんを含め、商人ギルド職員からは二十人程度。残りは鍛冶 かじ ギルドに所属する鍛冶師や、商人ギルドに所属する商人たちだ。

 彼らに実力を証明する。そうすれば、ユカリの言う「ミスリル合金を卸せば卸すほど儲 もう かる仕組み」が完成するらしい。らしいというのは、細かい話は全てユカリに任せっきりだからだ。あ~あ、ネトゲーマーの辛いとこね、これ。自分の学のなさに悲しくなる。ユカリがいて本当によかった。

「皆様、本日はお集まりいただきまして──」

 シンさんが音頭をとる。挨拶、趣旨の説明、これから行われるパフォーマンスの概要発表と進行していく。それらが終わると、二百人の観客は拍手で俺たちを出迎えた。

 まず、最初のパフォーマンスはシルビアとエコで行う。

「行きます」

 シルビアは、広場の右端に立ち、左端に用意されている的を狙 ねら って『炎狼之弓』を構え、《飛車弓術》と《火属性・参ノ型》の複合を準備した。

 次の瞬間──ズッドンという重低音とともに赤熱した魔力の塊が射出され、炎の尾を引きながら的を目がけて高速で飛んでいく。

 着弾。大爆発 だった。的に命中とかそういう次元ではなく、的の周辺ごと恐ろしい威力の爆炎で吹き飛ばしたのだ。

「………… こ、これはっ……! 」

 二百人は唸 うな る。これならば確かにプロリンダンジョンを攻略できるかもしれない、と。

「次、行きます」

 シルビアは矢継ぎ早に、《歩兵弓術》と《火属性・参ノ型》の複合を準備する。

「いいよー!」

 広場の左端に現れたのは、元気に返事をしつつ〝岩甲之盾〟を構えて、《角行盾術》を準備するエコだった。

 ざわ……と、観客が俄 にわ かに動揺する。あのような幼 いたい 気 け な獣人に、先ほどのえげつない一撃が当たってしまえばどうなるのか? その答えを想像するより先に、シルビアは矢を放った。

 着弾の刹 せつ 那 な 、観客は皆「あの子は死んだ」と思ったに違いない。

 直後、パァーン! と、何かを弾いて散らしたような爆裂音が響く。

「………… へっ?」

 二百人全員が、呆気 あつけ にとられた。盾を構えたエコは無傷、笑顔でピンピンしていたのだ。

 一体どうして? 疑問はすぐさま解消される。あの大盾で防いだのだ、と。

「おおおおっ!」

 観客は沸いた。もの凄い二人だと。俺たちがプロリンダンジョンを攻略できるという期待度は、うなぎのぼりとなっていた。

「凄まじい強さだが……正直、日に何度も周回できるとは思えんな」

 しかし、中には冷静な意見も聞こえてきた。

 そうなのだ。これだけでは、周回を考えると「弱い」のである。

 ただ、これは昨日 きのう のシンさんとの作戦会議の時点で予想済み。そのための俺の《精霊召喚》というわけだ。

「次が最後のパフォーマンスになります」

 司会の進行に従って、俺は広場の中央へと歩み出た。

 二百人の視線が俺を貫く。しかし全く緊張はない。タイトル戦なんて百倍以上の観客がいたし、ネット中継では軽く千倍の視聴者がいた。慣れるなという方が無理な話だ。

「行きます」

 俺はインベントリから『プレミアム精霊チケット』を取り出し、躊躇 ためら わず使用した。金色に輝くオーラが俺の体にまとわりつく。この時点で初期精霊強度25001以上の精霊が確定する。

 通常、初回の《精霊召喚》は『精霊チケット』という魔物からのドロップもしくはダンジョン攻略の報酬で手に入るレアアイテムがなければ発動できないが、その苦労を課金によってぶん殴り、そのうえレアな精霊を出しやすくなるのがこのプレミアムなチケットである。

 そして俺は、深呼吸を一つ、なるべく心を無にして──《精霊召喚》を発動した。

「────っ! 」

 俺を中心に半径五メートルほどの巨大な召喚陣が展開される。初回召喚時限定の演出の始まりだ。その神々しさたるや言葉では言い表せない。観客全員が息を吞 の む気配が伝わってきた。

 頼む、せめて精霊強度30001以上であってくれ! 俺は切に祈った。ただこの祈りはもう遅い。先程のスキルを発動した段階でもう抽選は済んでおり、内部的に召喚される精霊が確定しているため、いくら祈ろうと無駄なのだ。それでも祈ってしまうのは、なんなんだろうな?

「………… あ」

 静寂の中、誰かが声を漏らした。その視線の先は、空 。

 え?

 異変に気付いた俺も、空を見上げる。つい数秒前まで晴れていた空は、どす黒く分厚い雲に覆われ、その雲は大きな大きな渦を巻いていた。地上はまるで夜のように薄暗くなり、雲の渦の間で怒り狂う稲光が太陽の代わりとなって人々を照らす。

 異様で、不気味で、威圧的で、得体の知れない恐怖が充満した光景だった。

「な、なんだっ……!? 」

 観客は戦 せん 慄 りつ する。この男は天候を操ったというのか──と。

 黒雲は何層にも重なり合い、そしてじわじわと地面に近付いてくる。

 観客の中には「わかったからもうやめてくれ!」と懇願する者までいた。

 しかし、召喚の演出は止まらない。

「……まさか」

 俺は思い当たった。それは、メヴィウス・オンラインの大型アップデート後に、初めて精霊強度35001以上の精霊を召喚したプレイヤー先着一名限定の精霊。過去、二十九回の大型アップデートが行われたメヴィオンにおいて、当然ながら二十九人しか所持していない、全精霊中最も強力で最もレアな、初期精霊強度41000の精霊の名を。

「ひっ……! 」

 観客から悲鳴があがる。雲の渦はどんどんと低くなり、そして天から漏斗によって注がれる液体のように垂れ始めた。

 その中心から、〝巨大な腕〟が、ぬるりと顔を出す。赤黒く禍 まが 々 まが しい紋章の入った、建物の何十倍も大きな腕。それは拳 こぶし を振り下ろすように、轟 ごう 々 ごう と音をたてながら地表へと迫りくる。

「……う……うわあ、ああっ!」

 誰かが叫んだ。

 ──死ぬ。巨大な拳に押 お し潰 つぶ され、ここにいる全員が死ぬ。

 そう感じた観客は俄かにパニックとなった。

 ズゥン──拳が到達した瞬間、地面がぐらりと揺れる。しかしその腕は、まるで夢でも見ていたかのように突如として雲散霧消した。

 二百人はあまりの出来事に、呆 ほう け、驚き、逃げることも忘れ、パニックすら忘れ、目の前の光景をただ見ていることだけしかできなかった。

 舞い上がる砂 さ 塵 じん の中。俺の前方五メートルほどの場所で、赤黒い雷光がバチバチと迸 ほとばし る。

 ぶわり! 突如、膨れ上がった風が砂 すな 埃 ぼこり を強引に吹き飛ばした。観客たちは悲鳴をあげ、飛ばされまいと地面に這 は いつくばる。だというのに、俺は不思議と風を感じなかった。

 そして。俺の目の前に姿を現したのは──やはり〝あの精霊〟だった。

「我が名はアンゴルモア。四大元素を支配する全 すべ ての精霊の大王なり」

 アンゴルモアは、高らかに自己紹介をする。声を張り上げているわけでもないのに、その透き通った中性的な声は荒れ狂う風の中でもはっきりと聞こえてきた。

 身長百六十センチほどの、男とも女ともとれる美しい顔立ちの精霊。ショートカットの髪は赤と黒と金に輝いて風になびき、その目はまるで超新星のようにオレンジと緑の強い光を放っている。華美な白銀の服を身に纏 まと い、所々に瑠 る 璃 り と琥 こ 珀 はく の装飾がちりばめられており、焦茶色と桔 き 梗 きよう 色のまだら模様の靴はまるで悪魔の心臓のように悍 おぞ ましい異形をしていた。またその手には、先ほど天高くより顕現した巨大な腕と同じ紋章が刻まれており、血に飢えたように明滅している。その光が波打つ度に、紋章から赤黒い電撃が漏れ出していた。

 アンゴルモアは歩き出す。一歩、二歩、三歩進んで、止まった。

 実に悠々とした足取り。その場を底なしの恐怖が支配する中、ただ一人だけ優雅である。

「我がセカンドよ。こうして会える日を心待ちにしていた」

 アンゴルモアが俺の目の前で膝 ひざ をつき、そう言った。暴風は、未 いま だ止 や まない。

 ……ああ、なるほど。俺はようやく理解した。こいつは、自分が二百人の人間より低く頭を下げることがないように、というただそれだけの理由でこの風を放って、観客たちを這いつくばらせているのだ。噂 うわさ には聞いている、お前は〝そういう奴 やつ 〟だと。

「風を止めてくれ」

「フハッ、御意に」

 アンゴルモアは微笑 ほほえ んで従った。すると、ぴたりと風が静まる。

 観客がざわめいた。風が止んだことへのざわめきではない。「恐怖」のざわめきである。

 ……そりゃそうだ。こいつ、どこからどう見ても〝悪〟だ。

 そんな悪の親玉が俺に跪 ひざまず くということは、そういうこと になってしまう。

 嗚 あ 呼 あ 、こいつが「精霊の大王」なら、差し詰め俺は「恐怖の大王」といったところか。

 か、勘弁してくれ……! 何故 なぜ よりによってこのタイミングでこいつなんだ! 精霊強度35001以上の確率といったら0・1%だろう!?  だったら35000の精霊でよかったのに!

「………… 」

 どうしよう、という視線をユカリに送ってみる。

 あっ……「お手上げ」だそうだ。駄目だこりゃあ。

「……その、悪い。話は今度な。とりあえず送還する。次は普通に出てこい」

「気に入らなかったか? 許せ、我がセカンドよ。何分初めての召喚に些 いささ か張り切ってしま──」

「じゃあな」

「あ、ちょっ!? 」

 俺は大至急アンゴルモアを《送還》し、額を拭 ぬぐ って「ふぅ」と一息、なかったことにした。

 すたすたと広場を後にする。

「…………………… 」

 会場はお通夜状態。全然なかったことにできていなかった。皆一様に啞 あ 然 ぜん としている。

「ひっ!」

 俺と目があった商人の男が、喉 のど 奥で悲鳴をあげて視線を逸 そ らし、その場から逃げ出した。

 一人が逃げれば二人三人と、どんどん去っていく。彼らが俺を見る目には、必ず〝恐怖〟の色が浮かんでいた。完全に悪魔の飼い主だと思われている。

 そうして──発表会は、最悪な空気のままにお開きとなった。

 当然ではあるが、取引の話は綺 き 麗 れい サッパリと流れた。商人ギルドも鍛冶ギルドも「絶対にあいつと関わってはいけない」と大急ぎで離れていったからである。当たり前だな。

 ……あーあ、やっちまったよ。

 ユカリがあちこちへ奔走してこつこつと計画してくれていた全てが一瞬にして水泡に帰した。

 冒険者ギルドと敵対するのが云々、とか言っていたのが馬鹿馬鹿しい レベルの「やらかし」である。冒険者ギルドどころか鍛冶ギルドにも商人ギルドにも下手 へた すりゃキャスタル王国にさえ最大級の不信感を抱かせてしまった。敵とか味方とか最 も 早 はや そういう問題じゃねえ。

 でもさ、流石にこれはどうしようもないだろぉ?

 精霊とは四大元素「火・水・風・土」のいずれかを司 つかさど るもの。その召喚の演出も、火属性の精霊なら火柱で彩ってみたり、風属性なら空から舞い降りてみたりと、そんな感じになるはずなのだ。

 だが唯一、アンゴルモアだけは違う。あいつは四大元素を支配する全精霊の頂点に立つ精霊大王、という設定 。ゆえに、その演出も特殊極まりないのである。「支配者」的な方向で。

 前世の俺は、世界一位であってもアンゴルモアは持っていなかった。それくらい稀 き 少 しよう な精霊だった。入手できるチャンスはメヴィウス・オンラインのサービス開始から数えてたったの二十九回だけ。それも課金チケットを使った《精霊召喚》の最初の一回の0・1%を引き当てるという豪運を要求されるうえ、同時にアンゴルモアを狙 ねら う何千何万という大勢のプレイヤーたちとの競り合いに勝たなければならない。

 出るわけがない──と。誰 だれ だってそー思う。俺だってそー思う。

 ……………… 出ちゃったじゃん!!

 世界一位を目指すにおいては、実に喜ばしいことのはずなのだが、状況が状況なのであまり素直に喜べない。

 それになんだあいつのキャラは。中性的で美形で尊大で大王ってお前。ごっつ偉そうだったぞ。そして実際に偉いのだから始末に負えない。あいつをまた呼び出してコミュニケーションをとらないといけないのか……うわあ、考えるだけで気が重くなる。

 緊急解散後の、宿屋への帰り道。俺は、シルビアとエコに「すまん迷惑かけた」と、ユカリに「ごめん無駄になった」と伝えた。シルビアは「いつものことだ」と余裕の笑みを見せ、エコは「いいよ!」と元気に頷 うなず いてくれる。ユカリは「それは構いませんが……」と何かを言いたげだったが、無駄になったこと自体は特に気にしていなそうだった。

 皆の変わらぬ態度に少し安心する。

「申し訳ございませんでした」

 その日の夜。俺の部屋へ、ユカリが謝罪にきた。

「何故謝る? どちらかといえば俺の方が申し訳ない気持ちで一杯なんだが」

 折角ユカリがお膳 ぜん 立 だ てしてくれた計画が水の泡になっちゃったんだから、謝るべきはむしろこっちだ。

「私は一つ勘違いをしておりました。私のような凡愚が思考を巡らせるなど無意味だったのだと。ご主人様にとっては、むしろ枷 かせ となってしまうと」

 おお? よくわからない。

「枷?」

「はい。ご主人様は超越されていらっしゃいます。ギルドを敵に回すだとか、信用を得るだとか、その程度のことを気にして小細工をする必要などなかったのだと、今回の一件でよくわかりました」

 いや、俺だって方法が思いつかないだけで、なるべく穏便に行きたいなぁとは思ってるよ。今回は大失敗したけど。

 しかし何故ユカリは突然こんなことを言いだしたんだろうか?

「どうしてそう思ったんだ?」

「ご主人様のその、変な余裕です。失敗を失敗と思っておられません」

「いや、失敗だと思ってるぞ。どちらかというと大失敗だな」

「いえ、思っておられません。本当に失敗した人間というのは……晩御飯をきっちりと食べ、お風 ふ 呂 ろ 上 あが りに少々のお酒を楽しみ、笑顔でまた明日、とはなりませんよ」

「……ふむ」

 言われてみれば、という感じだなあ。確かに、あんなことがあったのに、今晩も別段変わりなく過ごしていた。

「ご主人様は今回のことを大した失敗ではないと思われているはずです。それどころか、元より〝失敗してもいいや〟とお思いでことに当たられたのでは?」

 前者はともかく後者はその通りだ。だって家を買う金を貯めることが目的なんだから、別に失敗したところで「世界一位」という目標にはあまり影響がない。金稼ぎの方法なんて他に腐るほどあるし、そもそもがついでのことだ。バッドゴルドに来た当初の優先順位としては「一に経験値稼ぎ、二に装備作製、三に金稼ぎ」だったからな。何故かいつの間にか金稼ぎが優先されていたが。

 ……おお、なるほど。確かに失敗だと思っていない。というか失敗しても別に構わないと思っていた。本気でなんとかしようと思ってやっていたわけではないから、失敗した時のダメージも少ないということだろうか。そうかもしれない。ユカリの言う通りだ。

「すげえなユカリ。俺のこと俺よりよくわかってるぞ」

「そのようなことはございません!」

 ユカリが強く否定した。普段はあまり感情を出さない彼女だから、俺は少しびっくりした。

「……すみません。しかし、私がご主人様をよく理解できているなど」

「そう思うけどな?」

「いえ。今回のことも、私がご主人様のことをもっともっと深く知っていれば、何かよい策を練ることができたかもしれませんから」

 そうか。それでユカリは謝りにきたのか。とても律儀だ。

「それこそ気にすることはない。俺がそっち方面に疎 うと いからって、全部ユカリに任せっきりだったからな。ユカリにばかり負担をかけてしまった」

「でも私はお任せいただいたのに失敗してしまいました」

「だから、そりゃ俺の失敗だってば。あんなの予想できるわけないだろ? ユカリが気に病むことはないよ。それにユカリの意見に賛同し、決断したのは俺だ。だから全 すべ て俺の責任だ」

「………… 」

 ユカリは渋々という感じで沈黙する。その表情はまだ納得できてなさそうだ。頑固だな。

「……私は、鍛冶 かじ に専念した方がよいのでしょうか」

 俯 うつむ きがちにそんなことを言う。どうしてそうなった。

「いや、それは困る。マジで困る。ユカリがファーステストで一番頭がいい。今回はたまたま上手 うま くいかなかったんだよ。今後はきっと大丈夫だ。俺に合った策を講じてくれるんだろ?」

「っ! ええ、無論です!」

「なら今後とも頼む」

「はい!」

 ユカリはどこか嬉 うれ しそうに返事をした。「これからは心を入れ替え、秘書として役に立って見せます」と意気込んでいる。

 秘書……初耳なんですけど。ただまあ納得できなくもない。確かにダンジョン攻略中なんかはずっと暇だろうからなぁ、そのへんのメンタルケアを考えていなかった。あまりの退屈から「鍛冶以外にも働きたい」と考えだすのは自然なことだろうから。

「あの、それで、ええと……私はこれから、ご主人様のことをもっとよく知らなければなりません。ご主人様のことをなんでも知っていないと……」

「ん? うん……ん?」

 ユカリとの距離がじりじりと縮まる。そして、彼女はずいっと顔を寄せてきた。ふわりと花の香りがした。

「ですから、ですからね? その、今夜は、私と──」

 ──コンコンコン。

 ユカリが何かを言いかけた瞬間、部屋にノックの音が響く。

「…………………… 」

 ユカリの表情がスゥーっと凍 い てついていった。怖えぇーよ!

「ど、どうぞー」

 俺は動揺しながら、ドアの外側に立っているだろう人へ声をかけた。

「夜分、失礼いたします」

 ガチャリとドアを開けて入ってきたのは、白い髭 ひげ を蓄えた細身の老紳士。知らない顔だが、温厚そうな人だ。

「セカンド様でございますね」

「そうですが」

「私はランバージャック家に仕えております家令のフォレストでございます。主人より仰せつかって参りました。セカンド様と是非ともお話をさせていただきとう存じます」

 らんばーじゃっくけ? カレー?

 はてな、と首を傾 かし げていると、ユカリが「商業都市『レニャドー』を領地とする伯爵家です」と耳打ちしてくれた。加えて「ハウス・スチュワード自ら出向いてくるのは丁重な扱いの表れ」だとか。なるほどカレーって家令のことか。ハウスなのかボンなのかややこしいな。

 しかしそんな良家の家令さんが何でこんな夜に? と疑問に思った瞬間「恐らく秘密裏にいらしたのでしょう」とユカリ。エスパーかよ。君やっぱり俺のこと凄 すご いわかってるよね……?

「フォレストさんですか。ええ、構いません。なんの話かお聞きしても?」

 俺がそう言うと、家令のフォレストさんは華麗にお辞儀をする。そして、その丸眼鏡の奥の目をほんの少しだけ鋭くして口を開いた。

「ミスリル合金の取引について、一つご提案を持って参りました」

    ◇◇◇

「提案?」

 俺はフォレストさんに聞き返す。あれだけのやらかし を目にして、それでもその話をしようというのは何か裏がありそうだ。

「はい。是非、伯爵家にミスリル合金を卸していただきたいと。伯爵はそう仰 おつしや っております」

「うーん……」

 なんと答えたものか。怪しい。実に怪しい。だが、魅力的な話でもある。

 恐怖の精霊召喚の噂 うわさ がバッドゴルドの町に蔓 まん 延 えん するのは、この数日の間だろう。噂が広まったとなれば、俺はこの町で宿に泊まることすらできなくなるかもしれない。ミスリル合金の取引なんて以 もつ ての外だ。そうなることは明々白々である。

 そんな時に向こう側から取引の話を持ってきてくれるなんて、そりゃ「ありがたい」と思ってしまう。ついつい何も考えずに食いついてしまいそうになる。とても罠 わな っぽいタイミングだ。

 よし、ここは断ろう。別に金稼ぎはミスリル合金じゃないと駄目なんてことはない。余計なリスクは負わないようにしよう。

「………… 」

 そう思いつつ、ちらりとユカリを見る。

 ユカリはこちらを見て、なんだか「うずうず」しているような顔をしていた。

 何故 なぜ うずうずするのか。理由はすぐに思い当たった。おそらく「今度こそ!」という気持ちだ。挽 ばん 回 かい のチャンスが巡ってきたと思っているのだろう。ということはつまり、何かナイスな策を思いついたということか?

