Maseki Gurume 1 – raw

Title : 魔石グルメ 魔物の力を食べたオレは最強! (カドカワBOOKS)
Author: 結城涼
口絵・本文イラスト 成瀬ちさと

装丁 coil

contents

プロローグ

残念な転生

廃嫡と隠された血筋

一晩で王太子になれた理由

才能の開花と新たな目標

人外の力と魔石の店

前代未聞の受験生

彼女との再会

無力だった過去との決別

あとがき
プロローグ

──たった一晩で他国の王太子になる。

そんな経験をした者は、きっと彼ぐらいなものだろう。

『王太子とすることを宣言するッ!』

出会ったこともなければ、居るなんて聞いたこともなかった祖父。

その祖父にこう言われた日から、彼の生活は大きく変へん 貌ぼう していった。

とある伯爵家の長男に生まれ、使い物にならないと廃嫡されたのに、別の国──並ぶ国のない大国の王太子となるなんて、夢にも思ったことはない。

そんな彼は今、城の中を二人の大人に連れられて歩いていた。

目指す先は城の下層で、彼はある物 を取りに行く最中だったのだ。

(ほんと、何処をどう見ても広すぎる……)

天井には煌きら びやかなシャンデリア。

廊下は白く艶つや のある石で造られており、高い品格を感じさせる。

「陛下、姫様、そして……殿下。ご機嫌麗しゅう」

「あ、はい……ありがとうございます……」

柔らかな絨じゆう 毯たん を踏みしめていると、すれ違った給仕に頭を下げられた。

殿下と呼ばれるのはまだ慣れない。

小さく苦笑いを浮かべると、彼の右隣から声が届く。

「──アイン。城での生活にはもう慣れたか?」

声の主はアインの祖父にして、この国の国王──彼の名を、シルヴァードと言う。

とはいえ、まだ城に来て間もないとあってか、アインの返事に覇気はない。

「あのー……お爺じい 様? まだ、城に来てから二週間ぐらいしか経た ってないんですが……」

と、アインは苦笑いを浮かべてシルヴァードに答えた。

「む……言われてみれば、確かにその通りであるな」

シルヴァードは長いヒゲを撫な でて頷うなず くと、豪ごう 奢しや なマントを揺らして巨きよ 軀く を進める。

「大丈夫ですよ、アイン。すぐに慣れますからね」

シルヴァードとは反対側から声が届く。今度は女性で、鈴の音のような声だった。

ドレスを美しく着こなす彼女は、聖女のような笑みを浮かべてアインを見下ろした。

「お母様……すみません。その、前の屋敷と比べて、大きさが桁けた 違ちが いなので……」

「ふふ、これからずっとお城で暮らすんですから、心配いりませんよ」

「であるな。オリビア の言う通りだ」

アインは母に……オリビアにそう言われ、以前住んでいた屋敷と城を比べてみた。

(うーん、別世界って言葉がしっくりくる)

以前住んでいた屋敷も、伯爵家のものだから相応に広かった──が、王族と貴族の格差は大きい。

そればかりか、アインが今住んでいる国は、生まれ故郷の国より遥はる かに強大だ。

こうした事実を思い返してみると、やはり、現状の立場に多少の違和感を覚えてしまう。

(無価値だった俺が、今では価値があるって評価されてる……うん、分からないもんだ)

──そして今、アインは新たな力を得るために、城の下層へと足を進めている。

「うむ、見えてきたな。……あれが宝物庫だ」

三人の目的地は城の宝物庫だ。

……中にはどれほどの宝が眠っているんだろう。

アインは生なま 唾つば を飲み込み、真正面に構える巨大な扉に目を向けた。

長い廊下の先には、ただ一つその扉だけが構えていた。

石造りの扉にはいくつもの鍵かぎ 穴あな があり、それらが魔道具なんだとアインは気が付く。

「あの中に、俺の新たな力になる物があるんですよね?」

徐々に高揚していく気分を自覚しながら、隣を歩くシルヴァードに尋ねる。

シルヴァードは神妙な顔で頷き、宝物庫の扉を見ながら言葉をつづけた。

「宝物庫にそれは眠っておる。剣を扱わせれば最強──デュラハンの魔石 がな」

アインはもう一度生唾を飲み込み、その声に耳を傾ける。

「数百年前に打ち取られた魔王の側近にして、比肩する者なき剣の王。天をも切り裂いた、などという逸話を残した、本物の化け物の力の結晶だ」

なんでも、デュラハンの魔石は、国宝として数えられている一品とのこと。

だが、秘宝と言ってもなんらおかしくない、アインはそう考えている。

宿る力は強大で、魔物がその力を吸収すれば、凶悪な存在が生まれるはずだ。

(そんなものが俺の力になるんだから、頼もしいことこの上ないよ)

通常であれば、魔石に宿る魔力は人体に毒だ。

つまり、アインは通常の人間からはかけ離れた方法で、人外の力を得ようとしている。

これが出来るのは、世界広しといえどもアインただ一人のはず。

アインは一歩足を進めるごとに、その興奮から、心臓の音が高まりだした。

その魔石は、どれほどの力を内包しているのだろうかと、心の内がこの思いで占領された。

「──さて、宝物庫の扉を開こうではないか」

シルヴァードが扉の前で立ち止まり、一言挟んでから、扉の中央辺りに手をかざす。

「と、扉が……!? 」

かざされた手を中心に、ちりばめられた鍵穴が反応を返した。

不規則に並んでいたというのに、少しずつ動き出し、縦一直線に列を成す。

石いし 臼うす が動くような音を響かせ、少しずつ宝物庫への道を開いていく。

アインが惚ほう けながらその様子を眺めていると、オリビアがシルヴァードに語り掛けた。

「お父様、デュラハンの魔石はどこでしょうか?」

「そう慌てるでない。……あっちだ」

彼女は楽しそうに声に出し、シルヴァードは半ば呆あき れながら指をさす。

その後、アインは彼女に手を引かれて宝物庫の中を進んだ。

(うわぁ……凄すご い物だらけだ)

しかしながら、どう凄いかという言葉を見つけるのが難しい。

金銀財宝や宝剣など、これらは語りやすいが、この宝物庫には魔石なども納められている。

特に目を引くのは、やはり、アインが歩く先に置かれたものだろう。

あれがデュラハンの魔石だろうか? 白い石の台座には、金や宝石がちりばめられていた。

そんな台座の上に、堂々と特別な存在が鎮座しているのだ。

「黒いのに、蒼あお い……?」

目に映った魔石の姿──黒いダイヤモンドのようなそれは、中で蒼いもやが蠢うごめ いていた。

彼が目の前の魔石を注視していると、隣では、シルヴァードがオリビアに注意を促す。

「……オリビアは触れるでないぞ」

「えぇ。というか、お父様もですよ」

身体からだ への影響を踏まえ、二人はこうしたやり取りを交わす。

アインは台座の前にたどり着くと、デュラハンの魔石から視線をそらさなかった。

この後のアインは、シルヴァードと少しの会話をしてから手を伸ばした。

伸ばされた先、台座に鎮座するデュラハンの魔石を手に取り、一度息を吐いて意思を込める。

新たな力を得る。そのために、自分にだけ許された方法で、魔石の力を吸収するのだ。

「──デュラハンの魔石は、きっとアインの力になってくれます。もしかしたら、そのために存在したんじゃないか……って、ずっと考えていたんですから」

オリビアの慈愛に満ちた微笑ほほえ みを受けて、アインは大きく頷いた。

手のひらに意識を向け、魔石を吸収しようとしたところで、不思議な声が聞こえたが、それは他の二人のものではなかったようで、アインは空耳かな? と考えるのをやめた。

「では、はじめます」

生唾を飲み込み、手のひらの感覚にすべてをゆだねる。

やがて、全身の感覚が研ぎ澄まされ、魔石が熱を持ったかのように温かくなってきた。

……そして、アインが魔石を吸いはじめたところで、新たな騒ぎが起こる。

(ちょ……なんで!?  これ……どうなって──ッ)

デュラハンの魔石は、魔石そのものが意思を持っているかのようだった。

アインの意思とは裏腹に、魔石そのものが力を流しているような──そんな感覚だ。

──すると、その時だ。

「ぬぅ──こ、これは……ッ!? 」

アインの手のひらに握られた魔石を中心に、爆発のように圧が広がった。

「オリビアッ! 余の後ろに──ッ」

「お、お父様……ッ!? 」

逞たくま しい腕を振り上げ、シルヴァードはオリビアを庇かば い一歩下がる。

一方で、アインが感じたのは、前髪が浮かび上がる程度の風圧にすぎない。

魔石からは雷のように光が漏れ出し、強い風圧と重なって渦をつくりだすと、アインの全身を蒼と黒の霧が包みだす。

(いやいやいやッ──これって大丈夫なの!? )

自らの意思に反して、デュラハンの魔石はアインに力を流しつづけた。

霧は徐々に身体に吸収され、同時に、身体中に万能感に似た感覚が宿りだす。

「アインッ! 異変を感じたのならば、すぐに手を放せッ!」

はじめて耳にするシルヴァードの怒鳴り声は、アインを心配する一心から来たものだ。

漏れ出した光は紫電となり、蒼と黒の霧と共に包み込む。

「わ、分かってます! でも……ッ! 」

手を放そうと思っても、魔石に吸い付いたように放れなかったのだ。

しかし、そんなアインの不安を知ってか、魔石は不思議な温かさを醸し出す。

(──大丈夫……なのかな‥…?)

強い光と風圧が徐々に収まり、アインを包む霧もすぐに消え去った。

最後に残されたのは、全身を稲妻のように走る光だけ。

それすらも、数秒点滅したと思いきや、身体に吸収されるように鳴りを潜めた。

「お……終わったのだな……?」

「……えぇ。終わったみたいですね、お父様」

まるで戦いの後のような、急激に訪れた落ち着きが三人を迎える。

アインはゆっくりと魔石を台座に置き、近寄ってきた二人に顔を向けた。

「すみません。心配をおかけしてしまったみたいで……」

そう言うと、アインは両りよう 掌て の握りを確かめ、達成感に満み ち溢あふ れた表情を浮かべた。

「成功したみたいです。身体中に、今までにはない充実感がありますから」

五感まで新しくなったかのような、生まれ変わった感覚だ。

二人はさきほどの様子を心配したというのに、アインは随分と軽い調子だ。

シルヴァードは気が抜けてしまい、皺しわ を深くして高笑いをする。

「はーっはっはっはッ! そうであろう! なにせ、伝説の魔物の力を吸収したのだからな!」

「ふふ……お父様の言う通りです。アインったら、もっと素敵になったんですね」

オリビアは口元に手を当て微笑むと、ゆっくりとアインの隣に立つ。

そっとアインの頭を撫で、胸元で彼を抱きしめた。

ひとしきり彼女に愛め でられた後、アインはどう強くなったのかを見せるため、懐から一枚のカードを取り出した。

(それにしても、デュラハンの魔石の味はコーヒーなのか……いや、美お 味い しいけどさ)

濃厚な香りと重厚な舌触りを、アインは全身で感じとった。

どことなく高級感が漂ってくる、落ち着ける味だった。

「デュラハンの甲かつ 冑ちゆう は、魔力を使い、スキルで生み出された一品だ。もしかすると、アインもそれらの力を使えるようになったのかもしれぬぞ!」

シルヴァードの言葉に強く興奮し、目を輝かせてカードに意識を向けた。

強くなりすぎたステータスの数字を眺め、自然と笑みがこぼれる。

すると、ふと、城に来るまでの生活──自分が廃嫡された、伯爵家での生活が脳裏を掠かす めた。

(弟が次期当主に決まって、どうなるかと思ってたけど)

今日この日まで、色々なことがあったなと感傷に浸ってしまう。
──起伏に富んだ人生のはじまりは、やはり、神との邂かい 逅こう からだろうか。

なかなか接しやすい神だったな……と、久しぶりに、その時の会話を思い返した。
残念な転生

ここがどこなのか。そして、どうして自分がここにいるのかがさっぱり分からない。

どこまでも白く光るこの空間で、神は彼に告げた。

「お主は死因が不ふ 憫びん であった。次の人生は、レア確定のガチャを回して決めるのじゃ」

なんでも、彼の前世はノーマルだったらしく、これは格別の対応といえよう。

「俺の死因……ですか?」

死因どころか、覚えているのは一般常識程度で、どんな人生だったかは覚えていない。

しかし、この世界に来た時点で、そうした記憶を失うのが当然のことらしい。

「少しは思い出すこともあろう。じゃが、その名な 残ごり も、この空間を出れば徐々に消え去る」

「なるほど、ご都合主義」

さて、その死因とやらはいったい何だったのだろうか。強い興味を持って神をみる。

「死因は……失血死じゃ。料理中だったお主は、突然現れた虫に驚き──」

生前の彼は虫が大の苦手だったらしく、酷ひど く驚いて後ろに倒れてしまったらしい。

勢いよく倒れたことで、放り投げられた包丁が喉のど に突き刺さった。

後は、特に語られることもなく、割とあっさりと死んでしまったと、神は語る。

「間抜けにも程がある──ッ」

神曰いわ く、料理に凝っていた彼はきっといい包丁を使っていたのだろう、と。

「あっはっはっは……! 儂わし もあんな死因ははじめてじゃ!」

神が口を大きくあけて笑う。もう笑ってやってくれ、と彼は頭を抱えた。

「と、いうわけじゃ。お主は別の世界で新たな人生を楽しむとよい」

別の世界と言われ彼は惚ほう けた。どういう意味なのかがさっぱり分からない。

「気にするでない。で、どんなガチャを回すかというとじゃな──」

基本的な素質は高くなり、容姿にもいい影響があらわれるとのことだ。

加えて、運が良ければ貴族だけでなく、王族にも生まれ変われるという。

(まぁ、分かりやすいかな)

生まれた時から才能が理解できるのは、意外と歓迎できることかもしれない。

「早速、取り掛かるとしようではないか」

ドンッ──。神が服の中から出したのは、ごくありふれたガチャマシン。

よくその小さな身体からだ から出せたな、神様。彼は感心した。

神の容姿は幼い女性、いわゆる幼女だったので、彼は感嘆した面持ちをみせる。

「ほれ、さっさと回すのじゃ」

急せ かされた彼は、脈拍を速めながら手を伸ばし、勢いよくレバーを回した。

金色のカプセルが出て来たことで、彼は口を大きくあけて神をみた。しかし、

「そう興奮するでない。中に入ってるのは、すべて金色のカプセルじゃ」

「台無しじゃねえかッ!」

神は彼をあざ笑うように弄もてあそ び、彼は大きくため息交じりに声をあげた。

気を取り直してカプセルを開けてみると、一枚の紙にガチャの結果が書かれており、

「スーパーレアだ!」

金持ちの家だろうか。それとも、王族になったり? 彼の妄想は膨らんだ。

つづけて、その後に書かれている内容に目を通してみる。

「って……え? な、なにこれ……?」

彼は戸惑った。書かれていたのが、貴族でも王族についてでもなかったからだ。

──【毒素分解EX】。ただ大きく記載があったのだ。

「それはスキルじゃ。EXってついておるじゃろ、良かったではないか」

だからなんだ。と、神に言い返したい。

「すごく毒に強いぞ。どんな毒だろうとも、菌だろうとも……イチコロじゃ」

聞いてるだけですごい能力なのは理解できた。だが、華があるかと聞かれれば全くない。

地味だな。と内心でため息をついたが、スキルとはいったいなんだ、と疑問符を浮かべてしまう。

「そういえば、スキルって……俺が行く世界って……?」

「うむ。正統派のファンタジー世界じゃ」

「それって……魔物がいるとか魔法があるとかっていう?」

どのような世界なのかを神が語る。

そこはステータスがある。魔物がいる。そして極めつけに魔法がある。……とのことだ。

ゲームのようで心躍ったが、毒素分解EXという地味な力のことが尾を引くのだ。

「む? 紙の裏には、伯爵家の長男として生まれ変わると書いてあるではないか」

神が彼の手元を覗のぞ き込み、彼が読んでいなかった部分へと目を通した。

「あ、本当ですね。……うーん、妥協ラインってとこですかね、それなら」

「まったく。歯に衣きぬ 着せぬ語りは、以前 とかわらんな」

と言われても、その以前のことを覚えていない。

神に対してこの態度はあんまりかもしれないが、自然とこのような口調になってしまったのだ。

「すみません。どうやら、こんな人間らしいです」

あまりの出来事にちょっと適当になりすぎてた。と彼は少しばかり反省した。

「そういえば、俺以外にも転生した人はいるんですかね」

「近くにはおらん。徒歩で数年分の距離にはいるかもしれんな。近くても問題じゃろう?」

思えば、ものすごいチート持ちの転生者が近くに居たら恐ろしくてしょうがない。

彼は胸に手を当てて安あん 堵ど した。

「そしてお主は赤子からやり直しとなるが……ふむ、そろそろ時間じゃな」

すると、神が名残惜しそうに刻限を告げた。

「ついに俺の輝かしい人生が……。神様、お願いします!」

「はいはい。じゃあの……お主の人生に祝福があらんことを」

神は笑みを浮かべ、光る渦を彼の足元に出現させる。ボゥ……という音が辺りに響いた。

「ほれ! 行った行った! じゃあの!」

最後はなんとも突然だ。

神は彼が消え去るまで、慈愛と母性に満ちた瞳ひとみ で彼を見送った。

「……ふぅ。これで一段落じゃな」

満足げに独り言を呟つぶや き、神はただ一人で得も言われぬ余韻に浸る。

当たり前だが、神はこれまで、多くの人を見送ってきた。

今回もそれまでと同じことだったが、それはあくまでも見送ることが──ということだけだ。

「儂の悲願が一つ達成された。さてはて……今日ぐらいはゆっくりしようかの」

と、女神は懐かしむように呟いた。

意味深にほくそ笑み、充実感に体を震わせた。

「ようやく、お主を儂の世界に呼び戻すことができた 。儂はそれで十分じゃ」

彼は知らない。この神との邂かい 逅こう は決して偶然じゃないということを。

「おかえり、と言うべきじゃろうな……さて、もう一度、お主の生き様をみせてもらうとしよう」

神が語ることの真意。それこそ、神のみぞ知る話にすぎないのだ。

──どのぐらいの時間が経た ったのだろうか。

彼は窓から差し込む光にまぶしさを感じて目を覚ました。

(なんというかベタな……よくある転生イベントをこなしたわけだけど)

彼は気が付いた。

艶つや やかな茶髪の美しい女性が、彼を抱きかかえていることに。

「ふふ……いい子ですね、アイン 」

アイン──それが彼の新たな名前だった。

つまり、抱きかかえている女性は母ということになる。

(そっか……無事に転生できたんだな)

言葉が聞き取れることに関しては、きっと、転生の特典だろう。そう考えることにした。

「ふぇ……おぎゃあ! おぎゃああ!」

突然、身体がむずむずして、自然と泣き声をあげてしまった。

乳児にとっては普通なのだが、意思に反して泣き出してしまうのは歓迎できない。

「あらら……どうしたの? お腹なか でも空す いたのかしら」

アインはしばらくの間あやされながらも、母と思われる女性のことをじっと見つめた。

(うん、母親──っぽくない)

価値観の問題だった。

前世の経験があるからか、なんとも母と考えるのが難しい。

言うなれば、年の離れた姉のような感覚に近い。

だが、アインに向けられる慈愛の込められた視線や、背中をさする手の温かさ。

それらは確かにアインを大切に想おも うもので、居い 心ごこ 地ち のよさは筆舌に尽くし難かった。
(……さぁ、新たな人生だ。頑張ってみよう)
◇ ◇ ◇
転生してから、五年の月日が経ったアイン。

生まれた国の名前はハイムといい、大陸一の大国だという。

彼のいるラウンドハート家が治める領地は、王都からほど近くにあり、大陸一番の港町──と言っても過言ではなく、王都への影響力も強かった。

──が、アインの心境は複雑だった。

彼は自室の床に大の字に倒れ込み、息も絶え絶えに言葉を漏らす。

「だ、駄目だこれ……デメリットが大きすぎるって……」

呼吸を荒くし、もはや言葉を発することすら難しい。

どうしてこうなっているのかと言うと、例の地味なスキルを試してみたからだ。

「……た、立てない」

毒素分解──せっかくだ、地味ではあるが試してみよう。

そう考えて毒を探した。だが、そんなもの身近にあるはずもなかったので、神が口にしていた言葉を思い出したのだ。

菌にも通用するという話で、だったら、カビとかでも試せるんじゃないか? と考える。

だから、屋敷の外で見つけた、木にこびりついたカビを削そ いで持ってきたのだが、

「き、聞いてない……こんなことになるなんて……」

強烈すぎる疲労感と、手足のしびれ。そして、ずきずきと強い頭痛を感じている。

実は数分前まで、それが辛つら すぎて意識を失っていたほどなのだ。

菌を分解したことでカビは消えた──だが、それからすぐにこの状況に陥った。

「……地味で使い勝手が悪すぎるスキルなんて、誰だれ も喜ばないって……」

完全に外れスキルだ。

およそ一時間経って、徐々に身体の調子は回復してきたが、これでは使うのは難しい。

机の上にあるコップに手を伸ばし、なんとか水を飲み干した。

「分かった……このスキルは使わないことにしよう」

特に頭痛が酷かった。

今はほとんど治まっているが、わざわざ頭痛を得るのは懲り懲りだ。

──ところで、アインの受難はこれだけでは終わらない。

彼はスキル以外にも、ある苦労を感じていた。

「……ふぅ」

なんとかベッドに横になると、その苦労とやらを思い返す。

「弟のスキルが凄すご すぎるのと比べて、俺のスキルはこれだしなぁ……」

長男ではあるものの、アインは既に次期当主の座を諦あきら めている。

「兄は毒素分解EX。弟が聖騎士 ……いや、俺の人生、スタートからしてやばいんだけど」

アインには一つ年下の弟がいるのだ。

それだけなら別にいいのだが、弟が生まれ持ったスキルというのが、聖騎士という派手な名前。

最初から勝負はついてる気がしてならない。

「疲れたし、本でも読もう……」

そう言って、ベッド横の机から、母から借りた一冊の本を手に取った。

アインは最近、暇な時間があれば、自室のソファで読書に励んでいた。

常識を勉強するための手段だったが、最近では趣味と化している。

「……なにこれ、龍? 大きすぎるでしょ」

今読んでいたのは図鑑で、描かれているのは魔物と呼ばれる存在。

アインが開いた一ページには、海を泳ぐ、巨大な龍の姿が描かれていた。

船よりも何倍も大きな姿の挿絵に驚かされるばかりで、

「いやいや……こんなでかいのがいるの? 昔話とかじゃなくて? 俺のスキルなんかじゃ相手にならないんじゃ……」

カビ一つに使うだけでこのざまだ。戦えるはずもない。

前途多難すぎるなと、アインは深くため息をついた。

「──あ、昼過ぎからは父上と訓練の約束があったんだ」

こんなことになるのなら、毒素分解の力を試すんじゃなかった。

アインは少しばかり後悔したが、ベッドに横になり、少しでも体力を回復しようと努めたのだった。
──休めたのは数十分程度だったが、意外と疲れは回復したらしく、アインはなんとか気分を高めて中庭へと向かう。

素振りをしばらくの間つづけたところで、隣に立つ男が口を開く。

「剣の握りは様になってきたようだな」

「は……はいッ!」

彼の名はローガスといい、アインの父親にして、ハイム王国の大将軍を務める男。

精せい 悍かん な顔つきに、高い身長。そして、逞たくま しい体たい 軀く が印象的だ。

(スキルに恵まれなかったんだから、努力しないと……!)

大粒の汗を浮かべ、アインは素振りを繰り返していた。

息を切らしながらも、必死になってそれをつづける。

スーパーレアの特典なのか、努力をするのも苦にはならなかった。

「はっ、やぁ……! 」

数分、十数分と。ローガスが見る前で素振りをつづけた。

そして、そろそろ腕に震えが見えはじめた頃ころ 、

「……疲れがみえてきた、数分ほど休憩にする」

「は……はい……!」

ローガスに休めと言われ、アインは地べたに腰を下ろした。

腕周りだけでなく、足腰にも疲労が生じたようで、じんじんと疲れが感じられる。

額の汗を拭ぬぐ って疲れを癒いや していると、訓練が一度中断されたのを見てか、一人の女性がローガスに近寄ってきた。

「──ローガス様。いま、お時間よろしいでしょうか?」

「ん? カミラか、どうしたのだ」

(カミラお母様か……)

お母様とはいうが、アインの実の母親ではなく、彼女はローガスの第二夫人だ。

「休憩中に失礼致します。その、グリント のことについてお話が……」

「グリントがどうかしたのか?」

「えぇ、あの子も四歳ですし、訓練をはじめてもよいのではないかと」

二人が語るグリントというのは、アインの一つ下の弟だ。

彼はカミラの子で、アインとは半分しか血がつながっていない。

そして、彼にはアインと違った力があったのだ。

「あの子は聖騎士のスキルを持って生まれた男の子です。ハイム王国の将来のためにも、そして、ラウンドハート家のためにも……もう、いい頃合いではないでしょうか」

そのスキルは、ハイム王国でも過去に数人しかいないほど、貴重なスキルだという。

兄のアインと違い、弟のグリントは武の名家らしさを得たと言えよう。

「あぁ……実は、私もそう考えていた」

カミラが言い、ローガスは深く頷うなず く。グリントに対しての期待に溢あふ れていたのだ。

「アイン。私はカミラと相談することができた。悪いが、今日の訓練はここまでにする」

(あー、うん。そう言うんだろうなって思ったけど、流されすぎじゃない?)

疲れてきたとはいえ、あまりすっきりとしない終わり方だ。

アインは立ち上がってローガスに頭を下げ、つづけてカミラをみた。

「承知致しました。では、カミラお母様も、失礼致します」

「えぇ、ご機嫌よう。これからも、将来のグリントのために頑張ってくださいね」

はいはい。と内心で辟へき 易えき する。

今の発言が意味するのは、次期当主は弟のグリントとなるから、ということだ。

「そうだぞ、アイン。お前はこれからも、人一倍努力を重ねる必要がある」

ローガスはカミラを窘たしな めるわけでもなく、アインに告げた。

彼としても、グリントに対しての期待感が強すぎて、対応がおざなりになってしまうのだ。

(父上は悪い人じゃないんだけど……流されすぎっていうか、カミラお母様の言うことを聞きすぎなんだよなぁ……)

とはいえ、弟に価値で負けることに諦めの感情は当然ある。

だが、廃嫡だけは勘弁してほしいと、内心では、冗談半分にそう考えてしまう。

「はい、これからも努力して参ります。──では、私はこれで」

最後にそう言って、アインはこの場から立ち去り、汗を流すために浴室に向かう。

──さて、ローガスと別れたアインは湯を浴びてから、夕食までの手て 持も ち無ぶ 沙さ 汰た な時間を、一人で書庫で過ごしていた。

壁一面の本棚は厳かで、アインは設けられた椅子に腰かけ、机に向かって本を開いている。

アインという子は、努力家で勤勉な性格をしている。

例えば、ローガスの訓練に常に一生懸命に努める姿や、よく本を読む姿──書庫に出入りする姿は、使用人たちからすれば、大変好印象であった。

故に、彼の将来を楽しみにする者たちは何人もいたが、偶たま にやり過ぎてしまうことがある。

今日も、すでに何時間か過ぎたところでアインは気が付いた。

本を書き写すための紙が、いつの間にか尽きていたのだ。

「──やってしまった」

机の上に積み重ねられた、いくつもの紙の束が山を作っている。

なぜこんなものがあるのかと言うと、勉強が捗はかど り過ぎたからで、途中から楽しくなったのだ。

意味不明なほど理解が早く、おそらくこれは、転生の特典なのだろう。

だから、五歳児が作れるような量では到底ない、そんな何冊分もの紙の束が重ねられている。

「坊ちゃん──そろそろご夕食でも……おや、また写本をしていたのですか?」

足を運んで来たのは屋敷の執事だ。

アインの頑張りをみて、微笑ほほえ ましそうに視線をむけた。

「え、えぇ。ついさっき終わったところです」

これは純粋に勉強のつもりなのだが、写本に見えるのもしょうがないことだろう。

「素晴らしいことです。訓練だけではなく、勉学でも並外れた努力をなさって……」

アインが浮かべるのは苦笑いだ。

確かに努力ではあるものの、転生の特典が影響しているからか照れくさい。

「将来は学者……いえ、日ごろの努力があれば、それこそ将軍にだって……」

ローガスやカミラとは違い、執事はアインに肯定的だ。

アインの人当たりの良さや努力家な一面。

そうしたところが、使用人からの人気があるのも良く分かる。

「なれればいいですけど……何とも言えませんね」

何かしらの部分で価値を示したい。

その想おも いは当たり前のように抱いており、執事の言葉は嬉うれ しく感じた。

「お腹なか も空す いてきたので、今日はこれぐらいにしておきますね」

最後にそう答え、夕食を食べるために書庫をあとにする。

「……ふむ、他の使用人へも伝えましょう。坊ちゃんが書庫に山を作られたと」

執事は楽し気に言い、机の上の山を少しの間眺めていた。
◇ ◇ ◇
次の日からの訓練は、弟のグリントが優先されるようになった。

ローガスはアインに指示だけを伝え、後は別の場所でグリントの訓練ばかり見るようになる。

それからというもの、一週間経た って指示は減り、二週間経って訓練は素振りに固定され、三週間目には訓練終了後にもローガスは顔を出さなくなった。

(──どうすれば父上に認められて、カミラお母様を見返せるのかな)

ある日の夕方、アインはこうしたことを考えながら、木を彫って木剣を作っていた。

どうして自分で木を削っているのかと言うと、今まで何本も木剣を折ってしまっているからだ。

今日も夕方になったところで、木剣は根元から折れてしまっている。

……全くもって意味が分からなかった。

確かに、アインは無我夢中で素振りをするから、木剣への負担は相当なもの。

とはいっても、子供の力で簡単に折れるか? と、近頃は毎日苦労しているのだ。

「……おかしいぞ? 彫刻の技術ばかり高まってる気がする」

伯爵家の長男が木剣を自分で彫る。

何かの冗談かと思いたいが、仕上がりには惚ほ れ惚ぼ れしてしまう。

もう何本目かわからないほど剣を作ったせいか、今では、それなりの木彫り技術がある。

端材を手にとって彫ってみれば、小さな木彫りの熊まで作れる始末だ。

「……熊も彫れる。上手じゃん、俺」

一体何をしてるんだという想いもあるが、意外と楽しく思えてしまった。

それを懐にしまうと、彫り終えた剣を手に持って立ち上がる。

「んー……お風ふ 呂ろ 入ろうかな」

今日もいい汗を搔か いた──師はおらず、一人でだが。

木剣を振る音も徐々に変わり、風を切るような音になってきたのは上達の証あかし だろう。

アインは少しの達成感を感じると、そのまま屋敷の中へと足を運んだ。

──この世界では、お湯を沸かすためにはある道具を使う。

それは魔道具と呼ばれるもので、魔石という、魔物が体内に持つ素材を用いるのだ。

宿る魔力を動力にしているとのことだが、まるでボイラーに思えてならない。

湯を浴びた後は廊下に出て、傾きだした陽ひ の光を眺めながら、窓から入る風を浴びる。

すると、身体からだ を冷ましているアインの元に、年配の給仕が足を運んだ。

「坊ちゃん。お湯加減はいかがでしたか?」

「はい。今日もいいお湯でしたよ」

屈託のない笑みで答えると、給仕も笑顔で何かを取り出す。

「それはよかった。では、こちらは後でお召し上がりください。ご当主様には内緒ですよ」

給仕が手渡したのは、紙に挟まれた数枚のクッキー。

ローガスは間食を許さない。だから、内緒で手渡したのだ。

「……給仕の間では、坊ちゃんの将来を楽しみにする声も多くございます。ですので──」

気遣ってくれたんだな。アインが内心で感謝すると、

「ありがとうございます──あ、それじゃ、お返しにこれをどうぞ」

アインは片手間に彫った、小さな熊を給仕に渡した。

「片手間に彫ったものなんですが、よかったらどうぞ」

我ながらいい出来だ。

土産みやげ 店にでも置かれていても、なんらおかしくない出来上がりに思えてならない。

「あらあら……可愛かわい らしい! ありがたく頂ちよう 戴だい いたしますね……!」

彼女は嬉しそうに笑みを浮かべ、大事そうにそれを懐へとしまう。

すると、そういえば……と前置きをして、アインにある情報を語りだす。

「もしもお暇でしたら、奥様のお部屋を訪ねてみてはいかがでしょう? 先ほど茶を運んだ際、もうそろそろ終わりそうだと仰ってましたよ」

なるほど、いい事を聞いた。アインがこれから向かう場所がきまったのだ。

「分かりました、それじゃ、これから行ってみます」

「えぇ、では──何かありましたらお呼びくださいませ」

そして、今度こそ給仕がアインの隣から去っていく。

(まぁ……お母様っちゃ、お母様だけど。やっぱり難しいかな)

結局のところ、以前も考えたことなのだが、年の離れた姉──というのが近い感覚だ。

まぁ、別にいいか。あっさりと片を付けると、

「よっし、お母様の部屋に行ってみよう」

意気揚々と歩き出し、楽し気に彼女の部屋を目指した。

彼女の部屋は、アインの部屋からすぐ近くだ。

自室近くの廊下で涼んでいたからか彼女の部屋まではそう遠くない。

「──お母様、居ますか?」

コンコン、と扉を叩たた き、部屋の中に語り掛ける。

いるのは分かり切っているのだが、今大丈夫だろうか、という気持ちが込められている。

「いらっしゃい。さぁ、中にどうぞ」

そう言って姿をみせたのは、アインがお母様と呼ぶ──オリビアという女性だ。

今日も慈愛に満ちた瞳ひとみ をアインに向け、彼が足を運んだことを喜んでみせる。

「お仕事をされていたと聞いたんですが、もう平気ですか?」

「大丈夫ですよ。もしも仕事があったとしても、アインとの時間が一番大切だもの」

五年間過ごして分かったことは、彼女はアインに対して底なしに優しいということ。

アインを無条件で肯定し、そして愛する。彼が彼女に好意を抱くのは当然のことだった。

皆を見返したい──この想おも いは、オリビアという女性を悲しませないためでもある。

「……うん。お風呂上がりの温かくて、いい香りですね」

抱き寄せられ、背中に手を回してさすられる。

こうしていると、五年前、彼女の腕に抱かれていたことを鮮明に思い出せる。

すると、アインはオリビアに導かれて、部屋の中央にあるソファへと腰掛けた。

「毎日毎日、すっごく頑張ってるものね。ふふっ……いい子いい子」

手放しで褒められると、少しばかり気恥ずかしい。

隣に座った彼女をみれば、少し見下ろすかたちでアインに微笑ほほえ んでいるのだ。

「お、お母様はどんな仕事をしていたんですか……!」

気恥ずかしさから逃れるため、話題を変えて尋ねる。

「商人や冒険者に頼んでいた仕事の報告をまとめたから、どうしようかな……って思っていたの」

なるほど、分からない。首を傾かし げた。

おそらくそれは、貴族として、上に立つ者としての仕事の一環なのだろう。

「どんな仕事を頼んでいたんですか?」

「探し物ですよ。すごく大変なところにあるから、私だけでは見つけられないんです」

──どんな物なんだろう?

興味はあるが、仕事の話だから深くは追及しない。

「この仕事は、私一人で進めてることだから、少しやることが多いの」

「あれ……父上は関係なかったんですね」

商人や冒険者とやり取りをするだけでも、多くの折衝が生じるはず。

(まるで、敏腕社長みたいだ。さすがは大商会出身だけある)

こうした血統からも、仕事ができるという彼女ができあがったのだろう。

たった一人で多くの仕事をこなす姿は、むしろカッコよくもある。

オリビアが仕事のできる女性ということを、アインは強く認識した。

伯爵家の第一夫人となるのだから、相応の有能さがあるということだ。
◇ ◇ ◇
「ところで、昨日きのう 渡した本は面白かったですか?」

「面白かったです! あの、すごい大きな龍とかがいて……!」

興奮した様子の彼の言葉。

一挙一動が可愛らしく、彼女は慈愛に満ちた瞳を向ける。

[image file=Image00005.jpg]

(ほんと、可愛かわい くていい子なんだから)

内心で呟つぶや いたオリビアは笑い、彼の喜びに同調する。

「魔物は魔石を食べて成長するの。だから、アインがみたような大きな龍とかがいるんですよ」

人間には不可能な成長方法で、魔物は強大に成長するのだ。

隣から届く見上げるような瞳は、オリビアの言葉を楽しんでいるのが良く分かった。

「俺も魔石を食べて強くなれたりしないですかね……」

彼の言葉に、オリビアはきょとんとした顔を浮かべ、次の瞬間には、アインを慰めるように優しく語りだす。

「……大丈夫。アインが頑張ってるのは私も知ってます。アインはきっと、いえ、絶対に立派に成長できますから、心配しなくていいんですよ」

確信に満ちた声色で語ったオリビアは、真っすぐにアインの瞳を見る。

アインはその力強く美しい瞳に惹ひ かれて、じっと視線を交わした。

「あはは……い、言い過ぎではないでしょうか」

照れくさそうに笑った彼に、オリビアはすぐに首を振り、

「ううん。そんなことはないですよ。だって、アインは私にとって、誰だれ よりも大切な存在だもの」

ただ、集中し過ぎちゃうのが玉に瑕きず ですね。オリビアがそう言って言葉を終える。

どんなアインでも受け入れ、そして愛する。こうした想いに満ちた美しい表情だった。

「アインは旦だん 那な 様にだって勝てるぐらい、強い殿方になれますから」

手を伸ばして、隣に座るアインの頭を撫な でた。

「えぇっと、それは……どうでしょう?」

「ふふっ……アインはこんなに可愛くて頑張り屋さんで、他の誰よりも立派ですよ」

何の事だろう? そんな顔をしてみると、彼女はその理由を語る。

「一人で訓練だって頑張ってるし、たくさん本を写してお勉強もしてる。アインみたいにいい子なんて、他のどこにもいないんだから」

言い過ぎではないか。

もはや照れ臭さなんてものは通り過ぎて、逆に信じられるような気がしてきた。

「──そんな素敵なアインには、私から一つ贈り物をあげるわね」

彼女は唐突にそう言うと、立ち上がって机に歩いていく。

すると、手のひらに納まる程度のカードを手に取って、アインの隣に戻る。

そのカードを差し出すと、アインの手にぎゅっと握らせた。

「届くのを楽しみにしていたでしょう? 実は、ついさっき届いたんですよ」

と言われ、カードを眺めると、それが何なのかアインは気が付いた。

「ッ──これって、お母様!」

声を上ずらせ、オリビアに向けて驚きの表情を向けた。

愛いと しいアインの楽し気な声に、オリビアはただ満足気に頷うなず くのだ。

「さぁ、せっかく届いたんだから、見てみましょうね」

オリビアが急せ かすように促す。

それを受けて、アインは食い入るような瞳でカードにかかれた文字を見た。
アイン・ラウンドハート

【ジョブ】 ラウンドハート家長男

【体 力】 55

【魔 力】 41

【攻撃力】 22

【防御力】 21

【敏びん 捷しよう 性】 25

【スキル】 毒素分解EX/修練の賜たま 物もの
この世界では、特別な魔道具を用いてスキルやステータスを診断する。

だが、産まれた時に分かるのはスキルだけなので、成長してからカードを作るのだ。

「これがステータスカード なんですね……ッ! 」

「ふふ、急いでもらった甲か 斐い がありました。喜んでもらえてよかったです」

オリビアはアインの頭を優しく撫でる。アインはくすぐったいような感覚に笑みを浮かべた。

「ありがとうございます! あ、あれ? そういえば、この数字ってどのぐらい……」

同年代と比べればどの程度の数字なのだろうか。……と考えたら、オリビアがそれを察する。

「体力は、アインぐらいの年齢なら……10 ぐらいが平均かしら」

予想外に平均値が低いことに驚いたが、十分な数字だということだ。

「アインが頑張ったから、こうして強くなれたんですよ」

オリビアに褒められたことで、すべてがどうでもよくなりそうになった。

転生の特典も影響してるかもしれないが、努力していたのもまた事実なのだから。

「あれ? 修練の賜物って……何だこれ」

悦に入っていると、見慣れない文字に気が付いた。

「それはね、アインが頑張った証拠なの。神様が認めてくださったんですよ」

「──へ?」

「身体からだ が病気とか痛みに強くなって、疲れにくくなるスキルなの」

柄にもなく、といってもまだ五歳児なのだが。アインは気の抜けた表情を浮かべた。

「……一人でたくさん頑張ってたの、私もよく知っていますからね?」

彼女は少しばかり悲しそうにそう言った。

何年も何年もというわけじゃない。だが、アインは訓練をつづけてきた。

もしかしたら、神が優遇してくれたのかもしれない──と、アインは内心で考える。

(だから、アインのことは私が……)

一方で、オリビアは内心で強く決意をし、頭を振って表情を一変させる。

負の感情を抱いた顔を、彼に見せたくなかったのだ。

「アインが頑張ってるから、私も仕事を頑張れるの。だから、一緒に頑張りましょうね?」

「……はい!」

すると──コンコン。

ノックへと、オリビアがどうぞと答えると、アインにクッキーを渡した給仕が姿をみせた。

「失礼致します。大奥様より伝言があって参りました」

なにやら、複雑な面持ちでやってくると、伝言があると口にしたのだ。

「お義か 母あ 様から?」

こんな時間に何の用かしら? 怪け 訝げん な面持ちで給仕をみた。

「……ついさっき、お屋敷に御用商人が参りまして、お紅茶を選んでおいてほしい……と」

「はぁ……なるほど、給仕ではなく私にやれっていってるのね」

呆あき れた。心底から呆れてしまった。

「そのようです……なんでも、給仕よりも目利きを信じられるから……とのことでして」

「お母様、俺のせいですよね……申し訳ありません」

祖母は、我が家に相応ふさわ しい長男ではない、と常々口にしていて、アインに対して酷ひど く冷たい。

これが影響してか、オリビアに対してもいびるような態度が見え隠れしているのだ。

「──ちょうど良かったわ。実は、アインと一緒にお出かけをしたかったの。だから、その前にお義母様のお紅茶を選びに行きましょうか」

オリビアが耐えきれなかったのは、アインの悲痛な面持ちを見てしまったからだ。

「ご一緒してくださいますか? 素敵な騎士様」

やり取りは微笑ほほえ ましく、アインを気遣ったのは一いち 目もく 瞭りよう 然ぜん 。

しかし、アインと出かけるのが楽しみだというのは、彼女の顔を見ればすぐにわかる。

「勿もち 論ろん です! お伴をさせてください!」

「ふふっ……なら、先に客間に行って、紅茶を見ていきましょうね」

申し訳なさを募らせた給仕に目配せをして、オリビアがアインと立ち上がる。

給仕が頭を下げる横を、オリビアはすれ違いざまに、気にしないでと言って立ち去った。

廊下に出ると、伯爵家らしい、広く豪勢な造りが目に入る。

手をつなぎ、二人は廊下を歩いて階段を下った。

「早く選んでしまいましょうか。アインとお出かけする時間が短くなっちゃうもの」

「頼まれたのは紅茶だけですから……たぶん大丈夫ですね」

やがて二人は、御用商人が来たときに使う、一室の客間に到着する。

扉をノックしたオリビアにつづき、アインも客間に足を踏み入れたのだ。
「お待ちしておりました。こちらが今回のお品物で……ラ、ラウンドハートご夫人……ッ!? 」

待っていた商人は一人で、恰かつ 幅ぷく がよく、品の良いヒゲが印象的だった。

彼はやってきたオリビアに驚くと、おもむろに立ち上がって頭を下げる。

「義は 母は の紅茶を選びに来たんです。お持ちの品をみせていただけないかしら」

「は……はっ! ただいまお見せ致します!」

慌てながらも、礼を失しないよう気を配り、いくつかのカバンを開けた。

中から出てくるのは、瓶に入ったいくつもの紅茶だ。

すると、オリビアはアインの手を引き、商人の手前に腰かけた。

「よいしょ……あれ……これって」

腰かけたところで、アインが机に広げられた品物に目を奪われる。

こぶし大の、少し黄色がかった水晶のような物だ。

「これって魔石……でしょうか?」

「仰おつしや る通りでございます。魔道具用の安物ですので、お手に取っていただいても大丈夫ですよ」

商売っ気を抑えた声で商人に言われ、アインは言葉に甘えて魔石を手に取る。

その魔石からは、なぜか甘い香りが漂っていた。

「高価な魔石ともなれば、宿した魔力が人体に悪影響をもたらしますが、こちらは500G程度の魔石ですので、手に持ったところで問題はございません」

へぇー…… と納得し、アインが魔石を灯あか りにかざしてみる。

半透明のそれは、宝石のように煌きら びやかだ。

隣ではオリビアが紅茶を確認しており、アインはその間に魔石について尋ねた。

「お湯を沸かすためには、一か月でどのぐらいの魔石が必要なんですか?」

「平民の家庭でしたら、3000Gもあれば足りるかと思いますよ」

なるほど、ガス代みたいなものか。意外と安価なことに驚いた。

「魔石に興味がおありでしたか? もしよろしければ、そちらは差し上げましょう」

安物だからだろうか、商人の気前がいい。

遠慮しようとも思ったが、せっかくだから貰もら っておいた。

「高級な魔石は飾りにもなります。儀式や魔法に使うため、国宝になることもありますね」

へぇ……とアインが頷いて聞いていると、静かだったオリビアが口を開く。

「──さてと、今回いただくのはこの三つにしようかしら」

すると、紅茶を確かめていたオリビアが商品を選んだようで、紅茶が入った瓶を指し示す。

「承知致しました。では、そちらを給仕の方にお渡しいたしますね」

返事を聞き、オリビアが立ち上がる。

足取りは軽く、その理由は、アインと外出が出来るからに他ならない。

「アイン、それじゃ行きましょうか」

「あ、はい……分かりました!」

答えたアインは、甘い香りを漂わせていた魔石を手に取り、商人へと会釈する。

また、商人は、アインとオリビアが去っていく姿が見えなくなるまで、頭を下げるのだった。

「アインと二人でお出かけなんて、すごく楽しみだわ」

「俺もですよ、お母様」

心からの楽しさを言葉に乗せ、二人は客間を後にする。

その際、アインは受け取った魔石をポケットにしまおうとしたのだが、

「……それにしても、この魔石って甘そうな香りがするな」

まるで蜂はち 蜜みつ 、しかしそれはあまりにも濃厚だ。

つい、彼は鼻先までそれを持っていき、舌でチロッと舐な めてしまう。

「って……甘ッ!」

蜂蜜と砂糖を丹念に煮詰めたような、深い甘さを口いっぱいに感じて驚かされる。

「はーい? アイン、どうかしたの?」

アインの声に気が付いて、オリビアは不思議そうに振り返った。

意地汚い行いと思われたくないアインは、笑顔を見せて繕う。

「い、いえいえ! なんでもないですよ!」

気が付くと、魔石は色を失っていた。

なんでだろうかと不思議に思ったアインだったが、隠すようにポケットにしまいこむ。

「ふふ……変なアインですね。さぁ、お外に行きましょう」

「は、はい! 今行きます!」

そうして、この日はオリビアとの外出を楽しんだ。

今日という日が、とても楽しくて貴重な時間に感じられたのは言うまでもない。
アイン・ラウンドハート

【ジョブ】 ラウンドハート家長男

【体 力】 57 (2UP)

【魔 力】 41

【攻撃力】 22

【防御力】 21

【敏捷性】 26 (1UP)

【スキル】 毒素分解EX/修練の賜たま 物もの
廃嫡と隠された血筋

魔石を舐めた日から数か月後、アインは多くの努力をつづけていた。

オリビアまで軽んじられてるのが許せない──この想おも いが強く、何か結果を出そうとしていた。

今日も朝から剣を振っていたのだが、アインはある異変に苦笑いを浮かべている。

「──いや、やっぱりおかしいって」

木剣が折れる。まぁ、何度もあることだからそれは慣れたのだが、今は少し違う。

「鉄製の鎧よろい が木剣で切れる? なるほど、そんな世界──なわけないだろ」

敵に見立てた木製の人型に、鉄製の防具を着せて剣を振る。

古臭いかもしれないが、ただ素振りをするよりは気分転換にもなっていた。

しかし、その鎧は今さっき、アインの木剣によって切り裂かれた。

同時に木剣も砕け散ったのだが、それはあまり気にしてない。

「……まぁ、うん。金属疲労かなんか……かな?」

そうは言ってみるが、詳しい原理なんてものは知らない。

劣化したのだろうなと踏み、こめかみを搔か いてから歩き出した。

気が付けば、予定よりも身体からだ を動かしていたことで焦りを覚える。

「っとと……そろそろ支度しないと遅れちゃうかな」

早めに湯を浴び、外出の支度をしなければならない。

今日は王都でパーティが開かれるのだ。

貴族の子供がお披露目される催しごとで、アインはどういうパーティになるのかと、ここ数日心待ちにしていたのだ。

いつもと比べて軽い足取りで、彼は屋敷の中へと帰っていった。

──アインが去った後、入れ違いで、使用人が訓練場の掃除に足を運ぶ。

「……おや? この鎧は……何かで切断されたような跡が……」

金属疲労、劣化。

そんなものでは決してない、鋭利な切り口を使用人は確認する。

何があったのかと不思議そうにしながらも、砕けた木剣と共に廃棄した。
◇ ◇ ◇
アインが訓練を終えてから数時間が経た ち、ラウンドハート家の面々は、二台の馬車で王都を目指していた。

前方馬車にはローガスと第二夫人のカミラ。そして、グリントをあわせた三人が乗っている。

後ろを付いて進む馬車には、アインとオリビアが二人で乗り込んでいた。

そんな中、アインは読んでいた本を膝ひざ に置く。

隣に座るオリビアの表情をみれば、それはとても暗かった。

(仕方ないか。グリントが次期当主になるって話だからなぁ……)

この件に反対したのはオリビアただ一人で、その話はあっという間にまとまったのだ。

彼女は当時、何一つ長男を立てない態度の彼らに対し、強い憤りを伝えていた。

だが、結果が変わらなかったことに、失望、呆れ、悲しみ──多くの感情に苛さいな まれ、商人や冒険者に依頼していた仕事に対し、それまで以上に力をいれて取り組んだ。

そして、空いた時間は徹底して、アインと過ごすために費やす。

(俺としても……少し切なかったりはしたけどさ)

オリビアに褒められ、認めてもらえる。これだけでも十分幸せを感じる。

徹底的に自分を肯定し、愛してくれるオリビアに対し、心を寄せないはずがない。

(お母様まで蔑さげす まれるのは嫌だし。なんとかして、父上たちを見返さないと)

内心で強く思い、これからは更に努力をすることを決意した。

──ところで、馬車の窓から外をみれば、景け 色しき だけでなく、歩く人々の姿すら目新しい。

彼らは冒険者と呼ばれる者たちで、アインは彼らの自由さが楽しそうに思えた。

「俺も彼らのように、色々な場所に足を運ぶことができるでしょうか」

貴族の長男には縁のない話だが、当主の座は既に弟に決まっているからこそ、言える言葉だ。

「きっと、アインならたくさんの旅ができるわ」

まさか賛同してくれるなんて。オリビアの言葉に若干の動揺を感じた。

「でも、魔物と戦うのは危険だから。それだけは心配なの」

魔物と戦い一獲千金を狙ねら うというのも、冒険者らしさはあるが、アインには難しい。

(なら、お母様に綺き 麗れい な宝石とかを探してきたいなー……)

あくまでも戦いに重点を置くのではなく、冒険という道を探す方面だ。

そう考えたアインは、さっきまで読んでいた本の背表紙をさすった。

「──ところで、何の本を読んでいたんですか?」

「あ、これはですね……書庫で見つけた、ありふれた物語の本ですよ」

好んで読むのは英雄譚であったり、童話によくあるような恋愛ものまで幅広い。

今読んでいた本も、姫である主人公が、他国の王子に惹ひ かれて──という内容だ。

少しばかりキザな王子のセリフが、読んでいて意外と面白く感じていたのだ。

「今は、ちょうど盛り上がる場面で、花畑で二人が逢あい 引び きしているんです。『姫、どうかこの指輪を受け取ってください』……って言って、指輪を渡したところですね」