 どうしよう? ……あ、いや、待て。

 先ほどユカリに指摘されて気付いたが、こうやって悩んだふりをするのは俺の悪い癖かもしれない。本当は答えなんてとっくに決まっている。「どうでもいい」んだ。なら前向きに考えよう。

 そう、失敗したってどうとでもなる。罠だろうがなんだろうが知ったことか。どんと来いってんだ。だったらユカリのメンタルケアも兼ねてこの好機に乗っかった方が幾分か効率的だろう。

「ユカリ、任せてもいいか?」

「お任せください、ご主人様っ」

 ユカリはクールを気取りながらも嬉しさを隠しきれずに耳をぴょこっと動かして俺にお辞儀すると、フォレストさんと取引についての話を始めた。見た目はまさに敏腕秘書という感じだ。やっていることは完全に秘書の域を逸脱しているが。

 そうして、ユカリとフォレストさんはしばらく話し合って詳細を詰めていた。

「ご主人様。一度伯爵と面会する必要があります。ご予定は」

「この件に関する俺たちの予定は全てユカリが決めてくれて構わない」

「承知しました。可能な限りの短期間を目標にスケジュールを立てさせていただきます」

 二人の会話が終わる頃 ころ 、ユカリから一度だけ質問がきた。俺に予定もクソもないので全部勝手に決めていいと伝える。加えてなるべく短期間になるようにと頼もうとしたが、流石 さすが というべきか俺が特に言わなくても既にわかっていたようだ。

 そして打ち合わせが終了する。明日、バッドゴルドに来訪中の伯爵と面会、その後にディナー。明後日 あさつて の朝から伯爵と共に商業都市レニャドーへ移動、午後から詳細について会議、夜は伯爵家族と晩 ばん 餐 さん 会。明々後日 しあさつて の朝に再度会議、昼すぎに契約をするという。

 ……えらい超特急だな。いや、俺は助かるが、伯爵はそれで大丈夫なのだろうか?

「それでは明日夕刻、予定の時間にお迎えに上がります」

 フォレストさんは「またお目にかかれることを云々」と格式張った長ったらしい挨 あい 拶 さつ をして、華麗な一礼で部屋を出ていった。とても丁寧で隙のない老夫だ。

「話の通じる方です。短い間の印象ですが、多少の融通も利きそうだと思います」

 ユカリが意外なことを言う。

「罠の可能性はないか?」

「ないとは言い切れませんが、可能性は非常に少ないかと。あちらはこちらに合わせて三日間もの予定を即断で空けました。それに家令を挨拶によこす念の入れようです。なんとしてもこの取引を成功させたいのでしょう」

「そうか」

 家令は主人に仕える者たちの中で最も地位が高い。ゆえに外交的に考えれば一番威力 のある挨拶になる。加えて、伯爵ほどの人物が三日間もの予定をいきなり空けるなど余程のことでない限りは有り得ない。つまり、今回のミスリル合金の取引は「余程のこと」であるとわかる。伯爵は、どうしてもミスリル合金が欲しいのだろう。

 ……なるほど。若干厄介事の臭いはするが、罠ではないっぽい。この話がまとまるなら経験値稼ぎのついでとして楽に儲 もう けることができそうである。世界一位にまた一歩近付くだろう。ただ、ユカリはかなり忙しくなりそうだ。

「さっきはああ言ったが、全 すべ て任せて大丈夫か?」

「ええ、私にお任せください。ご主人様の望まれる形に整えてご覧にいれましょう」

「頼もしいな。しかしそうじゃない。負担はないかということだ」

「負担ですか?」

 意外そうに、きょとんとしている……のかしていないのか。ユカリは表情の変化が微小すぎて時たま判断に困る。

「鍛冶や俺の身の回りの世話や秘書業務に加えて、取引の場にも立つなんざ……俺だったら過労でぶっ倒れそうだ」

「私がやりたくてやっていることです。大したことはありません。私にとってみれば世界一位を目指す方が何倍も大変だと感じますが」

「……そうかな?」

 ちょっと考えてみたが、ベクトルが違いすぎて比較にならなかった。でもそう言われて悪い気はしない。

「それに……暗殺と違って、やり甲 が 斐 い がありますから」

 ユカリは少し俯いて、上目遣いにそんなことを言った。そして更に言葉を続ける。

「俺がなんとかしてやると、ご主人様はそう約束してくださいました。ですから私は、仄 ほの 暗 ぐら い過去を振り返ることなく、ご主人様を信頼してただ邁 まい 進 しん するのみです」

 ほんのちょっぴりだけ微笑 ほほえ むユカリ。

 素直に嬉しかった。彼女は何があっても付いてきてくれる。その覚悟がある。その思いが伝わってくる。であれば、俺は彼女の期待を裏切るわけにはいかない。

 なるべく早く、しかし着実に、正確に、慎重に育成をしていこう。そうして世界一位への日々を一歩ずつ進んでいこう。それが俺のためになり、彼女のためになり、皆のためになると信じて。

「……ああ、早く世界一位にならないとなぁ」

 俺はそう言って苦笑した。「世界一位」で、ふと嫌なことを思い出したのだ。

 ユカリも察したのか、若干の呆 あき れ顔 がお をしている。

 何を察したのか。それは、世界一位のためには避けて通れない道。

「明日の朝にまた出す から、とりあえず覚悟だけはしておいてくれ」

「かしこまりました……が、正直申し上げまして私は打ち解けられる自信が微 み 塵 じん もありません」

「俺もだよ……」

 精霊大王アンゴルモア──世界一位を目指すにおいて非常に強力な武器となり得る存在。ただし、彼(彼女?)と打ち解けることができれば。

 明日のことを考えて憂 ゆう 鬱 うつ になった俺たちは、頭を抱えながら各自就寝した。

 翌日、朝食後。三人は俺の部屋に集まっていた。

「それじゃあ召喚するぞ」

「ま、待ってくれ。後少しで心の準備が」

「……ちょっとこわい」

 シルビアとエコは少々緊張しているようだ。それもそうだろう。なんせ昨日 きのう は地面に這 は いつくばらされたんだからな、謎の風で。

 ゲームの頃のシステムと変わっていないならば、精霊は俺に逆らわないはずだ。ゆえに俺はそこそこ安心できているが、彼女たちにはそれがわかっていない。朝食の時に一度説明してみたが、それでもやはり不安は拭 ぬぐ えなかったようだ。

 また、一つ気になることがある。それは、アンゴルモアは俺に敵対することはなくても、シルビアたちには敵対してしまうんじゃないかということだ。俺が「敵対を許可しない」と命令したとして、従うかどうかもわからない。少なくともメヴィオンでは「敵対するな」なんていう根本的すぎる命令はできなかった。果たしてどうなるやら。

「よし、いいぞっ」

 シルビアは炎狼之弓を握り締めて力んでいる。いざとなったら武力行使、ということだろうか?

「あたしもいいよ!」

 エコの方はわかりやすい。何か来ても岩甲之盾で防ごうってことだろう。しかし盾に隠れて耳しか見えていないのはどうか。

「私も構いません」

 ……ユカリもちゃっかりエコの盾の後ろにいる。

「あっ、ずるいぞ!」

 シルビアも行った。えぇ……。

 まあ、いいや、召喚しよう。

「行きまっせー」

 俺は《精霊召喚》スキルを発動し、アンゴルモアを喚 よ び出した。部屋の中央に召喚陣が展開される。初回召喚時の大きな陣とは違って、直径二メートルほどの小さな陣だった。

「──我がセカンドよ! どういうことだッ!」

 アンゴルモアは現れるやいなやいきなり怒りだした。格好が仰々しいので迫力満点である。三人は完全に盾の後ろに隠れてしまった。

「あー。まず、普通の感じで出てきてくれてありがとう」

 俺はとりあえずお礼を言っておいた。こんな狭い部屋の中で巨大な腕だ暴風だとやられちゃ困る。

「……次は普通にと頼まれたから仕方なく応じただけである」

 口を尖 とが らせながら言う。拗 す ねてるのか? こいつ意外と素直な奴 やつ かもしれない。

「そんなことより説明を求む。我は何故 なぜ すぐに送還された? 我が偉大なる力が必要なのではないのか?」

「いや、今のところ必要ない。ただいずれ必要になる」

「そうか、承知した。ん? いや待て。答えになっておらん」

「バレたか」

「その、我がセカンドよ……我の扱いが少々ぞんざいではないか? 我は精霊大王であるぞ? 全ての精霊の頂点に君臨する精霊の大王であるぞ?」

「だからどうした。俺なんか全世界で一位だ」

「なんとッ! 我がセカンドは然 さ 様 よう な傑物であられたか! そうかそうか、フハハ! 全精霊の支配者たる我の主 あるじ に相応 ふさわ しい!」

 うわあ、すっごい扱いやすい……こういう人が振り込め詐欺とかに引っかかるんだろうなぁ。

「なあ。ふと気になったんだが、お前は男か? 女か? 何歳だ? それとなんて呼べばいい?」

「我は精霊大王。性別などない。歳 とし などない。いや、男でも女でも、一歳でも十万歳でも構わない。名はアンゴルモア。好きに呼んでくれていい。アングーモワでもアングレームでもよいぞ」

 なんでもありかこいつ。

「そうかわかった。アンゴルモアと呼ぼう。それと、仲間を紹介する」

「我がセカンドの仲間か! 世界一の仲間、実に興味深い」

 シルビアとユカリが恐る恐る盾の後ろから出てきた。エコも盾の横からぴょこっと耳を出して様子を窺 うかが っている。

「左からシルビア、ユカリ、エコだ」

「ほう……ほう! わかるぞ。シルビアは弓の名手であろう。ユカリは腕のよい鍛冶 かじ 師だ。エコは盾を扱うのだな。実に均衡のとれたチームである」

 おおっ! ……おお?

「どうしてわかる?」

「わからぬ。しかし我がセカンドを通じて我に何かが入ってくる……ん、おお、おおお! わかる、わかるぞ!」

 現在進行形で俺の知識を読み取っているのか?

「俺の誕生日は?」

「七月七日であろう!」

 すげえ! 本当に読み取っている。

「じゃあ、アンゴルモア。初代天皇は誰だ?」

 試しに聞いてみた。まあ、これは流石にわかるわけが──

「神 じん 武 む 天皇であろう!」

 …………………… ヤッベェぞこれ。

「ハッハッハ! わかったぞ我がセカンドよ。我を神武以来 このかた の天才だとそう言いたいのだな! なあに我がセカンドには及ばぬ。いや、ここは、我がsevenと呼んだ方が──」

 送還!!

「………… ふぅ」

 なんとか、ことなきを得た。三人のハテナ顔から見て、ギリギリセーフといったところだろう。

 深呼吸で心を落ち着けてから、俺は再度《精霊召喚》でアンゴルモアを喚び戻す。

「急に送還するでない! 驚くではないか!」

 怒っていた。俺は無視して、心の中で必死に「俺の情報を明かすな」と念じ続ける。俺の知識や記憶を読み取れるんだ、どうせ意識だって読み取れるんだろう?

「ぬ……うむ、うむ。承知した」

 やはり通じた! なるほど……この奇妙な〝一体感〟は、そういう念話的なもののためのシステムなのね。クソったれ。

「お前も何か念じてみろ」

「(聞こえるか我がセカンドよ)」

「(聞こえる聞こえる、凄 すご いぜ)」

「(ほう! これはなんとも心地よい感覚だ)」

「(同じく。なんだろう、この、一体感?)」

「(ああ。一体感であるな)」

 ふむ、ふむふむ……いいなこれ!?  よすぎるぞ。戦術の幅がめっちゃ広がった。メヴィオンにはなかった念話システムと、廃プレイヤー全員が憧 あこが れる精霊大王アンゴルモア、この二つは世界一位への道に大きく貢献してくれそうだ。テンション上がってきた。

 特にアンゴルモアは全精霊の中で最もレアな精霊だ。精霊には進化というシステムがあり、最終的な精霊強度はあまり大きな差にはならないように調整されているが、アンゴルモアはそこから頭一つ抜きん出る特性を持っている。

 それは『雷属性』だ。火水風土の四大元素を支配する、精霊大王たる証 あかし 。メヴィオンでは雷属性という名の無属性と言われていた。アンゴルモアは、属性間にある有利不利関係「火 [image file=Image00009.jpg] 土 [image file=Image00009.jpg] 風 [image file=Image00009.jpg] 水 [image file=Image00009.jpg] 火」という絶対のルールから外れる属性攻撃を放つことができる。具体的には、有利属性時1・25 倍ダメージとなる仕組みから外れ、全属性に対し一律1・1倍ダメージとなる。これは非常に大きなアドバンテージとなる。なんせ不利属性が存在しないのだ。「ぶっ壊れ」な性能と言っていい。

 そして、〝一体感〟のせいか……不思議と、その雷属性魔術の使い方がわかるのだ。

 ──まさか。試しに【魔術】のスキル欄を見てみると、《雷属性・壱ノ型》~《雷属性・伍 ご ノ型》まで全 すべ て16 級で習得していた。

 ……………… えっ。

 こんなの知らないぞ俺! メヴィオンの【魔術】スキルに雷属性なんて存在しなかったはずだ。アンゴルモアを手に入れたプレイヤーが使えるようになるという話も聞いたことがない。

「(なんか凄いの覚えてるんだけど!)」

「(然 さ もありなん。我らの相性がよいのだろう)」

「(相性? ……相性ねえ)」

 そんな簡単な単語で片付けていい問題ではない気がするが……いや、でも理由はサッパリわかんねえ。まあいいや喜ぼう。

 いよっしゃあああああああッッ!!!!

「はは、はははは! (俺たち、上手 うま くやっていけそうだな!)」

「ハッハッハ! ハァッハッハッハ! (同意である、我がセカンドよ!)」

 俺とアンゴルモアは笑いながら念話する。こんなこともできるんだな。

 一時はどうなることかと思ったが、アンゴルモアを引けて本当によかった。これから時間をかけてチームの三人とも是非に打ち解けてほしいものだ。

「……なあ。あの二人は一体何をしているんだ?」

「恐らく念話のようなものかと」

「念話、か? 精霊術師にそのような技術があるなど聞いたこともないが……」

「ええ、私もです。精霊大王だからなのでは? もしくはご主人様だから、としか」

「どっちもありそうで困るな」

「かえった? もうかえった?」

「いや、まだいるぞ」

「うーっ…… 」

 こうして、濃い仲間を一人加えて、ファーステストの日常がまた始まる。

「ら、らららランバージャック伯爵家だと!? 」

「ららら~!」

 しばらく経 た ち、テンションが上がって調子に乗り始めたアンゴルモアを無理矢理に送還して部屋を静かにしてから昨夜の顚 てん 末 まつ を話すと、シルビアは突如″ららら星人〟と化した。そういう面白いことはエコが真似 まね するからできればやめてほしい。

「知っているのかシルビア」

「し、知っているも何もないぞ! ランバージャック家といえばかの有名なレニャドーの領主、〝木こり伯爵〟ではないか!」

「木こり、伯爵……!? 」

 な、なんだその超絶にダサい二つ名は……!

「商業都市レニャドーは、元は林業で栄えた町だったそうです。それがそこまで大きな都市となったのは、ひとえにランバージャック家の手腕であると評されています」

 ユカリの補足説明。なるほどそれで〝木こり伯爵〟か。うーん、そのまんまだな。

「それだけではないぞ。ランバージャック家のルーツは木こりらしく、代々武闘派で知られている。現当主のバレル伯爵はかなりの切れ者だとの噂 うわさ だが、確りと文武両道のようだ。加えてご令息とご令嬢は相当に腕の立つ冒険者だと聞いている」

 へぇ! 伯爵家の嫡男と令嬢が冒険者をやっているのか。そりゃなかなかに自由奔放なご家庭だ。

「兄のヘレス・ランバージャックは剣術に秀でているようですね。第一王子のクラウス・キャスタルとよい勝負のようです。そして妹のシェリィ・ランバージャック、彼女は……」

「彼女は?」

 ユカリは言葉を止めて焦 じ らす。その表情は、珍しいことにどこか悪戯 いたずら めいた微笑を浮かべていた。

 そして、彼女の口はゆっくりと開かれる。

「──なんでも、〝天才精霊術師〟と呼ばれているそうですよ、ご主人様」

    ◇◇◇

「天才精霊術師?」

 伯爵家の令嬢シェリィ・ランバージャック。ユカリによると、強力な精霊術を操りわずか十六歳にして冒険者ランクAを達成した天才なのだという。

 俺はそれを聞いて色々と察した。「精霊術を操る」──すなわち、精霊で攻撃 している。それじゃあ駄目なんだ、メヴィオンというゲームは。

 確かに序盤は、強力な精霊を使った攻撃というのは役に立つ。しかし中盤~終盤に近付いてくると、所謂 いわゆる 「殴ったほうが早い」現象が発生するのだ。具体的には、自身のステータス並びに各種スキルが上がった結果、精霊よりコストパフォーマンスのいい一撃を簡単に繰り出せるようになってしまう。ゆえに、終盤における精霊は《精霊憑 ひよう 依 い 》以外の使い道がなかなかに考え難い。というのが俺の見解だった。この世界ではどうなのだろうか。それにしても、冒険者ランクAというだけでドヤっていそうな十六歳の天才精霊術師の令嬢……なんとも香ばしい予感がする。

「そういえば、ユカリの年齢をまだ聞いていない気がするのだが」

 ふと思い出したようにシルビアが言った。

「ええと、私は十九歳ですが。お二人は?」

「私は十七歳だ」

「あたし、じゅーろくさい」

 噓 うそ ぉ、という顔をするユカリ。まあ、わかるよ。

「最年長 だな」

「おねーちゃん!」

「……ダークエルフ理論ではまだ若い方ですから。十六歳くらいですから」

 シルビアがわざとらしく言った〝最年長〟という単語にユカリの表情が凍 い てついた。いや、なんだダークエルフ理論って。いつもの二倍のジャンプをして三倍の回転を加えたら一千二百万パワーになるようなものだろうか。

 ………… あれ、というか俺だけ自然にハブられてない? あいつら変に盛り上がってるし、なんかちょっと寂しい。話し相手にアンゴルモアでも出すか……。

「──お呼びかな、我がセカンドよ」

「話し相手になってくれ」

「精霊大王をそんな理由で喚 よ び出しおって……まあ、よかろう」

「すまんな」

「では我が、土の大精霊ノームを滅ぼした時の話を──」

「何やってんの!? 」

 何やって……何やってんの!?

「マジで滅ぼしたのか?」

「然 さ 様 よう 。ある夜半のことよ。彼奴 あやつ は我を倒して己が精霊の支配者に取って代わろうと画策し、反旗を翻しおった」

「ああ、そういう」

 精霊界にもそういう争いがあるのか。なら仕方ないかもしれない。

「そして、我の寝巻きを土で汚したばかりか、我の愛用するコップにヒビを入れたのだ! 許してはおけん」

 ………… ん?

「寝込みを襲うとは恥を知れと一喝したが、彼奴は無視よ。構うものかと攻撃してきおった。ぶちギレた我はノームに死の雷を落とし、一瞬で消し炭にしてやったわ!」

 ハッハッハと高らかに笑うアンゴルモア。いやいやいや……。

「大丈夫なのか?」

「ん? ああいや心配無用よ。次代の土の大精霊は、その娘に任せた」

「そういうことじゃなくてだな……」

 俺とこいつは繫 つな がってるんじゃないんですかねぇ? 全然話が通じないんですけど?

 俺がガバガバ一体感に溜 た め息 いき を吐 つ いていると、コンコンコンと部屋のドアがノックされた。

「セカンド様、ファーステストの皆様、お迎えにあがりました」

 訪れたのはランバージャック伯爵家の家令フォレストさんだった。

「下に馬車を停 と めてあります。ああ、ご心配なさらず。皆様の御 お 馬 うま は私どもが責任を持って預からせていただきます。それでは、ご準備の方整いましたら──」

 云々かんぬんと長ったらしく挨 あい 拶 さつ して去っていく。あの人、丁寧なのはいいんだけど少し話が長い。

 それにしても、馬を預かってくれるのか。そりゃいいな、移動にあたっての心配事が一つ減った。さて、じゃあもう一つの心配事をなんとかするか。

「(アンゴルモア、お前マナーモード的なのになれるだろ? なれるよな? なれ)」

 この世界がメヴィオンと同様ならば、精霊は体をコンパクトにすることができるはずだ。火属性精霊ならば、火の玉になって使役者の周囲を飛び回り付いていく、という風に。その考えのもと、俺はアンゴルモアへと指示を出した。

「(御意に)」

 すると、アンゴルモアは一言返事をして、バチッ! と放電したかと思うと、その姿を赤黒い稲妻に変えて俺の体にまとわせた。

「(これで他の者に我の姿は見えまい)」

 念話はできるが実体はない。うん、便利便利。俺はこの状態を今後マナーモードと呼ぶことに決めた。

「よし、みんな準備はいいな? 行くぞ~」

 必要十分な準備を終えて、外で待っているであろうフォレストさんのもとへ向かう。

 何気なく、ドアを開けようとドアノブに手をやった瞬間。

 バッリィ!!

「っっっいい痛ぇええええええっ!? 」

「せっ、セカンド殿!?  どうしたのだ!? 」

 痛ぇえええ!!  なんだこれ!?  何が起きた!?

「(……ふむ。我から溢 あふ れ出る、静電気? 的なアレであるな)」

 こ、この、クソ……! 静電気ってレベルじゃねえぞ! クソが!

「(ハッハッハ、すまなんだ! 許せ、我がセカ──)」

 送還!!

「………… ごめん誰かドア開けて」

「か、かしこまりました?」

 困惑しながらもユカリが従ってくれた。

「後で、後で説明するから……」

 まだ痺 しび れている体を無理矢理引きずりながら、俺は伯爵との面会へ向かう。

 馬車の中で何が起きたかを話すと、三人は苦笑いしていた。エコまでもがそんな顔をしていたのが甚だショックだ。もう二度とマナーモードは使わないようにしようと心に誓った。

「はっはっは! そうですか、そうですか」

 ──面会、そして、ディナー。俺の目の前に座るバレル・ランバージャック伯爵は満面の笑みで頷 うなず きながら、俺の顔色を窺 うかが っている。

 四十代中盤のナイスミドル、太すぎず細すぎずちょうどよいスポーツマン体型、立ち居振る舞いは完全に武道を極めた人のそれで、一分の隙もない。だが、その目の奥には非常に理知的な炎が燃えていた。文武両道、明 めい 晰 せき な頭脳と強 きよう 靭 じん な肉体のどちらも兼ね備えた男だとわかる。そんな老練の商人、はたまた歴戦の勇士のような立派な男が、俺に対してこれでもかと下 した 手 て に出てくる。

 まさに〝接待〟だった。

 それほどまでにミスリル合金が欲しいのか、と。引くくらい過剰にもてなされている。

「お味は如何 いかが でしょう? これはレニャドーで採れたキノコを使ったシチューで、うちの子供たちの大好物なのですよ」

 にこやかに話しかけてくる伯爵。段々と鬱 うつ 陶 とう しくなってきた。

 俺は愛想笑いで適当な相 あい 槌 づち を打つばかり。喋 しやべ っているのはもっぱら伯爵だ。シルビアとユカリは話を振られた時に一言二言返すだけで、自分から喋るようなことはない。エコに至っては終始食べっぱなしである。

「Aランクチーム・ファーステストの皆様は全員十代であられるとか。娘のシェリィは十六歳でしてね。少々じゃじゃ馬ですが、明日の晩 ばん 餐 さん 会ではよろしくお願いいたします」

 ディナーはつつがなく終了する。伯爵は席を立ちそう言うと、握手を求めてきた。「それではまた明日」とにこやかに握手を交わした後、伯爵自ら俺たちを見送るため玄関まで案内を始める。

 俺は最後に一つ聞いておかなければならないと思い、足を止めた。

「おや、セカンド殿。如何なさいました?」

 伯爵が気遣うように声をかけてくる。

 完 かん 璧 ぺき だ。完全なまでに、自分を下げている。地位も、名誉も、実力も、そしてプライドもあるだろう。なのに何故 なぜ ここまでして? 俺はその疑問を抑えきれなかった。

「バレル卿 きよう 、貴方はどうしてそこまでこの取引を重要視しているのですか?」

 伯爵はにこやかな顔のまま、目だけを鋭く細めた。俺の隣に立つユカリが俄 にわ かに気を引き締めたのがわかった。

「……民が豊かであればこそ、兵は強くなり、国のためとなる。私の信条です」

 ふむ。富国強兵というやつだろうか。

「丈夫で、軽量で、長持ち。ミスリル合金を用いた武器防具産業は国力増強へと大いに繫がります。それはキャスタル王国の商の中心、我がレニャドーで行わなければなりません」

「つまり、全 すべ ては国のために?」

「いえ。民のため、兵のため、国のため。私の商売は、その三つが揃 そろ っていなければなりません」

 一つでも欠けてはならないと、伯爵は言う。

 ……大層な意識だ。民と兵を区別しているあたりが特に。この場合の兵とは王国に属する兵士に限定したものではなく、冒険者などの「戦う者」を意味しているのだろう。

 そう、民と兵とは、いわば──初心者と上級者。

 バレル・ランバージャック伯爵、彼はこの世界をよく理解している。弱者と強者の違いを。

 で、あれば、強者を、俺を相手に、馬鹿な真似 など天地がひっくり返ってもしないだろう。

 この取引、どうやらBETしてもよさそうである。

「なるほど、わかりました。明日の会議を楽しみにしております」

「こちらこそ! 本日は有意義な時間をありがとうございました」

 双方笑顔で別れる。こうして、初日の日程が終了した。

 翌日。俺たちは朝っぱらから馬車に揺られ、商業都市レニャドーを目指して移動していた。

 早起きが辛かったのか、シルビアとエコは仲よく寄っかかり合ってぐーすか眠っている。

「ユカリ、取引はどうするつもりだ?」

「継続してミスリル合金を卸し続けるのではご主人様の望む形にはならないかと存じます。ゆえに、数億CL分のミスリル合金を数か月後までに卸す、というような短期の契約をその都度結ぶのが最も賢い方法かと」

「そうか。ちなみに三百億CL分のミスリル合金だと、どのくらいの期間になりそうかわかるか?」

「少々お待ちください」

 俺が質問すると、ユカリは俺が渡したメモを見ながら計算を始めた。

 プロリンダンジョンのボスであるミスリルゴレムからドロップするミスリルの量を、一日五周するとして単純に五倍、そこから一日あたりに生産できるミスリル合金の量を算出し、相場をかけて三百億CLを割る。

「おおよそ二十日間で……えっ」

「えっ」

 ユカリは自分で言いながら驚いていた。当然、俺も驚いた。

 三週間で三百億CL。つまり一週間で百億CL、一日で約十四億CL稼げるということ。

 凄 すさ まじい。この世界ではミスリル合金ってそんなに貴重なのか?

 ……いや、冷静に考えれば当然だ。プロリンの通常のゴレムからミスリルがドロップする確率は6・25 %である。それもミスリルゴレムからのドロップと比べると約二十分の一程度の大きさだ。まだ攻略されていないんだから、そりゃ稀 き 少 しよう に決まっている。

「異常だな」

「……いえ、異常なのは一日に五周もする我々の方かと」

 そんな常軌を逸したノウハウを一体どこで手に入れたのでしょうかねえ、とユカリが冷たい視線を送ってくる。俺は爽 さわ やかな微笑 ほほえ みを返しておいた。「はぁ」とわざとらしい溜め息を吐きつつ耳をぴこっとさせるユカリは少し可愛 かわい らしい。

「そうだ、ミスリル合金が値崩れする可能性も考えないとな」

「ええ。三百億CL分の取引ならば、余裕を見て二か月~三か月がよろしいでしょう」

 あっ、確かに。三週間で三百億ってのは「毎日休まず五周して」だ。週休二日にしたり、たまには三周でやめて午後は遊んでみたり、なんて余地を残しておくべきだろう。

「わかった。その方向で会議もよろしく頼む」

「はい。お任せください」

 取引についての詳しい打ち合わせはユカリに一任してある。俺がやると今みたいな〝うっかり〟でとんでもないことになりそうだからだ。シルビアからも「その方がいい」と賛成されたが、お前にだけは言われたくない。

 ……なんてことを考えていると、いつの間にか俺はこっくりこっくりと船を漕 こ いでいた。

「ご主人様。見えてきましたよ」

 ユカリの声で目が覚める。誘われるがまま小窓の外を見てみると、先に見えたのは王都のように栄えた大きな商業都市レニャドーの活気ある風景だった。

 大通りは露店が溢れ、そこかしこを人々が行き交い、喧 けん 騒 そう の中みな商売に精を出している。それはメヴィオンなどとは比べ物にならないほどの〝リアル〟──今そこに人が生きている確かな証拠だった。

「成功するといいですね」

 ユカリが言う。俺は「ああ」と頷いて、外の景 け 色 しき から目を逸 そ らした。

 この中で俺だけが別の生き物のような気がして、なんだか見ていられなくなったのだ。

「? ……! ついた!? 」

「うっぐぅ!? 」

 目を覚ましたエコが外の景色にテンションを沸騰させて飛び起きる。その後頭部がシルビアの鳩尾 みぞおち に突き刺さり、彼女に最悪の目覚めをプレゼントした。

 平和だ。実に平和である。できればこの平和な日常が長いこと続いてほしいなあ、と。俺はそう思いながら頰 ほお 杖 づえ をついて、ぼんやり彼女たちを眺めていた。

 そんな俺の願いは、この日の晩、早々に打ち砕かれることとなった。

    ◇◇◇

 馬車が到着したのはレニャドーの中心にある大きな屋敷。

 俺たちは豪華絢 けん 爛 らん な客室に案内され、ほどなくしてランチに呼び出された。一瞬にして宿のこともメシのことも考える必要がなくなった俺は、以降ただ与えられるがままに享受する木 で 偶 く の坊 ぼう になることを決める。

 昼食はビュッフェだった。食堂のテーブル一杯に広がる料理の数々は全てが高いクオリティで、たったの一品も手を抜かれていないのが見て取れる。つい「ここまでするか?」と引き気味に呟 つぶや いてしまったところ、ユカリが「こうして豊かさをアピールしているのです」と息をするように正論を言った。

 シルビアは「凄 すご い歓迎だな」と冷静なように見せつつもそわそわしていた。騎士爵の次女で第三騎士団の下っ端という殆 ほとん ど平民と言っていい彼女はこういう場にあまり慣れていないようだ。

 一方で、エコは文字通り小躍りしながら料理をむさぼり食っていた。よく食べてよく眠る、悪くない意味で我が道を行くのが彼女の長所である。

 昼食が終われば、いよいよ会議だ。俺とユカリが会議室に入ると、伯爵と家令のフォレストさん含め二十人ほどのいかにも仕事ができそうな顔をしたオジサンたちが勢 せい 揃 ぞろ い。俺が着席するのを見てから全員が一斉に席に着くのは壮観だった。

 そして、会議が始まる。とはいっても俺は全てユカリに任せっぱなしで、「ふむふむ」と然 さ もわかっていそうな風に頷いているだけだった。実際のところちっとも理解できていない。売りヘッジってなんだよ? ここには証券会社の人間も来ているのか? というかこのファンタジーな世界にそんな会社あるの? 俺と契約して魔法 レバレツジ をかけてよ? わけがわからないよ……。

「では、この方向で参りましょう」

「いやあ、非常に有意義な会議でした。無事成立することを願いますよ」

「私共も出席できて光栄でございました。このまま契約で問題ないでしょう」

「とてもよい内容で安心いたしましたよ。今後が楽しみです」

「ありがとうございます」

 俺が頷くことも忘れてボケーっとしている間に話がまとまったのか、会議はお開きムードになっていた。俺はユカリと一緒に「どうも、どうも」と会釈をしながら会議室を後にする。

 ユカリは計画通りに話が進んだと静かに喜んでいた。つまり「三百億CL分の取引、期間は二か月」ということだろう。

「ありがとう。よくやった!」

「いえ。まだ契約が済んだわけではないので」

 大金ゲゲゲゲット! 俺は嬉 うれ しくなってユカリの頭を撫 な でに撫でた。ユカリはいつものように冷たい言葉を淡々と述べながら尖 とが った耳の先を赤くしてぴこぴこ動かしていた。

「小休憩の後、伯爵家族を含むお歴々と晩餐会です」

 誤 ご 魔 ま 化 か すようにそう言って俺の先を歩く。ユカリ様々だなぁと、しみじみそう思いながら、俺はその後に続いた。

 いざ晩餐会。会場には大勢の人が集まっていた。先程の会議に出席していた人たちと、その関係者だろう。

「はっはっは! セカンド君~! はっはっはっは!」

 伯爵は「今夜は無礼講だ!」と高らかに宣言してワインを一杯だけ飲んでからというもの、どうも様子がおかしい。彼はにこやかに謙 へりくだ りつつ大勢の前で俺たち四人を賞賛し続け、よかったよかったと満足そうに頷いている。ミスリル合金が手に入るのがそんなに嬉しいのだろうか。

 そして最終的には、俺の名前を呼ぶか笑うかしか言葉を発さなくなった。

「バレル様、どうぞこちらでお休みに」

 フォレストさんが伯爵を椅子へと案内する。ああ、多分、いつものことなんだな……。

「あら。シルビアさんって、確かノワールさんの」

「ち、父上をご存知で……!? 」

「ええ、大変お世話になっているわ」

「こここ光栄です!」

 シルビアは伯爵夫人と話し込んでいる。どうやら親が知り合いのようだ。

 一方で、ユカリはエリートなオジサンたちと難しい話をしている。そういえば晩 ばん 餐 さん 会の前に「ノウハウを盗みます」と意気込んでいた。

 エコはというと、メイドのお姉さんたちに囲まれて餌付けされていた。

「………… 」

 浮いてるじゃん俺。どうしよう。エコの所にでも交ざろうか……などと考えていると。

「──あなた、ちょっといいかしら?」

 不意に、背後から声がかかった。振り返ると、そこにはくるくる縦ロールでフリッフリの服を着たザ・お嬢様といった風の女の子がふんぞり返って立っていた。

 身長は百五十センチくらいと少し小さめ、胸も同じく小さめ。前髪はふわっとパッツンで、ぱっちりツリ目である。これで金髪だったら完璧だったが彼女は茶髪だ。

「シェリィさん?」

「ええ、そうよ」

 伯爵令嬢のシェリィ・ランバージャック。晩餐会の最初に伯爵の横でぶすっとした顔をして立っていたのを思い出す。兄のヘレスとやらは欠席だと知らされていたから気にしていなかったが、そうかこいつが妹のシェリィか。

「あなた、この私に声をかけてもらえたんだから光栄に思いなさい」

「お、おう」

 彼女は平然とそんなことを言う。マジかこいつ。

「だからといって調子に乗らないことね!」

「乗ってませんけど」

「なんなのよその態度! ムカつく!」

「えぇ……」

 どうすりゃいいんだよ。

「ふんっ。付いてきなさい!」

 呆 あき れていると、シェリィはそう言って、ぷいっと俺に背を向けて歩いていった。俺は付いていきたくなかったので付いていかなかった。

 …………………… 。

「──ちょっとあなた! ちゃんと付いてきなさいよ!」

 一分くらい経 た ってから顔を真 ま っ赤 か にしたシェリィがぷりっぷり怒りながら戻ってきて、俺の手を握って強引に引っ張っていった。しばらく気付かずに一人で喋 しやべ っていたのだろうか? あれ、なんかちょっと可愛 かわい いぞ……?

 そうして彼女に連れていかれた先は、人気のないバルコニーだった。なんだこのバルコニーは、テニスくらい余裕でできそうな広さだ。流石 さすが は伯爵家である。

「あなた、精霊術師なんですってね?」

 到着して早々、シェリィがそう切り出した。

「いや違うけど」

「違うの!? 」

「うん」

「あ、あらぁ……? 」

 困惑している。ちょっとからかいすぎたか?

「でも精霊は使役しているよ」

「やっぱり精霊術師じゃない! なんなのよもう!」

 全身で「むきィーッ! 」とするシェリィ。

 俺はなんとなく「こいつ悪い奴 やつ じゃないな」と思った。

「いいこと! あなた、お父様に気に入られたからって図に乗らないことね!」

「乗ってませんけど」

 三分ぶり二回目の否定をする。

「ほらその口調! 私はAランク冒険者なのよ! もっと敬いなさい!」

「俺もだ」

「ふんっ。あんたたちは四人でAなんでしょ? 私なんか一人でAなんだから!」

「一人? あっ……フーン」

 ……ぼっち、なんだろうなぁ。俺以外に対してもこの調子じゃあ無理もないだろう。

「なによその生温かい目は」

「何か困ったことがあったら俺に相談してみろ? な?」

「う、うるさい! 余計なお世話よ!」

「痛ぇ!? 」

 肩を殴ってきやがった!