逢引きした二人の距離が近づく、なんともロマンあふれる一場面。

ありふれた台詞せりふ ながら、物語に出てくる王子はすごいな……と、若干の憧あこが れすら覚えるぐらいだ。

「私からしてみたら、その王子様より、アインの方がずっとずっと素敵ですよ」

……お母様は、登場する姫より素敵ですよ。とでも言い返したくなる。

ただ、ここでは照れくささが勝ってしまい、

「……頑張ります」

こうした台詞は言うよりも、言われる方が照れくさいのだとアインは理解した。

オリビアはそんなアインの横顔を眺め、楽しそうに目を細める。
二人はこうして、王都までの道のりを和やかに楽しんだ。

ところ変わって前方の馬車では、アインの弟のグリントが、眉まゆ をひそめて口を開いた。

「父上? まだ着かないのですか……?」

母親譲りの艶つや やかな金髪に、アイン同様、ローガスのような精せい 悍かん さ。

そんな容姿をしていたが、年相応に不満げな面持ちをみせる。

彼は長時間にわたる馬車に飽き、つまらなそうに声をあげたのだ。

「グリント。あと二時間ほどだから、もう少し我慢してくれ」

仕方ないなと言わんばかりに、ローガスがグリントを窘たしな めると、

「後ろが静かなのに、グリントが我慢できないと恥ずかしいでしょう?」

カミラが煽あお るようにアインの事を口にしたのだ。

自分に劣る──そう考える兄と比べられたことで、グリントは興奮した様子をみせる。

「ッ──!?  あ、兄上に負けるなんて嫌です!」

彼にとって、生まれ持ったスキルが地味なアインは、比べられることすら気に入らない。

ローガスは苦笑いを浮かべ、カミラは嬉うれ しそうに笑みを浮かべた。

「そういえば、グリント。出かける前に手紙を受け取っていたでしょう?」

「はい! 実は俺のステータスカードが届いたんです!」

母のカミラが内容を知らないはずがない。彼女は、グリントを煽おだ てるように語り掛ける。

「まぁ、すごいわ! それじゃあ、お父様とお母様に見せてくれる?」

グリントがカミラの言葉に応じ、ステータスカードを懐から取り出した。
グリント・ラウンドハート

【ジョブ】 ラウンドハート家次男

【体 力】 120

【魔 力】 94

【攻撃力】 35

【防御力】 41

【敏びん 捷しよう 性】 33

【スキル】 聖騎士
「よくやった! 成人となる十二歳よりも高いステータスだ! さすがは聖騎士だなッ!」

すると、ローガスがカミラごと、グリントを抱きしめたのだ。

「わ……わわッ──父上ッ!? 」

べた褒めのローガスをみて、グリントは身体からだ を震わせて喜びをあらわにする。

「いずれはその聖騎士も、スキルだけでなく、ジョブにまで上りつめるはずだ。そして、更に磨きつづければ、聖騎士の上級職にまで到達できるだろう」

グリントは目を輝かせてローガスをみた。

「その上級職は天騎士といってだな──」

魔法にもすぐれ、その耐久力はまさに一つの城ともいわれるほどの頑丈さを持ち、剣を振るえばたちまち敵兵を滅ぼす……騎士の中の騎士だとローガスは語る。

グリントは輝く瞳ひとみ で頷うなず くと、絶対になってやる! と両親の前で声をあげた。

やがて、カミラはそっとほくそ笑み、勝利したかのように上機嫌になった。

なぜなら、長男を押しのけて自らの子が次期当主となったことに加えて、ローガスがグリントばかりをみていることで、アインが滑こつ 稽けい に思えたからだ。

「そうだわ、グリント! お嫁さんになってくれる子も、きっと喜んでくれるわよ?」

「……大丈夫でしょうか? その、やっぱり緊張が……」

「案ずるな。グリントで駄目ならば、ハイムの男児は皆が駄目なのだ。あのご令嬢 も、グリントに惚ほ れるに違いないさ」

ローガスの言葉に勇気づけられたグリントは、手をぎゅっと握りしめる。

「ところで、ローガス様。グリントの許婚いいなずけ となるご令嬢のシャノン様ですが……」

「どのようなご令嬢なのか聞きたいのだな?」

カミラが頷いた。

それを見て、ローガスが話を続ける。

「ブルーノ侯爵家の一人娘──彼女は今年で六歳となり、グリントの二つ年上だ。しかし、既に器量の良さが評判の、とても頭の良いご令嬢だ」

「それは素晴らしいですわ。そんなに素敵な女性と婚約できてよかったわね、グリント」

語られていたシャノンという女性は、グリントの許婚となるのだ。

グリントはまだ四歳──あと何か月かすれば五歳となるが、貴族の中でも早い婚約だ。

カミラが彼女の詳細を知らなかったのは、この婚約がローガス主導だったからである。

夫人のカミラはあまり口を出さず、彼に任せていたというわけだ。

「今日のお披露目で、次期当主をグリントとしたこと。そして、シャノン嬢との婚約を発表することとなる。グリント。胸を張るのだぞ?」

ローガスに勇気づけられ、グリントが顔を上げた。

「はい! 父上!」

「ローガス様。お披露目の前に、二人のお顔合わせがあることも忘れないでくださいませ?」

本来の主役はアイン。だが、そんな事実は鳴りを潜め、すでにグリントが主役となっている。

長男を差し置き、上位貴族の許婚を得た事実に、カミラは内心でほくそ笑む。

……さて、王都までの道のりはあと少し。

カミラは期待に胸を膨らませ、ローガスは気を引き締めた。

一方のグリントは、初対面となる許婚のことを想おも い、手をぎゅっと握りしめる。

少しばかりの緊張感に浸りながらも、窓からみえる風景に目を輝かせた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時。ラウンドハート家の面々が、今日のパーティ会場である貴族の邸宅に到着する。

馬車を降りたアインは、広大な敷地に立つ屋敷を目の当たりにし、驚嘆した。

(……すごい庭園だ)

門をくぐったアインが目にしたのは、数多くの花々と、丁寧に整えられた植木だ。

庭師の高い技量が良く分かる、美しくも厳かな庭園が広がっている。

「大きいんですね」

「ふふっ……ハイムにただ一人の、大公家のお屋敷だもの」

すると、語らう二人のもとに、ゆったりとした足取りでローガスが近寄り、

「オリビア、アイン。今日のお披露目の前に顔合わせがある」

その言葉を聞き、オリビアとアインは訝いぶか しげな顔でローガスをみた。

「旦だん 那な 様? 顔合わせとは、いったい何のことでしょうか?」

「グリントの許婚であるシャノン嬢と、そのご家族との顔合わせだ」

「……許婚のことは知ってますが、顔合わせがあるなんて初耳ですが?」

やり取りを聞くアインは、頰を引きつらせた。

自らが冷遇され、オリビアまで似たような扱いをされてるのは分かっている。だが、

(そんな大事なことは先に言うでしょ……。まぁ、意図的に隠されてたんだろうけどさ)

「ん? カミラに伝えるように頼んでいたと思うが……まぁ、言いそびれていたのだろう」

そんなにあっさりと終わらせるな。とツッコミをいれたくなってしまう。

しかし、オリビアの手前、それを必死に耐える。

オリビアも似たような感想を抱いたようで、冷めた瞳でローガスをみていた。

「はぁ……言いそびれていたとしましょう。それで、私とアインにも挨あい 拶さつ をしろと?」

「うむ。第一夫人と長男がいるというのに、二人が挨拶に来ないのは失礼にあたる」

「……えぇ。そうでしょうね」

それは当たり前のことだが、オリビアがいい気分になれるはずもない。

彼女にしては珍しく、棘とげ のある態度でローガスに答える。

「もうブルーノ侯爵家の方たちがお待ちなんだ」

そう言って、ローガスは目線をある方向に向けた。

一人の壮年の男と、彼に寄り添うようにして幼い女の子が立っていて、その二人の一歩後ろには、身なりの良い壮年の女性が笑顔で連れ添う。

「──承知致しました。では、私とアインもお顔合わせに参ればいいのですね」

「挨拶が終わったら、屋敷のホールで待っていてくれ。相手の令嬢を緊張させてしまうからな」

と言うが、果たして、アインたちが挨拶する意味はあるのだろうか?

終わったらすぐ席をはずせと言われ、アインの心にも鬱うつ 憤ぷん が積もる。

「どうぞ。お気持ちのままに」

言葉を失いかけたオリビアが、ローガスに対してきつく返す。

一方のローガスも、こればかりは申し訳ないと思ってるのか、居い 心ごこ 地ち 悪そうに腕を組む。

しかし、すぐに口を開き、カミラとグリントの二人を呼び寄せるのだ。

「カミラ、グリント。こちらに来なさい」

二人はローガスの呼び声に応じ、すぐに近くへと足を運ぶ。

カミラはどこか勝ち誇った表情をみせ、一方のグリントは、許婚と顔を合わすということが影響し、緊張した様子で落ち着きがない。

最後に、襟を正し、ローガスが家族の前を堂々と歩く。

「アイン。少しだけ我慢してね?」

「……気にしてないので、大丈夫ですよ」

こそっとオリビアがアインを気遣うが、アインはむしろオリビアを気遣いたかった。

「失礼がないようにするのだぞ。アイン、グリント」

「はい! 父上の子として、恥ずかしい行いをすることがないように致します!」

ローガスの言葉に、グリントが元気よく答える。

それは、四歳にしては大人びた受け答え。

「ブルーノ侯爵。お待たせ致しました」

「おぉ! これはラウンドハート伯爵! とんでもない、遠路はるばるご苦労であった!」

ブルーノ侯爵は、赤毛のヒゲと髪を丁寧に整え、これまた質の良い服に身を包んでいる。

足を運んだローガスに上ずった声で答えると、固く握手を交わす。

「早速ですが、ご紹介致しましょう。こちらの二人が、私の妻で──」

「──お久しぶりでございます。ブルーノ侯爵」

はじめにオリビアが侯爵に挨拶をした。

彼女はドレスの裾すそ を手に取ると、庭園の花が霞かす むような美しい所作で頭を下げた。

「お初にお目にかかります。私は第二夫人のカミラでございます。この度は、我が子グリントとのご縁を頂ちよう 戴だい し、心より感謝申し上げます」

次に口を開いたカミラは、オリビア以上に饒じよう 舌ぜつ に言った。

(うんうん。息子同士の才能は負けたけど、母の美しさは圧勝だな)

多少情けない言葉ではあったが、心の中で誇らしげにほくそ笑む。

「つづきまして、こちらが長男のアイン。そして、次男のグリントでございます」

ローガスが手を伸ばし、二人の背中をぽんっ、と押す。

二人は簡単に、初めましてと口にすると、深々と頭を下げて挨拶をした。

「ご丁寧にありがとうございました。私はエイド・ブルーノ。王都に屋敷を構え、私自身は法務大臣としての席を任されております──どうぞ、お見知りおきを」

法務大臣か。すごいな。アインは侯爵の肩書きを聞き、驚きをあらわにする。

そして、つづけて、一歩後ろに居た女性が前に進む。

「妻のナークラでございます。今日この日を迎えられること、楽しみにしておりました」

「……最後に、私たちの一人娘のシャノンですな。さぁ、ご挨拶をしなさい」

顔合わせの主賓である、ブルーノ侯爵家の令嬢……シャノンが一歩前に出る。

「お初にお目にかかります。シャノン・ブルーノでございます」

シャノンと名乗った令嬢は、可愛かわい らしいドレス姿で頭を下げる。

艶やかで美しい赤毛 を肩のあたりまで伸ばし、つり目気味の瞳が愛あい 嬌きよう を感じさせた。

だが、初対面だというのに、その笑みはどこか冷たいように感じた。

(……可愛かわい いとは思うけど、なんだろ?)

その感情は表現し難い。だが、彼女の謎めいた笑みが心から離れない。

顔を上げた彼女と目が合うと、どうみても普通の少女なのだが……。

「──ふふ」

すると、彼女はアインに微笑ほほえ みかけた。

それがグリントの苛いら 立だ ちを生んだのは言うまでもないが、アインは愛想笑いを返す。

「ハイムにローガスあり、と謳うた われる大将軍様に、未来の天騎士と語られるグリント様。お二人とお会いできて、大変光栄に思います」

彼女の嫌味がない言葉は、ローガスとグリントを立てる悪くない言い回しだ。

その言葉を言い終えたところで、オリビアがそっと口を開く。

「旦那様。私とアインは席を外しますので、どうぞごゆっくり」

と、そこで、オリビアがアインの背中に手をあてた。

アインも早く席を外したいという思いに駆られてしまい、その言葉に素直に頷く。

「どうやら、シャノンのために気を遣っていただいてしまったようで……」

「とんでもございません──では、私とアインは先に失礼致します」

侯爵へと、オリビアは社交辞令と言わんばかりに微笑みを返し、身体からだ を反転させた。

「……ご機嫌麗しゅう。オリビア様、アイン様」

去り際にシャノンが淑しと やかに話しかけてきたが、アインは苦笑いで返すことしかできなかった。
「──…… はぁ」

距離が空いたところで、オリビアが額に手を当てた。

「まったくもう……グリントのことばかりなんだから……」

「大丈夫ですよ。俺はお母様がいてくれるんで満足です」

むしろ、離縁でもしてくれないかな。アインは内心で不謹慎なことを考える。

「……私もアインが居てくれれば、それだけでいいんですよ」

女神のように微笑む彼女を見ていると、つい考えてしまう。

彼女と二人になれたと思えば、さっきまでの負の感情は鳴りを潜めるのだ。

「なんでも、シャノン様は祝福 っていって、聖騎士のためのスキルを持っているらしいの」

だからこそ聖騎士のスキルを持つグリントと縁を結びたい、そんな思惑が重なっての婚約だそうだ。

だが、不思議なことに、アインは生理的にシャノンという令嬢を好まなかった。

へぇ……。と、あまり興味なさげに頷うなず いてみると、オリビアが不思議そうに尋ねてくるのだ。

「アイン? 弟が婚約したっていうのに……あまり興味なさそうですね」

「はい。なんというか、別に羨うらや ましくは感じなかったもので」

抱いていた不思議な感情は説明が難しく、答えを濁したのだ。

「そうだったのね。……なら、アインの好みはどんな女性なんですか?」

「お母様みたいな女性がいいです」

むしろ、お母様がいいです。こう即答したかった。

照れ隠しをするように歩幅を広げ、顔が見られないように前に進む。

「もう。ここが他の方のお屋敷じゃなければ、ぎゅって抱きしめてあげるのに……」

「……またの機会に取っておきますね」

必ずしてもらおう。いずれその抱擁を手にしてみせる。

強い決意と悔しさを滲にじ ませたところで、オリビアは楽し気に鼻歌を口ずさんだ。

「あ、そういえば──」

ぽん、と手を叩たた き、オリビアが笑った。

「私がしていた仕事が一段落したの。だから、今度アインにも教えてあげますね」

「仕事……あぁ! 例の、商人とか冒険者にお願いしてたやつですね」

「えぇ、そうですよ。どんなお仕事だったのか、ゆっくりできるときに教えてあげる」

さっきの出来事は心に暗い影を落としたが、今となっては過去の話。

二人は二人なりに楽しそうに歩き、大公邸の中に足を踏み入れた。

それからは、豪華絢けん 爛らん な内装を楽しみながら、ローガスたちがやってくるのを待った。

──ローガスたちと別れてから少しの時間が経た つと、空は時間が経つごとに暗がりをみせる。

やがて深い藍あい 色いろ の幕が空を覆い、涼し気な夜風がアインたちを包むが、雰囲気は穏やかじゃない。

「では、そちらの不手際であったと認めてくださるのね?」

冷たい表情をしているオリビアが、会場の受付に立つ案内係に告げた。

「勿もち 論ろん でございます……! 後程、招待状を送った者も処分 致しますので……」

すると彼は、何度目か分からない謝罪を口にして、オリビアに深く頭を下げる。

「そちらは興味がないの。この時間も煩わしいから、アインはもう会場に入ってもいいかしら?」

どうして彼女が怒っているのかというと、アインがパーティに参加できなかったからだ。

(まさかこうなるなんて思わなかったけどね……)

主催者の大公が、連れてくる子供の人数を一人まで、と条件をつけていたのだ。

原因となったのは前回のパーティで、孫娘のお披露目の際、他の子供が騒がしかったらしく、

(結果的に大公はご立腹で、その連絡がうちには届いてなかった……ということだけど)

なら、グリントが我慢すればいい話ではある。

しかし、ローガスたちはいつの間にか会場入りしており、もはや退場するには遅すぎた。

(この人も罰を受けることになるのかな)

恐らくカミラの差し金だが、案内係の男の困っている姿は心にくる。

彼は視線だけでなく、手元の仕草や顔色にも落ち着きがない。

決して彼の不備ではないのだが、大公家の使用人として、罰を受けることは十分にあり得た。

「重ねてお詫わ び申し上げます……ッ!  な、なにか私の方でも協力したいのですが……」

とはいえ、打開策は見つかっていない。

案内係の焦りは更に高まり、額にも冷や汗が浮かび上がる。

「も、もう少しだけお待ちください……ッ!  お二人にご納得いただけるように何か──ッ」

彼は狼ろう 狽ばい しながら時間を稼ぎ、忙せわ しなくまばたきを繰り返す。

そこで、彼も可哀そうだなとアインが思ったところで──あることに気が付いた。

(あ、そういえば……すごい庭園だった)

受付を兼ねているホールからは、夜になって照らされはじめた、見事な中庭がみえる。

幻想的で、一言でまとめるならば最高の雰囲気だ。

「失礼ですが、大公にお伺いを。中庭が見事なもので、興味が絶えません。パーティの間だけでいいので、散策させていただけないかと聞いていただけませんか?」

その言葉を聞き、案内係の男は呆あつ 気け にとられる。

数秒の沈黙を交わすと、彼はハッとした様子で明るい表情を浮かべた。

「ご、ご提案ありがとうございます……ッ!  では早速、お伺いして参ります──ッ! 」

大公家の顔を立てて、誰だれ も傷つかない提案に、案内の男は去り際にアインに目配せを送る。

「ア、アイン……」

彼女はすぐに気遣いを理解するが、アインはしれっとした面持ちをみせる。

(これで、あの案内の人も安心したろうなー……)

不満を口にしているのが伯爵家の夫人。

もしかしたら、という不安もあったことだろう。

内心でそれを呟つぶや くと、アインは庭園へと目線を向けた。

「──大公邸の庭園は見事ですね、お母様」

さっき思い出したのは、馬車で読んでいた本の内容だ。

印象的だった、花畑での王子と姫の逢あい 引び き──つまり、オリビアを姫に見立てたのだった。

「お母様のように美しい花が、あんなにも咲いているんです。是非、夜の散策を共に過ごしていただけないでしょうか?」

少しキザったらしすぎただろうか。だが、今はそれでいい。

目を薄く赤く染め、雫しずく を浮かべたオリビアに対し、アインは物語の王子のように言った。

彼女はそれからすぐに笑顔を浮かべ、アインを優しく抱き寄せたのだ。
すると、それから十数分後。

ついさっき走っていった案内係が、息を切らせて戻ってくる。

「た……大公様より、許可するとのお返事でございます……!」

ひとまず、この場を離脱できそうなことにアインが一息つく。

しかし、彼は言葉をつづけた。

「ただですね、一人だけ案内を付けることが条件とのことで……」

「案内、ですか」

オリビアとの時間を邪魔しない相手ならなおよし。と、誰が案内に来るのかが気になった。

ほどなくして、会場の方から一人の女の子が歩いてくる。

「──初めまして。貴方がラウンドハート家のご長男かしら?」

えっと、誰? まばたきを繰り返して女の子をみた。

「はい? そうですけど、貴方あなた は?」

オリビアは彼女が誰かを知っているようだが、口を挟んではこなかった。

一方で、アインは怪け 訝げん な瞳ひとみ を向けてしまう。

唐突に誰だろう、何の用だろうかと、軽く身構えてしまったのかもしれない。

すると、彼女はアインから向けられる瞳に対し、少しばかり戸惑った。

「……私はクローネ。現アウグスト家当主、グラーフ・アウグストの孫娘です」

なるほど、オリビアが口を挟まなかった理由は、彼女が上位貴族の者だからだ。

彼女は白銀とサファイアが混じったような、美しいライトブルーの髪を靡なび かせている。

歳とし はアインよりも二、三歳ほど上に見え、身長も若干高い。

将来性を尋ねられれば、オリビアと並ぶほどの美女となるだろう──そんな可愛かわい らしさをみせた。

アインは彼女と目をあわせると、ある感情に包まれた。

(……なんだろう。良く分からないけど、なんとなく……居い 心ごこ 地ち が良い)

すぐ傍そば に立っていて、彼女はなぜか、居心地の良さを感じさせたのだ。

それでいて、隣に立つのが自然である……と思わせる、そんな安心感を抱かせる。

決して容姿が優れているという問題だけではなく、シャノンに抱いた感情とは真逆の感情に、アインは強く戸惑ってしまう。

「私はアイン・ラウンドハートと申します。失礼ですが、私に何か御用でしたか……?」

とはいえ、疑問は抱いてしまう。大公家の人間が、いったい自分に何の用だろうか?

アインはオリビアの隣から離れることなく、すぐ傍に立つクローネを見つめる。

すると、彼女はじっとアインを見返してきたのだ。

「そう……貴方は他の子たちとは違うんですね」

「は、はい? それはどういう意味でしょうか……?」

今のやり取りで何を感じたんだろう。もう一度尋ね返した。

「……いえ。パーティにいると、常に殿方が鬱うつ 陶とう しく近寄ってくるものですから」

要は、アインがただ尋ね返したから気になったのだろう。

「あぁ……俺がクローネ様に近寄らなかったからですか、なるほど」

何を言ってるんだこのお嬢様はと、内心では少しばかり苦笑いだ。

可愛かわい いからって急に近寄るなんて出来るわけないだろ、と言い返したくもなってしまう。

浅はかすぎてする気にもなれないし、アインは自分はしないという確信があった。

(美しい、可愛いっていうのなら……お母様を見慣れてるしね)

と、ついに、内心どころか顔にまで苦笑いを浮かべてしまった。

「わ……笑わなくてもいいでしょう……? さっきまでパーティ会場に居たので、この落差に私も戸惑ってしまったのですから……!」

「い──いえいえ、クローネ様を笑ったのではなくて、その……」

どちらかと言うと、パーティ会場では大変だったのだろう、という共感だ。

(高たか 嶺ね の花はな だったのに無視された、みたいな?)

言い繕おうとしても、ちょうどいい言葉が見当たらない。

だが、アインが馬鹿にしようとしてなかったのを察してか、クローネは一度ため息を漏らす。

「……分かりました。貴方は他の方とは違ったんだと……そういうことにしておきます」

「あ、あはは……すみません、助かります」

すると、なんとも締まらない状況で、彼女が咳せき 払ばら いをして姿勢を正す。

「では、私がお二人の供を致します。さぁ──自慢の庭園をご案内いたしますね」

そうだ、思えば案内係の者は、一人案内を付けると言っていた。

アインがこの事を思い出したところで、彼女はアインたちの前を優雅に歩き出した。
◇ ◇ ◇
様々な種類の花が入り乱れながらも、あたかも芸術のようにそれを調和させる庭師の技。

屋敷から漏れる灯あか りや、中庭を美しく彩る灯り。

(幻想的……って、一言でまとめるのは失礼かな)

大公邸の中庭は見事なもので、外にあった庭園よりも更に上等だった。

そんな庭園を、アインは二人の女性とともに歩いている。

「──まさか、クローネお嬢様にご案内頂けるなんて。アインも幸せです」

「そんな堅苦しいことを言わないでくださいませ。私としては、オリビア様のように美しい方をお連れして、我が家の庭園が霞かす んでしまわないか心配ですわ」

(……なんだ、お母様のファンか?)

本心ではオリビアと二人が良かったが、これならば話は別だ。

褒められたオリビアよりも上機嫌になり、鼻歌交じりに花壇を眺めた。

「……やっぱり、噂うわさ なんてわからないものですね」

と、クローネが呟く。オリビアは苦々しい面持ちで口を開く。

「アインの事……ですね?」

「えぇ、そうです。どうしても耳に入ってしまうので………申し訳ありません」

そこで、二人の会話に気が付いて、アインが振り返る。

「噂……って、なんのことですか?」

きょとんとした顔のアインをみて、クローネとオリビアの二人は破顔した。

「知らぬは本人だけ、ね。なんでもないわ。ただ、貴方が紳士的だって思っただけですから」

「あ、はい……そうでしたか。それはなによりです」

唐突に褒められたことで、アインは顔を赤らめて俯うつむ いた。

すると、オリビアがアインと並んで花を眺め、数歩後ろから、クローネが二人を眺める。

「ほら、アイン。あのお花も綺き 麗れい よ」

「……ほんとだ。近づいてみてもいいですか?」

「えぇ。気を付けてくださいませ。あと、手は絶対に触れたらダメですから」

気になった花があったのか、アインはオリビアの手を引いて前に進む。
「──聞いていたのと正反対じゃない」

二人に声が届かない程度の距離に立ち、クローネがぼそっと呟きを漏らす。

「礼儀を知らず、怠慢な性格……ね」

クローネは呆あき れた様子でため息をついた。

彼女が思い返していたのは、耳にしていたアインの噂だ。

アイン本人と出会って、その噂が、悪意に満ちた噓うそ の噂だと理解した。

「今日のパーティに来ている子に比べて、頭抜けた礼儀と気遣い。それに、容姿はオリビア様のように目を奪う華やかさ」

どこをどうみても、噂とは正反対で、アインがみせた気遣いが印象的だった。

「……あんな素敵な気遣い。それをできる殿方なんて、探すほうが難しいと思うのだけど」

オリビアが恥をかく前に、アインは自らの頭を下げた。

その際、オリビアと同じく美しいものを見つけたという、なんともにくい 言い回し。

自分もそんな殺し文句を言われてみたい、という憧あこが れすら覚える。

「本当に美しいですね、クローネ様」

すると、独り言をつづけていたクローネへと、アインが語り掛ける。

「え、えぇ……。我が家自慢の中庭なの。気に入っていただけてなによりですわ」

「魔法か何かで光らせてるのかと思ってたんですが……」

クローネも歩いてアインたちに近寄る。

視線の先には、蒼あお く揺らめいている光るバラの姿があった。

「いいえ。これはブルーファイアローズっていう、自ら発光するバラですもの」

蒼く揺らめく光は、確かに炎のように煌いている。

「水、土、気候。開花する条件が厳しくて、生育がとても難しい。肥料もたくさん必要で、咲いてからは、周囲の魔力を吸って蒼く光っているんですよ」

興味津々な様子のアインは、彼女の説明に楽しそうに耳を傾ける。だが、

「ふふ……でもね、このバラには──すごく危険な毒があるんです」

アインは顔を一気に青ざめさせ、頰を引きつらせる。

「噓じゃなくて……本当ですか?」

「えぇ。このバラ一本分の毒で、人間を千人は殺せるぐらい強力ですから」

どことなく誇らしそうに彼女が語るが、アインは思う。

そんなもの、どうしてこんなところに植えてるんだよ……と。

「ここに通されるのなんて王族ぐらいだから、普段は心配してないの」

「な……なるほど」

やってくる人物も少ないから、大きな心配はしていないのだろう。

今回のクローネのように、案内が付けば、その心配は更に必要がなくなるのだから。

「それに、普段はガラスで覆ってるの。だから、今日は特別なんですよ」

「……だから、毒があっても大丈夫だと」

「えぇ、仰おつしや る通り」

と言って、彼女は可か 憐れん に笑ってみせた。
「──お嬢様。お席の用意ができました」

次の花を見に行こうと足を進めたその時だ。

年配の給仕がやってきて、クローネに語り掛けた。

「ありがとう。──お二人がよろしければ、私と小さなパーティでもいかがでしょう?」

「はい? パーティ……ですか?」

不思議そうに尋ねるアインをみて、クローネが答える。

「中庭のサロンへ食事とお茶を用意したので、是非ご一緒致しましょう?」

思えば、散策をつづけたせいか、アインの喉のど が若干渇きを訴えていた。

女性二人の身体からだ にも、そろそろ疲れが募りだした頃ころ だろう。

「中で開かれているパーティなんて退屈ですもの。私たちは私たちでパーティを──と」

その言葉に、アインとオリビアが嬉うれ しそうに笑みを浮かべる。

彼女はきっと、二人の事を気遣ってこうした言い回しをしたのだろう。

「──あら。クローネ様のお誘いなんて、光栄だわ」

「そう言っていただけて嬉しいですわ。あちらに席を設けてありますので、ご案内致します」

これまでの散策では通らなかった道に進み、徐々に屋敷の灯あか りから離れていく。

背が高い生垣に囲まれ、まるで、別世界に誘われるかのような錯覚に陥った。

「ところで、私とアインの案内がクローネ様なのは、どうしてなんでしょうか?」

決してクローネでは不満ということではない。

下級貴族である二人の案内をすることが、オリビアはどうしても不思議に思えたのだ。

「──そのこともお話しいたしますので、まずはお席にお掛けくださいませ」

彼女は申し訳なげにそういうが、話しているうちに、三人は用意された席に到着する。

真っ白なテーブルに椅子。そして、くすみ一つない白い屋根があった。

小さな席だが、庭園の景け 色しき と相まって、相応に上等で見事な一席だった。

(あ、ここにも、ブルーファイアローズが植えられてるんだ)

簡易的な柵さく の奥に、例のバラが植えられているのが分かる。

それからアインは気を取り直して、オリビアと共に席に腰かけた。

「さて、私が案内をすることになった経緯ですが、お爺じい 様たちの話を聞きまして──」

二人が座ったのをみて、クローネはつづきを語りだしたのだ。
◇ ◇ ◇
時が遡さかのぼ り、アインがクローネと合流する数分前。

案内係は急いで大公の下に足を運ぶと、受付で何があったのか──その詳細な経緯を語る。

「……儂わし ら大公家の不手際を、齢よわい 五歳ほどの子に気遣われたと、そういうことなのだな」

会場の一番目立つ席、一際大きな席にアウグスト大公は座っていた。

彼は隣に一人の執事だけを伴い、会場をじっと眺めていた。

子供に気遣われたという事実を聞き、彼は強い憤りを感じ、目つきを厳しく変へん 貌ぼう させた。

厳格な貴族として名高い彼は、このような失態に心を痛めている。

「で、長男ではなく、次男がパーティにいる理由はなぜだ」

「その……ラウンドハート伯爵は、子供を一人までという情報を、受付ではじめて耳にしたそうです。そこで、第二夫人様がグリント様を参加させるように……と発言したらしく」

それを聞いてアウグスト大公は理解した。

ラウンドハート家の内情を耳にしている彼は、アインが退けられたのだろうと予想する。

「とはいえ、あまりにも不ふ 憫びん だ──いや、まさかラウンドハート家は、約束を違えて 次男を次期当主に据えるつもりなのか……?」

「おや? 大公? 約束……というのはいったい?」

すると、なにやら考え込むアウグスト大公に対して、隣に立つ執事が声を掛ける。

「……いや、なんでもない、少し気になっただけだ」

何やら意味深な言葉ではあったものの、アウグスト大公は咳払いをして答えを濁した。

「観覧を許可しよう。後ほど、儂の名前で謝罪もする。案内には爺やをつけるとしようではないか」

さて、ここまで言ったところで彼は爺やの顔を見る。

大公付きの執事であれば、失礼に当たらないだろうと考えたのだ。

「しかし、ラウンドハートの長男は傑物だな。母を傷つけず、儂らアウグスト大公家の顔まで立てる言いっぷり。いや、悪くない、儂も興味が湧いてきた」

「仰る通り、そうした紳士相手ではこの私が案内をしに行くべきでしょう」

そうだな、では頼んだ。

こう口にすれば後は終わりというところで、彼らが予想していなかった人物が足を運ぶ。

「──あら、お爺様。楽しそうなお話ですのね」

アウグスト大公が誰だれ よりも溺でき 愛あい している孫娘、クローネがやってきたのだ。

いったい、どこまでの話を聞いていたのか。それを疑問に思い尋ねる。

「むぅ……聞いておったか、クローネ」

「えぇ。聞いておりました。……さてと、爺や」

立ち聞きをしていたのに何一つ悪びれる様子もなく、クローネは告げる。

「案内には私が行くわ。だから、貴方はお爺様の傍にいてちょうだい」

大公たちにとって、想定もしていなかった事態に、驚きを隠し切れない。

爺やが言葉を失うと、大公が額に手を当てて戸惑った。

「そういえば、クローネは以前のパーティで顔を合わせて以来、オリビア殿に憧れておったな」

「あんなに素敵な方は他にいませんもの。花より美しく、聖女という言葉が最も似合う、他の誰よりも華やかな淑女……それがオリビア様ですから」

つまり、彼女と話をしたいのだろうな。大公はそう考えた。

「……噂うわさ と違うところをみせた長男とも、少し話をしてみたいですし」

大公らに聞こえないように小さく呟つぶや くと、案内係に顔を向けた。

「案内を付けることを条件に、観覧を許可すると伝えてきて」

彼は答える前にアウグスト大公らの表情を窺うかが ったが、その表情はあきらめの境地。

虫を払うように手を振ったことで、彼は返事をして去っていった。

「お爺様、今日も殿方が、私を娼しよう 婦ふ か何かと勘違いして話しかけてくるんです。私だって、少しぐらい楽しめる時間があってもいいでしょう?」

彼女の容姿は、パーティ会場だろうと目立つため、縁を求める者たちが押し寄せるのだ。

降って湧いた憧れの女性と過ごせる機会に、彼女が案内を買って出るのも仕方がない。

「それに、オリビア様に無礼を働いたのは、もとを正せば我が家です。それなのに、使用人を一人案内に寄越して庭園を見せる。……恥を重ねるのも、考えものではないかしら」

「大公……お嬢様は、日に日にお強くなられますな」

ぐうの音も出ない正論と、爺やの言葉に顔を苦々しいものへと変える大公。

結局、否定できない事実に、彼はクローネを見送るしかなかったのだ。
◇ ◇ ◇
「……アウグスト家の失態で、こうした事態になったことをお詫わ びします」

「いいえ、クローネ様は何も悪くありません、悪いのは……その、我が家のほうみたいですし」

彼女たちのやりとりを見ていると、内容が暗くとも華があった。

なぜかと言えば、やはりその容姿や仕草にある。

アインはブルーファイアローズをチラッと見たが、それより華やかに感じてしまう。

すると、彼が苦笑しながらもそれを見ているのに気が付き、クローネが語り掛けてきた。

「その、もしよろしければ、名前の由来を教えてあげましょうか?」

「えぇっと……ブルーファイアローズのですか?」

頷うなず いたクローネは、悪戯いたずら っ子のように笑って答える。

「さっき申し上げた毒は、身体からだ が灼や けるような、苦しい痛みが全身をはしるらしいのです」

灼けるような痛みで、美しい蒼だから、ブルーファイアローズ。

寒気を催すような由来に、アインが頰を引きつらせる。

「それは……凄絶な名前ですね」

「ふふ、そうですよね? でも、ブルーファイアローズは綺麗な宝石になれるんです」

とんでもない毒を持つバラが宝石になる?

理解が追い付かないながらも、内心では、どんな宝石なのかと考えてみた。

「造花のようなものですか?」

「いいえ、正解は本当の宝石です。あのバラの毒は物質を結晶化させる性質があって、根元から急激に毒を抜いてしまうと、自衛本能が働く……っと耳にしています」

彼女曰いわ く、苞ほう から上が少しずつ固まり、それはもう美しい宝石になる──とのことだが、

(結晶化って……え、毒で? そんなのもあるのか……)

蛇の毒は、血液をゼリー状に固めてしまうという。

それを思えば、そんな毒があってもおかしくない……のかもしれない。
すると、アインの脳内に、一つの閃ひらめ きが光った。

(って、毒素か……それなら、もしかして──)

毒素分解が生きるのだろうか。唇に手を持っていき考えてみる。

「宝石の名前はスタークリスタル。私も数回しかみたことがないのだけど──」

クローネはその仕草を気にすることなく、どのような宝石なのかを語った。

「青く揺れる炎が夜空のようになって、細かな粒子が星みたいに輝く、とても美しい宝石ですよ」

ブルーファイアローズの光が夜空の色を模して、星が重ねられる。

想像するだけでも、なんとも、神秘的な美しさのように感じてしまう。

すると、そこでアインは疑問を抱く。

「あれ、でも……数回しか見たことがない? この屋敷にはないんですか?」

彼女は大公の孫娘で、原料となるバラが大量にあるのだから、その宝石も持っているはずだ。

こう考えて言ったのだが、クローネの表情は芳しくない。

「……私もスタークリスタルには憧れ がありますけど、手に入れるのが難しいんです」

え、毒を抜くだけなのに? 呆あつ 気け に取られてクローネをみた。

「毒を抜くだけなんじゃないんですか?」

いってしまえば、毒を抜く魔法なんていくらでもありそうだ。

だというのに、スタークリスタルに関してだけ難しい……というのも、ピンとこない。

「急激に毒を抜かないと枯れてしまうので、魔法でも難しくて。他には、高価な薬で毒を抜く……という手段もあるのだけど」

金にモノを言わせるという手段だ。

とはいえ、大公家の孫娘が迷う程の金額なのだろうか。

「その薬って高いんですか?」

不思議に思って尋ねたところ、ここまで静かだったオリビアが例を口にする。

「アイン。どのぐらいかかるかと言うと、私たちの領の税収が何年分も必要になるんですよ」

……意味が分からない。

口を半開きにして表情を硬直させてしまった。

「な、なんて無茶苦茶なやり方だ……」

だが、これではっきりした。

使い道のないスキルだったが、この日のためにあったのかもしれない。

アインが手にしたスキルは【毒素分解EX】。

どんな毒だろうとも、どんな菌だろうともイチコロじゃ。神はこう口にしていたはずだ。

「根元から急激に毒を抜く、ね……」

すると、アインはスタークリスタルの作り方を口に出して確認する。

(俺にだって、やれることはあるんだって……信じたい)

次期当主の座を弟に奪われ、母のオリビアには悲しい思いをさせつづけてきた。

努力は人一倍つづけ、ローガスたちを見返すために必死になってきた。

だから、何か一つでも報われたくて、心の内が徐々に熱く滾たぎ ってくる。

(……気を失わないように気を付けよう。頭痛とかなら耐えられるし)

そうは言っても、力を使うことの弊害を思い出すと、やはり億おつ 劫くう になってしまう。

だが、今日ぐらいは頑張るべきだろう……と、アインは強く決心した。

「クローネ様。もしもスタークリスタルが手に入るとしたら、ほしいですか?」

アインは唐突に立ち上がると、自然な動きで柵に向けて足を進める。

「それは……はい。憧れなので、ほしい気持ちは勿もち 論ろん ありますけど……」

なら大丈夫かな……。

これからすることに対して、彼女の承諾をとったということにした。

貴重な花とのことだ。さすがに、無断で引っこ抜いてしまうのは気が引けた。

何をするつもりなのだろうかと、歩いていくアインを、二人はじっと見つめていた。
「今日のお礼です。その憧れ……俺が叶かな えてみせますから」

意図することなく、物語に出てくるようなセリフが口から漏れる。

つづけて、すぅっ…… と、大きく息を吸って気合を入れた。

「それはどういう意味……って、何をして──ッ!? 」

「アイン、駄目……ッ! 」

柵の内側に手を伸ばしたアインを見て、二人が慌てて立ち上がった。

その先にあるのは、見事な花を咲かせるブルーファイアローズ。

(ごめんね、急に引っこ抜くことになって)

内心で謝罪して、ブルーファイアローズの根元に手を触れた。

指先に力を込めれば、少し湿った土が指先に付着する。

あまり根が広がらない品種なのだろう、引っ張ると、あっさりと地面から抜けてしまう。

(これが……毒素分解ってやつか)

未体験の感覚に浸った。

かき氷を一気に搔か きこんだような爽そう 快かい 感かん に、まるで、強い炭酸を飲んだときのような刺激。

痛みはなく、苦しさもない。

体中にスーッと、ミントに似た清涼感が伝わる。

「駄目ッ! 急いで放してッ!」

「アイン、あなた……もしかして……」

慌てふためくクローネとは対照的に、オリビアは気が付いたようだ。

アインは二人の声を背に、とうとう、その感覚に身をゆだねた。

疑似的な血管のようにオーラが繫つな がり、茎を握る指先の感覚が研ぎ澄まされる。

すると、ストローのように、ぐいぐいと毒素を吸い取りだしたのだ。

(大丈夫。神様が言ったとおり──俺の力は毒相手なら最強だ)

おっかなびっくりな部分もあったが、今では何も怖くない。

一気に毒を分解しよう、だが、どうすればいいのかが分からない。

結局アインは、握った指先に意識を向け、ぎゅっと力を込めた。
──すると、その時だ。

ブルーファイアローズの花びらから、強く蒼あお い光が漏れ出した。

これこそが、待ちに待っていた結晶化のサイン。

光は眩まぶ しく、アインの後ろに立つ二人は、反射的に目を閉じてしまう。

(ちょ……光り過ぎじゃ……!? )

まさに生命の誕生のように輝かしく、その全すべ てが、宝石一つのための変化なのだ。

スタークリスタルという宝石の希少価値は、この光景そのものなのだろう。

「まさか、それって……ッ! 」

光がおさまってきたところで、両手を口に当て、クローネが驚く。

戸惑い、感激、多くの感情に苛さいな まれながらも、アインから視線はそらさなかった。

……それから間もなく、ピシ、ピシ……という音が響く。

「できた……かな」

その音を境に、苞から上が完全に分離し、手のひらには一つの宝石が鎮座する。

バラの形そのままで宝石になり、花びら一枚一枚が宇宙のように美しい。

「そんな……なんで……どうして……?」

「これが俺の力なんです。使い道は今までなかったんですが」

驚く彼女に対し、苦笑いを浮かべてそう言うと、アインは席に戻ってくる。

一方で、オリビアはただ笑顔でアインを迎えたのだが、アインは戸惑っている。

(あれ──でも、少しも辛つら くない? なんで……?)

オリビアの笑顔に対し、アインも屈託のない笑顔を返すのだが、以前感じた辛さが来ないことに、アインは強く動揺する。

……いったいどうしてだろうか? 何はともあれ、アインはクローネの前に進んだ。

「貴方の憧れを持ってきました。受け取ってくださいますか?」

すかした台詞せりふ だが、今日はパーティなのだ。

惚ほ れ惚ぼ れする美しさの宝石を渡すのなら、これぐらいで丁度いい。

「あの……えっと……その……」

両手をぎゅっと握りしめ、胸の前で祈るようにあわせるクローネ。

まばたきを繰り返すその様子は、戸惑い続けていることの証明で、年相応の、少女らしい仕草でアインをみた。

「クローネ様、受け取ってください」

少しばかり強めの口調でいうと、クローネはようやく、静かに手を伸ばす。

「──はい。お受け致します 」

クローネは両手を器のように形づくり、アインがスタークリスタルを載せた。

夜空いっぱいの星のように、小さな宇宙のように、彼女の手のひらで輝いている。

彼女は上気したように、薄く赤く染まった頰でそれを眺める。

「素敵でしたよ、アイン」

「……すみません。できそうだなって思ったら、居ても立っても居られなくて」

オリビアは静かにアインを撫な でる。彼女もアインがしたことを喜んでいるのだ。

「あ、クローネ様。お母様のためにも、一本頂いてもよろしいでしょうか?」

「え……えぇ……もちろん、構わないけど……」

スタークリスタルをじっと眺めているクローネから返事をもらい、アインはもう一度、ブルーファイアローズの元に足を進めたのだった。

「──どうぞ、俺からの気持ちです」

二度目は一度目よりあっさりだ。コツを摑つか んだのもそうだが、迷いがなかったのが大きい。

相変わらずの光は眩しかったが、それぐらいのことだった。

「ふふ、素敵な贈り物をありがとう」

と言って、オリビアが受け取る。彼女の笑みは、その宝石よりも美しく思えた。

[image file=Image00006.jpg]

「って、そうじゃなくて──どうして作れたのよッ!? 」

「あ、元に戻った」

気を取り直したクローネが、しがみつくようにアインの手を握った。

あまりに自然であったが、いつの間にか口調も変わる。

「ほ……放心するに決まってるじゃない! これ、ハイムには二つしかないのよ……?」

(二つしかないのか、すごいな、俺)

内心で自画自賛すると、ははは、と能天気に笑ってみせた。

なんでも、ハイムには国王の持つ短剣と、王妃が持つネックレスだけとのこと。

「アインのスキルなんて何度も耳にしてるけど……だからって、こんなの……!」

(あぁ、やっぱり。そりゃー有名になるよね)

伯爵家の長男が変なスキルを持っていても、それを隠すことは難しい。

クローネが知っていて当然なのだ。

「俺のスキルは、毒とか菌に対しては、本当に無敵な感じらしいので……」

なにせ神のお墨付きだ。これ以上の信頼はないだろう。

「聞いたことないわよ……そんなの……」

と言いつつも、クローネの頰は相変わらず紅あか く上気している。

彼女の頰が赤く染まってるのは、驚きゆえの興奮か、それ以外の感情の高ぶりだろうか。

それを察する術すべ はないが、彼女はスタークリスタルを胸元で抱き、少し落ち着いて尋ねてくる。

「……本当に、私にくれるの?」

今さら返せというつもりもない。

それに、彼女の花のような容姿には、その宝石が似合ってるように思えた。

「受け取っていただかないと、俺が困りますよ」

アインがそう言うと、彼女は胸の前でスタークリスタルを抱き、感情を嚙か みしめるように、目を閉じて頷うなず いたのだった。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、あっちにもお花があるの。行きましょう?」

「あ……ほんとですね」

非日常のような時間はあっさりと過ぎ去り、三人は庭園の散策を再開していた。

しかし、変わったこともいくつかある。

特に顕著だったのは、クローネとアインの距離が、物理的に狭まっていることだろう。

時折、クローネがアインの手を引いて歩いていたのだ。

「敬語。また使ったら怒るわよ?」

「……慣れてないんだから、しょうがないんだってば」

「それなら、慣れればいいだけの話じゃない」

「クローネ は大公家で、俺は伯爵家。分かってる?」

少しぐらい許してくれ、そういう態度でクローネに言った。

しばしば、ぎこちなさはあったが、二人は今日が初対面のような感覚はしなかった。

昔から知り合いだったかのような、そんな自然な態度をそれぞれみせるのだ。

「あら、大公家の者として命令すればいいのかしら?」

決して権力を笠かさ に着る態度ではなく、唇を笑わせ、目じりを下げて冗談として言った。

「では、どうぞ。クローネ様」

「もう……また敬語になるんだから」

じゃれつくようにやり取りを交わし、微笑を交換しあう。

「──アインがパーティに出られなくて……よかった」

クローネが小さく呟つぶや いたが、彼女はその失言に気が付き、唇をきつく結ぶ。

「あれ? 何か言った?」

「……えぇ。貴方といると楽しいって言ったのよ」

誤ご 魔ま 化か したが本心には違いない。アインは照れくさそうにそっぽを向く。

その仕草すら、クローネは、見ていて楽しく思えてならないのだ。

「あれ、パーティ会場は退屈だったの?」

「えぇ、当然よ。いつも同じことの繰り返しだもの」

彼女にとってのパーティとは、異性が押し寄せ、気に入らない機嫌取りが繰り返される。

苦労しているんだな。アインは苦笑する。

「ところで、アインはだいぶ大人びてるのね」

「大人びてる……?」

「だってそうでしょ? オリビア様に対しての気遣いも──そう思いませんか?」

そう言って、クローネがオリビアをみた。

「私のアインですもの。素敵なのは当然ですよ」

答えになってない答えを返したオリビアに、クローネがきょとんとした顔を返す。

しかし、彼女も今日の出会いでアインの人となりを知ったのだから、意味は伝わる。

「それにしても、アインは他の殿方とは違うのね」

「え、えっと……ありがとう?」

「もう……照れなくてもいいのに」

と言われても仕方がない。

面と向かって、彼女のような女性から褒められるのは刺激的だ。

「えーっと……スタークリスタルのことは、あまり気にしないでもいいよ?」

スタークリスタルのときの出来事が、彼女に強く作用しすぎてるのではないか。

アインはそう考え、クローネを諫めるように言った。だが、

「あのね、スタークリスタルを貰もら う前から、アインの事は好ましく思ってたけど?」

「……え?」

失礼ね、そう言わんばかりの態度だ。

「正直言って、最初は少し悔しかったわよ? 私が来たときに、誰だお前……って風に、私のことをみてたでしょ?」

出会った時の事を思い返し、くすっと笑いながら語る。

「だからなのかもしれないわ。この人は他の人と違うのかな? って思っていたら、オリビア様への気遣いとか、私のことも気遣ってくれた。話していてすごく気楽だったの」

そりゃ、そのほうが楽しいからね。

アインは内心でそう考えながら、つづきを聞いた。

「ローガス様たちの話を聞いても、気丈に振舞える強さですら、私は素敵に感じたの」

まぁ、それも気にしたってしょうがないからね。と、アインが照れくさそうに頷く。

彼女が言うには、こうした前提があるからこそ──徐々に好ましく思えたとのことだ。

「最後に、貴方は贈り物をくれたんじゃなくて、私の憧あこが れを叶かな えてくれたの。この二つには大きな隔たりがあるのよ?」

それはきっと、彼女にとって大切なことなのだろう。

憧れについてを強調して言うと、

「あと、憧れを持ってきたって言ってくれた時の貴方は……本当にカッコいいって思ったから」

とうとう彼女も、照れくさそうにはにかんだ 。

腰をくの字に折り、アインを見上げるように告げるのだ。

……クローネという令嬢は、まさに高たか 嶺ね の花はな といった感じの女性で、彼女がみせる可愛かわい らしい仕草は、アインの心を容易たやす く揺さぶる。

「あ……ありがとう」

しかし、返す言葉は短く簡潔だ。

さっきのような男らしさはみせられない。

「そういうところも、きっと、アインらしさなのかもしれないわね」

クローネは笑って言う。このしまらなさも心地よく感じたのだ。

だが、この楽しい時間にも、とうとう終わりがやってきてしまう。
「ご歓談の最さ 中なか 、申し訳ありません」

「……どうしたの?」

語り掛けてきたのは、屋敷に勤める給仕。

彼女はクローネに対し、申し訳なさそうに語り掛けた。

「大公様がお呼びです。そろそろ、パーティが終わる頃合いですので……」

一瞬で現実に戻されてしまったことに、クローネが大きくため息をつく。

「アイン、オリビア様。申し訳ありません……主催として、挨あい 拶さつ があるんです」

「そう仰おつしや らないでください。私とアインは、とても楽しい時間を過ごせましたから」

「お母様の言う通り。クローネ、今日は本当にありがとう」

オリビアにつづいてアインも言ったが、まだ、クローネと話し足りない。

彼女には彼女のやるべきことがある。分かっていたが、寂しさを感じた。

「……今度、私もそっちに行くから」

「そっちって……どっち?」

「もうっ! 港町の方に行くって言ってるの!」

察しの悪いアインにきつく言い、不ふ 貞て 腐くさ れたように目を細める。

「いいでしょ? 嫌なの?」

「嫌なわけないよ。歓迎するから、待ってるよ」

アインが大公邸に遊びに来るのは難しいが、彼女が来るなら話は別だ。

この返事に気を良くすると、最後にクローネは笑ってみせた。

「退屈なお稽けい 古こ とかがあるけれど、その日のために頑張るわね」

「……俺も、色々頑張ってみるよ」

今日のアインは、一つの意味を手にしたのだ。

作ったのは宝石だが、それでも、強い自信を得たのは間違いない。

弟のグリントに、多くの面で負けてしまったのはいい気分がしなかったが、彼女のおかげで、アインも頑張ろうという気持ちを抱いたのだ。

「じゃあ、約束しましょう?」

そう言って、クローネがアインの手を握る。

「次に会った日は、お互いもっと素敵になっているように……って」

「なるほどね。分かった、約束しよっか」

アインもクローネの手を握り、言葉を交わして約束を交わす。

数秒そのまま止まった後、クローネが満足気に距離を取った。

「オリビア様、今日は楽しい時間をありがとうございました」

また会える日を心からお待ちしております。彼女は最後にそう言った。

その後、三人は出会った場所まで向かい、そこで別れることとなる。

名残惜しさは募ったが、それ以上に、再会できる日への期待が勝ったのだった。
クローネとは、パーティ会場外にある受付で別れた。

それからの二人は、しばらくの間、ローガスたちが戻るのを待っていたのだが……。

(それにしても、帰りが遅い)

クローネと別れてから十数分が経た ち、ちらほらと、会場を後にする貴族の姿がみえる。

だが、一向にローガスたちの姿は見えなかったのだ。

「──そこの方、旦だん 那な 様……いえ、ラウンドハート伯爵を知らないかしら」

痺しび れを切らし、すれ違った給仕へとオリビアが尋ねた。

「これは、ラウンドハートご夫人。……その、ラウンドハート伯爵でしたら、すでに会場を出られているはずですが……」

「……どういうことかしら?」

アインが呆あつ 気け に取られているうちに、オリビアが冷たい声色で尋ねる。

「は、はい……。なんでも、ラウンドハート伯爵は、懇意にしている子爵様と、夜会の主催をするとのことで、早いうちに会場を出ていかれまして……」

それを聞いた彼女の表情は、決して悲し気なものではなかった。

言うなれば、冷たいというよりは、無機質という印象に近いだろうか。

まるで、ローガスに対して、すべての感情を失ったかのような印象を受けた。

「わかったわ。教えてくれてありがとう」

「とんでもございません。何かございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」

「……はぁ。仕事が一段落ついたのは、ちょうど良かったのかしらね」

失望。彼女の一挙一動からは、その一言だけがアインに伝わる。

手を軽やかに動かして、長い髪の毛を背中に流す。

そんな官能的で艶つや めいた仕草をみせた後、ふっきれたような表情でアインを見る。

「ねぇ、アイン。お父様のこと……好きですか?」

「……え?」

問いかけの意図が分からず困っていると、オリビアは膝ひざ を折り、アインと目線を近づける。

ふわっと香る、彼女の華やかな香りが、アインの鼻び 腔こう を惑わすようにくすぐった。

「それはつまり、俺の本心──みたいなものですか?」

「えぇ、そうですよ。どう? お父様のこと……離れたくないぐらい好きかしら?」

オリビアはきっと、自分のことだけを好きでいてほしいのかもしれない。

嫁いできた家でこんな扱いを受けて、悲しくて寂しくて堪たま らないのだろう。

「育ててくれたことに感謝してます。でも、お母様への態度とかは許す気になりません。ですから、あまり好きという気持ちは抱いてないですね」

だから言ってやった。そして、これを彼女に伝えた瞬間だ。

彼女はおもむろに指にはめていた指輪を抜き取り、それを手のひらに載せた。

すると、表情を一変させて笑顔をみせる。

「よかった。なら……私がしていた仕事について教えてあげますね。でも、ここじゃダメ。静かで美しくて、どこよりも素晴らしい祖国 でお話ししましょうか」

(祖国……?)