「何しやがる!」

「身の程をわきまえないからよ」

 シェリィはつーんとした顔で「当然の結果ね」と吐き捨てた。一体全体、何がしたいんだこいつは、イラつくなぁ……。

「お前、なんのために俺を呼び出したんだ? ぶつためか?」

「違うわよ失礼ね! あんたに格の違いをわからせてやるためよ!」

「格の違いィ?」

「そうよ。格の違い!」

 高慢な笑みを浮かべて俺を見上げる。自信満々といった様子だ。

 ……おっとぉ? なるほどなるほど、なんとなーく読めたぞ。

「そうか。じゃあその格の違いとやらを、俺にどうやってわからせてくれるんだ?」

「ふふっ、すぐにわかるわ。さぁて、その余裕がいつまで続くかしらね?」

 シェリィはてくてくと歩いて俺から少し距離をとり、

「私の精霊を見て、吠 ほ え面 づら をかくといいわ!」

 そう叫ぶと同時に《精霊召喚》を発動した。

 俺とシェリィの間に召喚陣が現れ──その中心から、ダークエルフのような褐色の肌の美しい女性が姿を現す。

「──お呼びでございますかぁ、マスター」

「ええそうよ! テラ! このいけ好かない男に名乗ってあげなさい!」

「かしこまりました~」

 テラと呼ばれた褐色の肌の女精霊は恭しく一礼して、口を開いた。

「私はテラです。またの名をノーミーデスと申します。土の大精霊にございます~」

「丁寧にありがとう。俺はセカンドだ、よろしく」

「セカンドさん、よろしくお願いいたします~」

 握手する。

「こらーっ! 打ち解けろって言ってんじゃないわよ! 名乗りをあげろって言ってんの!」

「あら~申し訳ございませんマスタぁ~」

 テラさんはなんだか全体的にふわふわしている。マイペースというかなんというか、頭を下げているはずなのに謝罪の気持ちが全く窺 うかが えないあたりが謎のふわふわ感の原因だろう。

 それにしても……この後のことを考えると、実に滑 こつ 稽 けい である。確かに土の大精霊はかなりのレアだ。初期精霊強度32000だったか。うーん、まさに〝格の違い〟が明らかになりそうだ。

「ちょっ、なに笑ってんのよ! あんたもさっさと粗末な精霊を出したらどう!?  ま、土の大精霊の後に出すなんてどんなのが出てきても笑っちゃうでしょうけど!」

 笑っちゃうだろうなぁ……。

 俺は飛び出すだろうシェリィの特大リアクションを想像してニヤつきながら《精霊召喚》を準備する。そして、

「そこまで言うなら仕方ない。じゃあ、出──」

「セカンド殿! エコが食べすぎでぶっ倒れたぞ!」

「何ィ!? 」

 シルビアのカットインで我に返った。そりゃ一大事だッ。俺はやにわに駆け出した。

 背中に「ちょっと待ちなさいよこらぁ!」という怒号が飛来したが、気にせず走る。シェリィはまた後で相手をしてやればいい。

 ……思えば。このハチャメチャな出会いから、俺の平和なプロリン周回計画は音をたてて崩れ始めたのであった。

    ◇◇◇

 伯爵家お抱えの医師がエコを診察した結果、食べすぎによる腹部の膨満感で胃腸の働きが低下、軽度の呼吸困難などの症状が出ていたという。医師の指示に従って、楽な体勢で休ませていたらすぐに回復した。

 エコは「のこしたらもったいないとおもった」とばつが悪そうに言っていた。余程美味 おい しかったのか、それとも猫獣人の習性的なものなのか。ともかくこっち側で食事量のコントロールをしてやる必要があるだろう。デブネコならぬデブエコになってしまったら本業にも支障が出るからな。

 一同「あーよかった」と、とりあえずはひと安心。その後は男女に分かれ、銭湯並に広い大浴場でまったり入浴、高級ホテルのような部屋で各自一泊した。

 翌朝。案内されるがままビュッフェで朝食を済ませ、最終会議を行う。

 ユカリ曰 いわ く、然 しか るべき量のミスリル合金さえ納入すれば三百億CL以上の儲 もう けは堅いらしい。詳しい内容はよくわからないままだが、まあ俺のやるべきことは至極単純だ。プロリンダンジョンをガンガン周回して経験値稼ぎをやってりゃあそれでいいのである。

 会議が終了すると、そのままお偉いさんの方々と一緒に昼食をとった。出てきたのは高級そうなお重の弁当である。シルビアとエコも屋敷内の別の部屋で同じ高級弁当を食べているらしい。

 その後、契約書にサインをして、めでたく契約成立となった。

「またお会いできる日を心待ちにしております、ファーステストの皆さん」

 伯爵はほくほく顔である。よかったね。俺たちは丁寧に挨 あい 拶 さつ を返して、屋敷を後にする。

「お帰りはバッドゴルドの町でよろしいでしょうか?」

 帰り際、フォレストさんから声がかかった。どうやら帰りも送ってくれるらしい。しかも滞在中俺たちの馬の世話までしてくれていたようだ。セブンステイオーの毛並みが若干よくなっている気がする。まさに至れり尽くせりである。

「なあ、どうする?」

「む? どうするとは?」

「いやほら、レニャドーの観光とか」

「ご主人様のご判断にお任せします」

「おまかせ!」

「私もどっちでもいいぞ」

 皆あんまり観光したくなさそうだ。だったらもういいかな。

「ああ、じゃあもう帰……ん?」

「ご主人様?」

 ふと引っかかりを覚えた。あれ、何か忘れている気がする。なんだったか……うーん……?

「まあいいや帰ろう」

「──ちょぉっとお待ちなさい!」

 あっ。

「私もあなたたちに付いていくわ!」

 すっかり忘れていた。このじゃじゃ馬伯爵令嬢に絡まれていたんだった。

 シェリィは「お嬢様、それは」というフォレストさんの困惑気味の引き止めを「うるさい!」と押しのけて、我先にと停 と めてある馬車へ乗り込んだ。

 ………… え、俺もこれに乗るの? このツンツン娘と? 半日も一緒に?

「その……申し訳ありませんが」

 本当に申し訳なさそうな顔でフォレストさんがこっちを見てくる。常日 ひ 頃 ごろ から振り回されてるんだろうなぁ……。

「ご主人様、これはどういうことでしょうか?」

 そして何故かユカリさんが怖い。俺が何をしたというんだ。

「……とりあえず乗ろう」

 深呼吸を一つ。俺は諦 あきら めて、帰りの馬車へと乗り込んだ。

    ◇◇◇

 伯爵家の令嬢であるこの私、シェリィ・ランバージャック様に対してここまで無礼な態度をとるなんて、もう本当に信じられない。とってもムカつく男だわ。

 お父様がペコペコ頭を下げて、あんな奴 やつ のご機嫌をとっている。聞けば優秀な精霊術師なんだとか。へぇー、ふーん、そうなの。私なんか伯爵令嬢で最年少天才精霊術師よ。将来有望のAランクソロ冒険者。土の大精霊を使役している超・超・超エリートだわ。こんな肩書、世界中の何処を探しても私だけ。お父様もお母様も、ギルドも、貴族も、平民も、みんな私のことを褒めてくれる。

 ……なのに。あの男のように〝ビジネス〟に関わったことは一度もない。重宝されたことなどない。誰かの役に立ったことなどない。私の周りに賑 にぎ やかさなど欠片 かけら もない。

 いつもいつも「凄 すご い」と褒められるだけ。その後は毒にも薬にもならないと言わんばかりに人が離れていく。いや、この性格よ。もしかしたら忌避されているのかもね。

 ええ、認めるわ。嫉 しつ 妬 と よ、嫉妬。私は嫉妬しているのよ、あの男に。

 だから私は呼び出した。格の違いをわからせてやろうと思ってね。

 精霊術師セカンド。一言で表せば「変な奴」だった。

 ずーっと余裕の表情。こっちが伯爵令嬢だからってちっとも畏 かしこ まらない。微 み 塵 じん も臆 おく さない。本当の本当に失礼で、ボケたことばっかり言う。

 ……おかしい。私、おかしいのよ。

 あれほど嫉妬していたはずなのに、ムカついていたはずなのに、あのバカみたいな言い合いを「心 ここ 地 ち よかった」と思う自分が、心の奥底に潜んでいる。

 友達ってこんな感じなのかな……って。

 私の〝キツイ言葉〟をそのまま捉 とら えるんじゃなく、〝ツッコミ〟として捉えてくれる。それがこんなに心地いいなんて思いもしなかった。私自身を見てくれているような気がして、彼って本当は凄く優しいんじゃないかなと思って、それで……。

 ……いや、いやいやいや。騙 だま されてる。これは多分、あの甘いマスクに騙されているんだわ。彼の泰然自若とした態度だって、きっと私を馬鹿にしているからよ。

 絶対に認めない。認めたら負けよ。そう、「認めさせて」やらなきゃ。わからせてやるんだわ。格が違うんだってことを。お父様と契約が成立したからって、調子に乗らせてなるものか。

 そして私を尊敬させるのよ。天才シェリィ様には敵 かな わないってね。そしたら、そしたら……。

    ◇◇◇

 行きは平和だったはずの馬車の中は、混 こん 沌 とん と化した。

 まずユカリVS シェリィの言い合いから始まり、そこへ横から口を挟むシルビア。俺はエコと隅の方で遊んでいたのだが、やはり当事者だからか次第に俺へと矛先が向いてくる。そこからユカリに代わり俺VS シェリィの図式となり、ユカリとシルビアは「後は任せた」と言わんばかりに戦線離脱、エコとまったりし始めた。ズルくない?

 そしてそれから二時間ばかり、俺とシェリィはずっと喋 しやべ り続けている。俺がボケて有 う 耶 や 無 む 耶 や にしようとするとシェリィがツッコんでまたバトルが巻き起こり、まるで漫才師のネタ合わせのようにボケとツッコミの永遠ループであった。

 また面倒くさいことに、こいつ時間が経 た つにつれてどんどん活 い き活きとしてきて、なんだかちょっと楽しそうなのである。なんだかんだ文句を言いつつも実はもっと遊んでほしそうなあたりが、少しマインと似ているなと思った。

「ところでどうして付いてきたんだお前?」

 いい加減に無駄話ばかりでは辛くなってきたので、中身のある話題に転換をしてみる。

「ふんっ、勝負よ勝負! 私とあんた、どっちが精霊術師として上かハッキリさせようじゃない!」

「どうやってだよ。殴り合いか?」

「なんでよ! 精霊術師なんだから精霊術で勝負に決まってるでしょ」

 厳密には俺は精霊術師ではないんだけどね。

「まあいいや。方法は?」

「……えーっと」

「お前、今考えてるだろ」

「べ、別に!?  色々ありすぎてどれにしようか悩んでいたの!」

 凄くわかりやすい。

「あっそうだ。冒険者ギルドの貢献ポイント勝負にしましょう!」

「あっそうだ、って言わなかったか今」

「失礼ね、言ってないわよ」

 言ってるんだよなぁ……。

「というか貢献ポイント勝負って、それのどこに精霊術が関係あるんだ?」

「え? 精霊術師なんだから、精霊術を使ってポイントを稼ぐでしょ?」

「……あ、そうか」

「はぁー」

 これだからゆとりは、みたいな顔で溜 た め息 いき を吐かれた。イラッ☆

 俺はね、精霊術を使わなくても貢献度を稼ぐことができるんです。あなたとは違うんです。

「よしわかった。勝負の期間は?」

「一日ね! 明日……いや、明後日 の日の出から日没までの間に、より多くの貢献ポイントを稼いだ方が勝ちよ! いーい?」

「オッケー」

 覚悟しておけよ、ダブルスコアでその綺 き 麗 れい な顔をアヘらせてやる。俺はそんなことを考えながら、バッドゴルドの町に着くまでの間、臥 が 薪 しん 嘗 しよう 胆 たん の思いでシェリィの話し相手を続けた。

 夜。いつもの宿に部屋を取り、夕食を済ませて、自分の部屋へと戻る。シェリィも俺の隣に部屋を取っており、流れ的に夕食も一緒だったので、やかましいことこの上なかった。

 宿屋一階の酒場は、冒険者たちの出入りが多い。その冒険者たちの九割が「シェリィ・ランバージャックだ!」「天才精霊術師だ!」「凄ぇ本物だ!」と大盛り上がりする。シェリィは冒険者界 かい 隈 わい ではかなりの有名人らしい。「意外と凄い奴だったんだなお前」と言うと「意外は余計よ!」とぶたれた。口も手も出るとかツッコミの申し子だな。

 ただまあ段々と慣れてきた自分もいる。それにボケると確実にツッコんでくれるのは実はちょっとばかり嬉 うれ しい。シルビアは真 ま 面 じ 目 め すぎるし、ユカリは冷淡だし、エコは可愛 かわい いし、うちのチームメンバーではいいツッコミが期待できないので、ある意味で足りないところを補ってくれている存在かもしれない。

「………… あ、そうだ」

 くつろぎの最中、シェリィの一件ですっかり忘れていた存在を思い出す。

 俺はベッドに横になった状態のまま、アンゴルモアを召喚した。

「──我がセカンドよ、随分と久しいではないか。ええ?」

 怒っていた。気まぐれに話し相手として呼び出してから、マナーモード中の「バッリィ!! 」の腹いせに送還したっきり放置していたせいだろう。

 アンゴルモアは頰を膨らませて、ずいっと顔を近づけてくる。

 ……こう、寝ている体勢で美人に詰め寄られると、ちょっぴり変な気分になるな。

「ごめんて。色々と忙しかったんだよ」

「……であるか。まあ、聞こうではないか」

 話してみろ、ということだろうな。わざわざ俺に喋らせるのは、〝一体感〟での共有ではなく俺の口から聞きたいってことか? それとも俺が今日散々喋ったことを知っている上での嫌がらせ?

 俺は腑 ふ に落 お ちないながらもアンゴルモアに説明をした。

「ほう、ノーミーデスに会 お うたか」

「テラって名前で使役されていた。ふわふわした印象だったな」

「であろう。摑 つか みどころのない娘よ」

「そういえば……彼女の父親を殺したんだろ? 会って大丈夫か?」

「殺したのではない、滅したのだ」

「あ、そう」

「フハハ、心配するな。何も問題はない。むしろ彼奴 あやつ は大精霊になれると喜んでおったくらいだ」

「……マジ?」

「マジである」

 テラさん、意外と冷たい精霊なのかもしれない。

「そうか、じゃあ会わせても大丈夫そうだな」

「うむ。そのシェリィとかいう小娘もついでに驚かしてやろうぞ」

 アンゴルモアはそう言って悪戯 いたずら っぽく笑った。こいつも仰々しい見た目に反して意外とお茶目なところがあるな。

「なんなら今から行くか? 隣の部屋だぞ」

「……何?」

 俺が言った途端、アンゴルモアの表情が変わる。

「どうした?」

「隣と言ったな。それは左であろう?」

 左隣はシェリィ、右隣は三人の部屋だ。

「左の部屋には気配が感じられん」

 部屋にいない? こんな夜中に何処へ行ったんだ?

 ………… ん? 待て。何かが引っかかる。シェリィはなんと言っていた? ギルド貢献度で勝負だと、そう言っていたな。それはいつだ、明後日だ。

 どうして明日じゃない ?

 そもそも、あの場で思いついたようないい加減な勝負をする意味とは? 何故 なぜ シェリィは俺に突っかかってくる? 何故俺たちに付いてきた? 何故勝負をしたがる?

 ……もしかして、本当の目的が別にあるんじゃないのか?

「嫉妬であろう」

 アンゴルモアの指摘。なるほど、嫉妬か。納得できなくはない。

 シェリィは俺に嫉妬していた。恐らくは、精霊術師として、だろう。その嫉妬をなくすにはどうすればいいか。そう考えた結果が〝同行〟と。じゃあ、その目的は、俺の存在意義を奪うとかそんなところだろうか。つまり、このバッドゴルドで俺の……

「──っ!  あいつマジか!? 」

「ああ、違いあるまい」

「うーわ、クソッ! どこまで面倒くさいんだあの女!」

 俺は頭を抱える。シェリィの目的がわかってしまった。

 無謀だ。あまりにも。このままだと、多分、あいつは死ぬ 。

 あーあーあーあー……。

「だぁああ! もう! クソ、怠いなッ!」

 俺はせっかく訪れていた眠気を優しく受け止めてくれていたベッドから跳ね降りて、その勢いで部屋を飛び出した。

「フフ。文句を言いつつも駆け付けるところが立派であるぞ、我がセカンドよ」

    ◇◇◇

 セカンドより先にプロリンダンジョンを攻略してやる。それが私の作戦。そうなったら、もう、私を認めざるを得ない。私を評価せざるを得ない。

 お父様もお母様も、セカンドも、みんな私を見てくれる。誰 だれ も私から離れていくことはない。

 セカンドの周りのあの賑やかさが私のものになる。そしたらもう、寂しくなんてならないから。

 私は変わる。あいつへの嫉妬を踏み台に、変わってやる。

「テラ、進みましょう」

「……はい、マスタ~」

 いい子ね、テラ。あなただけは幼い頃 ころ からずっと私のそばにいてくれる。

 こんな、ひねくれていて、高飛車で、キツイ言葉ばかりの、私のそばに。

「………… ねえ、攻略が済んで、さ」

「はい」

「私が、仲間に……なりなさい、ってさ。あいつにちゃんと言えなかったら……その時は、フォローしなさいよね?」

「はい~!」

    ◇◇◇

 体にあたる冷たい夜風がだんだんと俺を冷静にさせていく。

 もしあのバカ女がまだ道中でゴレムと戦っていたとする。ならば頰でも引っぱたいて無理矢理連れ帰ってくればいい。問題はボスまで到達していた場合である。

 プロリンダンジョンのボス『ミスリルゴレム』は初見殺し で有名だった。

 辛く厳しいゴレムとの戦闘を経てようやっと到達したボス、そこに佇 たたず んでいるのはゴレムを更にでっかくしたような魔物。皆こう思う──「ああ、こいつもゴレムと同じで物理攻撃が効かないんだろうな」と。

 大きな間違いである。ゴレムは確かに物理攻撃が効き難 にく い。魔術で攻撃するか、圧倒的に強力な物理で攻撃するのが真っ当な攻略法だ。だがミスリルゴレムは違う。物理も魔術も両方ともあまり効かないのである。

 事前の情報なしに初めてミスリルゴレムと相対したプレイヤーは「魔術で戦えばいいっしょ」と実に安直な考えで《火属性・参ノ型》なんかをぶっ放すことが多い。すると、当然だが全くダメージが入らない。そしてプレイヤーをターゲットしたミスリルゴレムが突っ込んでくる。魔術使用後の硬直で動けない間に踏 ふ み潰 つぶ され、為 な す術 すべ もなく死ぬしかない。

 初手で魔術を放った時点で、ほぼほぼ殺されることが約束されるのである。

 じゃあどうすればいいというのか。簡単だ。ミスリルゴレムに通用するレベルの物理攻撃スキルが育つまで、プロリンダンジョンに入らなければいい。

 シェリィに高い物理攻撃力があるだろうか? 恐らくない。彼女は精霊を使って戦闘している実に非効率的な精霊術師だ。言ってしまえば「エンジョイ勢」みたいなものである。

 道中のゴレムを倒せたとしても、ミスリルゴレムは確実に倒せない。精霊術師である限り、それは避けられない罠 わな だ。

 先日、冒険者ギルド主催の「プロリン集団攻略」が行われたが、失敗に終わったらしい。原因は明らかである。ミスリルゴレムに通用する物理攻撃スキルを持った冒険者が参加していなかったからだ。そして、ミスリルゴレムに魔術が通じないという情報が未だに全く広まっていないのだろう。

 勿 もち 論 ろん 、シェリィも知らないに決まっている。こりゃ、カウントダウンだ。刻一刻を争う。

「急ぐぞ」

 俺はプロリンダンジョンに着くやいなや、セブンステイオーを乗り捨てて疾走した。

「(道案内は我に任せよ)」

 アンゴルモアはどうやらノーミーデスの気配を追えるらしい。ということは、シェリィはまだ生きている。俺は念話で案内してもらいながら《飛車剣術》でゴレムを薙 な ぎ倒 たお していく。なるべくターゲットを取られないように、最小限の戦闘で済むように、とにかくスピード重視で突っ走った。

「フッハハ、斯 か 様 よう な雑魚 ざこ では相手にならぬか!」

 あまりに一方的な戦闘を見てテンションが上がったのか、アンゴルモアが気分よさそうに言う。

「久方振りの戦である! 血湧 わ き肉躍るとはまさにこのことよ!」

 高らかに笑うアンゴルモアはもう完全に大魔王にしか見えない。

「お前には後で働いてもらうから、今のうちに準備しとけ」

「御意!」

 どうして俺がこんな夜中にあんな女のためにここまで必死こかなきゃいけないんだと思いながら、俺はゴレムを葬りつつ先を急いだ。

    ◇◇◇

 私は小さい頃から友達がいなかった。

 原因はわかってる。私の性格。こんなキツイことばっかり言う伯爵令嬢なんて、誰も近付きたがらない。でも、しょうがないじゃない。私は伯爵の娘で、こういう性格なんだから。直そうとも直せるとも思わない。

 でも、実を言うと寂しかった。一人ぼっちは、寂しい。そんな当たり前のことを子供ながらに感じて、それが私の性格上どうしようもないことだと悟っていた。

 私が精霊術を覚えようと思ったきっかけは、後ろめたい理由だった。

 唯一無二の友達。私から絶対に離れることのできない存在。それが土の大精霊テラ。

 私は精霊を利用して、寂しさを埋めた。今思えば、それは決してやってはいけないことだった。

 寂しさに耐えかねて、他人の手を取ってしまえば楽だったかもしれない。でも私にはテラがいた。だから耐えられた。耐えられてしまった。

 幼少期をそうやって過ごしたことで、プライドばかりが大きくなって、性格は更にねじ曲がり、意地っ張りで、高飛車で、なんでもかんでも嫉 しつ 妬 と して、思ったことをすぐ口にして、敵ばかりつくって、殻に閉じこもって……毎日、テラと一緒の二人だけの世界に逃げ込む。それが癖になった。

 今更どうしようもない、変わりようもない、私の癖。私みたいなのを世間では社会不適合者って言うのかもしれないわね? まあ天才精霊術師だし、伯爵令嬢だし、容姿端麗だし、冒険者ランクもAだし、不適合だろうとなんだろうと構わないわ。私は一人で生きていける。今までそうやって一人で生きてきたんだから。

 そう、一人で生きてきたのよ。だから……あんな心 ここ 地 ち よさなんて、全然知らなかった。

 私のキツイ性格を受け入れてくれる人と喋 しやべ るのが、あんなに心地いいなんて。

 いいじゃない……いいじゃない! 人間の友達がほしいって思ったって、いいじゃない! 十六年生きてきて初めて巡り会えた相手なのよ! 絶対、絶対諦 あきら めない! ぎゃふんと言わせてやる! 私のこと認めさせてやる!

「テラ! 右からもう一匹!」

「はい、マスタ~」

 私の指示でテラは土属性魔術を放つ。迫りくるゴレムに魔術の岩が怒 ど 涛 とう の勢いでぶつかり、その身体 からだ を粉砕する。さっすが、私のテラ。最強の精霊ね。

「さぁて、先を急ぎましょ……あら?」

「これは~……」

 大きなドーム型の空洞に出た。その中心には、見上げるほど巨大な青白く輝く岩。

「──マスターっ! 下がって!」

 テラが叫ぶ。私は初めて聞くテラの切羽詰まった声に、思わず足がすくんだ。

「な、何よっ……!? 」

 地響きのような轟 ごう 音 おん をたてて、巨大な岩が動きだす。

 岩は見る見るうちに三倍ほどに膨れ上がって──否、それは立ち上がった のだと気が付いた。

「……ご、ゴレム……!? 」

 こんなに大きな!?  聞いてないわよ!

「ここのボスですマスター、勝てません! 逃げましょう!」

 ボス。そうか、こいつが。

「………… テラ、やるわよ」

「マスター!」

 こいつさえ倒せば……私は、変われるような気がする。

 バカだと罵 ののし ってくれていい。でも、私はもう決めたわ。

「テラ! 土属性・伍ノ型、準備!」

「……くっ……! 」

 テラを無理矢理に従わせる。使うのは、最近覚えた一番強い魔術。今できる私の最強の攻撃よ。

「撃ちなさい!! 」

 まだこちらに気付いていない様子の巨大ゴレムに向かって、テラが《土属性・伍ノ型》を放つ。直後、大精霊の力によって増幅された魔術陣が辺り一面に広がり、そして──大地が割れる。山のように大きな岩の塊が地中から顔を出し、巨大ゴレムを包み込むようにして押し潰す。その中心に吸い寄せられるようにして、岩石がまるで隕 いん 石 せき みたいに降り注ぐ。こんなのを食らったら、いくら巨大ゴレムでもひとたまりもないはずだわ!

「やったかしら!? 」

 土 つち 埃 ぼこり が舞い視界が遮られる中、私は思わず叫んだ。

 プロリンのボスを倒した。セカンドより先にプロリンを攻略した! これで、これで……!

「──── え?」

 ぬうっ──と。土煙の中から、こちらに向かって歩いてくる巨大ゴレムが顔を出した。

 こいつ、無傷だった。テラは魔術後の硬直。私は完全に無防備。

 ……大きい。とても。恐らく私はあの岩の手ほどの大きさもない。

 あ。

「ぇっ…………っっっ !! 」

 蹴 け られた、多分。息ができない。耳が聞こえない。体が動かない。凄 すご く、痛い。

 ……あれ、何秒経 た ったかしら? 私、何しに来たんだっけ。重い瞼 まぶた を開けてみる。眼前には、迫り来る巨大ゴレムの姿。

「──! ────っ! 」

 テラが何か叫んでいる。そして、悲しげな顔で私の前に立ちふさがった。

 嗚 あ 呼 あ ……私を、護 まも ろうとしてくれているのね。無理よ。だって無傷よ? 勝てるわけがない。なんなのよこいつ。あーあ、私バカだわ。とんでもないバカ。度し難いアホ。最悪よ。

 ……あら、感傷に浸る暇もなさそうね。

「(ありがと)」

 口も満足に動かせないけど……伝わってるといいな。こんなバカでアホでぼっちでどうしようもない私に付き合ってくれてありがとう、ってね。

 バイバイ、テラ。

《送、還──

「  」

 ──次の瞬間に起こったことを、私は生涯忘れることはない。

 颯 さつ 爽 そう と現れた〝七色のオーラを身に纏 まと った男〟が、巨大ゴレムの腕を剣一本で受け止めた。

 驚くべきことに、彼はその岩の腕を弾き返した。巨大ゴレムに力勝ち していた。

 いくつもの残像をその場に描きながら、まるで瞬間移動のように巨大ゴレムへと接近し、追撃を加える。あれは、《飛車剣術》。一流剣士のお兄様が使っていたのを見たことがある。でも、彼のそれは、明らかに威力がおかしい。強すぎる。それに、精霊術師の彼が何故 なぜ 【剣術】を? そしてあの禍 まが 々 まが しいオーラは一体何?

 私は体の痛みも忘れて、目の前の光景に見入った。

 ……レベルが、違う。同じ人間とは思えなかった。

 彼は、たった一人で、それも【剣術】だけで、あの巨大ゴレムを圧倒している。

 あれで同じAランク冒険者ですって? 笑っちゃうわ。なんなのよもう。天才精霊術師? 伯爵令嬢? ……だから何? って話よね。

「マスタ~、もう大丈夫です。助かりますっ」

 テラが涙を流しながら私の傍 そば に身を寄せてくる。ああ、送還できていなかったのね。

 ごめんね、テラ。こんなマスターで、ごめんね。

 ……私、何がしたかったんだろ。調子に乗ってたのって、私の方だったの?

 バカ。バカ。私って、本当に、もう、有り得ないくらい、バカ………… 。

    ◇◇◇

「アンゴルモア、行くぞ」

「応。我がセカンドよ」

 道中で倒した分の経験値を全 すべ て《精霊憑 ひよう 依 い 》へと割り振る。ランクは11 級になった。ギリギリ使えなくはないランクだ。

「おおっと、ヤバそうであるぞ」

 アンゴルモアが言う。げぇっ、シェリィが死にかけってことか!

「ここで使う! 憑依!」

「フハッ! 御意に!」

 俺はボスまで後少しというところで《精霊憑依》を使った。

 アンゴルモアは、一瞬にして七色の光と化す。そして、俺の体に溶け込んだ。

「──うっわっ」

 凄 すさ まじい。もう、そうとしか言いようがない。

 想像を絶する〝全能感〟が俺を包み込む。《精霊憑依》11 級ならば、憑依時間は百二十秒、再使用クールタイムは四百四十秒。効果は全ステータス2・5倍。九段ならば、憑依時間三百十秒、クールタイム二百五十秒、全ステータス4・5倍となる。

 ……思うに、この世界においての《精霊憑依》の効果はこれだけではないような気がする。現に今、これだけの思考に費やした時間は一秒にも満たない。なんだこれは。あまりにも強力すぎる。アンゴルモアだからか?

 そして、一瞬にしてボスに到達した。移動速度も凄いな、2・5倍以上に感じる。まるで時が停止しているかのようだ。

 シェリィを壁際に見つけた。鼻血たれながらぶっ倒れている。よく見ると泣いていて、その目の前でテラさんが必死に名前を呼んでいた。

 見えるし、聞こえる。なるほど視力も聴力も大幅によくなっているようだ。

 残り約百秒。俺はミスリルゴレムの前に躍り出て、その岩の拳 こぶし を《金将剣術》で受け止めた。スキル効果は全方位への範囲攻撃だが、その実は全方位対応スキルであったりする。タイミングを合わせてスキルを発動すれば、物理攻撃同士が拮 きつ 抗 こう し、単純に攻撃力の高い方が競り勝つシステム。金将はそれを全方位で行えるのだから「対応」として使い勝手が非常にいい。

「まさか──っ!? 」

 背後からテラさんの驚く声が聞こえる。この淀 よど んだ七色のオーラでアンゴルモアの憑依だと気付いたのだろうか?

 と、余計なことを考えながら戦っているうちに、ミスリルゴレムが段々と弱ってきた。

 こいつは必要な物理攻撃力さえ備えていれば、割と単調な攻撃パターンしかとってこないため、簡単に倒せる部類のボスだ。とは言っても、相応の慣れ は必要だが。悲しいかな、この世界の人たちは慣れる前に死んでしまうのよね。

「(憑依が解けるぞ!)」

 戦闘中、アンゴルモアが焦ったような言葉を口にする。おいおい、お前、俺の考えを読み取れるんだろう? だったら焦る必要なんかこれっぽっちもない とわかるものを。

 直後、《精霊憑依》が終了した。ミスリルゴレムは、まだ死んでいない。

 だが、それがどうしたというのか。ミスリルゴレムの攻撃パターンは単調。現状《精霊憑依》を使っていない俺のステータスは少々物足りないが、それでも戦えないわけではない。いいや、むしろバフなど必要ない。それでも使うのは、安全性の確保と、何より時短のためだ。

「凄い……」

 テラさんがぽつりと呟 つぶや いた。凄いものか。こんなの誰 だれ だってできる。それこそ、タイトル戦出場者レベルなら、誰もが通った道だろうよ。それとも、この世界ではちょっと違うのか?

 と、そんなことを考えている間にクールタイムが終わった。俺は《精霊召喚》から間髪を容 い れず《精霊憑依》を発動する。

「(よもや、同じ戦闘中にまた呼び出され、また憑依させられるとは……)」

 再度召喚されたアンゴルモアは、何故か呆 あき れていた。そんなんじゃ駄目だな、これが普通になってもらわないと困る。なんて考えながら、俺はひたすらミスリルゴレムをボコボコにした。

 ……あっ、死んだ死んだ。三秒くらい余してフィニッシュです。

「ふぅー」

 周囲を確認、敵影はなし。ここでちょうど、二度目の《精霊憑依》が終了する。今から四百四十秒間、アンゴルモアは召喚できない。

 いやあ、やはり《精霊憑依》はいい! 圧倒的だった。チョー気持ちいいな、クセになりそうだ。

「──セカンドさん。この度は、誠にありがとうございます~」

 俺が余韻に浸っていると、テラさんから先に話しかけてきた。

「本当だよ。なんなの? 俺が気付かなかったら死んでたぞ、お前ら」

 ついつい恩着せがましく言ってしまう。寝ようとしていたところを起こされたんだから、こんくらい言っていいよね?

 俺の文句を聞いたテラさんは、申し訳なさそうに頭を下げてしゅんとしていた。というかシェリィが意識失っていても精霊は送還されないんだな。なるほど、これは価値のある情報かもしれない。

「あっ、そうだ。これ飲ませないと」

 俺はふと思い出し、顔中血まみれで白目剝 む いてるバカの口に高級ポーションを押し込んで無理矢理飲ませる。意識は戻らなかったが、白目は戻ったから多分これで大丈夫だろう。

「………… あの~、この子は、本当はいい子なんです」

 一息ついていると、テラさんがよくわからないことを語りだした。

 特に止める理由もないので、俺は適当に相手をすることにした。

「本当はっていうか、悪い奴 やつ じゃないんだろうなってのは知ってるよ。ただまあ人よりちょっと性格がひん曲がってて短絡的でバカでぼっちなだけだ」

「はい~……その通りです。小さい頃 ころ からこの子は私以外に友達がいませんでした」

「でしょうね」

「多分この子、セカンドさんのことが気になっているんだと思うんです。でも、生まれて初めての気持ちで、どうすればいいのかわからなかったんだと思うんです~」

「……ちょっと待て。じゃあつまり、何か? 俺の気を引くためにこんなことしでかしたの?」

「ええ~。他にもご両親に認められるためとか~、色々あったと思うんですけど~、多分一番の理由はそうじゃないかと~」

「ぷ」

「ぷ~?」

「ぷっっっじゃけんなよお前!!  ちゃんと監督しとけよ!! 」

「私精霊ですから~、マスターには逆らえませんし~」

 なんだこいつ! すっげぇ腹立つ!

「ごめんなさい~! この子を嫌わないで~」

「いや、嫌いじゃない。嫌いじゃないけどさぁ……」

 面倒くさい。実に面倒くさい。後テラ、お前はちょっと嫌いだ。

 ……おっ、よし。ここで大先生にお出 い でいただこう。《精霊召喚》だ。

「(むっ、ふむふむ。委細承 しよう 知 ち 之 の 助 すけ よ)」

 流石 さすが だアンゴルモア。瞬時に一体感を駆使して状況を把握しやがった。

「──久しいなノーミーデス」

「………… ひっ……あ」

 目の前にいきなり現れた精霊大王。テラさんは恐怖 の表情を浮かべて、二歩後ずさった。

 ……あれれ? 聞いてた話と違うぞ?

「どうした? 何故 なぜ まだ 立 っ て い る ?」

 アンゴルモアがそう言った瞬間、赤黒い雷光が一 いつ 閃 せん し、テラさんの両手両足が地面へと縛り付けられた。土下座の格好である。

 ……土の大精霊が、だ。俺たちに向かって、惨めにも這 は いつくばって、土下座をしている。壮絶な光景だった。

「ちょっと待て違う。そうじゃない」

「違ったか? すまぬ」

 焦って俺が指摘すると、アンゴルモアのよくわからない服従魔術みたいなものが解除され、テラさんがその場にヘたり込んだ。テラさんは信じられないものを見るような目でこちらを見ている。

「ん? おお、そうか。では我が直々に疑問に答えてやろう」

 そこで、アンゴルモアが一体感によって何かを察したのか、口を開いた。

「精霊とその主人は、次第に一体となる。相性がよければよいほど、共に生きる時が長ければ長いほど、な。このノームの娘がそこの小娘に引っ張られたのだろうよ。それは同情か、はたまた憧 どう 憬 けい か。命令に逆えんというのは言い訳にすぎぬ。共に逃げ続け傷を舐 な め合い続けた結果よ」

「………… 」

 テラさんは震えて俯 うつむ いた。

「お前は主人を殺しかけた。あってはならんことだ。大精霊失格である」

「待て。どんどん一体になるってのは、尚 なお のこと主人に従いやすくなるんじゃないか?」

「否。一方的に引っ張られてはならんのだ。一体となるということは共にわかり合うということ。此 こ 奴 やつ は主人に寄り添いすぎた」

「……そりゃ、ちょっとかわいそうだな」

 友達が全然できない寂しがりの子供がいりゃあ寄り添うなっていう方が無理だろ常識的に考えて。

「む? 我がセカンドよ、此奴に腹を立てていたのではないのか?」

「いや、そんなの聞かされちゃあ、同情の方がデカくなったわ流石に」

「であるか。ならば無罪放免と致そう。フッハハ!」

 えっ。

「いいのそれで?」

「針ほどのことを棒ほどに言ったまでよ。我は何処ぞの精霊の主従関係になど、興味の欠片 かけら もない。戯 たわむ れにいびっただけである」

 そう言ってカラカラと笑う。うわあこいつ物 もの 凄 すご く性格悪い。なんだよそれ。なんの時間だったんだよじゃあ。

「………… 帰るか」

 俺は呆れつつ、未 いま だ目の覚めないシェリィを抱えてプロリンダンジョンを後にする。

 なんか湿ってると思ったら、こいつ失禁してやがった。俺は特大の溜 た め息 いき を吐きながら、チーム限定通信でシルビアを叩 たた き起 お こして下の世話の準備をしておいてもらう。

 このバカ、意識が戻ったら覚悟しておけよマジで……。

    ◇◇◇

「──── はっ!? 」

 ガバリと起き上がる。三秒経 た って、ここがバッドゴルドの宿屋だとわかった。

 あれ? 私、どうしたんだっけ?

「マスタ~!」

 テラが抱き着いてきた。ああ、そっか。私……。

「テラ……ごめんね、私のせいで」

 巻き込んでしまった。主人と精霊は一心同体。バカな主人に付き合わされたテラは死にかけた。あんなに必死で止めてくれたのに、私が止まらなかったから。

 プロリンダンジョン攻略を思いついた時はこれ以上ない良案だと浮かれたけれど、実際は絵に描いた餅 もち 。到底実現することのできない愚かな考えだったわ。目先の利益に踊らされて、私は全 すべ てを失うところだった。

「謝らないでください、マスタ~。私がもっと前にアドバイスをすべきでした……」

 テラはそんなことを言う。私は思わずベッドから飛び降りた。

「違うっ! あなたに責任はないわよ! 全部私が勝手に突っ走ってやったことで、テラは何も悪くない!」

 そう怒鳴りつつ、私はふと違和感を覚える。あれ、体が軽い? それに、なんかスカートが……。

「いいえ、私はわかっていました~……マスターがセカンドさんに好意を抱いているって」

「にゃあにいってんにょおっ!? 」

 好意!?  私が!?  あいつに!?  冗談じゃないわよ!!

「そうして顔を赤くしているのが何よりの証拠です~」

「ちっ、違うわよ! 有り得ない!」

「では何故あんな無茶を? プロリンを攻略しようと? 一緒にこの町まで来ようと~?」

「そ、それは」

 返答に困る。何故って……あれ? 私、どうしてあんなこと……?

「──それが、好意というのですよ。マスター」

 好意? これが? 認めてほしいって、こっちを見てほしいって、それで、もっと会話したいなって思うことが、好意なの?

「………… 」

 ……ああ、そっか……これが、好きってことなんだ。

「もっと早くに指摘して差し上げるべきでした。そしたらマスターが死にかけることもなく~……こんな、恥をかくことも~……」

 ……………… ん?

「え? ちょっと待って。え? 恥?」

 確かに私、セカンドに助けてもらったわ。ええ、それは恥よ。でも、そんなわざわざ取り立てて言うような恥じゃない。後でしっかり謝って、それで、都合がよすぎるかもしれないけど、もしよかったら、その、えっと……いや、そうじゃない。友達になってほしいとか、あわよくば……とか考えている場合じゃない。

 ……でもチョー恰 かつ 好 こ よかったわよね、アレは。七色のオーラとか、瞬間移動とか、精霊術師じゃ有り得ない威力の剣術とか、もう痺 しび れまくりよ。ピンチに颯 さつ 爽 そう と現れて、勝てっこないと思ってた敵を倒すとか……ま、まあ? 惚 ほ れ、惚れっ、惚れるなっていう方が!?  無理な話!?  よね!?

 って、いやいやいや! じゃなくて!

「は、恥ってなによ……?」

 私は猛烈に嫌な予感がしていた。微妙に抱いていた違和感、それってもしかして……。

「マスターは鼻血たれてぶっ倒れていたところをセカンドさんに助けてもらいました~。セカンドさんが意識のないマスターにポーションを一つ飲ませたら瞬時に回復して~、それでここまで担いでもらって帰ってきたんですけど~……」

 ポーションを飲ませてくれたのね。あの状態を治すレベルの即時回復ポーションってかなり高価じゃなかったかしら。色を付けて返した方がよさそうだわ。いや、それにしても鼻血って……ちょっと恥ずかしいわね。あらら、服も結構汚れて──

「…………………… 」

 あ、れ……? 私、こんなスカートだったかしら?

「実はマスタ~、その時おもらししてまして~……ウフフ!」

「  」

 き、聞き間違いかしらね?

「……て、テラ? 今、なんて?」

「おもらし、してました~!」

 ○ァック!!!!!!

    ◇◇◇

「あ……の、その、ええとぉ……! 」

 明け方。激しいノックの音で叩き起こされ何事かと出てみれば、ドアの前では顔を真っ赤っかにしたシェリィがめちゃくちゃ挙動不審でもじもじしていた。

「なに?」

 まだ眠い半開きの目で威圧的に言う。昨日 きのう の件もあって俺はかなり不機嫌だ。

「こぉ、これっ……! 」

 すると、バシッと何かを乱暴に渡される。よく見るとそれは手紙のようだった。

「ご、ごめんね! 後ありがとう! また会いましょうね!? 」

 シェリィは頭のてっぺんから煙を出しつつ半泣きで目をグルグルと回しながら、手と足を一緒に出してブリキ人形のようなぎこちない動きで去っていく。くるくる縦ロールが頭の横でぴょこぴょこ弾んでいた。

「セカンドさん、このご恩はずっと忘れません。大王様にもそうお伝えください~」

 テラさんは微笑 ほほえ みながらそう言って、深くお辞儀をすると、シェリィの後を付いていった。

 ……なんだったんだあいつら?