いったい何のことだろうか? 合点がいかずに首を傾かし げるが、彼女はそれ以上口にしない。

「だから、これももう必要ないから捨ててしまいましょう」

ポロ、ポロ……と、指輪が急激な勢いで錆さ びついた。

今のは魔法だろうか? 錆びついて崩れた指輪を眺め、アインが狼狽うろた える。

「お、お母様!?  指輪をどうして……!」

「もう全部必要ないからですよ。それに、もう我慢も限界なの、縁があることが気持ち悪いの」

疑問符が浮かぶ言葉がつづく。

さっきの、魔法のような展開も尋ねたいところだというのに、これでは混乱するばかりだ。

「アイン。後で一緒に、大きくて素敵なお船に乗りましょうね?」

「は、はい。楽しみにしていますね……」

なぜ船なんだ?

しかし、有無を言わさぬ空気を醸し出したオリビアに対し、アインは素直に頷うなず いた。

「さてと……『帰ります。急ぎで迎えを』」

彼女は唐突に身に付けていたピアスに語り掛けると、ピアスは二度三度点滅した。

何をしたのか? 指輪の件に加えて、船の件とピアスの件、どれも尋ねる機会を失してしまった。

「──さてと、そろそろ港町に戻りましょうか?」

「……そうですね、父上達もいませんし。今帰れば、日が変わる前には着けるでしょうか?」

「えぇ、ちょうど、日付が変わる前ぐらいには着くと思いますよ」

こうして、二人は屋敷を出て乗ってきた馬車に向かって歩いた。

それからというもの、特にローガス達の話はせず、ごく普通の日常生活に関する会話や、特筆すべき点のない会話を楽しみ、二人は港町ラウンドハートに向けての帰路につく。

アウグスト大公邸を出発してから数時間、真っ暗な街道を進み、日付が変わる少し前。

ようやく、馬車が生まれ故郷である港町ラウンドハートに到着した。

「ごめんなさい……慌ただしいことになっちゃって」

「そんなことありませんよ。お母様と一緒で楽しかったですから」

パーティには出られなかったが、クローネとの時間も楽しかった。

約束もしたことだ、明日からまた頑張ろう……と意気込んだところで、アインは気が付く。

「あれ、お母様? 降りないのですか?」

ラウンドハート邸に近づいた馬車だったが、一向に止まる気配がないのだ。

「ここでは降りませんよ。もう少しだから……ね?」

「……分かりました」

ラウンドハート邸の前をあっさりと通り過ぎた馬車は、港に向かって進みだす。

一体どうなっているんだろうか。合点がいかないアインの耳へと、徐々に喧けん 騒そう が届いてくる。

「どうしたんでしょうか。こんな時間だというのに、すごく騒がしいですね」

この時間帯にしては、町が賑にぎ やか過ぎるように思えた。

この町は夜が更ふ けようとも、酒場や出店は少なからずやっている──が、この騒ぎは少しおかしい。

『おい! なんだあれは……!』

『騎士団は……騎士団はまだなのか!』

『きゃあああ──ッ!  早く……誰かッ!』

男女問わず、なにやら不穏当な声が聞こえてきた。

祭り騒ぎなんて易しいものではなく、これでは何か事件にしか思えない。

「奥様。なにやら騒がしいようですが……進んでもよろしいので?」

御者が不審に思い、オリビアに尋ねたのだが、彼女は声に出さずに頷く。

(い……いいの? このまま進むの?)

相も変わらずアインは戸惑いつづけたのだが、隣に座るオリビアは上機嫌。

彼女が何かを知ってるのは明らかだが、それを尋ねることはせず、アインは静かに腰かける。

外の慌ただしさに気を向けたのだ。
──やがて、港が見えてくるであろうという時。

大通りを抜け、開けた地にでてくると、見慣れない大きな建造物が目に入る。

(なんだあれ……?)

アインが目にしたのは、巨大な煙突のような何かだ。

同時に、民衆の喧騒も最高潮に達する。

その最高潮の喧騒が最も聞こえる場所、大型船が停泊する港に着いたとき、目に映ったのは、それこそ予想もつかないほど大きな大きな、

「ッ──な、なにこれ……!? 」

大きさはどのぐらいだろうか。おそらく、200mは超えているような巨大な船だ。

白を基調とした美しい船で、大きさだけでなく、その芸術的価値も一目見て分かる。

いくつもの砲台のようなものや、主砲と思われる巨大な筒が搭載されていた。

「うんうん、着いていたみたいね。……さぁ、アイン。乗りましょうか」

「い、いやいやいや! 乗りましょうかって……お母様? この船って、いったい……!」

「御者さん? この手紙を、ラウンドハート家に届けてくださらない?」

彼女は答えず、いつの間にか用意していた手紙を取り出し、御者に手渡した。

「か、かか……畏かしこ まりました!」

「さぁ、アイン。行きましょうか」

その言葉を合図に、オリビアが馬車を降り、アインも倣って地に降り立つ。

すると、二人に気が付いた民衆が、押し寄せるように近づいてきたのだ。

「オリビア様ーッ!」

「ラウンドハートご夫人! この船はいったい……!」

普段なら、天使のような笑顔で受け答えをするオリビアが、今回ばかりは、返事をすることがなく、いつものような笑顔も向けようともしない。

民衆は一定の距離は保っているが、すぐにでも彼女の肩でも摑つか みそうな勢いだったが、

(誰か……降りてくる?)

オリビアの姿に気が付いてか、船から十数名の騎士が降りてきたのだ。

最後に、ひときわ身なりの良い騎士がタラップを歩き、港町に降り立った。

「ッ──お母様!」

「ううん、大丈夫ですよ」

警戒したアインの背中に手を当て、オリビアが宥なだ める。

知り合いなのか? アインの疑問はさらに深まったが、オリビアは気にせず前に進んだ。

一方のアインはというと、何があってもオリビアを守れるようにと、警戒を怠らない。

「……勇敢な騎士様、我々は敵ではありません。どうか安心してくださいませ」

騎士の中でも、一番身なりの良い騎士から声が聞こえた。

流れるような動きで膝をつき、鈴のような声を届けられたことで、騎士が女性だと判明する。

「味方?」

アインがそう口にすると、彼女は兜かぶと を取ってアインに微笑ほほえ む。

隠れていたのは白い肌に、美しい金糸のような髪の、オリビアと同年代ほどの美しい女性だ。

「はい、味方です。味方という表現では、私共の立場では失礼にあたりますが……。少なくとも、あなた方お二人に仇あだ なす者ではありません。──お初にお目にかかります、アイン様」

「あ、はい……。こ……こちらこそ、はじめまして」

あまりの出来事に、きちんとした返事ができない。

彼女の美び 貌ぼう に惚ほう けていた可能性も否定できないが、間の抜けた返事をしてしまった。

「久しぶりね、クリス」

慣れた友人に話しかけるかのように、オリビアが騎士に語り掛けた。

「はい。オリビア様とお会いできて、私も嬉うれ しく思います。ご連絡を受け、我々は大至急、この港町まで〈プリンセス・オリビア〉でやってきた次第でございます」

その言葉を聞き、アインの困惑は最高潮に達したのだった。

やがて二人はクリスという騎士に案内され、この巨大な船へと足を踏み入れる。

豪ごう 奢しや な内装を眺めながら、アインは心の中で考えた。

(俺が知っている、どの国でもない国の船……?)

ハイム王国は、大陸の中でも最南端に位置する国だ。

大陸の南半分のほとんどの土地を国有地としており、大陸で一番の大国。

また、国の広さに負けず、大陸の中では、軍事力も頭一つ二つ以上、他国より抜きんでている。

他にも国が存在しているが、名実ともに、ハイムこそが、大陸の王といっても過言ではなかった。
そして、ハイムの北にあるのが貿易都市バードランド。

バードランドは大陸の中央にあり、各国を渡る商人や、冒険者達によく利用されている。

そのため、大陸でも最も新しい物や種類に富んだ、数多くの品物を見ることができる。

一方で、バードランドは他の国々と違い、少し特殊な一面がある。

大陸中が戦争をしていた時代、終戦の調印を行った地域で、決して国家ではない。

発言権が強いのは商人で、彼らが冒険者と連携して都市運営をしている。

であるために、事実上の君主は商業ギルドといったところだ。

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つづいて、バードランドから東、ハイムから北東にあるのがロックダム共和国。

国家元首を、法に基づき選挙において決定する国で、選挙対象者は、爵位を持つ貴族となる。

面積は大陸の北、約半分ほどもあり、大陸ではハイムに次いで広大な領地を持つ。

軍事力に関しては、決して弱くはないが強くもないため、正直、特筆すべきことはない。

国の特色は、広い土地を使っての農業が盛んといえる。

最後に挙げられるのが、エウロ公国。

場所は大陸の左上の地域になる。ハイムからみて北西、バードランドから見て西の領域だ。

面積としてはロックダム共和国に若干劣り、大陸で三番目の面積だ。

騎馬に優れた軍を持つ国家で、騎乗での戦闘は、大陸でも他の追随を許さぬほどの手練れ。

兵数は少ないが、大将軍ローガスに、決闘にて土をつけたほどの猛も 者さ がいる国だ。
(──と、長々と勉強したことの復習をしたわけだが)

こんな巨大な船を保有している国はなかったはずだ。

船内の造りは、おぼろげに覚えている、前世にあった高級ホテルのよう。

皺しわ なく敷かれた柔らかな絨じゆう 毯たん に、品のある高級な調度品、加えて、香油のいい香りが漂う。

「お母様……なにがなにやら」

「大丈夫ですよ。もうすぐ私のお部屋に着くから……そしたら、お話ししますね?」

「……お待ちしてます」

指輪の騒動から始まって、プリンセスという言葉が聞こえ、船に乗り込んですでに海の上だ。

すでに、なにがなんだか分からないとかいう領域は超え、考えるのを諦あきら めてきている。

「そういえば、クリスにはどんな説明が必要になるのかしら?」

「全すべ てです。私が聞かずとも、帰国なさったときには、陛下が尋ねるかと」

「じゃあ、私もアインも疲れてるから後で話すわ。……お腹なか も空す いたし、何か食べようかしら」

オリビアは気の抜けた表情で語るが、アインからしてみれば、その顔つきは初見だ。

屋敷で見たことのないそれは、表現を変えれば、のびのびとしている──といったところか。

「はっ。では急いで運ばせましょう──貴方、給仕へと連絡を」

命じられた騎士は、きびきびとした動作で頭を下げ、この場を後にする。

そして、三人はやがて、目的地だったオリビアの部屋とやらに到着したのだが、

(え、なにこれ、でっか……)

そこには大きな扉があったのだ。高さは5m程度だろうか。

木目が綺き 麗れい な、意匠の凝った美しい扉で、高級感が一目で伝わる。

「さぁ、入りましょうか。アインのことも、早く休ませてあげたいもの」

「俺としては、お母様にも休憩を取っていただきたいのですが」

「まぁ……ふふ。それじゃ、一緒にお休みしましょうか」

「……アレ から、こうまでご立派なご子息ができるとは。陛下もお喜びになるでしょう」

ぼそっ、とクリスが呟つぶや いた。

「クリスさん? 今、何か言いました?」

「いえ、なんでもございません──それでは、中にどうぞ」

何やら不穏な言葉が聞こえたが、それを濁して中に案内される。

中に広がっている空間は、床が白い大理石のような素材で造られ、その上には、分厚くて柔らかく、そして美しい模様に織られた、真ま っ赤か な絨毯が敷かれていた。

壁には絵画が飾られ、高い天井にはこれまた大きなシャンデリアが目を引いた。

「アイン、こっちにいらっしゃい」

オリビアがアインを招いたのは、部屋の中央近くに置かれた大きく豪華な白いソファ。

二人が腰かけ、数呼吸落ち着いたところで、給仕が飲み物を運んでくる。

「何を持ってきてくれたのかしら?」

「はい。こちらは、搾りたてのリプルのお飲み物でございます」

こう答えて給仕が注ぎだしたのは、橙だいだい 色いろ の飲み物で、リンゴのような香りに生なま 唾つば を飲み込む。

なるほど。リプルというのか。考えていると、給仕がグラスをアインの手前に置いた。

「アインも疲れたでしょう? さぁ、いただきましょうね」

そして、アインはグラスを手に取った。

うん。味もまさにリンゴだ。ただし、甘くて濃厚な味は、部屋と同じく気品を感じさせた。

──さて、美味を楽しんだところで、本題に戻りたい。

オリビアはアインの視線に気が付き、ゆっくりと、隠していた事実を語りだした。
◇ ◇ ◇
ところ変わって、アウグスト大公邸。

「お……お待たせしました、父上!」

息を切らして部屋に入ってきたのは、大公──グラーフ・アウグストの一人息子のハーレイだ。

今日はハーレイの二人目の子にして、待望の長男、リールのお披露目だった。

「遅いですよ。お父様」

「パーティの仕事が残っていたんだよ。って、クローネ、もう寝ないと駄目だろう?」

しかし、彼女はツンとした振る舞いで言葉を流したので、ハーレイはあきらめた。

そして、様子が落ち着いたのをみて、グラーフが口を開く。

「では、少し順序立てて話すこととしよう」

ハーレイが、グラーフの言葉に居住まいを正した。

語るのはオリビアとアインに何があったのかということに、ローガスたちの言動。

聞けばなんともアインが不ふ 憫びん に思え、ハーレイは苦々しい面持ちを浮かべた。

話が一段落したところで、グラーフが咳せき 払ばら いをした。

「そしてこれから語ることが本題となる。他言無用だ、よいな?」

すると、静かにしていたクローネも、飲んでいた紅茶のカップをテーブルに置く。

「──本題とやらは、オリビア殿の出自に関わる」

「出自ですか? 聞いていた話では、バードランドの大商人の令嬢とのことですが」

「それは正しくない。事はそう簡単ではない。オリビア殿のお子が、ラウンドハート家の次期当主として、名を広めても問題ないと思われる時期まで、本当のことを公表しないと決定していたのだ」

いったい何を言ってるんだ。そんな表情で、二人がグラーフをみつめる。

本当のことを隠して、大商人の令嬢とする必要があるのだろうか。理由が分からなかった。

「私がアインの下に行くのに、面倒な話となってしまうのですか?」

「クローネ? 何を言ってるんだ?」

「ハーレイ。そのことはあとで説明してやる。そして……そうだな、クローネ」

ようやく少し柔らかな表情になったグラーフを見て、クローネが安あん 堵ど したのも束つか の間ま 。

「だが……少しばかり、格が足りなくなってしまうやもしれん」

しかし、彼の言葉は重かった。なぜだろうか、そこには厳しさが込められている。

「港町ラウンドハート。そこより海を渡って二日の大陸、その国を知っているな?」
アウグスト大公が語る大陸。

ハイム王国などがあるこの大陸ではなく、海の向こうの大陸。

その地の名をイシュタル──大陸イシュタルと言う。

「勿もち 論ろん です。大陸にあるただ一つの国、統一国家イシュタリカ……超大国です」

「うむ。ハーレイは留学した過去があるのだから、その強大さは理解しているだろう」

「忘れるはずもありません。我々が逆立ちしても勝てない国ですから」

文化や技術力、そして、ハイムとは比べ物にならない戦力があるのだ。

一般市民の生活を比べても、その差は大きく、まるで別世界のような国に思える。

また、大陸イシュタルは大きく、ハイムがある大陸と比べて数倍の規模がある。

「イシュタリカには、異人種と呼ばれる、エルフや獣人が多く住んでいるのですよね?」

「おぉ、クローネはよく勉強しているようだな。その通り、多くの民族が住んでいる国だ」

「父上。それで、どうしてイシュタリカが出てきたのでしょうか?」

……次の瞬間、ハーレイとクローネは驚かされた。

グラーフの表情が硬くなり、ぶわっと、額に大粒の汗を浮かべ出したからだ。

すると、彼は、吐息のように弱々しい声で語りだすのだ。
「統一国家イシュタリカ。現国王、シルヴァード・フォン・イシュタリカ」

クローネは、グラーフが何を言ってるか、まだ理解が追い付いていない。

しかし、ハーレイは理解した。いや、理解し始めてしまった。

「その第三子にして、二女」

同時に、ハーレイも額に汗を浮かべ、少しずつ……少しずつ息が荒くなる。

グラーフは俯うつむ き気味に、重苦しい面持ちでつづきを語る。
「──第二王女、オリビア・フォン・イシュタリカ。これこそが、オリビア様の真の名だ」
あぁ、さっきの言葉は、自分の格が足りなくなるという意味だったのか。

クローネはついに理解した。立場が低いのは、自分の方だったのだと。

「オリビア様が……王女……? それなら、アインは……」

隠されていた真実を耳にして、クローネは狼狽うろた えるように言葉を漏らす。

オリビアが王女であったならば、その息子のアインも、イシュタリカと言う大国の王族だ。

クローネは気持ちの整理が付かず、縋すが るように、スタークリスタルを力のない瞳ひとみ で眺めた。
一晩で王太子になれた理由

ハイムを出てからすでに数時間が経過したが、船の速度は尋常じゃなかった。

船で二、三日はかかるという道のりを、プリンセス・オリビアは数時間で進んだのだ。

今では、ガタンゴトン……ガタンゴトン……と、線路を進むかのような、そんな音が鳴る何かに乗り換え、イシュタリカの王都を目指しているのだ。

(──なんというか、文明格差が大きすぎる。どうしてわざわざ……)

不思議に思うのは、オリビアがなぜ、わざわざ大国からハイムに嫁いできたのかだ。

「その──お母さッ──」

意を決して尋ねようとすると、すぐそばに座るクリスが口を開く。

「あれ、オリビア様。そのスタークリスタルは、ラウンドハートでいただいたのですか?」

「いいえ、違うけど……どうして?」

手て 持も ち無ぶ 沙さ 汰た だったのだろうか。

アインから貰もら ったスタークリスタルを、オリビアは手のひらに置いて眺めていた。

「指輪を捨て去ってきたというのに、スタークリスタルがあるのが不思議に思えたので……」

「あぁ、それはね──」

アウグスト邸でアインに貰ったと言ったオリビア。

すると、ほどなくして、クリスは驚いた表情でアインをみた。

「驚きました……まさか、そのお歳とし で求婚をなさるとは」

「は、え? 求婚?」

何を言ってるんだ彼女は。アインは戸惑う。

「スタークリスタルを渡すことは、求婚を意味します。古くからの言い伝えのようなもので、稀まれ に王族が渡すぐらいですが……」

そういえば、と。アインが思い出す。

『──はい。お受け致します 』

考えてみれば、お受け致しますというクローネの返事はどこかおかしい。

そういう意味だったのか……。つい、頭を抱えた。

「ですが、アイン様がお渡ししたのなら納得です」

オリビアが大切そうに持っていた理由を理解し、やがて深く頷うなず いた。

また、彼女についても、アインはこの道中で紹介を受けた。

──彼女の名は、クリスティーナ・ヴェルンシュタイン。

元々は、オリビアの専属騎士を務めていたそうで、今は近この 衛え 騎士団の副団長。

彼女はただ美しいというだけでなく、才さい 媛えん だったというわけだ。

「……あ、そういえば。今乗ってる乗り物はなんていうんですか?」

乗り換える時には、船の中と同じような道を通ってきたのだ。

しっかりと絨じゆう 毯たん が敷かれている豪華な道を通り、同じく豪華な部屋に着いたから、正直、どんな乗り物に移ったのかが分からない。

外からは、線路を進むような音が聞こえてくるが、乗り物の正体が気になっていた。

「これは失礼いたしました。今乗っているのは、水列車という乗り物でして、原理を簡単に説明すると……魔石を用いて、水槽の水に熱を伝えるのですが──」

(あぁ、なるほど。蒸気機関か)

アインが知る蒸気機関は石炭を使うが、それと比べ、黒い煙も発生しなそうだ。

「蒸気を発生させて、それで動かすんですか?」

「ッ……驚きました。まさか、仕組みをご存知だったとは」

「いえ、たまたまそういった本を読んでいただけですから……」

発生した蒸気の勢いを利用するのは知ってるが、それ以上は分からない。

アインは本をよく読むのだから、こう言えば、そうおかしな話じゃないはずだ。

「いい事です。そういった勉学も欠かさないのですね」

「いやいやいや……! ほ、本当にたまたまですからね!」

「ね、クリス。アインは本当にいい子でしょう?」

誤解で強く褒められそうになったことで、アインは慌てて口にした。

しかし、オリビアに抱き寄せられ、アインはあっさりと心変わりする。

……たまには、知ったかぶりもいい仕事をするもんだ。と。

「ところで、送ってくださったメッセージバードは、王家付きの執事室に届いたのですが……」

クリスが言った、メッセージバードとはなんだろう。

疑問符を浮かべていると、気が付いたオリビアがアインに語る。

「メッセージバードっていうのは魔道具なの。どういうのかというと──」

高級な一方通行の魔道具で、遠くに声を届けられる使い捨ての魔道具とのこと。

大公邸でピアスに語り掛けたのは、あれが魔道具で、イシュタリカに連絡していたかららしい。

「今回の場合、王族であるオリビア様のご連絡ということで、王家専用水列車や、プリンセス・オリビアの利用権限は、オリビア様が認可されたものとして処理されております」

アインとオリビアは静かに耳を傾ける。

「ですので、まだ陛下たちには今回の件を伝えておりません。理由は察していただければと……」

言うのが憚はばか られるのか、クリスが口ごもるが、オリビアが助け舟を出す。

「お父様が怒り狂ってしまうものね。なら、私が緘かん 口こう 令れい を敷いていたってことにしましょう」

「感謝致します。オリビア様の言葉であれば、執事室の者が罰せられることもありませんから」

第二王女の命令だった。こうすれば、使用人も無下にはできない。

オリビアの父である国王も、使用人を罰することはないだろう。

「あら? それって、私は連絡もなしに、急に帰宅した娘……ということになるのかしら」

すると、答えづらそうに、苦笑いでクリスが頷く。

「うーん……なら、お城でアインと休憩したら、すぐにお父様のところに行かなくちゃ」

「私の立場から申し上げるならば、一番に面会していただきたいのですが……」

「ダメよ。アインだって長旅で疲れてるんだから」

ここまで自由に振舞い、考えたことを自由に語る姿は、アインも初めて目にする姿だ。

心なしか、口調にも違いがあるように思える。

(まぁ、こういうお母様もいいよね)

……だが、国王が少し不憫に感じ、アインは口を開く。

「クリスさん。この水列車が王都に着くのは、何時ごろになりますか?」

「そうですね……予定では、朝の十一時頃となりますが」

水列車を降りてからは馬車に乗り換えて、二十分程度で城に到着だ。

ならば、早くて朝の十一時半には城にたどり着ける。

「アイン? お城に着いたら一緒にお風ふ 呂ろ に入りましょうね」

「あ、はい……では」

確かに、国王に会うのに、風呂にも入らないのは問題だろう。

「昼過ぎに食事をして、少し休んだ午後三時頃に面会──というのはどうでしょう」

「本当にそれだけで平気? いいんですよ、二、三日休んでからでも」

それは待たせすぎだ……そこまで放置したら、襲撃でもされてしまいそうで怖い。

「大丈夫ですよ。お母様の子として、早めに挨あい 拶さつ したいですし」

凛りん とした態度で語ると、オリビアも渋々ながら頷いてみせる。

それどころか、アインの今の態度に喜んでいる節すら見え隠れしていた。

「あ、クリスさん。俺の部屋は用意していただけるのでしょうか?」

「何をおっしゃいますか。もちろんアイン様のお部屋は──」

「とりあえず、しばらくは私と一緒の部屋にしましょうね?」

ふむ。最良の結果に落ち着いたようでなによりだ。
◇ ◇ ◇
それからしばらくの時間が経た ち、アインが乗った水列車が王都に到着した。

駅はホワイトローズといい、圧倒的な規模を誇る王都最大級の駅だ。

(水列車への乗り場……いくつあるんだろう)

王家専用水列車は、他の列車とは別の、一階分ほど高い場所に停車した。

階下に広がる、およそ十カ所ほどの乗降場。だが、これだけでは終わらない。

王家専用水列車が止まったのは、五階部分となるのだが、下四階分はすべてが乗降場だった。

クリス曰いわ く、ここからは特別な通路を通って、駅を出てから馬車に乗るという。

「すっごい人混みですね」

通路に向かうため、三人以外は誰だれ も居ない乗降場を歩いて進む。

「ホワイトローズは常に混み合っておりまして、今は空す いている方なんですよ」

これで空いてるの? 開いた口が塞ふさ がらなかった。

首都圏の通勤ラッシュに似た人混みは、この世界では想像しなかった光景だ。

「それにしても、凄すご い見られてますね」

気が付いたのは、多くの乗客たちからの視線だ。

だが、王族が使う水列車が止まったのだから、こればかりはしょうがない。

(ん? ……そうか。あの人たちが、異人って呼ばれる人種なのかな)

駅の利用者を少し見てみると、ハイムでは見たことがない人種が歩いているのだ。

例えば獣のような容姿をした者や、肌が灰色の人間など。

多種多様な人種が歩いており、これだけでも、別の国にやってきたという実感に浸れる。

「アイン様、異人種が気になりますか?」

興味津々に見つめるアインの目に気が付いたのか、クリスが声をかけてくる。

すると、クリスがアインの驚くことを、随分とあっさり口にするのだ。

「お二人のような種族は、イシュタリカでも個体数が多くありません。ですので、同じ種族と会えることは少ないかもしれませんね……」

……は? ちょっと待ってほしい。と、アインは立ち止まる。

どういう意味だろう。自分たちは人間じゃない? 不思議そうにクリスに顔を向ける。

「ク……クリスさん……? それはいったいどういう意味でしょうか……」

「は、はい? お待ちください、オリビア様から聞いていらっしゃらないのですか?」

「聞くも何も……何が何だか……」

察しがつかず、とうとう縋すが るような瞳でオリビアを見るのだ。

「私は先祖返りのドライアドなの。だから、アインも同じドライアドなのよ」

(……え?)

ドライアドといえば、木々の精霊や妖よう 精せい のように扱われる、あのドライアドだろうか。

しかし、身体からだ には木々のような特徴はなく、アインは惚ほう けたように耳を傾ける。

「アインも大きくなったら、根っこだって出せると思いますよ?」

「根っこを出せる……? え……?」

一方で、すぐ隣ではクリスが呆あき れて物も言えない様子。

どうして内緒にしてきたのだ。そう言いたそうな瞳をしていた。

「あー! クリスったら、私に何か言いたそうね」

「……えぇ、それはもう」

「でも、隠さないと、イシュタリカの人間ってバレるかもしれないじゃない」

そういえばそうだった。

アインから漏れないとも限らない。彼女は、万全を期すために隠していたのだろう。

「理にかなっていますね。確かに、オリビア様の言う通りでした」

「そうでしょ? 私だって、アインに黙っているのは気が重かったんだから」

しかし、人間じゃなかったと言われても、アインは意外と動じていない。

想像以上に、心が落ち着いている節があった。

(ま、まぁ……うん。お母様と同じ種族なら、いいよね……?)

衝撃はあったが、疎外感はない。

種族に関して詳しい説明がほしいが、今は上う 手ま く整理できる気がしなかった。
すると、オリビアが思い出したようにクリスに尋ねる。

「あ、そういえば、一つ聞きたいことがあったの。私がハイムに行ってた理由について、どう説明をしていたのかしら?」

「国のためにハイムに嫁いだ、と説明してあります。また、海を渡れる者には口止めや監視を」

ずいぶんと抽象的な理由だが、陰謀じみた話なのは今更なのだ。

しかし、監視や口止めと聞いて、どんなものだったのかと、アインが興味を抱いた。

「ラウンドハート領の人間がイシュタリカに来ることや、イシュタリカから、ラウンドハート領に人が行くことによる、情報の漏ろう 洩えい ──これに関しては、力技でどうにか致しました」

(……力技ならしょうがないよね、うん)

「──とはいえ、そう強引な手段ではありません」

クリス曰く、元から、ハイムとイシュタリカの交易などは皆無だったという。

なぜなら、渡航などにかかる費用が一番の問題で、採算がとれないからだ。

海には力の強い魔物も多く存在し、護衛費も馬鹿にならないらしく、商人も寄り付かない。

加えて、長距離の航海に耐える船を用意する必要がある。

「陸を離れると、漁師では対処しきれない魔物が跋ばつ 扈こ しますので、耐久力のある船と、護衛の冒険者を雇う莫ばく 大だい な費用が必要となります。このせいで、海を渡ろうと思う貴族は稀なんですよ」

「え、稀ということは、ハイムにもそんな貴族が居たんですか?」

そんな猛も 者さ がハイムにいたとは思えないが、アインは尋ねる。

「近年では、アウグスト大公家のご子息です。監視はつけましたが」

アインは呆あつ 気け にとられながらも納得した。やはり、あの家は別格のようだ。

それなら、イシュタリカでクローネと再会できるかもしれない……という期待を抱ける。

「イシュタリカからも四件の申請がありましたが、すべて不許可となりました」

力技使ってるじゃねえか、アインが内心でツッコミを入れる。

「断ったものが一件に、手をまわして縁談をさせて一件。残り二件については、陛下主導で公共事業を行い、それを任せたのでお流れになりました」

力技しか使ってないじゃないか。むしろ、軽く嫌がらせにすら思える。

だが、徹底して秘密を守っていたという事実は理解できた。

「海を渡れる冒険者は少ないので、彼らには税の優遇で約束を取り付けました」

(有力な冒険者達なら儲もう けもすごそうだしね……)

冒険者にとっては十分な取引といったところか。

差し当たって、どうやって口止めしてたのかは理解できた。

やがて、ホワイトローズを出た馬車が城に到着し、クリスが降りて門番の元に向かった。

窓の外を見れば、端が見えないほど大きく、空高くそびえたつ幻想的な城に圧倒される。

アインが見み 惚と れているところに、クリスの声が届く。

「近この 衛え 騎士団副団長、クリスティーナ・ヴェルンシュタイン。入城する」

通りのいい彼女の声に感嘆していると、楽しそうにオリビアが話しかけた。

「凛り 々り しいように見えるけど、あの子ったら、少しポンコツなんですよ?」

ポンコツ? 仕事できますオーラだしてる綺き 麗れい なお姉さんが? 半信半疑だ。

「それでは、オリビア様。そして、アイン様。足元にお気をつけてお降りくださ──」

と、彼女が手を差し出したその時だ。

彼女のつま先が地面を掠かす め、片足がバランスを崩して身体が揺れる。

「……さぁどうぞ、アイン様」

雅みやび やかな笑みを向けられたのだが、今のつまずいたのはどうするべきだろう?

「クリスさん、足……大丈夫ですか?」

「いえいえ、私は疲れておりません ので、どうかご安心ください」

「あ──そうですか。分かりました」

なるほど、隠れているが確かにポンコツのきらいがある。

誤ご 魔ま 化か した彼女に手を引かれて馬車を降りると、城の全景にアインは驚かされる。

「ッ──うわぁ……すごい」

至る所に模様のように造られた水路に、美しく生えそろった芝生。

白い石材が主となり、その美しい景け 色しき が、長く広く続いている。

城の内部に続く道。馬車から降りて目にしたのは、そんな現実離れした光景だ。

「キレイでしょう? これからは毎日見られますから、先にお部屋に行きましょうね」

オリビアはもう早く部屋に行きたいのだろう。

そっとアインの手を取り、クリスより先に歩き出した。

「では、護衛をつづけますね」

「……もう。お城の中なら安全でしょ? 昔から言ってたのに」

「こちらこそ、昔から言い聞かせて参りました。万が一があってからでは遅い、と」

諫めるように語りながらも、クリスの表情は柔らかい。

「はいはい、覚えてます。……じゃあ一緒に行きましょう」
さて、三人が我が物顔で城の中を歩けば、当然のようにオリビアがいることに驚かれる。

もう何度目か分からないそれを見たところで、クリスが苦笑して口を開いた。

「実は城の中でも、オリビア様が嫁いだ理由を知る者は数人ですので……」

イシュタリカほどの大国で、その情報を知る人物はごく僅わず か。

アインが抱く疑問は、深まるばかりだ。

「夕方、お父様と会う時にでもお話ししますね。もう少しだけ待っていてね?」

「分かりました。お話ししていただけるのであれば、このまま待ってますね」

「……もう、アインは本当にいい子なんだから」

相変わらず彼女はアインに甘く、もはや愛情しか籠こも っていない表情を向ける。

「オリビア様? アイン様に根付くなんて言わないでくださいね?」

「──さ、アイン。行きましょうね」

根付く? ドライアド独特の表現か何かだろうか。

ひっつきたいという意味にアインはとらえたが、当然のように大歓迎だ。

「ちょ……オリビア様! 無視はしないでくださいってば!」

何か、気になったのか、返事を返さないオリビアに問い詰めるクリス。

「あ、そこの貴方? マーサに伝えてちょうだい。私がアインを連れて帰ったって」

しかしオリビアは、ただ笑顔を浮かべたまま、すれ違った騎士に対して語り掛ける。

「は……はっ! 承知致しました……!」

すれ違った騎士は、相変わらずオリビアをみて驚いたが、彼女は意に介することなく命令する。

騎士の心境はきっと穏やかじゃない。アインは一目見てそれが分かった。

「お母様、マーサという方はどなたでしょうか?」

「私が幼い頃ころ から面倒を見てくれた給仕なの。たまに怖いけど、良い人なのよ」

なるほどね、肝っ玉母さんみたいな人なのかな?

マーサという女性像を想像し、アインは勝手に納得する。

「そういえば、見事にお母様の家族に会いませんね」

「うーん……何かしているんだと思いますよ。ね、クリス?」

「陛下は通常の執務に、王妃殿下は近くの町に視察へ。また、カティマ様──第一王女殿下は、今日も地下の研究室ではないかと」

カティマと言う女性は、アインの伯母にあたるはず。

だが、王女が研究室? 戸惑っていたアインを見て、クリスが何かを考えついたように言う。

「ところで、アイン様。不ぶ 躾しつけ ではありますが、お腹なか は空す いていらっしゃいますか?」

心なしか、彼女の表情は疲れているように見える。

唐突に食事の話をされたアインだが。言われてみれば、確かに腹が空いていた。

「あ、えっと……水列車に乗り換えてからは、何も食べてないので、少しだけ……」

空腹を指摘されたからか、頰を薄く赤らめて、恥ずかしそうな表情を浮かべる。

「ア、アイン様っ! そのような顔をなさらないでください! しばらく口に入れる物も多くありませんでしたから……勘違いさせてしまい、申し訳ありません」

「大丈夫ですよ。アインのそんな顔も可愛かわい いから」

その後、アインはオリビアと共に城の大浴場を満喫する。

意味が分からない広さと豪華さの湯船に浸つ かり、その心地よさに酔いしれた。
◇ ◇ ◇
入浴を楽しんだ後は、食事のためにオリビアの部屋に足を運ぶ。

クリスを伴った二人が部屋に到着すると、

「──急な離縁とはどういうことでしょうか、オリビア様」

プリンセス・オリビアのように豪華な部屋に、笑顔で彼女は立っていた。

身長は140㎝ほどで、顔も幼く目がくりくりっとして可愛かわい らしい。

「マーサッ! 来てくれたのねッ!」

すると、オリビアはその女性に近寄って抱き着いた。

(え? この人がマーサさん……?)

一方のマーサと呼ばれた女性も、しょうがないなと言わんばかりに、オリビアの背をさする。

「あの、アイン様。マーサ殿は立派な成人で──既婚者です」

ぼそっと、クリスがアインに耳打ちをする。

「べ、別に……変なことは考えてませんでしたからね?」

バレてしまったことが無性に悔しくて、アインが咄とつ 嗟さ に強がって見せる。だが、

「ちなみに、どういう方だと思ってましたか?」

「肝っ玉が据わっていそうな、身体からだ の大きな女性でしたけど──はッ!? 」

ハメられたと実感し、苦笑するクリスと目が合った。

「はい……変なこと、考えてましたね」

クリスなりに、アインという男の子のことが分かってきたのだ。

彼女が優しく微笑ほほえ んで、そっとアインの後ろに移動したところで、マーサが口を開いた。

「えぇ、やっと来ることができました。食事だけでなく、アイン様のお召し物の支度もありましたので、本当に本当にようやくです」

「あ、あら? マーサったら、怒ってるのかしら?」

「どちらかと言うと、呆れております。まぁ、帰国早々、小言ばかりでは疲れるでしょうから……」

中央に置かれたソファとテーブル、そのテーブルには、多くの料理が並べられていた。

「お疲れでしょうから、まずはお召し上がりくださいませ」

「……すごく美お 味い しそう。マーサの料理は久しぶりだわ」

ここにきて、オリビアも肩の荷が下りたのか、目にうっすらと涙を浮かべる。

すると、マーサがアインに向けて口を開いた。

「私はマーサと申します。一等給仕であり、オリビア様の専属給仕を務めております。アイン様の事は、オリビア様からのお手紙で存じ上げておりました」

「はじめまして、俺はアインです。家名はもうないようなものですので、ただのアインです」

ラウンドハートとは名乗らず、ただのアインと言った。

それを聞き、マーサは何とも言えない、複雑そうな面持ちでアインを見る。

「……我々給仕は、アイン様を歓迎いたします。さぁ、温かいうちにどうぞ」

きっと、慰めるような気遣いだったのだろう。

些さ 細さい な言葉ではあったが、アインは心温まるような優しさに感謝した。

「ところで、オリビア様。離縁の原因をお聞かせ願えますか?」

居住まいを正してマーサが言うのだが、

「──ねぇ、アイン。こっちにいらっしゃい?」

ソファまで進んだところで、オリビアがアインを膝ひざ の上に呼んだ。

もちろん、アインは喜んでそこに座り込む。

「アイン様を使って逃げるのもどうかと思いますが」

と、クリスはオリビアへの攻め手を緩めない。だが、

「クリスが冷たいの。アイン……ひどいと思わない?」

「えぇ。ひどいですね」

クリスの瞳ひとみ が色を失い、アインをうわぁ……といった感じの瞳でみつめる。

マーサも、アインが不ふ 憫びん だといわんばかりの瞳を向け、オリビアに語り掛けた。

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「オリビア様の教育は素晴らしいようですね──わかりました。陛下に話した後で構わないので、私にも教えていただけますね?」

「えぇ。勿もち 論ろん よ、クリスにも理由は話してないから、二人にちゃんと教えるわね」

オリビアの態度が少し変わって、やや真ま 面じ 目め な表情、声色となってこれを伝えた。

その意思を尊重してか、二人が引き下がる。

それから、アインは城の美食を味わったのだが、想像以上に疲れが溜た まっていたのか、食べ終わってからすぐに、オリビアと共に休憩をとったのだった。

水列車の中でクリスに伝えた通り、二人は三時頃に目を覚ますと、マーサとクリスの二人に案内され、国王が居る部屋に向けて足を進める。

「城の者たちには、見なかったことにしなさい、と私から言いつけてあります。ですので、陛下はオリビア様が城に戻ったこともご存知ないはずです」

「あら? どうしてそんな命令を?」

「決まっております。陛下が色々とお考えになる時間を手になさらないようにです」

つまり、唐突に『ただいま』と言いに行くほうが、問題にならないだろうと踏んだのだ。

一等給仕であり、第二王女オリビアの専属給仕の彼女だからこそ、できる命令だと言えよう。

「陛下のためでもありますからね、長時間やきもきさせてはお身体に障ります」

マーサはそう答えると、巨大な扉の部屋の前で立ち止まった。

「ここは会議室ね。お仕事中なのに、少し気が退ひ けるわ」

「急な帰国をしたのですから、そうした気遣いは無用ではないかと」

キレのいい返事をしたマーサに、オリビアがむくれたように彼女を見る。

「もう、わかってるわよ。でも、色々理由があるんだから」

「その理由とやらを、私にも後で教えてくださいね」

すると、マーサが扉を何度かノックした。

中からは声が返ってこないが、オリビアは気にすることなく前に進む。

「私はこちらで控えておりますので、何かあればお呼びください」

「ありがとう。それじゃ、行ってくるわね」

ここでマーサと別れ、アイン、オリビア、クリスの三人で会議室に足を踏み入れる。
「ただいま戻りました、お父様」

一番奥にある豪華な椅子。オリビアの目線の先にあるそこに、堂々たる姿で腰かける男が居た。

身長は190㎝ほどもあり、筋肉質な男で、銀髪に同じ色のヒゲが雄々しい。

オリビアはいつも通りの声色でただいまと言い、ゆったりと足を進める。

「……すまぬが、ロイド」

アインは少しばかり王に同情した。

王としても、何一つ、このことについて想定できなかったはずなのだ。

彼は口を開き、隣に腰かける甲かつ 冑ちゆう を着た大男に声を掛けると、

「余を殴ってくれぬか」

「承知致しました──ぬぉぉおおお!」

その瞬間、アインが呆あつ 気け にとられる。

頰を抓つね ってほしい。というのなら分かるが、まさか殴ってくれと口にするとは思いもしなかった。

ロイドと呼ばれた甲冑の男は、力を込めて王を殴ったのだった。

「お父様ったら、急にどうしたのかしら?」

「ですから、急にいらっしゃると陛下も混乱すると……」

「クリス……。でも、事前に一言いれるとしても、結局は突然でしょ?」

確かにその通りだが、再会に対しての心構えはできたのではないだろうか?

「皆のもの、陛下は体調が優れないようだ。此度の議は延期、そして、この部屋で見たことに関しての一切の口外を禁ずる」

ロイドは落ち着いた一言を口にしたが、まるで言霊のように、アインの心を強く揺さぶった。

先ほどの冗談のようなやりとりから一変し、得も言われぬ迫力に満み ち溢あふ れている。

貴族たちは訳も分からぬまま会議室をあとにし、そうなったところで国王が顔を上げる。

「正直に言うと、余は混乱しておる。嫁に行ったはずの娘がどうしてここにいるのだ? 余は何一つ報告を受けていない。ロイド、お主はどうだ」

「こちらも同様ですな。騎士団には連絡が来ておりませんが、クリス殿は知っていたようで」

答えながらも、ロイドは鋭い眼光をクリスに向けた。

訳知り顔で立つ彼女を、詰問するかのようにじろっと見るのだ。

「はっ。私は昨晩より、オリビア様の命により護衛の任務についておりました。そのため、状況については理解しております」

ギラつく目線で見つめられたクリスは、動揺することなくロイドと王へ答えた。

「なるほど……第二王女の命であったのなら、すべては不問としよう」

クリスとの約束通り、オリビアは城の給仕や執事、騎士をかばう。

不問とするといった王は、大きなため息を漏らし、頰ほお 杖づえ をついた。

「ところで、どうして帰国したのだ? そして、そこにいる子はもしや……」

答えても平気でしょうか? そんな気持ちで、アインはオリビアに目配せをする。

オリビアが小さく頷うなず いたことで、アインが一歩前に進み口を開く。

「──お初にお目にかかります。俺……私はアイン。以前 の家名は、ラウンドハートです」

ラウンドハートと名乗れば、彼もアインが何者かを理解するはずだ。

「ふむ……では……お主がオリビアの……我が孫の……」

王は長いヒゲを弄もてあそ び、目線を床に向けて遊ばせる。

威厳に満ちた容よう 貌ぼう の彼も、唐突に孫がやってきたことに、驚きを隠せないようだった。

少しの間を置いてから、穏やかに目じりを下げ、口元を少しばかり緩ませてから語りだす。

「余はイシュタリカ国王、シルヴァード・フォン・イシュタリカであり……お主の祖父だ」

ひしひしと伝わる迫力が空気を伝い、アインの毛穴一つ一つに押し寄せる。

……これが王の迫力かと、大国の頂点を目の前に、アインが生なま 唾つば を飲み込んだ。

「アイン様。私と陛下は、いつアイン様とお会いできるかと、いつも楽しみにしておりました」

ここまでいうと、彼は咳せき 払ばら いをして居住まいを正した。

「申し遅れましたが、私はロイド・グレイシャーと申す。元帥として、イシュタリカの平和のために命を捧ささ げております」

膝を折ってみせた作法は明らかに王族へのもので、胸に手を当て敬うように語ったのだ。

(やっぱり……すごい重鎮だったんだ)

よろしくお願いしますとアインが返すと、彼はニコッと笑って立ち上がる。

そして、オリビアが頃合いを見計らって口を開いた。

「帰国した理由ですが、私は離縁致しました。ですので、ハイムには戻りません」

「……ロイド。すまぬが、もう一度殴ってはくれぬか」

「恐れながら陛下。これは現実です」

「ッ──理由だ! 理由を申さぬかオリビアッ!」

シルヴァードは感情の整理がつかないまま、強い口調で詰問する。

「あそこにいても、アインが幸せになれるとは思えませんでした。これが一番の理由です」

彼女は今までにあったことを、捲まく し立た てるように皆へと説明した。

一つ聞いて眉み 間けん に皺しわ を寄せ、二つ聞いて青筋を立てる。

三つ目を聞いて、会議室の空気すら震わせて怒りを醸し出した。

「ロイドよ、予算会議の支度を」

「すぐに招集をかけましょう。なに、ローガス殿は手練れだが、私からすれば一介の騎士に過ぎません。勝負はすぐに決まるでしょう」

(会話が物騒になってきた……)

口に出しそうになるのを耐え、乾いた笑いを浮かべるアイン。

同じく苦笑いを浮かべていたオリビアが首を振った。

「お父様。私はもうハイムはどうでもいいの。だからやめましょう?」

彼女としても、もう関わりたくない思いが勝り、物騒な会話をしている二人を諫める。

「ですので、私がハイムに嫁いだ理由を、アインに説明してもらっても?」

アインが身体からだ をピクッと揺らす。

ようやくその理由を聞くことができるからだ。

「あぁ、もうよい。この密約も瓦が 解かい してしまったのだ、ここにいる者になら話しても構わない」

すると、では私が──と言い、ロイドが語りだす。

「オリビア様が嫁いだのは、我々イシュタリカが求める資源を、ハイムが保有していたからです」

その資源の名を、海結晶という。

海中に住む魔物の骨が結晶化した鉱物で、海中深くに眠るそうだ。

何に使うのかというと魔道具で、魔法を記憶し、魔石の力を制御する効果があるという。

「我が国の民は、皆が魔道具を保有しておりますので、喉のど から手が出るほど欲しかったのです。暑い夏には涼しくするため、そして、寒い冬には身体を温めるためにも使いますからな」

(なるほど。エアコンみたいなものか)

文明の利器という物の便利さを知っているアインは、迷うことなく頷いた。

空調の魔道具もあるなんて、技術力の高さに驚かされるばかりだ。

「海結晶を使わない魔道具では、魔石の魔力が身体に流れて蝕むしば みます。ですので、我々は技術力を生かし、ハイムとは違った魔道具を作り出しているのです」

「実は、ラウンドハートの屋敷にあった魔道具は、すべてイシュタリカ製なんですよ」

ロイドの説明をオリビアが補足したが、そりゃ当然かとアインが頷く。

有毒だと知っていて、シルヴァードがその魔道具を使わせるはずがない。

また、わざわざそうした鉱物資源を求めた理由は納得だ。

民を富ますのは王族の務め──オリビアが嫁いだのは、その務めのためということだ。

「我らがハイムに差し出すのは後ろ盾。そして、アイン様が大きくなった時、我らとの取引を公表するという密約でございました」

公表し、アインが成人となった時に、公爵へと陞しよう 爵しやく する予定だったという。

王族を迎えたことへの、格を釣り合わせるための措置だろう。

「余は……いや。我らは、ラウンドハートについて数年かけて調べたのだ」

なんでも、先代のラウンドハート伯爵は見事な男で、信用できたらしい。

だからオリビアのことを嫁がせたのだが、と、語る二人の顔は重苦しく変わる。

「まさか、先代が亡くなってから、オリビア様が離縁するまでに悪化するとは……」

保証の裏付けを取ったというのに、この様ざま では何も言えない。

「近い将来訪れるであろう、海龍 の脅威からも遠ざけられる。そう思っていたのだが……まさか、このような事になるとはな。余も憤りを隠し切れん」

いわゆる国王らしさだけでなく、父としての温かさをみせた彼に、アインは好印象を抱く。

だが、こうなってしまえば、海結晶の代案の必要が出てきてしまうのだが、

「ふふ……海結晶は大丈夫です。新たな取引相手は、すでに用意しておりますので」

何を言っているんだという瞳で、一同がオリビアを見た。

アインだけが、ただ静かに彼女をみつめる。

「我々イシュタリカは、初代国王陛下の言葉通り、侵略行為を許しておりません。そのため、オリビア様に嫁いでいただいたのです。……そう簡単に、見つかるとは思えないのですが」

詳しい事情は分からないが、初代国王の言葉は強く順守されているのだろう。

となれば、今回の報復としてできることは、恐らく、国交の断絶が限度となるはずだ。

しかし、オリビアは得意げな表情をして、悪戯いたずら っ子のように笑いアインに言う。

「ねぇ、アインは覚えてますよね? 私がしていた仕事 を」

「あの仕事ってまさか……海結晶を探していたのですか……!? 」

どれほどの衝撃を受ければいいのだろう。

用意周到で、自らの価値を示し続ける彼女に、アインは素直に感嘆した。

「オリビア、お主は何を話しているのだ……!」

二人の意味深な会話を聞き、たまらずシルヴァードが尋ねるのだが、

「我が国の調査団が練度不足だった。私はそう言っているんです。私は伯爵家の妻としての仕事をしながら、商人や冒険者に依頼を出して……海結晶を見つけました」

ここからはアインが知っている話だ。

大切な探し物をしていて、ローガスたちは抜きで、自分一人で行っていると。

「見つけたのはハイムの北西にある国……エウロです」

「ま、待つのだオリビア! 我らはエウロ近海も調査したのだぞ!」

シルヴァードが慌てふためくのを傍はた 目め に、アインはふと、エウロの地形について思い出した。

「……近海どころか、入り江へと波で運ばれたのですか?」

「えぇ。アインが言う通りですよ」

入り江は穏やかな場所が多いが、エウロ公国にあった入り江は違った。

断だん 崖がい の岩はとても頑丈で、削るのは容易ではないが、エウロの強い波はそれを削る。

──彼女は懐から革袋を取り出し、中からビー玉大程度のメッセージバードを二つ取り出した。

「私は一人で、エウロとの取引を進めてから帰ってきたんです。詳しいことは、こっちにまとめてあるから、読んでもらえると助かります」

彼女は更に、小さな封筒を取り出し、メッセージバードと共にロイドに手渡した。

「オリビア様は新規の商会として取引をしていたようで……金額は、いやはや見事ですな」

書類を読み終えたロイドが、シルヴァードに対して感想を述べる。

元帥の彼からみても、その取引内容は驚嘆に値した。

「……はぁ、これでは、オリビアに悪いことをしただけではないか」

「私にはアインという大切な子がいるの。だから、今回は帳消しにしてさしあげます」

「──感謝する。いずれ、何かオリビアの願いを聞く機会を作るとしよう」

すると、アインの目線に気が付いてか、オリビアがアインに顔を向けた。

二人はやっと情報を共有でき、互いに笑みを交わし合った。
「しかし変な話ですな。生まれ持ったスキル程度で廃嫡するとは」

「うむ。ならばロイドなんぞ、生きることすら許されまいて」

二人の会話はアインの興味を惹ひ く。

どういうことだ? 彼のスキルはどういうものだろうかと、そんな視線を向けたのだ。

すると、シルヴァードがそれに気が付き、アインに伝える。

「実はな、アイン。このロイドのスキルというのは──」

「お、お待ちください、陛下! 私が自分でお伝えしますので……!」

何やら恥ずかしそうに遮ると、これまた照れくさそうにこめかみを搔か く。

やがて、苦笑いを浮かべて語りだす。

「実は……私のスキルは裁縫といいまして……」

「さ、裁縫ッ!?  裁縫って、あの……服を編んだりする……?」

それが意味することは、ハイムとは違った常識だ。

「この図ずう 体たい に裁縫は恥ずかしいのですが、私は努力で元帥の地位にたどり着いたのですよ」

「ふん、生まれ持ったスキルで将来が決まる。いやはや、なんとも古い考えであるな」

と、シルヴァードがハイムの常識をあざ笑う。

「私も住んでみて驚きましたわ。私が何を言っても耳を貸すこともありませんでしたから」

すると、アインは徐々に希望を見いだせた。

この国なら、努力が認められるかもしれないのだ……と。

「ちょうどいい。アインよ、余にもお主のステータスをみせてくれぬか」

王に見せるにはお粗末なステータスなのだが、本当にいいのだろうか。

アイン一人では判断が付かす、オリビアに目で訴えかけた。

「大丈夫ですよ。何も恥ずかしいこともありませんから」

「わかりました。それじゃ、えっと……」
アイン

【ジョブ】 家無き子

【体 力】 235(178UP)

【魔 力】 341(300UP)

【攻撃力】 74 (52 UP)

【防御力】 40 (19 UP)

【敏びん 捷しよう 性】 95 (70 UP)

【スキル】 毒素分解EX/吸収/修練の賜たま 物もの
胸元からステータスカードを取り出した。久しぶりに見るが、数字がおかしい事になっている。

「──ふむ? 廃嫡するには勿もつ 体たい ないステータスではないか」

アインのステータスカードを横から眺め、シルヴァードが言ったのだ。

だが、ステータスが大きく成長している? それが不思議でならない。

「──ですが、これはむしろ好都合ですな、陛下」

次に目を向けたロイドが、アインのステータスをみて満足げに頷いた。

「ふふっ……だって、アインは私の自慢の子なんですから」

「うむ。努力家なのは、修練の賜物をみればわかる。それに、人となりはオリビアから聞いておるから分かっておったが──ロイドよ、ウォーレンへと連絡を」

ロイドは懐から紙を取り出し何かを書くと、扉に向かって歩き、外に居る者に手渡す。

いったい全体、何が起こってるんだろうかと、アインはきょろきょろと大人たちの顔を見渡した。

「アイン、気を落とす必要はないのだぞ? 毒素分解EXはそれ単体でも素晴らしき力だ。それに、お主が努力家なのもよい。また、吸収のスキルを持つのは、オリビアの子という証明だ」

何を企たくら んでいるんだ?