 よくわからない急なお別れの後、俺はとりあえず手紙に目を通す。

 手紙には「謝罪・感謝・また会いたい」という三点について長々と書かれていた。さっき別れ際に聞きましたよ? とツッコみたくなる。なんとも拍子抜けだ。

 ツンツンぼっちのシェリィお嬢様らしからぬ素直な手紙に首を傾 かし げつつ、俺は二度寝した。

「作戦会議だ」

「いえーっ!」

 昼食をとりつつ、いつものように今後の方針を決める会議を開く。ただの会議でなくわざわざ作戦会議と表現しているのは、単にこう言えば〝作戦好き〟のエコが喜ぶからである。

 ああ、そういえば結局シェリィはレニャドーへ帰ったようだ。そして宿屋の受付さんがシェリィから俺への荷物を預かっていると言って渡してきたのが金貨の詰まった袋だった。二百万CLほど入っていた。世話になった代金だという。意外と律儀な奴 やつ だ。うーん……うるさいのが減って平和になったような気もするし、なんだか寂しいような気もする。まあ、また会おうと言っていたしいずれ会えるだろう。今なら、あのやかましさもそこそこ我慢できそうだ。

 さて、気を取り直して会議だな。

「まずシルビア。お前に今後の方針を言い渡す」

「よし来た、待っていたぞ」

 ここのところ成長著しいシルビアは、自身の育成にとても意欲的だ。習得済みの【弓術】スキルは全て高段で、【魔術】も壱・弐・参ノ型全てが高段、【魔弓術】の《複合》も高段に差し掛かっている。このまま進めばオール九段も秒読みだな。

 ちなみに【魔弓術】のスキルは《複合》の他に《相乗》と《溜 りゆう 撃 げき 》が存在する。どちらも火力を出すための攻撃スキルで、魔弓術師としてやっていくなら覚えておかなければならない。

「シルビアは全てのスキルで九段を目指せ。加えて魔弓術の相乗と溜撃を覚えること。そして余裕があれば龍 りゆう 馬 ま 弓術と龍 りゆう 王 おう 弓術を習得だな」

「む、待て。セカンド殿は龍馬も龍王もゴミスキルだと言っていなかったか?」

「ああ。かなり扱いの難しいスキルだし、消費も大きいうえ、必要経験値量も多い。控えめに言ってゴミだな。だがそれは、育成序盤に限っての話だ。上級者ならば、必ず覚えなければならない。そして、有効活用しなければならない。何より、タイトル獲得のためには全部のスキルを九段にしなければならない。習得は、大前提となる」

「ほう、タイトル獲得のために……タイトル獲得のために!? 」

 あ、なんか久々のリアクション。

「誰 だれ がだ!? 」

「お前だ」

「私か!? 」

「最終的には弓術のタイトル〝鬼 き 穿 せん 将 しよう 〟の獲得が目標だな」

「き、鬼穿将……」

 いずれは俺が奪取することになるだろうが。

「はい終わり。次、エコエコ~」

「はーい!」

 俺は呆 ぼう 然 ぜん とするシルビアを放置して、エコに方針を伝える。

「エコは、まず何より龍王盾術の習得が優先だ。習得したら初段までガンガン上げよう。その後に余裕があったら残りの盾術スキル全部覚えて、タイトル目指そう」

「わかしーくれっと!」

「……うん、よくわかんねえけど、わかったってことね」

 エコの顎 あご を撫 な でて開きっぱなしの口を閉じさせる。本当にわかってんのかな、この子?

「じゃあ、最後にユカリ」

「はい、ご主人様」

 ユカリの名前を呼ぶと、彼女は待ってましたとばかりに返事をして、スススと音もなく身を寄せてきた。ちょっと怖い。

「あー……ユカリはこのまま鍛冶 かじ 九段まで上げ切って、あと付与魔術を習得して九段まで上げよう」

「付与魔術、ですか?」

「ああ。装備品に特殊効果を付与するスキルだ。こいつは九段にすりゃ、ヤバイことになる」

「ヤバイことに……」

 俺の言葉を聞いたユカリは目を爛 らん 々 らん と輝かせて「わかりました、お任せください」と頷 うなず く。鍛冶に付与に秘書業務に身の回りのお世話にとユカリに色々任せすぎな気もするが、彼女がこれだけ嬉 き 々 き としてこなしてくれるならきっと大丈夫だろう。

「ところで、ご主人様の方針は如何されるのですか?」

 不意に質問が飛んでくる。そうだな、俺の予定も伝えておいた方がいいか。

「俺は第一に龍馬剣術と龍王剣術の習得だ。第二に精霊憑 ひよう 依 い を高段まで上げる。第三に変身スキルを覚える。そして第四に……まあこれはその時になったら伝えよう。で、第五にマインのところで肆 し ノ型を。第六に剣術・魔術・召喚術のタイトル獲得だな」

「……ちょっと待て。ツッコミどころが多すぎる」

「へんしん?」

「展望が具体的すぎて恐ろしいですね……」

 習得予定の《変身》はまあまあ面倒なクエストをこなす必要がある。だが、龍馬・龍王に比べたら幾分かマシな方だろう。

《変身》は《精霊憑依》と同じようなバフスキルだ。一時的に自身のステータスを大幅に上げることができる。これを覚えることで、やっと俺の〝準備〟が整う。とある標的 に向けての準備が。

「まあ、とにもかくにもプロリンで経験値稼ぎ、ついでにミスリルで大 おお 儲 もう けもしておこうってな感じだ。これから大体二か月はプロリンと宿屋を往復する生活だから、そこんとこ頼むぞ」

 俺がそう言うと、皆は頼もしく頷いてくれた。かわいそうなミスリルゴレム君は、この瞬間アワレにも大量に狩られることが確定的に明らかとなった。お前それでいいのか?

「しかし、ついでに大儲けというのがなんともセカンド殿らしいな」

「この調子で数十億CLの豪邸もポンと買ってしまわれるのでしょう。ついで に」

「がんばろー! おー!」

 唐突なエコの号令に全員で「オー!」と返して、俺たちファーステストの作戦会議は終了した。

    ◇◇◇

 宿屋の外。遠く離れた位置で、セカンドたちが話し合う様子をこっそりと観察している影が二つ。十六歳にしてAランク冒険者の天才精霊術師、伯爵令嬢シェリィ・ランバージャックと、その精霊である。シェリィは未だに少し赤面したままセカンドを遠巻きに見つめていた。手紙を渡した「その後」がどうしても気になるのだ。セカンドが一階の酒場で食事を始めてからかれこれ一時間ほど、彼女はここで観察を続けている。世間では、これをストーカーと呼ぶ。

「マスタ~、誰か近付いてきます~」

「え?」

 彼女の使役する土の大精霊テラが、何者かの接近を告げた。

「──あ、あのぉ! シェリィ・ランバージャック様っスよね!? 」

 現れたのは赤茶色をした長髪の男。高い身長をできるだけ縮めて下 した 手 て に出ている。

「何? いきなり失礼ね。あんた誰?」

 シェリィは相変わらずのキツイ言葉を発して男を睨 にら む。男は慌てて一歩引き、頭を下げて口を開いた。

「す、すみません! 自分、シェリィ様の大ファンで! セラムと言います! 冒険者ランクCの十九歳、まだまだ修業中の精霊術師っス!」

 セラムと名乗る精霊術師の男。ペコペコと謙るさまはまさに小心者といった風で、ついつい気分をよくしてしまいそうな雰囲気を持っている。

 しかし、シェリィには全く通用しない。彼女は常々「自分が上で相手が下は当然」と思っているがゆえ、いつも「それ以上」を求めている。土下座をするだとか、靴を舐 な めるだとか、そういった類の言動を。ただ実際にされたらされたで「気持ち悪いわね!」だのなんだの罵 ば 声 せい を浴びせかけるため、実は彼女に話しかけた時点で最早どうしようもないのである。

「うるっさいわね。だから何? 私、今、忙しいんだけど?」

 熱中していた行為 ストーキング を邪魔されて、どんどんと不機嫌になるシェリィ。彼女は「話が長引きそうならもう無視しよう」と考え始めた。

「自分、どうしても土の大精霊様を間近で見てみたかったんスよ! いや、すげぇーっス! ニュンフェと比べると、オーラが断然違うっスね!」

「オーラのない精霊でごめんなさい、主 あるじ 」

 セラムはいつの間にか精霊を召喚していた。ニュンフェという名前の風の精霊である。一方で、シェリィはついに無視をすることに決めた。テラに「後は任せた」というような視線を送る。

「あら、あなたもしかして風の~」

「はい。私は風の精霊ニュンフェです。ノーミーデス様にお目にかかれて光栄です」

「そう? 私も会えて嬉 うれ しいわ~」

 ニュンフェとテラは意気投合し、精霊談議に花を咲かせる。セラムはシェリィにあれこれと質問するが完全に無視され、かといって精霊談議に入ることもできず、右往左往していた。

「──そういえば、昨日 きのう の夜に大王様にお会いしたわ」

「だ、大王様に!? 」

 テラの何気ない一言に対するニュンフェの大声で、セラムは会話に入る機会を得る。

「大王っスか! それって精霊の大王っスか!? 」

 興味津々といった風に食いつく。

「ええ。精霊大王アンゴルモア……精霊界の頂点よ。怖~いお方です」

「私はまだお会いしたことがありません。私のような木っ端精霊にとっては天上のお方です」

「そ、そんなすげぇ精霊が!?  どどど何処にいるんスか!? 」

「セカンドさんって人が使役しているわ~。ほら、丁度あそこに──」

「ふぇえ!? 」

 突然の叫び声はシェリィだった。

 シェリィは無視しているようで、会話の内容はちゃんと聞いていたのだ。

 精霊大王アンゴルモア──土の大精霊よりも上、精霊界の頂点。そんな凄 すご い存在とテラはいつの間に会ったんだろう? と考えていたところで、セカンドの名前が耳に飛び込んできたのである。

「……ね、ねぇテラ? なんで言わなかったの? セカンドがそんな、そんなとんでもない精霊を使役してるなんて……そんな……」

 土の大精霊だからとテラをあれほど自慢していた自分は一体なんだったのか……と、カタカタ震えるシェリィ。またしても耳まで赤くなる。

 これが唯一認めた相手であるセカンドだからよかったが、もしセカンド以外の者が精霊大王を使役していたとすれば、彼女はまた嫉 しつ 妬 と の末に暴走していたかもしれない。好意ではない方向へ。

「忘れていました~」

「わっっっすれてたじゃないわよっ! 超~っ重要なことじゃないの!」

「ごめんなさいマスタ~」

「はぁー……っ たく。もういいわよ……」

 精霊大王を使役する精霊術師。そりゃあ敵うわけがないとシェリィは納得する。

 勿 もち 論 ろん 、彼女は少しばかり嫉妬していた。だが、それ以上に嬉しくもあった。自分が唯一認めた相手が強くあることは、彼女にとって喜びでもあるのだ。

「……あれ? ところであのきもロン毛は何処いったの?」

「きもロン毛はあちらです~」

「げぇっ!」

 セラムはニュンフェと共にセカンドのいる宿屋一階の酒場へと向かって歩いていた。恐らくは精霊マニアであろう彼。テラの時と同じように、精霊大王の姿をひと目見せてもらおうと思っての行動だろう。

「に、ににに、逃げるわよテラっ!」

 シェリィは「セカンドにバレる!」と焦り、バッドゴルドの町から逃走することに決める。

「はい~、マスタ~」

 その後ろを追いかけていくテラは、何処か嬉しそうに微笑 ほほえ んでいた。

    ◇◇◇

 会議を終えて酒場を出ると、なんか気持ちの悪いロン毛の男がにじり寄ってきた。

「せ、セカンド様っスか!? 」

 なんだこいつ。どうして俺の名前を知っているんだろう?

「そうだけど」

「やっぱり! 自分、精霊術師のセラムっス! シェリィ様のご紹介で、セカンド様のことを知りました!」

 へぇ。シェリィの紹介でねえ。

「風の精霊ニュンフェでございます。セカンド様におかれましては大王様の主様とのことでこの度私は風の精霊の端くれとしてご挨 あい 拶 さつ に参りました次第でございまして」

 ちょっと日本語がおかしい精霊が詰め寄ってくる。エメラルド色の短い髪をした真 ま 面 じ 目 め そうな女精霊ニュンフェ、こいつは確か精霊強度17000くらいだったか。

「なんの用?」

「それが、そのぉ……是非とも、精霊大王様の方をっスねぇ、見せていただきたくぅ……」

 手をこすり合わせて俺のご機嫌を窺 うかが うロン毛。こういう輩 やから って「媚 こ びとけば余裕っしょ」とか思っていそうで嫌いだ。

 ──んっ? チーム限定通信が来た。

 差出人はユカリ。内容は──「暗殺の心得あり、警戒を」……?

 ……あ、ええ? このセラムとかいう男に? 暗殺の心得が? 噓 うそ だろう?

「いかがっスか? やっぱ駄目っスか?」

 赤毛の長髪をサラリと流しつつ軽薄なニヤケ面で揉 も み手 で をするセラムは、まるで怪しい店のキャッチのようである。とてもじゃないが暗殺者には見えない。むしろ精霊術師ということさえ疑問なくらいだが、人は見かけによらないっつーことは以前に学んでいる。こうやって小者に見せかけて接近するのが暗殺のテクニックなのかもしれない。いや、きっとそうだ。甚だ、甚だ信じられないが、きっとそうである。

 まあいいや。よし、仮にセラム君が暗殺者だったとしよう。じゃあ、こいつの目的はなんだ?

 それを考えると急にわからなくなる。アンゴルモアを見ることが、こいつにとって一体何の得になるっていうんだ? 全然わからんぞ。

「どうしてそんなに見たいんだ?」

 わからなかったら聞く。それが俺のスタイルである。そこに暗殺者がどうとかは関係ない。

 セラムはほんの一瞬だけキョトンとした後、口を開いた。

「あの土の大精霊様をして怖いお方と言わしめた精霊界の頂点! 一精霊術師としてなんとしても拝見したいと願うのは極々自然なことっスよ! こんな機会、一生に一度あるかないかっスから!」

 なるほど納得の答えだ。お前が本当の精霊術師ならな。

「………… 」

 うーん。あ、いいこと思いついた。

「わかった見せてやる」

「ま、まっ、マジっすか! あざーっス!」

 ちらりとユカリを見ると「いいのですか?」というような表情をしていた。いいのです。

 俺は《精霊召喚》でアンゴルモアを召喚する。そしてすかさず、

「(跪 ひざまず かせろ)」

 念話でそう指示をした。

「(御意)」

 アンゴルモアは顕現すると同時に赤黒い雷光を迸 ほとばし らせ、セラムを地面へと縛り付ける。

「ぐっ……うわっ! な、なんスか!? 」

 セラムは両手両 りよう 膝 ひざ と頭を地面につけて、その場に這 は いつくばった。そして何故かニュンフェも同じようにして跪いた。

 ……これ、一体どういう仕組みなのだろうか。この這いつくばらせる技を戦闘中にできたら最強だと思うんだが。

「(精霊大王たる我の特権、支配の雷である。だが、腑 ふ 抜 ぬ けておる精霊とその主にのみ通用するゆえ、使いどころは限られる)」

 なるほど。ビビってる奴 やつ の頭を強制的に下げさせて、更にビビらせるってわけね。ひっでぇ……流石 さすが アンゴルモアらしい性格の悪い技だ。

「だ、大王様。お目にかかれて光栄でございます」

 地面に頭をつけたままのニュンフェが少し震えながら言った。なんだかかわいそうに見えてきた。そろそろ顔を上げさせようか。

「面を上げよ」

 素晴らしき一体感。俺が思うと同時にアンゴルモアは二人の顔を上げさせた。

 セラムは困惑と恐怖に加えて興奮の表情を、ニュンフェは畏 い 怖 ふ の表情を浮かべている。

「おぉお。す、すげぇっス……精霊大王様……!」

 目を見開き、感嘆の声を漏らすセラム。それは本当にアンゴルモアをひと目見たくて俺に近付いてきたのだろうと、そう思わせるのに十分なリアクションだった。

 だが、その巧妙な演技を見逃さない者が二人。

「(……この男、少々おかしい。ニュンフェを通して調べる。しばし待て、我がセカンドよ)」

「ご主人様。あの男、逃げ出す隙を窺っております」

 アンゴルモアの念話と、ユカリの耳打ち。本当に役に立つな、この二人は。

「──── [image file=Image00015.jpg] ッ!」

 なんて考えていると。突然のバリィッという強い電撃で、ニュンフェがその場に崩れ落ちた。

「な、何を!? 」

 セラムが焦る。

「動くな、無礼者め」

「ぐぅうっ!! 」

 アンゴルモアが支配の雷で無理矢理に押さえつけた。やりたい放題だな、この大王。

「(わかったぞ。此 こ 奴 やつ はマルベル帝国とやらの間者よ。キャスタル王国の冒険者界 かい 隈 わい を嗅 か ぎ回っておるようだ)」

「へぇ!」

 俺は懐かしい単語に思わず声を出した。

 マルベル帝国──メヴィオンでは「武闘派国家」として有名だった。侵略戦争大好きの強国という印象で、いずれはキャスタル王国とも戦争をすることになるはずである。

 そんなところの間者が俺に声をかけてきた、と。ただの偵察か、はたまた勧誘か。よくわからないが、あまりよい理由ではなさそうだ。

「な、なんスかこれぇ……自分、何か気に障るようなことしちゃいましたか……?」

 セラムは怯 おび えた様子を見せている。アンゴルモアに言って顔を上げさせると、彼は涙目で少し震えていた。これが演技だとすれば大したものだ。流石は帝国、狗 いぬ であっても一流である。

 俺はマルベル帝国のことがそんなに嫌いじゃない。実力第一主義、小細工無用、真っ向からの力勝負で周辺国家を打ち倒し強国まで成り上がったその在り方は、どこか世界一位に似ている。

 ……よし。ここは一つ、いずれ世界一位となる男の名を二度と忘れられないようにしてやって、それからお帰りいただこう。俺はそう考えて、ニヤニヤしながら口を開いた。

「ご苦労さん、帝国の狗」

    ◇◇◇

 マルベル帝国における仮想敵国の調査のため、このキャスタル王国に潜入して早三か月。あのシェリィ・ランバージャックの精霊を間近で観察できたのは実に僥 ぎよう 倖 こう だった。

 流石は天才精霊術師と言われるだけのことはある。土の大精霊、あれは相当に厄介だ。来 きた る戦争に向けての勧誘候補に入れてもいい。

 いや、しかしあの性格はいただけないか。精霊術師といえば精霊に頼りっきりで気弱な者が多いという統計が調査の過程で取れているが、彼女はまるで真逆だった。もし土の大精霊が表に出ていない状況で話しかけたなら、恐らく観察は失敗に終わっていたことだろう。

 まあ、そんなことよりも今は優先すべき大物がいる。精霊大王だ。まさか実在するとは、そして巡り会えるとは思っていなかった。

 精霊界の頂点を使役する者が仮想敵国にいると判明した以上、こちらはこのままではいられない。それがどれほどのものかを調査し、一度帰還して対応を検討する必要がある。

 幸いにもシェリィ・ランバージャックから芋づる式に繫 つな がった。この好機を逃してはならない。

「せ、セカンド様っスか!? 」

 私は戯 たわ けを演じて接近する。精霊大王の使役者セカンドは、絶世の美男であった。彼は切れ長の目をちらと動かして「そうだけど」と一言冷静に返した。たったそれだけで侮れない男だとわかる。初対面の相手であっても無駄な言葉を交わさないという、その念入りな警戒心には恐れ入った。

 彼の立ち居振る舞いは一見して隙だらけに見えるが、精霊大王を使役するような男が見ず知らずの人間を前にそんな愚かなことをするはずはない。恐らくはこちらを誘っているのだろう。だが今の私の目的は暗殺ではない、調査だ。

 それから幾つかの言葉を交わす。どうやら相当に警戒されているようだった。しかし、精霊大王はどうしても見ておかなければならない。私は必死に食い下がろうとする。

「どうしてそんなに見たいんだ?」

 不意にそんな質問が飛んできた。どうして見たいのか? 既に私は自分の精霊を見せている。今更私が精霊術師だということに疑いはないはず。にもかかわらず「どうして」と問う意味。わからない。もしや私の正体がバレている? いや、そんなはずは……。

「一精霊術師としてなんとしても拝見したいと願うのは極々自然なことっスよ!」

 私は当然のことを当然のように、少し強調して返した。その瞬間、セカンドの顔から、スゥッと表情が消える。

 間違えたか……!?  私は焦る。やはりあの問いかけは試されていた! では、まさか。このセカンドという男は、つい数十秒前に顔を合わせてからの僅 わず かの間に、私の本業が精霊術師ではないと見抜いていたというのか? 有り得ない。暗殺者でもあるまいし、精霊術師にそのような観察眼があってたまるか。だが、事実、私はいま窮地に立たされている……。

「わかった見せてやる」

 ……なんだと? あまりにも予想外の一言。私は喜ぶ演技を一拍置いてしまった。これがセカンドの揺さぶりだったとすれば、私は愚かにも最大の隙を露呈してしまったことになる。

 いや、しかし結果的に精霊大王をこの目で見ることができる。この目的を果たせるならば、多少の綻 ほころ びには目を瞑 つぶ ってもいいだろう。お釣りが貰 もら えるくらいだ。後はニュンフェに記憶させ、帝国に情報を持ち帰れば──

「ぐっ……!? 」

 体が勝手に動く! なんだこれは!?