何かを隠すように褒められたことに違和感を覚えてしまう。

確かに、いくつもの病気や毒に通用する──それだけでも価値は計り知れないのだが、ここに努力家という言葉と、オリビアの子というのがどう影響するのだろうか。

「あ……ところで、その吸収ですが、ドライアドについての説明がほしいんですが……」

そうだ、ドライアドだよ、ドライアド。

オリビアの件が落ち着いたところで、アインはその問題を思い返す。

「それに、どうしてステータスが向上して……」

ドライアドの件に加えてこのステータスで、疑問は増えるばかりだ。

困惑しながら声にすると、ここまで静かだったクリスが一歩前に出る。

「──そのことでしたら、私から説明致しますね」

そういった彼女の手には、拳こぶし ほどの大きさの小さな魔石が握られている。

「アイン様。この魔石を手に取り、何かを飲むように意識していただけますか?」

「魔石を飲む? 確かに、この魔石はリプルジュースみたいな香りですけど……飲む?」

訳も分からず、クリスに尋ねる。

するとクリスは……いや、ここにいる者たちが一斉に目を見開いた。

「この魔石から、リプルジュースの香り……ですか……」

「クリス。その魔石は何の魔石なの?」

「……リプルモドキという魔物の魔石です」

魔物に近い香りが漂うのだろうか? アインはうんうん、と頷うなず きながら耳を傾ける。

すると、クリスは真剣な表情でアインの目をみて、

「……なるほど。魔石というものには、香りもあったのですね。これは新発見かもしれません」

ここまで言って、クリスは咳せき 払ばら いをして居住まいを正す。

「話を戻しましょう。アイン様は、吸収と毒素分解を併用していたんです」

つまり、食べていたということになるのだ。

「気が付いたのは、水列車に乗っていたときです」

彼女曰いわ く、アインが空腹だったときに限り、彼女の身体からだ が何度か気怠くなったという。

城に着いてからも尋ねていたのは、これが理由だったのだ。

「そして、魔力と敏捷性が高いのは、私たちエルフの特徴なんです」

先ほどみたアインのステータスでは、その二つと体力が印象的な上昇値をみせた。

「ク、クリスさんがエルフ……? 耳も尖とが ってないので、分かりませんでした……」

「あはは……外見からは気が付きにくいですが、私は純血のエルフですよ?」

彼女の容姿は美しいが、その特徴がなかったので、気が付くことができなかった。

「私たちエルフは、住む場所によって耳の長さが変わります。私は王都に住んでいるので……」

耳を澄ます機会が多ければ、必要に応じて長くなるということだった。

「さて──では、今度は無意識ではなく、意識的に魔石を吸ってみましょう」

「あの……毒素分解を使うと、体調が悪くなるどころか、気を失うぐらい辛つら いのですが……」

とはいえ、スタークリスタルの時にはそれがなかった。

理由は分からないが、今回も同じとは限らない。

すると、クリスは少し考えてから口を開いた。

「それでは、スタークリスタルをお作りになられた時も同じでしたか?」

「いえ、その時は別に……」

答えを聞き、クリスが心強い笑顔を向ける。

「なら大丈夫かと思います。多分、修練の賜物の効果が、ちょうど良くその辛さを打ち消してるのだと思いますから」

──昨晩の疑問が解決した瞬間だ。修練の賜物が万能すぎる、と驚かされた。

オリビア曰く、病気や痛みに強くなって疲れにくくなる、とのことだったが、きっと相性がいいのだろう──まさか、あの辛さを打ち消してくれるとは思いもしなかった。

「……考えてみれば思い当たる節がありました。やってみます!」

生まれ持ったスキルだけでなく、努力で得た力のおかげで、こうした使い道を見いだせている。

アインはこの事実を知って笑顔を浮かべると、意気揚々と魔石を手にとった。

やがて、魔石は徐々に色を失っていき、

(あ、リプルの味だ……)

濃厚な甘酸っぱさを全身に感じ、アインが歓喜に震えた。

「ほう……なるほど。クリスの仮説が正しかったようだ」

空の水晶玉のように変わる魔石を眺め、シルヴァードが納得した。

「──はい。ドライアドは、地中や水中、そして、空気中からも栄養を吸い取りますので……」

だから、アインが空腹になることで、身体は栄養を求めるようになりスキルが働いた。

言うならば、魔物とおなじ成長の仕方ができるということになる。

「その、吸収し終えたみたいなんですが、ステータスは何も変わってませんよ?」

色を失い、白い半透明の石となった魔石を傍目に、アインが言う。

「仮説にすぎませんが、同じ魔物の魔石からでは、吸収できる上限があるのでしょう。おそらく、水列車などの、燃料となる魔石も吸っていたはずですから」

ステータスの向上を望むなら、もう少し上等な魔石にする必要があるのだろう。

「そういえば、クリスさん。エルフも魔石を持ってるってことなんですか?」

「エルフどころか、異人種はみな魔石を体内に宿しておりますよ」

衝撃の事実すぎて、アインは開いた口が塞ふさ がらない。

「え、えぇ……でも、魔石を吸ったら死んじゃうとかは」

すると、心配そうにしているアインに対し、クリスが穏やかな表情で説明をつづける。

──曰く、異人種も魔物も、二つの重要な器官を身体に持っているということだ。

一つは魔石。そこには魔力と、魔石自身の生命力が存在している。

もう一つは核と呼ばれる、人にとっての心臓だ。

血液や栄養素といったものを全身に巡らせ、心臓の代わりとして作用するという。

そして、魔石が破壊されると核も死ぬが、核が破壊されても魔石は単体でも生き続ける。

露店でも販売されている理由はこのためだった。

「完全に吸いつくされなければ死ぬこともありませんから……ご安心ください」

アインは胸に手を当て、ほっと一息ついた。
──コンコン。会議室の扉がノックされたのだ。

まるで見計らったかのような頃合いだったが、ロイドがシルヴァードに目配せをする。

「ウォーレン殿かと」

もしかすると、さっき手渡した手紙の件だろうか?

仮説を考えるアインを傍目に、ロイドは立ち上がって扉に向かった。

「──おぉ! 本当にオリビア様が帰国なさっていたとは……お帰りなさいませ、オリビア様」

やってきたのは豪ごう 奢しや なローブの老人で、品の良い笑顔で、オリビアとアインの二人をみた。

彼はアインに近寄り、膝ひざ を折って目線を近づける。

「私はウォーレン・ラーク。ここイシュタリカにて、宰相の地位についております。これからよろしくお願い致します、アイン様」

彼は好こう 々こう 爺や 然としながらも、漲みなぎ る迫力は隠しきれていない。

自己紹介を交わしただけなのに、彼の一言一言が、アインの気を引いて止や まなかったのだ。

最後に彼は微笑ほほえ むと、立ち上がってシルヴァードの傍らに向かった。

「陛下、お望みの書類をお持ち致しました。王妃殿下からは、メッセージバードにて承諾の返事をいただいております。帰城次第、正式に署名をするとのことで」

「うむ。それで、カティマはどうしている?」

すると──ドンッ! カティマという名がでたところで、会議室の扉が勢いよく開かれる。

「私はここニャ! お、本当にオリビアが帰ってきてるニャー!」

ウォーレンに遅れてやってきたのは、身長120㎝ほどの大きな猫だ。

しかしただの猫ではなく、服を着て二足歩行をしている。

「お久しぶりです。お姉さま、今日も一段と美しい毛並みのようで」

「ん!?  そうかニャ!?  ニャー…… オリビアはよくわかっているニャー」

すると、彼女がアインの姿に気が付いた。

「お、お前がアインだニャ? 私はカティマ、第一王女だニャ!」

「だ……第一王女!?  ね、猫がッ!?  どうして猫が二足歩行して人の言葉を……!? 」

驚きながらも、アインはつい、率直な感想を漏らしてしまう。

「私はケットシーだニャ! そこんとこ、間違えないでほしいのニャッ!」

喋しやべ る大きな猫としか思えなかったが、オリビアは確かにお姉さまと呼んだ。

つまり彼女は、イシュタリカに多く存在する異人──ということなのだ。

「私はオリビアと同じで先祖返りなのニャ。これもまた、王家ガチャの一つの結果だニャ」

「なんですか、その王家ガチャって」

彼女には、シルヴァードたちのような威圧感がない。

だから気軽に会話ができ、むしろ、長年の友人のように親しく話せる。

「イシュタリカ王家は、それはもうすごい数の種族が交わってきてるニャ。だから、先祖返りという形で種族が入り混じるのニャ。だから王家ガチャ……分かったかニャ?」

王家なのにガチャなのかと、アインは苦笑してしまう。

やがて彼女は、同じ王族なんだから呼び捨てでいいニャ、と許可を出す。

「ところで、カティマ様。署名はいただけますでしょうか?」

「んあ? いいニャ。評判は聞いてるし、オリビアの子なら構わないニャ」

アインを王族と正式に認めるため、署名が必要なのだろうか?

戸惑うアインを傍目に、ウォーレンは懐から一枚の羊皮紙を取り出して広げる。

「ほいっと……これでいいかニャ?」

文字を書く……と思いきや、彼女は朱肉を取り出し、勢いよく肉球を押し付けた。

ペタン、と音が聞こえ、羊皮紙には彼女の手形が押される。

「……えぇー」

署名なのか? 今のは署名なのか? 呆あき れたというか、戸惑いが極限に至った。

「ア、アイン様。カティマ様はケットシーですので、手形でも大丈夫なんです……!」

「な……なるほど……異文化すぎて戸惑ってました」

クリスの助言に頷いて、ありがとうと礼を言う。

アインがこうしている間にオリビアが署名をし、最後にシルヴァードが署名をした。

「見届け人として、このウォーレンとロイド殿が確認します。では、ロイド殿」

少なくとも、正式な書類として、見届け人が必要なほどには重要なものらしい。

凡およ そ一分ほどの確認を終え、ウォーレンが署名された羊皮紙をシルヴァードに手渡す。

「では陛下。宣言を」

シルヴァードが立ち上がり、ふぅ、と息を吐く。

彼はこれまで以上の覇気を放ち、空気そのものすら震わせ……宣言した。

「余の名において、アインのイシュタリカ王家への加入を──そして」

ここまでは予想できたが、家を失った次の日には王族となるなんて、片時も考えた事はない。

例えば誰かに話そうものならば、夢物語だと嘲ちよう 笑しよう されそうなものだ。

だが、シルヴァードの言葉は終わっていない。

そして、と口にしてから、更に覇気を込め、周囲に立つ皆の表情にも、厳かな何かが浮かんだところでつづきを言った。
「シルヴァード・フォン・イシュタリカ。余の名において、アイン・フォン・イシュタリカを王太子とすることを宣言する──ッ! 」
アインは目を丸くし身体からだ をこわばらせる。

大げさに眉まゆ を吊つ り上あ げ、つづけて脈が大きく震えたのだ。

「ッ……お、俺が王太子……!? 」

隣に立つオリビアに顔をむけてみても、彼女はただ愛おしそうにアインを見つめるばかりだ。

ここより小さな国の伯爵家でお荷物だった。

だというのに、今では比肩する国がない超大国の王太子。

なんて冗談だろう? と考えて頰を抓つね るが、これは決して冗談ではない。

(……一晩で王太子になっちゃったよ)

と、ただ静かに驚きつづけるばかりだった。
◇ ◇ ◇
時間と場所は変わり、一晩明けたアウグスト大公邸。

クローネはグラーフへと、イシュタリカへ留学させろと直訴していた。

「気持ちはわかるが、そう簡単に言うものではない……」

「どうして? お金? それとも、学力や礼儀作法かしら。お父様が留学したときに比べれば、私の方がよっぽど格上でしょう?」

彼女はしれっと、父親であるハーレイの前で自らを誇った。

「うむ。そうだぞクローネ。確かにその通りだ」

「ち、父上……?」

口を開けて呆あつ 気け にとられたのはハーレイ。

孫馬鹿なグラーフといえど、まさかここまでわかりやすい態度になるとは思わなかった。

「なんだハーレイ。何かあるのであれば申してみよ」

「……なんでもございません」

何を言っても、孫馬鹿なグラーフの前では無意味で、クローネが優秀なのも事実。

礼儀作法や学力──そのどれをとっても、彼女は国一番の器量があったと言える。

「それで、お爺じい 様? どうなのですか?」

話がずれだしたところで、クローネが再度、グラーフに尋ねる。

「むぅ……そうまでして、アイン殿の下へと参りたいのか」

この言葉に、クローネは黙って深く頷うなず いてみせる。

「父上。正直、アイン様とお呼びした方がいいと思いますが」

「奇遇だな、儂わし もそう感じていた」

いくら大公家と言えど、大国イシュタリカの王子を捕まえて、殿という敬称は不適切。

ハーレイに指摘され、グラーフが苦笑いを浮かべる。

「……お願いします。もう一度、彼と会える機会を私にください」

まるで童話に出てくる姫のような、そんな素敵な一場面を経験した彼女。

アインに惚ほ れてしまうのは、第三者であるグラーフにとっても理解は容易たやす い。

「はぁ……父上。すぐには無理でしょうが、行かせてやりましょう」

すると、ハーレイがクローネに助け舟を出したのだ。

「ハーレイッ! そう簡単に申すな!」

「そう言われましても、クローネが意固地になったら強いですよ。父上、前に三か月も口きいてもらえなかったじゃないですか」

簡単に言うなとハーレイを叱りつけるが、逆にグラーフは苦い記憶を思い出す。

原因は些さ 細さい な話だったと思うが、クローネから無視されつづけたのは辛い思い出だ。

「それに、近い将来の情勢を考えても、そのほうがいいのでは?」

彼は、ハーレイは一つ危き 惧ぐ していることがあった。

「イシュタリカは温厚で、平和主義的な部分はあります。ですが、今回の件は度を越えていると感じますし、国交断絶は免れないのではないかと」

彼の言葉に、グラーフが苦々しい面持ちで頷いた。

「さらに言えば、エウロやロックダムが後ろ盾を得る。考えたくもありませんね」

このことにも同意した。

ハイムがイシュタリカとの国交を得られなくとも、他の国々が同じということではないのだ。

「ですので、父上。今の優先順位を教えてください。家族ですか? それともハイムですか?」

グラーフは言い い淀よど んだ。しかし、ため息をついてからその答えを口にする。

「我が家は代々ハイムに仕え、貢献してきたつもりだ。だが、儂にとって一番大事なのは家族……そして、この家に仕える者たちであることは間違いない」

この答えは、大公家の当主としては失格だろう。

数多くいるハイム貴族の中でも、その頂点に位置するアウグスト大公家。

しかし彼は、家族愛や、仕えている身内に対しての、強い愛情があったのだ。

(儂は家族を選んだのだ。未来に起こりうる情勢を思えば、この選択は、きっと間違いではない)

分かりやすく言えば、イシュタリカの敵となるか、敵ではない存在になるか──の違いだ。

海を渡り、敵となることを避けるべきだと、心の中でそう考える。

(孫馬鹿と言われようとも構わん、儂がクローネと共に海を渡らねば……。そうすれば、イシュタリカもクローネを受け入れてくれるやもしれん)

大公だった彼は多くの情報を知っている。

もし、イシュタリカがそれを求めてくれさえすれば、彼らには価値があるといえるだろう。

彼は苦悩しながらも、何が最善となるかを深く考えつづける。

「ッ──お爺様! それなら……!」

希望を見いだせた。

クローネは身体を乗り出す形でグラーフに答えを尋ねる。

「しかし、すぐには無理だ。しばらくの間は考えさせてほしい」

彼は冷静にクローネを宥なだ めると、すぐにその理由を語った。

「なぜならば、ラウンドハート港からイシュタリカへと向かうのは愚策となるからだ」

「ですね。イシュタリカとしては国交断交を考えているでしょうし、そうでなくとも、ハイムの船は印象が最悪かと。近場で言うならば、エウロを利用するのが一番かと」

むしろ、下へ 手た をしたら船ごと不審船として破壊されてしまうかもしれない。

それは悲しい事故として処理されることだろうが、この結末はだれも望んでいない。

「クローネ、一年だ、一年待ってくれ。儂らでなんとか計画を立てる」

肘ひじ をついてそこに顔を乗せ、どうしたもんかと考えながら、グラーフが答えた。

一年という期間は短くないが、それでも、頼もしい言葉を聞けたことにクローネは喜ぶ。

「本当!?  お爺様、大好きです!」

つい、興奮した様子でグラーフに抱き着いたクローネ。

見るも微笑ほほえ ましい光景に違いないが、頭のいいクローネがそれをしていると、どうにも計算が入ってるように思えてならなかった。しかし、

「はっはっは! クローネはよい子だのう!」

大好きと言われ、グラーフは深く考えることなく顔を緩ませた。

ハーレイは両手で顔を覆い、父の表情に嫌気を示す。

「それにしても、半ば亡命というかたちになりそうですね。父上」

「……うむ。そうだな」

秘密裏に海を渡るということは、即ち、背信的行為と認知されても反論が出来ない。

そんなことをした後に、再度ハイムに戻るということは難しい。

物悲しさを漂わせながらも、二人は神妙な面持ちで顔を見合わせた。
才能の開花と新たな目標

オリビアが離縁をして帰国したという情報は、イシュタリカの民を大きく戸惑わせた。

だが、それ以上に戸惑ったのは、彼女の子──アインが王太子に任命されたことだろう。

宰相ウォーレンに元帥ロイド。そして、近この 衛え 騎士団副団長のクリスという三人がアインを支持したことで、貴族たちも大きな不満はみせなかった。

──そして、アインという王太子に対しての期待度は高まっていった。

彼は人気が高いオリビアの子というだけでなく、城に勤める給仕や騎士からの評判も良い。

お披露目はまだ先の話になるが、王都の民は耳に届く彼の噂うわさ に高揚し、今か今かと、新たな王太子をみられる日を心待ちにしているのだった。
アインがイシュタリカにやってきてから、二週間が経た った頃ころ 。

季節が秋に近づき、アインの部屋が与えられた日の夜のことだった。

「……相変わらず、すごい国だなぁ」

部屋備え付けのテラスに出れば、まさに宝石箱をひっくり返したような街並み。

ハイムにはなかった、水列車という乗り物が動く姿も重なり、文明力の違いは明らかだった。

アインの部屋は城の高い所にあるため、彼は注意して手すりに近寄っていた。

「……うん、すごい国だ」

久しぶりの一人で過ごす時間は、多くのことを考える余裕を与えてしまう。

そして、何よりも考えてしまうのが、

「さて。父上とカミラお母様を見返す前にこうなっちゃったわけだけど」

どうしようか? 一人で自じ 嘲ちよう するように笑う。

アインが努力していたのは、自らの価値を示すためであり、オリビアが不当な扱いを受けているのも腹に据えかねていたからだ。

しかし現状、もはやハイムの民ではなく、ここイシュタリカの王太子となっている。

王太子としてどうするべきかという気持ちも固まっておらず、そこで思い返された、なんとも整理しがたい当時の感情だ。

「この中途半端な感じも嫌だし、王太子としても……うーん……」

不謹慎だろうが、ここが相当な田舎いなか 国家だったなら、今ほどは悩まなかったことだろう。

イシュタリカという国が強大過ぎることも、それなりの重圧があった。

「まぁ……努力はつづけて当然だろうけどさ」

問題はそこではなく、気持ちの整理についてだ。

脳裏を掠かす めつづけるのは、ラウンドハート家で要らない長男扱いされつづけたこと。

「やっぱり悔しい……かな」

結局、自分は最後までローガスらを見返せず、オリビアと共に海を渡った。

気にかかっているのは、きっとこのあたりについてなのだ。

「海を渡ったのに気にするってのは……意外と俺も負けず嫌いだったんだ」

もう別の国、そして、今では立場も雲の上の存在。

だからもういいじゃないかと、そう思う節もないわけではないが、

「──俺がすごいんじゃなくって、お母様がすごい……ってだけだしね」

言ってしまえば、自らの価値を証明したのは、単身で国家規模の取引を終えたオリビアだけ。

アインは彼女に連れられるまま、イシュタリカにやってきたのだが、それではまるで空っぽ。

戦闘適性がないスキル持ちの自分が、ただ甘えるだけなのが心に突き刺さる。

「問題を整理すると、俺がハイムの人たちを見返せて、お母様みたいに価値を証明できる方法。あと、イシュタリカの王太子として、価値があるところを示さないといけない……」

問題は山積み、アインは苦悩するように頭を抱える。

うまくこの気持ちの問題を解決できないかと、考えてみても答えは一向に見つからない。

王太子の心構えも出来ていない中、内心はとても落ち着かない。

アインはスッキリしない心で、広く美しい城下町を眺めつづけた。
◇ ◇ ◇
彼が苦悩した晩から、一夜明けた日の昼下がり。

アインは城の地下──第一王女カティマの研究室に足を運んでいた。

いや、半ば強制的に連れて来られ、何故かステータスカードも没収されている。

「……なんで俺は拉ら 致ち されたの?」

相手が第一王女とはいえ、アインの話し口調はゆるい。

とはいえ、二人の距離感は、このぐらいでちょうど良い。

「オリビアに頼まれたことを調べるためだニャ。分かったかニャ?」

右を見れば壁一面の本棚が、左を見れば、標本や資料などが置かれた棚が広がっている。

棚には骨のようなものや魔石などが、大切そうに並べられている。

カティマが使っているであろう広い机の上は、多くの本や試験管などで雑然としていた。

「うん、分かったよ。カティマさんが説明上手だってことがね」

皮肉を言うが、目の前の猫──カティマは上機嫌だ。

アインは部屋の中央のソファに腰かけ、真正面に座った彼女へ目を向ける。

「早速はじめるニャ。ほら、この箱の中のもの全部吸えニャ」

と言って、彼女は小さな木箱をアインに差し出す。

その木箱には、無造作に小さな魔石が詰め込まれている。

「……なにこれ、魔石?」

「そうニャ。一個あたり500G程度の安物を詰め込んだのニャ」

いきなり吸えと言われても、アインは怪け 訝げん な表情を浮かべるばかりだ。

「万が一 にも備えてあるから心配いらないニャ。オリビアが待ってるから早くするニャ」

万が一とはなんだろう? とはいえ、オリビアを待たせるつもりはなかった。

「──あ、それなら早く吸わないと。別に、魔石を吸うのも嫌じゃないし」

オリビアが待っているのなら仕方ない。何も疑わず、木箱の中に手を伸ばす。

魔石を吸うのは嫌いじゃないとあって、気後れすることなく意識を向けた。

(リプルモドキの魔石かな)

先日同様、濃厚な甘酸っぱさを感じる。

吸えば吸うほど風味が強くなり、デザート感覚で楽しんだ。

「ニャ、ニャんて扱いやすいのニャ……」

「いやいや、お母様を待たせるのは駄目だからね──はい、吸い終わったよ」

ガラス玉のように半透明になった魔石たち。

覗のぞ き込み、カティマもそれを確認すると、彼女はアインのステータスカードを眺める。

「ふむふむ……それじゃ、次の箱にいくニャ」

満足げに頷うなず くが、何を調べたのかを口にはせず、彼女は別の木箱を取り出した。

「こっちは一個90、000Gの魔石だニャ。残さず吸うのニャ」

「……また高級な。でも、それぐらい高級な魔石の味も気になるよね」

唐突に格が上がったところで、カティマは肉球を振ってアインを促す。

「フオルンっていう、害のない木の魔物が居るのニャ。フオルンには偽物がいて、人間を騙だま して食べるのをブラックフオルンって言うのニャ。これはその魔石だニャ」

「なるほどね……だからブラックなのか。──じゃあ、早速いただきます」

分かりやすい例えで想像がしやすい。

アインは木箱の中──茶色い魔石に手を伸ばした。

「──うッ」

突然、アインが喉のど 元もと を押さえて声を漏らす。

「だ、大丈夫かニャッ!? 」

「い……いや、別に失敗したとかじゃないよ。ただ、クルミの香りが強くて……苦手なんだよね」

「……そんなの知らないニャ。はぁ、心配して損したのニャ」

てっきりカティマは、アインの吸収が上う 手ま く作用しなかったのかと思ったのだ。

ただ苦手だったと聞いて、彼女は吐き捨てるようにそう言うと頰ほお 杖づえ をついた。

その間も、木箱の中の魔石は、少しずつガラス玉に変へん 貌ぼう していった。

「ドライアドのハーフなのに、木の実が苦手なんて、何を言ってるのニャ……まったく」

「いやいや、別に、ドライアドが木の実ばっかり食べてるわけじゃないと思うよ」

軽口を交わしたところで、カティマがアインのステータスカードを確認した。

すると、さっきよりも満足げに頷いてみせる。

「取りあえず、検証とかはこれで終了だニャ」

「──検証?」

「そうニャ。魔石を吸ってどのぐらい強くなれるのか、スキルは得られるのか……あと、魔石を吸って悪影響が出るか、今はそれを調べてたのニャ」

道理で、魔石を何度も吸収させられたわけだ。

彼女が口にしていた、万が一にも備えている……というのも納得できた。

「結論を言えば、アインの吸収は、無条件で力とスキルを吸収できるわけじゃないニャ」

「……どういうこと?」

「一定の質が必要ってことニャ。あと、何度も吸った魔石からは力も得られないニャ」

「つまりそれって、リプルモドキの魔石を吸っても、もう強くなれないってこと?」

すると、カティマは深く頷いた。

うますぎる話はない、そういうことかと、アインも少しばかり気落ちする。

「最初のリプルモドキの魔石は、全く効果がなかったのニャ。で、次のブラックフオルンは──」

肉球にステータスカードを載せてアインに手渡す。

アインはそれを見ると、体力が100程度上がってることと、見慣れないスキルに気が付いた。

「なにこの、濃霧っていうスキル」

「森の中で生き物を迷わせるための、ブラックフオルンが使うスキルだニャ。ただの霧だニャ」

その名の通り、濃い霧を発生させるだけとのこと。

「へぇー…… じゃあ、使ってみてもいい?」

そう言いつつも、アインは濃霧というスキルを強く意識する。

すると、アインの身体からだ を中心に、白い霧が少しずつ現れだした。

「ッ──っ て、本当にただの霧なの!? 」

なんてことのない、本当にただの霧が、薄っすらとアインの周囲に浮かび上がった。

「だから、私はそう言ったのニャ! まったく……普通、返事も待たずに使うかニャ……? 」

「い、いやー……せっかく手に入れたスキルだし、使わないと勿もつ 体たい ないかなって」

一理あるが、カティマとしては、もう少し待てと言いたいところだ。

だが、スキルが作用したことについては、彼女も満足げに頷くばかり。

「はぁ……まぁいいニャ。別に身体に悪影響もなさそうだニャ。そうだニャ?」

「うん。別になんともないよ。これからも、魔石を吸収できそうで安心したぐらいだし」

それはなによりだ、カティマは腕組みをして頷く。

「魔石を吸う副作用がないのはいい事ニャ。何かあったらすぐに教えるのニャ」

彼女は肉球で器用にペンを持ち、分厚いメモ帳に今日のことを書き記す。

──すると、検証が終わったのを見計らってか、研究室の扉がノックされた。

「オリビアだと思うニャ。アイン、もう帰っても大丈夫ニャ」

「ん、りょーかい。お母様が待ってるってことだし、もう行くよ──今日はありがとう」

「あー待つのニャ! このメモを、外にいるオリビアに渡してほしいのニャ」

彼女はメモ帳にペンを滑らせ終えると、一枚切ってアインに手渡した。

アインは内容を確認することなく折りたたみ、研究室の入り口へと向かう。

分厚い扉に手をかけ、軋きし むような音を立てて外に出た。

「──アイン、お帰りなさい」

地下研究室の外、八畳程度の薄暗い広間──一階へ戻る階段の前に、彼女は笑顔で立っていた。

「えっと、ただいま戻りました?」

今日、オリビアとはじめて顔を合わせた。

少しゆっくりと寝てからは、カティマに拉致されてしまったからだ。

「あッ──これ、カティマさんが渡してくれって」

「ふふ、ありがとうございます」

何が書いてあるのか読み忘れたが、受け取ったオリビアは真剣な目つきでそれを眺める。

彼女はやがて、満足した様子で折りたたむと、それを懐へとしまい込んだ。

「とても満足いく結果で嬉うれ しいです。さぁ、行きましょうね」

「あ、あのー……お母様? 行きましょうって、どこへでしょうか?」

「とってもいい所、ですよ」

アインとしては、オリビアが居ればどこでもいい所ではある。

艶つや っぽく言った彼女に手を引かれ、アインは一階へつづく階段を上る。

まるで、洞どう 窟くつ のような壁や天井をしているのは、カティマの趣味なのだろうか?

(秘密基地みたいで嫌いじゃないけどね)

一段一段、地上階へ近づくたびに明るくなっていく。

手を引かれるまま歩きつづけ、アインはようやく城の一階へと戻ってきた。
「──戻ったか、オリビア」

城の広い廊下へ出てすぐ、分厚い絨じゆう 毯たん の上でシルヴァードが立っていた。

窓の外から涼しい空気が舞い込み、ささやくような小鳥の声が届く。

どうしたんだろう、アインは不思議そうに彼を見ると、表情がいつもと比べて険しい。

「えぇ、戻りました。それでは、約束通り……宝物庫へ参りましょう」

「……うむ、分かっておる。先日、願いを聞くと言ったのは余であるからな」

というのも、オリビアにさせてしまった苦労への償いだ。

(あ、そういえば、お爺じい 様そんなこと言ってたな……でも、なんで今?)

また、それと宝物庫はどう関係しているのだろうか。

歩き出したシルヴァードをみて、オリビアもアインの手を引いて追った。

「ありがとうございます。おかげで、私はもっと幸せになれますから」

「まったく、お主の幸せは分かりやすいな」

大きくため息をつき、シルヴァードはアインに目線を向ける。

「勿もち 論ろん です。私はアインが素敵になるのを見られれば、それ以上の幸せはありません」

二人は何を話してるのだろう。アインが分かるのは、オリビアの愛が甘美なことぐらいだ。

「すみません、俺が宝物庫に行かないといけないのって‥…?」

「……オリビアがな、先日の余の謝罪と褒美を使い、アインへ贈り物をしたいそうだ」

「は、はい? お母様が俺に贈り物、ですか?」

突然どうしたことか。

オリビアをみれば、彼女は嬉しそうに微笑ほほえ むばかりだ。

「余も聞いたのは今け 朝さ なのだ。カティマにまで依頼し、アインの力の検証をしていたのを聞いたのは、数十分前のことになる」

シルヴァード曰いわ く、その贈り物というのは魔石らしい。

どうして前準備があったのかというと、強力な魔石を吸うことで悪影響がないか、オリビアはこれを危き 惧ぐ していたのだ。

(どんな魔石なんだろう……イシュタリカの城の宝物庫に収められる程のものって……)

アインが目を輝かせたのに気が付き、シルヴァードが口を開く。

「……アインに渡すのは──吸収させる魔石は、我らがイシュタリカの国宝」

その声にも緊張が混じり、空気を伝って迫力が届く。

「──デュラハンの魔石だ」

「デュ、デュラハン……ですか?」

名前ぐらいは聞いたことがある。といっても、前世での話になるが。

「絶大な力を持つ魔物だと記録がある。剣を振るえば天を裂き、海を割るといわれておる」

曰く、剣を使わせれば右に出る者がおらず、高い攻撃力と防御力を秘めた魔物だと。

全身に黒い甲かつ 冑ちゆう を纏まと う、巨大な龍をも一刀に伏せる化け物──シルヴァードはそう説明する。

「我ら王家が代々受け継いできた、並ぶ魔石は一つしかない貴重品だ……」

相当な宝なのだ、だからだろうか、彼の顔にも迷いがみえる。

「お父様。往生際が悪いですよ? 先日の件への謝罪と、私に褒美をくださるのでしょう?」

国家規模の取引を一人で纏めたこと、これには大きな褒美が必要だ。

加えて、謝罪の件も重なってしまえば、シルヴァードも強く言い返せない。

「私の部屋でも話したでしょう。一度認めたのですから、翻意なさらないでくださいね」

「はぁ……分かっておる。あの魔石は、アインの新たな力となるであろうからな」

オリビアの部屋でどんなやり取りが交わされたのか、きっと、彼女の口の巧さにシルヴァードが翻ほん 弄ろう されたのだろう。

結局、シルヴァードも新たに、諦あきら めの表情を浮かべたのだ。

この緊張した空気を変えたいと思い、アインは咄とつ 嗟さ に口を開く。

「あ、そ……そう言えば! ここって、相変わらず広いお城ですよね……!」

辺りを見渡せば、広い廊下に高い天井がつづいている。

豪ごう 奢しや なシャンデリアや絨毯など、広いだけでなく、目を奪う華やかさも兼ねそろえていた。

すると、シルヴァードはアインの言葉に気を良くしてか、唇をそっと緩ませた。

「そうであろう? 城の名はホワイトナイト──理由は、初代陛下が白銀を好まれたからだ」

アインの言葉に、シルヴァードが柔らかな笑みで頭を撫な でる。

「いずれは初代陛下について詳しく学ぶこととなるが、少しだけ、初代陛下の逸話を教えよう」

統一国家イシュタリカ。

その初代国王を務めた男は、ある大きな討伐戦ののち、イシュタリカを建国したという。

「五百余年前、魔王と呼ばれる存在が、この大陸イシュタルに現れたのだ」

「ま、魔王……ッ!? 」

まさかここで魔王という単語がでてくるとは。

現代に居ないのは安心できるが、単語一つからも迫力が溢あふ れていた。

「うむ、魔王だ。多くの種族が多大な犠牲を出したという記録がある」

しかし、初代国王は自ら先頭に立ち、魔王を討伐したという。

自己犠牲を躊躇ためら わず、勇気と誇りを抱いて戦い、魔王という災厄を打ち払ったとのことだ。

「魔王は強かった。幾人もの実力者を、なんなく葬り去ったと伝えられておる」

空は漆黒に覆われ、海は常に荒れ狂った。

ひとたび力を振るえば大地が割れ、その息い 吹ぶき はまさに死の風。だが──

「初代陛下は勝利を収めた。魔王の居城へ足を踏み入れ、剣で身体からだ を貫いたのだ」

誰だれ の言葉より、初代国王の言葉が優先される。

イシュタリカのそうした文化の根底を、アインは初めて耳にした。

「……まさに勇者ですね」

「その通りなのだ──おぉッ! そう言えば、デュラハンは魔王の側近であったのだぞ?」

「ッ──そ、そんな魔物の魔石を頂けるんですか……ッ」

魔王の側近なんて、他に並ぶ魔物は想像できない。

「……とはいえ、側近の一体は生き残っていると言われているのだが、これはまぁよい」

しみじみと語るシルヴァードのすぐ傍で、アインの脳内は別の想おも いに占領されていた。

まずは、魔王を倒せるほど強かったという、初代国王への憧あこが れ。

そしてもう一つは、親近感にも似た、どこか郷愁を感じさせる胸の痛みだ。

(聞いたこともない昔の話なのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう……)

王太子に任命されたことで、責任感を身体からだ に宿したのだろうか? 王太子としての責務や、あるべき姿──昨晩の苦悩があってか、複雑に心の内を搔か きむしる。

やがて、答えが見つからないまま、アインは覇気のない惚とぼ けた顔で口を開く。

「その、まだ整理はついてませんけど……初代陛下には憧れます」

「それはよい憧れだ。初代陛下が守りし白銀を、アインも継げるよう祈っておる」

「白銀、ですか?」

はっきりとしない言葉にアインが首を傾かし げる。

「初代陛下は白銀を愛された。それは美しく高潔、今では我ら王家の誇りの象徴でもあるのだ」

国の象徴的な色でもあるそれは、まさに王家の象徴でもあるということだった。

魔王を倒し、大陸を統一した男が愛した色なのだ。

今ではそれが誇りとして語り継がれるのが分かるような気がする。

そして、アインの内心に一つの野望が宿った。

「──頑張ってみます」

クローネとした約束を思い出した。

素敵になろうという曖あい 昧まい なものだったが、それでも、アインの原動力には変わりない。

彼の今の気分は、何かヒントを得たような、パズルのピースが一つだけ足りないような、どこか惜しい感覚だった。その後、アインは二人と他愛ない会話をつづける。

ラウンドハートの屋敷での生活と比べ、随分と様変わりしたなと実感したりもしたのだ。
「うむ、見えてきたな。……あれが宝物庫だ」

更に廊下を歩いたところで、突き当たりになった箇所が見えはじめた。

アインは生なま 唾つば を飲み込み、真正面に構える巨大な扉に目を向けた。

(見るからに凄すご い扉がある……)

長い廊下の先には、ただ一つその扉だけが構えていた。

石造りの扉にはいくつもの鍵かぎ 穴あな があり、不規則にちりばめられている。

巨大で背の高い扉は、そこにあるだけで威圧感を振りまいていた。

「あの中に、俺の新たな力になる物があるんですよね?」

徐々に高揚していく気分を自覚しながら、隣を歩くシルヴァードに尋ねる。

シルヴァードは神妙な顔で頷うなず き、宝物庫の扉を見ながら言葉をつづけた。

「本当の化け物の力の結晶だ。……あの宝物庫に眠っておる」

アインはもう一度生唾を飲み込み、その声に耳を傾ける。

魔石を吸収するだけなのに、喉のど がカラカラに渇いたような錯覚に陥った。

「……アイン、今日はやめておくか?」

孫の緊張した姿を見て、シルヴァードが心配そうに尋ねた。

「あ、いえいえ。吸ってみたいっていう興味は強いんです。楽しみではあるんですよ?」

すると、アインはケロッとした顔で答え、シルヴァードのことを呆あき れさせた。

「あぁ、そうだったな。お主はオリビアの子なのだ。肝が据わっていて当然か──さて」

三人はやがて、宝物庫の扉手前に立つ。

すると、シルヴァードが一歩前に進んだ。

「宝物庫の扉を開こうではないか」

大きな手を扉の中央部分にかざす。

「と、扉が……!? 」

その手を中心に、ちりばめられた鍵穴が反応を返した。

不規則に並んでいたというのに、少しずつ動き出し、縦一直線に列を成す。

「このすべてが魔道具なのだ。王族そのものが鍵かぎ となり、開放する仕組みのな」

両開きの扉の境目。そこに魔道具が縦に並ぶ。

石いし 臼うす が動くような音が響き、扉が両開きに開いていく。

「城の富が集まる場所だ。アインも良く覚えておくといい」

声を掛けられながらも、間の抜けた表情を浮かべるばかりのアイン。

生返事を返し、その合間を縫ってオリビアが口を開く。

「お父様、デュラハンの魔石はどこでしょうか?」

「そう慌てるでない。……あっちだ」

彼女は楽しそうに声に出し、シルヴァードは半ば呆れながら指をさす。

歩き出したオリビアがアインの手を取り、彼女は静かなアインを連れ歩く。

宝物庫は広く、まさに宝の山だった。

(うわぁ……凄い物だらけだ)

楽し気なオリビアとは対照的に、アインの内心はこうした驚きで占領されている。

しかしながら、どう凄いかという言葉を見つけるのが難しい。

金銀財宝や宝剣など、これらは語りやすいが、この宝物庫には魔石なども納められている。

特に目を引くのは、やはり、アインが歩く先に置かれたものだろうか。

「ッ──あれが……!? 」

「ふふ、そうですよ。あれがアインの新しい力になる……デュラハンの魔石です」

二人の視線の先には、ひときわ目立つ石造りの台座があった。

台座は白い石で出来ているが、随所に金や宝石がちりばめられ、台座にしては豪華に思えた。

その上に、デュラハンの魔石という、特別な存在が鎮座しているのだ。

「黒いのに、蒼あお い……?」

目に映った魔石の姿。

まるで黒いダイヤモンドのようなそれは、中で蒼いもやが蠢うごめ いている。

──やがて、アインはデュラハンの魔石の手前にたどり着く。

彼が目の前の魔石を注視していると、隣では、シルヴァードがオリビアに注意を促す。

「……オリビアは触れるでないぞ」

「えぇ。というか、お父様もですよ」

魔石に宿る魔力に対し、特に悪影響を受けないのはアインだけだ。

ゆえに、二人は魔石に触れることはできるはずもない。

「そういえば、なんの手続きもなしに、国宝の魔石を頂いてもいいんですか?」

「うむ……本来ならば、その危惧は正しいのだが……一つ残念なことがあるのだ」

というのも、シルヴァードにとってのことで、

「デュラハンの魔石は、イシュタリカのものではなく、王家所有のものとされておる」

「あぁ……道理で、こんなにあっさりとした感じなんですね」

「左様。オリビアへの褒美に、罪滅ぼし。……この二つでは、致し方あるまい」

王家の長たるシルヴァードが認可した。それだけで、難しい話は一切ない。

今回ばかりは、その権利問題がオリビアに有利に働いた。

「……では、遠慮なく」

アインが手を伸ばす。少し土台までは高かったが、背伸びをして手を伸ばした。

両手を広げ、割れ物を扱うように、大事そうに魔石を手に取った。

「──デュラハンの魔石は、きっとアインの力になってくれます。もしかしたら、そのために存在したんじゃないか……って、ずっと考えていたんですから」

オリビアの慈愛に満ちた微笑みを受けて、アインは大きく頷いた。

手のひらに意識を向け、心の中でぐっと気持ちを高める。

(さぁ、はじめよう──って、あれ……?)

アインは自分の意思で魔石の力を吸収することができる──はずだったのだが、

「──ッ!?  お、お爺じい 様? 今、何か言いましたか……?」

『帰ったか』と、アインの脳裏に声が届いた。

声は男の声だった。だからシルヴァードかと思ったのだが、

「ん? 余は黙ってみておったが」

シルヴァードは不思議そうに言った。

だが、辺りを見渡しても、当然のように他の者は存在しない。

……空耳かな? アインは左右に頭を振り、

「すみません、空耳だったみたいです」

と、さっきの声を誤ご 魔ま 化か すことにしたのだ。

気を取り直し、デュラハンの魔石に意識を向けた。

「では、はじめます」

生唾を飲み込み、手のひらの感覚にすべてをゆだねる。

やがて、全身の感覚が研ぎ澄まされ、魔石が熱を持ったかのように温かくなってきた。

……そして、アインが魔石を吸いはじめたところで、新たな騒ぎが起こる。

(ちょ……なんで!?  これ……どうなって──ッ)

デュラハンの魔石は、魔石そのものが意思をもっているかのようだった。

アインの意思とは裏腹に、魔石そのものが力を流しているような──そんな感覚だ。

──すると、その時だ。

「ぬぅ──こ、これは……ッ!?  オリビアッ! 余の後ろに──ッ」

アインの手のひらに握られた魔石を中心に、爆発のように圧が広がった。

逞たくま しい腕を振り上げ、シルヴァードはオリビアを庇かば い一歩下がる。

「お、お父様……ッ!? 」

庇われながらも、彼女は心配そうにアインをみつめた。

だが、一方で、アインが感じたのは、前髪が浮かび上がる程度の風圧にすぎない。

魔石からは雷のように光が漏れ出し、強い風圧と重なって渦をつくりだすと、アインの全身を蒼と黒の霧が包みだす。

(いやいやいやッ──これって大丈夫なの!? )

自らの意思に反して、デュラハンの魔石はアインに力を流しつづけた。

霧は徐々に身体からだ に吸収され、同時に、身体中に万能感に似た感覚が宿りだす。

「アインッ! 異変を感じたのならば、すぐに手を放せッ!」

はじめて耳にするシルヴァードの怒鳴り声は、アインを心配する一心から来たものだ。

漏れ出した光は紫電となり、蒼と黒の霧と共に包み込む。

「わ、分かってます! でも……ッ! 」

手を放そうと思っても、魔石に吸い付いたように放れなかったのだ。

しかし、そんなアインの不安を知ってか、魔石は不思議な温かさを醸し出す。

(なんだろ……これ……)

心配するな、そう言われてるように感じ、自然と心の内に落ち着きが戻る。

緊張から、魔石をぎゅっと握りしめていた手にも、自然と余裕が生まれてきた。

(──大丈夫……なのかな‥…?)

すると、ほどなくして、強い光と風圧が徐々に収まった。

アインを包む霧もすぐに消え去り、最後に残されたのは、全身を走る紫電だけ。

それすらも、数秒点滅したと思いきや、身体に吸収されるように鳴りを潜めたのだ。

「お……終わったのだな……?」

「……えぇ。終わったみたいですね、お父様」

まるで戦いの後のような、急激に訪れた落ち着きが三人を迎える。

アインはゆっくりと魔石を台座に置き、近寄ってきた二人に顔を向けた。

「すみません。心配をおかけしてしまったみたいで……」

そう言うと、アインは両りよう 掌て の握りを確かめ、達成感に満み ち溢あふ れた表情を浮かべた。

「成功したみたいです。身体中に、今までにはない充実感がありますから」

五感まで新しくなったかのような、生まれ変わった感覚だ。

二人はさきほどの様子を心配したというのに、アインは随分と軽い調子だ。

シルヴァードは気が抜けてしまい、皺しわ を深くして高笑いをする。

「はーっはっはっはッ! そうであろう! なにせ、伝説の魔物の力を吸収したのだからな!」

「ふふ……お父様の言う通りです。アインったら、もっと素敵になったんですね」

オリビアは口元に手を当て微笑ほほえ み、胸元でアインを優しく抱きしめる。

(俺が国宝の魔石の力を得られるなんて、思ってもみなかったな……)

背中を優しくさすられながら、ラウンドハートでの、廃嫡された時の事を思い返した。

神との出会いや、屋敷での生活を思い返していると、シルヴァードが上機嫌に語りだした。

「デュラハンの甲かつ 冑ちゆう は、彼らの魔力を用い、スキルで生み出された一品だ。もしかすると、アインもそれらの力を使えるようになったのかもしれぬな」

「ッ──さ、早速、ステータスカードを見てみますねッ!」

静かにオリビアの胸元から離れ、懐に入っているステータスカードを取り出した。

(あれ……コーヒーの香り……?)

ふと、アインの身体全体が、濃厚なコーヒーの香りに包まれた。

デュラハンの魔石の味なのか? 後味のようにやってくると、アインの心を穏やかに癒いや す。

「ねぇ、アイン? 何か変わったとか……ないかしら?」

言葉は大人しめながらも、オリビアは湧わ き上がる興奮を隠しきれていない。

急せ かすように、それでいて、輝く瞳ひとみ でアインを促した。

「──うわっ……凄い事になってる……」

胸の高鳴りに同調するように、ステータスカードの数字に目を向けた。

大きく変化した内容に、アインは目を大きく見開いた。
アイン・フォン・イシュタリカ

【ジョブ】 王太子

【体 力】 1355(1120UP)

【魔 力】 2541(2100UP)

【攻撃力】 218(144UP)

【防御力】 540(500UP)

【敏びん 捷しよう 性】 95

【スキル】 暗黒騎士/濃霧/毒素分解EX/吸収/修練の賜たま 物もの
……あ、すごい強くなってる。これで俺も有名人だね。

「ハッハッハッ! まさに凄すさ まじいの一言に尽きるではないか!」

目を見開き、口角をゆっくりと上げて高笑いしたシルヴァード。

国宝と呼ばれる魔石なだけあって、その効果は彼も驚く相当な結果となった。

「ふふ……アインったら、また素敵になったのね」

「あ、えっと……ありがとうございます?」

「うむ。これはよい結果である。──しかし、解せんな」

これまでの感動は大きい。

だが、衝撃的だったことから一変して、ふと、シルヴァードが何かに気が付いた。

口元に手を当てて考え込み、チラッとオリビアへと視線を送る。

「──オリビア。お主はまさか、計画しておったのではないだろうな?」

ピタリと空気が固まると、オリビアは観念した表情で口を開く。

「あら、バレてしまいましたか?」

「色々と腑ふ に落お ちなかったのだ。アインを溺でき 愛あい するお主が、魔石を吸収する力に気が付かないはずもないのだからな」

……それで、いつからなのだ? と、回りくどいことを言わずにつづきを尋ねた。

「お爺様? 何の話でしょうか……?」

「大したことではない。オリビアがこの日のことを、入念に計画してたということだ」

「……はい?」

戸惑うアインを傍目に、オリビアは優しく笑い、その真意を語りだす。

「……私、ローガスに根付くのが怖かったんです。イシュタリカのためなのは分かってました、でも、あの家に命を捧ささ げ、ローガスと生死を共にする覚悟が出来なかったんです」

根付くという言葉には覚えがある。

しかし、その意味を聞けてなかったことから、アインは静かに耳を傾ける。

「妻として身体からだ を重ねなかったこと。これは許される事ではありません。ですが、私はドライアドなんです。安易に根付くこと、それを考えるだけで泣いてしまうこともありました」

オリビアは、顔を曇らせながら語りつづける。

「でも、私は嫁いだのです。子を成さねば、国家間の密約も体を成しません。ですから、私はドライアドとして、アインを生んだんです」

すると、シルヴァードの表情も曇ってしまう。彼にも罪悪感があるからだ。

「その後は、アインの幸せを考えました。弟と比べられ、思い出したくもない扱いをされ、こんな家に残る理由はない……そう考えたのです」

しかし、海結晶の問題が残される。

だからこそオリビアは、問題解決のため、一人で海結晶の調査をしたのだ。

「魔石を吸収できる力。異人がいないハイムで公言すれば、下へ 手た をすれば、殺されかねません」

つまり彼女は、アインが魔石を吸収できるであろうことを知っていたのだ。

とはいえ、ハイムでそれを公言することは下策で、誰かに言う気にもなれなかった。

ゆえに、彼女はアインを想おも い、イシュタリカに帰ることを考える。

これが彼女の考えた、アインがデュラハンの魔石に至る計画だった。

(う……噓うそ でしょ? そんなに前から、今日のことを考えてたってこと?)

思いもよらない計画には呆あつ 気け にとられるばかり。

だが、一方のシルヴァードは神妙な面持ちで口を開き、オリビアに尋ねる。

「そしてアインは、ドライアドの特性から産まれた子、ということか」

これを聞きオリビアが頷うなず くが、その表情は、少しばかり恥ずかしそうだ。

「ドライアドの特性から産まれたって? あと、根付くってどういうことですか?」

「すまんが、余の口から言うのは憚はばか られる」

「えぇー…… 」

力の抜けた、嘆くような声を漏らす。

シルヴァードはその声に笑うと、次の言葉を、少しきつい口調で言った。

「余はオリビアへと説教することにした。悪いが、ウォーレンたちにでも聞いてほしい」

その後は、なんとも締まらないかたちで宝物庫を後にした。

二人はなんのことを話しているのだろう? アインは不思議に思い、二人と別れた後は、ウォーレンを探して城を歩いたのだった。
◇ ◇ ◇
「ふむ……何度見ても、素晴らしいステータスですな」

「ウォーレン殿が言う通りだ。毒素分解に吸収の力、そして、アイン様ご自身で得られた修練の賜物! いや、これ以上の組み合わせはありませんな……!」

やってきた場所は、城の一角にあるサロン。

休憩していたロイドとウォーレンを見つけ、宝物庫での出来事を語った。

二人にステータスカードをみせて十数分、二人は何度も見返して、驚きの言葉を漏らす。

「あ、ウォーレンさん。そういえば、聞きたいことがあって来たんです」

「私にですか? えぇ、なんでもお尋ねくださいませ」

「──根付くって、どういう意味ですか?」

次の瞬間、空気が固まった。

二人は顔を見合わせ、どうしたものかと言わんばかりにアインを見る。

「急に根付くだなんて……どうしたのでしょうか」

ウォーレンにそう言われ、シルヴァードが説教をしに行く前の言葉を伝えた。

内容は少なく、情報も限られたものだが、アインは事細かに説明する。

「……ははぁ、なるほど。そういう理由からでしたか」

ロイドが納得した表情で頷く。

「俺は全然意味が分からなくて、お爺じい 様の様子も意味が分からなかったんです」

そもそも、ドライアドの特性ってなんだ。ここから説明がほしいところだ。
すると、二人が言い い淀よど んでいる間に、新たな人物がやってくる。

「あ、アイン。ここにいたのニャ」

まさに助け舟と言えよう、カティマが軽い態度で足を運んで来たのだ。

「あれ、カティマさん? どうしたの?」

「私の妹から、助けてって言われたからやってきたのニャ」

彼女はなんの遠慮もなく近寄ってソファに腰かけ、テーブルにあった茶菓子を口に放り投げる。

言い淀んでいた二人に目配せをして、口元を拭ふ いてから語りだした。

「まぁ、色々教えてやるニャ」

アインが生なま 唾つば を飲み込む。とうとう謎が解決するからだ。

「ドライアドは、異性と交わらなくとも、生涯に一度だけ、同じドライアドを産み出せるのニャ」

「……単体生殖ってこと?」

「んニャ、ドライアドの場合は株分けだニャ。異性の血液とかは必要になるけどニャ」

カティマ曰いわ く、少し複雑な特性とのこと。

魔石と核を分け与え、自らの番つがい となるべき存在を産み出せるという。

容姿や性格、その他細かなところに、株主となる存在の影響が反映されるという。

こうした特性があるのは、理由があり、

「そして、もう一つの特性が根付き、ってことだニャ」

彼女は新たに茶菓子を口に放り込む。

さっさと教えてほしい。という感情のアインがやきもきした。

「ドライアドは生涯で、たった一人の相手としか交われない種族なのニャ。交わると、その相手と命を共有するっていう……その難儀な特性が、根付くっていうことニャ」

「……はい?」

何を言ってるんだこの猫は。そんな瞳で彼女を見るアイン。

しかし、彼女は至って本気で、

「な、なんだニャその目は! 本当なのニャ! だから、ドライアドは数が少ないのニャ!」

「……本当ですか?」

アインが目線をそらし、ウォーレンを見ると、彼は苦笑いを浮かべて頷く。

「なるほど、なら信じます」

「な、なんで私は信じないのニャ!? 」

べつに彼女を信用していないわけじゃない、だが、ウォーレンは説得力がある。

宰相の彼は、それだけの影響力があった。

「まぁ、苦肉の策だニャ。交われないからこそ、こうして子を成すしかないっていう……それに、ドライアドは催眠能力を持つから、それを使えば、夜も避けられるからニャ」

いわゆる、夫婦間の夜のやりとりを避けるため、そのための措置なのだろう。

この背景に、アインは啞あ 然ぜん とさせられる。

「で、原因は、先代のラウンドハート伯爵が亡くなったことだろうニャー」

オリビアも、嫁いだ当時は務めを果たすつもりだったという。

その想おも いがすぐに瓦が 解かい してしまったのは、多くのことに失望したからだろう。

ラウンドハートに対しての気持ちもそうだが、祖国イシュタリカの調査団にもだ。

──こうした多くの悲しみを背負った中、根付くという、命を懸か けることに恐怖したのだ。

そこには、臣下である二人にとって、強い後悔の念が募る。

「……オリビアは少し逃げてしまったけど、許してやってほしいのニャ」

産み方は特殊だが、それでも、彼女はアインを産んだのだ。

ここには根付くという、命を共有することへの恐怖があったこと、それを鑑みるべきなのだ。

苦悩したところで、特性を使うという選択。

これは、彼女自身の命を守るためにも、必要なことだったのだから。

「お父様も、説教するっていったけど、多分、二人でお話ししてるだけニャ」

「……よかった。安心したよ」

オリビアが不ふ 憫びん に感じ、アインは心がきつくしめあげられた。

それはロイドやウォーレンも同じことで、表情は暗い。

「はぁ……なんか、色々聞いて、安心したり納得したら、お腹なか 空す いてきたよ」

ヘラヘラっと、軽い態度で笑ってみせる。

「お、お前は肝が据わってるのかニャ……?  それとも、ただの馬鹿なのかニャ……? 」

「こう言っちゃなんだけど、お母様が父上──ローガスに根付いてないならいいんだ。命の心配はないだろうしね」

すると、アインはすっきりとした面持ちで語る。

「分からなかったことを教えてもらえたから、俺はもう十分だよ」

オリビア自身も、イシュタリカのために必死になって努力したのだ。

自らの恐怖心がゆえ、ローガスと交わることを避けたことに、彼女はしっかり報いた。

海結晶の取引をまとめてきたこと、それで王女としての責務は果たしたといえるはずだろう。

「でも、二人がこの話に不義理を感じるなら、それはしょうがないと思うんですが」

どう思う? と、そんな瞳ひとみ で二人を見た。

「王族には務めがあります、しかし」

ウォーレンが言う。言い切る前にロイドが口を開き、

「とはいえ、我ら臣下の失態もあり、オリビア様に対し、多くのことをしてしまいました」

「ロイド殿の言う通り。しかも、そもそもの密約はハイム側が反ほ 故ご にしたのです」

密約にあった、オリビアの子を当主とするという条件。

先にこれを破ったのは、ラウンドハート。そして、ハイムはこれを窘たしな めなかったのだから。

「我々としても、オリビア様の行いに文句をつけるつもりはありませんよ」

最後にウォーレンがこう言い、アインはふぅ、と一息ついた。

「あれ? というか、俺ってそれじゃ、どうやって産まれてきたの?」

「ドライアドは胎生じゃニャいから、おっきな木の実から産まれるはずニャ」

意味が分からなかった。この猫は何を言ってるんだと、そんな瞳で彼女を見る。

「人間の身体からだ の時は、普通にお腹の部分が大きくなるそうだニャ。産まれるときは、ドライアドの身体に戻って、木の実を枝から落とすそうニャけど」

なるほど、分からん。

しかし、そういう種族だと納得するしかないのだ。

「……ていうか、カティマさん。食べすぎじゃない?」

説明しに来たはずのカティマが、暇さえあれば茶菓子を口に放り投げているからだ。

一つ食べてまた一つと、口が乾かないのだろうか?

「食べすぎると太るよ?」

「頭を使ったから甘いものが必要なのニャッ! 変なこというニャッ!」

アインからしても、このカティマと言う女性は親しみやすい。

ニャーニャー言ってるからか、接しているのが気楽なのだ。

(これがペット感覚ってやつだよね)

口には出せないが、そう考えれば笑える話だ。

「ところで、魔石の件に戻るのですが、実はもう一つ……国宝とされる魔石がございまして」

光や風……霧に包まれたあの光景を思えば、あれ以上の魔石があるのかと、戸惑ってしまう。

「──実はですね、魔王の魔石が謁えつ 見けん の間に飾られております」

「え……うぇ!?  本当ですか!?  魔王って……初代陛下が倒したっていう……?」

ついさっき聞いたばかりの、初代国王の英雄譚。

それに登場した魔王の魔石があると言われ、驚きのあまり口が回らない。

「そうニャ。だからアイン、間違っても空腹のときに謁見の間にいったら駄目ニャ。いっとくけど、不慮の事故なんていう、不慮じゃない事故もだめだからニャ?」

深く釘くぎ をさされ、アインは目を白黒させながらもそっぽを向く。

「……そんなことするわけないじゃないですか」

「おや? アイン様、顔がゆるんでおりますぞ?」

あっさりと気が付かれてしまい、居い 心ごこ 地ち が悪そうに紅茶を口に運ぶ。

誤ご 魔ま 化か したな、一同が微笑ほほえ ましそうに笑った。

「初代陛下は誰だれ よりも強い王だった。それは力だけでなく、心もです。我ら騎士も憧あこが れる方ですな」

当時を知る訳じゃないが、伝わる逸話をロイドが何度も頷いて語る。

「……誰よりも強い?」

すると、アインの心に今の言葉が強く残る。

初代国王は誰よりも強かった、それは魔王を倒したのだから当然なのだが、

「無論ですとも。この国の者ならば、誰もが心より尊敬する方ですから」

つまり、王として立派なだけではなく、宿る力も頂点だった。

アインが心の内でそう整理すると、シルヴァードとのやり取りを思い返す。

『その、まだ整理はついてませんけど……初代陛下には憧れます』

彼はこう口にし、シルヴァードはそれはよい憧れだと答えた。
「ッ──ロイドさん」

何かに気が付いた。そんな態度でロイドに語り掛ける。

「初代陛下のような方ならば、ハイムにもその名は届くでしょうか?」

「当然ですな。いくら遠からん国であろうとも、その威光は届くでしょう」

聞いたアインは確証を得て、嵌はま っていなかった最後のピースを手に入れた。

(そうか、そうすればいいのか……ッ! )

ローガスたちどころか、ハイムそのものを見返せて、オリビアの価値も証明できる。

また、王太子としても申し分なく、すべてが解決する最高の方法を思いついた。

(初代陛下みたいに、名声がハイムに届くぐらい頑張れば……全部解決じゃないか──ッ! )

この事に気が付いた瞬間、心の中が清々しい気分でいっぱいになる。

「その……ロイドさん、どうすれば初代陛下のようになれるでしょうか?」

デュラハンの魔石を吸う前であれば、アインはこんな問いは投げかけられない。

オリビアのお陰で手に入った自信を胸に抱き、強い瞳でロイドを見る。

「ふむ、どうやら初代陛下に憧れたご様子。それは素晴らしいことですが……そうですな……」

初代国王の偉業は計り知れず、大陸を統一し、魔王を討伐した英雄だ。

どうすれば彼のようになれるかと聞かれても、ロイドは返答に困ってしまう。しかし、

「……初代陛下と同じことはできません。ですが、同じ高みに至ることはできるでしょう」

と、ウォーレンが言ったのだ。

「とはいえその高みは遠く、人一倍程度の努力では到底不可能。言い方を変えれば、努力で元帥に至ったロイド殿より更に、剣も勉学も練度を高めねばなりません」

「……はい。分かってます」

それでも、アインは初代国王のような人を目指したいと思った。

全すべ ての感情を纏まと めて解決できるのもそうだが、やはり、憧れを抱いたのも事実。

試すような瞳のウォーレンに対し、アインは譲らず強い目線を送る。

「──よろしいでしょう。ならばこのウォーレン、出来る限りの協力を致します」

「ッほ……本当ですか……!? 」

「えぇ。早速ですが、本日の夜から勉学の方も手を付けて参りましょうか。重ねられた知識は武器となり、剣を振るうにも役立つこともありましょう」

心強い味方を得たとアインは喜ぶ。

明確な目標がある今、勉強を頑張ろうと言われても決して苦にはならなかった。

「じゃ、そろそろ行くニャッ!」

といって、カティマが勢いよく立ち上がる。

「カ、カティマさん? 行くってどこに?」

「ニャァアアッ!?  そんなの、デュラハンの力を見に行くに決まってるのニャ!」

「あぁ……なるほどね」

彼女も、アインの力の検証に手を貸していたのだ。

結果がどうなったのか、自分の目で見たいというのも、研究者らしいと言えた。

「お待ちください! 私はまだ書類仕事が……」

「そんなもんビリビリに破いてしまうのニャ! いいから付き合うのニャ!」

ロイドへ強引な言葉を返し、彼女は茶菓子を口に放り投げてから歩き出す。

すると、のしのしと音を立て、サロンの外に向かって行った。

「ウォーレンッ! ロイドにアインの稽けい 古こ をさせるニャ! いいかにゃッ!? 」

「はっはっは。実はロイド殿とクリス殿に、アイン様の剣の師を頼むつもりでしたので、ちょうどいいですな」

宰相に元帥、そして近この 衛え 騎士団の副団長。

アインが得た三人の師は、いずれも大国イシュタリカの重鎮ばかり。

ぶるっと武者震いし、全身に喜びを感じる。

「どうぞお気を付けて。後ほど、私にも報告をいただけると助かります」

「そちらは私が報告しよう。では、参りましょうか」

こうして、アインのイシュタリカ生活が、本格的に幕を上げていく。

三人が去ったところで、ウォーレンも楽し気に独り言を漏らす。

「さて、私も何かしら課題を考えておきましょう。将来の陛下のために」

彼も同じく、アインを立派な王と育てるため、いくつかのことを考えた。

早速、今日の夜からアインの勉強をはじめなければならない。

アインが抱いた目標は高く、簡単にいかないのは誰もが理解している。

「まったく。アイン様は本当に彼によく似ている お方だ」

意味深に呟つぶや くと、やがて、ウォーレンはサロンを後にした。
◇ ◇ ◇
デュラハンの魔石を吸収した日の晩。

同時刻のアウグスト邸では、クローネがベッドの上で、一人考え事に浸っていた。

「……私も浅はかだったということ、なのかしら」

アインに対して抱いた恋心、それに噓偽りはない。

彼女が考えてしまうのは、あっさりと心を奪われてしまったことについてだ。

「はぁ……ほかの人たちに対して、娼しよう 婦ふ に話しかけるように……なんて言ったのにね」

その彼らに謝罪するかのように、彼女は自じ 嘲ちよう してみせる。

すると、ベッドから起きて机に向かう。

鍵かぎ の付いた引き出しを開け、大切にしまっていた宝石を取り出した。

以前と違い、しっかりとした箱に保存されたそれを、大事そうに抱きしめてベッドに戻る。

「……もう。勝手にいなくなっちゃうんだもの」

弱々しく恨み言を言い、感情とは裏腹にわらってみせた。

あの日、あの夜のことを何度も思い返す。

スタークリスタルを差し出した、アインの優し気な顔が脳裏に焼き付いて離れないのだ。

──コンコン。

「誰だれ ?」

「お嬢様。失礼致します」

そう言ってやってきたのは、屋敷の給仕。

「旦だん 那な 様から、課題の進しん 捗ちよく を確認してくるよう、申し付けられまして」

お父様ね、クローネはベッドに腰かける。

「昨晩、旦那様がお出しになった課題──いかがでしょうか?」

「終わってるから、持っていっていいわよ」

「……はい? 終わってるというのは、すべてが……でしょうか?」

「そう言ってるの。次の課題を持ってきていいわよ」

さも当然だと言うように語るクローネを見て、給仕は面食らった。

「驚きました。旦那様曰いわ く、一週間分だったとのことでしたが」

「別に、集中してればすぐだったもの」

それに、約束したのだ──次に会う時までに、もっと素敵になっていよう……と。

言葉も内容も曖あい 昧まい だったが、この約束が、王族となったアインとの間に残された縁の一つで、彼女が努力するための心の支えになっていたのだ。

「しょ、承知致しました……では、旦那様にそうお伝えいたします」

「お願いね。あ、それと、次はもう少し難しい課題にしてって伝えてくれる?」

「……承知致しました」

給仕の彼女は思った。

この課題ですら、まだ幼いクローネには難しいはずだと。

彼女はそれ以上を望むのだから、お嬢様は相変わらず規格外だなと、内心で苦笑いを浮かべた。

「話は終わりかしら? ごめんなさい、少し考え事をしている最中だったの」

「い、いえ。実はご当主様からも連絡がありまして……」

「お爺じい 様から?」

怪け 訝げん な顔を向け、続きを尋ねる。

「なんでも、彼 に書く手紙を用意しておけ……と仰おつしや っていましたが」

「ッ──そ、それを先に言ってよ! もう、急いで用意しないと……!」

勢いを付けて立ち上がり、机に向かう。

その際も、注意を払ってスタークリスタルを置いた。

「あぁ、でも……なんて書けばいいの……異性に手紙を書いたことなんて……」

さっきまで自信満々だった彼女が、たかが手紙一通で戸惑う姿。

給仕はその姿を可愛かわい らしく感じ、くすっ、と笑って、助け舟を出す。

「もしよろしければ、ご当主様に尋ねてみては? ご当主様は、詩集などにも明るいお方ですから」

加えて、彼はクローネに頼られたいはずだから。

「そ、そうね……! ありがとう、それじゃ、お爺様の部屋に行ってくるから……!」

「承知致しました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」

慌てた足取りで、艶つや やかな、淡い蒼の髪の毛を靡なび かせた。

クローネにしては珍しく、慌てて走るその姿。

表情は数々の感情に襲われているが、喜びを隠せていないことは一目見て分かる。

手紙の返事よりも、手紙を出せるということに喜びを見み 出いだ していたのだ。

「あらあら……頑張ってくださいませ、お嬢様」

年相応の愛あい 嬌きよう をみせた彼女を、給仕は陰から応援する。

この応援を受けてか、クローネの足取りは一層早まった。
「そうだ、オリビア様にも手紙を……あぁ、駄目だわ、やっぱりお爺様に相談しないと……!」

書きたいことは山ほどある。伝えたいことは限りなく多い。

遠く、海を渡った彼のことを想おも い、クローネの足取りは軽かった。

頰を赤らめ、彼は今何をしているだろうかと、心の内で考えた。

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人外の力と魔石の店

季節は巡り初夏になる。

日の光が差し込む天気の良い日。城内を歩くクリスは、手紙を片手に迷っていた。

アイン宛あて だが、特殊な事情ゆえ、渡すべきかと苦悩していたのだ。

取りあえず、アインを探す必要がある……と、城内を歩いていたところで、

「ニャハハハッ……!  王太子が、王太子がこんな技を……ニャーッハッハッハッ!」

「何はともあれ成功だし、いいと思うけどね」

「国難に該当する魔物もいるニャ。そいつらの魔石を吸ったら、一体どうなるのかニャー……? 」

目的のアインは、オリビア譲りの茶髪を翻らせ、なんとも嬉うれ し気に言った。

場所は中庭で、大笑いするカティマと共に何かをしていたのだ。

「あれ? お二人とも、何をしていたんですか?」

実はこの後、アインはクリスとロイドの二人と共に、城の外に足を運ぶ予定がある。

手紙の件もあったが、こうしてすぐに見つけられたのは幸先がよかった。

「ふっふっふー! 苦節八か月。私たちの研究がようやく実を結んだのニャ! はい拍手!」

「お……おめでとうございます……?」

訳も分からぬといった表情で手をたたき、カティマの機嫌を取るクリス。

「そっか……そういえば、もう八か月も経た ったんですね」

アインが来てから、もう八か月も経ったのかと、感傷に浸ってしまう。

この八か月で多くのことがあったと思い出した。

クリスとロイドが師となって剣を教えたこと、そして、アインの吸収の力を制御するための訓練など、アインの城での生活はとても賑にぎ やかだったのだ。

そして冬を越え、アインは六歳になり、身長もそこそこに成長した。

クリスは、出会った時と比べ大きくなった彼の姿に、自然と笑みを浮かべてしまう。

「ところで……研究というのは?」

「詳しく説明したいけど、私はこれから別のお仕事だニャ! クリス! アインを頼むニャ!」

「え、えぇ……。お任せください」

すると、突然、カティマは嵐あらし のように立ち去っていく。

去り際に木箱を一つ抱えていく姿は、慌ただしさしか感じさせない。

「あ、クリスさん。会議はどうでしたか?」

その言葉に、クリスが苦々しい面持ちを浮かべる。

「……いい気分になれる報告ではありませんでした」

暗い表情というよりは、苛いら 立だ ちや悔しさなど、負の感情に苛まれているようだ。

美人が凄すご むと迫力があると言うが、クリスからは、その迫力が伝わってくる。

「ウォーレン様の手の者がハイムに潜伏しております。彼らからの報告によると──」

曰く、ラウンドハート家は取り潰つぶ しとのことだが、話はここでは終わらず、

「なるほど。密約を破ったことへの罰。だけど、それで終わりですか?」

「……いえ。ローガス殿は、聖騎士を持つ子をハイムへともたらしたことで、平民から子爵へと叙爵。希望した家名は、変わらずラウンドハートとのことです」

聞いたアインは深々と頷うなず き、空を見上げて語る。

「やっぱりか。あの国がラウンドハートを捨てるとは思えなかったんです」

当主のローガスという男は大将軍で、周辺国に名を響かせる名将なのだ。

これまでのことを思えば、切り捨てるという選択肢はないとアインは考えていた。

「領地は失いましたが、屋敷を受け取ったとのことです──これではあまりにも……!」

あまりにも甘く、イシュタリカを舐な めた態度にしか思えない。

彼女はそう口にしたかった。だが、

「俺たちは気にしてませんよ。俺もお母様も、縁が切れて満足してますから」

そういうが、クリスの表情は依然として硬い。

彼らに与えられた罰は実質的には子爵への降格と、領地の没収のみなのだ。

この程度の罰では、クリスだけでなく、シルヴァードたちの溜りゆう 飲いん も下がらないことだろう。

「我々が戦争を仕掛けないのを理解しているからこそ、この程度の罰となったのでしょう」

初代国王の遺言を守るイシュタリカ、その姿勢を知って甘い態度なのだ。

アインからしてみれば、どうして他国のことを、そこまで信じられるのかが疑問だったが。

「でも、ウォーレンさんは報復措置をとるんですよね?」

「──はい。当然ながら国交は断絶。もしもハイムの船がやってきた場合、相応の対応で処理するとのことです。そして、エウロの件ですが」

オリビアが単身でまとめた取引。

その詳しい条件に関しても、今日の会議で報告がなされたのだ。

「取引額や採掘に関しての技術提供など。そして、エウロの要求も、我々は承諾した結果です」

「要求って、どういう内容になったんですか?」

「エウロが我々と取引を行っている。これを公表するということです」

後ろ盾となってくれ。とは要求しないが、それを匂わせることをエウロは求めたのだ。

これを公表するだけでも、他国は強く警戒するはず。

むしろ、こうした遠慮がちの要求に、アインは微笑ほほえ ましく感じてしまう。

「十分実りある結果となりまして、近々、我々の船がエウロに向かう予定になりました」

「それは何よりです──じゃあ、そろそろロイドさんと合流して……あれ? クリスさん。その手紙はどうしたんですか?」

「ッ……あ、あの……これはですね……」

気を抜きすぎていた。

アインに声を掛ける前に、手紙を懐にしまうべきだったのだ。

それはもう遅い。クリスは返事に迷ってしまった。

「もしかして、ハイムからきた手紙ですか?」

ピクリと身体を反応させてしまい、アインが目ざとく気が付き核心に至る。

「あの……別に気にしないでも構わないんですが……」

迷っていたクリスに助け舟を出し、目を見て尋ねる。

「──実は、ハイムからではなく、エウロからの手紙なんです」

「はい? エウロから俺に手紙が?」

観念した。いや、伝えることに決めたクリスが口を開く。

一方で、アインは困惑した表情を浮かべた。

「エウロに知り合いは居ないはずですけど……」

「も……申し訳ありません。正しくは、エウロを経由した、ハイム貴族からの手紙です」

「とある貴族? 名前は聞いてないんですか?」

はっきりとしない答えに、アインが眉み 間けん に皺しわ を寄せる。

「……代わりに、こう言付かっております。『アイン様に頂いたお花は、常に身に着けております』、とのことですが、覚えはございますか?」

え、なんのこと? アインはピンとこない様子で、腕を組んで考え込む。

「はぁ……危き 惧ぐ していたのですが、騙かた りですね。この手紙は処分しておきます」

ハイム貴族のいやがらせか。クリスはこっそりと舌打ちをした。

やがて、手紙を懐にしまい込もうとするのだが、その時だ。

「ッ──もしかして。ごめんクリスさん! やっぱり、その手紙みせて!」

たった一つの可能性に気が付いたのだ。

少なくとも、花を渡したことがある相手は、一人しか居なかったから。

「え、えぇ……おみせするのは構いませんが……」

急に忙せわ しなく迫ったアインに対し、クリスはしまいかけた手紙を手渡した。

アインは指の爪で封を切ると、興奮した様子で中の紙を取り出した。

「ははっ……花って、やっぱり、そういうことか」

紙を広げて書かれていた文字に目を通す。

そして、懐かしい時に浸るように柔らかな表情を浮かべた。

「『あの日の夜。私はどんな宝石も霞かす む時を過ごしました。ですがただ一つ、貴方様が下さったお花だけは、あの時の煌きらめ きを思い出させてくれるのです』──だってさ」

「ア、アイン様? それは恋文のような内容ですが……そんなことが書かれているのですか?」

わざわざ国を跨また ぎ、苦労して届けられた手紙なのだ。

内容がただの恋文とあっては、クリスも拍子抜けしてしまう。

「あとは、『名乗れないことをお詫わ びします。イシュタリカにて、受け入れてくださるとお返事をいただけたとき、改めて名乗らせていただきたく存じます』って、つづきが書いてありますよ」

情熱的な内容にアインは照れてしまう。

笑いながらその照れた感情を隠すと、上機嫌にクリスに手紙を返し、クリスも同じく目を通す。

「本当に恋文じゃないですか……」

クリスが言ったように、報復として国交が断絶となる、だからエウロ経由なのだろう。

「……お返事を致しますか?」

「そうします。お母様もよくしてもらった方なので、希望通り、来てもらいたいんですが」

すると、戸惑っていたクリスが急に気を良くした。

相手がオリビアとも懇意だったというのなら、話は別なのだ。

「オリビア様も懇意になさっていた方なら歓迎でしょう。ウォーレン様にお伝えしますね」

彼女は忘れないようにと心の中で反はん 芻すう した。

その後、アインとカティマの二人の会話について思い出す。

「ところで、カティマ様とお話しになっていた、八か月の研究成果というのはいったい?」

「あぁ、それはですね──よいしょっと」

クリスに尋ねられ、アインは懐から、大きな爪を一つ取り出した。

それは表面が金属で覆われた特殊なもので、

「クリスさんは、幻想の手 って知ってますよね?」

「知ってます。暗黒騎士……デュラハンが使う、主力となる技のはずですが」

魔力を使って作り出す第三の腕。

アインが今まで訓練をつづけてきて、唯一使える暗黒騎士の技だ。

攻撃力や耐久力、腕の長さは使い手の匙さじ 加減で変わり、込められた魔力によっては、幻想の手だけでも驚異的な力を振るうという。

「それで、この爪はカティマさん特性のもので、俺の幻想の手とあわせると……」

すると、アインが身体からだ に力を込める。

背中から黒い触手のような腕が姿をみせ、持っていた爪をその先端に装着した。

「クリスさんが来る前に実験してたんですが、これを付けて魔物に突き刺すと、魔物が生きたまま魔石の中身を吸い取れるっていう代物で……」

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「はぁ……なんて物騒な物を開発したんですか」

この物騒な物に八か月も費やしてたのかと、呆あき れて物も言えない状況だ。

相変わらず、話題に事欠かない王太子だ。

クリスはそう実感すると、乾いた声で、よかったですね。とアインに告げたのだった。

「あ、名前は暗黒ストローっていうんです。ぴったりですよね?」

「……お答えするのは、控えることに致しますね」

なるほど、カティマが大笑いしていた理由はこれなのだ。

答えを濁したクリスは、気を取り直してロイドの下へとアインを案内した。
◇ ◇ ◇
ロイドは正門内側で馬車を用意して、アインとクリスを待っていたのだ。

これから三人でどこに何をしにいくのか──そこは、王都を出て数十分程度の距離にある森。

アインたちを運ぶ馬車は、数十分程の時間で、目的地である王都近くの森へと到着した。

「天気がいいから、森の空気が気持ちいいですね」

「ふふ……はい、私もそう思います。さぁ、どうぞこちらへ」

馬車から降りると、深い緑と、鳥のさえずる声が耳に届く。

「綺き 麗れい なところですね。魔物がいるようには思えません」

「危険な魔物は生息しておりません。ですが、油断はなさらぬように」

クリスの忠告を受けて、アインは気を引き締める。
今日になってこの森にやってきた理由、それは、魔物との戦いを経験するためだ。

剣の鍛錬が一段落ついてきたこともあり、こうして新たな経験を積みにきた。

「では、私が先導致しますので、アイン様はクリスと共にいらしてください」

「わかりました」

アインの前にはロイド。そして、隣にはクリスが並んで歩いた。

二人は大国イシュタリカにおける最高戦力、頼もしさは十分すぎる。

「ロイドさん。この森って、どんな魔物が出てくるんですか?」

「よく出現するのはフォレストラット、大イモムシ、緑スライムといったところです」

すると、クリスが隣から情報を追加する。

「三種類とも、1m程度の大きさの魔物ですよ。群れてもあまり強くない魔物たちですね」

「なるほど。安心しました」

気楽になったのだ。

最初から強い相手を倒したいなんて、そんな大それたことは考えていない。

「城の騎士相手の訓練よりは容易でしょうな。アイン様は、騎士相手でも、そこそこの戦いができるようになっておられる。であれば、苦戦するような相手ではありません」

──と、ロイドは語った。すると、

「ちょうど来ましたな……あれがフォレストラットです!」

木の陰から、大きなネズミが姿を現した。

灰色の体毛は普通のネズミらしい姿をしていたが、尻しつ 尾ぽ が二本あり爪は鋭い。

大おお 凡よそ 、普通のネズミらしくない姿なのだ。

「アイン様。先に対処法でも──」

「いえ、大丈夫です。それも考えながら戦ってみますね」

「……ご武運を」

クリスの提案に否定の意を示すと、アインが一歩前に出た。

鉄製の短剣を抜き、落ち着いてそれを構える。

(よし、頑張ろう)

すぅ……。アインは深く呼吸を繰り返し、落ち着いてフォレストラットをみた。

次の瞬間には足を踏み出し、フォレストラット目掛けて駆け出す。

「さぁ、我らがアイン様の初戦闘だ。アイン様ならば、特に問題ない相手だと思うが」

「ですね。城の騎士からは数段落ちる相手ですので、最初の対処に戸惑うぐらいかと……」

二人は嬉き 々き として、王太子アインの初戦を見守った。

しかしながら、二人のその軽い言葉は、数十分後にあっさりと裏切られることになる。

というのも、アインが魔物にした対処が原因となるのだ。
──数十分後。

一匹目のフォレストラットを倒したアインは、他にも多くの魔物と戦いをつづけた。

「……ロイド様。どうやら、ここの魔物では張り合いがないようですね」

「うむ……。正直、多少は予想していたのだ。城の騎士と剣を競えるほどなのだからな」

クリスとロイドの二人は、戦っているアインを後ろから眺めていた。

後ろから見えるのは、魔物に一切苦戦しないアインの姿だ。

「うーん、人相手と勝手は違うけど、まぁ……なんとかなるかな」

そう言って、片手間に緑スライムを倒す。

最初は戦い方に戸惑ったものの、アインはすぐに、魔物との戦いのコツを摑つか む。

「あと、ゲテモノしかいなかったのが切ない」

楽しみの一つ、魔石の味の調査だ。

フォレストラットも大イモムシも、どちらもいい味とは言えなかった。

しかし、緑スライムだけは違ったようで、

「緑スライムはメロンみたいで美お 味い しかったけど……」

訓練からかけ離れた感想を語り、聞いていたロイドは大笑いをする。

「はっはっは! アイン様! どうやら物足りない様子ですな」

彼のような大男が大口を開けて笑うと、それだけでも森が揺れたような錯覚に陥る。

「人間相手じゃないので、勝手が違うのには戸惑いましたけどね」

「でしょうな。彼らはアイン様に倒されないようにと、必死になっているはずですから」

逃げまどう相手なら心は痛むが、森の魔物たちは自ら襲い掛かってくる。

この初戦で、アインは悪くない経験を積むことができた。

「でも、今日はこのぐらいの強さでよかったです」

「それはなによりでした。次回からは、もう少し魔物を強く致しましょう」

「あ……そういえば、本当に強い魔物って、どのぐらいの強さなんでしょうか?」

アインが思い浮かぶなかで、何よりも強いのは魔王……そして、デュラハンぐらいだ。

「そうですな、例えば、我らの戦艦よりも大きい龍も存在しますが」

「……聞かなかったことにしておきます」

アインはそう口にしながら、近くにいた緑スライムを見る。

一度ぐらい技を試しておこうと考えたアインは、懐からカティマ特製の爪を取り出した。

「あ、それってもしかして……」

クリスがそれに気が付いた。彼女は城の中庭で一度目にしているからだ。

「折角なので、実戦で使ってみようかなって。いいですか?」

「問題ありませんな。アイン様の新しい技とやらを、我らにも見せていただきたい」

噂うわさ の研究成果とやらを、ロイドも興味津々に見る。

彼の答えは是。アインは小躍りし、幻想の手を出現させて爪を付ける。

「ロイド様。なんでも、名前は暗黒ストローというらしいです」

「う、うむ……まぁ、原理としては間違ってないと思うが……なるほどな……」

いいとも悪いともいわず、薄い笑顔で取り繕う。

アインは二人の様子に気が付くことなく、黒い触手──いや、暗黒ストローを伸ばした。

「よし……いけッ!」

空中をうねって進むその姿は、人間が使うような技には到底思えない。

アインの魔力を吸って生まれたその触手は、緑スライム目掛けて一直線に爪を伸ばした。

……すると、

「ッ──!? 」

突き刺された緑スライムが身体からだ を震わせる。

緑スライムの魔石が徐々に色を失うのに従って、幻想の手の内部を、淡く光る泡のような何かが通り抜けていく。

「あれは魔石の生命力だろう……なるほど、ストローだな」

「え、えぇ。ストロー、ですね……」

そのまんまの意味の技だが、効果は目を見張るものがある。

光る泡のようなものは、やがて、魔石がガラス玉になると同時に止や む。

「直接吸った方が、濃くって美味しいかな」

城に戻ったら、この成果をカティマに伝えることにした。

……技はどうにも異質なものだが、その有用性は疑う余地がない。

まだ幼い男の子の背中から出ている黒い触手、それだけでも異質なのだが、その触手は魔物に突き刺さり中身を吸うのだ。

見ていた二人は、もはや筆舌に尽くし難い感情に苛さいな まれる。

「──さて、アイン様。今日はこのぐらいに致しましょうか」

ロイドが提案した。惚ほう けつづけるわけにもいかないのだ。

空をみれば陽ひ が傾きはじめており、隣をみてみると、クリスも静かに頷うなず いた。

「そうですね。今日は貴重な時間をありがとうございました」

アインが頭を下げた。

二人はそんなアインに優し気な表情で答えると、乗ってきた馬車に戻る。

初めての魔物との戦い。結果はどうだったかと聞かれれば、成功だったと答えられるだろう。
◇ ◇ ◇
森からの帰り道。

城下町を馬車で進んでいたアインは、馬車内の雰囲気に内心で笑った。

(完全にクーラーだよね、あれ)

馬車の天井には、四角く薄い魔道具が取り付けられている。

そこから、心地よい風が下りてくるのだ。おかげで快適な移動ができている。

些さ 細さい なところからも、ハイムとの違いを大きく感じてしまう。

(それにしても、いろんな人がいるなぁ……)

獣人や、翼の生えた人間など、多種多様な人種が町を歩く。

魔道具だけでなく、多くの異人がみられる光景も、イシュタリカらしさといえるはずだ。

すると、アインがある建物に目を向けた。

もしかしてあの店は……と、強く興味を惹ひ かれる。

「クリスさん! あのお店って……!」

店にある大きめの窓には、いくつもの大きな魔石が飾られている。

門構えも見事で、まさに高級店という言葉がぴったりだった。

「えぇっと……あぁ、あそこは、高級な魔石を販売しているお店ですよ」

「城にも魔石を卸す名店ですが……ふむ、ちょうどいい。アイン様、よろしければ行ってみましょうか?」

「ロ、ロイドさん──いいんですか!? 」

「勿もち 論ろん です。ただ、例の懸念 があるので、私はご一緒できませんが」

申し訳なさそうにロイドが語る。

例の懸念というのは、アインの身分にかかわることだ。

「今日の私は私物の鎧よろい を着ているので、私はご一緒できますよ」

クリスが笑顔でアインに答え、彼女はロイドに目配せをすると、持ってきていた兜かぶと を被った。

そうすることで、金糸のような髪と、端麗な容姿が隠される。

「すまんが、その路地に馬車を止めてくれぬか」

御者へとロイドが指示を出す。すると、ほどなくして、馬車が細い路地に進んで停車した。

「私はこちらで待っておりますので、クリスを連れて行ってくるとよいでしょう」

彼女は立ち上がると、先に馬車を出てアインを促し、アインに手を貸した。

「ロイドさん、行ってきますッ!」

ニカッと笑う、男らしい笑みで見送られ、アインがクリスと歩き出す。

「実は先日、お爺じい 様からお小遣いを貰もら っていたので、ちょうどよかったです」

「陛下からですか? それなら、気に入った魔石があれば購入することができますね」

シルヴァードはどれほどの小遣いを与えたのだろうか。クリスは疑問に思った。

「ちなみに、お店の名前はマジョリカ魔石店っていうんです。たくさんの魔石がありますよ」

数十秒ほど歩き、店の前へとたどり着く。

クリスはアインに説明すると、そのままの動きで店の扉に手を掛けた。
「──アラ。いらっしゃいませ」

と、クリスが扉を開くと、中から店員の声が届く。しかし。

……パタン。

「ア、アイン様? どうして扉を閉めたのですか……?」

何も言わずに黙って扉を閉めた。

なぜならば、その店員の姿が衝撃的すぎたからだ。

「魔石の店に来たかったのであって、特殊な性癖のお店に来たかったんじゃないんですが」

「ちちち……違いますッ! ここはれっきとした、魔石の高級店なんですってばッ!」

クリスがものすごい勢いで否定するが、アインがそう思ってしまったのも無理はなかった。

店員は金髪を油で固め、上半身裸にサスペンダー。そして、乳首を魔石で隠していたのだ。

むしろ、それで魔石の店だなんて考えることの方が難しかった。

「ここのご主人は……特徴的な方ですが、すごく優秀な方なんですよ?」

困った顔で言うが、果たして特徴的で済ませても良いのかと疑問に思う。

アインは深くため息を漏らし、扉を自らの手で開き、再度、店員と顔を合わせる。

「悪戯いたずら かと思ったわ。いらっしゃいませ、小さなお客様」

「え、えぇ……お邪魔します」

「お久しぶりですね。マジョリカさん」

クリスが店内に誰だれ もいないことを確認し、兜を取る。

すると、マジョリカと呼ばれた店員が笑顔を浮かべた。

「あら、クリスじゃない。こちらの坊やの付き添いかしら?」

と、暗にアインの素性を尋ねたのだが、

「その通りです。とだけお答えしておきますね」

しかしクリスは答えを濁す。

なぜなら、アインは王太子として認定されているものの、そのお披露目はまだされていない。

公表されているのは名前のみのため、ここでアインと名乗るわけにもいかなかった。

──ロイドが語った例の懸念とやらも、このことなのだ。

そのため、私服の鎧を着ていなかったロイドは、アインの付き添いをできなかったのだ。

「ふぅん……そう。まぁ、お客様には変わりないわね」

事情を察してか、マジョリカが素直に諦あきら める。

「それで、魔石がご入用かしら?」

「はい。魔石がみたくて足を運びました」

マジョリカはクリスに向けて尋ねたのだが、答えたのはアインだ。

「へぇ、貴方が?」

アインを見定めるような目つきをみせるが、ふと、マジョリカの表情が緩んだ。

「海結晶の台座に載った魔石には触れないように。身体からだ に障るから、お気を付けてくださいませ」

「分かりました。気をつけますね」

なにがあるのかなー……。二十畳程度の広さの店内を探る。

すると、魔石の香りが強すぎないことに安あん 堵ど した。

以前はリプルモドキの魔石から、濃厚な香りを感じていたのだから、魔石の店となれば、鼻が曲がる可能性もあるかと危き 惧ぐ していたのだ。

しかし、吸収の制御を訓練したせいか、ほのかに香る程度で助かっている。

(それにしても、魔石だらけだな)

純金のようにみえる金一色の魔石や、中を雷のようなものが暴れているもの。

『……』

何やら、彫金の装飾が施されたガラスケースに入っている赤黒い魔石まで。そして、

「あれ……? ステーキ?」

灰色の40 ㎝程度の魔石から、濃厚な肉の香りを感じたのだ。

「あら、鋭いのね。それはホワイトバイソンの魔石よ。高級な食肉となる魔物なの」

食べてみたい。アインをそう思わせた。

「そうねぇ……クリスのお連れ様だから、30、000Gでいいわよ」

おまけしてもらえたことに感謝しながら、アインが革の財布から金貨を取り出す。

「はーい、ちょうど頂きました。お帰りの際に渡せるように包むわね」

マジョリカはアインが購入した魔石を手に、カウンターの裏に進んだ。

姿がみえなくなったのをきっかけに、クリスがアインに声を掛ける。

「アイン様。魔石の匂にお いがすることは、ばれないようにしてくださいね?」

「あ……ごめんなさい。軽率でした」

釘くぎ をさすのも当然で、アインの情報を、少しでも漏らさないためなのだ。
──それからというもの、アインは一時間ほど、マジョリカの店を堪能した。

ホワイトバイソンの魔石の次には、グリーンワイバーンと呼ばれる魔物の魔石を購入した。

価格は52、000Gで、ホワイトバイソンよりは多少高価になっている。

「クリスさん。そろそろ──」

十分堪能した頃ころ に、アインはこれ以上ロイドを待たせるのもな……と、口を開く。

「えぇ、そうですね。では、品物を受け取って帰りましょうか」

「はーい。少し待っててね」

マジョリカが答え、アインが持ち帰るために詰められた魔石を取りに行く。

すると、アインの耳に、不思議な音が届いてきたのだ。

『……』

その方向を見ると、そこにあるのは入店したときに見つけた赤黒い魔石。

彫金されたガラスケースの中から、声が聞こえたような気がした。

「はいお待たせしまし……あら、ボウヤ。それに興味があるのかしら?」

「……はい。なんか、綺き 麗れい な彫金だなって思って、中を見てました」

声が聞こえたなんて馬鹿なことをいえるはずもなく、アインは彫金を褒めて答えをそらす。

「これは特別な封印なの。私が施したもので、このいわく付きの魔石を封印するためのね」

「封印、ですか?」

「呪のろ いがあるって言われてるの。持ち主の夢に出てきて、お前じゃない、お前じゃない……って、繰り返し訴えかけるらしいのよねぇ」

なんでも、マジョリカの店には、五年ほど前に流れ着いたらしい。

そのための封印なのか。尋ねたアインが納得する。

「本当に変な話よねぇ? 魔石から声が聞こえるなんて、おかしな話よ」

といいつつも、封印を施してるのだから警戒はしてるのだろう。

『……』

依然として、その魔石から何かを感じたが、邪悪なものとは思えなかった。

「マジョリカさん。その魔石……ケース込みでいくらですか?」

「えっと、ごめんなさい。聞こえなかったわ……なんて言ったのかしら?」

聞かなかったことにしたのだろうが、アインは引き下がらない。

「ッ──お、おやめくださいッ! 何かあってからでは遅いのですよ!」

「マジョリカさん。その魔石はいくらですか?」

それでもアインは続けた。クリスの制止へも対応することはなかった。

(変な感じはしないし、カティマさんに調べてもらうのもありだと思うんだよね)

「……魅せられているわけではなさそうね」

目線をきつく光らせ、アインのほうを見てそう断言した。

店内が一瞬冷やっとした空気に包まれた。マジョリカが何かしたのだろう。

「大丈夫ですよ。すべて俺の意思です」

「……いざとなったら、ここにもっていらっしゃい、クリスもいいわね?」

「正直、了承はしたくありません。ですが、この方が頑固なことは分かってるので……。それに、マジョリカさんの封印ならば、陛下も信用することでしょうから」

しぶしぶとクリスが折れる。

万が一影響があっても、例の声だけだからだ。

「このケースの材料費だけでいいわ。300、000Gよ、いいかしら?」

「はい。払えます」

ケロッとした様子で金を払ったアイン。

シルヴァードは小遣いをいくら渡したのかと、クリスは問い詰めたくなった。

「持ってきたお金はこれでなくなるので、ちょうどよかったです」

しかし、この言葉には安堵する。

子供に渡すには随分と多すぎる小遣いだが、アインが王太子と思えば納得できた。

「お買い上げありがとうございます。それじゃ、こちらも包むわね」

「あ、それじゃあ、包み終わるまで魔石をみてますね」

アインはそう言い、二人のそばを離れていく。

「まったく……大物なのかしら? 王太子殿下は」

「ッ──な、なんのことですか?」

狼狽うろた えたクリス。演技するならもう少し頑張ってほしいものだったが、

「貴女、自分で墓穴掘ったんじゃない。陛下が信用するでしょう──ってね」

「あ……あはは……そ、その、マジョリカさん? この件はご内密に……」

「別に誰だれ にも言わないわよ……やれやれだわ」

そもそも、近この 衛え 騎士団の副団長がただの貴族の護衛をする。というのも変な話だ。

最初から疑ってかかっていたが、さっきの自爆ではっきりとしてしまったのだ。

「ポンコツっぷりは、まだ殿下の前ではみせてないの?」

「み、みせるもなにも……私はポンコツでは……!」

「墓穴掘ったのは誰かしら?」

魔石を包みながら、マジョリカのきつい返しにクリスが固まる。

「う……うぅー……! 」

顔を赤くし、瞳ひとみ をうっすらと濡ぬ らしたクリス。

そんなクリスが面白く、マジョリカは笑っていうのだ。

「ほらほら、殿下に見られるわよ? さぁ、包み終わったから、持っていきなさいな」

ぽん、と背中を押され、クリスがアインの元に向かった。

「あれ? クリスさん、目が赤いけど……」

「……少し、目が痒かゆ かっただけですよ?」

クリスが兜かぶと を被り、その表情を隠した。

どうしたのかな、と不思議そうにしていたアインだったが、何事もなかったかのように、マジョリカの店を後にする。
◇ ◇ ◇
──某日のハイム王都。

建てられた新築の屋敷は、新たに誕生した子爵家のものなのだが、子爵家にしては立派すぎる。

だが、その不平を口にする貴族は一人もおらず、一同が揃そろ って祝福していた。

「はぁ……退屈」

出来上がった屋敷を祝うパーティの一席で、クローネが頰ほお 杖づえ をついて辺りを見渡す。

主役であるローガスたちを貴族が囲み、祝福している。

傍からみていると、なんて詰まらない芝居かと、ついため息も漏らしたくなる。

(はぁ……アインが居ないなら、あの人たちが王都に来ても意味がないのだけど)

手て 持も ち無ぶ 沙さ 汰た だった彼女は、飲み物が入ったグラスをじっと眺める。

「お嬢様、よろしければお代わりでもいかがでしょうか?」

すると、彼女に声を掛けたのは老いた給仕。

彼女はラウンドハート家の給仕で、以前、アインにクッキーを渡した女性だ。

「……えぇ、いただこうかしら」

答えを聞き、果実水を注いだ給仕は、暇そうにしているクローネに語りかけた。

「申し訳ありません。今こ 宵よい の集いはお気に召さなかったようで……」

「いいえ、貴方あなた たちにじゃないの。会いたい人が居なかったから、退屈だなって思って」

「会いたい人……ラウンドハート家の方でしょうか?」

グリント様ならあちらにいますよ? と彼女は言うが、クローネはふっ、と鼻で笑う。

他の有象無象と変わりなく、グリントにすら興味を見み 出いだ す事はなかった。

「あの子には興味がないわ。私が会いたかったのはアインだから」

固有名詞を出すべきじゃなかったか、少しばかり迷ったがどうでもよくなった。

グリント目当てと思われたのが気に入らなかったのか、我慢できなかった。

「──坊ちゃんとお会いになったことが?」

すると、給仕はすっと近寄って小声で話す。

彼女の表情は、どこか悲し気でクローネの気を引いた。

「えぇ。私の弟……あぁ、アインの弟のお披露目のとき、って言った方がいいかしら?」

わざとらしく皮肉を言い、給仕がなんと言うのかを試した。

ここで嫌な態度でも取ってくれたら、無礼と言って屋敷に帰ろうと思ったのだが、

「いいえ、あれは坊ちゃんのためのお披露目でした」

だが、老いた給仕は凛りん とした態度で答える。

「坊ちゃんの晴れ舞台──我ら使用人も楽しみにしていたのですから」

「……そんなこと、言ってもいいのかしら?」

すると給仕は、人差し指を立てて唇に押し付ける。なるほど、内緒話か。

クローネは今日はじめての笑みをみせ、楽しそうに語り掛ける。

「ねぇ、アインの事を教えてくれないかしら?」

この給仕なら知っている、彼がどんな少年だったのかを教えてくれるはずだ。

気分が徐々に高揚し、今日のパーティの価値をようやく見出せた。

「努力家で温かく、そして、使用人にも優しい……素晴らしいお方でした」

ローガスとの間になにがあろうとも、彼は必死に努力し、一人であろうとも訓練をつづけた。

本をよく読み、抜けたところはあるが人当たりが良い、立派な長男だったと給仕は語る。

「この新しい屋敷の書庫にも、坊ちゃんが残された紙の束を──我々は紙の山、なんて呼んでおりますが──実は本棚へと保管しているのです」

「そんなことをしていていいのかしら? 見つかったら……罰せられると思うのだけど」

「ですので、お嬢様も秘密にしてくだされば……と」

彼女は罰せられる可能性があるのに、楽しそうにクローネへと語る。

「そういえば……こちらをご覧ください。これは坊ちゃんから頂いたものでして」

「……木彫りの動物、かしら?」

「はい。坊ちゃんが彫ってくださったんですよ」

小さな木彫りの熊を取り出し、彼女はクローネにそれを見せた。

彼はこんなこともできたのかと、驚かされながらも嬉うれ しく感じてしまう。

──自分が知らなかったアインの日常は、どんな昔話よりも楽しめた。

今の話で劇でもつくれば、毎日でも通ったかもしれない。

「私はアインからお花を貰もら ったの。満天の星空のような、綺麗な花なのよ」

「あらあら……坊ちゃんらしいですね」

スタークリスタルとは言わずに濁し、給仕と顔を合わせて笑い合う。

当然、給仕はここに座るクローネについて知っている。

噂うわさ に聞いていた彼女が楽しそうに笑うこと、そして、アインと会いたかったと言ってくれたことが嬉しかった。

「──クローネ。一人にして悪かったね」

すると、ようやくハーレイが彼女の下に戻った。

彼が来たのをみて、給仕は静かに席を外す。

「別に構いませんよ? アインの事を聞けてましたもの」

「……あまり口に出さない方がいい。これからの計画のためにもね」

「存じ上げております。でも、私が別の人物目当てだった、って思われるのは嫌だったの」

目線を一瞬グリントに向けると、ハーレイもその意図に気が付く。

「はぁ……分かったよ」

と、彼が呆あき れながらも返事を返したところで、二人が座る席にローガスがやってきた。

「失礼致します。アウグスト大公家のお二人に来ていただけて、我が家の者たちも大変喜んでおります──さて、お初にお目にかかります、クローネ様」

正装のローガスは凛り 々り しく、その姿に惹ひ かれる女性も多いだろう。

しかし、クローネは興味なさげにしながらも、小さくため息をついて立ち上がった。

「こちらこそ、お初にお目にかかります」

いつもの彼女であれば、この後に言葉がつづくのだ。

だが、今日は相手がローガスとあってか態度が固く、そう言ってから黙りこくってしまう。

「……今日のパーティは楽しんでいただけておりますか?」

「お気になさらずとも構いません」

不思議そうにしているローガスに対し、彼女は言葉をつづける。

「楽しめたパーティなんて、一度っきりしかありませんでしたから」

あの夜、三人で過ごしたパーティは格別だった。

ローガスは少しばかり悔しそうで、何かを言おうと口を開くのだが、

「ところで、グリント様とシャノン様は仲なか 睦むつ まじい様子ですね」

「は……? え、えぇ。クローネ様が仰おつしや るように、二人は相性がよかったみたいで」

急になんだ? ローガスは戸惑ったが、グリントのことを言われると気分がいい。

「──クローネ様とは縁を持てず残念でした。ですが、あの子もよい男に育ってくれれば……と」

「ふふっ。確かに、聖騎士というのは輝かしい力かもしれませんね。ただ──」

ハーレイは内心で頭を抱える。

娘が、クローネがただ褒めるだけで終わると思えなかったのだ。

「それだけね。私にとっては、人としての魅力は少しも感じられなかったの。だから、彼とは縁がなかったのでしょう」

ただの些さ 末まつ 事だと言わんばかりに、彼女が乾いた笑みをみせたのだ。

いくら大公家の娘とはいえ、あまりにも失礼ではないか?