 ニュンフェまでもが地に手をついている。精霊を跪かせるだと!?  有り得ない!!

「──面を上げよ」

 透き通った中性的な声。私は自由になった首だけを動かして、前を向いた。

 ………… こ、これが、精霊大王。こんなの、聞いていない。お、おかしくなりそうだっ。これは、まずい。こんな精霊が、こんな……。

 私が放心している間に、ニュンフェが気絶させられる。たったの一撃だった。抵抗すらできない。

「な、何を!? 」

「動くな無礼者め」

「ぐぅうっ!! 」

 抜け出そうともがいたが、ぴくりとも動かない。駄目だ。精霊大王とは、ここまで圧倒的な存在だったのか。これは、絶対に知らせなければならない。この大王の存在は、たった一つでも帝国にとって脅威足り得ると。そのためには、なんとしてもこの場を乗り切らなければならん!

「な、なんスかこれぇ……自分、何か気に障るようなことしちゃいましたか……?」

 迫真の演技だ。私はこの世に生を受けた時からマルベル帝国の諜 ちよう 報 ほう 員として日々研 けん 鑽 さん してきた。あの実力主義の帝国で、一流なのだ。こんなところで、こんなところで──!

「──ご苦労さん、帝国の狗」

 セカンドは、そう言って笑った。

 頭の中が真っ白に、そして、目の前が真っ暗になる。

 この男、最初から気付いていたのか……!?  何故 なぜ !?  どうやって!?  有り得ない! 精霊大王が何かをしたのか? いや、しかし使役者とは一言も交わしていない。となればあのダークエルフか? だが私が帝国の間者だと見抜ける要素など何一つない。どうしてバレた! まさか、心が読めるのか……? くそっ、わからない!

 ……ああ。いや、一つだけわかる。私は負けた。己の土俵で。この男は一枚も二枚も上手だった。それだけだ。私の命運はここまで。最期の抵抗だ──私は懇願をする。

「ま、参った……死ぬ前に、できれば、家族へ手紙を書きたい」

 この事実をなんとしてでも帝国に報告する。それが私に残された最後の使命だと見 み 出 いだ した。

「ん? 何か勘違いしているようだから言っておくが、別に殺さないぞ」

 ………………?  何を、言っているんだ……?

「私を……殺さないのか?」

「ああ、自由にするといい。なんなら俺たちに付いてくるか? この後プロリンダンジョンを攻略するんだが」

「──── 」

 私は絶句する。この男、人間にとって大切な何かが確実に欠落している……!!

 最初から私を帝国の間者だとわかった上で、あえて対面し、泳がせ、試し、転がし、遊んでいた!

 奴 やつ の異常なまでの余裕は、これが奴にとって〝遊戯〟だからだ!

 私はマルベル帝国の諜報員だぞ!?  命懸けの駆け引きだぞ!?  それを知っていて何故遊べる !?  何故そこまで余裕を持てる!?  恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい……ッ!

「え、遠慮、させていただくッ」

 声が、体が震える。もはや演技などできない。

「そうか。じゃあ帰るといい」

 拘束を解かれた私は力の入らない足で立ち上がると、気を失い倒れ伏しているニュンフェを送還し、ゆっくり後ずさりする。この男に背を向けることは恐怖でしかなかった。戯れに 背中をえぐられるかもしれない。この男なら、やりかねない。

「お前たちのボスにこう伝えておいてくれ。世界一位の男セカンドは、マルベル帝国の在り方を好んでいると」

 私たちのボス──すなわち、皇帝に。それが意味するところは。

「……承知した。必ず伝えよう」

 世界一位の男、セカンド。

 私はこの恐ろしい男を決して忘れまいと心に誓い、キャスタル王国を後にした。

    ◇◇◇

「よろしかったのですか?」

 セラムが去った後、すかさずユカリが聞いてきた。逃がしてよかったのかと、そういった意味だろうか。

「勿 もち 論 ろん 」

「しかし帝国の間者だったとは……よくおわかりになりましたね」

「ああ。アンゴルモアが調べてくれた」

 完全に服従している精霊からは記憶を抜き取ることができるのだと後になって知った。更に低級の精霊相手なら操ることもできるらしい。精霊界の支配者ってすげぇ、改めてそう思った。

「でもまあ、なかなかいい印象を与えられたんじゃないか?」

「えっ?」

「……ん?」

 俺がそう言った瞬間、ユカリだけでなくシルビアにも「こいつマジか」みたいな目で見られる。あれ?

「あ、知らなかった? 俺そこそこ帝国のこと好きなんだよね」

 まあ、この世界の帝国が俺の知っている帝国と違っている可能性もあるが。

「我がセカンドよ。我も好きであるぞ」

「だよなぁ。いいよね帝国」

「うむ。よいな」

 アンゴルモアと二人で共感していると、ユカリとシルビアの目が「ダメだこいつ」に変わった。

「ご主人様。お気付きでないようなので申し上げますが、あれでは上から すぎます」

「帝国が好きだと言いながら帝国の間者を精神的にボコボコにして追い払ったうえで、皇帝に喧 けん 嘩 か を売るなど鬼畜の所業だぞ」

 お [image file=Image00016.jpg] しか りを受けてしまった。なるほど一理ある。

「そっか。まあいいやプロリン行こうぜ」

 さっきから「いこーいこー」と腰に絡みついてくるエコを「お待たせ」とひと撫 な でして、俺は馬小屋へと足を向ける。

「切り替え早いなあ……」

「まあ、ご主人様らしいですが」

 シルビアの呆 あき れ声とユカリの諦 あきら め声が後ろから聞こえた。でもなんだかんだ言いつつ付いてきてくれる二人が好きだ。

 これから約二か月間、俺たちファーステストはプロリンダンジョンで経験値をガッポリ稼ぎつつミスリルを収集する。帝国がどうとか言っている場合ではないのである。

 さあ、いざ周回だ。やれ周回だ。待ってろよ、世界一位。また、必ず返り咲いてやるからなァ?

閑話二 噂 うわさ

 バッドゴルドの町。冒険者ギルドの並びにある、冒険者たちが集う酒場でのとある会話。

「聞いたか? あの噂」

「あん? どの噂だ?」

「〝プロ厨〟だよ」

「あー! 聞いた聞いた。ヤッベェなあれは」

 体格のいい男の問いかけに、タッパのある男が食いつく。

「確か〝悪魔の飼い主〟って男がマスターなんだろ?」

「それだけじゃねえ。冒険者ランクA到達、王国最速記録保持者の四人組、プロリンダンジョンのチーム単独攻略、実力はあのシェリィ・ランバージャックのお墨付きだ。冒険者・商人・鍛冶 かじ の三ギルドがビビりあがってちょっかいすら出せねえって噂よ」

「なんだよそれ。有り得ねーな」

「そのうえプロ厨ときたもんだ。もはやバケモンだな」

「……なあ、そのプロ厨ってさ、実は俺あんまりよく知らねーんだわ。プロリン攻略したすげーヤツってのはわかるんだが」

「マジ? プロ厨ってのは、あれだ。とにかく、プロリンのやべーやつらのことだ」

「なんじゃそりゃ」

「なんでも毎日五周はしてるらしいぞ」

「うわ、滅 め 茶 ちや 苦 く 茶 ちや だなあ! そんなあだ名が付くワケだわ……」

「奴らの真似 まね っこしてくたばった冒険者が何人出たことか」

「馬っ鹿だなー。そう簡単に儲 もう けられるかっての」

「俺たちゃ丙等級の攻略だって毎回ヒヤヒヤもんだってのに、乙等級を日に何周もするなんざ……ちびっちまいそうだな」

「違いねえな」

 ガハハと笑い合う。かくいう二人もそろそろAランクになろうかという熟練のBランク冒険者である。

「やっぱいるんだよなー、世の中には。次元の違う奴が」

「タイトル戦の奴ら的な?」

「そうそう。プロ厨の四人も近いうちにあの舞台に上がるだろうなぁ」

「はっ、まさか! 俺ぁ三回見にいったことがあるが、そんな生易しいもんじゃねーよ」

「あ、そういやお前……」

「あん?」

「ファンだったよなぁ~カワイコちゃんの! ほら、あの弓の、エルフの姉ちゃん、えーと」

「うるせぇ! 違う! 俺は単純に弓術の最高峰を見たくてだなぁ」

「バーカお前バレバレだっての! この俗物が!」

「違うっつってんだろ!」

 酒盛りから取っ組み合いへ、男たちの夜は続く……。

    ◇◇◇

「お帰りなさいませお嬢様」

 ランバージャック伯爵家の屋敷。バッドゴルドから帰還したシェリィを、家令のフォレストがいつも通りに出迎える。

「またすぐに出るわ」

「……畏 かしこ まりました」

 シェリィは「何も問題はなかったから放っておいて」と言わんばかりに手をヒラヒラとしてフォレストを追い払い、準備を始めた。

 何の準備か──それは、ダンジョン攻略の準備である。

 セラムに絡まれたあの日、町から逃げ出すと決めたシェリィだったが、実はあれから数日間バッドゴルドに滞在していた。

 一体なんのために。言わずもがな、ストーキングである。

 彼女は分析していたのだ。セカンドの全 すべ てを。そして、今日、その結果が出た。

「私に足りないのは知識量、練度、それと経験値よ」

 セカンドにあって自分にないもの。裏を返すと、それさえあればセカンドに追いつけると考えられる要素。

「ですが~、危険では~」

 土の大精霊テラは、ダンジョン攻略への準備を着々と進める主人を心配するように声をかけた。

「馬鹿ね、私も流石 さすが に学んだわよ。まあ一般的には危険だと言われているけれど、私はあいつを見ていて気付いたわ。危険っていうのはね、言わば〝無知ゆえの詰み〟なのよ」

「無知、ですか~?」

「ええ。ダンジョン内で起こり得る危機を全て網羅して、知識として頭に叩 たた き込 こ む。それに合わせた対処法を一つずつ精査しながら作成して、何度も何度も体にすり込むようにして身に付ける。そしたら徹底したリスク管理が可能だわ。詰みようがないもの」

「……そんなことが、可能なのでしょうか~?」

「可能もなにも、あいつができてるんだから私もできなきゃダメなのよ!」

 シェリィは準備を終えて、屋敷を後にする。向かった先は、商業都市レニャドーにある冒険者ギルドだった。シェリィが中に入ると、冒険者たちがにわかに沸き立つ。バッドゴルドでも相当に有名だったシェリィは、ホームであるレニャドーでは知らない者がいないほどの有名人である。

「ふん、悪い気はしないわね」

「ウフフ~」

 シェリィの呟 つぶや き。それを聞いたテラは、シェリィの変化を感じ取り、嬉 うれ しくなって微笑 ほほえ んだ。

 以前なら「うるさいわね!」と怒鳴っていただろう冒険者たちの喧 けん 騒 そう 。今や大して気にもせず、静かに鼻を鳴らす程度だ。彼女は自分より圧倒的に上の存在を間近で目にして、心に余裕を得たのだと、テラはそう考えた。

「ねえちょっと。グルタムダンジョンについて色々聞きたいんだけど、詳しい冒険者とかって集められる?」

「は、はい! 少々お時間いただけますでしょうか!」

「いいわよ。なら明日の朝にでも招集してくれるかしら?」

「畏まりました!」

 シェリィは受付嬢にそう告げると、近くの宿屋で部屋をとった。特段高級な部屋ではない。ベッドと机と椅子があるだけの、ごく普通の一人部屋だ。

 机の上には、何処 どこ から持ってきたのか丙等級ダンジョン『グルタム』の構造が描かれた地図。彼女はそれを見つめながら難しい顔をしてあれこれと考えていた。

「ウフ、ウフフ」

 テラは、垣 かい 間 ま 見 み える主人の変化にどんどんと嬉しくなる。

「なによテラ、気持ち悪いわね」

「いや~。マスター、丙等級ダンジョンを選んで~、冒険者から情報収集して~、しかもご自分でお部屋を取って~。私、も~嬉しくって仕方がないです~!」

「う、うるさい! 何、悪い!? 」

「いえいえ~。どうかそのままで~」

 分相応のダンジョンと、冒険者に頼り、屋敷に帰らず宿屋に泊まる。今までのシェリィだったら有り得ないことのオンパレードであった。そう、例えば──「丙等級ダンジョンなんて行く意味ない!」「雑魚 ざこ 冒険者に頼るなんて屈辱!」「私を待たせるつもり? 今すぐ招集しなさいよ!」「なんで私がこんな安い宿屋なんかに!」──今まではこのような感じだった。

 それが、この短期間でこうも変わった。そこまで必死なのだ。あれほど大切だったプライドを捨て、セカンドに追いつこうと必死なのである。

 そして、そのプライドを一度捨ててみれば、実はなんともくだらないものだったと、今更ながらにそう気付けたのだ。

 大きな大きな成長である。シェリィの姉のような存在として、シェリィが幼い頃 ころ からずっと一緒に過ごし、ずっと見守ってきたテラが、この成長を喜ばないわけがない。

「ウフフフ~」

「……はぁ、もう勝手にしなさい……」

 微笑むテラと、諦めるシェリィ。こうして、二人の丙等級ダンジョン攻略生活が幕を開けた。

 その後、二人がどうなったのか。それはまた別のお話である。ただ一つだけ言えることがあるとすれば、二人は更に大きく成長したということだろう。

    ◇◇◇

 商業都市レニャドー。冒険者ギルドの並びにある、冒険者たちが集う酒場でのとある会話。

「聞いたか? あの噂 うわさ 」

「どの噂だ? 色々あるぞ」

「〝グルエン〟だよ」

「あー! はいはい。シェリィ様」

「そうそうシェリィ様。すげぇよな!」

「二週間くらい前までは毎日必ず一周してたって噂だったがなぁ、今日ついに三周になったって聞いたぜ」

「おう。若くて可愛 かわい くて天才精霊術師で伯爵令嬢で、極め付けにゃあグルタム・エンジェルときたもんだ! もう無敵だな!」

「……ああ~、お前そういえば」

「いや違うから。追っかけとかそういうのじゃないから全然。俺はただ彼女の精霊術師としての腕前を純粋に評価していて……ん? というか、お前もやたら詳しいな?」

「えっ!?  い、いや俺もほら、精霊術かじってて?」

「噓 うそ つけよ! お前は剣だろうが!」

「テメェこそ斧 おの だろうが!」

「うるせぇコラ! 追っかけで何が悪い!」

「あ、認めたな? 認めたな? このストーカー野郎が!」

「なっ! お前もだろ!? 」

「いや俺はどちらかというとテラ様のファンだ!」

「余計にたち悪いわ!」

 男たちの夜は続く……。

エピローグ 求めてやまない標的

 着実に、溜 た まっていく。

 ミスリルが、経験値が、どんどんと溜まっていく。

 プロリンダンジョンを周回し続ける中、俺はある種の手 て 応 ごた えのような、なんとも言えない悦 よろこ びをこの身に感じていた。

 かつて手にしていた、あの栄光へ、一つ一つ、確実に近付いているのがわかる。

 まだ、足りない。まだまだ、こんなもんじゃない。

 早く、《変身》の習得まで。最低限の準備を終え、そのスタート地点に立つところまで。

 急ぐんだ。一日最低五周、調子がよければ六周でも七周でもしよう。とにかく、今は急ぎたい。

 時間がないんじゃない、居ても立ってもいられないんだ。もう、待ちきれないんだ。

 世界一位に欠かせない、とても大切なパズルのピース。

 彼女 と、再び出会うその時が──

    ◇◇◇

 朽ち果てた古城の奥底、地下深くに造られた大図書館のそのまた奥に、一匹の黒い狼 おおかみ がいた。

 彼女 はこの城の主 あるじ ではない。しかし、この城の中では最も強く、恐ろしく、そして孤独な存在だと、そう断言できた。

 ……否。もしかすれば、ありとあらゆる魔物 の中で最も強い可能性すら有り得る。それほどに、異常で、異質で、異形の存在が、この地下大図書館に潜んでいた。

 暗黒と黒炎を操る黒毛の狼の魔物。彼女の名は──暗 あん 黒 こく 狼 おおかみ 。あの男 が、求めてやまない相手。

 邂 かい 逅 こう の時は、近い──。

特別編 軟弱者

 セカンドたちチーム・ファーステストがプロリンダンジョンを周回し始めて一週間ほど経 た った頃。

 一日五周もしている頭のネジの緩んだ集団は当然ながら彼ら以外に一人もいなかったが、それでもプロリンを攻略して一 いつ 攫 かく 千 せん 金 きん を狙 ねら ってやろうという冒険者たちは多少なりともいた。

 周回の中で他の攻略チームと出会うこともしばしば。しかしこれまで、セカンドは頑なに彼らを無視し続けていた。否、無視以外に選択肢が存在しなかった。何故 なぜ ならそんな木っ端を気にかけていても、なんの得にもならないからである。ファーステストの目的はただ一つ、プロリンを高速周回し経験値を稼ぎつつ必要量のミスリルを確保すること。冒険者たちとの馴 な れ合 あ いではないのだ。

 だが、時には気にかけずにいられない状況がある。目の前で死なれそう な時だ。こういう場合は、流石に寝覚めが悪いので、助けに入っていた。主に、シルビアが。

 そして今日も、いつもの如 ごと く周回中、冒険者の男たち四人組がゴレムに殺されかけている場面に出くわし、シルビアがその持ち前の正義感をこれでもかと遺憾なく発揮させ、助 すけ 太刀 だち の《飛車弓術》をお見舞いする。

 それだけならば、至って普段通りだったのだが……。

「邪魔すんじゃねぇよ」

 なんと、男たち四人はお礼の一つも言わず、癪 しやく に障ったような顔で、そうとだけ言い残し去っていってしまった。何故、そのような態度を取るのか。理由を窺 うかが い知 し ることはできないが、ただ、彼らの顔には抑えきれない〝苛 いら 立 だ ち〟のようなものが浮かんでいた。

「……かんじわるー」

 日 ひ 頃 ごろ のほほんとしているエコでさえ、そうこぼすほどの悪態。

「別に、感謝されるために助けたわけではないのだが、これはなあ……」

 腑 ふ に落 お ちないシルビアは、口を尖 とが らせながら「やれやれ」といった風に呟く。

「ありゃあ、そのうち死ぬな」

 セカンドが、去りゆく男たちの背中を見て言った。それは、男たちとゴレムとの短い戦闘を見ての、率直な感想。セカンドにとっては、彼らの悪態はさて置いて、彼らが〝身の丈に合っていないダンジョン〟を恐らく主戦場としている点が疑問に思えて仕方なかったのだ。

「なんとか救えないものか」

 シルビアが不意にそう口走ると、セカンドは呆 あき れ顔 がお で返す。

「お前があのチームに入ってやったらどうだ?」

「……すまない、馬鹿なことを言った」

 セカンドに指摘され、馬鹿馬鹿しい考えだったと自 じ 嘲 ちよう する。

 他人を救うというのは、それ相応の覚悟が必要となる。シルビアには、セカンドのように騎士団やクラウス第一王子を敵に回したり、自身の腕を斬り落とすような真似 まね は到底できなかった。