ローガスの内心が穏やかではなくなるが、クローネがこうした女性なのは耳にしている。

「はは……なんとも、厳しいお言葉のようで」

結局、引きつる頰で茶を濁すしかなかった。

「とはいえ、ローガス様の判断はお見事でした。彼を次期当主に据えること、きっといい事だったのだと思いますから」

「……えぇ。グリントの方が我が家のためにも、そして、ハイムのためにもなったでしょう」

急に皮肉もなしで、棘とげ もない言葉にローガスがまた戸惑う。

その表情が面白かったのか、クローネは笑って立ち、父のハーレイに告げる。

「それはようございました。さてと……お父様。そろそろお暇致しましょう?」

「あぁ、そうしようか」

時間も遅い、自分たち最上位の貴族が先に席を外すのがならわしだ。

クローネはローガスの見送りを断ると、「そういえば……」と言って彼に振り返る。

「人としての魅力と、心の強さを持つのは、他の誰だれ でもない……アインだと思いますわよ」

どうしてアインの名が……? 口を開けて驚くローガス。

最後にとんでもない爆弾を残し、クローネは上機嫌に笑って会場を後にする。
馬車に乗ったところで、ハーレイが尋ねる。

「ところで、クローネ。ローガス殿の判断を褒めた理由は?」

「決まっています。あの人の判断で、アインは一番いい国の王族になれたでしょう?」

途中でのいざこざはどうあれ、彼にとって何より幸せなのはイシュタリカでの生活だ。

結局のところクローネは、最初から最後まで一貫した態度だったということ。

「そういえば、エウロにむかう計画はどうなっているのですか?」

「……私と父上で話しているが、こうなった」

グラーフがハーレイに当主の座を譲り、彼は貿易都市バードランドに静養に向かう。

バードランドは貴族向けの宿が充実しており、グラーフが向かうのに違和感がない。

そして、祖父の静養に、クローネが見聞を広めるという意味も込みで同行する。

──この建前で、二人は姿をくらますようにエウロへと向かう、となる運びだった。

「第二王女オリビア様の配慮で、イシュタリカの船にてしばらく待機。彼らが海結晶を運ぶときになって、共にイシュタリカへと渡る。っていう流れになる」

「……承知致しました。お父様の分まで感謝の言葉を伝えますね」

もしかすると、親子の今生の別れとなるかもしれない。

クローネとハーレイは顔を見合わせると、物悲しい空気に浸ってしまった。
前代未聞の受験生

季節は秋に差し掛かり、朝晩が少しずつ冷えるようになってきた頃ころ 。

城の一角、騎士たちの訓練場が賑にぎ わっていた。

「あっ……そ、そうです……! そこで一気に畳み掛ければ……!」

「あらあら、クリスったら。そんなにアインに勝ってほしいの?」

「当然です! アイン様でしたら、きっと勝てるはずですから!」

訓練場の隅に設けられた一席に腰かけるオリビアに、隣で興奮した面持ちをみせるクリス。

二人の視線の先には、闘技場のような小さな舞台がある。

そこに立つのはアインと城の騎士の二人で、模擬戦の真っ最中だったのだ。

「ッ──はぁああッ!」

アインの身長は平均よりも高いが、それでもまだ幼い少年だ。

しかし、力と言うよりかは、技術と気転を利かせ、一人前の騎士に剣を振るう。

「くぅ……狙ねら いが……定まらない……!」

悪く言えばちょこまかと、よく言えば小回りを利かせて立ち回り、騎士の周囲を忙せわ しなく動く。

騎士も体力を消耗してきたのか、息が切れてきたのが伝わる。

(デュラハンの魔石のおかげで、なんとか体格面をカバーできる……! すこしずるいけど、有効活用しないと……!)

幻想の手は使わないで、剣と体力での勝負。

とはいえ、大きく成長したステータスのおかげで、こうして渡り合えてるのは否定できない。

しかし、ここにはアイン自身の努力もあり、技量で渡り合えてるのもまた事実だった。

「……俺が……勝つッ!」

振り下ろされた騎士の剣をかわし、アインがその隙に懐へと入り込む。

必死になってかわそうとするが、すでに完全な間合いと化している。

やがて、アインの持つ短剣が振り上げられ、

「はぁ……はぁ……ッ! 」

その短剣は、騎士の首元に添えられた。

騎士が体勢を整えようとした、その時のことである。

「──ま、参りました」

すると、騎士は剣を地面に落とし、両手を掲げて白旗を上げる。

イシュタリカに渡り、一年と少々が経た った今日。

アインはついに、城勤めの精鋭騎士に勝利を収めたのだ。

カラン、カランという、訓練用の木剣が転がる音が響くと、アインがようやく実感する。

「か、勝った……勝てましたよ、お母様ッ!」

ぱぁっと明るい笑みには、強い達成感と嬉しさがにじみ出る。

軽い駆け足でオリビアが座る席に近寄り、その喜びを伝えた。

「本当に頑張りましたね……アイン。すごくカッコよかったですよ」

彼が搔か いた汗を意にも介さず、着ていたドレスが汚れることを気にすることなく、オリビアはアインを抱き留める。

「クリスさん、いつも剣を教えてくれて、本当にありがとうございました!」

つづけて、剣の師であるクリスに感謝し、腰を折って頭を下げる。

彼女は王太子に頭を下げられたからか、慌てて両手を振って戸惑った。

「ア、アイン様ッ! そんなことをしてはダメです……! その、私も嬉しく思ってますから、頭はあげてくださいってばッ!」

金糸のように美しい髪の毛を靡なび かせ、容姿とは裏腹に可愛かわい らしい仕草だ。

ポンコツとは言わないが、感情豊かなところが魅力的だ。

「……ほら、クリスも褒めてあげて?」

ほ、褒める? そう言ってクリスが慌てた。

どうやって褒めればいいのか、そもそも、王太子を自分が褒めるのか?

内心が穏やかではなかったのだが、何度か呼吸を繰り返して思いついた。

「で、では失礼しますよ? 失礼しますからね……ッ! 」

何の気合だよとツッコミたくなるのを我慢し、彼女が何をするのかじっと待つ。

やがて、彼女はアインに近寄り、腰を折って視線を近づけると、

「──たくさんたくさん、頑張ってきましたもんね。さっきの戦いは、本当に逞たくま しくてご立派でしたよ……?」

何をするのかと思ったら、彼女は膝ひざ を折って目線を近づけ、ゆっくりと手を伸ばす。

それはアインの頭に向かうと、優しい手つきでそっと撫な でる。

(俺って撫でられること多いなぁ……小さいし、しょうがないけど)

彼女の長い髪の毛が胸の前に下りると、どこか落ち着ける優しい香りがアインを包んだ。

「あ……え、えっと……ありがとう、ございます」

呆あつ 気け にとられたようで戸惑いがち、だが、やはり照れくささが勝ってしまい、何とも複雑な表情を浮かべてしまう。

「あ、あれ? やっぱり嫌だったんですか……!?  そ、そんな顔なさらないで下さい……ッ! 」

「もう、クリスったら。アインは嫌なんじゃなくて──」

そうだ、何も嫌なんて思っていない。むしろ……。

「クリスさん! 大丈夫ですって! そんな悲しそうな顔しないでください! それとお母様も! 恥ずかしいので言わないで結構ですッ!」

目の前で悲しそうにする美女の顔というのは、なかなか衝撃的な光景だった。

ポロッと涙一筋流されでもすれば、それはもう破壊力抜群だったはず。

「ふふっ。可愛かわい いのに……残念ですね」

いたずらっ子のように、舌をペロッと出した仕草をみせるオリビア。

相変わらず美人なのに可愛いなと、彼女のことを内心で褒めたたえた。
それにしても気分がいい。

身体中に活力が満たされたような気分で、頭の中までスーッと心ここ 地ち いいのだ。

すると、パチパチパチ──と、拍手の音が耳に届いた。

「やりましたな、アイン様!」

いつの間に来ていたのか、ロイドが満面の笑みでアインに近寄る。

「さて、守るべき殿下に負けることは許されん。陽ひ が沈むまで、外壁の周りでも走ってこい」

「はッ!」

アインが勝ったのを褒めるべき、なのだが。

命令された騎士はアインとオリビアに頭を下げ、走って訓練場を後にした。

「ロイドさん? その、さすがに厳しいんじゃ」

「そのようなことはございません。アイン様が頼もしくなられたのは事実ですが、元帥の立場から言えば、彼に何もしない──というのは許せませんからな」

「そうは言っても、生まれ持ったスキルのおかげで、たまたま魔石が吸えただけですし……」

だから、騎士に勝てても少し申し訳ない。

「いいえ。それはアイン様がご自身で得られた結果でありましょうッ!」

と、ロイドは強い口調で返すのだ。

「修練の賜たま 物もの がなければ、アイン様はこうしてその力を使いこなせなかった! なればこそ、これはすべて、アイン様ご自身の努力ゆえの結果ですからな!」

その意見にはオリビアとクリスも同意するらしく、二人も深く頷うなず いていた。

なんとも直接的に褒められて、アインは少しばかり照れくさそうに笑う。

「それにしても……おおよそ、王太子とは思えぬお姿ですな」

貶けな すような言い方ではなくて、彼なりの称賛だ。

訓練用の装備は土にまみれ、手元には治りかけの傷、汗で乱れた茶髪。

ただ一言やんちゃというのではなく、アインなりの目的意識を分かっていたからこそ、ロイドはこの姿を嬉うれ しく思えた。

「──一歩ずつでも、アイン様は初代陛下に近づいていることでしょう」

と、彼はアインの憧あこが れの存在について語る。

「まぁ……こんな汚れ具合だと、王太子なんて言っても信じてもらえませんしね」

汗や土、治りかけの傷では、こうした姿は王太子らしくないだろう。

「──さてと、では、私も支度を致しますので、アイン様がよろしい時にでもはじめましょう」

「……はい?」

何の支度だ、何をするんだ。

きょとんとした表情でロイドを見ると、彼は小粋に唇を緩ませた。

「私は騎士とも模擬戦を行います。今までアイン様と剣を交わさなかったのは、偏ひとえ に危険性などを危き 惧ぐ してのこと。だが、アイン様は騎士に勝たれた……そういうことですな」
……なるほどね、なら遠慮なく胸を借りようか。

頰をパンッ! と叩たた いて気合を入れ、アインが剣を取って舞台に向かう。

目の前に立つロイドの巨きよ 軀く が、今まで以上に迫力に満み ち溢あふ れている。

(大岩どころか、でっかい山だよこれじゃ)

打ち崩せる気は毛頭なく、まさに、胸を借りるであろう結果になるのは一いち 目もく 瞭りよう 然ぜん 。

だが、超大国イシュタリカの頂点──元帥ロイドとの模擬戦に、アインの心は強く躍った。

(努力で頂点まで上りつめた人だ、一筋縄でいくはずもない……)

「ア、アイン様ッ! ロイド様はその……下段が苦手ですから!」

両手で拡声したクリスの言葉に、アインがははっと笑って答える。

「待てクリス! そ、そういうことを教えるものではないッ!」

彼女の隣では、オリビアが失笑して口元に手を当てる。

一方で、クリスは言おうか迷っていたのだろうが、結局は応援したい気持ちが勝ったのだ。

「あとは? 他にはないの?」

「ありませんッ! だから……どうか頑張ってくださいッ!」

唇を強く閉じ、両手を握って胸の前で構える彼女は、アインを本気で応援してるのだろう。

(ないのかー……いや、頑張るけどさ)

そしてアインは、体力が回復したところで、ロイドに向けて一歩を踏み出した。
「──ちょ、おかしいってッ! ロイドさんッ! 六歳にみせる力じゃないよそれッ!」

訓練用の剣は木製のはずだというのに、どうしてこうなった?

小さな隕いん 石せき でも落ちたかのように抉えぐ れた地面を見て、けた外れの力に驚かされる。

「しかし、今のをかわすとは……本当に逞しく成長なされた……ッ! 」

こんな攻撃受け止められるはずがない! 必死になってかわしながら様子を窺うかが った。

ロイドは早くて固くて、そして強すぎる──やがて、

「ま、参りました……」

自分にはまだ早すぎる相手だったと自覚し、もう限界というところで大の字に倒れる。

時間にして数分、よく健闘したと自分を褒めたいところだった。

「その……お水、要りますか?」

「あ、クリスさん……水は欲しいけど、今は近づかない方がいいと思うよ」

「え? な、なんでですか?」

気遣って近寄った彼女へと、アインは疲れた様子で答える。

「……体力消耗し過ぎたので、もしかしたら魔石を吸ってしまうかも……なんて」

すると、彼女は慌てて後退りをし、豊かな胸元を両腕で抱いた。

「す、吸ったらダメですよ……?」

(なんで胸元押さえてるんだろ、クリスさん)

こうして、今日もアインの訓練が終わり、くたくたになって風ふ 呂ろ に向かって行ったのだった。

──この日の晩。

寝る支度が済んだ後、アインはオリビアの部屋を訪ねていた。

「アインもそろそろ、学園に行く支度をしないといけないですね」

ソファに腰かけ、とりとめのない会話をしていると、彼女はこんなことを言いだした。

すでに秋に差し掛かっており、冬が来ればアインも七歳になる。

言われてみれば学園があったなと、アインは学園について興味を抱いた。

「俺はどんな学校に行くんですか?」

「王都にある、お父様が理事を務める学園ですよ。……もしも別の学園がいいのなら、港町のとかもあるのだけど……」

しかしそれは、オリビアと離れて一人暮らしということだ。

その証拠に、彼女はうっすらと涙を浮かべる。

「王都の学園が一番かと思います。お母様と離れ離れにもなりませんから」

ソファに隣り合わせに座っていた二人。

アインの言葉に喜んだのか、オリビアがアインを抱き寄せた。

「もう……本当にアインはいい子ですね。それなら、王都の学園に水列車で通学かしら」

「あれ? 王太子が水列車で通学って、大丈夫なんですか?」

「護衛が付いていくから大丈夫ですよ」

なるほど。護衛がいればいいのか。

思っていたよりは厳重じゃないことに驚いた。

「そうだ、アインが行く学園がどんなところなのか教えてあげる」

オリビアが王都の学園についての説明をはじめた。

学園の名前は、イシュタリカ王立キングスランド学園。

キングスランドとはイシュタリカ王都の名前で、それをそのまま使っているらしい。

しかし、面倒なことに王立とは別に、国立キングスランド学園もあるらしい。

(なんて分かりづらい……改名してよ……)

王立のほうは学園に王立とつくだけあって、理事長はシルヴァード。

また、難易度も王立の方が上で、国立と比べて定員も半数以下とのこと。

「それで、入試は自分の得意な分野で挑戦できるのだけど──」

例えば歴史、あるいは法学。当然だが、剣や魔法の巧拙で試験を受けることもできる。

しかし、アインは迷ってしまった。

「俺の場合、強みは毒素分解EXと、暗黒騎士なわけですが」

使いどころが難しいのだ。異色過ぎて、果たして使ってよいものかと迷ってしまう。

「そうね……私も、その二つは使い道が難しいと思います」

普通であれば、人に宿ることのない暗黒騎士。それを試験に使うのは避けるべきだ。

そうなると、毒素分解EXを使うこととなる。だが、毒素分解EXもその特異性から、まだ公開する予定は立っていない。

「じゃあ、剣でやるしか……?」

「せっかくの力を使えないのは残念だけど、そうするのが一番かしらね」

「そうですね……なら、俺は剣で入試を受けることにします」

ロイドとクリス。二人に磨かれた剣をみせればいいのだ。

修練の賜たま 物もの を得たほどの彼の努力。更に、イシュタリカに来てからもつづけた訓練。

この二つがあってか、今のアインは、

「アインは、城の騎士にも勝てるんだもの。剣の試験でも、絶対大丈夫ですよ」

「頑張ってみます。そういえば、試験はいつなんですか?」

「受験者数が多いから、冬になる前なら毎月開催されてますよ」

毎月やってるなら、ぱぱっと終わらせてしまおうとアインは考えた。

後々に引っ張るほどの事でもない話だ。

「それなら、すぐに終わらせておきたいですし、直近の入試を受けてみてもいいですか?」

「えぇ、わかりました。それじゃ、必要な手続きをしておきますね」
◇ ◇ ◇
入試のための訓練はしない。

アインは普段から、王太子がするようなものじゃない訓練をつづけているからだ。

朝はやくから剣を振り、昼過ぎには勉学に励み、夜になったら短めの訓練と寝る前の勉強だ。

「アイン様。気分転換に外へ行きませんか?」

入試を受けると決まった日から数日後、休日のアインへクリスが言った。

「……外? 確かに気分転換はしたいですけど……どこにですか?」

今日は天気が良く朝日が心ここ 地ち 良い。

城の中庭で本を読んでいたアインの下に、クリスが足を運んだのだ。

二人は随分と打ち解けたようで、徐々にだが、クリスの口調も柔らかく変化してきている。

「まだお披露目の関係もありますので、城の裏手にある砂浜にでも行こうかと」

「あれ。そんなところありましたっけ?」

なんでも城の裏手には、緊急脱出用を兼ねた、小さな砂浜があるとのこと。

外と言っても近場だったが、気分転換には悪くなさそうだった。

アインは芝生から立ち上がると、クリスの後ろを歩いて砂浜に向かう。
城の広間を、コツンコツンという堅い音が二人分響く。

表面は艶つや をだすように磨かれた石材が、今日もどこか神聖な雰囲気を醸し出す。

時折、給仕や騎士とすれ違って、頭を下げられるのもなれたものだ。

前方を歩くエルフの美女、クリス。

彼女の品格漂う歩き姿を眺めていると、ふと、彼女が躓つまず いた。

「ッ──きゃっ」

靴の先が地面にこすれ、片足のバランスが崩れたのだ。

転がりはしない。だが、一瞬だけだが確かに隙が生じる。

「……さぁ、こちらですよ、アイン様」

「分かってます。あと、足は大丈夫ですか?」

ニコッと笑って済ませようとした彼女に、なんとなく、指摘したい心が生まれた。

アインの言葉に身体からだ を硬直させ、引きつった笑みを浮かべて黙りこくった。

「足、大丈夫ですか?」

少し楽しくなってきた。

流そうとするのをよしとせず、アインは純粋に心配そうに尋ねる。

「う……うぅ……わ、分かってて聞いてますよね……?」

当然だ。どこからどう見ても分かっている。

「あれ? バレちゃいましたか」

「や、やっぱりオリビア様の子ですよね……もう、アイン様ってば」

それも当然だ。親子なんだから、似てしまうのは致し方ない。

とうとうアインは笑みを浮かべて、悪戯いたずら が成功したことに笑った。

「もう……。っと、着きましたよ」

やがて彼女は、通路の奥まったところ……日差しが入りにくい箇所で立ち止まる。

「砂浜に出る扉は意外と質素なんですね」

「えぇ。あまり使われることもありませんので……でも、いいところですよ」

扉は木製、別に古臭いものではないが、城の他の扉と比べたら質素。

軽く軋きし む音を立てて開かれると、サッと冷たい風が流れ込む。
「──ほんとだ、いいところですね」

数歩歩けば、控えめながらも立派な砂浜だ。

石レンガでつくられた坂を進み、白い砂の上に降り立った。

淡青色の海は透き通り、周囲の岩との景観が美しい。

「もう冷たいですけど、温かい季節なら泳げますよ」

「ちなみに、クリスさんは泳げるんですか?」

「えーっとですね……あっ! もう少しだけ、砂浜に近づいてみましょうか!」

泳げないんだな。しかし、さっき弄いじ ったばかりだから尋ねないでおいた。

クリスと共に歩いて、サラサラの砂を踏みしめる。

「アイン様、入学試験の支度は順調ですか?」

「うーん……といっても、実はいつもの訓練で十分かなと」

逆に、それ以上の訓練があるなら尋ねたいところだ。

「ですね。こう言ってはなんですが、城の騎士に勝てるのですから、合格は決まっているかと」

「言われてみれば……確かに」

二人はおもむろに近くの岩場に腰かけ、波の音に耳を傾けながら語り合う。

潮風がクリスの髪の毛を揺らし、ポニーテールにまとめていた髪留めの紐ひも がほどけた。

「あっ……すみません。付け直しますね」

形のいい指を伸ばして紐を手に取り、それを口に加えて髪の毛を梳す く。

指先で絡まることなく、金糸のような艶やな髪がまとめられ、白い肌のうなじが露出されたのにアインが気が付く。

(し、刺激が強かった……)

仕草だけでも艶なま めかしい。

それがクリスのような女性であれば、男性であれば見み 惚と れないのは無理がある。

髪がなびくたびに届く花の香りも脳を焦がし、アインの心拍数が上がった。

やがて、髪を結い終えたところで、アインもなんとか落ち着けたのだ。

「あ、あれ? アイン様、お顔が赤いですけど……体調でも悪いんですか?」

彼の気持ちを知らずに、クリスがケロッとした面持ちで尋ねてくる。

それがなんとなく悔しくて、ついアインが苦笑した。

「いや、クリスさんって、意外とズルいなーって思っただけです」

「私がですかッ!?  え、えぇー…… 良く分かりませんけど、なにか理不尽では……?」

確かに理不尽だが、こればかりは男心をくすぐった彼女にも責任がある。

そう、アインは開き直ると、さっきのように波の音に耳を傾けた。

「……もう」

ムスッとした声の彼女が、今日何度目かわからない牛のような言葉を漏らす。

しかし、それも少しの間のことだ。

「そういえば……試験官は結構有名な方ですよ」

「つまり強い人なんですか?」

「城の騎士より強いです。元は有名な冒険者で、引退したところを勧誘された方ですので」

最難関の学園らしさに、アインは気分が高揚した。

有名な冒険者という言葉もまた、心躍る要素なのだ。

「勝たなくても実力を示せば合格ですので、どうかご安心を──」

[image file=Image00011.jpg]

「いえ、勝つのを目標にしますよ。今から諦あきら めるなんて情けないことはできませんし」

波を見つめるアインの瞳ひとみ は、以前と比べてなんとも逞たくま しい。

呆あつ 気け にとられたクリスはそれを見て、潤んだ唇に手を当てて笑う。

「ふふっ……当日は私が案内しますので、アイン様の勝利をお待ちしておりますね」

波の音と彼女の声。

オルゴールとはまた違うが、似たような優しい音色に聞こえる。

この気分転換はちょうどよかった。

近頃溜た まっていた疲れにも作用し、頭の中がスッキリとしてくる。

──すると、一つ、アインはある疑問を抱いた。

「クリスさんとロイドさんなら、父上……ローガスに勝てるんでしょうか?」

「あ……あはは……それを聞いちゃいますか」

彼女は困ったように首を傾かし げた。

「聞いたらいけませんでしたか?」

「いえいえ。悪いということではないのですが──うーん、分かりました。答えをお見せします」

軽く咳せき 払ばら いをすると、彼女は立ち上がる。

腰に差していた剣を鞘さや ごと取ると、アインから少し距離を取って声を出す。

「今からこれを砂浜に落としますので、落ちた瞬間から、私を見失わないでください」

「……? えぇ、分かりました」

答えになってないが、不思議そうに頷うなず いた。

やがて、彼女は言った通りに剣から手を放し、数秒も経た たぬうちに砂浜に落ちた。

「──ッ!? 」

見失うなと言われたのに、瞬きをした次の瞬間にはクリスの姿を見失う。

どこに行ったんだ? 慌てて辺りを見渡すアイン。

「こっちですよ、アイン様」

つんつん、と肩を指で押され、振り返って見るとクリスがいる。

しゃがむように膝ひざ を折り、アインと目を並べてそう言った。

「い、いつの間にそんなとこへ……」

「剣が地面に落ちた瞬間ですよ。ローガス殿も、アイン様と同じく私を見失うはずです。……ですので、私の方が強いということになります」

答えを実践してくれたとはありがたく、身をもって教えてくれたことに感謝だった。

「あと、ロイド様は、純粋な力の勝負でも勝てるはずですので」

「……でしょうね」

先日のロイドとの模擬戦。

確かに、木剣であんなことをできる男だ。

腕力だけでも勝てそうに思える。

「でも、大丈夫です。アイン様はいずれ、私の動きも察知できるようになるはずですから」

しゃがみながらも、くっついた膝の上で手を組んで、宝石のような笑顔で言った。

「何年後になりそうですかね、それって」

「……十年ぐらい、でしょうか?」

「なるほど……長い」

致し方ないことだが、先はまだまだ長そうだ。

「ふふっ──大丈夫ですよ、まだまだこれからですから」

むぅ……と考え込んだアインをみて、クリスは楽しそうに笑う。

(初代陛下のように強くなりたい──なんて考えてたけど、ロイドさんとクリスさんも超えないといけないんだもんなぁ)

壁が高い。いや、高すぎる。

越えなければならないのは分かっているが、随分と苦労してしまいそうだ。

「クリスさんとロイドさんより強い存在なんて、イシュタリカにもいないですよね?」

「……いえ、居ますよ」

彼女はアインのすぐ傍に座り直すと、少し真ま 面じ 目め な声色で答える。

「森に行った際、ロイド様が巨大な龍が居ると仰おつしや っておりましたよね?」

「はい、言ってましたけど……」

「──海龍といって、国難に該当する魔物なんです。百年、二百年の長い間を空けてやってきて、数多くの命を奪っていきました」

ロイドは言っていた、大きさは戦艦よりも大きいと。

確かに、人が一人で相手にする魔物ではない。

「あと、魔王の側近も生きてます。私は以前、その気配を感じたことがありますが──」

最初から勝負にならない、そんな圧倒的な強さを感じたという。

……平和な国と思っていたイシュタリカに、いくつもの脅威が潜んでいた。

アインは緊張しながらも、少し間を置いてから強く頷く。

「俺が倒せるぐらいに強くなってみせます。それぐらいしないと、目標も達成できませんから」

「アイン様の目標って確か……初代陛下ですよね?」

「はい、そうですよ」

指先を口元に持っていき、合点がいかない面持ちでアインを見た。

「そういえば、どうして初代陛下が目標なんですか? 聞いたことないのですが……」

「あれ、言ったことありませんでしたっけ」

彼女はうん、と頷いた。

思えば確かに、核心の部分は口に出したことがない。

「──最初はハイムを見返したかったんです」

「もうハイムなんて関係ないのに……ですか?」

「それでも悔しかったんですよ。ただ、根底にある理由は、お母様まで蔑さげす まれたからなんですが」

「……なるほど」

魔王と初代国王の逸話を思い返し、アインは更に語る。

「憧あこが れた時は、俺がまだ王太子になったばかりの時でした。どうしたらいいのか分からなくて、でも、まだその悔しさが残っていたんです」

「そこで、初代陛下のことを知ったということですか」

分からないでもない理由だ。

クリスは意味深に、それでいてアインに同調するように頷いた。

「悩みを一気に解決できる方法として、初代陛下を目指すのが最善って分かったんです」

「あ、あれ? すみません、一気に話が飛んだような……」

悩み? 解決? クリスが困惑した。

「俺が強ければハイムを見返せて、お母様が蔑まれた過去も払ふつ 拭しよく できます。王太子としても、初代陛下のような方になれれば万々歳──だから、初代陛下なんです」

「だ、だからといって、魔王を倒したような方を目標にしちゃったんですか……?」

一番いい方法だったからと言って、その境地を目指そうとしたのかと、彼の正気を疑った。

だが、アインはなんとも屈託のない笑顔で頷く。

「そうですよ? デュラハンの魔石を吸って強気になってたのかもしれませんけど、でも、俺はこの選択が正しかったって思ってます」

口にするのもおこがましかった想おも いも、力を得たことで実現する自信を得た。

だから、アインはそれを目標にできたのだ。

「こういう理由は不敬でしょうか? 皆が尊敬する初代陛下に対して」

「……いえ、初代陛下もお喜びになるでしょう。血を受け継ぐものが、自分を目指すと言ってくれることに」

馬鹿なのか大物なのかという、そういうことを思い浮かべる者もいるだろう。

だが、クリスは思った。

この子は大物で、いずれ、何かすごいものを見せてくれるだろう──と。

「それならよかったです。これからも、訓練よろしくお願いしますね」

──それから二人は、一時間ほど砂浜で語らった。

昼食時になってアインが腹を空す かせたことで、この秘密の砂浜をあとにするのだ。
◇ ◇ ◇
クリスと語らった日から数日後、入学試験当日の朝。

彼女は以前、マジョリカの店に行った時のように、兜かぶと で容姿を隠していた。

(ここまで来るのに、意外と時間かかったな)

アインは城を出てから、イシュタリカ最大級と名高い、ホワイトローズ駅へと足を運んだ。

今回乗ったのは、王族専用列車ではなく、民生用の水列車だ。

水列車に乗ってから十五分ほど揺られ、学園の最寄り駅で下車をする。

「こんなに人がいるんですね」

試験会場を目指しながら街並みを眺め、クリスに向けて口を開く。

「ここは王都の中にありながらも、学園都市と呼ばれる地域です。生徒だけでなく、研究者や保護者も多く足を運びますので、いつも賑にぎ わってますよ」

祭りかと錯覚する賑わいに、アインが感心した。

「混み合うのは好きじゃないですけど、合格目指して頑張りますね」

ふと、周りを見てみれば、騎士を護衛として連れている者を何人も見かける。

「貴族の子も多いんですね」

「ですね……王都の子供は基本的に、この学園都市に通っておりますので」

そりゃ、賑わうわけだ。苦笑いを浮かべて納得すると、クリスが驚きの発言をつづける。

「そういえば、ロイド様の子も、王立キングスランド学園へと通っておりますよ」

あまりの言葉にアインはすぐに反応を返せなかった。

目を見開き、口を大きく開けてクリスを見る。

「ロ、ロイドさんの? ……え? ロイドさんって、結婚してたんですか?」

「あ、あれ……ご存じありませんでしたか。てっきり、知っているものだと……」

兜でクリスの表情までは窺うかが えないが、戸惑い、困ったように笑っているのがアインに伝わる。

「微み 塵じん も聞いてませんでしたが」

「う……うぅん……ど、どうしよう……」

クリスがどうしようかと悩み始める。

どうやら、このことを自分が説明していいのかと悩んでいるようだ。

「い、いやいや……! でも、アイン様だからいいよね……問題ない、うん」

まるで自分を勇気づけるようにぼそぼそと言葉にすると、クリスは咳払いをしてアインを見る。

「ロイド様の奥様は、マーサさんですよ」

「ッ──う、噓うそ ですよね?」

驚いてしまうのも当然だ。なにせ、

「あの小柄なマーサさんと、大きな獣みたいなロイドさんが夫婦……?」

あまりの事実に、いつもの落ち着きを失うアイン。

「落ち着いてください。その様に思われる人は多い……いえ、確かに皆がそう思いますが」

「ですよね? それに、微塵も夫婦っぽさを感じなかったのですが」

「二人とも立場がございますから、城内ではそうした仕草をみせていないのですよ」

夫婦と見えるような会話もなし、行動もない。

アインが気が付けなかったのは、これが理由だ。

そもそも、アインは基本的に城を出ない。

外部の情報に疎うと い部分がある、こればかりはどうしようもなかった。
──そんな会話を続けてるうちに、試験会場の、王立キングスランド学園へと到着する。

衝撃の事実を知った後ではあるが、切り替えて試験に臨もうと気持ちを引き締める。

「ここが王立キングスランド学園ですよ」

(広い……学園っていうか、もう、城じゃん……)

一目見て抱いた感想は、この一言に尽きる。

大きな門の中には、いくつもの建物が並び、青々とした広い芝生が広がっている。

中に町でも作れるんじゃないのか。と思わせるほどの広大な敷地だ。

「さすがは王立……」

「あはは……。っと、アイン様の試験会場はあちらのようですね」

クリスが指示した方角には、多くの子供が集まっている建物がある。アインもそれに気が付くと、

「──それじゃ、頑張ってきます」

試験会場は受験者のみが入ることができる。

頑張ってください。クリスから応援を受けると、アインは頰を叩たた いて足を踏み出した。
学園の門をくぐると、アインは目的の試験会場を探す。

アインが受験するのは、剣を使ってもよし、体技で戦うもよしの武に関する試験だ。

また、飛び道具のような扱いでなければ、スキルを使うのも許可されている。

(えーっと……あっちかな)

持参した案内書を手に、学園内を歩くアイン。

「……やぁあああッ!」

ふと、少し遠くから少年の声が届き、それが同じ受験生なことに気が付く。

いくつもある建物の周囲を歩き、小さな、闘技場のような場所にたどり着いた。

すると、アインの目に映ったのは、その中央で剣を振る少年と、それを受け止める男の姿だ。

「なんだその体たらくは! さっさと家に帰ってしまえ!」

……と、受け止める男──恐らく試験官だが、彼の声がアインに届いた。

(あの人がクリスさんが言っていた試験官……って、うわ、口悪すぎでしょ)

「くっ……そぉ……」

試験官の言葉に、受験者の少年は涙を流して悔しさをにじませた。

こうなってしまえば、彼の試験はもう終わりとなる。

「ふん! 貴様では海龍はおろか、低級な魔物にすら勝てん! 不合格だ!」

しかし、この学園は王立なのだ。

王に仕える人材を育成する場なのだから、選別の厳しさは仕方ないように思える。

それに、さっきの少年も、泣かずに意地をみせれば違う結果だったかもしれないのだから。

「はい! お願いします!」

次の受験者が前に出た。ここ王立キングスランド学園では、受験者は名乗ることができない。

それは、貴族の子や学園関係者として優遇されないための措置。

アインもそれを聞いた時は、気が楽だと安心したものだ。

「ふん! 貴様も同じく不合格だ! この学園に相応ふさわ しくないッ!」

そうこうしているうちに、アインの番がきてしまう。

全く緊張していないとは言えなかったが、胸に手を当てれば、想像以上の静寂だ。

そして、試験官を見ていて分かったことがある。それは、城の騎士よりも彼は強いということ。

だが、アインは自分の力が通用しない──とまでは思えなかったのだ。
「お願いします」

ふぅ、と息を吐いてからアインが前に進む。

「来い、小僧。合格を勝ち取ってみせろ」

この発言が戦いの合図だった。アインは木剣を構えると、一気に試験官との距離を詰める。

「ッ──ほぉ……やるじゃないか!」

試験官の称賛を意にも介さず、攻撃をつづける。

足を狙ねら い、関節を狙い、首を狙う。狙いを固定せずいくつもの部分を攻撃し、相手に次の攻撃を読ませないようにした。

「ふん! そんな子供の小手先が通じると思うなよ」

「ぐ……ぁッ 」

体格の差は大きく、あっさりと横っ腹に一撃をもらってしまう。

試験官の武器も木剣だったが、アインの肺から空気が一気に抜けた。

「ふん、ステータス頼りだな。技術が追い付いていない。師も大した者ではないのだろう!」

口の悪さは試験のためなのだろうが、いい気分がするかどうかは話が別だ。

ロイドやクリスたちを間接的に侮辱され、内心では鬱うつ 憤ぷん が積もりだした。

「いえ、まだお願いします」

試験官は強い。クリスから聞いた通り、一角の実力者だったのだ。

少なくとも、城の騎士より数段格上だった。……しかし、

「……ならばもう一度、貴様の身の程を教えてやろう」

「え、えぇ……よろしくお願いします……」

しかし、よくここまで暴言を口にできるものだと驚いた。

受験生に対して、精神的な強さを求めているのも分かるのだが……。

「身の程知らずの者は、大概が親がだらしないからだ、貴様もそうなのだろうな……!」

(──なるほど、そうきたか)

……暗黒騎士を使う。アインはそう決めた。

試験のための挑発とはいえ、オリビアを侮辱されたことにアインは我慢することをやめた。

ここで何もできなければ、彼女への侮辱すら受け入れたものとなってしまうからだ。

(クリスさん、ごめん。これだけは譲れないんだ……!)

──古くからの魔物に詳しい研究者は、デュラハンを次のように評価するという。

彼らと戦うならば、決して一騎打ちを受けてはならない。

彼らと戦うならば、決して彼らの間合いで戦ってはならない。

剣を扱わせれば並ぶ存在なき最強の剣士。それが、デュラハンという魔物だと──。

「仕事なのは分かるけど、俺が納得できるかどうかは別ですからね」

アインが呟つぶや いた。徐々に身体中に力を込め、目を閉じて集中力を高める。

「何か言ったか小僧? ……文句を言う暇がある……な……ら……」

暗黒騎士の能力は、まだ完全には使いこなせてはいない。

ただ唯一できていたのが、幻想の手だ。

ドライアドが産まれながらに吸収を使えるように、デュラハンにとって幻想の手がそれだった。

(さぁ、魔力を食って大きくなれ……ッ! )

魔力を込めるというよりは、魔力を食わせるアイン。

その手の強さは、さじ加減が自由自在というだけあって、魔力食い虫だ。

怒りのままに魔力を食わせれば、際限なく力を発揮することだろう。

「小僧……お前、何をしているッ!? 」

漏れ出す黒いオーラに、試験官は何をしているか問い詰める。

「こんなことになるなら、幻想の手をもう少し試しておくべきだった。まぁ、少しずつ強くしていけばいいだろうけど」

そして、現れた黒い触手は筋肉質に節立っており、見る者をただただ驚かせる。

出現させた幻想の手は二本、アインの肩甲骨から姿をみせたのだ。

「別に炎飛ばしたりとかしてませんから、いいですよね?」

飛び道具じゃないのだから、規定に違反してないだろ? アインは尋ねる。

「説明しろと言っているのだ!」

「説明する必要はないでしょう。そうした決まりはないんですから」

狼狽うろた える試験官に対し、アインは冷たい瞳ひとみ でそう答えた。

まるで煽あお り返したかのようなこの振る舞いは、受験者のアインには許されることじゃない。

しかし、オリビアを貶けな されたことへの怒りで、その抑えが効かなくなっている。

「──どんなスキルか知らんが、まぁいいさ。たかが腕が増えたぐらいで強くなるなら、虫はお前より強いだろうから……なぁッ!」

先程よりも力を入れている試験官が、加速して一気にアインの間合いに入り込み、剣をアインの肩に向けて振った。しかし、

「随分と器用な腕だな! ……チィッ!」

片側の幻想の手で、試験官の振った木剣を握り押さえた。

[image file=Image00012.jpg]

すると今度は、アイン自身の両腕で、木剣を試験官に向かって振り上げた。

「ふん! 手が増えただけとはいえ……手数は多くて面倒だな」

(……やっぱりだ。この人、すごい強いな)

試験官は強い。彼は今のアインの攻撃すら耐え、器用に対応してみせた。

先ほどみせた驚きは、純粋に、異変に驚いただけなのだろう。

「さっきと言ってること違いますけど。……はぁッ!」

もう一方の幻想の手を使って、試験官を殴りつけた。

しかし、これまた器用に試験官は腕を使って防御する。

「ぐっ……ぬっ……重いじゃねえか、くそが!」

これでは膠こう 着ちやく 状じよう 態たい だ。そこで、アインは決心する。

「違う。もう少し必要だ……なら」

食え、相手を倒すために。幻想の手に強い意志を伝えた。

すると、その様子が試験官にも伝わった。

「……強化しやがったな、小僧」

血管が血液を吸い上げるように、幻想の手が強く脈動したのだ。

その脈動に合わせて淡く蒼あお く光ったそれは、試験官の警戒を誘う。

「今度は、こちらから攻めさせてもらいますね」

距離が開いてしまった試験官との間を詰めた。だが、アインは決して素早くはないのだ。

これはデュラハンの性質ともいえるもので、力と硬さに特化した弊害ともいえる。

「奇妙な技を使うが、貴様の動きは遅くて助かるな……ふっ!」

振り下ろされたアインの剣は、試験官によって防御される。

だが、勢いづいた一撃だったせいか、試験官は足腰に力を入れ、両腕で防御した。

「──いいんですか、それ?」

すると、アインが冷たい瞳でこう告げた。

一瞬、身の毛がよだつ感覚に苛さいな まれた試験官は、アインの背後から出ている黒い腕を見る。

その黒い腕は、両腕が塞ふさ がった試験官に対して蠢うごめ いた。

……だが、試験官も意地をみせたのだ。

「させねぇよ……ッ! 」

身体を無理にひねらせ、伸びてくる幻想の手の一本をかわした。

だが、残った一本をかわすことは叶かな わず、腕に付けた防具で防御するしかない。

「……もう、そんな防御じゃやり過ごせませんよ」

無慈悲にアインが告げるのだ。

強化された幻想の手は、その程度の防御はいとも容易たやす く貫通する。

試験官は幻想の手の勢いに押され、試験会場の地面を何メートルも転がった。

「はぁ……はぁ……なんだってんだよ、ったく……こんな小僧は初めてだ……!」

「それは光栄です。ではつづきを──」

もはや、素直に称賛するしかなかったのだ。試験官は身体を引きずるように立ち上がると、剣を床に置いて両手を広げる。

「馬鹿言うな、入試で試験官が負けるなんて、前代未聞だろうが……合格だよ、お前は」

試験官が合格を宣言した。しかし、それと同時にアインは後悔してしまった。

暗黒騎士を使ったこともそうだが、試験官に対しての態度が、自責の念を募らせる。

「……その、偉そうな態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」

「お互い様だろうさ。ったく、まだ試験あるってのに、代わり頼まないといけねえな。お前はきっと、この学園史上初──試験官を倒しちまった新入生になるってことだ」

すると、試験官は懐から一枚の紙を取り出した。

「これが合格証明書だ。なくすなよ、あとで手続きに必要になるんだからな」

「は、はい、分かりました」

試験が終わってしまえば、怒りによってもたらされた過剰な脳内物質も、身体中にまとわりついていた火照りも鳴りを潜める。

残っているのは、純粋な疲労感と、激げき 昂こう してしまったことへの少しの後悔だけだった。

しかし、合格は合格。アインはほっと一息ついたのだった。
さて、試験を終えたアインは、複雑な心境を抱いたまま会場を出た。

来たときと同じ通路を通り、クリスが待つであろう、学園の門へと帰ってきたのだ。

「アイン様。合格おめでとうございます」

彼女は門でアインを待っていた。

いつものように優しい声も、なぜかいつもと違って聞こえる。

「あ……ありがとうございます……はい」

兜かぶと のせいで表情までは窺うかが えない。だが、見え隠れするのは静かな怒気だ。

「お疲れでしょうが、申し訳ありません。帰り道は説教……いえ、アイン様にお伝えする件がございますが、よろしいですね?」

クリスはアインが暗黒騎士を使ったことを分かっていた。

放たれた暗黒騎士の気配を、距離があろうとも感じ取れていたのだ。

「ねぇ、クリスさん?」

「はい。なんですか」

硬い声色でクリスが答える。

それでいて、どことなく冷たい声にアインは苦笑いを浮かべた。

「ムスッとした感じに怒ってる? それとも、純粋に怒ってる?」

「どちらもです」

抽象的な問いだが、その気持ちはクリスに伝わった様子。

なら大丈夫かな。と考えたアイン。若干ムスッとしているなら、まだ取り付く島はあった。

「試験のためとはいえ、クリスさんたちとの時間まで貶されたら、俺だって怒りますよ」

正しくは、その後の言葉が引き金となっていたのだが。噓うそ はついていない。

実際、その時からアインは苛いら 立だ っていた。

「む……むぅ……!  それでも駄目ですっ! 見せてはならなかったはずのスキルを使ってしまったのですから、いくらそんな気持ちがあっても……!」

あと一息な気がする。

悪いことをしてしまったのは理解してるが、今は疲れがひどい。説教は遠慮したいところだ。

「……はぁ。陛下は、学園経由で耳に入れると思いますよ」

「それよりも、試験官の人を怪け 我が させちゃったんですけど、大丈夫ですかね……あれ」

「学園には専門の治療師がいます。それに、怪我をする方が悪い話ですから。私も試験官の事は知っていますが、彼は元々有名な冒険者で、それなりの実力者でしたから」

祖父のシルヴァードがどういった反応をするのか。

多少憂ゆう 鬱うつ に感じていたものの、とりあえずは城に戻ってゆっくり休みたかった。

(来年から学校かー……楽しみだけど、クローネはいつ頃、こっちに来るんだろう)

お披露目パーティの日、彼女とはじめて会った時のことを想おも ったアイン。

しばらく前に手紙を送ってから、それ以降の返事は何も届いていない。

だが、ウォーレンたちがやり取りをしてくれているはず。アインはそう信頼していた。

(新しい春が来る前には……会えるかな)

学園での生活もそうだが、クローネがやってくるのも楽しみで、ただ待っているのは、身体がうずうずして堪たま らない。

このことを考えていると、身体に溜た まった疲れが癒えた気がした。
◇ ◇ ◇
その日のエウロでは、二人の客人を迎えていた。

一方はイシュタリカ船団。もう一方は、ハイムからの大貴族だ。

いくつも並ぶ、イシュタリカの船。

クローネが見たこともない、巨大な魔道具を取り出し、海結晶の発掘作業をしている。

「……あれがただの調査船ですって?」

「うむ。決して戦艦ではない。戦艦となれば、さらに大きくなるのだぞ」

祖父の言葉に、クローネは呆あき れるほど驚いた。

調査船一隻の値段は分からない、いや、予想が付かないのだ。

ハイムとの大きすぎる文明格差に対して、彼女の理解が追い付かない。

「で、でも……調査船相手でも、ハイムの水軍は勝てないのでは?」

「はっはっは! 勝てるわけがないだろう! 体当たりするだけで木っ端みじんだ!」

まさに自虐の境地といったところで、グラーフも笑うしかないのだ。

すると、そんな二人の元に、新たにイシュタリカ人の声が届く。

「三番船に通達しなさい、これより、両翼に展開して作業に当たると」

「はっ──三番船、こちら指令部。所定の通り、両翼に展開せよ」

すぐ近くに立つイシュタリカの者たち。

彼らの話を聞いていたクローネは、新たに驚かされることになる。

「……う、噓……でしょ?」

調査船は、その指示を聞き、あっという間に展開をはじめたのだ。

素早く、連動的で、畏い 怖ふ するまでの精密さ。

技術力の差は垣かい 間ま 見み ていたが、彼女が新たに見せつけられたのは、統率力の高さだった。

例えば彼らと戦ったら、いつの間にか、全体を囲まれているに違いない。

「おや、お二人とも、ここに居たのですね。我らが船はいかがでしょうか?」

声を掛けた男──彼はイシュタリカの文官で、二人の案内を任せられている。

「……えぇ、とても驚くことばかりです」

「それはそれは。楽しんでいただけたようで光栄です」

すると、彼は二人を歩くようにと促す。

「こちらへどうぞ、皆様のためのお部屋をご用意いたしました」

彼が指したのは一隻の船。

陸に密接している、調査船の一つだ。

「あの船内に、私たちのお部屋を?」

「はい。これから一か月の間、皆様が快適にすごせるようにと、第二王女殿下のお言葉です」

クローネはぎゅっと手を握り、海の向こう、イシュタリカの方角に向けて感謝した。

「……心から、第二王女殿下に感謝致します」

「えぇ、姫はお優しいお方ですから──では、どうぞこちらへ」

文官につづいて二人が歩き、海沿いに下りていくように、坂道をゆっくりと進んだ。

時折、勢いよくやってくる波の音が、ハイムとの違いを感じさせる。

「すまんが、後ほど、我々の荷物を運び入れても構わぬだろうか?」

「あぁ、いえいえ。すでに我らで運び入れておりますので、ご安心ください」

「う、うむ。感謝する」

グラーフが毒気を抜かれたのは、彼らイシュタリカの行動が早いからだ。

何も言わずとも、速やかに仕事を遂行する……彼らの有能さが、改めて身に染みた。

やがて、二人は調査船の入り口に辿たど りつく。

そこはハイムの船と違い、堅けん 牢ろう で、そこはかとなく高級感もあった。

「これから一か月間、皆様にはこちらで過ごしていただきます」

さっきも言っていたことを、彼は復唱した。

グラーフとクローネ、二人が連れてきた使用人たちは、この船の中で一か月間を過ごす。

さて、その理由というのは、

「理由は説明していた通り、お二人の姿を晒さら さないためでございます。一か月間我々の仕事でお待たせしてしまいますが、ご了承くださいませ」

そんなのはお安い御用だ。ただ少し我慢するだけで、イシュタリカにいけるのだから。

「とんでもない、感謝しておる」

元はと言えば、別の手段で海を渡ろうとしたのだ。

それを、エウロの取引に便乗させてもらえてるのだから、感謝の言葉しかない。

手紙もアイン本人へと届けられ、返事を受け取ることもできたのだから。
そして、クローネはこの後、まるで高級宿のような内装に驚かされるのだ。

──彼女はこうして、イシュタリカへの第一歩を踏み出した。
彼女との再会

朝晩は冷え込むようになってきた今日この頃。

昼を過ぎた頃ころ ──城の中庭で、オリビアが笑顔を浮かべながらも冷たい声を漏らす。

「お父様? 今なんて仰いましたか?」

「い、いや……だからだな、アインにもそろそろ、公務をと……」

イシュタリカという大国の王であるが、今の彼はたじたじだ。

それほどまでに、娘のオリビアのオーラが強い。

「いいえ。その後です。もう一度仰おつしや っていただけないでしょうか?」

「……アインの公務には、ウォーレンとクリスをつける」

「それで?」

「……同日、オリビアはカティマと共に、別の公務にあたってもらう」

彼女が不満だったのはそれだ。

自分がどうしてアインと別の場所に行き、別の公務をしなければならないのか。

それをシルヴァードに告げていた。

「私のアインを奪い去るおつもりでしょうか?」

「え、お爺じい 様……そうだったんですか?」

「違うに決まっておろう! まったく……アインはもうすぐ七歳。お披露目はまだだが、少しずつ公務に慣らしてもよい頃だろうに」

ただ、公務といっても大したことではない。

むしろ、まだアインには出来る事が少ないとあって、任せられることもないのだ。

「公務とは言うが視察だ。もうすぐ、エウロからの船が帰国する。だからアインには、海結晶や港の設備を視察してもらおうと思ったのだ!」

つまり、知らないことだらけだろうから見学してこい……とのお達し。

アインとしても望むところだが、オリビアは不満気。

「はぁ……マグナは遠いんです。ほぼ丸一日、私とアインを引き離すおつもりなんですね」

「あの、お母様? マグナってどこでしょうか?」

「私の船でイシュタリカに来たでしょう? その時、水列車に乗り換えた港町のことなんですよ」

──名を、港町マグナ。

当時のアインは、扉を出て通路を渡り、扉に入る……という行程だったため、その港町マグナとやらの風景を眺めていない。

一度足を運んだ地域ではあるが、実質的に、はじめて行く場所といっても過言ではない。

「確かに……あそこまで往復する時間と、視察に使うであろう時間。ほぼ丸一日、お母様と離れ離れですが──」

「そうでしょう? お父様ったら、どうしてそんな酷ひど いことをするのかしら……」

「……アイン。お主は分かってくれるだろう?」

そりゃ、分かっている。多くのことを学び、立派に成長しなければならない。

だからこそ、視察は絶好の機会なのだ。

「お爺様。俺は基本的にお母様の味方なんですが、視察という機会が重要なのも分かってます」

「う、うむ……まぁ、素直でよい」

しかし、子離れできないとはよく言ったもので、オリビアは折れない。

説得しなきゃとアインが思ったところで、シルヴァードがニヤリと笑う。

「お主は反対すると思っていた。だから……これを読むといい」

彼が取り出したのは一通の手紙。

内容は分からないが、彼は自信ありげにそれを手渡した。

受け取ったオリビアは封を開け、取り出した手紙を声に出さずに読み出した。

「……はぁ。なるほど、そういう理由でしたか」

「全すべ てが良い頃合いなのだ。わかってくれるな?」

「──えぇ。私が我慢するべきだ……というのも理解できました」

すると、今までの態度はどこへやら。

オリビアはあっさりと折れ、アインが視察に向かうことを許したのだ。

「ウォーレンには、しっかりと確かめるよう……見極めるよう言ってある」

「そちらは心配しておりません。ウォーレンも、素直に認めることでしょうから」

「あ、あの……お二人は何を話してるんでしょうか……?」

急に認めた理由を教えてほしい。戸惑いながら尋ねるのだが、

「秘密ですよ。でも、アインが視察に行った日の夜は、お城が賑にぎ やかになりそうです」

艶なま めかしい唇に人差し指を押し当て、目を引く仕草で彼女はそう言った。

結局、この日のアインは、その理由とやらを聞くことができず……数日後、シルヴァードが提案した通り、アインはマグナへと視察に向かうことになったのだ。

「うーん……少し気になりますけど、分かりました」

すると、すっと立ち上がる。

「あら、アイン。どうしたんですか?」

「少しお手洗いに行ってきます。すぐに戻ってきますね」

こう答えると、彼はそのままの足で中庭を抜け、城の中に足を踏み入れる。

相も変わらず高い天井に広い廊下、大理石のように磨かれた床を歩く音が響く。

「公務かー……少し楽しみになってきたかも」

成長を実感するところで、こうした機会を貰もら えたことが嬉うれ しく思えた。
だが、上機嫌に歩いていると、アインはある部屋の前で立ち止まる。

「──なんだ、今の音」

爆弾とは違うが、何かが爆発するような音が聞こえたのだ。

そこは城にいくつもある執務室の一つで、何かあったのかなとアインは扉に手を掛けた。

「失礼しまーす……」

王太子ながらも、若干遠慮がちに足を踏み入れると、

「ニャ──ニャニャニャニャニャッ!?  まずいのニャッ!」

部屋の中を忙せわ しなく走り回る猫──カティマの姿があった。

ここは実験器具や魔物の素材が置かれた、彼女のための仕事部屋なのだろう。

地下の研究室と分けている理由は分からないが、状況が良くないことは察せられた。

「アインッ!?  急いで逃げるのニャ! このままだと魔道具が暴走──フニャアアアアッ!? 」

もう一度、何かが爆発するような破裂音が響き、巨大な魔道具から煙が上がる。

その勢いにカティマは吹き飛ばされ、床に大の字に転がされ、目を回してしまっていた。

「ニャッ…… ニャァア……」

彼女はやがて、力つきて動かなくなり、状況が良くないことは一いち 目もく 瞭りよう 然ぜん 。

眉まゆ をひそめ、アインが魔道具を厳しい目つきで見た。

魔道具はそこいらの馬車より大きい球状で、黒光りし、いくつもの目盛りが付いている。

金属製の管が何本も地中へ繫つな がっていて、管のうち、一本は壁際の炉へ繫がっていた。

「ッ……な、なにがなんだか良く分からないけど……!」

放置してはおけない……だが、魔道具操作なんて分からない。

どうしたもんかと考えていると、咄とつ 嗟さ にあることを思いつく。

「そうだッ……魔石を吸ってしまえば……ッ! 」

魔道具の動力源は魔石、なら、それを吸ってしまえば収まるはず。

壁際の炉を見れば、無造作に魔石が放り込まれている。

「アレだ……アレを吸いつくせばッ!」

逃げることなく必死に走り、壁際の炉に近づいた。

強く意思を持って力を使うと、徐々に動作を止めていき、やがて──。

「は……はぁ……止まった……」

大きくため息をつき、大事にならなかったことに喜ぶと、倒れたカティマに近寄る。

「あー……もう。ほら、大丈夫?」

アインが近寄って手を貸し、起こして彼女についた埃ほこり をはたく。

目を回していた彼女も、ふらつきながら身体を起こす。

「ニャア……そこだニャー…… 」

「毛繕いじゃないんだけど……まぁいいや、怪け 我が とかはしてないの?」

「……そこんとこは大丈夫だニャ。んむ、世話になったのニャ」

こう答えてきたものの、部屋の現状と実験の失敗からか、あまり元気はなさそうだ。

「それにしても、やってしまったニャ……はぁ、部品も壊れてそうニャし、どうしたもんかニャ」

「あれ、交換部品はないの?」

「ちょうど切らしてるのニャ。王都にはニャいから、注文すると数週間ものだニャ……」

あまり数はないのか、気落ちした彼女を見てそう思った。

「別の都市にあるってこと?」

「そうだニャ。港町マグナとか……あっちに行かないとニャ」

あれ、港町マグナって確か。

ついさっきの、シルヴァードたちとの会話が脳裏を掠かす めた。

「俺、公務でそこに行くんだけど、買ってきてあげようか?」

「ッ──!?  ほ、本当かニャ!? 」

彼女は瞳ひとみ を輝かせ、期待に満ちた表情でアインに言う。

「うん。ついでに買ってくるよ」

「た、頼むのニャ! 私の名前で決済してくれればいいから、お願いするニャ!」

ここまで元気になるのなら、思い出した甲か 斐い があるものだ。

アインは笑って分かったと答えると、カティマの部屋を後にする。

その後は用を済ませて、オリビアたちの下へと戻り、歓談の時間を楽しんだ。
◇ ◇ ◇
港町マグナは大きい町だ。

先日の会話から数日後。朝一に王都を出たアインは、王家専用水列車に乗って、この地に足を運んでいた。

「ご覧ください、アイン様。あちらに並ぶのが、イシュタリカ自慢の戦艦たちでございます」

そう言って、ウォーレンが巨大な戦艦群をアインにみせる。

午前中の港町は、漁から帰ってきた漁船や市場で賑わっているが、アインがいるのは、軍港として設けられている箇所で、市場からは少し距離がある。

「相変わらず、大きな船ばっかりですね」

「国防の要かなめ ですので……。あっ、足元には気を付けてくださいね?」

半ば惚ほう けた表情でアインが答えると、隣に立っていたクリスが注意を促す。

今日は戦艦や設備、町の様子など、多くのことを視察していた。

「今日の視察は、お爺様に感謝してます。でも、最近は会うたび小言がつづいて……」

入試を終え、城に帰った時の事を思い出すと胃が痛くなる。シルヴァードが強く怒ったからだ。

オリビアがアインへと強く言えないのは分かり切っていたため、普段は甘いシルヴァードも、その時ばかりは強くアインを叱責したのである。

その日以来、彼はアインを見つけるたび、口を酸っぱくして注意を促すのだ。

「──それにしても、この港町って、本当に大きいんですね」

「イシュタリカ一の港町ですし、王都を抜いた、イシュタリカの三大都市の一つですよ」

目を輝かせるアインを見て、クリスが柔らかな笑みを浮かべて話す。

広く賑やかなこの町は、多くの家が赤い屋根に白い壁であることが特徴だ。

町中にはところどころ水路があり、小さな船をこいで、何かを運んでいる姿がみえる。

「ここで購入できる海鮮の味は絶品です。オリビア様の好物でもありますから」

クリスの情報に、アインは身体からだ を大きく震わせた。

(それはいけない。大量に買い込んで帰らないと)

……すると、ウォーレンが一隻の船に気が付いた。

「おや? どうやら、今日の目的の船は、すでに帰っているようですな」

「エウロからの船ですね。どうやら、手続きの最中みたいですが」

クリスの言葉に彼は頷うなず くと、すぐそばを歩いていた、軍港の作業員に話しかける。

「そこの貴方あなた 。エウロからの船は、荷を下ろし終えてますか?」

「はっ。資料用として、ひと箱分を下ろしておりますが……っと、あちらにその箱がございますね」

油で汚れた作業着の男。彼が指を向けた先には、イシュタリカの紋章が押された木箱がある。

ウォーレンが礼を述べると、彼は早歩きで仕事に戻った。

「アイン様、加工前の海結晶をお見せ致しましょう」

これも視察の一環ということだ。むしろ、今日の本題ともいえる。

(エウロ公国産。第一回採掘品。管理番号1‐1。なるほど……完全にサンプル品ってことかな)

そして、クリスが前に出る。

腰からレイピアを抜き去ると、目も留まらぬ速さでそれを振った。

なにやら魔法を使ったようで、一陣の風が吹いたと思えば、木箱の金具が音を立てて床に落ちる。

「ご覧ください。これが、加工前の海結晶でございます」

目の前に取り出されたのは。岩塩のような白く半透明の塊だ。

ウォーレンがそれをアインに手渡し、アインは手触りを確認する。

「なんか、塩の塊みたいですね」

「はっはっは……いやはや、その通りですな」

アインは海結晶を掲げて透かしてみたり、その重さを確認してみた。

片手で持てる程度の重さで、透かしてみても、特別なにか特徴的ということはない。

「──というわけで、アイン様。本日の視察は、この海結晶をみたことで終了ですな」

「とても興味深いことばかりでした。今日は本当にありがとうございました」

「アイン様。オリビア様へのお土産を見に行きますか?」

一応、今日のことはアインの公務に識別される。

その公務が終わったということで、後は自由にしていい時間だ。

クリスが言った、オリビアへの土産みやげ を買うと言うのは、とてもいい選択となろう。しかし、

「では、クリス殿はアイン様のお付きを──いえ、クリス殿にも確認いただく書類がありましたな」

思い出したようにウォーレンが言った。

「それなら、クリスさんの仕事が終わるまで待ってますね」

「ふむ……でしたら、どこかお部屋をご用意致しましょうか」

ウォーレンの提案はアインを気遣ったものだ。

だが、部屋を用意するまでのことじゃない。そう思うと、アインは桟橋に目を向けた。

「俺なら大丈夫です。桟橋で海を眺めて待ってることにするので」

すでに秋となったイシュタリカ。それでも、マグナの海は透き通っていて美しい。

港とあってか、ちょうどいい暖かさで、水中には小魚も姿をみせている。

「お一人では危ないので、桟橋は承諾致しかねます」

承諾できないといったクリスは、部屋を用意するべきだと語る。

すると、ウォーレンが助け舟を出したのだ。

「クリス殿。我々の目が届く範囲ならば構わないでしょう。海に落ちるようなことがあっても、クリス殿ならばすぐに気が付くでしょうから。それに、不審者が入れるようなところではありません」

「ここは軍港ですので、関係者しかおりませんが……ですが」

クリスが渋る。いくら近くとはいえ、王太子を一人にすることに頷けないのだ。

「では……アイン様、こちらを身に付けてくださいませ」

ウォーレンは小さな紅あか い宝石を手渡した。

(なにこれ。ネックレス?)

その宝石は、細い鎖に繫がれていた。

長さをみれば、ネックレスなのは一目瞭然。

「大地の紅玉ですか……分かりました。それがあるなら、桟橋に行くのは承諾致します」

「なんですか? 大地の紅玉って」

クリスの態度が一変したことで、アインが尋ねる。

目を凝らして宝石を見ると、中では炎のようなものが蠢うごめ いている。

「貴重な魔道具です。強力な龍の核を凝縮し、海結晶に埋め込んだものになりまして──」

と、クリスが語りだした。

悪意ある者が近くに寄ると宝石は輝き、身につけた者を守るために障壁を張る。

更に、怪け 我が をして死に瀕ひん した時も、生命維持のために力を発揮するという。

一度でも力を発揮すると、効果を失うとのことだ。

だがしかし、たとえ一度きりの使用だろうと、その効果は絶大で、王族が持つにはぴったりだ。

「すごく高そうな宝石ですね……」

「えぇ、仰おつしや る通り高価でございますな。本当はもっと早くお渡ししたかったのですが、昨晩、ようやく出来上がったものでして」

ウォーレンが説明するなか、アインはそのネックレスを首に付けた。

「くれぐれも、桟橋より遠くには行かないでくださいね?」

「分かりました、それじゃ、仕事が終わるのを待ってますね」

二人に断りを入れ、彼は軽い足取りで桟橋に向かう。

海底までみえそうな透明感に、アインの鼻び 腔こう をくすぐる潮の香り。日差しがちょうどよく、気持ちいい暖かさに、吹き付ける海風の温度差が清々しかった。
「──魚がたくさんいる」

桟橋では、手づかみでも取れそうな距離で、多くの小魚が自由に泳いでいた。

海底近くに目を凝らして見ると、鮮やかなサンゴ礁が広がっているのだ。

(クリスさんはまだ時間かかるみたいだし、昼寝してよっかな)

海の音、潮の香り、暖かな日差し、日差しが降り注いだ桟橋の暖かさ。

そのどれもが眠気を誘うのだ。

しかし、王族であるアインがこんなところで昼寝をする。果たして許されるのだろうか。

(……まだお披露目されてないし、むしろ、これが最後の機会かもしれない?)

それを考えたアインは、決心をしてニヤリと笑みを浮かべた。

すぐ近くに並ぶ木箱を見て、その陰で寝てしまえば大丈夫じゃないか。と想像する。そして、

──キシッ。音を立て、桟橋に使われている木材が軋きし んだ。

「……悪くない」

木箱の横に大の字に身体からだ を倒し、どこまでも広がる青空を眺めた。

陽ひ の光も、ちょうどいい角度に木箱で隠され、残ったのはアインにとって都合のいい空間だ。

それをきっかけに、目を瞑つぶ って、この陽気を楽しむことにした。
……桟橋での昼寝は気持ちが良かった。

子守歌のように聞こえる波の音や、海鳥 の鳴き声。

海の風が頰を撫な で、独特の心地よさに浸れたのだ。

目を閉じ、ここの心地よさに浸りはじめてから、どの程度の時間が経た っただろうか。

決して深い眠りではない。しかし、浅い眠りながらも、これほど充実した時間は経験がない。

何十分が過ぎたか分からないが、クリスの迎えはまだ来ない。

浅い眠りのなか、アインはクリスの迎えを静かに待ちつづけた。

アインはまだ大きな身体でなかったこともあり、桟橋で昼寝をしても目立たなかったのだ。

港町マグナの大型船の仕事をする者たちは、目的地である船以外に目を向けることが少ない。

いくつかの条件が重なり、アインは貴重な昼寝という時間を満喫している。

……しかし、アインが目立たなかったというのは、あくまでも一人でいたときの話だ。

例えば、彼の昼寝は一人ではなく、誰かの膝ひざ でも借りていたらどうだろう?

それはきっと、人の目を集めるのが時間の問題となるはずだ。

「ん……うぅん」

アインの意識が、数十分ぶりに覚かく 醒せい に向かおうとしている。

なぜなら、強めに吹いた風がアインの髪の毛を揺らし、頰にくすぐったさを感じたからだ。

「もう……くすぐったいの?」

髪の毛が、何者かの指でそっと避よ けられ、心地よい声が耳に届く。

顔に触れた指の優し気な動きと、心地よい声。その二つを感じ、アインの意識は覚醒に向かう。

「……」

目はまだ開けてない。まどろみが完全には覚めてないからだ。

心地よい陽気に包まれた昼寝を終え、アインは満足した気分だった。しかし、何かが違う。

木箱に寄り添うように寝ていたから、頭にあたる感触は硬いはずだった。

しかし、頭は柔らかい何かに支えられ、その上からは甘い花の香りが漂ってくる。

(あれ……俺は桟橋で寝てたはずじゃ……)

それを不思議に思ったアインは、合点がいかない様子で瞼まぶた をこすった。

ゆっくりと目を開き、何が起きているのかを確認する。……そして目にしたのだ。

この昼寝が、経験したことのない充実感に満ちていた理由とやらを。

「──ねぇ、アイン? 貴方が最初に口にする台詞せりふ は何かしら。久しぶり? それとも、膝を貸してくれてありがとう?」

アインの瞳ひとみ に映ったのは一人の少女だった。彼女がアインに膝を貸していたのだ。

以前と変わらない鈴のような音色で、彼女は語り掛けてきたのだ。

すると、アインはとっさに手を伸ばし、彼女が本物かどうかを確かめた。

頰に触れる? それは憚はばか られる。伸ばされた手は、彼女の髪の毛先に触れた。

絹のような滑らかな手触りが伝わり、くすぐったそうに彼女が笑う。

なるほど。本物だ。アインは優し気な表情を向けると、自然と口から言葉が漏れ出した。

「……会いたかったよ。っていうのはダメかな?」

少し大人っぽく成長し、更に美しさに磨きがかかった彼女。

そんな彼女は顔をほんの少しだけ赤く染め、アインの頰を撫でた。

彼女は照れ隠しに、長いライトブルーの髪をかき分ける。

手元には、バラの形をした宝石が、彼女の可か 憐れん さに負けずに輝いていた。
◇ ◇ ◇
時間が少し遡さかのぼ り、アインがマグナの視察をしていた頃ころ となる。

「ようこそイシュタリカへ。そして、ここがイシュタリカが誇る港町──マグナでございます」

と、エウロから帰国した船の中にて、一人の文官が声に出す。

港町ラウンドハートと比べものにならない規模の広さに、並び建つ家々の美しさ。

泳ぐ魚の姿までよく見える、コバルトブルーの海と停泊する船の数々。

クローネにとって、すべてが今までとは別世界で、どこを見渡しても新発見しかない。

「あちらで動いているのが水列車、駿しゆん 馬め よりも速く走りつづけ、大陸中を駆ける乗り物です」

ハイムでの移動は、基本的には馬車だ。

しかし、駿馬よりも速いまま走りつづけると言われ、クローネは衝撃を覚える。

「貴族のための乗り物ということですね」

「いえ、距離にもよりますが、近場でしたら安価な魔石よりも更に手ごろですよ」

船から降りていないのに、新発見が多すぎる。

自分もその水列車に乗れるだろうか? どんな乗り物だろうかと考えると、気分が高揚する。

「早速ですが、グラーフ殿。外に出るために手続きに参りましょう」

彼がそう言うと、グラーフが静かに頷うなず く。

「その後、私の上司……宰相ウォーレンと会っていただきます」

統一国家イシュタリカにおける文官の頂点で、国王シルヴァードの側近の一人。

いきなり高い壁だなと、グラーフの内心が強く緊張に苛さいな まれる。

「……では、案内をしていただこう」
──階段を下り、下の階層に向かい、また通路を少しばかり歩いた。

それを何度か繰り返したところで、文官が振り返った。

船の一階部分には、大きく広い吹き抜けがある。文官が見る先にはソファがあり、そこに一人の老人が腰かけ、彼の後ろに、クローネも見み 惚と れる美女が立っていたのだ。

「グラーフ殿。あちらにいらっしゃるのが──」

紹介しようとした矢先、ソファに腰かけていた老人が、グラーフたちに気が付いた。

「おぉ! これはこれは、長旅、お疲れ様でございました」

好こう 々こう 爺や 然として笑うと、親し気な声色で語り掛けてきたのだ。

「私はウォーレン・ラークと申します。グラーフ殿でございますな?」

「お初にお目にかかる。私はグラーフ・アウグスト……この度は感謝の言葉しかない」

二人は握手を交わし、その後、ウォーレンはクローネへと目線を向ける。

すると、まばたきを何度も繰り返し、驚いた面持ちを浮かべ、俯うつむ きながら考え込む。

「クローネ・アウグストと申します。この度は、私共を受け入れてくださって、感謝に堪えません」

良く分からないが、黙ってしまったウォーレン。

そのウォーレンへと、クローネは先に自己紹介をしてみせる。

カーテシーをして頭を下げると、ようやく、ウォーレンが口を開いたのだ。

「──え、えぇ。こちらこそ、ようこそお越しくださいました」

後ろに控えていたクリスが不思議に思った。

いつもと違い、彼の様子が挙動不審だったからだ。しかし、彼はすぐに調子を取り戻し、

「おっと……こちらにいる者も、紹介しなければなりませんね」

咳せき 払ばら いをして気を取り直したウォーレン。

クリスを一歩前に進ませ、彼女はアインたちの護衛も務める重鎮だと紹介した。

「……では、挨あい 拶さつ も終わったことですし、クローネ殿にいくつかお尋ねしても?」

そして、ウォーレンの顔つきが変わった。

大国イシュタリカの重鎮として、グラーフたちのことや人となりを調べなければいけない。

目つきは鋭く、柔らかい声色にも、どこか迫力を感じてしまう。

「私に答えられることでしたら、なんなりと」

彼女は内心で察する。

これはきっと試練なのだ、最後のひと調べなのだなと。

「──何をしに、我がイシュタリカへ参ったのですか?」

人が良さそうに笑うウォーレンから、肌がぞわっとするような気配が放たれる。

表情とは裏腹に、射殺すような視線がクローネに向けられた。

「私はまだ、判断しかねております──お二人を迎え入れていいものかと」

そう、彼はクローネ自身の価値を示せと言っているのだ。

「情報でしたら、我々で調べられますので結構です。ラウンドハート家の新たな屋敷でのパーティも、クローネ嬢とハーレイ殿はご出席しておりましたよね?」

いつのまに調べたのかと、恐怖すら抱く言葉だった。

「貴女あなた をアイン様の近くに置いても大丈夫なのか、私にお教え願いたい」

気け 圧お されてしまい、グラーフは苦々しい面持ちを浮かべる──だが、

「……えぇ、かしこまりました。お答えいたします」

クローネは気圧されることなく、ただ普段通りに口を開いた。

そう言い、彼女は左腕をすっと差し出した。

「私は王太子殿下からこれを頂ちよう 戴だい 致しました──私は彼に会いたくて、海を渡ってきたんです」

「……スタークリスタル、ですな?」

まじまじと見るウォーレンに対し、彼女は凛りん とした声で尋ね返す。

「さて、お尋ねします。ウォーレン様は、異性にこの宝石を渡す意味……ご存知ですよね?」

彼女の恋慕のきっかけでもあり、ここまでくるための原動力だ。

射殺すような視線に対し、オリビアのように、聖女然とした瞳を向ける。

「勿もち 論ろん 、存じ上げておりますよ。ですが、アイン様が贈られたものという証拠はありますか?」

そんなものはない、グラーフは皺しわ を深くして劣勢を感じたのだが、

「第二王女殿下もアイン様から受け取っておられます。これは同じ日につくられたものです」

すると、はっとした顔を浮かべたのはクリス。

アインを迎えに行った時、オリビアはアインから貰もら ったと言っていた。

だが、作ったスタークリスタルは一個だなんて、一言も口にしていなかったからだ。

「……仮に持っていたとしても、それが語られた片割れとは限りませんが」

「ハイムにあるスタークリスタルは二つ。どちらも王家の所有物ですが、先ほどのようにお調べする力があるのでしたら、こちらもお分かりかと存じます」

その通りといった様子で、ウォーレンは『ふむ』と頷く。

「ですが、アイン様は渡すことの意味を知らなかったのでは?」

だから意味はない。そう言ったつもりだったが……その瞬間、クローネがほくそ笑む。

「ふふっ……その際に第二王女殿下が立ち会っていても、それは通用するのでしょうか?」

「ッ──ふむ……なるほど……」

第二王女がそれを咎とが めなかった──細々とした事情があろうとも、これは無視できない。

これが意味することは、クローネがアインの近くにいることを認める、ということになる。

「国を捨て、海を渡りやってきたこと……それは私にも、譲れない想おも いがあるからです」

いかがでしょう? まだ問答をつづけますか? 彼女は一層強い目線で訴えかけるのだ。

彼女は話の流れの中で、機転の良さと胆力──そして、自身の資質の一端をみせた。

自分はただ会いたくて来たわけじゃない。

この想いを、今の短い問答で語った。

「──私を相手にこの問答、それに頭も良い。そして容姿も文句のつけようがない……ふむ」

今の問答で、彼女がアインのためになるか否かを精査した。

やがて満足した表情で頷くと、彼は唐突に笑顔を浮かべて言うのだ。

「よろしいでしょう──ですが、まだグラーフ殿にお伺いしたいことがございますので、どうでしょう? 桟橋に行って、海をご覧になっては」

それは暗に、試験は終了したとの合図で、クローネは上陸を許されたことになる。

……自分に対しての試練は終わったのだなと、クローネは一安心する。

そして、自分に席を外してほしいのだろう……と、心の中で察したのだった。

「実は先程から、美しい景け 色しき だなと思っていたんです。それでは、お言葉に甘えますね」

同じく笑顔でこうかえしたクローネ。しかし、

「ッ──ウォーレン様!」

「クリス殿。後で聞きますから、今は私の言う通りに」

慌てた様子で、クリスが詰め寄った。

だが、彼女はウォーレンに強く言い聞かせられ、しぶしぶと引き下がる。

クローネは戸惑いながらも、促されたことで、一人桟橋へと向かっていった。
誰か護衛や付き人がいるわけでもなく、彼女はただ一人で船を降りる。

少しばかり不安だったが、ここまできて、イシュタリカが自分を害するとも思えなかった。

「急に桟橋でも見てきたらどうかなんて、意味は分からないけど……」

自分を遠ざけた理由は分からないが、マグナの海はとても美しく、見ているだけでも癒いや される。

しばらく船の上にいたからこそ、久々に自分の足で外を歩くのが嬉うれ しかった。

「こんなにすごい国の姫を貰っておいて、あんなことを仕出かすんだから。ただの馬鹿だったのよラウンドハートは。なんて……口には出せないけどね」

淑しと やかさの欠片かけら もないことから、ウォーレンに対し、こう答えることを控えたのだ。

「最初の予定とは違うけど、イシュタリカのおかげで、いい旅になったわね」

イシュタリカへと渡るのは、船を用意し、冒険者を護衛に雇う予定だった。

エウロの取引の話を聞き、オリビアからの厚意があったことには、感謝するばかりだ。

「……いい天気」

桟橋を歩きながら、美しい海を眺め風を感じていた。

少し服が汚れてしまうが座ろうと考え、近くに置かれていた木箱に気が付く。

あそこにしようかな。クローネが足を運ぶと、そこにいた先客に驚かされた。

「──ア、アイン……?」

見間違えるはずがない。

オリビア譲りの綺き 麗れい な髪、顔つきは優し気だが、成長して男らしさがでてきようだ。

彼女がイシュタリカに渡ってきた理由。その理由が、木箱の横で昼寝を楽しんでいたのだ。

「ふふ……そう。ウォーレン様ったら、こういうことだったのね」

自分を桟橋に行かせた理由を理解した。自分をアインの元へと行かせたのだと。

同時に、クリスが慌てた理由も理解に至る。

クローネのことを警戒していたのだろう。それは当然だ。

彼女は軽い足取りでアインに近づく。

「──あれ? なにかしら、この宝石」

女性からの贈り物? そう考えると、内心穏やかではない。

しかし、王族なら、宝石の一つぐらい身に着けるだろうと、彼女は一人納得する。

「アイン? こんなところで昼寝して、頭痛いでしょう?」

未婚の女性が膝ひざ を貸す。ふしだらかもしれないが、クローネはアインの頭を膝に乗せた。

そうは言っても、固い床で寝てるアインが、不ふ 憫びん に思えてならないのだ。

「お寝坊さん? 夢の世界は楽しいかしら?」

指でつつくと、くすぐったいようで少し顔を動かすものの、アインが起きる気配はなかった。

彼の可愛かわい らしい仕草に、彼女の頰も更に緩んだ。

「大公家の令嬢の膝よ? いい身分ね。……あ、大国の王太子だから、いい身分で正しいのかしら」

冗談を言い、起きる様子のない彼の寝顔を見て、幸せそうに彼の髪を梳す いた。

それから少し経た ち、アインは目覚め、目の前のクローネに驚くことになるのだった。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、そのネックレス、どうしたの?」

起き上がったアインへと、クローネが尋ねた。

「王族を守るための物って言ってた。ウォーレンさんから貰ったんだよ」

「……そう」

あっさりとした返事をし、髪をかき分けたクローネ。

安あん 堵ど したのは勿論だが、悔しいので、その感情は表には出さない。

「膝ひざ 枕まくら ありがとう。おかげで気持ちよく寝られたみたい」

「ふふ、それは何よりだわ」

アインが周囲を見渡してみると、アインとクローネの二人を見ている者がいた。

皆が和んだ様子で笑みを浮かべており、対照的にアインは居い 心ごこ 地ち が悪そうにはにかんだ。

「こんなところで昼寝する王族って、どう思う?」

「先行きが不安かしら」

「だよね。……まぁ今度からは控えることにするよ。ところで、クローネ一人なの?」

クローネなら、一人でもなんとかしそう。半ば冗談を思い浮かべて尋ねた。

「お爺じい 様と、古い給仕たちが何人かいるわよ? あ、ほら、船のほうよ」

「あの人がアウグスト大公か。ハイムの重鎮だけあって、貫かん 禄ろく ある人だね」

長年大貴族として君臨していただけある。アインは素直にそう語った。

「前・大公よ。お爺様も歳とし を召しているもの。お父様に家督は譲ってから来たのよ」

すると、二人の間に静寂が訪れる。

なんて言おうか、お互いに考えているうちに、クローネが先に口を開き、

「……王族って聞いて驚いたわ」

「俺も、急に教えられて驚いたよ」

「別の大陸に行ったなんて聞いて、もう話せないと思った」

「でも、今は話せてる」

箇条書きのような問答だが、早く状況を確認したいがゆえのこと。

二人はこの、遠慮ない関係に満足する。

「ほら、こんなとこで寝てたからよ。せっかくの服が汚れちゃってるじゃない」

アインの背中に付着したゴミを落とす。

……恥ずかしい。王族にもなって、こんなことで彼女の手を煩わせてしまったからだ。

「なんか、再会早々、世話になりっぱなしだね」

「──別に、このぐらい気にしなくていいと思うわよ」

一方のクローネと言えば、自分についていた埃ほこり は、既に綺麗に取り除いていた。

このあたりに、彼女の令嬢らしさを感じてしまう。
「はぁ……今日だけですからね、こんな場所でお昼寝だなんて」

「分かってます。注目されて、結構、恥ずかしい思いをしましたから」

やってきたクリスが小言を口にする。

彼女のいる場所からは、アインが昼寝していたのも丸わかりだったはずだ。

それを咎とが めに来なかったあたり、彼女はアインの昼寝を見逃したのだろう。

「仕事は終わったんですか?」

「はい。後はウォーレン様にお任せしております」

彼はグラーフとの話があるらしく、一足先に、クリスだけやってきた次第。

「ご紹介の必要はないかと思いますが、こちらは、クローネ・アウグスト様です」

今更なのだが、一応形式だ。

クリスがそう言うと、クローネはカーテシーをして口を開く。

「クローネ・アウグストでございます。王太子殿下と再会でき、この嬉しさを伝えるための言葉を見つけるのに苦労しております──私の申し出にお返事いただき、心より感謝申し上げます」

「あの、クローネ? その態度は、今更過ぎる気がするけど……」

彼女が丁寧にふるまったこと、その理由を考えると納得はできるが、今更感が強い。

「ア、アイン様……さすがにそのお言葉は、クローネ様がお可哀かわい そうでは……」

「だって、さっきまで膝枕されてましたし……それに、今更そんな態度だと、少し寂しいような」

今の言葉には、クローネも二の句が継げられなかった。

しかし、同時に、アインが変わっていないことに、彼女は心から嬉しさを感じる。

「はぁ……クローネ様、アイン様はこんな様子ですが、少しお付き合いいただけますか?」

「えぇ、え……構いませんが、どのようなことでしょうか?」

「これから、オリビア様のためのお土産を購入しに行くんです。よろしければ、是非」

彼女が言うということは、ウォーレンやグラーフたちの許可があるということ。

もちろん、クローネとしては、何が何でも承諾するところ。

「喜んでお供致します」

承諾すると、彼女は悪戯いたずら っぽく笑う。

「王太子殿下、私が共をすることをお許し頂けますか?」

「え、うん……。こちらこそお願いします……」

許すも何も。こちらこそ願い出たい話だ。

だが、クローネは引きつづき、固い態度でアインに接した。さっきの仕返しだろう。

「そういえば、言ってた通り、本当に港町に来てくれたんだね」

「……えぇ。でも、あなたの言う港町って遠いのね。来るのに時間が掛かっちゃったもの」

約束した日にクローネは行ったのだ。彼女も、港町に行くから……と。

時間はかかった、場所も変わった。だが、その言葉に噓うそ はない。

二人は顔を見合わせて笑い、改めて再会を喜んだ。

(まさか、クローネと再会できるのが今日だったなんてね……)

驚きの感情が大きかったが、嬉しさという感情も同じぐらいには存在を主張している。

彼女を交えてマグナの町を楽しむと、夕方になる頃ころ 、皆は同じ水列車に乗り込む。

アインにとって初の公務は、こうして、賑にぎ やかな展開で幕を下ろした。
◇ ◇ ◇
王都までの道のりは、クローネにとって衝撃の連続だった。

水列車のように早く走る乗り物もはじめてで、道中で目にしたいくつもの町。

極めつけは、王都に近づいてからの景け 色しき だ。

人々の営みが、夜の灯あか りとなってクローネの瞳ひとみ に届いた。まるで宝石箱をひっくり返したかのような、ハイム王都とはまさに別世界な景色を目の当たりにしたのだ。

グラーフが以前、緊張した面持ちで、イシュタリカについてを語った理由を目の当たりにした。

……そして、城に到着した今は、城の光景に驚いていたのだ。

「あれ、カティマさん? どうしてここに?」

「部品だニャ! 首を長くして待ってたのニャ!」

そんな彼女の近くでは、アインがカティマと会話をしている。

彼女は驚きのあまり、ケットシーであるカティマに意識が向かなかった。

「ちゃんと買って来たよ。別の馬車にあると思うから、受け取っておいてね」

「ニャんと!?  こ、こうしちゃいられないのニャ……アイン、ありがとうニャッ!」

走り去っていくカティマを見送り、アインは苦笑いを浮かべたままクローネに近寄る。

すると、惚ほう けた様子の彼女に声を掛けた。

「クローネ、どうしたの?」

「ご、ごめんなさい。その、お城が凄すご くて驚いていただけなの」

慌てた様子でアインに答えると、目を閉じて呼吸を繰り返す。

「王太子殿下。クローネは王都までの道のりでも、多くのことに驚いてしまったのです。極めつけにこの城ときて、平常心を欠いてしまったようで」

「あはは……俺も同じだったので、気持ちはわかります」

グラーフの言葉に苦笑いを浮かべて返すアイン。

三人がこうして話していると、笑みを浮かべてウォーレンが近づく。

「……っと、そういえば、ウォーレン殿」

グラーフが咳せき ばらいをした。

「申し訳ないのだが、宝石を換金できる場と、宿を紹介していただけないだろうか?」

「そのことでしたら、城に部屋を用意してございますのでご心配には及びません」

あぁ、そういうことだったんだ。アインは納得し、グラーフとクローネは驚いた。

当然だ。まさか、城に泊まることになるとは、片時も考えたことがなかったのだから。

「ウォーレン殿! それはさすがに……」

「え、えぇ……ここまで格別のご配慮を賜ったというのに、お部屋までご用意いただくのは……」

慌てた様子で断ろうとした二人に対し、ウォーレンが笑って答える。

「この件は、オリビア様のご提案によるものです。どうしてもというのなら、そう伝えますが」

王女の配慮を無下にする……なんてことは、客人の身からできるはずもない。

クローネは困った様子でアインに目線を送る。すると、アインは声に出さず大丈夫と答えた。

「……お爺様。第二王女殿下のご恩情に感謝致しましょう」

これが一番いい答えのはずだ。クローネはオリビアに感謝することにした。

ウォーレンは満足げに頷うなず いてみせると、ここにいる一同を促す。

「さぁ、どうぞ中へ。オリビア様は、お二人とご夕食を共にすることをお望みですから」

この言葉を聞き、グラーフとクローネの二人の表情が変わる。

決して気分が悪いとかではなく、王女との会食ということに緊張したからだ。

(……なんか、逆に申し訳なくなってきた)

内心で呟つぶや き、驚く二人を連れて、オリビアの待つ場所へと足を運ぶ。
何度か階段を上がり、長い廊下を歩く。

一同が足を運んだのは、城にある食堂の一つで、入り口にマーサが立っていた。

「お帰りなさいませ、アイン様」

ここまできたことで、ウォーレンが静かに席を外した。

「こちらにいらっしゃるのが、グラーフ様、そして、クローネ様でお間違いありませんか?」

「はい、マーサさんの予想通りです──それで、お母様は中に?」

「左様でございます。さぁ、皆様をお待ちしておりました。どうぞ中へ」

マーサが部屋の扉を開けると、室内には、当然のようにオリビアが待っている。

「──お帰りなさい。アイン」

少し大きめのテーブルに、椅子がいくつか並んでいる。

その席の一角に、オリビアはいつものように、優雅に腰かけていた。

「ただいま帰りました。夜が賑やかになるだろうって……こういうことだったんですね」

「ふふっ……びっくりしましたか?」

クローネがみたのは、アウグスト邸でみたのと同じ、オリビアの柔らかな笑顔だ。

その表情をみて安心していると、いつの間にか緊張がほぐれてきたのを感じる。

「マーサ、お二方をお席に」

そうは言っても、二人はまだ緊張している様子だ。

マーサに案内されて席につくと、決心をしたという面持ちで、グラーフが口を開く。

「第二王女殿下──いくつもの言葉を考えておりました。ですが、何より先に謝罪の言葉を」

彼はハイムでのことを謝罪したかったのだ。だが、

「グラーフ様、もういいんです。私は今、イシュタリカで幸せですから」

「で、ですが! ハイムが犯した罪は消えず、儂わし の家でのパーティでの不手際も……!」

「う……うぅん……ねぇ、アイン。どうすればいいかしら」

「謝罪を受け取り、様ではなく殿とお呼びするほうが、グラーフ殿は緊張しないと思います」

これが一番角が立たないはずだ。アインはオリビアに助言をした。

「第二王女殿下。この度は、私の不ぶ 躾しつけ な申し出にお答えいただき──」

つづけて、クローネは雅みやび やかにカーテシーをして、緊張した面持ちでオリビアに挨あい 拶さつ をする。

「えぇ、クローネ様──あ、様じゃだめだから……さん、かしら?」

すると彼女は、アインに向けて笑顔で感謝した。

オリビアがみせる、とびっきりの笑顔を、アインが独り占めにする。

「でも、王女と呼ばれるのも寂しいので、以前のように話かけてくださいね」

「それはつまり、ハイムに居た頃のように……でしょうか?」

オリビアが頷いた。しかし、この場にはマーサという臣下が居る。

臣下の前でその態度、許されるのだろうか?

「……クローネ様。オリビア様は昔から自由なお方です。ですので、オリビア様が望むように接してくだされば、私たち臣下としても嬉うれ しく思います」

つまり、彼女の言葉に従ってやってくれということだ。

本当にいいのだろうか。クローネはふと、アインに目配せした。

「もちろん、俺も同じだからね」

「……わかったわ。でも、私なりに時と場合を考えて接し方を変えるけど、いい?」

観念した、というよりかは、アインとオリビアの言葉に納得した。というのが近い。

イシュタリカという国は凄すさ まじいが、二人は以前と変わらぬ態度で接することを求めたのだ。

「うん。ありがとう」

屈託のない、いつものアインの表情。

それを向けられたクローネは、初対面の際に感じた温かさを思い返していた。

「それにしても……クローネさんは以前にも増して、お美しく成長なさいましたね」

「い、いえ、とんでもありません」

「ハイムに居た頃ころ は、縁を結びたいという方も多かったでしょう?」

困ったように首を傾かし げたクローネは、ぽつりぽつりと答える。

「……実は、それなりに申し出が来ておりました。ただ、届いた文は、いつも読まないで捨てていたので、誰からの申し出かまでは……」

ね、お爺じい 様。クローネがグラーフに話を振る。

「うむ。面倒──いえ、すこし困ってしまったのは、第三王子からの求婚ぐらいでしたな」

「まぁ。正式に申し出が?」

王子から求婚があった。オリビアの隣に座るアインも、同じく興味を示す。

「非公式にではありましたが、王子が言えば、いつでも公式ですからな」

「では、イシュタリカに渡るのも、苦労なさったのでしょう?」

その言葉に対してグラーフは答える。

彼が隠居、そして療養に向かうためにハイムを出て、クローネが付き添ったというアリバイだ。

その後は情報をいくつも交錯させ、エウロに向かったと分からないように細工をしたという。

「さすがは、名高きアウグスト家のご当主をなさっていたお方ですね」

オリビアがグラーフを称賛した──すると、マーサが尋ねる。

「失礼致します。お料理を運んでもよろしいでしょうか?」

「えぇ、お願いするわ」

すると、アインがオリビアと目配せを交わし、突然、立ち上がる。

「グラーフ殿。ここイシュタリカでは、ハイムと違った食材もございます。お二人が苦手なものがないか、あちらで教えていただけないでしょうか?」

「ちょ……ちょっと、アイン! 私は別に、苦手な食べ物は……!」

「う、うむ。儂も苦手な物は特には……」

まさに突然だ。そんなこと、こうした会食前に尋ねることじゃない。

クローネは戸惑って、グラーフは合点がいかない様子で答える。

「グラーフ殿。イシュタリカでの初めての食事があまり好みじゃなかった。なんて、クローネに感じてほしくないんです。ご助力、願えないでしょうか?」

少し強引な言葉に、グラーフは何かの意図を感じ、

「……そういうことであれば、私が参らないわけにはいきませんな」

彼はこの芝居に乗ったのだ。

アインがどのような意図を持ち、自分を連れ出そうとしているのかは分からない。

とはいえ、アインの瞳から何か強いものを感じたのだのだ。

「お母様。では、少し席を外します」

「えぇ、いってらっしゃい」

そう言ってアインが席を立つと、グラーフがつづけて立ち上がる。

二人は何も言わずに部屋を出ると、残されたのはオリビアとクローネの二人だ。
「──さて、クローネさん。訳あって、アインには席を外してもらいました」

「……私に聞きたいことがある。そういうことでしょうか?」

クローネは利発だ。

自分だけ残されたのは、何か尋ねたいことがあるはずだと察し、オリビアを見つめる。

すると、オリビアはテーブルに置かれた紅茶を一口飲んで、同じくクローネを真っすぐみた。

「──これから、どうしたいですか?」

真剣な表情で単刀直入に尋ねられた問いが、心に強く突き刺さった。

「ここにいるのは私とクローネさんだけなの。隠し事は必要ありませんよ?」

本心を隠さずに答えてほしい。オリビアはその想おも いを言葉に乗せる。

「……正直に言えば、今の私が口にしていいのか戸惑っています」

尋ねているのはイシュタリカでどうしたいかじゃない。アインとのことについてに違いない。

だがしかし、身分などの問題もあってか、秘めたる想いは簡単には語れない。

「ふふ……なら、イシュタリカで生涯を過ごすつもりはありますか?」

これは助け船だろうか。オリビアが、問いを変えて尋ねてくる。

「その覚悟は、アウグストの屋敷を出たときから出来ております」

迷うことなく、詰まることなく答えることができた。

祖国を捨てた薄情者と罵ののし られても構わない。それぐらいの気持ちを抱いているのだから。

さぁ、この答えはどう捉とら えられるだろう……。胸の奥がじんじんと痛んだ。

「そうですか! でしたら、何も問題ありませんね!」

豊かな胸の前で手を合わせ、オリビアが天てん 真しん 爛らん 漫まん に笑った。

それを見てクローネは、あれ? と拍子抜けといわんばかりに戸惑った。

「あ、あの……オリビア様?」

「──クローネさんも、次の春から学園に通いましょうね。アインとは別のところになるけれど、お母様……王妃様が理事を務める女学園があるの」

「も……申し訳ありません、オリビア様。その、どうして急に学園なんて……?」

困惑した様子でオリビアに尋ねた。すると、

「私たち王家は、クローネさんという宝石を磨ける場所を用意いたします」

その意図をオリビアは明言しない。だが、それでもクローネに意図が伝わる。

「誰だれ もが憧あこが れる最高の宝石になれば、皆は何も言わずに首を縦に振ることでしょう」

いかがですか、クローネさん。オリビアはつづけて言った。

その意図を察するのは決して難しくない。オリビアは、アインとの仲を応援すると言ったのだ。

努力をつづければ、その想いは必ずかなう。そう言ったのだった。

「いかがですか? 貴女を磨くため、私にも協力させてくださいませんか?」

あぁ、彼女こそ……本当の女神なのかもしれない。オリビアの言葉に、クローネは心を奪われた。

彼の隣に立つことができる。そのために、自分は努力する機会を手にしたのだ。

「……オリビア様」

すぅ……はぁ。クローネが大きく深呼吸を繰り返す。

何度か繰り返した後に、彼女は左腕のスタークリスタルに目を向けた。

最後はオリビアに視線を戻し、深く強く頷いた。
無力だった過去との決別

クローネがイシュタリカに来てから二日が経た った。

初日の晩の後から、アインとクローネはゆっくりと話せる時間を持てなかった。

なぜなら、グラーフとクローネの二人には、いくつもするべきことがあったからだ。

しかしそれも落ち着き、ようやく余裕が出てきたところで、今日の彼女は、城の訓練場でアインを見学していたのだった。

「……すごい」

感嘆した声を漏らしたクローネの目の先では、アインが騎士を相手に戦っている。

年下の彼が一人前の騎士を相手に戦う姿は、強く心を揺さぶった。

「クローネ殿。我らイシュタリカは実力主義ではありますが、ハイムと違い、スキル至上主義ではなく、努力からの実力主義となっております」

今までのアインは必死になって努力をつづけた。

だからこその体技や剣技、戦い方の変化なのだと。

「アイン様は稀け 有う な才能がありますが、それ以上に努力をなさってきました。毎朝早くから訓練にいらっしゃいますが、夜遅くまでの勉学も欠かしません」

掛け値なしの称賛を送り、ロイドはアインが奮闘する姿に笑顔を向ける。

「──はい。今のアインを見ていると、すごい頑張ってきたんだなと……良く分かります」

「それはよかった。アイン様が魔石を吸収されたのは大きな力ですが、それ以上の訓練を積んできたこと、分かっていただけて嬉しく思います」

努力主義の大国にあっても、アインは頭角を現しだしている。

それはきっと、想像以上の努力があったのだろうと、クローネはぐっと胸を抱いた。

「はぁ……はぁ……く──ッ」

ところで、相手の騎士の息が荒くなり、アインの動きに手こずっているのが分かる。

「さぁ──近頃のアイン様は、こんなものではありませんぞ」

クローネを傍目に、ロイドがニヤリと笑ってそういった。

どういうことだろうかと、じっとアインの様子を窺うかが うと、

「……はぁッ!」

勢いよく振られた剣が騎士の重心を崩し、騎士は慌てて体勢を整えようと堪える。

だが、おろそかになった手元が伸びてしまい、アインはそこを狙ねら って一撃を放った。

──カラン、カラン。と、アインに弾はじ き飛ばされた剣が転がる。

「そこまでッ!」

大きな声でロイドが制止し、アインの勝利で戦いが終わる。

アインと騎士、二人は息を荒らげながら礼をした。

「殿下……また腕をあげたようですね」

「まだまだですよ。でも、そう言っていただけて嬉しいです」

二人はそうした会話をすると、アインは騎士の傍を離れてクローネが居る方に近寄る。

すると、クローネからも距離を詰め、訓練を終えた彼に話しかける。

「その……お疲れ様、アイン」

ふかふかのタオルと、水が入った大きめのコップを手渡す。

その二つをアインが受け取ると、汗を拭ふ き、あっという間に水を飲み干した。

「うん、ありがと」

勝利の余韻ゆえか清々しい顔のアイン。

屈託のない笑顔を向け、クローネの気遣いに感謝する。

「……相手って、本当の騎士なのよね?」

「そりゃ、いつも城の警備とかしてくれる精鋭だけど……どうして?」

「ど、どうしてって……アインみたいな歳とし で勝てる相手じゃないと思って……」

この疑問も当然のことで、彼女はただ呆あつ 気け に取られているのだ。

ハイムに居た時代、アインについて耳にしていた噂うわさ は多い。

しかし、ラウンドハート邸のパーティにて、彼女は給仕からアインの事を聞いている。

聞いたのは、アインは努力家だということ──だが、そうは言ってもだ。

イシュタリカという大国の騎士、その中でも城勤めの精鋭に勝てるようになってるなんて、片時も考えた事はない。

「……俺の場合は魔石を吸収してステータスも上がってるからね」

自じ 嘲ちよう する様な顔つきを浮かべたが、そんなアインにロイドが語り掛ける。

「何を仰いますか。以前も申し上げましたが、アイン様ご自身の努力あってこそですぞ? 修練の賜たま 物もの ──これあるからこそ、アイン様のお力が生きるのですから!」