「さっさと進もう。今日は後一周だ」

 とにもかくにも、今は周回が優先。ブレない男の背中を追えるからこそ、自分もブレずにいられる。シルビアは「うむ」と返事をして、セカンドの後を付いていくのだった。

 それから数日後の、休日のこと。

 ファーステストの四人は、バッドゴルドの町で買い物をしたり、美味 おい しいと噂 うわさ の店で食事をしたりと、基本的には一緒に休暇を過ごす。この日も四人は一緒に昼食をとり、午後は大通りでショッピングでもするかと話していた。

「む、あれは」

 昼食後、大通りを歩いていると、シルビアが何かに気付く。その視線の先には、先日プロリンダンジョンで助けた四人組の男の姿。しかし……どうも、様子がおかしい。

「……ガラの悪い連中だ。助けたのは間違いだったか」

 シルビアは眉 まゆ 根 ね を寄せ、思わず口にした。それほどに彼らの行動が酷 ひど かったのだ。

 酒瓶を片手に騒ぐ男たちの周囲には、道行く人々が避けるようにしてできた隙 すき 間 ま が空いている。そして、その四人が囲む中心には、一人の青年の姿。

「あの男たちに囲まれている人物、覚えがあります。召喚術師の獣人、カピートという者です」

「召喚術師?」

「はい。もっともご主人様とは違い、魔物を使役する方の召喚術師ですが」

 召喚術師には三種類存在する。セカンドのように精霊を使役するタイプと、カピートのように魔物を使役するタイプ、もしくはその両方。セカンドはいずれ〝両方〟となる予定であった。

「ユカリが知っているということは、あの青年は有名人なのか?」

「いえ、有名というほどでは。しかし確かな実力はあると冒険者ギルドでは評されていましたので、念のため記憶しておりました」

「なるほど、流石 さすが ユカリだ。しかし俺の目がおかしいのか、その確かな実力のある青年は、あの雑魚 ざこ 冒険者四人組にボコられているな?」

「……ええ。仰 おつしや る通り、おかしいですね。どうして反撃しないのでしょう?」

 不思議な光景である。ユカリの調べによると、あのカピートという召喚術師の青年は、ガラの悪い男たち四人組を相手にしても後れをとらないほどの実力者。しかし実際は、四人に囲まれて退路を塞 ふさ がれ、肩を強く叩 たた かれたり転ばされたりと、されるがままであった。

「調子乗ってるよなぁ? 田舎者の獣人風情がよぉ、Aランク冒険者なんてよぉ」

「オラオラ、ちったぁ言い返してみろよ。一人じゃなんもできねぇ卑 ひ 怯 きよう 者が」

「魔物出せなきゃ雑魚じゃねーか! これがAランク冒険者? 笑っちまうなぁ」

「ヒョロッヒョロだぜ。こんな細ぇ腕で何ができるってんだぁ? 卑怯で雑魚で軟弱で、おまけに尻尾付き で、よくAランクになれたな? オイ」

 ──不意に聞こえてきた暴言。それで、セカンドたちは全 すべ てを察した。

 カピートは、やり返さないのではなく、やり返せない のだ。

 こんな人通りの多い場所で魔物を召喚したら、いくら召喚術師とはいえ大問題となる。かといって、召喚術師は魔物を出せなければ非力もよいところ。抵抗の手段がない。

 つまり、四人の男たちは、カピートが反撃できないことを知っていて、こうして絡んでいるのだ。

 抵抗できない格上を取り囲み、苛 いじ め、鬱 うつ 憤 ぷん を晴らす男たち。見ていて気持ちのよい光景ではない。シルビアは憤慨の表情を浮かべ、エコは不安そうに俯 うつむ き、ユカリは涼しい顔で佇 たたず み、セカンドはただぼうっと傍観していた。

「………… 」

 カピートは、ひたすら黙して耐え続ける。彼が今、何を考えているのか。シルビアにはそれがよくわかった。自分に力があればと、魔物に頼る以外に抵抗し得る力があればと、そう嘆いているに違いないと、痛いほどにわかるのだ。力がないばかりに第三騎士団上層部の汚職を見す見す許し続けていた過去の彼女と、ぴたりと重なったのである。

「うぐっ!」

 ドン、と肩を強く押され、カピートが地面に倒れる。

「どうせ泥にもまみれたことないんだろうな? 召喚術師サマはよぉ」

「戦闘も全部魔物に任せてよ、その後ろで縮こまってるだけだろうからなぁ」

「俺らみたいな自力で戦う男の苦労 を知らねぇんだもんなぁ。不公平だよなぁ?」

 男たちは倒れ伏すカピートに対し、足で地面をガシガシと蹴 け って土をかけた。そして、その上から手にしていた酒瓶を逆さにしてドボドボと中身をぶちまける。うずくまるカピートの姿は、見る見るうちに水分を得て泥のようになった土で汚れていった。

 カピートは、もはや立ち上がる気力もない。自分が情けなくて情けなくてしょうがなかったのだ。Aランク冒険者だというのに、腕の立つ召喚術師だというのに、こんな奴 やつ らに囲まれただけで足を竦 すく みあがらせ、体を震わせ、何一つ抵抗できない自分が。

「うー……」

 エコが唸 うな り声をあげ、ぎゅっとセカンドの服の裾 すそ を握りしめる。そこで、シルビアが堪 たま らず口を開いた。

「もう我慢ならん。私は行くぞ」

 有無を言わせない口調。セカンドは黙認する。

「貴様ら! 手出しできない者に寄って集 たか って! 恥を知れ!」

 シルビアが怒鳴り込むと、男たちは揃 そろ ってシルビアの方を向き──次の獲物を見つけた、という風にニヤリと笑った。

「おいおい誰かと思えば、こないだ余計なことをしてくれた女じゃねぇか」

「なんだぁ? 今度は俺たちの教育 の邪魔してくれんのかい?」

 挑発的な言葉。シルビアはまんまと乗せられる。

「教育……? これが、教育だと!? 」

 額に青筋を浮かべたシルビアが怒鳴った。

「だってそうだろうが。魔物に頼ってるだけじゃあ、冒険者なんて務まらねぇんだよ」

「今みたいによ、どうしようもない状況になることだってあるだろぉ? ダンジョンでも同じこと言えんのかぁ?」

「こいつに召喚以外の能がありゃあ、俺たちに対してやり返せたもんをよぉ」

「だから、教育だよ。俺らはこうしてこいつに無力感ってもんを教えてやってんのさ」

 もっともらしいことを言う男たち。シルビアも俄 にわ かには反論できなかった。それで気をよくしたのか、男たちの次の矛先は、その後方……セカンドへと向けられる。

「なんだ、そこの男も教育されたがってんのかぁ?」

 セカンドは絶世の美男と言える容姿、加えて美人二人に可愛 かわい 子 こ ちゃん一人を連れているのだ。酔っ払った荒くれ者どもが、そんな男を目にして黙っていられるわけもない。

「小っちぇえ尻尾 しつぽ 付きにダークエルフ連れときたもんだ。かわいそうな雑魚ばっか搔 か き集 あつ めてヒーローごっこして、お山の大将ってかい?」

「いいとこの坊ちゃんだろ、見るからに金持ちそうだ。どうせあの女たちも奴 ど 隷 れい だよ」

「ってこたぁよ、奴隷だけ戦わせて、自分は高みの見物ってか。やってるこたぁ召喚術師サマと変わんねぇなオイ」

「弓の女も、そんな碌 ろく でもない男とはとっとと別れた方がいいぞ。使い潰 つぶ されて終わりだぜ。なんならよ、俺たちのチームに──」

「──黙れッ!! 」

 シルビアが、弓を構えて叫ぶ。仲間を侮辱され黙っていられるような脆 ぜい 弱 じやく な正義感など、彼女は持ち合わせてはいなかった。

「へへっ、なぁに熱くなってんだよ。ここは大通りだぜ?」

「人様に向けてそんなもん構えてんじゃねぇよ、危ねぇな」

「さっさとその物騒なブツを仕舞え。騎士を呼ぶぞ?」

「どっちが悪いんだろうなぁ? 冒険者の心得を教えてやろうとしてた俺らと、いきなり弓ぶっ放しやがった女とよ」

 すると、男たちは途端に立ち位置を変え、ニヤニヤとした表情を崩さずに言う。

「………… クソッ」

 シルビアは引き下がらざるを得なかった。確かに、先に手を出した方が負ける。これはそういう勝負でもあるのだ。元第三騎士団の騎士である彼女は、その腐りきった事実をよくわかっていた。

「弱っ。弱いなあシルビア」

「ええ。あの場で反論できないのなら、しゃしゃり出なければよいものを」

「しるびあ、よわい」

 肩を落として戻ってきたシルビアに無茶苦茶を言う三人。シルビアはカッとなって「では、どうすればよかったのだっ」と頭を抱える。

「私なら音もなく声も出させず縛りあげ路地裏に引きずり込み……消します」

「……私が悪かった」

 ユカリのえげつない戦法を聞き、シルビアは途端に冷静さを取り戻した。

「では何故 なぜ そうしなかった?」

「生 あい 憎 にく と私には貴女のような正義感などございませんから。それに、ご主人様がそう希望なさるのならそうしますが……どうもそうではないようなので」

「セカンド殿が? セカンド殿は、怒ってはいないのか?」

 シルビアの問いかけに、セカンドは沈黙を破る。

「まあ、怒ってはいるけど、シルビアのような理由じゃあないなあ」

「何? 仲間を貶 けな されたんだぞ?」

「それは別にいい」

「べ、別にいいのか」

「でも、なあ……」

 セカンドはおもむろに男たちへと歩み寄った。彼には一つ文句があったのだ。

「よう、お坊ちゃん。作戦会議は終わったかい?」

「俺たちに教育されに来たのかなぁ?」

 ゲラゲラと笑う男たち。彼らはBランク冒険者。それなりの実力もあるため、並の冒険者では止められない。加えて冒険者ギルドは、冒険者同士の諍 いさか いに対して基本的にノータッチ。このバッドゴルドの町で、男たち四人の暴挙を止められる者など、片手で数えるほどしかいなかった。その上、ここは人々の行き交う大通りのため、暴力に訴えるという手法は肩身を狭くするだけである。

「〝悪魔の飼い主〟って知ってるか?」

 だが、そんな瑣 さ 末 まつ な肩身など特に気にしない男にとっては、なんの意味も成さない。

「だっははは! お前、あの噂 うわさ 、本気にしてんのかよ!」

 セカンドがその言葉を口にした瞬間、男たちは手を叩いて大笑いした。聞く人が聞けば「絶対に思い出したくない」と顔を青くして言うだろう、その言葉を、笑ったのだ。

「…………っ 」

 そして、顔を青くする男が、ここに一人。泥にまみれ倒れ伏したままの召喚術師カピートである。

 彼はセカンドがその張本人であると知っていた。バッドゴルドに暮らす召喚術師ならば、知り得ない情報ではなかった。ゆえに、彼は懸念する。この人目のある大通りで、もしセカンドがその悪魔 を再び召喚してしまえば、ようやく風化してきた噂がまた大々的に広まってしまうと。

 ……カピートは、悩む。今、自分が立ち上がり、出ていったところで、一体何ができるのか。できることなら、自分を助けに入ってくれた恩人に、恩を返したかったのだ。

 だが、何もできない。何故なら彼には、この大通りで魔物を召喚する覚悟がないのだから。加えて、容易に召喚できない理由もあった。彼の魔物は巨大 なのだ。セカンドに言わせてみれば、「だからどうした」という問題であるが。

「──来い、アンゴルモア」

 そしてついに、セカンドは《精霊召喚》を発動し、喚 よ び出してしまう──アンゴルモアを。

「えッ」

 四人の男たちは、その精霊大王の姿を見るや否や、絶句する。

 明らかなのだ。格の違い が。それは、こうして同じ視線の高さで見ていてもいいような相手ではないと、一瞬にして理解させられる圧倒的な神々しさ。幾百の精霊の頂点に君臨する大王たる存在そのものの迫力が、自然と彼らの膝 ひざ を折る。

「ひれ伏せ」

 一言、アンゴルモアが沈黙を破ると同時に、男たちは突如として吹き荒れた風によって、地面へと押し潰された。

〝這 は い蹲 つくば らせる風〟……それはアンゴルモアが初回召喚時に見せた、精霊大王特有の技。男たちは全身を竦みあがらせ、一言も発することさえできず、ただひたすら地面に這い蹲るしかない。

 アンゴルモアを見ながら「便利な技だ」と呟 つぶや いたセカンドは、男たちに向き直ると、ゆっくり口を開いた。

「召喚術師は、卑怯で軟弱で、自分では何もできない雑魚 ざこ らしい」

 それは、男たちの言葉。カピートを囲んで、我が物顔で語っていた、召喚術師の弱点。

 男たちは全身に冷や汗をにじませる。まさか、この目の前の男までもが召喚術師だとは、それも〝悪魔の飼い主〟本人だとは思ってもいなかったのだ。そして、プッツンした彼が本気なら、自分たちは今すぐこの場で殺されかねない。そう考えてしまうのは、極めて自然なことであった。

「その通りかもしれない」

 だが、次にセカンドの口から出てきたのは、全くもって予想外の一言。その場にいた全員が呆気 あつけ にとられた。

「召喚術しか できない奴は、お前らの言う通り軟弱だ。そこは間違いない。だが、卑怯ではないし、雑魚でもない。わかったようなことを言いやがって。ああ腹が立つ」

 ……セカンドは、静かに怒っていた。この場にいる誰 だれ もが、微 み 塵 じん も理解できない理由で。

 彼は、メヴィウス・オンラインに関して知った風な口を利く男たちに、怒っていたのだ。ゲームに対して真 しん 摯 し に向き合わず、中途半端に取り組み、わかった気になっている、その不真 ま 面 じ 目 め でいい加減な姿勢にこそ怒っていたのだ。

 例えるなら、十年以上ソレを熱心に続けている人の目の前で、一か月もソレを続けていないような人が、物知り顔でにわか知識を披露した時のような、得も言えぬ苛 いら 立 だ ちであった。

「プロリンのゴレムなんぞに後れをとるような奴らが、召喚術師の何を知っている? 本気で召喚術師として大成を目指しているのなら、泥にもまみれたことがないなんて冗談じゃねえ。己 おの が弱点だからこそ、誰よりも泥水を啜 すす らざるを得ないのが召喚術師だろうが」

 生身の自分を狙 ねら われた時の対策を死に物狂いで練るのが召喚術師──と。

 セカンドの語りにハッとさせられたのは、這い蹲る男たちだけではない。ファーステストのメンバーも、そして誰よりもカピートが、目を見開き耳を傾けていた。

「自分の育成が思うようにいかないストレスを他人に絡んで発散する暇があるなら、雑魚魔物でも狩っていたらいい」

 続けられた言葉は、男たちにとって酷 ひど く図星であった。

 一 いつ 攫 かく 千 せん 金 きん を狙いやってきたプロリンの攻略は、全くもって上手 うま くいかない。これまでBランク冒険者チームとして順調に成果を上げてきた彼らも、近頃は酷い伸び悩みを感じていた。だからこそ、苦労している自分たちを軽々と追い抜いていく他の冒険者たちが妬 ねた ましく感じる。それこそ、魔物に頼って楽をしているように見えてしまう召喚術師は、尚 なお のこと。

 仕方のないことだ。彼らも人間、当然ながら嫉 しつ 妬 と はするし、酒が入って血気に逸 はや ることもある。この世界は、死んでしまえばそれで終わり。ゲームではなく現実なのだ。無茶をする者は皆命知らずばかりで、普通の感覚を持つ者ならば、必ず何処 どこ かで付いていけなく なる。それが正常。ゆえに、四人の男たちは真っ当な感覚を持っていると言える。だが、セカンドはそれをどうしても理解できない。理解できるはずもない。彼は、元世界一位の男なのだから。

「リンプトファートダンジョンに行ったらどうだ」

 雑魚魔物でも狩っていろ、という言葉は、挑発などではない。言葉そのままの意味。「プロリンダンジョンはまだお前らには早いから、狩り場のランクを下げろ」と、そう言っていた。

「なんでわからないかねぇ」

 どうしてこんな単純なことに気付けないのか。セカンドは溜 た め息 いき を吐 つ きながら呟く。そこには、決して理解し合えない感覚が、乗り越えられない壁が、世界の隔たりが在った。

 ゲームではない世界で、それを理解しろという方が無理な話。しかし、彼の言うことは間違っていない。むしろ、これ以上ないほど正解。おかしなことに、どちらも正しい のだ。

「こういう輩 やから がいるのは知ってたけど……もどかしいなあ全く」

 セカンドは後頭部をぽりぽりとかきながら、アンゴルモアに〝這い蹲らせる風〟の解除を命令する。直後、男たちは「うひっ」と声を漏らし、尻 しり を引きずりながら一メートルほど後ずさった。

 ここもまた、悲しいほどに感覚の差が出ていた。男たちは「殺される!」と思ったに違いない。しかしセカンドは、四人に大人しく自分の話を聞いてもらおうと、ただそれだけのためにアンゴルモアを召喚していたのだ。

「ひいいぃっ!」

「あっ、オイ! ちゃんと聞いてたか? リンプトファートだぞーっ」

 悲鳴とともに一目散に逃げ出した男たちへ、セカンドはアドバイスとばかりに声をかける。

 セカンドの目的は、終始一貫していた。にわか丸出しな男たちへ、ちょっぴり強引に、アドバイスを贈ること。結果、この場にいる全員が何一つ理解できないまま、彼に振り回されることとなった。もっとも、そんなことは今回に限った話ではないのだが。

「……よし、行くか」

 当の男は、けろっとした顔でショッピングの再開を促しながら歩き出す。

 やれやれと、ユカリが薄 うつす ら微笑 ほほえ みその後を付き従う。その反対側では、エコが朗らかな笑みでセカンドの手を握っていた。

「ちょ、待て、セカンド殿っ。あの召喚術師には、声をかけていかないのか?」

 勝手に先へと進むセカンドに駆け足で追いついたシルビアは、後方を指さしながらそう尋ねる。

 セカンドは首を傾 かし げ、それから至って平淡な声でこう返した。

「己の弱点の克服すら考えていない軟弱者には、なんの用もない」

あとがき

 お買い上げありがとうございまっす! 皆々様のお陰様で『元・世界1位のサブキャラ育成日記』略して「セカサブ」第二巻を出すことができました、沢 さわ 村 むら 治 はる 太 た 郎 ろう です。

 さて、まずは、まろ先生による二巻のイラストについて。「神はいた!」の一言。皆様は表紙をご覧になりましたか? もはや神としか言えません。キャラクターが生きています。そこに暮らしています。命を吹き込む、それすなわち神の所業です。特にアンゴルモアのデザインときたらもう、筆舌に尽くし難い! ブリリアント! 底知れぬ才能を感じます。まろ神様、ありがたや……。

 次に、前 まえ 田 だ 理 り 想 そう 先生によるコミカライズについて。「こっちにもいた!! 」の一言。キャラクターが世界の中で動いて笑って戦っているではありませんか! なんですかもう。こんな身近に神様が二柱いらっしゃるのなら先に知らせておいてくださいよ。心臓に悪いです。前田神様、ありがたや……。

 嗚 あ 呼 あ 、無神論者であった私ですが、突如として二神教への鞍 くら 替 が えを余儀なくされました。否、三神教でしょうか。そう、読者の皆様もまた、私にとっては神様に違いありません。皆様がいらっしゃらなければ、私は生きていけないのです。日々感謝しております。ありがたや、ありがたや……。

 というわけで、神様の皆様、どうか「セカサブ」を今後ともよろしくお願いいたします!

元 もと ・世 せ 界 かい 1位 い のサブキャラ育 いく 成 せい 日 につ 記 き 2

~廃 はい プレイヤー、異 い 世 せ 界 かい を攻 こう 略 りやく 中 ちゆう !~

沢 さわ 村 むら 治 はる 太 た 郎 ろう

カドカワBOOKS

2019年6月10日 発行

©Harutaro Sawamura, Maro 2019

本電子書籍は下記にもとづいて制作しました

カドカワBOOKS『元・世界1位のサブキャラ育成日記 2 ~廃プレイヤー、異世界を攻略中!~』

2019年6月10日 初版発行

発行者 三坂泰二

発行 株式会社KADOKAWA

KADOKAWA カスタマーサポート

[WEB]https://www.kadokawa.co.jp/

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