「──ほんっと、ロイドさんにそう言ってもらえると、元気になれますね」

「はっはっはっ! それは何より! では、私はこれで」

今日の訓練はここまで。

これから自由時間となるので、クローネと話でもしよう、と約束していた。

「ごめん、先にお風ふ 呂ろ に入ってきた方がいいかも」

汗を搔か きすぎた。

複雑な男心が匂にお いを気にし、クローネと一歩距離を置く。

しかし、彼女は気にすることなく一歩を詰める。

「……ううん、別に気にならないから大丈夫よ?」

「お、俺が気にするんだけど……」

すると、唐突にアインの手を取り、彼女は歩き出したのだ。

「ちょ、ちょっと!? 」

「だから、私は気にしないからいいの。ほら、早く行きましょ?」

「……ハイムで話した時も思ったけどさ、クローネって、意外と強引だったりする?」

「ふふ。どうかしら? でも、こうして海を渡ってきたのだから、そうかもしれないわね」

説得力のある例えにアインが頷うなず く。

胆力、決断力、そして知性などなど。

クローネと言う女性は、色々な意味で規格外だ。

(少し強引なのも、それはそれで可愛かわい いとは思うけどね)

ところで、スタークリスタルを渡した日の夜は、今のように手を繫つな いでいた。

同じことをしているのが、なんとなく可お 笑か しくて笑いがこみ上げる。

「あ、言うのが遅れたけど──」

すると、彼女は楽しそうに笑い、トントンッ……と足音を立ててアインの前を歩く。

腰を折って振り返ると、身体からだ をくの字に曲げてアインを見た。

「さっきのアインは凄すご く素敵だったわよ?」

少女らしさもありながら、どこか大人びた表情でそう言ったのだ。

「ッ──きゅ、急に言うのはずるいと思うんだけど」

ふと、アインは口元を隠しながら顔をそらす。

急に褒められたのが照れくさかったのは一いち 目もく 瞭りよう 然ぜん だ。

「照れてくれたのかしら?」

アインの顔を覗のぞ き込むように彼女が言った。

「……驚いただけだよ」

「ふぅん……そう。顔が赤いけど、驚いたからなの?」

彼女は分かっているくせに、首を傾かし げて尋ねてくる。

仕草が可愛かわい らしいのがまたずるい。

「これはその、さっきまで訓練してたし……」

アインも男の子。

強がってみるが、残念なことにその勢いは弱くて脆もろ い。

「私がずるかったんでしょう? どうして訓練が関係あるのかしら?」

「……やっぱり、クローネはずるいよ」

「ふふっ……ありがと」

結局、彼女に敗北した。

そもそも勝てる見込みはなかったのだが、彼女は手ごわい。

(これもクローネの魅力なんだろうね)

悪くないどころか、これもアインは好印象に思っていた。

アインが折れたのをみてか、彼女は更に上機嫌になって隣を歩く。
すると、二人がそうしているところに、ウォーレンが足を運んでくる。

「おや、アイン様にクローネ嬢。ちょうどいいところに」

何か用事かな? 二人は立ち止まる。

「つい先ほど決まったのですが、お祝いのパーティが開かれる事になりました」

「お祝いのパーティ?」

何の祝いだろう。

クローネも似たような顔を浮かべたところでアインが尋ねた。

「えぇ、パーティでございます。というのも、エウロから海結晶が採掘できた件でございまして」

「あーなるほど。確かにお祝いですね」

「加えて、オリビア様の帰国祝い──も兼ねてのパーティとなります。今日より二週間と数日後となりまして、アイン様……そして、クローネ嬢とグラーフ殿にもご出席いただこうかと」

ちょうどいいところに、という意味を理解した。

しかし、アインが出てもいいのかと疑問を抱く。

なぜならば、まだお披露目がされておらず、そうした公式の場に姿をみせていいのか……ということだった。

「その、クローネはいいとしても、俺が出席しても大丈夫なんですか?」

「あのね、アイン。私がいいとして……っていうのも可笑しな話だと思うけど?」

アインが出ないのなら私も出ない。

こう言わんばかりに、彼女は困った表情で笑う。

「はっはっは! 仲がよろしくて何よりですな。勿もち 論ろん 、お二人が参加してくださることに問題はございません。お二人とも、私の客人と言うことに致しますので」

つまり、身分を隠せということで、そうすれば、アインもパーティに出席できる。

思えば正式なパーティははじめてのことで、今から少しずつ緊張してきた。

「お二人の衣装を作りませんと。ですので、今日の夜にでもお時間をいただきたく」

身体を測るためだ。

パーティなのだから、正装ぐらい着るべきだろう。

「あ、あの……ウォーレン様? 私の衣装は自分のものを……」

「オリビア様からの贈り物ですよ。どうかお受け取り下さい」

「……畏かしこ まりました。では、オリビア様にお礼を伝えることに致します」

イシュタリカの正装──クローネが着るのはドレスだが、彼女はそれに興味があった。

ハイムと違うであろうそれは、女心に強く響いた。

加えて、オリビアからの贈り物と言われてしまえば無下にもできない。

「というわけですので、後ほどお二人には給仕を向かわせます。では、私はこれで──」

なんともいきなりな話をされ、二人は顔を見合わせて笑う。

まさか、こうも早くパーティを同席できるなんて、夢にも思わなかった。

「殿下? 殿下の正装姿を楽しみにしておりますね」

「あぁ、姫のドレス姿も、今から楽しみで仕方ないよ」

仰々しく身振り手振りを合わせて振る舞い、およそ二週間後のパーティに思いをはせる。

芝居じみたやり取りを交わし、二人は中庭での歓談を楽しんだ。
◇ ◇ ◇
この日の夜、クローネは日常と化している、ウォーレンの授業を城の自室で終えた。

「平和に隠れがちではありますが、凶悪な魔物は数多く存在する──それを覚えていてください」

時刻は日を跨また ぐ目前で、今日は随分と長い授業だった。

「今日の座学は以上です。では、今後の方針について……早速、私の方で検討いたしましょう」

「えぇ、よろしくお願い致します」

九歳の彼女がするようなものではない、難しいことばかりの授業が終わる。

しかし、彼女はその厳しさについていき、必死になって励んでいるのだ。

「クローネ嬢、お疲れでしょうから、大浴場をお使いくださいませ」

するとウォーレンは、疲れたクローネを見てこう提案する。

「そ、それはさすがに……」

「いえ、疲れをとるのも大切な務めですので、是非」

その通りなのだが、普段の彼女は、部屋備え付けの浴室を使っている。

王族も使う大浴場は、彼女に遠慮をさせたのだ。

「……承知致しました。では、今日はお言葉に甘えます」

「えぇ、そうしてくださいませ。では……私はこれで」

ウォーレンはそう言って、クローネの部屋をあとにする。

ふぅ……と疲れた表情でため息を漏らし、椅子から立ち上がったクローネ。

ゆっくりと歩き出し、扉の外に出て大浴場へと足を運ぶ。

「まぁ、楽しみなのは事実なんだけど」

遠慮したものの、大浴場に行けるのは楽しみだった。

徐々に気分が高まりながら、足取りを軽くして大浴場へと向かって行った。

「おや? クローネ様、このようなお時間にどうされたのですか?」

「あ──こんばんは、マーサ様」

「いえいえ、私のことはマーサとお呼びいただければと」

様と呼ばれたことで、彼女は苦笑いでそう告げた。

だが、さすがに呼び捨てにするには気が引けた。

「では……マーサさんと、お呼びしてもよろしいでしょうか?」

「呼び捨てで結構ではありますが……えぇ、勿論です」

彼女から呼び方の承諾を得たところで、クローネは先ほどの問いに答える。

「実は、ウォーレン様から大浴場に行ってきては? と仰おつしや っていただけたので、今こ 宵よい は是非お借りしようかと」

「あぁ、道理でこのようなお時間に……。どうぞ、ごゆっくりとお寛ぎくださいませ」

マーサは深々と頭を下げてこう言い、クローネの傍そば を離れようとしたのだが、

「そういえば──」

と言って、立ち止まる。

「大浴場までの通路には、城自慢の書庫がございます」

「はい。聞いたところによると、随分と大きいとか」

「私は書庫の帰りでして、アイン様にお飲み物をお渡しして来たんですよ」

最後は笑顔をクローネに向けて、彼女はもう一度頭を下げてから立ち去った。

「……夜の逢あい 引び きの許可を頂けた……ってことかしら?」

一日の終わりに彼の顔を見る。

自然と心が躍り出し、彼女は書庫へと寄り道をすることに決める。

クローネは大浴場を目指していたため、書庫まではすぐ近くだ。

一つ二つと階段を下りたところで、一際大きな扉がある部屋へとたどり着く。

歴史を感じさせるその扉に手をかけ、ゆっくりと音を立てないように開けた。

すると、彼女の視界一面に広がる本棚の列。

壁一面のそれは、何階層分にも高く、本が何冊あるのかなんて想像もつかない。

古びた紙の香りをかぎ、彼女はアインを探しだす。

「……どこにいるのかしら」

ところどころに置かれた机や椅子には、アインの姿がない。

どんどん奥に進み、壁際の──一面に高い窓が広がる場所に足を運ぶ。

「あっ……」

目的だった彼は一人で椅子に座り、机には何冊もの分厚い本が重ねられている。

そして、クローネの目を何よりも引いたのは、

「……あれが噂うわさ の、アインがつくる紙の山なのね」

積み重ねられた紙の山は、アインが書き写した文字でいっぱいだ。

何枚も何枚も重ねられたそれは、彼の必死の努力が一目でわかる優れ物で、常人がするようなのとは程遠い努力の結晶。

彼の集中力は近くのクローネにも気が付かず、もくもくとペンを動かしている。

「こんな夜遅くまで一人で頑張ってるのね……」

朝は剣の訓練を──そして、夜遅くまで勉強をしている彼をみて、愛おしく感じてしまう。

「……ふー」

すると、彼女は悪戯いたずら するように彼の耳へと息を吹きかける。

──マーサは先ほど、彼に飲み物を渡したと言っていた。

つまり、アインは休憩するところだったということで、少しばかりじゃれついてみたのだ。

「ッ──え……え……ッ!?  えぇぇえええッ!? 」

「お、驚きすぎじゃないかしら……?」

ビクッと身体からだ を震わせ、きょろきょろと辺りを見渡してから、後ろのクローネに目を向けた。

彼はようやく犯人が分かり、驚いたことが照れくさそうに唇を尖とが らせる。

「お──驚いてないよ……? どっちかっていうと、くすぐったかっただけだから……ッ! 」

明らかに強がりなのだが、その仕草は可愛かわい らしい。

これを言えば明らかに不機嫌になるため、彼女はそれを心の中に留める。

「私も今日の勉強が終わったの。アインがまだ勉強してるって聞いて、様子を見にきたの」

「……なるほど。なら次は、普通に声をかけてくれると嬉うれ しいかな」

「声をかけてからなら、さっきみたいなことしてもいい?」

彼は何も答えず、マーサが淹れたばかりの飲み物を口に運ぶ。

ゴクッと音を立てて飲むと、少し落ち着いた様子でクローネを見た。

「俺の勉強してる姿なんて、見ても楽しくないよ?」

「そんなことないわ。凄すご いものが見れたから満足してるわよ?」

目線を紙の山に向け、彼女はそれについて語りだす。

[image file=Image00013.jpg]

「噂にあった、アインの紙の山を見られたから」

「う、噂って……なに?」

「秘密。アインが凄い頑張ってる……っていうだけの話よ」

一体何のことかさっぱりで、アインは不思議そうに彼女を見るばかりだ。

「私ももっと頑張らないと……ってことなのね」

決して怠けていたわけではなく、自分なりに努力していたつもりだ。

だが、想おも い人の彼は更に努力していたと知り、もっと頑張らなければ……と決意する。

「あ、聞きたかったのだけど、アインったら、木剣を何本も折っちゃってたって本当?」

「はっ……え、どうしてそれを……なんで……!? 」

ラウンドハート家の給仕が言っていたのは本当だったんだ。

クローネは微笑ほほえ み、アインの狼狽うろた えようを眺める。

「アインって……意外と乱暴だったのかしら?」

そんなことは思ってないが、ただ、彼との語らいが楽しくて、ついからかいたくなった。

「……毎朝、木を削って剣にしてたんだけど、なんか夕方になると折れやすくなってたんだよ」

「ふぅん……安い木だったの?」

「いや、それなりに高級な……船とか建材にも使えたやつだよ」

すると、クローネは呆あつ 気け にとられた。

「そ、そんな木剣を、たった一日でボロボロにしてたの?」

「……馬鹿みたいに素振りしてたから、負担が大きかったのかもね」

だからといって、たかが少年の力で折れるはずがない。

それも、たかが半日でだ。

彼は当時から才能があったのかもしれないと、クローネは目をしろくろさせながらも考える。

たとえ熟練した大人の騎士だろうと、アインと同じことは難しいだろうから。

「スキルなんかじゃ測れない、身体の底に強さがあったのね」

ボソッと呟つぶや くと、彼女は更に強く思う──アインの隣に立つために、自分も更に必死になる必要があるのだなと。

やがて、クローネはそっと振り返ってアインの元を離れる。

「あ──私、お風ふ 呂ろ に向かう最中だったんだけど、アインも一緒に入る?」

クスクスと笑い、何度目か分からないからかいを向ける。

その直後、アインは頰を赤らめて答えるのだ。

「は、入らないからッ! ほら、早くお風呂入って休んで!」

派手な身振りでこう答えれば、クローネは更に喜んだ。

照れてくれてるのなら、彼が自分に魅力を感じていることになるからだ。

「ふふっ。じゃあ、また今度ね?」

だから彼女は、わざと次の機会を仄ほの めかす。

顔を赤らめて黙ったアインにおやすみと言って、大浴場へと足を運んだ。
──彼女は今晩、とてもいい気分で夢の世界へと旅立てた。

彼と近くに居ると、こんなにも心が温かくなるのだなと、強く実感する一日だったのだ。
◇ ◇ ◇
──クローネがイシュタリカに到着してから三週間後。

夜も更ふ けた頃ころ 、煌びやかな服装に身を包んだ上位貴族たちが、城の大広間へと足を運んでいる。

城で開かれるパーティは、ここイシュタリカでも一線を画すことだろう。

天井にはいくつもの巨大なシャンデリアが輝き、華やかさはアインの想像を超えている。

「ご……ごめんなさい。お待たせ、アイン」

「大丈夫、全然待ってないよ」

パーティ会場の一角で待っていたアインの元に、クローネが慌ててやってきた。

桜色のドレスを着た彼女は、いつもと違った姿で可愛らしい。

アインも同じく、いつもとは違う正装に身を包んでいた。

「その、私も少し、挨あい 拶さつ に付き合わないといけなかったから……」

彼女はウォーレンの賓客として参加している。

だからだろう、アインと合流するまでに時間を要したのだ。

「だから、大丈夫だってば。それと……そのドレスも似合ってるよ」

「ッ──ふふ、ありがとう。アインこそ、すごく似合ってると思うわよ」

互いに今日の服装を褒め合うと、テーブルに置かれたグラスを持って乾杯した。

注がれた果実水を飲んだところで、クローネが疲れた表情で語りだす。

「覚悟はしていたけど、やっぱりハイムの名を聞くと、厳しい目を向けられちゃうわね」

「……何かあったの?」

「う、ううん。ただその……分かりやすく嫌われてるなって思っただけよ」

主にアインとオリビアが受けた仕打ちのせいだ。

彼女曰いわ く、目つきや態度に敵意が満ちていたとのこと。

「ウォーレンさんが隣にいたんでしょ? それでも……ってこと?」

「でも、ウォーレン様は咎とが めてくださったの。これぐらいはしょうがない事だと思うわ」

「……しょうがないって言いきりたくないけどね、俺は」

「大丈夫よ、私は別に気にしてないから──それにしても、本当に豪華なパーティなのね」

彼女はそう言うと、二人が居る場所のテーブルに目を向けた。

「まさか、魔石まで飾ってるなんて思わなかったもの」

並べられたテーブルには、必ずと言っていいほど巨大な魔石が飾られていた。

いわゆる飾りのための高級品で、確かに煌きら びやかで美しい。

「俺もだよ。お披露目もされてないから、実はパーティもはじめてなんだ」

無邪気な態度に、クローネも毒気を抜かれてしまう。

楽しんでいる様子のアインを見て、さっきまでの疲れが鳴りを潜めた。

「ふふ……それなら、たくさん楽しまないとね。あれ、正式なお披露目はいつ頃かしら?」

「冬が開けて、俺とクローネが学園に行く前──ってことらしい」

今の季節は秋。そのお披露目は意外と近いと感じる。

「なら、後で口上を考えないといけないわね」

王太子の口上となれば、民の心をつかむ必要もある。

アイン一人で考えるには、まだ荷が重いかもしれない。

「良くある話だと……憧あこが れの人物になぞって何かを語る、とかかしら?」

「憧れの人物ね、なるほど」

──どちらかといえば目標なのだが、脳裏を掠かす めるのは初代国王。

彼を目指したきっかけは、ハイムの者たちを見返すのにもちょうど良く、王太子としても、最終的に立派な王になれるだろう……という思いからだった。

「問題は、お爺じい 様たちみたいな話し方ができるかなー、っていう心配かな」

「ふふ……そうね、アインの話し方は優しいもの」

何よりも柄じゃない。

しかし、遜へりくだ って話すわけにもいかないなと、話し方も練習しようか迷うところだ。

そうして考えていると、アインの耳にある声が聞こえてくる。

「しかし、宰相閣下のお考えは分からんな」

「その通りだ。ハイムの者をパーティに呼ぶなんぞ……城が穢けが れてしまう気がするな」

「やれやれ……全くだ」

(結構、遠慮なく不満を言ってたんだ)

隣にいるクローネにも、その声は聞こえているはずだ。

アインも苛いら 立だ つ言葉がつづいたが、彼女はもう気にしていないのだろう。

目が合ったと思えば、いつものように可愛かわい らしく微笑ほほえ んでくる。

「もう、私の顔に何かついてるの?」

「……目が二つと、鼻と口が一つずつ……かな?」

「あら、アインとお揃そろ いってことね。ふふ、それなら良かったわ」

……自分も気にしないことにしよう。

そして、彼女とのパーティを楽しむことに専念する──アインはそう心に決めた。

決めたのだが、彼女は何かを思い出したように口を開く。

「あ、そういえば、あっちの方に美お 味い しいお料理があったの。アインにも持ってきてあげるわね」

「それなら俺も行くよ」

「王太子殿下でしょ? すぐに戻ってくるから、ここで待っててね」

ついていこうとすると、彼女がアインを制する。

「ちょッ……っ て、行っちゃったよ……」

彼女は優雅に会場を歩き、アインの下を離れていく。

料理ぐらい一緒に取りに行くのにと、彼女らしい気の利かせ方だが、素直に待つことにする。

すると、彼女が去って間を置くことなく、そっとウォーレンが近寄ってくる。

「パーティは楽しめているようですな。何よりでございます」

彼はアインの隣に来ると、くしゃっとした柔らかな笑みを向けた。

「クローネも居ますからね。……ところで、俺のところに来てもいいんですか?」

「問題ありませんよ。私はパーティの度、来場された方へお声がけしておりますので」

ウォーレンはそう言って持っていたグラスを置く。

この席でゆっくりする余裕があるのだろう。それならと、アインが世間話でも話そうとしたところで、先にウォーレンが口を開く。

「──そういえば、憧れの人物になぞらえるのでしたら、やはり初代陛下が一番でしょうな」

「あれ、クローネとの話、聞こえてたんですか?」

「申し訳ありません。不ぶ 躾しつけ ではありますが……近くに居たものですから」

聞こえていてもおかしな話ではない。

少しの気恥ずかしさを抱くアインへと、ウォーレンは近頃のアインの振る舞いを称たた えだす。

「ただ憧れを語るのは愚策です。ただ、アイン様は勉学に加え、武の努力も光るものがございます」

「……褒め過ぎじゃないでしょうか」

「そんなことはありません。まだ六歳だというのに、そのお歳で城の騎士にも勝ったという成果もございます。初代陛下を目指していること──民に対して、強い説得力となるでしょう」

アインが初代国王に近づくため、常日ひ 頃ごろ から努力を重ねているという証明は、きっとイシュタリカの民にも響くはずだと、ウォーレンはそう言ったのだ。

だが、認めてもらえるのは嬉うれ しいが、アインはまだ満足していなかった。

「えっと、そう言っていただけるのは嬉しいんですが……」

なにせ、憧れにして目標の人物は、魔王を討伐した男なのだ。

城の騎士も弱くないが、まだまだロイドやクリスのような、高すぎる壁が残されている。

「ふむ、向上心があることは結構ですな──ところで」

ウォーレンは長いヒゲをさすり、アインの様子を微ほほ 笑え ましそうに眺めた。

「──今日のパーティは、日頃頑張っていらっしゃるアイン様への、陛下からの贈り物です」

「お、贈り物? パーティがですか?」

「アイン様のお披露目パーティ、あの日の事で心を痛めておいでですので」

当事者だった自分よりも気にしてくれるなんて、やはり、シルヴァードという王は優しい。

だが、ウォーレンは少し不満気に言葉をつづける。

「私はいっそのこと、今日のパーティでお披露目をしてしまえば──と思ったんですが……」

ウォーレン曰く、先に貴族たちへとお披露目をするというのは、良くある話らしく、

「実は、アイン様のお披露目に関しては、宰相の私に期日決定権がございますので」

「へぇー…… なら、お爺様の許可はいらないんですか?」

「制度として言えば要りません。ただ、事前に尋ねるぐらいが丁寧でしょうな」

しかし、お披露目ともなれば、アインの口上が必要となる。

(何か考えておかないと……って感じかな)
しかし、彼が内心でそう考えた──そのときだ。

「……失礼。少し目に余ることが起きてしまったようです」

彼がそう言って見た方角には、クローネと一人の貴族が居た。

が、少しばかり様子がおかしく、周囲の貴族も遠巻きに眺めているようだ。

『宰相閣下のお知り合いとはいえ、よくイシュタリカへ顔を見せられたものだな──ッ! 』

貴族の大きい声が聞こえ、クローネを睨にら みつけていた。

今にも手がでそうな、それぐらい剣けん 吞のん な気配を貴族は放っている。

『貴様はこの会場に相応ふさわ しくないッ! 来いッ! 貴様に相応しい場所を教えてやる!』

離れた場所に座っていたシルヴァードもそれに気が付き、ウォーレンへと目配せをしている。

すると、貴族がクローネの手を摑つか んだのを見て、アインの足が咄とつ 嗟さ に動いた。

「ウォーレンさん、行きましょう」

行きましょうと言いながらも、彼は一人で進みだした。

「お、お待ちください……! 招いたのは私ですので、私があの貴族を……!」

だが、現状についてを深く考えるアインに対して、彼の言葉が届かない。

(まるで、あの日の俺とお母様みたいだ)

お披露目パーティに参加できなかった日、その晩の自分たちとクローネを重ねた。

そうすると、不思議なことに足が自然と動いたのだ。

(俺だって、あの日と比べて強くなったんだ。だから……逃げることはしない)

「ですからアイン様! あの貴族は私にお任せを──いや、これはむしろ……」

すると、ウォーレンもまた、何かを考えついた表情を浮かべた。

数歩歩いたところで、ニヤリとほくそ笑んでアインの耳元で語る。

「──あの貴族は多少強硬派です。ハイムへも攻め入るべきでは? と、以前申しておりました」

耳元でそう言われ、とうとうアインが反応を返す。

「人一倍、ハイムを嫌ってるってことですか?」

「愛国心も人一倍強く、ハイムを強く見下している節はございます」

彼はアインをとめるわけでもなく、わざとそうした情報を語りだした。

「分かりました。目に余るということを伝えることにします」

それを聞くと、ウォーレンが密ひそ かにシルヴァードを見た。

なにをするのかと不安そうにしている彼に対し、ウォーレンは意味深に笑う。

「……あの、狸たぬき 爺じじい めが」

シルヴァードは密かに呟つぶや いて頭を抱えたが、結局は、二人の動向を見守る。

近くでは、貴族に囲まれたオリビアまでもが、不安そうに目を向けていたのだ。

「アイン様。一つ助言を──アイン様は王太子です。ですので、相応の態度で接するべきですな」

「……俺が王太子って公表してないのに、ですか?」

「無論です。──いつもの、陛下の口調を思い出してくださいませ」

下した 手て には出るなと、彼は暗にそう言った。

(話し方の練習をしとこうかなって思ってたのに、まさかこうなるなんてね)

練習する機会は失したが、今この時から逃げるつもりもない。

わかりました──ウォーレンにそう答えると、歩きながら深く呼吸をしたのだ。

すると、責任感や怒りなど、多くの感情が生まれるのを冷静に管理し、いつの間にか、独特の覇気のような気配を纏まと っていく。

「失礼ですが、私の客人に何か用がおありでしたか?」

やがてアインは、クローネと一人の貴族の場所に到着する。

二人の間に割り込み、貴族の手を少し乱暴に払ってクローネをかばう。

「ア……アインッ……わ、私なら大丈夫だから……」

彼女は気丈に振舞いながらも、悲しそうな表情だ。

アインは強く心を痛め、彼女の手を強く握ってから、もう一度貴族を見る。

「いきなり割り込んで何を言うかと思えば、君は誰だ? 彼女は宰相殿の客人だろう?」

だが、ウォーレンはいつの間にか姿を消し、ここにやってきたのはアイン一人だ。

そのアインはクローネを守るように立ち、決して一歩も引かなかった。

「いえ、陛下にも認められた、私の客人です」

「……なるほど。君がどちらのご子息かは知らないが、無礼には違いないな」

だが、アインは怯ひる むことなく貴族を見返す。

「慮おもんぱか られるべきだろう。我ら貴族がハイムを憎むのは当然のことだ」

残念だが、頷うなず く貴族は少数いた。

こればかりは避けられない、アインもこれは同意できるが、あることを考えた。

(……クローネが悪いんじゃない、原因は俺だ)

自分に価値が無いから廃嫡され、以前のオリビアのように、クローネたちまでもが影響を受けている……これが耐えられない。

(あぁ、わかったよ。俺が──俺自身の手でやらないといけないんだ)

内心で強く決意をすると、アインは貴族を真っすぐに見て口を開く。
「──ハイムを憎んでいるのなら、その文句は私に言うべきだ」

ウォーレンの助言にあったように、アインはこの瞬間に口調を変えた。

「はっ……何が言いたいのか、さっぱりだ」

「だろうな。だが、私は何が悪いのかを理解している」

すると、アインが纏う空気が変わり、まるで、シルヴァードのような特別な覇気を醸し出す。

同時に彼は一歩前に進み、貴族は無意識のうちに一歩下がった。

アインが放つ、得も言われぬ迫力に押されたのだ。

「もう一度言おう。ハイムを憎んでいるのなら、その全すべ ての原因は私にある」

彼は何を言いたいのだろう? こんな小さな子に気け 圧お されるという現象に、貴族は戸惑ったのだが、気圧されたまま押し返せる気配もなかった。

「王族の血を引いていながらも、弟と比べて劣等。挙句の果てには廃嫡され、母に連れられて帰国した男を、すべて受け入れられるとは私も考えていない」

「……王族の血を引く? まさか君は、自分が王太子殿下だと言うつもりなのか?」

王太子がお披露目されるのはまだ先の話──そう、少なくとも、何の前触れもなしに貴族の前にやってくるなんて、普通なら考えられない話だ。

この場の急展開もあってか、貴族はアインを王太子と信じていなかった。

「──さしずめ、ハイムへの憎悪の前には……そうだな」

しかし、問いに対して答えないアインを見て、貴族はその無礼さを指摘するよりも、この言葉の前には黙るべき──という覇気を感じとった。

「田舎いなか 国家だと、下等国家だと思っているハイムで生まれた王太子に、そのハイムで廃嫡された王太子に思うことがあるのだろう?」

ハイム出身の女の子に不満を言っていたら、いつの間にか自分の内心を指摘される。

残念なことにそれが図星で、半ば八つ当たりにも似た感情だったことを看破されてしまう。

根底にはアインという存在への不満があると、それが吐露したと言えたのだ。

「ッ──違う! 私は王太子殿下に物言いなど……!」

しかし、それは否定しなければ不敬にあたる。

貴族は慌てて言うが、アインは手を差し向けて制する。

「それを叱責するつもりは無い。それどころか、私はそれを許したいと思う。……とはいえ、彼女に手を出したのを許すつもりは無いが」

──いつの間にか、会場中の注目はアインと貴族に向いている。

また、シルヴァードやウォーレンが止めに入らないことで、他の貴族も一様に口を閉じた。

一部の貴族は現状を見て、あの男の子は本当に王太子なのでは? と迷いだす。

(ウォーレンさん。確かに、いっそのこと今日をお披露目に……ってのは正しかったみたいです)

ついさっきの話を思い返し、俯うつむ きながら笑いを漏らす。

「貴公が抱いた感情は当然だ」

すぅっと大きく息を吸い、アインが口を開く。

「私は生まれながらに無力だった。母に苦労を掛け、父に見放され、弟にも見下された」

なぜ身の上話を? だが、周囲の者たちの気を引くには十分だった。

「幾つもの本を重ね、幾つもの木剣を折り、ただ一人で努力をつづけた──が、結果は廃嫡。挙句にパーティでは、弟に主役の座を奪われる始末だ」

我ながら情けない話だと、引ひ きつった笑みを浮かべてしまう。

しかし話はこれだけでは終わらない。その後の大切な出来事がまだつづく。

「だが、私はその日の晩に彼女と出会い、自らの価値を証明するためのきっかけを得た」

同時に、後ろで不安そうにしている彼女を横目で見て、大丈夫だよ、と目配せする。

「その後は気が付くと海を渡り、このイシュタリカに足を運んでいた。私には偉大なる祖父が居たことを、その時はじめて耳にした」

孫に偉大と言われるのは悪くない。

彼の言葉を聞きながら、シルヴァードは頰ほお 杖づえ をつきながらも笑みを浮かべた。

「私が弱かったことは皆に詫わ びたい。──だが」

すると、アインはおもむろに手を伸ばし、テーブルに置かれた蒼あお い魔石を素手で摑つか み取る。

「ッ──な、なにを……駄目だ、離しなさいッ!」

「──案ずる必要はない」

あくまでも頑なに、貴族の制止を気にも留めずにアインが答える。

「私はすでに強く……そして、この地にあっても相応ふさわ しい存在に変わっているのだから」

会場がざわめきだし、アインの一挙手一投足が注目を集める。

当然だ、高価な魔石を素手で摑つか むなど、身体からだ を強く蝕むしば む自殺行為に他ならない。

「……その理由を今から見せよう」

天に掲げるように魔石を持ち上げ、いつもの毒素分解で中身を吸収していく。

蒼は徐々に薄まり、出てくるのは透き通った白──言い方を変えれば、

「我らがイシュタリカ……その象徴でもある白銀が、私の手の内にある」

それが意味するのは、イシュタリカという国の誇りだ。

(……少しは成長したのかな……俺も)

もしかすると、今日この日以上に、修練の賜たま 物もの に感謝した日はないかもしれない。

アインは一瞬だけ笑うと、会場中の貴族を見渡す。

初代国王が好んで使ったと語られる白銀を模し、アインは高らかに宣言した。

「魔物の力に負けず、私はこの白銀を生み出した」

貴族は呆あつ 気け に取られているが、アインはそれでも言葉をつづける。

「──だから私は問う。我らが白銀を……誇りを弱いと思う者がいるか──否かを」

アインは内心で苦笑いした。実際のところ、この聞き方はずる過ぎる。

それに異を唱える者がいるならば、その者は間接的に、初代国王へと異を唱えることになる。

「重ねて問おう。我らが白銀を……イシュタリカを弱いと思う者がいるか──否かをッ!」

その時だった。その言葉に、シルヴァードまでが目を見開いて後ろ姿を眺める。

「アイン、お主……それは……」

ぽつりと呟つぶや かれた声は届かないが、彼は確かに驚いた。

アインが発した言葉は、イシュタリカに住む者たちにとって、決して忘れられない言葉だった。

二人のやり取り──いや、アインが語る言葉に対し、会場中の貴族は強く耳を傾ける。

「異論が無ければ、今の私は以前と違う私との証明になるが」

どうだ? と、貴族に向けて覇気のある目つきを真っすぐにぶつけた。

「私の努力や資質がこれでも足りないというのなら、いつでも城に足を運ぶといい。私はいつも朝早くから訓練に努め、日が変わるまで書庫にいる──なにも恥じ入ることはない」

ただひたむきさを極め、胡坐あぐら をかくことなく励んでいると、アインはそう言った。

何一つ異論を唱えられずに戸惑う貴族に対し、とうとうその理由を語ることにした。

「だから今、私は自信を持って名乗ろうと思う」

イシュタリカの名を冠することに、少しの後ろめたさも感じずに口が動く。

「我が名はアイン──アイン・フォン・イシュタリカだ」

アインの口からこの言葉が告げられ、会場中の貴族は一様に身体を震わせる。

彼は今の今まで名乗ることがなかった。つまり、言葉だけで心を揺れ動かされていたということを、この時になって自覚させられたのだ。

「な──ッ! 」

その中でも、アインの前に立つ貴族は特別だ。

一際強い迫力に押され、無意識のうちに膝ひざ をつきそうになる。

「……もし、もしも私を認めるのならば、彼女のことも受け入れてほしい」

そっと苦笑いのように頰をあげ、アインは静かにクローネに振り返る。

ぎゅっと胸元で手を握りしめる彼女を見てから、アインは貴族に視線を戻した。

「だから、私は今一度問いたい。今度は皆に問いたいと思う」

少し離れたところでオリビアが、そして、クリスたちまでもが息をのむ。

会場が森閑とし、アインが今日一番の覇気を放つ。

「私はまだ弱いか否かを、そして、私はまだ価値が無いか否かを──ッ! 」

この言葉は、決して目の前の貴族だけに向けられるものではなく、もはや会場の貴族全員にだ。

ある貴族はじっとアインを見て、ある貴族はアインの行動に驚くばかり。

「否ではないのなら、私は貴公に──いや、ここにいる皆と、イシュタリカに約束したい」

抑揚の付いた迫力のある声が、アインの演説が終わりに近づいていることを伝える。

クローネをかばって入ったつもりが、いつの間にか口上を述べている。

だが、自分が原因だったのだからしょうがないかと、アインは最後の言葉を口にしだす。

「私は王太子として、そして、ある偉大な存在に憧れる者として約束する」

ふと、アインは心にすっと爽さわ やかな風が吹き抜けたのを感じた。

「未み 来らい 永えい 劫ごう 続くであろう、このイシュタリカの輝きを」

すると、ドッと倦けん 怠たい 感が押し寄せた。

そうか……。俺はきっと、もう満足したんだな。と、ここに至るまでの数分を惜しんだ。

──すると、ここになって気が付かされた。

会場中の貴族が死んだように静かだったのだ。

「……なるほど、な」

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ひときわ目立つ一席に腰かけたシルヴァードが、アインの言葉に何かを感じ取ったのだ。

彼は口元に笑みを浮かべ、アインの様子を訳知り顔で見守った。

少し離れた場所に立つオリビアも、宝石のような瞳ひとみ に、うっすらと涙を浮かべて微笑ほほえ んだ。

(後で謝らないと。勝手に名乗っちゃったし……)

予定になかったお披露目を、クローネの件が見逃せないからと言って勝手にしてしまった。

後でなんて叱しか られるのか……考えたくもないが、それ以上に止まることはできなかった。
そうしていると、アインが驚く事態が起こった。

「ッ──!? 」

小声で漏れた心配そうな声は、誰一人にも届くことなく虚空に消え去る。

男性貴族は敬意を込めて膝をつき、女性貴族は、恭しい仕草で膝をついている。

「ア、アイン……皆が……ッ」

戸惑ったまま振り返ってクローネを見れば、彼女もまた驚いている。

急にどうしたのか──彼はとうとう、オリビアに目を向けたのだが、

「お母様まで……!? 」

いや、彼女どころか、ロイドやウォーレンも同じことだ。

膝をついていないのは国王シルヴァードただ一人。

そして、王女オリビアが頭を下げる相手は決まっている、国王と王太子のみだ。

この瞬間、アインは本当の意味で、イシュタリカの王太子となったのだろう。

「ど、どうしよう……」
◇ ◇ ◇
結局、収拾を付けにかかったのはシルヴァードだった。

会場中の貴族を立たせると、唐突ながらも口上を述べたアインを称たた えるように求めた。

拍手で称えられたアインに苦言を呈しながらも、立派だったと彼は言う。

それから少し経た ち、会場の話題はアイン一色だった。

「いや、なんとも勇ましい方ではないか」

「うむ。聞いていたよりも逞たくま しく、立場ではなく、自らの強さを語ったのが素晴らしい」

ある貴族たちは、アインの先ほどの言葉を語り、

「素敵でしたわ。海を渡った令嬢を守るために、あのように身体からだ を張るだなんて」

「えぇ。まるで昔話の一場面でもみたかのような……そんな美しい光景でしたわね」

貴族の夫人たちは、アインがクローネをかばったことに感銘を受け、先ほどの光景を思い出しながら語り合う。

「それにしても、王太子殿下は魔石の魔力をものともしないとは、いや驚いた」

「お強いお方なのだろうな、どうやら、我らがイシュタリカの将来は明るいようだ……!」

と、別の貴族達が驚く声も聞こえてくる。

「仰おつしや る通りだ。どのような力かは知らぬが、ただの人に出来ることではないッ!」

唐突な出来事ではあったものの、アインに対しての感情はとてもいい。

それからというもの、アインは何人もの貴族と言葉を交わし、数十分は笑みを振りまいた。

だが、少し落ち着いてきた頃ころ 、近くに歩いてきたウォーレンへと願い出る。

「……その、少し身体が火照り過ぎてしまったみたいなので、テラスに出て、頭ごと冷やしてきてもいいでしょうか?」

妙に顔が熱い。おそらく、緊張や高揚感からくる弊害だ。

ここまで休憩なしで話をしてきたのもあって、アインは一度、席を外すことを求めたのだ。

「構いませんよ。あちらのテラスは、我々、関係者しか入れませんが、一応は護衛を……」

クリスを護衛につけようとしたのだが、アインが固辞する。

「少し、一人でゆっくり考えてみたいんです。駄目でしょうか?」

テラスがあるのは、シルヴァードが座る席の後方で、会場の貴族からは見えないところにある。

「……分かりました。夜は冷えますので、お身体に障らぬようにお気をつけください」

「ありがとうございました。お母様、一度、席を外しますね」

「えぇ、気を付けてくださいね」

こうして、アインはオリビアたちの傍を後にすると、会場そばのテラスに足を運んでいった。

残されたオリビアは、様子を窺うかが っていたクローネを手招きする。

「──クローネさん。アインに惚ほ れ直してくれたかしら?」

「えぇ……何度一ひと 目め 惚ぼ れをすればいいのか、答えが見つからないんです」

前回はハイムで憧れを叶かな え、今回はパーティ会場で颯さつ 爽そう と現れて助けてくれた。

語った内容も雄々しく、心が鷲わし 摑づか みにされるばかりだ。

アインとは別の意味で赤く染まった頰を撫な で、大人びた仕草でほぅっと息を吐いた。

「困っています。なんて話しかければいいのか……普通でいられないかもしれませんから」

すると、そうしていたクローネの耳に、近くの貴族の会話が聞こえた。

『何とも傑物でありましたな。素晴らしい存在感でした』

『その通りだ……いやはや、まさか、初代陛下のお言葉のような演説を耳にできるとは』

そして、彼女は察した。会場中の貴族が急に膝をついた理由を。

「……オリビア様、さっきのアインは初代陛下のようだったから、皆が膝をついたんですか?」

「ふふ……えぇ、そういうことですよ」

すべて納得だ。アインがただの王太子ではなかったという話なのだ。

「初代陛下は魔王討伐に向かう際に、好んで使っていた白銀をイシュタリカに喩えました。皆を鼓舞するように語った言葉が、先ほどの演説と瓜うり 二ふた つだったのです」

ウォーレンが言うが、言葉が似ていたということだけではなく、アインが持つ迫力や覇気もある。

だから、会場中の貴族はその想おも いを受け、心を動かされたのだ。

アインは本当にすごい人だ。クローネの内心がその想いで埋め尽くされると、あぁ……早くアインと話したい。と、テラスの方角をじっと見つめる。

「──クローネさん。行ってきてもいいですよ」

「オリビア様……?」

すると、オリビアは微笑ほほえ んで後押しをして、

「私からもお願い致します。アイン様は、クローネ嬢がお相手ならば喜ぶに違いない」

ウォーレンが言うと、クリスが一枚の肩掛けをクローネに掛けた。

「外は冷えますので、これを」

いつの間にか、外に行く支度まで整えられていた。

この用意周到さに戸惑ったが、それよりもアインと話がしたかった。

「あ……ありがとうございます。では、少し失礼して……!」

急ぎ足で向かう、彼女の後姿を、オリビアたちは見守るように眺める。

「──行ったようだな」

「あら、お父様」

シルヴァードだ、彼はクローネが去っていってすぐにやってきた。

「まったく、本来ならば先ほどの件は罰するものだが……よい、ラウンドハート家の調査や海結晶の件など、アインにも苦労をかけた。それと相殺することにしよう」

苦言だけで終わったのはこのおかげで、アインはなんとか罰を逃れる。

彼はウォーレンへと不満げな顔を向けるが、ウォーレンは気にすることなく口を開いた。

「陛下もいるのでちょうどいい。クローネ嬢について、報告することがございまして」

なんだろう。オリビアが、そしてシルヴァードが興味津々にウォーレンを見る。

「来年、クローネ嬢はリーベ女学園へと編入します。そのための課題を申し付けているのですが、彼女は私の想像以上に、良い結果をくださいました」

「ふむ……ウォーレンが言うのならば、きっと良い結果なのだろう」

「課題の量を増やし、今後の教育方針も固まりました」

課題が増えた時ばかりは、『……ありがとう存じます』と引きつった笑みを浮かべたらしい。

アイン同様、彼女も大変な努力が必要となるだろう。

「それで、どんな教育方針なのかしら?」

「はい。一つ目は私のような……文官としての教育方針です」

指を立てて数える。

「二つ目が、妃殿下のような、あらゆる教養を持つ、並び立つ者がいない淑女となること」

話を聞くシルヴァードとオリビアは静かに聞いた。

クローネがどんな選択をしたのか、それが気になってしょうがないのだ。

「三つめは、女王のような存在を目指すということ。民を導ける器を養う方針です」

「して、クローネはどれを選んだのだ?」

ウォーレンは思い出し笑いをし、数秒の間を置いてから答えるのだ。

「女王のような高い思考力と判断力を持ち、王を見守れる、高い教養を持つ淑女。だそうです」

彼女らしく、どこか我がままで、強い意思に満ちた選択だ。

シルヴァードは彼女の頼もしさにほくそ笑み、テラスの方角を見守った。

「……まったく。新たな世代は、粒が揃そろ いすぎて困ったものだ」
◇ ◇ ◇
アインが居るテラス。ウォーレンが言ったが、ここに足を運べる者は一部の人間のみ。

そんなテラスで、彼は柵さく に肘ひじ をついて城下町の夜景を眺めていた。

「……今日もすごい景け 色しき だ」

城は大きく高いとあって、この夜景も、城下町を高いところから見下ろしているのだ。

もう冬になる直前のこの空は、空気が澄んで満天の星空が広がる。

一方で、下を見れば、宝石箱をひっくり返したような街並みが広がるのだ。

「でも、少し寒くなってきたかも」

「──じゃあ、一緒に肩掛けでもどう?」

ふわっ、と。柔らかな布が、アインの肩に掛けられた。

「あ、あれ……クローネ?」

「えぇ。クローネよ」

彼女はそう答えると、アインの隣に立った。

不思議と、気分が高揚した名な 残ごり からか、アインは緊張感を感じなかった。

肩が触れ合うぎりぎりに立つと、二人は城下町に目を向けた。

「さっきは、その……ありがとう」

胸が高鳴るのを抑え、紅あか くなった顔でそう言った。

「はははっ……俺のせいであんな目に合わせちゃったんだし、気にしないで」

こう返すのだが、彼女は強くアインの手を握る。

「守ってもらえて嬉うれ しかったの。だから……本当に嬉しかった」

こんなにも近くに立ち、手を握って赤らんだ顔で見つめる彼女。

二人はじっと目をあわせていたのだが、急に正気に返り、手を放して城下町に目を向けた。

「そ、それにしても──イシュタリカって、本当に広いのね……!」

「う……うん。俺もまだ驚くことばっかりだよ」

二人にとっての比較対象はハイムだ。

アインは港町で、そして、クローネは王都の生まれだが、ハイムではこんな光景を見られない。

やがて、少し余裕を取り戻した彼女が、アインをからかうように尋ねる。

「ねぇ、さっきの言葉……実は前から考えていたのかしら?」

「……そうだって言ったら?」

こう言うと、彼女は首を傾かし げて笑った。

「アインは噓うそ が下へ 手た なのよ。顔を見れば、すぐに分かっちゃうもの」

聞いてみただけらしく、最初から答えはお見通しなのだ。

彼女の言葉に対し、不ふ 貞て 腐くさ れたように頰ほお 杖づえ をつく。

「この大陸にはさ……港町マグナみたいな大きな都市が、まだ何個もあるんだ」

行ったことはない、だが、この大陸はハイムよりも大きく、広大なのだ。

「凄すご いと思った。一つだけでも凄いのに、それがいくつもあるんだよ」

「もう、アイン? 凄い……としか言ってないけど?」

「それぐらい凄いってことだよ。この国はね」

また、どこを見ても、ハイムとの違いしか感じられない。

もしかすると、技術力や文明力の差は、数百年分もあるかもしれない。

まさに、別世界の一言なのだ。

「でも、言いたいことは分かってるの」

「それならよかった」

ふと、強い風が二人を包んだ。

それは一瞬だったが、クローネの長い髪はふわりと舞い上がり、花の香りがアインに届く。

……アインがその香りに惚ほう けてしまいそうになった時だ。

イシュタリカ王都は、アインの演説を祝福するかのように、姿を変えたのだ。

「──これって」

クローネが呟つぶや いた。髪の毛を手櫛くし で整え終えると、柵に乗せた手に落ちたものに気が付いた。

それは氷のように冷たく、手で触れればすぐに溶けてしまう。

「雪、みたいだね」

クローネの手に舞い降りた一粒の雪。それを切っ掛けに、王都中に雪が降りだしたのだ。

時折、町の灯あか りと城の灯りが反射して雪が煌く。

星空には少し雲がやってきたが、それでも十分、満天の星といえよう。

見下ろせば、麗しい城下町の姿があり、雪という新たな煌きが重なったのだ。

「王太子殿下を祝福してくれてるのかしら?」

「……もしかしたら、クローネを歓迎してるのかもしれないけどね」

そうして、二人はもう一度顔を合わせて笑った。

「じゃあ、そのどちらも……っていうのは、素敵だと思わない?」

「確かに……言われてみたら、その通りかもしれない」

彼女の言い回しにアインは頷うなず いた。

すると、クローネは城下町の様子を眺めて言う。

「あ……よく見たら、水列車が走ってるのも分かるのね。それに、こんな時間なのに、まだたくさんの人たちが歩いてる」

王都にはじめてきた日から思っていたが、こうしたところにも違いがある。

「初めてホワイトローズ駅で降りた時に思ったの。今日は何かのお祭りなのかしらって」

違うのだ。ホワイトローズ駅は、常に人で混み合う巨大な駅なのだから。

「違いますよ。ってウォーレン様から聞いて、すごく驚いたのをまだ覚えてるの」

片耳に届く彼女の心地よい声に、アインが耳を傾ける。

二人は白い息を吐きながらも、対照的に暖かな雰囲気を楽しんだ。

「ねぇ、アイン。それすらも、このイシュタリカではほんの一部なのよね?」

「──うん。もっともっとたくさんの人が、この大陸中に住んでるよ」

城下町を眺めるアインの横顔は、ハイムに居た時と比べて自信に満ちていた。

「……どっちがずるいのよ、もう」

先日、彼にずるいと言われたことを思い返し、逆に不満を口にした。

クローネは頼もしさを感じたのだが、彼に置いていかれるなんて考えたくもない。

彼女はすぅっ…… と息を吸い、アインの横顔に語り掛ける。

「私もね、頑張るって決めたことがあるの。あ、その内容は教えてあげないわよ」

悪戯いたずら っ子のような瞳ひとみ でアインに告げた。

それはまるで、聞いてほしいと言わんばかりの表情だ。

「え、えぇー…… 。そこまで言っておいて教えてくれないの……?」

クローネとウォーレンとの間で話された一つの決意。

それはまだ、自分の胸の内に秘めることにした。

「ふふっ。教えてあげるなんて、一言も言ってないでしょ?」

随分な小悪魔だな。アインが肩をすくめる。

やがて、クローネは軽やかな足取りで離れていく。

数歩進んでから、ドレスをふわっと広げて振り返った。

「──パーティってね、最後にしなければならないことがあるの」

「しなきゃいけないこと? 何をしなきゃいけないの?」

とん、とん。と足音を立てて下がる彼女を追いながら尋ねた。

「演奏はないけれど、こんなにも素敵な舞台なんだから。することといったら一つでしょ?」

「──そういうことか。意味が分かったよ」

アインは咳せき 払ばら いをして居住まいを正す。

彼女の前まで足を進め、

「──クローネ」

彼女の名を呼んで更に一歩近づいた。

そして、誘われるのを待っている彼女に手を差しだすのだ。

「一曲、お相手していただけますか?」

彼女は静かに手を重ねる。

片手を胸に当て、アインと瞳と瞳をあわせて口を開くのだ。

薄っすらと頰を紅あか く染め、アインに手を引かれるまま近づいた。
「いいえ……一曲と言わず、何曲でも──」
あとがき

はじめまして。著者の結ゆう 城き 涼りよう と申します。

『魔石グルメ』一巻を手に取っていただき、ありがとうございました。

この作品は『小説家になろう』で連載中の作品で、この度、有難いことに書籍化していただくことができました。
さて、WEB版でお付き合いいただいている方は、エピソードの追加や改稿部分が多々あることにお気づきかと思います。

一巻については、はじめて書籍で読んでいただける方にも、そして、WEB版をご覧いただけた方にも楽しんでいただけるよう、多くの箇所を書き直しております。

最終章に関しては、完全な書下ろしで追加いたしました。

これからの話に関しても、同じく多くの改稿を重ねていくかと思います。
今後のアインは学園に行くこともあれば、海かい 龍りゆう と戦うという大イベントも残されています。

学園での友人とのやりとりや、ヒロインたちとの掛け合い。

また、一巻では登場させきれなかった人物も、是非楽しみにしていただきたいです。

王太子となったアインに待ち受けるはじめての災厄──これまでに手に入れた力を使い、どうやって災厄に立ち向かうのか──。

はたまた、ハイムにいるアインの弟や父など。

アインの物語はイシュタリカでは終わらず、これから先、多くの困難や旅が待ち受けています。

大人になるにつれて、どんな人生を歩むことになるのか?

彼の物語に、どうかこれからもお付き合いいただければ幸いです。
最後になりますが、『魔石グルメ』に携わってくださった皆様にお礼を申し上げます。

まずは書籍化をしてくださったKADOKAWA様。

そして、担当編集のK氏、O氏。そして、イラストを担当してくださった成なる 瀬せ ちさと様。

担当編集のお二人には何度も助けていただき、多くのことを学ばせていただきました。

成瀬様からは、魅力的な絵をいただくたび、いつも心を温かくいたしました。

まるで思い出深い祭りの準備期間のように、すべての作業が終わるのを、寂しいと感じてしまう自分がいたのも記憶に新しいです。

こうした宝物のような時間を得られたのも、応援いただいた読者の皆様のおかげです。

皆様とのすべてに、この場を借りて心よりの感謝を申し上げます。
最後まで目を通していただきありがとうございました。

これからの『魔石グルメ』も、どうぞよろしくお願いいたします。

魔ま 石せき グルメ

魔ま 物もの の力ちから を食た べたオレは最さい 強きよう !

結ゆう 城き 涼りよう

カドカワBOOKS

2018年11月10日 発行

©Ryou Yuuki, Chisato Naruse 2018

本電子書籍は下記にもとづいて制作しました

カドカワBOOKS『魔石グルメ 魔物の力を食べたオレは最強!』

2018年11月10日 初版発行

発行者 三坂泰二

発行 株式会社KADOKAWA

KADOKAWA カスタマーサポート

[WEB]https://www.kadokawa.co.jp/

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